月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「虫のように必死に、人間のように恋を」

ひろのぶと株式会社から初の書籍である、稲田万里著『全部を賭けない恋がはじまれば』が刊行された。

この新興出版社は、「初版印税20%」、「累進印税™」を旗印にして、田中泰延さんが立ち上げた会社である。日本では通常、本の作家への印税というのは10%に設定されていて、なぜかここに疑問をはさむ余地はなかった。「そういうもの」だったのである。
著者がしんどい思いして泣きながら書いた一冊の対価が、税務署が黙って持っていく消費税と同額なのだ。

これをなんとか変えたい、本を書いて生活できる社会を創り出したい、という思いで設立されたのが、ひろのぶと株式会社なのである。

hironobu.co


田中泰延氏は、私の前職の先輩であり、上下関係を越えた盟友であり、私は同社の一口株主でもある。

であるからこそ、私がこの本を紹介するにあたり、この「月刊ショータ」の方針に反することなく、本当のことを書かなくてはならない、と少々緊張しながらこれを書いている。
稲田万里さんが「コスモ・オナン」名義でnoteに書いていた『日曜興奮更新』というマガジンがめっぽうおもしろくて、下品で、それでいて不潔感がなくて、サイコーだったのだ。

本書にも、このマガジンの中からいくつかの短編が加筆修正されて収録されている。

コスモ・オナンこと稲田氏の書く短編小説に、私がはじめに抱いた印象は「ブコウスキーみてえだな」であった。
チャールズ・ブコウスキーというアメリカ作家・詩人がいて、彼の『町でいちばんの美女』(新潮文庫)を読むと、だいたい仕事もせずに酒を飲んで、女を殴って、オナニーして寝るハナシがいくつもいくつも書いてあり、読み終えると、たったいま、いったいなにを読まされたのかよくわからないのだ。

『全恋』の舞台はカリフォルニアではなくて、東京の高円寺とか錦糸町で、主人公の女の子がしょーもない男としょーもないセックスをする連作短編だ。そこには著者の東京観であるとか、高円寺観が反映されていて、彼女の目にはこの町は紗をかけられたようにある種、朧で、乾いていて、あらゆる関係が薄弱な場所のように受け取れた。

東京に生まれた私にとっては、高円寺というのはおばあちゃんが住んでいたところだ。
小学生のころに、母親に頼まれたものを自転車で届けに行くと、おばあちゃんがポチ袋に入れた五百円玉を用意して待っていてくれて、私にはそれがたのしみだった。
電車に乗ってかよった塾の帰りには、母親がクルマで迎えに来てくれて、同じ塾に通う同級生といっしょに駅の南口で拾ってもらうことになっていた。
大人になってからは、古着屋を巡ったり、家族で食事会をしたり、つまりは生まれ育った町に近いのである。

はっきり書いておくと、私は私の故郷に地方からやって来て、路上において集団で缶ビールを飲んでそのまま捨てていったり、犬のようなセックスをしたり、ビルの屋上で立ちバックして性病をうつされるような連中が大嫌いだったのである(過去形ね)。
彼らにとっては、誰の町でもなくて、自分の町ですらなくて、旅の恥はかき捨てのように、東京の男/女はヤリ捨てのように振る舞うことが当たり前であっても、私にとってはそうではなかったのだ。

東京という街に対する認識は決定的にちがう。そこに幻想がない。憧れもない。
だから、私は本作を読んで、自分が不快感を覚えないか不安があったことは認めざるをえない。

それでも、『全恋』を読み終えて思うのは、どこに生まれても、生きていくことはむつかしい世の中で、ひとりの女が、得体の知れない町やセックスの相手と対峙していく姿に、まるで卑しさも不潔感も感じられないのである。必死に生きているだけなのだ。

この女には「自分の存在価値を認めてほしいがために、男に媚びて股をひらく」ようなところがない。「こんなスケベなことを堂々と書けるワタシってかわいいでしょ」というあざとさも感じられない。
清々しいほど純粋に、ただ「セックスがしたい」のだ。

人間はセックスをするために生きていると言っても過言ではない。
遺伝子というのは種の保存のためのプログラムによって突き動かされているからである。正確には、個の保存のために、我先に、やつを蹴落としてでも、カネを払ってでもセックスがしたいのだ。

そういう一種哀しいようで、実に明快なエンジンによって、人間はドライブされている。

「センセーに言うたろー」、「文春に売ったろー」といった幼児性を脱ぎ去ることができない日本人は、それを認めなくてはならない。無関係の人間のセックスに立ち入ってアクセスや視聴率や購読部数を稼ごうとする連中よりも、この主人公はよほど正直で真っ当な生き方をしているではないか。

稲田氏の切れ味の鋭い文章には、ありきたりな表現をするなら粗削りなところがあり、そこここにキンタマくらい光を放つものがある。
さらに研鑽を積んで賢くなったらいいのか、このままのバカで突破するのがいいのか、私は判ずる立場にない。

おもしろくて、滑稽で、すこしかなしくて、帯にある通り赤裸々な性と生なのにぜんぜん悪辣さがなくて、いま本を閉じた私の心の中には、歩み去ろうとする小さな女性の後ろ姿だけが、なぜか浮かんでいる。

また、一冊の書籍としても、特色印刷、UV厚盛印刷、フィルム貼り加工などなど様々な技巧が凝らされていて、中身と一体となった芸術作品としてよくできている。
無名作家の処女文芸作品に注いだ労力と投資を心配した私に、
「初版が売切れたって赤字や。でも一発目の本で、しょーもないもん作られへんからな」と語った田中社長の言葉に嘘はなかった。ひとまず発売前重版、おめでとうございます。
稲田万里とひろのぶと株式会社の、鮮烈なデビューを目にすることができた。

エピローグに登場する新宿のキャッチの男の台詞に、私から著者にそのまんま伝えたいひと言があった。

「お前、どんだけ大変な目にあってんだよ。最高だと思うよ」

優れた小説家のデビュー作を読むと、たまに不安になることがある。自分のことを棚に上げて、大きなお世話ながら、「この人は次を書けるのだろうか……」と。

稲田氏には、元気でスケベでくだらない話を、我々にもっと読ませてほしい。
と、思っていたら、ちゃんと本の中で答えてくれていた。

〈まだこれからも書けそうだ〉

 

心に浮かんだ、歩み去る女性は、小説家として出発をした稲田万里の姿だったのだろう。

「このヤバい世界を、よりクリアに……」(今月の3冊)

私は行きの電車では新聞を読み、帰りの電車では本を読むという昭和のような通勤スタイルをして十数年になる。
読みたいものの中ならテキトーに選んだのに、3冊がなぜかリンクするようでおもしろかった本を紹介させてもらいます。

林智裕著『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』徳間書店

著者の林智裕さんは福島県在住のジャーナリスト。
ツイッターで存じ上げて、もっと年齢のいった学者肌のおじさんかと思っていたら、本を買ってはじめて1979年生まれと知ってびっくり。私より年下でしたか……。

地震のような自然災害、今般のようなウィルス禍において、必ず起きる「情報災害」に焦点を当てた本書は、もはや現代の宿痾とも呼べる、風評被害、偏向メディア、過剰な安心安全追求、自分は正義ヅラして弱者を顧みない人たちについて、実例を挙げながら、抑えた筆致で論じている。
はい、林さん、だいぶ抑えています。真面目な人物なのだと拝察する。
ツイッターでは朝日新聞の記者とかに果敢に、敢然と、毅然と噛みついていて、私などは陰ながら応援するしかできなかったのだが、ようやくこうしてご著書を手にできてうれしい限りである。

いま(2022年9月末)ちょうど「日本ファクトチェックセンター」が設立されて、「チェックする側に元朝日新聞の人間が多すぎる」などとからかわれながら話題になっているが、私個人としては、公正な審査の蓄積によってある程度の権威をもてるよう、ちゃんと機能してもらいたいと願っている。どうでもいいB級ネタみたいなのばかりでなく、メディア報道も扱わないと意味がないよ、とも思う。

factcheckcenter.jp


本書の第3章はまさにファクトチェックの章になっていて、一部を紹介するとこのようなものがある(私が掻い摘んでいますので詳しくは本書をどうぞ)。

  • 2011年11月の「全国学校給食フォーラムin札幌」において、現衆議院議員山本太郎先生が「大阪の友達がレスキューで東北へ派遣されたが、腎不全で亡くなった」旨発言
    大阪市より「レスキュー隊員が腎不全で亡くなった事実はない」と回答。
  • 2017年4月4日号の光文社『女性自身』が「福島第一原発1号機 建屋カバー撤去で65倍の放射能が降っている!」と題した記事を掲載。
    →健康に影響を与えるような量ではない。
  • 2018年6月、共同通信沖縄タイムス西日本新聞など複数のメディアが「福島36%『子孫に被ばく影響』 県民健康調査」というタイトルで報道。
    →「親の被ばくが子供に影響する証拠はない」旨断りながら、36%がそういう不安を持っているという調査結果を、あたかも「36%に影響が及んだ」かのようなミスリーディングな見出しをわざわざ選んでいる。
  • 2018年1月、土浦市土浦市教育委員会つくば市つくば市教育委員会の後援による講演会で、作家の広瀬隆が…。

私などは、「広瀬隆」と聞いた時点で「あ、やばいな」と気づくので以下略とさせてもらう。

※紙幅の関係で私自身、要約して書かざるを得なかったが、これも所謂「切り取り」になってしまうことは認める。

現在進行形の話としては、いまでも日本共産党が「汚染水」と呼んで憚らない、政府が海洋放出処理を決定した福島第一原発のALPS処理水である。

これは

これで「ピリオド」で、結論はすでに出ているはずの問題なのに一部メディアにより事実が無視され、地元漁業者は「風評や活動家から護ってもらえるとは思えない」(P92)と怯える。

そこに林氏は、〈被害拡大への不安を悲痛に訴えていながら、肝心の被害解消に対しては不自然なほどに冷淡な人々〉(P97)を見る。

本書は情報災害の加害者たちの「正義」について鋭く問い質し、科学に基づかない誤報やデマの記事やツイートを削除するだけで訂正も謝罪もしてこなかった加害者たちの無責任を冷たく論難する。

そういう連中にこの十年以上も蹂躙されてきた福島で育ち、生きてきた林氏の怒りばかりでなく、第4章、5章に垣間見える、あたたかな郷土愛にも胸を打たれる。

危険危険と騒ぐだけでなく、科学的に問題なしとされるなら、積極的に福島および東北のものを食べて支援するのが、本来ひとの痛みをわかろうとする者のすべきことではないのか。それで旨いんだから一石二鳥だろう。

悲しいが、これからも我々が難局に直面するたびに「情報災害」は繰り返されるだろう。

〈結局、外野が騒ぐだけ騒いで拡大した「情報災害」の後には、当事者に一方的に押し付けられたデマとその代償ばかりが残された〉(P268)

終章において林氏は「教訓は生かされるのか」と問う。
私個人の見解としては、情報災害は人間の脳に組み込まれた「バグ」のような仕組みや弱さに起因しているので、悲観的である。せめて自分が加害者にならないよう、正義というものを謙虚に取り扱いたい。
あ、でも政府や自治体はこれまで通り、謙虚に「正しい情報を発信」するのみでなく、情報災害の加害者に対しては徹底的に戦ってほしい。

田中孝幸著『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』東洋経済新報社

高一の大樹と、中一の杏という兄妹が、アンティークショップの店主である年齢不詳、出自不明の大男、カイゾクから講義を受けて、地球儀を眺めながら世界の見方や仕組みについて理解を深めていくという構成。

長年、国際政治記者として活動されてきた田中氏ならではの視点で、「13歳からの」と題されながら、大人にとっても、この混沌とした世界、暗澹たる未来に見える地球がよりクリアになるような気にさせられる。
もちろんクリアになったところで、世界の問題は根深く、相変わらずムツカシイのだけど……。

「物も情報も海を通る」、「日本のそばに潜む海底核ミサイル」、「大きな国の苦しい事情」、「国はどう生き延び、消えていくのか」、「絶対に豊かにならない国々」、「地形で決まる運不運」、「宇宙から見た地球儀」と、目次にある章ごとのタイトルを見るだけで興味をそそられる。優秀な編集者がいたのだろうと想像する。

彼を知る私の友人たちから「声はシブくて、顔は怖い」と評判の田中氏とは、近い将来にお目にかかれるかと期待していたが、10月より特派員としてオーストリアのウィーンに行ってしまわれるとのこと。

そんな田中氏の本作について、「ん?」と思った点について、すこしだけ物も申しておこうと思う。

〈「これから日本に、そういった移民が増えてゆくことになるのでしょうか?」

「うむ、東南アジアからの外国人はたくさん来ることになるだろう。東南アジアの優秀な若者たちは、自分の国で能力を活かす機会が十分でないことが多いから」〉(P49)

移民を論じる際に、テレビも本書も、白人とか東南アジア人とか、我々とは肌の色のちがう外国人を連想させるように仕向ける。

しかし、いま爆増していて、安全保障上の脅威となりつつあるのは当然チャイナ人である。

アメリカでは、溢れかえる中南米からの不法移民に業を煮やしたテキサス州知事とフロリダ州知事が連携して、民主党が地盤とする北東部のあちこちや、ハリス副大統領の公邸付近に、バスや飛行機で送り込むという問題が発生している。

「移民に寛容なお前ら、国境に接しているこちらの苦悩を知れ!」というわけだ。

日本が移民を受け入れるのは仕方ないとしても、いまのような留学ビザと就労ビザがぐだぐだに曖昧で、取り締まろうとすると人種差別を盾にされるようなゆるゆるの状況では、上記のような「優秀な若者が……」という楽観的なことにはならない。相当厳しく、巧く進めないと、ほかの多くの先進国のように解決困難な問題をひとつ増やすだけになるだろう。まず岸田首相には不可能。

……などと思いつつ読んでいたら、

〈「それにしても、世界を見ているとどうしても中国の話に戻ってきちゃうね」〉(P219)

と、ちゃんと世界の大問題の多くには背後にチャイナがあることを明確に指摘していた。
チャイナ全国民がスパイになり得る可能性(国防動員法)にまで言及していて、ちゃんとヤバい現実を指摘している。

 

スパイと言えば……

坂東忠信著『スパイ スパイ活動によって日本は中国に完全支配されている!』青林堂

まぁ、副題はよくある羊頭狗肉だとしても、警視庁本部で北京語通訳捜査官として日々ヤバい現実に接していた坂東氏の説得力は半端ではない。たしかに、(情報戦という)戦争はすでにはじまっていると言えるだろう。

中華衛星および中華端末による情報窃取、LINEの危険性、スパイ防止法の必要性、SNS上で世論を操作する五毛党の暗躍、軍事技術研究を全否定しておきながら、中国科学技術協会とは協力覚書を交わしちゃう日本学術学会の無防備、海外にいるチャイナ人全員がスパイになり得る根拠としての、前述の国防動員法などなど、「いやぁ、おもしろいなぁw」で済ませそうになるんだけどそれでは済まなそうな諜報の現実がこれでもかと書いてある。

〈しかし日本にはなぜか「スパイ防止法」の語句を見聞きすると「軍靴(本文では「軍歌」になっているが筆者訂正)の足音が聞こえる!」と言い出す幻聴患者さんや…(中略)防犯カメラを見ると「国家による監視だ!」と騒ぎ出し、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」では「盗聴されるー!」と絶叫、「共謀罪」では「飲み会で上司の愚痴を言うと逮捕される」とか飲む前から酩酊状態、「特定秘密保護法」では「知る権利が奪われる!」と騒ぎながら法の内容を知ろうとしない〉(P178)

このあたりは、前掲の『「正しさ」の商人』に描かれる風評加害者とほぼおんなじ人たちですな。

害悪でしかない。

 

(了)

 

オレには一銭も入らんけど、是非ともご一読を!

『「正しさ」の商人』林智裕(徳間書店
『13歳からの地政学』田中孝幸(東洋経済新報社
『スパイ』坂東忠信青林堂

「憤懣をカッコよく晴らすには」

去る八月九日に、ひろのぶと株式会社の田中泰延さんとアートディレクターの上田豪さんと、ワタクシ前田将多と、今回で第10回を迎えるトーク配信を行ないました。

『僕たちは明日以降で本気出す』

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この番組はみなさんからご質問やご相談を募りまして、それらにお答えしていく形式で進みます。今回はホスト席が豪さんだったので、いただいたご質問リストの中から、彼が選んだものを取り上げていきました。
しかし、毎度のことながら、たくさん頂戴したご質問の中からほんのいくつかしかお答えできません。

配信の中では取り上げることができなかったけど、僕ならこんなふうに答えるかな、と思っていたご質問をここで紹介させてもらいます。

Yさんより

心無い言葉や返信に、いつも見事な返しや対応をされている御三方、感心と尊敬の念が絶えません。
そんな御三方でも、どうにもやるせなかったり、我慢できないときがおありなのではと思います。
そんな時、どう発散されてますでしょうか?
私は、ご褒美と称しておやつや美味しいものを自分に与えるようにしています。
どんなことをされているのかお聞きしてみたいです。よろしくお願い致します!

Kさんより

「嫌なこと言われたとき、その場で直ぐに反応できず後でモヤモヤしてしまう」ので、どうしたら直ぐに反応できるようになるでしょうか。もしくはどう反応したらよいでしょうか。

共通点があるご質問だったので二つまとめて挙げさせてもらいました。

私からまず言えることは、「あるよね~」なのですが、そりゃあそうです。

まず、Kさんのほうですが、なにか「ん?」と引っかかることを言われて、その場はスルーしちゃったんだけど、帰りの電車の中で気になってきて、「あれ、失礼じゃねえか?」なんて疑念が確信になってきて、ベッドに入ってから、怒りが湧いてきて眠れなくなる。
はい、たまにあります。

ハードボイルド小説の主人公みたいに、その場で瞬時に適切に反応できて、相手の過誤を的確に指摘できる、などということは、なかなかありえませんわな。

仕事上のメールやツイッターなどSNS上では、「なんだてめえ?」と思ってから、考える時間がありますから、それなりに上手に返せるチャンスはあります。

かく言う私にも、腹が立って眠れないこともありますし、ネコにいらん時刻に起こされて腹立つこともしょっちゅうあります。つまり、寝ても覚めても腹を立てています。

何年も昔の会社員時代に仕事で遭遇したムカつく人間を思い出して、寝返りを繰り返すこともありますし、何度思い返しても私が受けたあの扱いは不当ではないかという経験に、気づけば歯を食いしばってしまっていることもあります。

それに対して、いまの私ができることはありません。ないのです。

ただ、心の片隅で持っておかなくてはならないのは、「もしかしたら、自分も誰かに対してそういうことを言っているのではないか。いや、おそらくやらかしている」という認識です。
イヤなことを言われてあとになって腹立つことは、私に起こるんだから、私にかかわる相手にも起こっています。実際、心当たりがいくつもあります。いろんな人たちを怒らせてきました……。

だから、あとになってその人が、「マエダくん、昨日のアレはないと思うぞ」とか「アレは酷いぞ」なんて言ってくるかもしれません。
そういうときは、たいていこちらにすこしは非があるものですから、「そうでしたか。それはすみませんでした」と言えるかどうか。そこがあなたの人間の器を映してしまうのではないかと思います。

完全な冤罪なら抗うべきですが、大概の場合、相手の立場になってみれば「そっか。そう受け取られたか。それは失礼しました」という気持ちになるものです。

でも、多くの場合、ひとは面と向かって対峙してはきません。陰口を叩かれるだけです。
ですので、直接伝えてきた人にはまずその勇気に免じて花を持たせるくらいでちょうどいいです。

それによって、あなたがあなた自身を、「あー、素直に謝ったワタシ、カッコよかった」と思えればいいのではないかと。
そうやって、誰かの「クソ」を成仏させてあげれば、自分の中に埋葬されたクソも一個帳消しになるくらいの、勝手なケリのつけかたでいいのではないでしょうか。

これにて、Yさんのほうにもお答えしたつもりです。
「どうにもやるせなかったり、我慢できないときにどう発散するか」は、「あんなクソなことをグジグジ考えずに寛恕しちゃうワタシ、カッコいいなぁ~」です。
これしかありません。いまも、寛恕だなんてむつかしい言葉をさらっと書いちゃうオレ、実にカッコよかったです。
そのあとに、ご褒美におやつ食べちゃうのもまぁいいでしょう。
いつも自分を褒め、しょっちゅう自分を労い、たまに自分を慰めるw

女性の人生はわかりませんが、男性の生なんて、「オレ、カッコいい」を追求するしかありません。スターでもない限り、ふつうはおかんくらいしか言ってくれませんから、自分で自分を「カッコいい」と思える言動を実践していくほかありません。それこそが自尊心と呼べる、健全なナルシシズムなのでしょう。

本当の犯罪は告発していいですけど、忘れてやれるものなら、神様から自分の度量を試されていると思って、放念です。

自分がじいさんばあさんになったときに、たのしかった思い出ばかり語りたいじゃないですか。
そして、そんな人がごくたまに、本気で腹立ったとか、心底ツラかった話をユーモア交えて話せれば、まわりの人たちも耳を傾けてくれると思います。

最後に、寅ちゃんからの言葉をどうぞ。

 

(了)

 

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「ボンクラなりに、宗教を考える」

僕が十代のころは、結婚式は「チカイマスカ?」という神父の前でやって、正月は神社で柏手を打って、葬式はお坊さんのお経を聞く、日本人のええ加減さが嫌いであった。特に、クリスマスになぜか、あわよくばセックスをしようとする連中は大嫌いなのだった。

自分は無神論者なのだと考えていた。
大学教育はアメリカで受けて、はじめに行った学校はメソディスト系のカレッジだったが、僕はメソディストが何なのかも知らなかったし、興味がなかった。
しかし、とにかくそこでは旧約聖書新約聖書の授業は必修だった。困り果てて、キリスト者家系のおかんに助けを求めたところ、阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか?』と『新約聖書を知っていますか?』(新潮社)を送ってくれた。

クラスには牧師のおじさん学生がいて、僕を見かねた教授が「彼に教えてもらいなさい」と紹介してくれ、僕は彼からの特別補講を受けて、なんとか「D」とか「C」の成績でパスしたのではなかったか。
あるとき、学食で食事していると、黒人の友人が「ここに座っていいか?」と同じテーブルにやって来た。
「いいよ」と応じた僕がなにか話しかけたら、彼は食べる前にしばらくお祈りをしていた。
「しまった!」と思った。

そんなわけで会話は宗教についてになり、彼はアジア人の僕に「きみの宗教はなんだい?」と尋ねてきた。
僕は”I don’t believe in God.”(神は信じていない)と答えた。
そのころは”Atheist”(無神論者)というむつかしい単語は知らなかった。
彼は「どうしてだ?」と、はじめて見る不思議な生き物に出くわしたような顔で、身を乗り出した。
僕はこのように言った。
「現実の世界に、神様のように善い人間もいれば、悪魔のように悪い人間もいる。だから、すべては人間の比喩なのだと思う」
彼は、壊れたヒンジをセロテープで補強したメガネを拭いてから、僕を見て、
「……ということは、きみは神を信じているじゃないか」
と、とても断定的な口調で言った。

そのときは彼の言葉の意味がよくわからなかったので、どういうことだったのかのちのちもたまに考えた。「神様のように」と喩えている時点で、神の存在を認めていることになるのかな、とか。

2008年に僕が富士山頂から撮った画像です

アメリカにいると、社会の在り方、文化の創られ方が、キリスト教と切っても切れない関係にあることは否応なしにわかる。そもそも、英国教会から逃れたくてメイフラワー号に乗ってやって来た、建国の主流派が清教徒ピューリタン)で、彼らが彼らの信教に基づいて理想の国をつくろうとしたのがアメリカ合衆国である。
開拓史の中で原住民族を酷い扱いしたのも、「野蛮な原始人を、クライストの教えに導いて文明化してやろう」という、マニフェスト・デスティニー(明白な運命)という考え方によって容易く正当化された。

アメリカの歌の歌詞に、”The Good Book”とあれば、それは聖書を指す。
大統領は聖書の上に手を置いて宣誓することはよく知られている。正確には、「自分の信じる宗教の経典に手を置いて」ということなのだろうが、キリスト教徒以外が大統領に選出されることは、今のところまずありえない。

7はなぜラッキーな数字なのか。それも聖書の随所に7が出てきて(7日間、7つの霊、7つの鉢を持った7人の天使、映画でおなじみの7つの大罪など)、神聖な数字とされているからだ。

もちろん、アメリカばかりではなく、ヨーロッパ社会こそキリスト教が岩盤のように固く根底にあるから、キリスト教を信じていないとヒトデナシ扱いを受けると言っても過言ではないはずである。

僕の母親はキリスト者で、その両親もそうであった。
僕はキリスト教にはまだよく理解できないところがあって、信者ではない。
新約聖書旧約聖書の記述を踏まえた上で成立しているものである。旧約と新約は二巻本の上下のような関係になっている〉と、前掲の書『新約聖書を知っていますか?』にある。
旧約聖書は、古代イスラエル民族のヤハウェという神の教えを伝えるもので、アダムとイヴやモーセなど、よく知られた物語が書いてある(僕はもちろん通読したことはないが、先述の通り、一応単位はもらった)。

ヤハウェ唯一神で、全知全能で、これ以外に神はない、という。
「みだりに名前を唱えてはいけない」、「偶像を崇拝してはいけない」とされている。
新約聖書ジーザス・クライストは神の子で、神の教えに自分の解釈を加えて説いたが、クライスト自身が神になってしまい、アメリカ人なんかは毎日なんとも気軽に
「オー! ジーザス!」
などとファーストネームで呼んでいる。
なんなら「ジーズ」などと勝手に縮めて愛称で呼んでいる。
もちろん、磔にされたクライスト像などの偶像もバンバン拝んでいる。

ちなみに「Gスポット」のGの由来には諸説あり、そのひとつは「そこをいじると女が『オー、ジーズ!♡』と悶えるから、ジースポットと云われる」らしい。不敬か!

閑話休題
この、ヤハウェとクライストは親子じゃないの? 別々の神なの? 神は唯一じゃないの? という当たり前の疑問に「三位一体」という概念で答えが用意してあって、つまり、神と神の子とそれをつなぐ聖霊は一体である、という。
「そ、その説はだいぶ苦しくねえか?」というのが、僕のようなボンクラの率直な感想である。

教皇とか枢機卿、司祭などの「人間」がエラソーにしているのもよくわからない。重んじられている、敬われているのはよいことだが、結局、人間自身が神様扱いされているようで、それはジーザス然り、イスラム教のムハンマド然りなのではないか、と感じる。

聖書では、近親相姦はしているのに、男色の街は焼き払ったりしていて、現代の基準からするとヤバい。
アメリカの急進左派は、南北戦争で連合国(南軍)を率いた将軍の銅像を引き倒すような歴史修正をするくらいなら、このあたりはどうオトシマエつけるのだろうか。

いま、安倍元首相暗殺事件に端を発し、ふたたび新興宗教の問題に注目が集まっている。
しかし、聖書にも〈神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける〉という記述があり(ルカによる福音書 第十八章)、宗教の根本や信教の自由にかかわる問題であり、なかなか解決しがたい。
過去の例で考えると、マスメディアがひとしきり騒ぐだけ騒いで、ウヤムヤになってしまうだろう。
僕自身には新興宗教(そして暗殺犯も)を擁護する気はまったくないので、法の下での賢明な対処を願う。

なによりもわからないのは、ちがう宗教が対立してしまうどころか、同じキリスト教の中でも、カトリックプロテスタントと大きく分かれ、後者の中でもメソディスト、バプティストペンテコステなどなどなど無数に宗派が分かれ、わけがわからなくなっていることだ。もちろん、わけがわからないの主語は僕である。彼らがわけわかっているならいいんだけど。

しかし、「宗教は人類をひとつにはしない」という見解を、現時点で否定できるひとはいないだろう。
現実はどうだ。

かつて「神は信じていない」と言った僕だが、やがて考えは遷移し、僕は神を信じている。
このものすごく美しくて、とてつもなくしんどい人間世界を想うと、やはり人間以上のなにかの存在を信じずにいられないのだ。

とはいえ、それはジーザス・クライストとか仏陀とか具体的な姿がある崇拝の対象ではなくて、姿のない、漠然とした神様である。きっと多くの日本人の宗教観はそれに近いものであるはずだ。
天皇陛下を心から尊敬しているが、神様とは思っていない。天皇の仕事は神に祈ること。祈ってくださっていることに深く感謝している。

神様はやはり唯一で、しかしどこにでもいる。名前はなく、拝むべき姿もない。

宗教、宗派にかかわらず、神を説く者ではなく、神そのものを尊崇することが肝要なのではないだろうか(個人の意見です。おのおのが信じるものを信じてください)。

あぁ、むつかしい。答えはない。答えなんかあれば、オレが教祖になってるわな。

 

阿刀田高著『旧約聖書を知っていますか?』(新潮社 1991年)
阿刀田高著『新約聖書を知っていますか?』(新潮社 1993年
司馬遼太郎著『アメリカ素描』(読売新聞社 1986年)
井上順孝著『人はなぜ新宗教に魅かれるのか?』(三笠書房 2009年)

「善良で、愛すべきバカのひとたち」

僕が通っている床屋さんは住宅地の路地裏にあり、まず地元のひとしか来ない。
以前は心斎橋のヘアサロンに行っていたのだが、会社を辞めたときにわざわざ電車に乗ってミナミまで出ていくのが億劫になり、近所を歩き回って探したところなのだ。

おしゃれすぎず、寂れすぎず、店の前で例の三色のぐるぐるが回っている、どこにでもあるような床屋さんで、僕よりすこし年上のおにいさん(といっても五〇前なんだけど)がやっている。
余計なものはほとんど置いていないスッキリした店内で、いつもきれいにしてある。
彼、川上さん(仮名)は、若いころは大阪の理髪店で修業をしていたそうで、父上が亡くなったあとに店を継いだ。
腕前は文句なしで、僕は彼との床屋談義もたのしみにして、ここ何年も通っている。

※画像は無関係です

なんと、カットは3000円。

二〇一九年十月に消費税が10%に上がったときに、僕は彼に進言した。
「3300円に上げましょうよ。いくらなんでも安すぎますよ」

しかし、川上さんの答えは、
「いやぁ……、それでなんかお客さんにごちゃごちゃ言われるのもイヤで……」
というものだった。

別に指弾するつもりはなくて、単に事実を述べるまでだが、田舎のひとの考えというのはこんな感じなのだ。約三十年のキャリアがある川上さんによるカットの対価が、3000円で妥当かどうかではなく、「いままでこうだったから変えたくない」、「変えてお客が離れるのが怖い」のである。

「プラス300円で来なくなるようなひとは、はじめからお客じゃないんですよ!」
だなんて第三者の僕は勝手なことを言うのだが、彼は「いや、でも、う~ん……」と言葉を濁すだけで首肯はしなかった。

「ティップジャーを置いたらどうですか」
という提案もしたことはあった。
ティップジャーは便利なもので、僕の店に来た友人がコーヒー飲んでおしゃべりして、ここにチャリン♪としていく。お客さんが「釣りはいいから」とここにチャリン♫と落としていく。

彼の場合ならマッサージを丁寧にするとか、頭皮ケアをするとか、お茶を出すとか、使いようはあるのだ。

でも、海外居住経験のない日本人がティップなど理解するはずもないことは、言ってる本人の僕もわかっていた。

そんなこんなで月日は経ち、いまは値上げ値上げのラッシュである。

これまで日銀は「物価の2%上昇を目標」としていたのにもかかわらず、国民も経済界も、笛吹けどビタイチモン踊らなかった。それなのに、まわりの顔色を窺って、他社がやりだしたら一挙にやる。
たのむぜジャパニーズよ。やり方が小ズルいんじゃ。

つくづく、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」(ビートたけし)というのは二十世紀に残る名言である。

ロシアによるウクライナ侵攻を受けての企業のロシア撤退のときも同様だった。
ユニクロは屁理屈をこねて事業を継続する意向だったが、まわりを見て撤回(事業の一時停止)した。
柳井社長にとって、平和や人権よりもナニが大事なのか、よくわかる一件であった。
 

www.businessinsider.jp

 

値上げに関しては、各社それぞれの考えややり方があっていいと思うのだが、雪崩をうって一斉にやってくれるなよ。

電力会社に至っては、電力逼迫により生活者に節電をお願いしておいて値上げをするという。

昨年までにガリガリ君の値上げに踏み切っていた赤城乳業はいまごろ胸を撫でおろしているか、「あんなに手間かけて十円上げたのに!」と地団太踏んでいるかもしれない。
〈1979年、オイルショックの余波で当時の主力商品「赤城しぐれ」を30円から50円に値上げした。すると売り上げが激減。会社が危機にひんするほどの打撃を受けた〉と下記記事にあるが、時代は変わった。

www.nikkei.com

三十年もの間、耐え忍んで、この国では、ひとは豊かにならなかったのだ。
値上げがちゃんと賃上げに結びついて、ちょっとはよい世の中になりますように、と祈るほかない。

先週も床屋さんに行ったところ、シャンプー台の脇にスース―するシャンプーが置いてあった。
六月にして異常な暑さなので、僕は「それ、使ってくれます?」と頼んだ。

川上さんは「はい、そのつもりでしたよ」と快諾した。

「それはここで売ってはいないのですか?」
僕は、値上げをしない彼の店にちょっとでも貢献したくて、整髪料もアマゾンではなく、ここで買っていた。そのシャンプーもほしくなったのだ。

「売ってますよ」
「買いたいんですけど、そのボトルサイズだと、ひとりで使い切る前に夏が終わってしまって、冬でもスース―するハメになるんですよね」
「ハハハ、ちゃんと小分けのボトルも百円ショップで買って用意してあるんです」

彼は思いのほか用意周到だった。
「え! だったら、なんで『このシャンプーは販売しています』とか、『小分けのボトルもあります』とか書いておかないんですか」

「なんか、ええかなって思って……」
「わははは」

こういうひとなのである。

最後の支払いのときに、川上さんは、
「えーと、カット3000円で、シャンプーが、……じゃあ400円です。もともとのボトルが〇〇mlで〇〇円だから、百円ショップの小ボトルを足しても、400円ならまぁまぁ、高くはないかと…」
などと、訊かれもしないのに原価を基に計算して、客である僕に言うのである。

「そんなんええから」
僕は4000円を出してお釣りは受け取らなかった。

もう一度言うが、田舎のひとというのはこんな感じなのである。

後日、この一件を僕の税理士さんに、「日本人はもうちょっと儲けなくてはいけませんよねぇ」と、己の商売下手は棚に上げて、嘆息しつつ話した。
税理士さんによると、
「理髪店て、どこもレシート出さへんやろ。だから売上なんてどうとでも書けるんや。消費税払わんために売上を一千万円未満に抑えたいところも多いんやで」
という裏事情もあるらしい。
※僕の床屋さんがそうであると言っているのではない。

そろそろウィルス禍にも夜明けが見えて、三年ぶりに海外でも行きたいと、ためしに航空券を検索したら、いままで15万円前後で乗れていたアメリカ行きが、軒並み25万円オーバー+燃料サーチャージになっていた。

世の中のアンバランスというのか、ダイバーシティと呼んでいいのか、都会と田舎の格差なのか、大企業と小商いの懸絶なのか、僕は犬と散歩しながら、複雑な気持ちで夜空を見上げるのであった。

善良なひとが、善良なだけで愛すべきバカのひとたちが、ちゃんと生きていける世の中でありますように……。

「上越市高田にスピンオフ」

環状の電車といえば、東京の山手線がもっとも有名だが、大阪にもJR大阪環状線がある。
友人の関さんと吉岡さんが「大人になってから友達ってできるのか」という、ふとした会話から、「じゃあ、毎月ひと駅飲み歩きましょう」とはじめた遊びが「環状線一周飲み会」である。

天王寺駅からはじめて、外回りに新今宮、今宮、芦原橋……、と飲み歩いていく。
僕は電通を辞めて、ひと夏カウボーイをやって帰国した2015年の秋に、大正駅から合流するようになり、その後、原さんという男も加わった。

環状線は一周19駅ある。つまり、一周するのに一年半以上かかるのだ。
そんな遊びがウイルス禍による長い中断を経て、4周目になった。6年半である。

「ネット検索せずに、足と勘で店を探す」、「チェーン店には入らず、地元のひとが来るような小さな店を選ぶ」という基本方針に従って、我々四人は細い路地をまさぐり、夜の闇に目を凝らす。
だいたいどの店でも、常連さんの邪魔をしないよう、1、2杯でそこを後にして、つぎを探す。

毎回、とてもたのしい。毎月ワクワクして待ち、散会のときにはベロベロになる集まりなのだ。

今回はそのスピンオフとして、新潟県上越市まで行ってきた。
吉岡さんが1994年製のTOYOTAランドクルーザーを買ったのが新潟にあるお店で、購入の意思を伝えてからオーバーホウルを経て、引き渡しまで一年も待ったという。

「それならいっしょに新潟まで行って、ひと晩みんなで飲もうよ」ということになったのだ。

あ、今回は事前にはゆるやかにネット検索しました。上越市に誰も土地勘はなかったので、だいたいどのあたりに飲み屋があるのか、見当をつけないと宿の予約もできないし……。
サンダーバード25号は大阪駅を出て、金沢駅が終点。そこから新幹線に乗り換えて、上越妙高駅へ。

新大阪とか新神戸もそうなんだけど、新幹線のために設置された駅というのは、繁華街を避けているから、まわりには大してなにもない。
僕たちは地図をざっと見て、高田という駅に目をつけた。
結論から言うと、ビンゴすぎるビンゴであった。

翌日にクルマ屋のおっちゃんが言っていたが、かつては「飲みに行くなら高田」だったのだそうだ。
本町通りというメインストリートから、一本西を並行に走る仲町という通りには居酒屋や小料理屋、バーやキャバクラまでが揃っていて、かなり賑わっていたそうなのだ。

過去形で書いたのは、最近はシャッターが閉じたままの店舗や空きテナントも多く、ゆっくりと錆びていくように町が衰退していく、日本のあちこちで感じ取れる物寂しさが濃厚にあったからだ。

これまた古いホテルに荷物を置いた僕たちは、さっそく仲町で店を物色しはじめた。
吉岡さんが、薄暗くて開いているのかいないのか判然としない酒屋の前で足を止めた。彼は古いウィスキーを買う趣味を持っていて、嗅覚が反応したのだろう。
「入っていいですか?」
断って入ると、中には店員の若い女性と、お客なのか知り合いなのか中年の男性がひとり。
吉岡さんは、おそらく限定品の珍しいジャックダニエルを選んだ。

レジの横に、線香がそなえられていて、遺影には若いやんちゃそうな男性が写っている。
聞けば、先月旦那さんが亡くなり、この店はまもなく消滅するのだそうだ。中年の男性は、故人の友人で、葬式に来られなかったため遠方から弔問に来たのだという。
値段を訊き返すくらいちょっと高かったウィスキーを、吉岡さんが「せっかくだから」と買うと、男性は店の人間じゃないのに喜んだ。吉岡さんからすれば、若くして未亡人となってしまった彼女への香典のようなつもりだったはずだ。

日が暮れてきたころに、我々一行は、「一休」という居酒屋に入った。
不愛想な大将とその母親がやっているお店。お通しが二品出てくる。気前がいいな。
串焼きの豚、揚げ出し豆腐を食べて、新潟なんだから魚介類も食べなくてはと、焼きイカ半身というのを頼んだ。
「半身ってどうことなんですか?」
と尋ねると、おかあさんが「一匹だと大きいからな、こうしてこうして半分にな……」と説明してくれた。
なのに、最後まで焼きイカは出てこなかった(笑)。

しかし、こういうのも含めて、町のちいさな店で飲むたのしさなのである。

我々は笑って勘定をたのみ、つぎへ向かう。
「雁木亭」。雁木(がんき)というのは、降雪時に歩道を確保するために、家屋の軒を長くのばした、雪国独特の造りを指す。

ここでは、「のっぺ」という郷土料理(あんかけの煮物)、鮫のコロッケなど地のモノをいただき、刺身を食べ、日本酒をあれこれ飲んだ。
すると、たのんでいない一本の酒がテーブルに出された。映画でよくある、「あちらのお客様からです」というやつだ。
振り返ると、カウンター席にさっき酒屋で会った男性がいて、「あそこにわざわざ入ってきて、酒を買ってくれたお礼に」ということだった。ありがたい。情けは人の為ならずだ。

食べるもの、飲むもの、すべてが美味しかったのだが、雁木亭でもお通しが二品出てくるものだから、僕なんかはもう満腹だ。

つぎはバーへ行った。「ムーン・シャイン」。
ムーン・シャイン(月明り)というのは、密造酒の俗語だろう。1920年代、アメリカの禁酒法の時代に、月明りにまぎれて密造酒をつくり、そして運んだことからきている。
そういうことなら、と、バーボンをたのむ。まぁ、僕はいつでもバーボンなのだが。

さて、そろそろ飲み会も終盤を迎え、我々は居並ぶスナックの看板を眺めて歩く。
どのビルが寂れ具合、妖しさとして適切か、そして、どの店がカラオケの騒音がなく、年老いたママから素敵な昔話なんかが聞けそうか、探検隊として一番神経を使う瞬間である。

ある雑居ビルの一階、「miho」。ここはどうだ。
ドアは開いていて、カーテンのみが視界を遮る。耳を澄ますまでもなく、話し声が漏れ聞こえる。
「ん? おっさんじゃねえか」
僕はそう思ったのだが、入ってみると店主は女性だった。(写真がないから書きたかぁないけど書くしかないが)推定年齢七〇才の、ちょっとハスキーで低音のよく通る声を持つ、この人がミホさんなのだろう。
三〇年くらいここでやっているらしい。
ここでもお通しが二品。山菜の漬物と、タケノコ汁。これも郷土料理だ。

後日、みんなでなにが美味かったか話し合ったところ、このタケノコ汁を挙げた人が複数いた。
僕も、これに一票だな……。

さんざん飲んだが、二日酔いもなく目覚めた翌日は、クルマ屋さんに行く前に、高田城公園を訪れ、上越市歴史博物館を駆け足で見て回った。
美しい町であった。

僕の職業がたとえばプログラマーとか超能力FBI捜査官など、どこに住んでもできる仕事だったなら、しばらく住むのも悪くないだろう。
北へ行ったらすぐに直江津の海、南へ行けば妙高山など越後の山々。
安くて旨い店が高田にはいくらでもある。すばらしい。

TOYOTAランドクルーザーを吉岡さんが購入した店は佐野オート商会といい、その整備の腕を買われて、全国からお客や修理の依頼が来るらしい。
吉岡さんは亡くなった父上が滋賀に単身赴任中、ランドクルーザーに乗っていた記憶が強烈に残っていて、自分も同じ型式のクルマがほしくなったという。
なんと父上のクルマのハンドルを母上が保管していて、それを今回のクルマに取り付けてもらった。

石原慎太郎氏は、死とは虚無であり、なにも残らないとしつつも、しかし「虚無は歴然として存在する」と喝破して、今年二月にこの世を去った。
吉岡さんは、少なくともこれから何年、何万キロの間、ハンドルを握るたびに、憧憬と感傷の手触りに何事かを想うだろう。

ここで一曲プレゼントしよう。このランクルとほぼ同い年の1995年につくられたカントリーソングである。
”The Car” by Jeff Carson

youtu.be


Jeff Carson氏も今年の春に亡くなった。

午後二時すぎに出発できるかと思っていたら、試乗や手続きのため三時になってしまい、まっすぐ大阪へ向けて450km走らなくてはならなくなった。

途中で寄り道したかった石川県の松井秀喜記念館とかは残念ながらスキップだ。
しばらく日本海沿いのドライブを満喫して、以降は高速道路をとにかくひた走る。
大阪に戻ったのは夜十時半。

またよい旅をした。

また来月から環状線一周飲み会をするが、四周目にもなればわかる。
大人になってからも友達はできる。年齢や職業を越えて、友達はできるのである。

 

「おかんがオレオレ詐欺に引っかかりました…」

うちのおかんがいわゆる「オレオレ詐欺」に引っかかった。
50万円やられたそうだ。

手口は、掻い摘んで書くと以下のようになる。
僕の兄になりすました人物から電話があり、「会社の重要書類やケータイが入ったカバンを失くした。だから、いま公衆電話からかけてるんだけど、今日中に1000万円支払わなくてはいけなくて、上司とお金をかき集めている。自分の責任なので上司にばかり苦労をかけられないから、ATMから50万円引き出してきて、助けてくれないか」と言うのだ。
そして、「俺は外にいてそちらに行けないが、ちょうど上司が近くまで来てるから、彼に渡してほしい。彼はおかんの顔を知らないので、いま着てる服装を教えて」という筋書きだったそうだ。

ポイントは
・週末に入る前の金曜日の、銀行窓口(問合せ)が終わる午後三時ごろに着電。
・カバンは反社(反社会的勢力)に取り上げられていて、ケータイにかけると個人情報が抜き取られるからかけてはいけない、と釘を刺す。
・また、金銭にかかわることなので第三者には話さず、内密にしてほしい、と頼んできた。
・指示通りの場所で声をかけられた上司は、とても紳士的で丁重にお礼を言われた。
 ……といったところで、やや荒唐無稽ながら、自分たちの思い通りにひとを操作できるよう巧妙に仕組まれている。

なんと、あとでお礼の電話まであったそうだ。
あまりに鮮やかな手口で、僕はおかんを責める気にもなれない。
犯罪は憎むべきだが、縛り上げられて暗証番号を吐かせられるとか、何百、何千万円も騙し取られるよりマシだったと、高い授業料と考えるしかないのではないか……。

かねてより、「詐欺には気をつけてね。僕たち息子が電話でカネを求めることは絶対にないから」と、繰り返し言い聞かせていたし、「最近は還付金詐欺も多いみたいなので注意してね」と、インターネット記事のURLを添えて送ったりもしていたのだ。
何年か前にも、僕の兄が痴漢で捕まったという設定のオレオレ電話があったそうだが、そのときは「うちの息子はこんなふうに泣きじゃくらない」と見破っていた。

それでもやられてしまった。
僕の母親は昨年大病もしたし、残念ながら、老化によりやや認知能力が衰えているのだと思う。
その週末は「あぁ、長男の役に立ててよかった」と誇らしくすら思って過ごしたそうなのだ。
週明けになって、兄と話す機会があり、「え! どういうことだよ!!」となったらしい。

ニュースを読めば、こういう詐欺被害に遭う高齢者は、訝しんで止めようとする銀行員を振り切ってまでお金を振り込んだり、機転をきかせた店員に防がれるまで、高額の電子ギフト券をグイグイ買おうとしたり、偶然のかたちで心ある人に遭遇しなかったら、未然に防げる手立てってあるのかな、と思ってしまう。

しかも、犯罪集団は顧客リストを持っているから、一度引っかかったうちのおかんなど上顧客に分類されているかもしれない。つぎにまた別の手で来られたら、二度騙されない保証はどこにもない。

そこで、離れた地方に住んでいる次男の僕は、地元の警察署に連絡をとって、県民サービス係の警察官の方に助言を仰いだのである。アポをもらい、お話を伺ってきた。

警察署なんて、運転免許関係の用事でしか訪ねたことはないので、白いシャツの制服を着た永松さん(仮名)の案内で奥の小部屋に通されると、映画やテレビでしか見たことない取り調べを受けるようで、ちょっと昂揚する。

永松さんは、高齢者を狙う詐欺のさまざまな手口を教えてくださった。
まずは、おなじみ①「母さん助けて詐欺(オレオレ詐欺)」である。
親が地方に住んでいる場合、東京や神奈川までお金を持って来させる手口もあるそうだ。
田舎だと見知らぬ人間は目立つし、カネの受け渡しが済んだら、偽の息子から「母さんありがとう。迎えに行くからいっしょに帰ろう」と、どこかで待ちぼうけをさせ、その日のうちに家に帰れなくさせるという。
そのほか、②市役所の職員を騙る「還付金詐欺は、「お金が還ってくるので、こちらが案内する通りにATMを操作してください」と言って振り込ませるものがオリジナルタイプ。
「あなたの古いキャッシュカードでは還付金が受けられないので、新しいものに交換します。暗証番号を確認させてください」というのが、新たなパターンだそうな。
役所の手続きというのはわけわからんほど複雑すぎるから、わかりやすく親切にされたら従っちゃうよなぁ。
③警察官に成りすました詐欺
「詐欺グループを捕まえたところ、あなたの名前がターゲットのリストに載っていました。カードを封印させてもらいます」と言って、クレジットカードを袋に入れ、ダミーが入った袋とすり替える。映画『スティング』でも見られた古典的な手口だ。
「このまま三日間置いておいてください」と指示して、通報を遅らせる。

「近所で空き巣がありました。自宅に現金はありますか?」からの、「偽札の検査をするので、預からせてもらいます」という流れもあるという。
よく考えたら話のスジがおかしいのだが、咄嗟には疑うことができないものだ。
警察官以外にも、銀行員や百貨店員を名乗って「あなたのクレジットカードが犯罪に使われました」と言ってコンタクトしてくることもあるとのこと。
④老人ホーム入居権詐欺
大手建設会社の名前で電話がある。
「今度開設される老人ホームに入居する権利が当たりましたが、ご入居されますか?」
唐突にそんなこと言われても、「いいえ」と答えるのがふつうだろう。
「では、ほかの方に譲りますので、あなたの名義を貸してもいいでしょうか?」
これを受け入れてしまうと、つぎに“警察”から電話が来て、「名義を貸すのは犯罪です」と脅されるのである。
パニックになっていると、また建設会社から電話が来て、
「違法という指摘があってこちらも困っているので、入居権を買い取ってくれ」
となる。

次々に新しい手口が発明されているように見えるが、基本は上記の
①母さん助けて系
②還付金系
③警察系
④老人ホーム系
の4つの類型があり、それがいろんな派生や新シナリオでもって、「最近はまたこれが流行っている」というふうにぐるぐる巡っているということだ。

対策としては
■まず、固定電話をやめる。
最近は携帯電話でこと足りるはずなので、解約してもいいのではないか。
詐欺の電話は圧倒的に固定電話が多いそうだ。
「犯罪防止のため録音します」という警告アナウンスが事前に流れる「防犯対策機能付き」の電話機もあるそうだが、気休めにしかならない。実はうちの実家の電話機もこれだった。

僕の家にも固定電話があるからわかるが、だいたいロクな電話がかかってこないものである。勧誘やセールスが大半で、顔洗ってるときとかに電話が鳴るから顔を拭き拭き慌てて応答すると、どこかの業者が送信してきたファックスの「ピー」いう音だけが聞こえ、受話器を叩きつけたくなる。

■「はい、〇〇です」と名乗って出ない。
うちのおかんは、上司役の紳士に「マエダさん」と呼び止められてカネを渡したらしい。
電話番号も名前も住所も犯罪グループに把握されているのだ。考えてみたら恐ろしいことである。
永松さんによると、「消防署の者ですけど、最近管内で火事が増えております。そちらはおひとり暮らしですか?」という、詐欺集団が独居老人を識別するための電話もあるという。
「はい、そうです」と思わず答えると、「くれぐれも火に気をつけてくださいね~」と当たり障りなく電話を切るが、「ハイ、独居老人」とリストにチェックされる。

■変な電話が来たら、一旦切って確認
それができたら苦労はないのだが、よくわからん電話は一旦切って、長男なら長男、市役所なら市役所、警察なら警察署に自分で電話して確かめてみるのが一番いいのだ。
うちのおかんの例みたいに「ケータイにかけると個人情報が抜き取られる」などと警告されても、僕なら「そんなわけねえだろ」とわかるが、年寄りは鵜呑みにしちゃうだろうなぁ……。
「こんな電話が来たけど」と、まわりの人に相談してみるのも手なので、とにかく一旦切って、落ち着いて考えるのが肝要なのだろう。長男のケータイがダメなら、僕に電話くれてもよかったはずだ。

奈良県警では
「電話口 お金の話 それは詐欺」
という標語で、注意を促しているという。

「私どもの発信が弱くてすみません」と、永松さんは恐縮するが、ホントに世の中は、悪いやつらが高齢者を虎視眈々と狙っている。
連中は頭もよく、演技力にも長けていて、受け子だけ捕まえてもなかなか組織の上層までたどり着けないように工夫している。
そんな中、独居老人はまるで、ジャングルに佇む草食動物でしかない。
うちの親だって、本人は老人のつもりすらないし、防犯意識が低いつもりもない。
「まさか私が騙されるなんて」と全員が言うはずだ。

インターネットを絡めた詐欺も含めれば、我々家族は、果たして親(や子)を守り切れるのか……。
ショッピングサイトから決済画面だけ別のサイトに飛ばし、カード番号を入力させて「エラー表示」のあと、元のサイトに戻されたら、情報を詐取されたことにすら気づかない。
「あなたのPCがウィルスに感染しました」と表示が出て、「データを守るには、いますぐクレジットカード番号を入力して対策ソフトを購入してください」とやられたら誰でも一瞬は焦る。

確実な打つ手はほとんどないように思われるが、日ごろからそういうことを会話するしかないのだろうなぁ。
最終的には、近くにいる家族がキャッシュカードやクレジットカードを取り上げて、お金を管理するしかなくなる。もうそうなったら、老人ホームに入ってもらったほうがお互いのためかもしれない。

親が年々頑なになって、息子の言うことなんか聞かないし、話せばケンカになるのは、我々四、五十代の人間にとって共通の悩みだと思う。
例に洩れず、会うたびに腹が立つので、ここのところおかんを避けていた僕なのだが、今回の一件は、僕にも〇割〇分三厘くらいは責任があろう。

警視庁の特殊詐欺対策ページには、まさに今回の手口が載ってました。ご覧ください。
そして是非、防犯についてもう一度、親御さんと話し合ってみてください。

www.npa.go.jp