月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「食っていく、という話をしてきた」(後篇)

映画カフェバー「ワイルドバンチ」(大阪市北区長柄中1丁目4−7)で毎月開催されているトークイベント『食っていく、という話をしよう』の第7回に呼ばれて、90分お話ししてきた。

当日お話ししたことをベースに、青春記のようなかたちでまとめたのが本稿です(後篇)。
前篇と合わせてご笑覧ください。いよいよ本題である「食っていくこと」にも話は及びます。 

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友人が贈ってくれた「いいとも」ふうの花w

電通を辞めたこと

その2年前くらいから予兆はあって、長い時間をかけて考えて計画的に、かつ最後は「エイヤ!」と思い切って会社を辞めた。きっかけは友人の小谷さんから、ひとりでレザーブランドをやっているm.rippleの村上氏を紹介されたこと。

彼は優れたレザー製品を自分で考案し、デザインし、製作し、販売している。
それは立派なことだが、売れれば売れるほど作る時間や考える時間が取れなくなり、ジレンマに陥ることにならないのだろうか、と僕は考えたのだ。
それからいくつかのそういったレザーブランドと知り合ったが、いずれも「すばらしいモノを作っているのに、伝え方を知らない」という同じ課題があるように感じた。

そもそも日本人は、自分が作ったものを自信満々で人におすすめすることが苦手なのだ。
アメリカ人みたいに、「俺が作ったコレ、どうよ? サイコーだろ? お前もそう思うだろ、マイフレンド? 〇〇ドルなら譲ってやってもいいぜ。ただし、来週になったら××ドルに上がるからな」などと上から目線でグイグイきたら、僕なんかは
「わかったから、クスリ抜いて出直してこいや」
と思ってしまうのだが、ビジネスの世界ではそうではないようだ。

「伝え方」なんて僕にもわからないものの、コピーライターだし、少なくとも、尊敬できるクラフツマンが手がけた製品なら、僕は大きな声でおすすめできる、と思った。それが、僕のレザー専門ストア「スナワチ」のはじまりで、「これって、すなわち、こうじゃん!」と、良さをわかりやすく伝える役割が当社だから、社名が「スナワチ」なのだ。

そういう仕事が作れたらなぁと構想しているときに、電通が「早期退職制度」をはじめた。退職金にドーンと上乗せをするから、100名ほど出ていってほしい、という募集だ。
これまでも何年かに一度、恒例のように行なわれていたのだが、これは天啓かと思った。

応募の条件が「勤続10年以上、かつ50才以上の社員」ということだったので、入社14年になっていた僕はデスクの下で拳を握った。「おぉ、神よ……」

しかし、待て。僕の年齢は39才(当時)なのだが、この「かつ」というのをどう解釈したものか。
「and」なのか「or」なのか。

ふつうに考えたら「and」なのだろう。しかし、新卒入社が圧倒的に多い中で、入社10年なら、まだ30代前半。それをわざわざ50才以上と限定するということは、40代で中途入社してきて10年だけ働いたら、そんないい条件で早期退職できるの? そんな人そうそういないだろ。

この疑問を人事局に電話でもして訊こうものなら、「はい、そうです。あなたは応募条件を満たしていません」と言われて話がすぐに終わりそうだったので、僕は知らんふりしてメールを書いて、早期退職に応募した。なんかスルッと通ってしまわないかな、と期待して。

翌日、担当者から返信があり、
「あなたは応募条件を満たしておりません」
とのことだった。なんやねん。

このとき僕はあることに気がついた。早期退職は9年前にも募集があり、「40歳以上」だったと思う。4年前にもあり、そのときは「45歳以上」だったように記憶する。
つまり、いつも同じ世代の人たちがターゲットなのだ。いわゆるバブル世代のことだ。
いつまで待っていても、このとき40手前の僕には巡ってこないのだ……。

これであきらめもついて、むしろ会社を辞める後押しになった。

 

■カウボーイのこと

こうして僕はフツーに退職金をもらって電通を辞めた。退職金はそのままスナワチ社の資本金になった。

僕にはもうひとつやりたいことがあって、それをできる時期はここしかなかった。

「カウボーイってなんなの?」という長年の疑問を体験的に解決したかったのだ。

先述の通り、僕は亡父の影響でカントリー音楽が大好きで、ケンタッキー州で大学を出ている。カウボーイの姿形は知っている。カントリー歌手同様に、ハットをかぶって、ブーツを履いている。
そして、アメリカでは「カウボーイは男の中の男」と考えられているようだ。

「なんで?」、「なにをする人たちなの?」、「今でもいるの?」という、日本人なら誰でも思うような疑問が、僕の心の中では大きくなっていて、いつか自分で知りたかった。

「カウボーイの牧場でひと夏働いてさ、その仕事と生活を本にしたらおもしろいと思うんだよね」
そんな話を与太話のように、飲みの席で友人たちにして、実のところは「それをしないと死ねないじゃん」というくらいに心の中では、はち切れんばかりに大きくふくらんでいたのだ。

でも、どこに問い合わせたらいいのかわからなくて放置していたのだけど、あるとき偶然ラングラー・ジャパンのウェブサイトを見ていたら、芝原仁一郎さんという方が「ロデオ」に関するブログをそこに書いていた。

彼はロデオ選手(ブルライダー)としてアメリカで転戦しているようだった。僕は、そこに記載されていたアドレスに宛てたメールを書いて、事情を説明した。

すると、「カリフォルニアにウェスリー畠山という人がいるから、彼なら牧場の知り合いがいるだろう」と教えてもらった。
翌月に(まだ電通時代だから)有給休暇を取ってアメリカ旅行の予定があったので、僕はさっそくウェスリー氏にコンタクトをとって会いに行った。

ウェスリーさんは「カウボーイやりたいの? 紹介できるよ」と話は早かった。
僕は「お! 一発で解決したじゃん」と夢への扉が開いたような気持ちだった。

芝原さんが帰国して、その年の暮れに連絡があった。
「前田さん、正月に大阪の友達の家に遊びに行くんだけど、来ませんか?」

僕はまだお会いしたこともない芝原さんに会うために、ジェリー杉原という見ず知らずの人の邸宅に伺った。
そこには日本に帰るのは7年ぶりという、ジェイク糸川氏もいた。彼はカナダの牧場でカウボーイをしていて、僕はあるテレビ番組でその存在は知っていた。

「うわ、ジェイクさんだ! テレビで見たことがあります」
「ジェイクでええよ~」
彼はフレンドリーな態度だったが、その眼光にはこれまで会ったどの男にもない特別な光があり、僕ははじめちょっと怖かった。

ここまで読んだ皆さんは、「なんやねん、ウェスリーとかジェリーとかジェイクとかw」とお思いになるだろう。僕も思ったよ。

春が過ぎたころ、いよいよ電通を退職する日が迫り、カリフォルニアのウェスリー氏に連絡をとった。

「ウェスリーさん、例の話、この夏にやりたいんですけど、牧場を紹介してください」
「え! 夏にやりたいの? それは無理だよ」

聞けばこうだ。
「カリフォルニアからテキサスまで、ここ数年は干ばつで雨が降らず、牧場はやむをえず夏前に牛を売ってしまう。だから、夏は仕事にならない。そもそも日本人がいきなりカリフォルニアの夏にカウボーイのハードな仕事は、とても耐えられないと思うぞ」

電通は6月末に辞めてしまうことが決まっていた僕は、はたと困った。
「おいおい、どうしよう……」

そうだ! ジェイクがいた。
僕は、慌てて正月に一度だけ会ったジェイクにメールを送って、牧場を紹介してほしいと頼んだ。慣用句でいうと「泣きついた」というやつだ。
ここで失敗したら一巻の終わりだから、僕は文面には細心の注意を払った、と思う。

「ええよ~」
ジェイクは僕の恩人なのだ。ここからの続きは拙著『カウボーイ・サマー』に譲ろう。

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■食っていくこと

ここまで44才の「青春記」にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
最終項になったので「食っていくこと」について、僕の知っていることを少しだけ。

僕はこれまでに本を2冊書いて、自分のストアを持って、たまに広告系の仕事もやっている。それでも食っていくことの秘訣なんてわからなくて、僕自身が食っていくために日々あれこれ思索して模索している最中である。

電通での仕事は、クライアントから予算をいただいて制作物やキャンペーンを作ることだったから、「納品することで終わり」「やりました、という事実で完結」なのだが、自分の仕事はそうはいかない。
作った(仕入れた)けど売れないモノもあるし、やったけどうまくいかなかったことも多々ある。

売上がよくなくて「どうしよ」と思っていると、知り合いからコピーライティングの仕事を頼まれて助かったり、店をやっていると、思わぬ人が思わぬ日にやって来てくれたり、本当に自分ではどうしようもないタイミングでその都度救われて生きている。

本当にわからないことばかり起きる。

ただ言えることは、会社員を辞めて、自分自身の仕事をやっていると、
「継続は力なり」とか
「できることから少しずつ」とか
「(売り手、買い手、世間の)三方よし
といった、これまで何度も耳にしてきた、先人たちの当たり前の言葉たちが、まったくちがった鮮やかな色彩を帯びて僕に迫ってくる。

「ぜんぶ本当だったんだ!」
と、今まで「ハイハイ」と聞き流していたような気がして、僕は自分の不明を恥じる。

イベント当日には、主催のワイルドバンチ森田さんからこのような質問をいただいた。
「最近は副業に寛容な会社も増え、様々な働き方がある社会になりつつあります。ストア、執筆、広告の仕事など、いろんな仕事を組み合わせて生きていくことに関して、前田さんが思うことを教えてください」

僕はこのようにお答えした。
「僕は自分がなにをしようと、会社も個人もなく、『前田将多という仕事』をしていると考えています。だから、なにをしてもいいし、できることはなんでもやろう、と思っています」

僕ができることを増やすために、宿題でもない感想文を提出し、求められてもいないCM案を見せ、呼ばれてない早期退職に応募し(笑)、はじめての人に会うために知らない人の家を訪ね、やらなくてもいいカウボーイをやり、1円にもならないこの『月刊ショータ』を書き続ける。

最後にもうひとつ。
「カウボーイをしていると、生とは、死のすぐ近くにあることを感じました。コヨーテがいたらライフルで撃ち殺すし、育てた牛は殺されて肉になるし、土地は広いけど人間社会は狭いから、『あそこの誰が死んだ』とか『誰々が心臓を患った』とかいう話がしょっちゅう聞こえてくる。都会に住んでると、皆さん、永遠に生きる気でいるでしょ。でも、そうじゃない。
生きてる間に、やりたいことをひとつでも多く、やっていきたいですよね……」

以上、「食っていく」という話を、しました。

 

(了)