月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「きみはなにを考えて仕事しているのか」

年末だから、よし、今年あった楽しかったことを振り返ってみよう。悲しかったことは忘れてしまおう。

今年といってもつい先日の話だが、銀座の広告デザイン会社代表をされている上田豪さんと、僕の電通時代の先輩で「青年失業家」である田中延泰さんと、神田のヒマナイヌスタジオからトーク番組を配信させてもらった。

前回の月刊ショータ2018年11月号『テレビって、いる?』の中で、僕は「ふつうのトーク番組が観たい。人と人が、あたかもラジオのように、なんのヒネリもなく話す番組」と書いた。

それを三人でやってみたのである。

二時間の配信だったが、思いの外多くの方々が観てくれて、たくさんの質問もちょうだいした。YouTube版は、アーカイブとしていつでも視聴することもできるので、お時間が許す方は是非どうぞ:
「僕たちはなにを考えて仕事しているのか」

www.youtube.com

なんちゅういい笑顔をするんだ、ひろのぶさんはwww

その中で上田豪さんが
「ふたりに訊いてみたかったことがあってさ」
と切り出して、「大きな会社を辞めて、ひとりでやり出してからの心境の変化」について尋ねてこられたシーンがある(20:43~)。
「たとえば、日々、会社にいたらこうだったけど、ひとりでやってみるとこういうところはいいよな、というところもあるし、こういうところは会社にいた方がよかったな、とかあるじゃないですか」

会社員を辞めて、四半世紀近くが経ち、フリーの立場を経て、デザイン会社の経営者兼プレイヤーをされている豪さんからのご質問に対して、僕はふたつコメントをした。

「『あぁ、オレって本当に人から指図されるのが嫌いだったんだな』ってことがわかりました」

もうひとつは、
「サラリーマンでいた時に思っていたことが、自分の立場が変わると、まったく考え方が変わりますね。サラリーマンとして広告業界とか電通とかにいろいろ言いたいこともあって、『広告業界という無法地帯へ』という本も書きましたけど、また経営者になると意見がちがったりするんですよね」
「会社員というのはどこまでいっても使われてる人間で。だけど会社に入って何年かたつとそういうことって忘れてしまうから(中略)いつの間にか『この会社は、もしくはこの部署は、俺がいるから成り立っている』という思い上がりをしはじめるわけですよ」

話したことを文字に直すとエラソーに聞こえるので補足説明をすると、僕は決してあの本に書いたことから変節したわけではない。

ただ、会社員としての目以外で、物事を見られるようになった。会社員としての、安定という心の平安も、人がつくったルールの下で働くストレスも、それ以上どこへも抜け出せないような行き詰まり感も知っている。
ひとりで働くようになって、自分の考えでいかようにも舵を切れる自由も、かと言って目的地にまっすぐたどり着けるわけでもない焦燥感も、これより先がわからない不安も身にしみている。

僕はスナワチというレザーストアを大阪に持ち、文筆業もやり、たまに広告系の仕事も依頼があればやる。そのいずれにも本業・副業という意識はない。なぜなら、僕の仕事は前田将多をやることだと考えているから。
だから、どこへ行っても仮面はかぶらないし、なるべく僕以外の人物を演じないように心がけている。

サラリーマンのストレスというのは、この点、意に反したことをしなくてはならなかったり、逆に、よかれと思ってやろうとしたことを止められたり、好きでもない人のためにニコニコしたり、愛情もない人の出世や組織の発展のために自分の人生の一部を切り取って捧げなくてはならないことにあるのではないか。

そう思うなら辞めていいと思うんだけど、会社を移ったところでそのあたりは似たり寄ったりだぞ。人に使われるというのは、「人手が足りない」という表現からもわかる通り、原則的には、きみの心や頭がほしいのではなくて、手とか足とかの部分を対価と引き換えに渡すことだから……。

田中泰延さんは「会社っていうのは誰かが野望を抱いて起業したもので、お前にも少しお金を分けてやるから俺の野望を手伝えよ、って誘われてちょこっと手伝う、ていうのが会社員の本質ですよね。みんな、そこに気付いてないから、会社に入るとしんどくなっちゃうのでは」と言っている。
この記事は必読です。
「仕事のやりがいって、ホントに存在するの? 青年失業家・田中泰延のはたらく論」

ten-navi.com

なんでこんな、働く人の気が滅入るような話をわざわざ書くかというと、なぜかスナワチには悩み相談室のように、なにか僕に尋ねたいことがあってやって来る人がままあるからだ。

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元々入りにくいスナワチが、僕が目をケガしたことにより最も入りにくくなった日の一枚

確かに、店をつくる時に、建築家には「イメージは探偵事務所です」とお伝えしたが、本当に依頼人が来るとは思ってないじゃん。しかし、依頼人は自分の立場というものをまず客観的に見つめる必要がある。
中には精神バランスを崩して休職中の人とやりとりをすることもあったりして、僕は「オレは医者じゃねえからな」とはじめに断ってから、結論的には「大丈夫だから心配すんな」といった愚にもつかない回答を差し出す。でも、本当にこれしかないんだから。
実際はちがうかもしれないけど、「(会社を辞めても)大丈夫」「(生きていれば)なんとかなる」と念じるしかないような状況というのは、僕自身も経験してきたことだから。

人の話を聞く過程においては、デイル・カーネギー『人を動かす』という名著に書いてあったことをそのまま実践するだけだ。
「聞き手にまわる」とか「誤りを指摘しない」とか「人の身になる」とか、当たり前なんだけど簡単にはなかなかできないことを、できる限りやるだけだ。
この本には重要なことが書いてあって「人間の持つ最も根強い衝動は、”重要人物たらんとする欲求“だ」とある。あなたは人として重要である、と思われたいし、自分としても自尊心を持ちたいということ。これが叶えられないと人は動かないし、動きたがらない。

であるならば、この重要感が保てないと考えるなら、その会社は辞めた方がいいのではないか、というのがひとつの基準になる。そして、人の自尊心など屁ともとらえないような組織が日本に増えていることもおそらく事実だろう。

一寸の虫にも五分の魂というように、「“Shit job”(クソみてえな仕事)にもなにかしらの意味がある」と思いたいものだが、どうなんだろう。つまらない繰り返しの仕事でも意味があると思えるのなら、やるしかない。

僕は店をやりながら、時折ふたつの言葉を思い出す。ひとつは古い記憶だ。
僕が十八才で西新宿の居酒屋でバイトをしていた時にヒマな晩があり、江戸っ子の親方がこう言った。
「ショーちゃん、商いってのはよ、『あきない』ことだからよ、飽きちゃあいけねえんだよ」

僕はお客さんが来ない日にこれを思い出す。           

もうひとつは最近読んだ本の中で、糸井重里さんが言っていたことだ。
「ぼくらは農業のように、毎日続けていくことを大事にしています」(聞き手・川島蓉子、語り手・糸井重里『すいません、ほぼ日の経営。』日経BP社)

僕は、毎朝フロアに掃除機をかけることが面倒くさく感じる時にこれを思い出すことにしている。

 

さて、二〇一八年は、僕にとっては(毎年のように)楽しい一年でした。新年も皆さんにとって素晴らしい一年となりますように……。