月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)②

DAY 2 「カウボーイって今でもいるんですか?」

 

朝六時半に自然と目が覚めた。会社員時代にはまずなかったことだ。

僕は電通という広告会社のコピーライターだった。コピーを書くだけでなく、イヴェントをプロデュースしたり、ブランド・コンサルタントのようなことをしたり、海外の支社でも働いた。

電通には能力の高い上司や先輩、後輩が多かった。有能と表現するよりも、関西弁で言うところの「おもろいヤツ」が多かった、と言った方が的確な気がする。
おもろいくらい口が達者な営業マン、おもろいくらい頭のいいマーケター、おもろいくらい次々とおもろいアイデアを出すクリエーティブ社員。社内だけでなく、一緒にプロジェクトにあたるデザイナー、プロデューサー、演出家、カメラマン、制作会社、企画会社、イヴェント会社、PR会社などのスタッフの中にも、仕事を越えた友情を結んだ人たちがいる。

広告の仕事は、傍から見えるほど華やかなものではないが、それでも日本中・世界中のあちこちに行かせてもらう機会があったり、様々な業界の人に会えることが仕事の喜びの一つだった。

給料も悪くなかった。若い頃からそうであったわけではないが、一五年近くも働いていると、充分すぎる額の給料をもらっていた。それでも僕は、それら一切を捨てても、カウボーイについて深く知りたかった。

いや、カッコつけすぎた。電通での仕事はストレスが高かったし、組織が巨大化・グローバル化するにつれ、日本のどの大企業とも同じように、官僚化・硬直化が進んでいた。僕はそれに一生付き合うつもりはなかったから、僕にとっての潮時だったのだ。

「会社辞めてカウボーイする」と人に言うと、一人残らずこう訊いてきた。文字通り、一人残らずだ。

「カウボーイって何するんですか?」

次の質問も決まっていた。
「カウボーイって今でもいるんですか?」
「基本的には牛を育てて食肉業者に売る。これが仕事。それをどうやっているのかを、これから見てくる。カウボーイは今でもいるし、今でも馬に乗って仕事しているはずなんだ」
僕はいつもそのように答えていた。

ジェイクは七時前に起きてきて、彼が「ライノ」と呼ぶ二人乗りの四輪バギーに同乗して、牛の見回りに出かける。僕に牧場のひと通りを見せてくれる意味もあったのだと思う。

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ライノはヤマハの四輪バギーのモデル名だが、ジェイクは一人乗りの四輪バギーである「クワッド」と区別するために、現在のものはヤマハ製ではないのだが、そう呼んだ。

ジェイクが働くギャッヴュー・ランチは、広大な敷地のほぼ中央に居住区域があり、南東にジェイクの家、やや離れて南に牧場主のステュアート・モリソン氏の家があり、そして、通りを挟んだ西側にその息子のディーンが住んでいる。

ジェイクの家屋の前にはサッカーのフィールド半分ほどの敷地があり、その中央部をフェンスで囲ってロバを飼っている。

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その北側に馬の競技や調教を行うアリーナ兼厩舎、東側に工具や機械類がある「ショップ」と呼ばれる作業場と納屋(バーン)があり、西側にもう一つ古いバーンがある。
そのバーンの隣りの草地もフェンスで囲われていて、馬が二頭いる。他にもここからは見えない放牧地に馬はいるが、手に入れて間もない馬や、具合が悪かったりして見えるところに置いておきたい馬はそこに入れるようだ。

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ショップ

それぞれの場所へ徒歩で向かうといちいち時間がかかるから、ライノやクワッドを使って牧場内を移動するのだ。

ジェイクの運転するライノで牧場を出て、放牧地へ向かう。昨夜とは別のテキサスゲイトを越えて、東の方の丘へ向かっていく。これまでに自分が付けた轍を踏襲しながら、ジェイクは見回りを行う。

仔牛は春から初夏に産まれるように、種付けの時期をコントロールしているが、遅れてこの七月の半ばに産まれてくる場合もあるから、主にそれをチェックしている。

それにしても、広い。空が大きい。ギャッヴュー・ランチは東側の土地が隆起していて、あとは三方向ともほぼ平らな大地が広がる。だから、東の丘から眺めれば見渡す限り、若芽色の牧草地帯とポコポコと積雲が浮かぶ涼しげな七月の空が視界に満ちるのだ。

そこここにオレンジ色のポンプジャックが稼働しているのが見える。石油掘削機だ。巨大な機械も、ここから見るとオレンジ色の小鳥が地面を啄ばんでいるように映る。
僕はあまりの広大さに息をのんだ。
「これ全部がジェイクのところの土地なんですか?」
「いや、全部じゃないけど、あのへんからあのへんまで……」
と、ジェイクは遠くの彼方を指さした。

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左手に見えるのがポンプジャック

カナダのサスカチュワン州を飛行機から見下ろすと、きれいに正方形に土地が区切られているのが分かる。それをセクションという単位で呼ぶ。
一平方マイルの大きさだ。そして、さらによく見てみるとその正方形は「田」の字のように四分の一に仕切られている。これを一クォーターという。
つまり、一マイルが一・六キロメートルでその半分だから、八〇〇メートル四方の土地だ。

ギャッヴュー・ランチの敷地は、一二・六二五セクションある。これは、八〇八〇エイカーということになり、約三二・七平方キロメートル。
広すぎて理解しにくい場合に日本人はよく東京ドームでたとえるが、この場合、およそ七〇〇個分にあたり、結局想像もつかない。

さらに丘を上ったり下ったりしながら牧草地を走る。轍があるとはいえ、ジェイクがこの茫漠とした土地を自由に走り回って、よく迷子にならないものだと変に感心してしまった。

七月半ばでも、カナダの朝は涼しい。ライノでスピードを出すと風が冷たい。
ゴアテックス上着を着て来てよかった。ハットを飛ばされないようにやや俯き、振動でよろけないように助手席の支柱を握る。

「とうとうカウボーイの牧場まで来たんだな……」という実感が湧いてきて、ニヤニヤしてしまう。

牧場に戻ると(牧草地も牧場の一部だが、本書では分かりやすく区別するために家屋やショップがあり生活をするメインの敷地を牧場と呼ぶ)、アリーナへ案内してもらった。

ここは、体育館ほどの大きさの建物で、入り口を入ってすぐ右手に干し草が貯蔵してあり、左手の小部屋には家畜用の薬品や難産の牛を介助する医療器具などが置いてある。ジェイクは毎朝ここでコーヒーを沸かす。

奥が鉄柵で囲われた砂地になっていて、ここで馬の調教をしたり、ロープで牛を捕らえるローピングの競技大会などを開催したりする。
柵のそばの倉庫部屋に、サドル(鞍)やブライドル(馬勒や手綱)やスパー(拍車)などの馬具が保管してある。

入り口から一〇メートルほど入った所に、黒い牛が一頭、四肢を折って腹這いになっていた。
聞けば、このミーと名付けられた雌牛は障害があり歩行困難なため、群れから切り離してこちらで面倒を見ているのだという。尿結石を伴う疾病のため、お腹に穴を開けられて、糞尿を垂れ流しの状態で、寝たきりになっているのだ。
確かに、お尻のあたりは尿で濡れていて、糞もそこに溜まっている。
ジェイクがその糞を干し草用の大きなフォークでかき取る。

間近で見る牛を、怖いとは思わなかった。
黒い巨躯を伏せて、ときおり「ウオォォ~」と苦しげな声を上げる様は、彼女がすでに半分モノになりかけていることを表していた。

「助からへんと思うんやけど、どうしたもんかな……」
ジェイクは困った顔で言った。生き物としてのミーは気の毒であったが、仕事の場である牧場としては、厄介な懸案事項であった。体重が優に六〇〇キロを越えていて、移動させるのも人間の力ではままならない。

 

ジェイクが牧場で働く仲間たちを紹介してくれた。
ロジャーは七九歳。しかし、白髪のヒゲを蓄えて、野球帽をかぶってなにやら巨大なマシーンで颯爽と登場してきた姿は、八〇近い老人とは思えない。アルバータ州カルガリーから、サスカチェワン州のギャッヴュー・ランチまで九〇〇キロを運転して、数日間だけ手伝いに来てくれているという。

握手を交わすと、七九歳の掌は分厚すぎて、僕の指がほとんど回らなかった。こちらの手が華奢すぎて恥ずかしくなったくらいだ。

彼は、トラクターの後部に取り付けた長大な金属のマシーンを操作して、ヘイベイルという干し草を巻いたものを運んでいる。
ヘイベイルは直径一八〇センチほどもあり、重量は先ほどのミーと同程度の五、六〇〇キロもあるという。それを牧草地から一度に十四個運んできて、牧場の南側の敷地に降ろし、並べていく。

ベイルというのは「貯蔵」という意味だが、まさにこうして、家畜の食糧である草を貯蔵していくのだ。

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次に紹介されたのは、牧場主の息子であるディーンだ。
彼もまたデカい。後日訊いたら一八〇センチ台半ばだったが、堂々たる体格が、実際の身長以上に大きく見せるのだろう。
口の周りは黒々としたヒゲで覆われ、それが癖なのか、ややしかめたような表情をする。しかし、口を開くと拍子抜けするようなやさしい話し方で、ちょっと似合わないくらいの高い声を出す。
五〇を越えた男にしては威厳が足りないのだが、僕は出会ってすぐに、彼はいいヤツなんだと分かった。

ディーンは、ジェイクの家の裏に盛るための土を取りに行くというので、僕もトラックに同乗した。
ジェイクの家は、モバイルハウスといって、他所で建造されてからそのままの形で運ばれてきたものだ。この春に、土を掘った所に設置されて、まだ土台が剝き出しのままになっていた。
そこを土で埋めて平坦にしようというのだ。

トラックの助手席は視界が高く、長いギアをゴキッと入れてエンジンを唸らせるディーンの傍らにいるだけで、なんだかワクワクする。
コーン畑に沿って一〇分ほど走ると、土砂堆積場があり、そこに土が山盛りになっている。
ディーンはトラックを降りるとすぐさま停めてあったペイローダー(シャベルカーのこと。これは和製英語)に乗り込んで動かし始めた。

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大型トラックから、すぐさまペイローダーに乗り換えて巧みに操る彼を見て、僕は理解し出した。
現代のカウボーイは、あらゆる機械を自在に操作しなくはいけないのだ。ピックアップトラックはもちろん、ライノ、クワッド、トラクター、大型トラック、ペイローダー……。

そして、家屋の外構整備も自分たちでやり、電気、ガス・水道管の設置工事まで自分たちでできる限りは行うのだそうだ。畜産のみならず、農作、土木、機械と、あらゆる知識とスキルが求められるようだ。
広告業界でしか働いたことのない僕には、いずれの経験もゼロである。初めから分かっていたことだけど、改めて不安になってきた。

ジェイクから申し付けられた初仕事は、除草作業であった。

ライノで北に数キロ走った斜面に、牛が食べると有害な植物が繁茂しているので、除草剤をスプレーして回ってほしいという。
それなら僕にも問題なくできそうなので、ジェイクの上の娘であるリンカと二人で作業に向かう。
ふと考えると、この広い土地のうち、「あそことあそこに不要な雑草が生えている」ということをジェイクが把握していることに驚きを覚える。

除草剤の液体をタンクに詰めて、僕がそれを肩に掛けて、斜面を上っていく。
リンカと目的の雑草を見つけては、「あった!」「あそこ!」と指さして、タンクから出たチューブの先の噴射口からスプレーを撒く。

リンカも自ら進んで実によく働く。夏休み中の一一歳の女の子が、野外で除草剤を撒いて回りたいはずはないと思うのだが、右も左も分からない僕をサポートしてくれるつもりなのだろう。彼女は鼻の頭に汗を浮かべて、僕と一緒に歩き回った。
 
タンク内に夾雑物が多いのか、たまに噴射口が詰まる。その度に先端を外して、息を強く吹きかけてスプレー穴を掃除して元に戻す。
僕は仕事のために、日本からバッファロー革の茶色い手袋を持って来ていた。土や埃や雨で汚れることは覚悟してきたけれど、まずは除草剤によって染みができた。

一時間ほどで、その区域の除草剤散布は終えた。
イメージしていたカウボーイの仕事とは程遠いのだが、僕にもできる仕事を与えてくれたジェイクの気遣いをありがたく思った。

ジェイクは言う。
「完璧になることはないんやけど、常に先々を見て、土地をより良くしていくのが、カウボーイの仕事。たとえば、俺は家の庭に何本も苗木を植えた。自分が生きているうちに大きくはならへんかもしれへんけど、俺の孫くらいの代には、いい日除けになるかもしれない」

今季の業績、半期の目標、五年後の肩書。あとは考えるとしたら老後の自分のことくらい。
会社員をしていた僕は、目先のカネのことなんて考えたくもないと粋がっていたけれど、せいぜいその範囲しか考えていなかった。
ジェイクたちカウボーイが視野に置く、時間の長さ、静かな思いの遠大さに、僕は胸を突かれた。

ジェイクはその日、僕に乗馬もさせてくれた。
アリーナに馬を牽いてきて、その準備をする。僕はカウボーイの仕事を経験するにあたり、昨年のうちに何度か、日本でウェスタン式の乗馬をさせてくれる乗馬場で基礎的な
ことは習ってきた。
だから、歩く・ジョグする・止まるくらいは問題なくできた。しかし、それ以上の複雑な動きはできない。

サドルやブライドルといった馬具の取り付けも、乗馬場ではオウナーが行なっていたから、自分でしたことはない。それを伝えるとジェイクがやってくれた。
それを眺めて覚えようとしたけれど、取り付ける手順やコツがあるような感じで、とても一回見たくらいでは覚えきれるものではなかった。

アリーナの鉄柵の中で馬にまたがってみると、視界が高くなり気持ちがいい。恐るおそる歩かせてみて、時々走ってみる。
まだ怖くて体がのけ反ってしまいカッコ悪い。
リンカも、下の娘のミライも、ポニーに乗って一緒に歩き回ったり、器用に走らせたりする。子どものうちから上手に乗ってしまうのだから、将来が楽しみである。

しばらく遊ばせてもらって、馬を降り、サドルとその下に敷いた毛布を下ろして、馬にブラシをかける。これは馬を美しくするためというよりは、汗で濡れた毛を整えたり、馬の体に触れながら、ケガはないかおかしな傷はないかなど、健康状態を子細にチェックしていく意味がある。
乗る前にブラシするのは、小石やゴミが付いている上から毛布とサドルを乗せてしまうと、馬が不快だったり、傷を作ってしまうからだ。

それにしても、馬の美しさは格別だ。
パンと張ったお尻や、隆起した首元から肩にかけての筋肉、引き締まった脚、そして、艶やかな毛の輝き。
これまで、競馬ファンなどが言う「馬はかわいい」という気持ちはあまり理解できなかったのだが、間近で触れてみると確かに、やさしそうな目は意思の疎通ができそうで、愛らしい。

その晩は、庭にテーブルと椅子を並べて、僕の歓迎と、明日またアルバータ州へ帰るロジャーへの慰労を兼ねたパーティーをしてもらった。
牧場主のステュアート、息子のディーンとそのガールフレンド、ロジャー、そして、ジェイクの一家四人と、大きな家族のように温かい時間を過ごした。

(DAY 3へつづく…)

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