月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「アメリカの叫び」

カントリーのラジオから叫びのような歌が聴こえてくる。

鉄をグラインダーで削ったときに飛び散る火花のような歌声と、胸ぐらを掴んでくるようなメッセージが、うつくしい旋律に乗せられている。

「なんだこの歌は」と驚いて調べてみると、Aaron Lewisという、浅生鴨さんを彷彿させるおじさんだった。
90年代の終わりにデビューして、00年代はじめにヒット作を放ったStaindというハードロックバンドのボーカリストが、カントリーに転向したそうだ。
同じく90から00年代に活躍したロックバンド、Hootie & the BlowfishのDarius Ruckerもさらに早い時期からカントリー歌手になっている。

つまり、カントリーいうのは、アメリカの歌うたいが還ってくる、THEアメリカンミュージックといっても過言ではない。

この、アーロン・ルイスによる「I’m Not the Only One」という歌は、基本的にはアメリカ人の愛国心を丸出しにした、反リベラルの政治メッセージソングである。

ジャパンは息苦しさに悶え苦しんでいるが、アメリカだってもがいているのだ。

果てしない貧富の差、共和党民主党の深い断絶、暴発する人種問題への怒り、歴史すらも書き換えたいキャンセルカルチャー。そこへ来て、一国で77万人の命を奪ったウィルス禍、20年を費やし元の木阿弥となったアフガン撤兵……。

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日本人の愛国者として、僕にもほとんどは頷ける内容の歌詞なのだが、” willing to bleed or take a bullet for being free”という部分は、イマイチすんなりと飲み込めない。
「自由のために血を流す」というのは、圧政に苦しむ少数民族とか、香港や台湾の人たち、不当に弾圧される人々が言うならわかるのだが、たとえアメリカがタリバンに負けたとしても(実際、敗北と呼べる結果なのだが)、アメリカは自由のままであるだろう、と思うのだ。

いまでも戦国時代みたいな国情の他国を、宗教も政治制度もちがうアメリカ合衆国が民主主義で平定しようというのは、あまりにも無理があった。そのために血を流した米兵士に大義を与えたい気持ちはわかるし、濫觴911のテロ事件であったとしても、どうにも戦いつづける意義のない戦争だった。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」に近い態様だったことだろう。

wedge.ismedia.jp

アメリカというのは建国の歴史からして、なにかを他者に押しつけて、組み敷いて、突き進んできた国なので、それは悪癖であり宿痾のようなものだ。
東から西へ領土を拡大していくことを「マニフェスト・ディスティニー(明白な運命)」と云って正当化したし、先住民にキリスト教を布教することは「野蛮人を文明化する、正しい行ないである」と考えていたし、南北戦争での奴隷解放を受け、1870年に憲法修正第15条によって黒人にも選挙権を認めたものの、南部諸州では人頭税や読み書きテストを課すなどあれこれの妨害があり、およそ100年後、1965年の投票権法成立を見るまで人種差別は顕著で執拗だった。

だから、この歌にもアメリカの傲慢なところが滲み出ているように感じられて、「そういうところが、世界から嫌われるところやぞ!」とも思うのだが、それでもなお、この歌は僕の心を惹きつけてやまない。

アメリカの歌と思って聴けば矛盾もあるが、我がこととして聴くならば、僕も国のために斃れたひとたちには敬意を持っているし、もしもこの国の自由が脅かされるような事態になったら、あらゆる手段で戦うつもりはあるからだ(まっさきに死ぬタイプだけど)。

Youtubeでは、この歌のいくつかのバージョンが視聴できて、一番多いもので480万回再生され(2021年12月現在)、14万の高評価と1万5千件のコメントがついている。ラジオでも毎日流れている(僕が聴くラジオ局では、ExplicitといってFワードを使って歌うバージョンが平気でオンエアされている)。

アーロンは、ひとりではなかったのだ。

彼に賛同するかどうかは聴くひとの勝手だが、多くのアメリカ人が現代に対して感じている、焦燥や憤懣が表現されている。

 

youtu.be

“I’m Not the Only One” by Aaron Lewis

Am I the only one here tonight
Shaking my head and thinking something ain't right?
Is it just me?
Am I losing my mind?
Am I standing on the edge of the end of time?

俺だけか 今夜ここに
なにかがおかしいと思って 首を振るのは
俺だけ? 俺の頭がおかしいのか?
俺はこの世の終わりにいるのかね

Am I the only one?
Tell me I'm not
Who thinks they're taking all the good we got?
And turning it bad
Hell, I'll be damned
I think I'm turning into my old man

俺はひとりぼっちか? ちがうと言ってくれ
やつらがこの社会のいいところを奪って 捻じ曲げる
そうなったら俺も終わりだな
俺はオヤジみたいになってきたな

Am I the only one willing to bleed
Or take a bullet for being free?
Screaming 'What the fuck!' at my TV
For telling me
Yeah, are you telling me?
That I'm the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
As the statues coming down in a town near you
Watching the threads of Old Glory come undone

俺だけか? 自由であるために
血を流すことを 弾丸を喰らうことを 厭わないのは
なんじゃそりゃ! とテレビに叫ぶ
なに言ってやがる 
俺だけだとでも?
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でも銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

Am I the only one not brainwashed
Making my way through the land of the lost
Who sees it as it is
And worries about his kids
As they try to undo all the things he did

俺だけなのか? 洗脳されていないのは
失われゆく国でなんとか前に進もうとするのは
事実をそのままに見るのは
子供の未来を憂うのは
神がしてきたことを やつらがナシにしていく中で

Am I the only one who can't take no more
Screaming, 'If you don't like it, there's the fucking door'
This ain't the freedom we been fighting for
It was something more
Yeah, it was something more

俺だけか? もう無理だと思うのは
気に喰わないならドアはあっちだぜと叫ぶ
こんな自由のために戦ってきたわけじゃないだろ
もっと大きななにか
そう もっと大切ななにかだろう

Am I the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
Another statue coming down in a town near you
Watch the threads of Old Glory come undone
Am I the only one?
I can't be the only one

俺だけか? 自由であるために
血を流すことを 弾丸を喰らうことを 厭わないのは
そんなバカな! とテレビに叫ぶ
なに言ってやがる 
俺だけだとでも?
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でも銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

俺だけか? 俺だけなはずはないだろう

Am I the only who quit singing along
Every time they play a Springsteen song?

俺だけか? スプリングスティーンの曲が流れるたびに
合わせて歌うことをやめたのは

Am I the only one still sitting here
Still holding on, holding back my tears
For the ones who paid with the lives they gave
God bless the USA
I'm not the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
Another statue coming down in a town near you
Watching the thread of Old Glory come undone

俺だけだろうか まだここにいるのは
涙をこらえながら まだ持ちこたえているのは
命を捧げた者たちのために
アメリカに神のご加護を
俺だけじゃないだろう
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でもまた銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

I'm not the only one
I can't be the only one
I'm not the only one

俺だけじゃない 俺だけなはずはない
俺だけじゃない


(対訳:前田将多)

youtu.be

補遺:ブルース・スプリングスティーンは長らく労働者を代弁するロック歌手として認知され、「The Boss」の愛称で大衆から敬われてきたが、2020年10月に、「トランプが再選されたらオーストラリアに移住する」と発言した。アーロン・ルイスは「ひとりの男のために国を捨てようなど、それがアメリカ人としての態度か」と怒っているようだ。

「毛のことに、いちいちうるさい国」

大阪の高校で、「髪を黒く染めろ」と強要されてモメた末、不登校になった女子生徒が慰謝料など損害賠償を求めた二審判決がニュースになった。

一審の報道:

www.nikkei.com

二審: www.sankei.com

判決は、一審と同じく、「学校側の指導に違法性はない」として女生徒の訴えを再び退けたが、不登校の間に座席表や名簿から名前を省いたことは違法として220万円の求めに対して33万円の支払いを命じた。

このニュースは一見、「女生徒は生まれつき髪が茶色いのに、無理矢理に黒く染めさせられた」と思うのだが、よく読むと、一審において「生来の髪色が黒色だという合理的な根拠に基づいて指導した」と認められていて、つまり「女生徒の生来の地毛は黒かった」のである。

はっはっは、やりよるのぉ。

 

僕が思ったことは二点ある。
①本当に生まれつき茶色い髪のひとだったなら、裁判所は違法と判じただろうか(すると思うし、すべき)。
②たとえ彼女が頭髪を茶色く染めていたとしても、それを黒く染め直させる校則ってなんなのだろうか(後述)。

よその小娘が茶髪にしようがしまいが、ひと事だから僕はそんなふうに寛容に考えられるのだろうか。自分に娘がいて、彼女が金髪にして厚化粧して、半裸みたいな恰好で、頭悪そうなチャラチャラした男たちを引き連れて、平気で外を歩いていたら、僕はどのように反応するか、想像してみた。

……泣きながらぶん殴るかもしれないし、「青春を謳歌しとるのぉ」と目を細めるかもしれない。わからない。

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犬猫で考えて申し訳ないけど、こんな弱虫でもちゃんと育てるし…

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こんな暴れん坊でも、傷だらけになって抱きしめますがね…

僕が通った都立高校は自主性を重んじる校風で、およそ校則というものがなかった。
唯一、「体育館では体育館履きを履け」くらいのもので、上履きで体育館に入った生徒が、体育教師に殴られたという話を耳にして「おいおい、規則のレベルに対して罰が異常にキビシイなwww」と当時ビビったものだ。

服装も格好も自由だったので、僕は髪を伸ばしてポニーテイルに結んでいた時期もあるし、3年時にはカウボーイハットをかぶって登校していた。ふだんは自転車通学なのに、ハットかぶって馬じゃなくて自転車に乗るのがどうも納得できなくて、ハットの日はわざわざ電車で行っていた。

同級生には金髪に脱色した生徒もいたし、ヒゲもいたし、どんな格好をしても自由だった。

富田くん(仮名)はパーマをかけて登校した日に、「林家ペーか!」とみんなに爆笑された。以来、卒業まで「ペー」と呼ばれるハメになった。女子からも「ペーさん」と呼ばれていた。

自由とはそういうものだ。自己表現して、それがダサかったり汚かったりすれば、まわりからそれなりの評価を受けるのである。

いま四十代半ばの僕らの時代でいえば、たとえばリーゼントにしてボンタン履いていれば、街でツッパリに絡まれる確率は高くなっただろう。イキッた格好をしていれば、それなりのリスクがあるのだ。
それでもなお自分のしたい格好を貫きたいなら、イバラの道かもしれないが、かき分けて進むしかない。
その過程でなにかを学ぶこともあるだろう。それこそが教育である。

そういえば、女性が半裸みたいな服装で電車に乗って痴漢に遭って、「そんな服着てるからだ」と言うおっさんがいたら、そっちが社会的に半裸にされて吊るし上げられる。それはわかる。
従って、あくまでも悪いのは痴漢なのだから、イキっていてヤンキーやチンピラに絡まれたとしても、ヤンキーやチンピラが悪いのだろう。
うん、だけどヤンキーやチンピラは、悪いのが前提なので、そう主張したところで、なにかが解決するわけではないね。

 

高校生が髪の毛を染めることはなにがいけないのだろう。

上記のように「街で危険な目に遭うリスクを避けさせるため」なのであれば、自動車に轢かれるかもしれない登校などさせられなくなる。

「まわりとちがうことをしてはいけない」のであれば、期末試験で全科目100点取ってもいけないし、身長が190センチになってもいけないことになりはしないか。

アメリカで大学に行っていたカンタさんの言である。

僕も同じく大学教育をアメリカで受けて、いろいろなことに気づいた。
「人だかりは黒山ではなかった」し、「肌色という色はなかった」のである。

「日本は”decipline”が優れている」と外国からは思われていて、つまり規律正しいということだ。
災害で被害を受けて、みんなが困った状況になっても、よその国みたいに食料や物品を強奪し合うようなことにならないのは、確かにすばらしい国民性である。
それはぜひ今後とも大切にしていきたいものだが、「髪の毛を染めない」ことは規律なのかどうか。

僕はちがうと思う。

学校教育において「規律」というなら、「お互いに助け合う」とか「弱い者をいじめない」とか、人間として当たり前だと我々が思っていることをちゃんと教えるべきだし、国際化する現代においては、「ひとの肌や髪の色についてとやかく言わない」と教えた方がいいくらいだ。
出席するとか試験で及第点を取るとかを含め「約束を守る」ことさえできていれば、髪の毛の色など規律でもなんでもない。

バカな教師がバカな規則をでっちあげて、それを勝手に規律だと思い込んでいるだけだ。

くだんの高校だって、ウェブサイトを見にいけば「なりたい自分を実現する」だとか「輝く個性」だなんて書いてある。キサマ、どのクチが……。

 

そして、学校だけでなく、社会一般の中でも、こういったバカな規則が溢れかえっているのがジャパンなのである。

monthly-shota.hatenablog.com

この国では長らく、人間をおんなじカタチした鋳型に嵌め込んで量産するのが教育だとされてきた。だけど、それが間違っていることなど、誰でも気づいているはずなのに、自分たちの目の前のくだらない規則は等閑視してしまう。

友人が、あるイベントで百貨店に立つことになったのだが、百貨店側から「ヒゲは禁止」と言われたそうだ。

「は? バカじゃないの」と僕は彼に言ったあと、「『御社の多様性というものへの見解についてお聞かせください』とでも訊いたら?」と付け加えた。

まぁ、たたかうことにすると二審まで行かなくちゃならなくなって面倒くさい(大阪メトロ運転士の「ヒゲ訴訟」も二審までいって原告の勝訴)から、そこまでしなくてもいいんだけど、こういう「誰かに叱られるかもしれないから、先まわりして当たり障りなくしておく」という態度が、社会を息苦しくさせていて、自分らしく働くことが歪められている要因のひとつである。

 

で、ヒゲ禁止と言われた友人はどうしたか。

「ずっとマスクしてましたから、関係ないですよ」

はっはっは、やりよるのぉ。

「古いものは、腐ってない限りよいのではないか」

ダイバーシティだとかサステナビリティ―だとかSDGsだとかポリティカリーコレクトネスだとか、ホント―にうるさい世の中になったものだが、いつの世も敬意を払われモテるのは、男らしい人、女らしい人であるというのは強烈な皮肉である。

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……てなことを、アメリカの刑事ドラマや日本の探偵小説を通じて思った。

寅ちゃんもこう言っていたし。

 

「古い男」と聞いて、二階さんみたいなのを想像されると困っちゃうのだが、カッコいい男はたいていちょっと古いのである。

僕がここ何年も観ているのは『シカゴPD』で、これはシカゴ51分署の消防士たちを描いた『シカゴファイア』のスピンオフとして製作され、現在シーズン7まで続いている。
シカゴ警察署に設置された特別捜査班のハンク・ボイト捜査官は正義の悪徳刑事で、ギャングから押収したカネを自分の金庫に隠し持っていて、仲間が人質になるなどイザというときには、そこから札束を出してきて使うし、事件解決のためなら暴力、拷問、なんなら殺人まで厭わない冷血漢だ。
反面、特捜班の部下たちには強い連帯感を持っていて、よい父親のように頼りになる男でもある。

www.axn.co.jp

最近見たのは『BOSCH』というアマゾン製作の刑事ドラマ。シーズン7で完結したが、これはアマゾン史上最長で、彼がLA警察を辞めて私立探偵になってからのスピンオフ作品が今後発表されるという。
主人公のハリー・ボッシュは典型的な一匹狼タイプで、上層部に媚びないので出世はしないが、直属の上司(女性)の顔は立て、捜査資料をしつこくしつこく読み込んで事件解決に執着する。

www.amazon.co.jp

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Amazon primeより

5作の長編を今年読み終えてしまって、出るのか出ないのかわからない次作が待ち遠しいのは原尞さんの『探偵沢崎シリーズ』。
1988年に『そして夜は甦る』でデビューしてから約30年の間に長編は5つしか書いておらず、2作目と3作目の間が5年とすこし、3作目と4作目が9年、4作目から最新作にいたっては13年以上もかかっているという、生ける伝説の探偵小説作家である。
沢崎は西新宿にあるワタナベ探偵事務所の探偵だったが、雇用主が疾走したため、ひとりで事務所を経営している。ボロい車に乗り、警察にもヤクザにもクールな減らず口をやめず、硬骨漢そのものなのである。

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最新刊『それまでの明日』

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いずれも「古い男」たちばかりで、軽やかに生きているようには思えない。

対義語となる「新しい男」というのは、まぁ「いまどきの男」ということだから、流行に敏感で、いまならスニーカーとかプレミア価格でも集めちゃって、なんなら転売しちゃって、テクノロジーに対してはアーリーアダプターで、スマホに心拍数とか燃焼カロリーとか記録させちゃって、米津さんのような本当の天才にしか許されないマッシュルームカットしちゃって、ミニマリストでビーガンでノンバイナリーで……。

世界は広いからどんな人がいてもいいんだけど、急に言い出すのやめてよね。
おじさんたちおばさんたちは、なにがなんだか飲み込むのにひと苦労なんだよ。

 

ところで僕の3冊目の本は翻訳書になった。

『寅ちゃんはなに考えてるの?』というタイトルで、夜な夜な僕が寅ちゃんになにを想うのか問いかけた彼の返答の言葉が「200寅ちゃん」収蔵されます。
ネコの寅ちゃんが言うことは、僕の意見ではありません。僕はあくまでも翻訳しただけなので、著者は寅次郎名義です。
でも、内容は知っているので、200寅ちゃん読むとなんだか心動かされることは約束できます。

特装版はレザー張りの表紙で、9月20日までの予約数に応じて製作する予定。ですので、予約しないとほぼ手に入らないとお考えください。
レザーは黒、焦げ茶、茶色、グレーなどで、牛革もあれば山羊革もあるので、基本的にはどんなレザーがお手元に届くかはそのときまでのおたのしみ(11月発送予定)。

通常版は紙の表紙で、撮影したレザーを印刷したデザインになります。

ランダムにいくつかご紹介:

 あー、うっとうしいw

飼い主から見た寅次郎は、ボイトのように暴力的で、ボッシュのようにしつこくて、沢崎のように腹立つネコなのですが、たまに古くさくてもよいことを言いますので、ぜひ購入をご検討いただきたいです。

いまどき革張りの書籍なんて作らないし作れないんですよ。しかもただの写真集ではなくて、1ページ1ページ、デザインがちがう…。
これは、ただの本を超えたなにかになるはずです。

 ご予約はこちら:

asokamo.shop-pro.jp


Thanks.


タイトル:『寅ちゃんはなに考えてるの?』
著者:寅次郎
版元:ネコノス
デザイン:上田豪
撮影:田中泰延(特装版)
レザー協力:内山高之
印刷ディレクター:ムラ係長
訳者:前田将多

「世界はなにをそんなにサステインしたいのか」

いま、世界中を覆い尽くす大問題は「偽善」なのではないかと思う。
もちろん、ウィルスは喫緊の問題なんだけど、ワクチンのおかげで克服の道筋がついた。そのうち治療薬も出てくることだろう。

アディダスが名品スタンスミスにレザーを使うことをやめて、合皮に変更したという。
そして、それを“サステナブル”と称している。

mens.tasclap.jp

それを履いて焼肉屋に行ったらもう矛盾する。
スタンスミス・ユーザーの全員がビーガンだというなら「はい、がんばってください」と言うしかないが、牛革というのはすでに廃品利用素材なのだ。

牛の肉を食べるでしょ。日本人は内臓も食べるでしょ。
皮と骨が残るんですよ。
骨はいかんともしがたいから棄てるとして、皮は防腐されて革になる(2021.6.3追記:牛骨も砂糖の漂白やゼラチンの精製に使われるそうです)。

レザーというのはそういうものなのである。
毛皮のために動物を養殖して殺すのとはわけがちがうのだ。

動物を殺さないで自分が食っていくというのは結構な理念だけど、植物は殺していいのか。
僕にはその答えはまだわからない。

種から一生懸命に芽を出し、生きたい一心で土の上に茎を伸ばし、太陽を浴びて元気に葉を広げ、生を謳歌するように花を開いて、やがて自分の遺伝子を残すための種子を内包した実を結ぶ。
そういう葉っぱとか実とか根を、掻っ捌いて、グツグツ煮て食べていいのかどうか。
植物に意思がないのかどうか、僕は知らないし、仮にないとするなら、「意思がないものはその命を奪ってもいい」ということになり、それは「津久井やまゆり園殺人事件」の植松聖死刑囚と同じ考え方に通じてしまわないか。

ことさらにビーガン批判をしたいのではない。
僕は牛や豚や魚は食べるが、犬は食べない。
自分としてはその「差別」について、ぼんやりと「知能が高い動物は食べたくない」と考えている。
その知能とは「僕とコミュニケーションできるかできないか」をなんとなくの境界線にしているものの、人によっては「牛は人になつく」という。

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僕のカウボーイとしての経験からは、牛の知能ではほとんどコミュニケーションはできない、と考えているが、飼い方によってそうではないのかもしれない。
もちろん、よく見たらかわいいので、よく見ないようにしていた。
このあたりは拙著『カウボーイ・サマー』でも触れた。

結局、かなり知能が高いクジラだって店で出されりゃ食べてしまう。

そして、再び「コミュニケーションできないなら殺していい」という植松聖の狂気と同じところにたどり着かないか。僕は自分の考えに苦しむ。

しかし、苦しんでいても腹は減るから、やっぱり肉を食べる。

ことさらに批判するつもりはないと言った舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、僕はビーガンは「食うに困らない都会生活者の戯言」と考えている。
一日キツい肉体労働をしたあと、這う這うの体で野山から人里に帰り着いたとき、肉が食べたくなるのである(個人の感想です)。
なにも食うものがなくて、目の前にウサギがいたらやむを得ず殺して食べてしまうのだ。
だから、都会で裕福な人が趣味としてビーガンやるのは別にいいのではないか。

選択が増えることもいいことだ。電子書籍ができても、紙の本はなくならず、用途に合わせて選べるのと同じだ。

そこにサステナブルだとかなんとか、大層な御説をくっつけて、生きる環境のちがう人に押しつけてくるから問い詰めたくなるのである(問い詰めないよ)。

 解説しよう。
人工肉をヨシとして、肉をダメとする人は、結局、科学的に培養してまで「肉を食べたい」んじゃん、と思うのである。そこまでして肉を食べたいわけでしょう。

肉が嫌いなら、それはそれでいいので、葉っぱとか豆を食べておいたらいいのでは。

つまり、「本当は愛のあるセックスをしたいのに、それができないから、おカネを払ってその代替サービスである風俗店を利用する」のでしょう。

ここでは女性の性の搾取や貧困との結びつきについては分けて措くので、別の議論を持ち込まないことにするが、人工肉と性風俗はこんなふうに似通っている、という、まぁワタシの戯言でした…。

動物であれ植物であれ、命を食べないと生きていけないわけだし、誰かに羞恥を超えて裸になってもらわないとセックスはできないわけだ。
そういう厳しさとか、恥ずかしさとか、他者の負担をないことにして、なにをサステイン(持続、保持)したいのだろう。自分自身の「独善性」としか僕には思えないんだな。

独善性を分解すると、自分は正しいということ、自分は善であること、自分は加害者でないこと。それは、煎じ詰めると、自分は生きる価値があると思いたいこと、である。

そこまでしないと、自分の生きる価値を認められない蒙昧を、人間性も動物の命(バッファローやクジラ)も資源もさんざん収奪してきた白人の国がこしらえた横文字で飾りつけるのは、やはり偽りの善、すなわち偽善なのではないかと思う。


僕の考えが原始人なのかもしれんが、原始人なりに、すでに血管に入ってしまって止めようがない毒のような、偽善について憂うのである。

「恋のドアは、開けておけ」

ラジオで悩み相談の番組を聴いていたら、こんな質問だった。
「私は恋愛に興味がなくて、彼氏もほしくありません。親や友人など、まわりの声も鬱陶しいし、本当に価値観を押しつけてほしくないです。こんな生き方は許されないのでしょうか」

それに対して、スタジオに遅刻してやってきたIKKOさんがいつもの調子で、
「そんなの、もっ・た・い・な~い~!♡♪」
と答えていて苦笑してしまった。

ほかの回答者からは、
「恋愛は、他者を思いやる気持ちとか、自分のダメなところを学べる最強の機会なので、あきらめてほしくはない」
という理性的な言葉もあり、NHKらしいバランスであった。

僕の親しい後輩にも、僕と知り合って十数年、30越えてもカノジョがいるところ一切見たことない滝下くん(仮名)という男がいる。
意識が高すぎて、昼間はアートディレクターとして働き、残業でどんなに遅くなっても毎晩10Km走り、サウナに通い、週末はひとりで山に登る。カレー作りにも一時期ハマっていたが、「スパイスから作りだすと一日かかるので……」と、最近はしていないそうだ。

「あいつは、晩年は山奥の小屋に住んでヨガをやって暮らすだろう」と、我々仲間のあいだでは言われている。

過去には、僕も滝下くんに対して、IKKOさんのように「きみは毎日なにが楽しいねん」と問うたことが何度かある。しかし、ジョギングして、サウナ行って、山登りするのが楽しいらしいので、それ以上なにを言ってもムダなのである。

滝下くんは、僕が過去に書いたコラムの中で、「クルマを運転したくないのは、加害者になる可能性があるから」と答えた人物だ。

 

magazine.kinto-jp.com

 訊いたことはないが、もしかしたら恋愛に関しても同じように「加害者になるから」と考えているのかもしれない。

自分自身の若いころを振り返ると、僕にも一時期「恋愛などしたくない」と思っていたことはある。理由はちがう。
それは「僕と付き合ってください」「デートしてください」「セックスしたいです」など、恋愛というのは自分の要求ばっかりで、なんじゃこりゃ? 利己の追求も甚だしいな、と考えていたからだ。

 好きな人の時間を奪う、人生の一部を借りる、肉体と交わる。それを要求するような権利や、それに見合う価値など自分にあるのだろうか、何様なのだろうか、と思っていたのだ。

好きな人がいて、その人の幸福を願うなら、彼女が好きなようにするのが一番なのであって、自分の要求に応えてくれたとしても、彼女の幸福など約束できない。オレはそんな無責任はしたくない。

もしもそのコが、自らの選択においてオレといたいというなら、それはヤブサカではないが、こちらからオファーを出すことなどおこがましい。
オレが素っ裸で横たわって、静かに目をつむり、「好きにして♡」などと言えればいいが、そんなニーズが見いだせない。

19、20才くらいのころじゃないかな。そんな時期に、そんなふうに考える男が、モテるわけないよね……。

かくしてモテない青春時代を送ったのであった。

 

加害/被害の対立構造で恋愛を考えたことはないが、大人を長いことやっていると、その両方になったことはある。
“加害”してしまったことはトゲのように時折チクリと胸を刺すし、その後の行動に判断を下す上で抑制になることもある。それが人間としての成長ということなのだろうと思う(ちなみに、小学校を卒業して以来、女性を殴ったことはないので誤解なきよう)。

“被害”を受けたことはもはやどうでもいいことだが、そう、大人になって、自分の価値も独善も、いろんなことがどうでもよくなった。晴れて、雑で穢れた大人になったのだ。

何事も、あまりくよくよと考えていいことはない。

僕は考えることをやめた。考えることは寅ちゃんに任せて、たまにそれを聞かせてもらえればよい。

 どうしてお腹が減るのか、どうして夜は眠たくなるのか、いつまでも考える人はいないだろう。そして、その考えを人に認めてもらおうとすることなど無意味なので、その前に食べるなり眠るなりしたらいいのだ。

人類というのは、恋をしてセックスしないと絶滅するわけで、本能に組み込まれたことに意味を見出そうとしたり、抗おうとしたりしてもムダである。
大切なのは、ドアを開けておくことではないだろうか。そうすると、いつか誰かが入ってくる。
いや、いつまでたっても入ってこないこともある。だけど、誰かを無理矢理に入れることはできないし、わざわざ鍵をすることもないだろう。

 

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もらった釣銭が多くて、返しに行った先の店員と仲良くなることもあるだろう。
人数合わせのため草野球に呼ばれてしぶしぶミットを持って行ったら、二塁手が女性で、ど真ん中ストライクなこともあるだろう。
自転車のチェーンが外れた女の子を助けたら、恋のホイールが回りだしてしまうこともあるだろう。ないか。
となりの家から電線をひっぱって電気を盗んでいたのがバレて、謝りに行った先の娘に電撃が走ることもあるだろう。ないか……。

しかし、僕は、男に限った話だが、バーカウンターで「火を貸してくれ」と言ってきたドイツからの男と友達になったし、アメリカの学生寮の共用キッチンで料理をしていて、向かいの部屋にバターをもらいに行って、そこに住む男と親友になって20年以上がたつ。

ドアを開けておいたからだ。
若いきみには、たまにまちがえたかのように恋の対象が入ってくるかもしれないじゃないか。

そんなものだ。

だけど、滝下よ、深夜に10km走っても職質されるだけだし、朝からカレーを仕込んでる部屋とかサウナに女の人が入ってくることはないからな。きみのひとり用テントに突如入ってくるのは、熊くらいのものだ。

やっぱり、あいつはヨガするしかないな。ヨガ教室が人気出て、それが高じて、変な反動で、いやらしい宗教とか開きませんように……。

「7回の夏の昔、なにをしていただろう」

久しぶりに音楽アルバムを買った。
買ったと言っても、モノとしてのCDではなくてダウンロードなんだけど、以来ずっと聴いている。

モーガン・ワレンという若いカントリー歌手で、僕はまず彼の”Whiskey Glasses”という曲で注目していて、不適な面構えも、ガサガサした声質も好きだった。

https://youtu.be/nmI3gA-PQKs

 アメリカではここ何十年も変わらない「田舎モノ・スタイル」である、マレットヘアにカットオフ・シャツ。
マレットとは、「横は短いのに、襟足を長く伸ばすヘアスタイル」のことである。80年代に流行ったのだろうか、すでに90年代には「ダサい」とされていたように思うが、今でも燦然とダサい。
イメージが浮かばない人は”mullet”で画像検索してみてほしい。

カットオフ・シャツとは、「袖を切り落としたシャツ」のこと。あれだ、スギちゃんである。

これらは「レッドネック」とか「ホワイト・トラッシュ」と揶揄されるような、アメリカの白人労働者層を象徴するスタイルなのである。

モーガン・ワレン自身は、1993年にイーステネシーの牧師の家に生まれ、ピアノとバイオリンを習い、野球選手としての奨学金で大学へ進学しているから、わりとええトコの子なのかもしれないと想像する。

しかし、ロン毛で出場したオーディション番組”The Voice”で注目されるや、南部の田舎モノ丸出し戦略で、音楽業界に殴り込みをかけてくるとは痛快ではないか。

殴り込みといえば、彼は2020年の5月にバーで酔っぱらって暴れて逮捕されてもいる。 

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購入したのは彼のセカンドアルバム『Dangerous』なのだが、中でも特に”7 Summers”という曲は素晴らしい。
僕には音楽的なことはなにひとつわからないので、どういうメロディーラインで、どういうアレンジだと、こんなにノスタルジックで切ない歌が出来上がるのか、解説できる人がいたら教えてほしいくらいだ。

できた当初はアルバムに含めるつもりはなかったそうなのだが、TikTokにサビを歌って公開してみたところ、すごい反響を得て考えを改めたという。

www.tiktok.com


コロナ社会ももう、一年になる。

先のことは考えても仕方ないから、最近よく昔のことを思い出す。

7年前の夏はなにをしていただろうか。
今は2021年だから、2014年の夏。僕にとっては電通での最後の夏(まだ辞めることは決心していなかったけど)で、重たいプロジェクトに関わり、とにかく心身を削って働いていたように思う。

その次の夏は、カナダの牧場で「カウボーイ・サマー」だ。

それからいろんな人に出会って、なんとか元気にやっているけど、それにしてもコロナめ。
先を見ても虚しくなるし、うしろを振り返っても切なくなるぜ。やれやれ……。

 

“7 Summers” by Morgan Wallen

Yeah, you used to talk about
Getting even further South
Somewhere where the summer lasted all year 'round
Probably got a big ol' diamond on your hand right now
Maybe a baby or a couple by now
Long driveway to a big white house

そうそう きみはもっと南に移り住むことを話してたね
夏が一年中つづくどこかに
たぶん今ではデカいダイヤモンドの指輪をしてさ
子供のひとりかふたりもいてさ
長いドライブウェイがある 大きくて白い邸宅に住んでるかもね

 But I wonder when you're drinking if you
Find yourself thinking about
That boy from East Tennessee
And I know we both knew better
But we still said forever
And that was seven summers
Of Coke and Southern Comfort
Were we dumb or just younger, who knows?
Back then, you used to love the river
And sippin' on a sixer with me
Does it ever make you sad to know
That was seven summers ago?

でも僕は思いを巡らす
きみが飲んでるときなんかにふと
あのイーステネシーの男について想うことがあるのかなと
僕にはわかってる
僕らふたりが そんなことはありえないって知っていたのに
それなのに 永遠だなんて言ったこと
コーラとサザンカンフォートを飲んだ7回の夏
僕らは愚かだったのか 単に若かったのか
誰にわかるというんだ

あの頃きみはあの川と そこで僕と6缶パックのビールを飲むのが好きだった
あれからもう7回の夏が過ぎただなんて
哀しく思うことはないのかい?

 

Yeah, I bet your daddy's so proud
Of how his little girl turned out
Think she dodged a bullet
Of a good old boy like me
'Cause I still
Go drinkin', same friends on Friday
Bought a few acres, couple roads off the highway
Guess you never saw things my way anyway

そうだな きみのお父さんは誇りに思っているはず
小さかった彼の娘がどんなふうに育ったかを
そして彼女が僕みたいなダサい男と よくぞ別れたと思っているだろう

だって僕は今でも同じ仲間たちと金曜日に飲みに行くし
ハイウェイから道何本か奥に小さな畑を買ったし
きみと考え方はぜんぜんちがったよね どのみち

But I wonder when you're drinking if you
Find yourself thinking about
That boy from East Tennessee
And I know we both knew better
But we still said forever
And that was seven summers
Of Coke and Southern Comfort
Were we dumb or just younger, who knows?
Back then, you used to love the river
And sippin' on a sixer with me
Does it ever make you sad to know
That was seven summers ago?

Seven summers ago
Seven summers ago

それでも僕は思いを巡らす
きみが飲んでるときなんかにふと
あのイーステネシーの男について想うことがあるのかなと
僕にはわかってる
僕らふたりが そんなことはありえないって知っていたのに
それなのに 永遠だなんて言ったこと
コーラとサザンカンフォートを飲んだ7回の夏
僕らは愚かだったのか 単に若かったのか
誰にわかるというんだ

あの頃きみはあの川と そこで僕と6缶パックのビールを飲むのが好きだった
あれからもう7回の夏が過ぎただなんて
哀しく思うことはないのかい?

7回の夏の昔
7回の夏の昔さ

 

(対訳:前田将多)

youtu.be

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「BLMとはなんだったのか」

誰も書きたくないことを書くこのコラムだが、ここのところずっと考えていて、答えが出せないままのことがある。

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ひとりで夜道を歩いていたら、向こうから黒人の男性が三人やってくる、としよう。
僕は心のどこかで「怖いな」と思ってしまう。これは差別なのか、ということだ。

少なくとも差別心なのだとは思うけど、無意識的に思ってしまうのは止めようがない。
これが浅黒い肌を持つマレー系の女の子三人なら怖いとは感じないし、スカンジナビア系の男性三人だったとしてもそこまで怖いとは思わないだろう。

これをもって「お前は人種差別主義者だ」と即断する人は、LAの夜道やブラジルはサルバドールの路地を歩いてきてほしい。いや、ホントに歩いてから言ってほしい。
前から大きな黒人三人組が歩いてきて怖いと思わないのは、もっとデカい黒人五人組くらいのものだろう。

相手の顔立ちや体格、人種や性別や年齢などをまったく考慮せずに、ポリティカリーにまったくコレクトな対処ができる人間がいるわけがないのだ。マシーンじゃあるまいし。

ただし、やってきた黒人の彼が、
「エクスキューズミー、サー。このあたりでまだやってるオーセンティックなバーをご存知ないでしょうか?」
と訊いてきたなら、
「はい、そこの角を曲がったところにある地下のバーはなかなかのバーボンを揃えていますよ。それではよい夜を」
と受け答えするだろう。

僕が人を雇うような大きな会社の社長で、黒人男性が応募してきて、見どころのある人物に思えたなら雇うだろう。
差別というのは制度のことであり、言動に表れる意識や感情のことだ。
一応、アメリカでは制度上の人種差別はなくなり、何ジンであるかにかかわらず、建築家でも弁護士でも、なりたければなれるし、大統領にだってなれるし、入ってはいけない劇場やバスはない。

だから、”Black Lives Matter”を振り返るに、なにを求めているのか、海を隔てた国にいる僕なんかからはわかりにくい。ブラックライブスがマターすることに反対する人間などいるはずがないのだ。大物スターに言われるまでもない。

ただそれを暴力でもって訴えたことは、いや、破壊行為へと暴発したことは、完全な失敗であった。

同様に破壊行為に発展したトランプ支持者の議会侵入事件は、すでに降任したトランプ前大統領の弾劾裁判に帰着して、BLMはノーベル平和賞にノミネートとは、悪い冗談か。
 

www.usatoday.com

 

BLMは人種問題というよりも、階級闘争であった。

低い社会階層に属する被害者を、そんなに高くもない階層にいる警官が撃った。それでも、警官は「権威」であるから、民衆は「支配者」に向かって棒を振り上げた。が、勢いあまって振り下ろす場所を間違え、町々を焼いた。暴力はなにも解決しない。

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文化人類学者のルース・ベネディクト女史が1940年代にものした『レイシズム』(講談社学術文庫)という本がある。ちょっと長いが引用する。

〈人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行なわれるのだとしても、人種差別を減らす方向に動くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない〉(P182)

黒人の平均的生活水準が上がらなくてはいけないし、警官の教育レベルも向上しなくてはいけないし、アメリカの国家としての社会問題(ホントは我が国も含めた世界中の問題だが)も改善されないといけない。

最大の社会問題のひとつは「格差」である。

 

つまるところ、BLMとは「黒人の生活をなんとかしないと」という意味なのだ、と僕はいま解釈している。
昼間からラりって警官に悪態ついては撃ち殺されるような人生はまっぴらごめんだ、ということだ。64%がひとり親の家庭で育ち、人口の13%しか構成しないのに、全囚人の40%を数える黒人が置かれた環境に対して「どうなってんだよ!」という怒りなのだと思う。
格差問題に対して、トランプ前大統領は”Buy American!(アメリカ製品を買え)”、”America first!(アメリカ第一)”で雇用創出を実現しようとし、これをまったくの失敗と片づけるのはフェアではないと思う。

大統領候補だったバーニー・サンダースは民主社会主義者を自認しているから、格差問題にはより積極的に取り組んだだろう。バイデン大統領は現状未知数。就任したいまもなお、未知数である。

 

レイシズム』には興味深いことが書いてあった。

〈……人間は自分の所属する社会が推奨している形で尊敬を獲得しようとする。領土拡大を良しとする社会であれば、一人ひとりが侵略者になる。富の蓄積を良しとする社会であれば、一人ひとりが人生の成功をドルとかセントの単位で測るようになるだろう〉(P111)


〈何が称揚されるか、何がその機会を与えるかは、国ごとに、そして特にその内部の階級ごとに変わってくる。それをひとまとめにしたものを、私たちは「アイルランド人らしさ」「イタリア人的なもの」「農民の典型」「銀行家っぽさ」として認識する〉(P113)

「時代や状況が変わっても当てはまるような実体を言い当てていることは稀である」と断ってあるが、日本人がマジメな国民だと認識されているなら、それはマジメであることが美徳とされているから、ということ。

ここで冒頭に書いたように、「黒人は怖い」と思ってしまう自分が思うに、黒人がそのように認識されるのは、その“バッドボーイ・アティテュード”であり、「反逆的であること」をクールとするアフリカンアメリカン・カルチャーに因るのではなかろうか。

もちろん、法を遵守する黒人もいれば、僕のように不真面目な日本人もいるから、クソリプはやめてくれ。卵が先か、鶏が先か、という話も結構です。

『シカゴPD』という警察モノのテレビシリーズがあり、その一話で「息子を警官(こちらも黒人)に射殺された父親が復讐にやってくる」回がある。その物語の最後で父親はこのように悟る。
「俺は息子に『警察なんかに屈するな。絶対に従うな』と育ててきた。それが彼を死なせてしまったのかもしれない……」と。

親から「お巡りさんは平和を守る町の英雄なんだ」と説かれるか、「警官はブタ(※警官を指すスラング)だ」と教えられるか、それは子が生きる社会に思わぬ隔壁を築くだろう。

ベネディクトはこうも書く。

レイシズムを拭い去るための運動は、今日ではすなわち「民主主義を動かす」ことである〉(P197)

であるなら、僕は「格差を縮小するための運動は、すなわち資本主義を抑えることである」と言いたい。資本主義は結構なのだが、抑制しないと格差問題はどうにもならない。純粋な資本主義など、2008年のリーマンショックの際、米政府が民間金融機関にカネを注入した時点で一度は敗北したのだ。

末代までかかっても使いきれないような、世界を丸ごと買えるようなカネを世界中から集めて貯めこんだGAFAの上層部が、いつか「世界中の貧困家庭の若者の教育費を、私たちが払います!」と申し出てこないかな。人からタダでデータ抜きまくった結末の、そういうオチを期待する。

こういうときだけ、なんかサヨクっぽくなってすみません……。