月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「あらゆるものが『生きろ』と言うが」

死について考えるとき、それが身近な誰の死であっても悲しいものだろうし、なかんずく自分の死であるなら恐れない人はいない。死ぬのはなるべく先延ばしにしたいものだ。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しむ女性が、医師二名に安楽死を依頼し、それに応えた二人が薬剤を与えて死なせたという、いわゆる安楽死に関する事件があった。

この報道に触れて、誰でも安楽死について思考を巡らせたのではないだろうか。

しかし、日本医師会の中川会長は〈今回の事件は安楽死尊厳死に当たらず、「安楽死の議論の契機にすべきではない」〉とコメントした。

ALS患者嘱託殺人 日医会長「安楽死の議論の契機にすべきではない」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

いや、これを議論の契機にしないでいつするの、と僕などは思う。
我が国では、介護や医療費や人としての尊厳など、終末期の医療に関する社会問題はすでに顕在化していて、それ以前に死は、個人の問題として、誰にでもふりかかってくることである。

どう考えても100%真っ白な答えは出ないむつかしい事柄とはいえ、感情に流されず議論を深めていくことは必須だと僕は思うのである。

まず、安楽死尊厳死という似通った言葉を分けておく。

一般に安楽死という言葉は、積極的安楽死を指し、つまり苦しみから解放するために薬物を投与して命を終わらせること。
尊厳死は、回復の見込みがない患者に対して、人工呼吸器など延命措置をとらないこと、または治療を中止して自然な死を迎える手助けをすること。

……ということなのだが、静岡大松田純名誉教授によると、世界各国では区別は明確ではなく、致死薬の投与など積極的安楽死、医師による自殺介助、治療の中止による消極的安楽死をひっくるめて「尊厳死」という概念でくくられているという。
日本の場合は、公益財団法人 日本尊厳死協会が「安楽死には反対」という立場をとっているため、きっちりとした区別があるということだ。
イヤな言い方をすれば、(マスメディアが)そこを混同した表現をすると団体が抗議してくるから、キッチリ分けないとアレというわけだ。

それはさておき、現在の日本では違法である安楽死について意見表明をすると、クソリプが飛んでくる炎上案件なのである。だから人は意見をしたがらないし、議論が深まらない。

僕はどちらかと言えば安楽死には賛成なので、その立場から、議論のために排除しておくべき態度を列記してみる。

■「いま難病と闘っている人に失礼」

安楽死に肯定的というのは、あくまでも「自分がそのときどうしたいか」ということであって、他人に対して意見を押しつけるものではないし、医者でも神様でもないのに「きみは治らないから死んだ方がいい」などと言いたいのでは断じてない。

その意味で、よく引き合いに出される優生思想とも直接的な関係はないと言える。

古くはナチスによる障害者安楽死の「T4事件」、最近では相模原障害者施設殺傷事件など、人道への犯罪については当然、相応の厳しい刑罰が下される。

それにも関連して……

■「生きたい人が生きたいと言いにくくなる」

重病や障害のある弱い立場の人が、家族や社会の負担を考慮して意に沿わない選択をしてしまうことを「すべり坂」と呼ぶそうだ。
しかし、世界で初めて安楽死を合法化したオランダでいえば、すべり坂の例は規制当局(地域安楽死審査委員会)の評価によると、起きてはいない。

そのために規制が設けられていて、オランダでの安楽死を行なう際には「注意深さの要件」という6つの条件が求められる(以下要約)。

a 医師が、患者の要請が自発的で熟慮されたものであることを確信している。
b 医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであることを確信している。
c 医師が、患者の病状およぼ予後について、患者に情報提供をしている。
d 医師および患者が、患者の病状の合理的解決法が他にないことを確信している。
e 医師が、少なくとももう一人の独立した医師と相談し、その医師が診断の上、書面による意見を述べていること。
f 医師が、注意深く生命終結を行なう、自死を介助すること。

これを読んでもわかる通り、患者は安楽死を要望することはできても、その意を汲んで実施するか否かの最終決定権は医師にあるのだ。

ツイッターで検索すればこんな意見がある(以下、晒し上げる意図はないので、リンクではなく書き起こす)。

股間を『デリケートゾーン』って言ったり、売春を『パパ活』って言ったりするのと同じ感じで、安楽死を『ハッピーエンド療法』みたいな別の言葉で呼ぶ奴が出てくると思うし、そいつ社会的にはまあまあの地位を持っていて清潔感あって、一見すると悪人には見えない極悪人だと思う」

安楽死がマナーとなって早50年。今では仕事の失敗を安楽死で詫びるというのは社会常識となっている。先日は不倫騒動を起こした俳優が謝罪会見にて詫び安楽死を選択することを伝えた。恋愛禁止のルールがあったアイドルは熱愛が発覚し安楽死をしたことが話題となった。もちろん多くの人が悲しんだ」

……だそうです。
両方とも「すべり坂」についての言及だが、安保法制を「戦争法!」と呼んだり、テロ等準備罪にかかわる通信傍受法を「盗聴法!」と決めつけたりしてきた、我が国の「議論」が思い起こされる。こういうのは無益である。

■「今回のような残酷な事件をきっかけに法整備なんかしてほしくない」

上記の医師会会長と同じような態度だが、オランダでも安楽死の容認はある「事件」が端緒であった。1999年に精神科医のバウドウイン・シャボット医師が、50才の女性に対して自死を介助したのである。

日本でも安楽死にまつわる事件はいくつも起きている。ここでは詳細は挙げないが;
成吉善(ソン・ギルソン)事件(1946年)、山内事件(1961年)という家族による嘱託殺人事件。
医師によるものでも、東海大病院事件(1991年)、国保京北病院事件(1996年 ※不起訴)、川崎共同病院事件(1998年)があった。

www.amazon.co.jp


北海道立羽幌病院(2004年)、富山県射水市民病院(2006年)、和歌山県医大附属病院紀北分院(2007年)などでも延命治療中止をめぐって事件化した事例があった。
インターネットが絡んだものとしては、ドクター・キリコ事件(1998年)があった。

オランダとちがい、日本はそのたびにショッキングな事件性を煽り立てること、関係した個人を責め立てることに終始し、肝心の安楽死の議論を先送りにしてきて今日に至ったのである。

東海大病院事件は、医学部助手であった医師が、多発性骨髄腫に侵された患者の長男らから求められ、治療行為を中止し、なお苦しむ患者に対し塩化カリウム製剤などを注射し、死に至らしめたものだ。

横浜地裁は判決として、医師による積極的安楽死が許容されるための四つの要件を示した。
①患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること。
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。

このケースでは、医師は④(明示された意思表示)が満たされていないことを理由に、殺人罪に問われ、懲役2年、執行猶予2年に処された。

上記4つの要件に加え、現代に安楽死を論じる場合、
緩和ケアと組み合わせた検討と、本人、家族、医療チームとしての合意形成。
患者が認知症を持つ場合、安楽死の同意をどこまで有効とするのか。
精神的疾患により本人が「死ぬほどの苦痛」を感じている場合はどうするのか。
などなど、論じられなくてはいけない問題が山ほどある。

精神疾患に関連して述べるなら、医師によらない自らの手による自殺をどう考えるのか、という壁にぶち当たり、安楽死はよくてなぜ自殺はいけないと言えるのかという疑問に直面せざるを得ない。

こうなるともはや、医療を超えて、宗教や哲学の領域になる。

「②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」には該当しないから、安楽死議論の範疇ではもちろんないのだが、無責任な他者として言えることは、「死ぬまで生きようよ」というバカみたいなことをマジメに言いつづけるしかない。
だって、
「明日、朝メシがおいしいかもしれないじゃん」
「今度またカラオケ行けるかもしれないじゃん」
「今季、阪神が優勝するかもしれないじゃん」
「明日会う誰かと生涯の友になれるかもしれないじゃん」
みたいな、どんなくだらないことを希望として生きたっていいじゃん、と思う。

生きていれば、運気も気持ちも揺動するもので、その振れ幅が大きい人が躁鬱病として、深く深く沈んでしまうのだと思う。
僕にだって悩みはあるから、いつどうなるかは知らん。

身も蓋もないことを言うと、「テロリズムと自殺は止められない」と、僕は思う。
爆弾持って突っ込んでくる人を防ぎようがないように、死のうとする人を止められる絶対の方法はない。だから、年間2万人くらいの人が、救済の網からすり抜けるように亡くなってしまう。

だけど、病魔によって明日や明後日死ぬはずではない人は、誰かに頼ってでも生きてほしいと思う。
「生きててよかった」と思える日は必ず来るからだ。

 今回このコラムを書くにあたって参考にした松田純著『安楽死尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定』(中公新書)に、ダーウィンに関する記述があり、このように書いてあった。

〈人間は肉体的な弱さを、一つは「知的能力」を駆使して「武器や道具を作製できたこと」によって、もう一つは「社会的資質によって仲間を助け、また自分も助けられたこと」によって、補ってきた〉

強い者が生き残ってきたわけではなく、適応できる者が生き残ってきたわけだから、人間は自分ひとりの力ではなく、助け合って当然だというわけだ。
そのために家族がいて、友人がいて、文学があり、音楽があり、スポーツがあり、芸術がある。世の中の、淘汰に耐えてきたあらゆるものが「生きろ」というただ一点をバカのひとつ覚えのように伝えてきているのだ。

f:id:ShotaMaeda:20200731191706j:plain

それでも、死はまったく個人的なことで、残される者と死にゆく本人の問題はまったく別のものである。
今回のALSという病気には、立ち向かって生きようとしている人たちもたくさんいる。
よく知られたところでは2018年に死去されたスティーブン・ホーキング博士だろう。博士は病気の進行が緩徐であったため、気管切開によって呼吸を保ち、合成音声でコミュニケーションをし、76才まで生きた。

しかし、今回亡くなった京都の女性はTLS (Totally Locked-in Syndrome) が間近に迫っていたのではないかという報道もあった。

ALS嘱託殺人、女性に視力失う症状 意思疎通手段喪失前の「安楽死」希望か(産経新聞) - Yahoo!ニュース

体が動かなくなったALS患者は視線入力のパソコンを使って意思疎通や表現をすることができる。ところが、TLSになると目も使えなくなり、自分の身体の中に意識が完全に幽閉(ロックトイン)されてしまうという。
こんな残酷なことがあるだろうか。

そんな病魔が自分の身にふりかかったら、僕自身はどういう選択をするのか、元気ないまは正直わからない。
動揺、悲嘆、絶望。そんな言葉では言い尽くせないし、誰にも伝えられない空白の混沌の中、「終わらせてくれ」と思うかもしれない。
なにかに頼って生きたいと思うかもしれないけど、果たして頼れるものはあるのだろうか……。

ルクセンブルクでは、安楽死法が議会を通過した際、国家元首であるアンリ大公が署名を拒否した。それに対し議会は、法律の公布に大公の署名が必要ないように憲法を改正してまで通過させたという。

アメリカでは、オレゴン州ワシントン州などにつづき、同じ西海岸のカリフォルニア州でも2015年、ジェリー・ブラウン知事(当時)が法案に署名した。

その際の知事のコメントに苦悩が透ける。
“In the end, I was left to reflect on what I would want in the face of my own death”
「最後は、自分が死に直面したときになにを望むかを考えた」

“I do not know what I would do if I were dying in prolonged and excruciating pain. I am certain, however, that it would be a comfort to be able to consider the options afforded by this bill. And I wouldn’t deny that right to others.”
「私が長期の耐え難い痛みの中で死を迎えるとしたら、自分がどうするかはわからない。しかしながら確かなことは、この法案によって、考慮できる選択肢が生まれるというのは、ひとつの慰めにはなるだろう。そして、私は他者のその権利を否定するものではない」

After struggling, Jerry Brown makes assisted suicide legal in California - Los Angeles Times

 僕も、ブラウン元知事のこのセリフ以上に言えることはないと思う。

 

(了)

 

このコラムは、以下の書籍を参考に執筆しました。

松田純著『安楽死尊厳死の現在 採取段階の医療と自己決定』(中公新書
安楽死を合法とする各国の経緯、最終段階の医療における希望と問題、尊厳と自殺にまつわる思想史まで網羅し、大学教授らしい客観的な筆致が読みやすい本です。

www.amazon.co.jp

大鐘稔彦著『安楽死か、尊厳死か あなたならどうしますか?』(ディスカバー携書)
現役のベテラン医師として死を見つめてきた著者による、安楽死尊厳死への考察。こちらの一冊も、一方の意見に偏重することなく書かれています。

www.amazon.co.jp

そのほか、「ロックトイン」については、脳梗塞によりロックトインになり、目を使った意思疎通で自伝を残した『ELLE』誌編集者の実話に基づいた映画『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年 ジュリアン・シュナーベル監督)、

www.amazon.co.jp


第一次世界大戦で顔の各器官を失い、腕と脚も切断された男の最終末期を描いた映画『ジョニーは戦場に行った』(1971年 ダルトン・トランボ監督)は、ご自分の意見形成のためにぜひご覧ください。

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)⑥最終回

DAY 6「陽気な牧場主」

 

目覚めると、目の前に牛の大群がいて慄然とした。
朝靄もやにかすむ午前六時、牛たちは水を飲みに来たのだろう。

まだ誰も起きていないから、僕は読書をして待った。本を読む余裕もないほど毎日いろいろあったから、本を開くのは行きの飛行機の中以来だった。

馬はホルター(馬の頭に装着して牽くためのロープ)で木につないでいたが、彼らは四肢で立ったまま眠ることもできるのだそうだ。
帰路はまたクレイトンにまたがり、ジェイクが違うルートを先導した。二日目になるとクレイトンとはさらに意志の疎通が容易くなり、ほぼ意のままに動いてくれるようになった。

一時間ほどかけて、ゆっくりと牧場に戻った。

f:id:ShotaMaeda:20200714190909j:plain

明日は、ギャッヴュー・ランチを離れて、カナダ人カウボーイの所に移る。
午後は芝刈り機で居住エリアのあちこちを刈った。
映画『ストレイト・ストーリー』のような、乗って運転するタイプのものだ。
運転は難しくはないが、どういうパターンでどういう順序で刈っていくか、美的感覚を求められる。

ジェイクとフェンス修理にも行った。
先に述べたように、この辺りの広大なプレイリーは、一マイル四方のセクションという単位と、その四分の一である半マイル四方のクォーターという区画で分けられている。
そして、各クォーターは大概、等間隔に打たれた杭に有刺鉄線を張って、家畜の移動を制限している。
しかし、木は朽ちるし、ワイヤーは錆びたり、腐って切れたりするから、都度修理が必要になるのだ。カウボーイの基本的な仕事と言える。

イーグルスの名曲『デスペラード』の中で、“You’ve been out riding fences for so long now” という歌詞がある。
これは、直訳すると「君は長い間、馬に乗ってフェンスのチェックをして回っている」という意味だ。
今ではフェンス修理はピックアップトラックで行くが、昔は馬に乗って何日もかけてフェンスを見て回ったのだ。
それはひどく単調で、孤独で、時に危険な仕事でもあった。だから、この歌詞は「長い間、孤独でいる」ということを婉曲に表現している。

修理のために、ジェイクはトラクターに乗り、僕は一九九〇年製の古いダッジピックアップトラックに修理道具を積んで付いて行った。
ダッジの中は土埃だらけで、速度計は故障していて、クラッチは遠く、とても運転しづらい。でも、それがカウボーイらしくてワクワクした。

途中でフェンスの外に出てしまっている牛に遭遇した。
そうやって逃げてしまう牛を見つけて、戻すのも日々の仕事の一つだ。

ジェイクは、フェンス囲いの一部にあるゲイトを開いた。ゲイトは、地面に打ち込んである杭を支柱(蝶番=ちょうつがい)にして、有刺ワイヤーでつながれた柱四本ほどを門として開けられるようにしてあるものだ。

普段は、支柱となる杭の天面と足元に留められた針金のループに、ゲイトの柱を二点で固定して閉めてある。
開けるためには、天面のループを柱より外し、足元のループから抜き、引っ張りながら弧を描くように移動させる。
全て手作りの代物だ。
(著者註:書籍ではここにイラストがありますが、手元にないので掲載できず、わかりづらくてすみません)

「俺が運転するわ」と、ジェイクがダッジに乗り込み、まず開いたゲイトから、牧草地に一度乗り入れた。
「なんでいっぺん入ったんですか?」
「轍を作っておいた方が、牛がそれに沿って入りやすいんよ」
 こういう細かいノウハウの一つひとつをどのように学んだのか、いちいち感じ入ってしまう。

牛は近づくと、避けるように逆方向に逃げる。
そうやってジリジリと、ゲイトの方へ追いやっていく。
フェンス沿いに小走りで逃げる牛がたまに逸そ れて道路側へ進路を変えると、すかさずブロックして、フェンス側に戻す。

しかし、この時は失敗してしまった。牛が突如横に走り出して、他所の土地へ走り込んで行ってしまった。
人の畑をピックアップトラックで走り回るわけにはいかないから、諦める他なかった。

修理すべきフェンスに着くと、まず朽ちた古い杭を取り去り、新しい杭を打つ。
僕はてっきりスレッジハンマーででも打つのかと思っていたが、ジェイクはトラクターのバケットで打つという。
牧場によっては、ポストパウンダーという杭打ち専用のマシーンがあるらしい。

僕が杭をまっすぐになるよう手で押さえておいて、ジェイクがトラクターを操作して、バケットの底でガン! ガン! と打ち込む。
左右の傾きは運転席から見えるけれど、前後の傾きは見えにくいから指で示してくれと言う。
ガン! と叩き込んだり、バケットを杭の上に押し付けてグリグリと傾きを修正したり、トラクターそのものが生き物であるかのように器用に操作する。

杭を地中に充分深く打ってから、有刺ワイヤーを直す。
これにはワイヤーストレッチャーという器具を使う。
長いコの字型のジャックアップのような工具で、両端にワイヤーを挟む箇所がある。そこに噛ませて、てこハンドルをキコキコと押すと、歯を一つずつ移動して片方がもう片方に寄っていく。
つまり、てこの原理を使って、ワイヤーの端と端をググーっと引き寄せる道具なのだ。こういう専用の工具があるのだ。

f:id:ShotaMaeda:20200714190814j:plain

ワイヤー・ストレッチャー

古いワイヤーの切れた部分と、杭に巻き付けた新しいワイヤーの端をそうやってギギギと寄せて、あとは腕力で結んで接続する。
ワイヤーは杭に三本通っていて、各杭にU字ステイプルで固定してある。

ジェイクの流れるような作業の手つきを見ていると簡単そうに見えるが、実際はずっと難しい。
有刺ワイヤーは硬いし、ピンと張らせなくてはいけないし、ワイヤーストレッチャーやプライヤーズ、(ペンチのこと)、ハンマーといった工具を次々手にして使いこなせなくてはいけない。
見習いカウボーイの僕は、あっちを持ったりこっちを支えたりして手伝うだけだ。

ジェイクに一つ忠告を受けた。
「前から気になってたんやけどな、シャツは入れた方がええで」
そうか、うっかり日本でのファッションのまま、僕はシャツをジーンズから出して着ていた。
しかし、言われてみればブランディングで出会った本職のカウボーイたちには、シャツを出している者はいなかった。カウボーイは必ずタックインなのだ。
なぜなら、
「ワイヤーに引っ掛けて破いたり、機械に巻き込まれたりすることもあるからな」
ということだ。

ここでは、着るもの、使うもの、履くもの、全てに意味があるのだ。
カウボーイが着るシャツは夏でも長袖だ。これも、汚れやケガから身を守るためだ。

 

明日から、キング・ランチというギャッヴューのみんなも親しいカナダ人が経営する牧場に移る。
五日間という短い間ではあったが、僕が滞在することを許してくれたジェイクのボスであるステュアート・モリソン氏に挨拶をした。

彼は、リンカやミライには「グランパ(おじいちゃん)」と呼ばれる好々爺だ。
写真を撮らせてほしいと頼むと、彼は「ちょっと待ってね」と、おもむろにカウボーイハットをかぶった。
一九八八年のカルガリーオリンピックの時に奮発して買った高級品だそうだ。今はかなり汚れてヨレているが、大切に使っている。

f:id:ShotaMaeda:20200714190945j:plain

牧場主のステュアート・モリソン氏(3年後の2018年に逝去された)

ビジネスマンとしては才覚があり、このサスカチュワン州のギャッヴュー・ランチの他にも、元々経営していたアルバータ州の牧場も全て売却はせずに一部を残し、そこの敷地には豪邸を持っているという。
七二歳になる現在でも、そちらとこちらを行ったり来たりして、また、ビジネストリップにも頻繁に出かけている。

「早く引退することが幸せなことかどうかは分からないよ。引退した知り合いの何人かはもう死んでしまった。わたしはずっと動き回ってる方がマシだな」
 ステュはそう語った。

「ジェイクとは、わたしがアルバータ州エイドリーでロデオマネージャー(ロデオ大会を仕切る責任者)をしている時に出会った。『泊まる所あるのか?』と訊いたら、『ない』って言うから、うちに泊めることにした。
帰る前に飲みに連れていったら、うっかり忘れて置いて帰っちゃってさ、悪いことしたよな、わっはっは!」
おしゃべり好きで陽気な牧場主なのだ。

「ギャッヴューが競売に出た時に、『やるか? 本当にやるか?』『やります!』『オーケー! じゃあ、スーツケース持ってこっちに来い!』って決まったのさ。忘れもしない、二〇〇五年一〇月二一日にここを買った」

「ジェイクはまだ英語もヘタな頃から、私の助手席でよく『カウボーイになりたい』って語っていた。わたしは彼の礼儀正しく誠実な人柄が気に入ったんだ。
最近では、カウボーイもなり手を探すのが大変でな。若い連中はオイルビジネスの方ばかりに行ってしまう。
ジェイクは今では、生まれた頃から馬に乗ってきたようなやつらにも劣らず馬も上手い。だから、わたしもラッキーだったんだよ」

「ジェイクがブルファイターを辞めてよかったよ。あれは危険な仕事だ。死んだやつも何人か知ってる。わたしが死んだあとも、ジェイクがここを守り、リンカがマネージャーにでもなってさ、ははは、ずっと続いてくれればいいよな」

ステュアートも、ジェイクも、望むことは同じだった。

f:id:ShotaMaeda:20200714191343j:plain

ここまでお読みくださいましてありがとう。つづきは書籍でどうぞ!

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)⑤

※DAY 5も、DAY 4につづいて殺生があります。閲覧注意ですね…。

DAY 5「命を扱う厳しさと、ジェイクの小さな夢」

 

晴れているが風の強い日。日曜日だから、仕事は遅めの開始とジェイクから伝えられていたのに、僕はまた六時半に目覚めてしまった。

馬とポニーに干し草をやっていたら、ジェイクもやって来た。
ライノに、ミネラルが入った袋と、塩の袋を積んで、牧草地へ行った。これは、牛の栄養を補給するサプリみたいなもので、牧草地のそこここに、ドラム缶を輪切りにした桶が置いてあり、その中に両方の袋を空けるのだ。
一日中草を食べている牛たちがさらにそれを舐めて、塩分とミネラル分を補う。

ジェイクは、牧場の敷地を頭の中で区切って、毎日のようにライノで順々に見回りをする。彼はまた、それが好きなのだそうだ。

「こんなこと言うたらアレやけど」と前置きしてジェイクは言う。

「俺はね、夢ってもう叶かなえてもうたんやね。もうこれ以上望むことってないねん。望むとするなら、この生活がいつまでも続くことくらいかな……」

ジェイクと僕は一歳違い。四一歳にしてそれを言える男と、今年四〇にして仕事を辞めてゼロになった僕。
いや、僕だってカウボーイをやって「みたい」という、ジェイクに比べたらいささか軟弱な夢のためにここまで来たのではないか。

嫉妬とかではなく、純粋にジェイクという男の存在が大きく感じられた。
同時に、彼がカナダ人カウボーイに交じってロープを投げる姿や、昨日のミーを解体する鬼気迫る様子を思い出しながら、彼が歩んできたこれまでの道のりの遠さを思った。

この春に産まれた仔牛たちとその母牛らがいる牧草地にも、ライノで入って行って見回りをした。
風に吹かれて、凸凹の草原を奥の方まで進むと、一頭の仔牛が群れから離れてうずくまっているのを発見した。
ジェイクが回り込んで様子を見ると、お尻の辺りにケガをしているようだった。

「コヨーテに噛み喰われたんだ」
よく見ると、赤い肉が露出していて傷は深いようだった。
「肛門周辺の肉は柔らかいから、そこを狙われるんだ」とジェイクが教えてくれた。

で、どうするんだどうするんだと、僕の頭の中には回答がない問いが巡った。
「こいつは助からないので、撃つしかない」
ジェイクの決断はあっけないほど早かった。

ライフルを取りに一旦ショップに戻った。
しかし、棚の引き出しやロッカーの中を探しても、二二口径の弾丸が見つからない。

「もっと大きな口径の弾ではダメなんですか?」
他の弾丸ならいくらでもあるので、僕は尋ねた。
「それでは、頭ごとぶっ飛んでしまう」

二二口径がハンティングや害獣駆除に最もよく使われる弾丸らしい。だから、誰かが何かの用事に使い切ってしまったのかもしれない。
弾丸を見つけることができないまま、牧場主のステュアートに報告に行った。
僕はステュの家の外で待った。
ジェイクが浮かない顔で出てきた。

「ノドを切れってさ」
ジェイクはナイフを研いでから、トラクターを出して現場に向かう。
その道中の空気は重かった。

「まぁ、ボスの言うことだからさ……」
諦めの表情で彼は言った。

「いや、いいんだよ。いいんだけどさ、俺の後味だけの問題だからさ」
それはそうだろう。離れた場所からズドン! で終わるのと、自らの手でノドをかき切らなくてはいけないのでは精神的負担が違いすぎる。

口数も少なく戻ってみると、仔牛は同じ場所にいた。
ラクターを降りると、僕はジェイクに言った。
「記録写真を撮るので、離れた所にいてもいいですか?」
それを口実に、正視したくなかったのだ。

ジェイクはロープを出して、仔牛に近づいていった。すると、これまで動けなかった仔牛が立ち上がってヒョコヒョコと逃げ出すではないか。分かるのだろうか。

彼が徒歩で容易く捕らえ、横倒しにして手足を縛るのを僕はファインダー越しに見た。振り返ると、他の牛たちがこちらを不安げにじっと見ている。その居並んだ目に、抗議めいたものを感じないでもなかった。

殺るのかと思ったら、ジェイクはナイフを取りにトラクターに戻った。嫌な時間だった。
彼は仔牛の胴をまたいだ。
ノドに何度かナイフを振るった。
そして、トラクターの傍らまで歩いていき、そこに腰を下ろした。

僕はその場から動けず、仔牛の生命が完全に消失するまでうなだれて待つジェイクの後ろ姿を眺めるしかなかった。
僕は感情の昂りを覚えて、涙を堪えた。その背中が、なんだか仔牛の命を憐れんでいるように思えてならなかったのだ。

おそらく、そんなことはないはずなのだ。カウボーイはどのみちやがて屠殺される運命の家畜を育てているのだ。命を売り買いする職業だ。
それでもだ。どうなんだろう。
結局、真相はジェイクには訊かなかった。僕にはそう見えた。それだけだ。

f:id:ShotaMaeda:20200714184017j:plain

「二日で二頭失うとはね……」
血だらけの手でトラクターを運転しながらジェイクは苦笑した。
ラクターのバケットには仔牛の亡骸が収まっている。
証拠写真を残し、保険会社に保険請求するためだ。コヨーテによる損害は保険によって補償されるという。

これは、ビジネスなのだ。

昼食の後、ジェイクはいつもソファで午睡をとる。そのソファは夜だけベッドに変形させて、僕がベッドとして使わせてもらっている。

その日は午後から家族みんなと馬に乗ってキャンプに行こうと話していた。風が強かったので、それが止むのを待っていると、夕方には弱まった。

馬の準備をして出発だ。
リンカとミライもそれぞれポニーに乗った。
ヨシミさんはキャンプ道具や食べ物を満載したライノを運転した。
僕はクレイトンと名付けられたおじいちゃん馬を借りた。荒っぽい動きはしないから安心できる。
登り坂になるとゆっくり行くのがしんどいのか突然駈ける。それ以外は、大体思い通りに動いてくれた。
メスのポニーのお尻にやたら鼻先を近づけたがるスケベジジイだ。

東へ進み、それから北へ。もしかしたら南か。どこをどう往ったのか、僕にはもう分からなかった。
ラズベリーが採れる茂みを抜けたり、丘を上がったり、とにかく先頭のジェイクに付いて行く。

大空の下、大地を覆う萌黄色の牧草が風に吹かれて、さざ波のように視界を渡っていく。
ここ、カナダのプレイリーには丘はあっても山はないから、地平線までどこまでも見晴らせる。
こんな所でカウボーイハットをかぶってのんびりと馬の背に揺られていると、空想の世界にいるような、現実感を欠いた感覚に襲われる。

f:id:ShotaMaeda:20200714183301j:plain

©Yoshimi Itogawa

テントは丘の上に張るのかと思ったら、丘を降りた池の畔にキャンプ地を構えることになった。
「まだちょっと風があるから、寒いかもしれないからな」とジェイク。
子どもたちもいることだし、それがいいかもしれない。

池は普段、牛たちが水を飲みにやって来るところだから、糞がそこここに落ちている。牛の糞は柔らかくて、地面でパイのような形状で固まることから「カウパイ」と呼ばれる。

焚火で焼いてホットドッグを作って夕食にした。
日没は午後九時過ぎ。それを眺めに徒歩で丘に上がった。太陽は地平線の向こうに沈んでからも、しばらくの間、空を赤く灼いた。

f:id:ShotaMaeda:20200714183943j:plain

日没後も焚火を囲んで、ウィスキーを飲みながらジェイクやヨシミさんとあれこれ話した。
「ジェイク、これまでに僕みたいなのが、『カウボーイさせてくれ』って来たことはなかったの?」

ジェイクは日本のテレビ番組に何度か取り上げられている。
実は僕も、そのうちの一つを偶然観ていて、出会う前からジェイクというカウボーイがいることは知っていたのだ。

「いないよ。だから今回ショータが来てくれてうれしいんだよ!」
僕ももちろん、ここに来られて、あなた方に温かく迎えてもらってうれしい。
「俺、いっぺんこういうカウボーイキャンプやってみたかってん。ベッドロールで草の上に寝るっていうさ。でも、子どもも小さかったし。今日はショータがいるから、やっとやってみようという気になったんよね」

ベッドロールというのは、かつてカウボーイたちが牛を追いつつテキサスから北方へ向かって旅をした時代に、寝袋として使ったキャンバス製のブランケットだ。
普段は革ヒモで巻かれてサドルの後ろに括られている。
寝るときには、それに包まって、星を眺めて眠ったわけだ。

夜も更けて、僕は大型テントの中でヨシミさんや娘たちと川の字になるか、野外で寝てみるか、一瞬考えた。
女性たちの中に入るのは抵抗があったけど、ヨシミさんは「かまへんで」と言ってくれていた。

僕は寝袋をジェイクから少し離れた、なるべく牛糞のない辺りの乾いた場所に敷いて星空の下で眠った。

だってこれが、ジェイクがやり残していた、小さな小さな夢だったのだから。

(DAY 6へつづく…)

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)④

※このDAY 4は残酷な描写を含みますので、閲覧注意でお願いします。しかし、都市生活者の視点からは残酷でしょうが、牧場では当たり前のことなんですね…。

DAY 4 「牛の解体」

 

ミーが死んだ。

その日、僕はディーンの家の荷物整理を手伝って、不要な段ボールを焼却炉で焼いたりしていた。この辺り一帯では広すぎてゴミ収集の行政サーヴィスはない。
各自の敷地内で焼却処理するようだ。

ギャッヴュー・ランチにはドラム缶の焼却炉があり、燃やせないもの以外はなんでもそこに放り込んで燃やすのだ。
僕はそれがなんだか楽しくて、燃え盛る炎を眺めていたらまつ毛を燃やしてしまった。昼食の時にはそれをリンカやミライに笑われて、和やかな土曜日だった。

f:id:ShotaMaeda:20200713171137j:plain

朝には、僕が動けないミーに干し草と水をやったのだった。

ジェイクとは、夕方からロデオを観に町へ行こうかと話していた。
昨日がハードな一日だったから、牧場内の施設や機械を見せてもらったり、トラクターの運転を教わったり、割合ゆったりとした日だったのだ。

そろそろアリーナから一度家に戻って出かける準備でもするか、という頃、ふと目をやるとミーが横倒しになっているではないか。
不自然さを感じて、それをジェイクに伝えると、彼が寄っていって確認した。
「死んでるわ」
 僕は、言葉が出なかった。

「ちょっと今日はロデオ観戦は中止やな。死骸を処理せなあかん。ええかな?」
「ええ、もちろん」
 緊急事態だから、処理というのが何を意味するとしても、僕はジェイクと一緒にやる覚悟を瞬時に決める他なかった。
アリーナ内の空気が突如張り詰めたようなひんやりしたものに変わった。

「バラして、肉は犬のエサにする。ちょっとそこおっといて」
と、ジェイクはまずトラクターを取りに行った。
リンカもやって来て、絶命したミーを目にした。彼女は、僕がここに来る以前からミーを世話していたから、ショックだったろう。
ラクターで戻ってきたジェイクに、「ミーのお墓を作りたい」と瞳を潤ませてせがんだ。
「ダメだ。肉を無駄にはできない」
 ジェイクはいつになく厳しい口調でリンカの願いを言下に退けた。

「埋めてあげたい。パパ、ダメ? ねぇ、ダメ?」
と、なおも食い下がるリンカを、ジェイクはその度に「ダメだ」と諭し、鬼気さえ背中に漂わせて、ミーの解体の準備を始めた。

ジェイクは事前に僕に言った。
「もしも、気分が悪くなったりしたら、向こうに座っててもいいから」
「はい、大丈夫です……」
たぶん、尋常でない雰囲気に僕の顔は青ざめていたことだろう。僕は、血は苦手なのだ。
だけど、志願してカウボーイをしている以上、そうも言っていられない。平静を装って、彼の指示を待った。

ジェイクはまず、ミーの首にナイフを入れて血抜きを行った。
ミーの後ろ足に鎖を括りつけて、それをトラクターのグラッポー(物を掴つかむツメの部分)につなげる。
ラクターを操作して、ミーの大きな体を逆さ吊りに持ち上げていく。
ミーの鼻から血と体液が流れ出て、土の地面に血溜りを作った。
足首にナイフをグルリと一周させ、脹脛(ふくらはぎ)へまっすぐ下ろして皮を剥いでいく。

f:id:ShotaMaeda:20200713171225j:plain

僕はまだ見ているだけだったが、ジェイクがもう一方の足に取りかかったあたりで、恐るおそる手伝い始めた。
皮下脂肪に刃を入れて、ザリザリと皮と肉を離していくのだ。まだ体温を持ったミーの肉体が、血と脂肪のにおいを上らせる。
お腹を縦に切って、さらに皮を剥いでいく。
削いだ皮はヌルついていて何度も握り直さなくてはならない。ナイフも鈍なまくらになっていくから、ジェイクはアリーナ内のキッチンに砥石を用意して、ときおり研ぎ直した。

下半身の皮が「脱げた」ような状態になると、ジェイクは肉が剝き出しになった胴体を割いて、内臓を出した。
ブスーっと体腔からガスが出て、腸や臓物がドチャドチャッと音を立てて地面に落ちた。湯気が出ていた。
においも強くなり、僕は顔を背けた。かがんで臓物を手でかき集めるジェイクのキャップに、血がドボッとこぼれたが、彼は気にする様子もない。

それから、彼はミーの遺骸を吊り下げたままトラクターを外の草地に移動させ、首を落とした。
皮を完全に剥いだあとは、肉を削いでいく。
このあたりになると、もう牛は死骸というより肉の塊になっている。立派な牛肉と思えば気持ち悪さはほとんど感じることなく、僕は作業に集中できた。

草の上に新聞紙を敷いて、肉の塊を置いていく。段々とミーが肉片の残った骨の姿になっていった。
関節もナイフで切り分けて、細かくしていく。
最後にビニール袋に小分けして、冷凍庫に保存する。少しずつ解凍して犬たちに与えるためだという。業務終了だ。

かなりの重労働だったが、とにかく多少なりとも役に立てて、僕はほっとした気持ちだった。

頭部や内臓など不要な部分は、ジェイクが牧場の裏手に埋めてきて、背骨と肋骨の部分はアリーナに戻して放置し、早速犬に食わせていた。

リンカは、ミーの耳に付けられていたタグを地中に埋めて「お墓」を作ったようだ。

(DAY 5につづく…)

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)③

DAY 3 「ブランディング

 

 三日目にして、ビッグデイを迎えた。ブランディングである。ブライアンとチャドという親子が経営する牧場へ、牛の焼印捺しの作業を手伝いに行くのだ。

 焼印をブランド、それを捺す作業をブランディングと呼ぶが、広告業界で言う企業のブランディングとは、つまりこれが語源になっている。

カナダのサスカチュワン州では、家畜である牛や馬に焼印を捺して持ち主を明示することが義務づけられている。
牛なら最小で縦七五ミリ、横五〇ミリのサイズで、右肩・左肩・右のアバラ、左のアバラ・右の尻、左の尻のいずれかの位置に捺す。
位置は牧場ごとに決められている。これは、同じマークでも位置によって区別ができるからだ。馬なら縦五〇ミリ、横二五ミリで、左右いずれかの顎・肩・尻である。

大文字のQはOと紛らわしいので使用不可。数字の0や1も除外される。
アルファベットや数字を横倒しに使うこともあり、それらはレイジー(怠けた)と言われる。
その場合も、Zと間違えるのでレイジーNは禁止。レイジーI(アイ)、レイジーU、レイジーVも不可、などと事細かに規定が定められている。
州のブランド登録事務所に第三希望までを申請し、規定に則っていて、近隣に似たブランドがないことが確認されると、晴れてその記号がその牧場のブランドマークとして認められる。

カウボーイにとって、ブランディングは自分の財産を守るための重要な仕事なのだ。

牛に焼けた鉄を押し当てて自分の所有を示す印を付けるという行為は、元々はスペイン人が北米に持ち込んだという。それ以前に、牛という動物自体、スペイン人がアメリカ大陸に運んできたものが繁殖していったのだ。

コロンブスアメリカ大陸を発見したのは一四九二年であるが、翌九三年から九六年の二度目の航海では家畜として牛馬を連れてきている。九四年に現在のハイチ共和国に陸揚げされたのが、新大陸における初めての牛馬だったのではないかと考えられている。

前回の航海で大陸を発見して、この時にはすでに恒久的な植民の意志があったということだ。牛は食糧の他、皮革や油脂の供給源として、馬は軍用として重宝された。

畜産は西インド諸島の温暖な気候に適していたため、牛たちは瞬く間に繁殖していった。
一六世紀前半に、スペインの探検隊を率い、のちにメキシコの副総督に就くグレゴリオ・デ・ビラロボスがまず牛をメキシコに上陸させた。

馬に関しては、アステカ王国を滅亡させた征服者のエルナン・コルテスが持ち込んだ。馬の機動力を活かして、原住民との戦闘を有利に進めたという。

一六世紀半ばには、すでに牛はメキシコ領内で増えすぎている状態になった。そこで、牧畜をしながら伝道に従事していた修道士たちが、メキシコ人であるインディオや黒人に牛馬の世話をさせた。彼らは、スペイン語で牛をvaca と言うことから、ヴァケーロと呼ばれた。のちに北米でカウボーイと呼ばれる者たちの始祖である。

一七世紀になると、スペイン政府はメキシコでの土地の所有を保護するようになった。所有権を正式に認める代わりに、それに応じた税を課して新しい財源としたのである。
すでにその地域である程度の権力者となっていた牧場主と、布教の使命を帯びた修道士たちは、現在のニューメキシコ州アリゾナ州テキサス州といった南西部に徐々に領地を広げていった。

一八世紀の間に、牧畜に適した南西部の温暖で乾燥した土地において、スペイン人たちは働き手であるヴァケーロの不足やインディアンの襲撃や牛泥棒の跋扈にもかかわらず、牛たちを順調に増やしていった。
一七六九年にカリフォルニアに初めての伝道所が設置され、そこでも放牧は行われた。

簡単に述べると、北米に家畜がもたらされた経緯は以上のようなことになる。
その歴史は、神田外語大学教授であった鶴谷壽氏による『カウボーイの米国史』(朝日選書 一九八九年)という書物に詳述されている。
鶴谷教授は「牧畜だけが、テキサスやアメリカの西部に生き残った唯一のスペインの遺産とも慣習ともいえる」と、興味深い指摘をしている。

カナダに家畜としての牛馬がやって来るのは一八四六年である。
イギリスの毛皮交易会社であるハドソンベイ・カンパニーのドクター・ジョン・マクロウリンが、コロンビア川沿いの交易拠点であったフォート・ヴァンクーヴァーから、船でヴァンクーヴァー島に連れて来た。
六〇年代に、カナダにも次々と牧場が開かれていった。その担い手の多くはイギリスからの移民だったが、アメリカから国境を越えて来た者たちもいた。

その頃、つまりテキサスが一八三六年にメキシコから独立を宣言したことから起きた四〇年代の米墨戦争、四九年に絶頂を極めたゴールドラッシュ、六一年に始まり六五年に終結した南北戦争といった歴史の激しいうねりを経て八〇年代のあたりまで、牧畜業はアメリカ西部の経済活動の大きな部分を占めていた。

しかし、家畜は誰にも属さない公有地に放たれていた。複数の牧場主の所有する牛たちが、同じ土地に混在していたわけだ。だから、自分の財産である牛は焼印を捺して目印を付ける必要があった。
しかも、野生の牛は捕まえて焼印さえ捺してしまえば自分のものにできるという風習まであったのだ。

サミュエル・A・マーヴェリックという男は「焼印のない牛はすべてわたしのものだ」と豪語して、あえて焼印を捺さなかった。
彼の権力が強いうちは、人びとは焼印のない牛を見ると「あれはマーヴェリックさんのものだ」として捕らえはしなかった。

南北戦争後、荒廃した土地に野生の牛があふれると、カウボーイたちはそれらを「マーヴェリック」と呼んで大いに捕獲したという。
こうして、英語でマーヴェリックというのは、「所有者不明の焼印のない牛」という意味と、転じて「無所属の者」「異端児」「一匹狼」という意味を持つようになった。

こういった歴史を持つブランディングだが、その方法は一五〇年前から現在に至るまで、基本的なやり方は変わっていない。
その日、僕が目にしたのは、原始的とも野蛮ともいえる、実に粗暴な世界であった。

 

ジェイクとリンカ、ディーン、そして僕は、馬を運ぶためのホース・トレイラーを牽いたピックアップトラックで、約二時間離れたエステヴァン郊外の牧場へ向かった。
到着すると、すでにそこはホース・トレイラーが並んでいた。
友人たちや周囲のカウボーイたち三〇名ほどが馬を連れて、手伝いに来ているのだ。

カウボーイたちは人手が要るブランディングの際には、お互いの牧場に出向いて助け合う。ホストとなる牧場主はビールや食べ物を大量に用意して、来た人たちを出迎える。

鉄柵で囲われた中に仔牛がウジャウジャいる。
仔牛といっても、生後ひと月半程度にして体重は八〇から一〇〇キロほどに育っている。
仔牛たちは、鉄柵の外にいる親牛たちに向かって助けを求めるように鳴き声を上げている。親牛たちも呼応して声を振り絞って我が子を呼ぶ。

f:id:ShotaMaeda:20200710190333j:plain

鉄柵を越えて中に入ると、まずその喚声に圧倒される。
間近で見る興奮した牛たちの動きや、所構わず垂れ流す糞やヨダレも、僕の恐怖感を煽あおる。

僕たち一行は少々道に迷って遅れて来たため、すでに作業は開始されていた。カウボーイたちは皆ハットにジーンズ、足元はブーツで堂々として見える。
そんな中に日本人カウボーイのジェイクはズカズカ歩いていって、知り合いたちと挨拶を交わす。

ブランディングの仕事は、大きく分けて馬に乗ってロープを操るグループと、地上で作業をするグループに分かれて行われる。
細かくは、焼印を捺すだけではなく、個体識別の耳タグ、予防接種の注射、駆虫剤の塗布、角が生えそうな仔牛にはそこを焼いた鉄棒で焼き潰す作業、オスには去勢と、多くの作業を分担していっぺんに片づけるのだ。

まず、鉄柵の中で馬に乗ったカウボーイが、ロープを投げて仔牛の後ろ足を捕らえる。
両足捕まえられたらなおよい。
彼はすぐにロープをサドルの前部に付いているホーン(角)に巻き付ける。それをしないと牛の力に人間の腕力では勝てない。
ロープの強度と馬の牽引力を用いて、仔牛を鉄柵の一方だけ開いた側へ引きずっていく。

柵を出たあたりで、ヘッドキャッチャーという鉄製の器具を構えて、地上班が待ち受けている。これは、中央で二つ折りに可動する楕円形の輪だ。端にはヒモにつながった鉄のペグが付いていて、地面に打ち込まれている。

馬にズルズルと引かれて来た仔牛の頭にタイミングよく輪っかを掛ける。馬が、足を捕らえられたままの仔牛を引いて進み続けると、やがて輪っかはペグで固定されたヒモによってピンと張る。

つまり、頭はヘッドキャッチャーで引っ掛けられ、脚は馬に引っ張られ、仔牛は身動きが取れなくなる。
そこに各担当の地上班が駆け寄り、一連の作業を順に行なっていくのだ。ヘッドキャッチャーは三つ用意されていて、三列で次々に流れ作業をこなしていく。

f:id:ShotaMaeda:20200710190107j:plain

耳タグはピアスを打つ器具の巨大版みたいなものだ。表と裏、ふたつのパーツに分かれた円形のタグを取り付けたピアッサーで、耳をガチンッ! と挟む。すると、二つのパーツが一つに噛み合う仕組みだ。

駆虫剤は犬や猫の首元に垂らすノミの駆除剤と同じ要領だ。水鉄砲のような器具で仔牛の胴体にシャーッとかける。
皮膚から血液中に浸透して効果を発揮する。
これは成分にアルコールを含んでいるから、引火しないように、焼印を済ませた最後に行うとのこと。

カウボーイは常に最高の効率と安全を追求して仕事にあたるのだ。

焼印捺しは、普通は牧場主が直々に行うものである。自社の商品にブランドマークを入れるのは、やはり最も責任が重い工程だ。
ところが、この日はなぜかディーンがもう一人の男と交代でやっていた。それだけ信用されているということか。

鉄柵の外に置いたグリルで火を起こし、先端にブランドマークのある鉄棒(ブランディング・アイアン)を真っ赤に熱する。

三列のヘッドキャッチャーへひっきりなしに仔牛が運ばれて来るから、常に適切な温度を持った鉄が用意できるよう、ブランディング・アイアンは複数本がグリルに突っ込まれている。角を焼き潰すための、先端が丸い鉄棒も一緒に熱せられている。

f:id:ShotaMaeda:20200710190038j:plain

耳タグや注射などの作業が済むと、ディーンは周囲に気を配りながら、アイアンをグリルから取り出す。
この牧場では、ブランドの位置は右の尻なので、彼はそこに慎重に鉄を当てる。ジュウゥーと皮膚と獣毛の焼ける匂いが煙とともに立ち上ぼる。
当然仔牛は、「オオウアァァ~!」「ウエェェ~!」と断末魔のような叫び声を上げ
る。

ロープで引きずられる時点で、仔牛は殺されるような恐怖を露わにして、白目を剝き、ヨダレを撒き散らして、必死に大声を出している。
それが焼印によって頂点に達する。

f:id:ShotaMaeda:20200710190135j:plain

それをおよそ二五〇頭繰り返すのだ。阿鼻叫喚とはこのことだ。

ただし、牛の皮膚は人間の五倍も分厚いため、痛みや熱さにはめっぽう強い。
全てが済んで解放された仔牛は、スッと立ち上がり、何事もなかったように親牛の元へ帰っていく。
中にはショックでしばらく立ち上がれないものもいるが、カウボーイが追い立てればやがて去っていく。

僕も男性の一人として、正視に堪えなかったのは、去勢である。ジェイクは、着いて早々、去勢係を買って出た。
僕は何が起きているのかまずは把握するため、初めのうちはビールを飲みながら状況を見ていた。

ヘッドキャッチャーによって横臥させられた仔牛の生殖器を確認した誰かが、「オスだ!」と叫ぶ。
すると、ジェイクは医療用のメスと消毒液を持って駆けつける。
バケットをぶら下げたリンカもあとに続く。
ジェイクは膝をつき、なんのためらいも見せずに、まるで手練れの自動車整備士がタイ
ヤ交換でもするかのように滑らかな動きで事に当たる。
スッと陰嚢を横一文字に切った。そして、それを左手で握って、切れ目から二つの睾丸
を絞り出す。白くてツルッとした質感はまさに白子だ。
指でズルズルーッと引き出して、玉につながった精細管をチョンと切る。睾丸はリンカが差し出す容器に入れ、精細管はポイと捨てる。
最後に、傷口に消毒液をぞんざいに塗ってハイ終わり。

見ているだけで、痛く、哀しい……。

体格のいいオスは、「ブル」として種付け役になる。しかし、通常のオスは生まれてひと月やそこらで去勢されて「ステア」と呼ばれるようになる。
去勢されると大人しくなるので、肉質や革質に良い影響を与える。

「俺たち一七〇センチそこそこの男がもしも牛だったら、間違いなく去勢されて、あとは屠殺されるのを待つだけ。たまらんよなぁ」と、ジェイクはしみじみと話した。

「ブルは、メスの中に放たれて我が世の春ですね」と僕が言うと、彼はこんなことも教えてくれた。
「だけどな、ブルはブルで大変やで。その最中に他の牛があの巨体で横からドーンと体当たりしてきたりすると、アレが折れてまうんや。ポキッと」
「うわ。アイタタタ……」
「そうなったら用なしやから、殺されるしかない」

オスというのは、消費されるだけの、厳しい世界に生きている。毎年子を産まされるメスもそうなんだと、分かってはいるけれど……。

開始して二時間ほどは怖くて入っていけず、僕はあちこちで写真を撮ることに専念していた。獣たちの咆哮と、カウボーイたちの迫力に気圧されて、全くなす術がなかったといっていい。

その時は焼印を捺すのが本来は牧場主が担当するような重要なこととは認識していなかったから、ディーンに訊いてみた。
「これなら僕にもできるかな? 捺せばいいんだろう?」
「いや、これはやめといた方がいいよ。力加減がちょっと難しいんだ。押し過ぎれば皮膚を破いて酷ひどい火傷をさせてしまうし、弱すぎればブランドがうまく付かない」

仕方ない。まだ三日目だがせっかくブランディングに参加させてもらっているのだから、それらしいことをしなくてはいけない。
馬に乗ってロープを扱うのは問題外に難易度が高いので、ヘッドキャッチャーで牛を捕まえて、押さえ付ける役割をやってみるしかない。

僕は何度も躊躇して、何度も自問して、やっと勇気を振り絞って、一人のカウボーイに声をかけた。
「やってみてもいいか? 教えてほしいんだ」
「ああ、もちろん。持ち方はこうだ」

彼はヘッドキャッチャーの構え方を見せてくれた。くの時に折れる輪っかを両手で持って、後ろ向きに引きずられてくる牛に対して半身になる。目の前に来たところで、タイミングよく頭に引っ掛けるのだ。
それからすかさず、組み伏せる。
鉄製のヘッドキャッチャーはずしりと重い。

一頭の仔牛がこちらへ来る。緊張が全身を走る。
失敗!

輪の掛かり具合が浅くて、頭から外れてしまった。牛はそのまま引きずられて行ってしまう。ヘッドキャッチャーはペグで地面につなげられているから、それを手にしてこれ以上追うことができない。

「しまった!」と思った時には彼が飛び出し、猛然と仔牛にタックルして引き倒していた。
暴れる牛と格闘してなんとかねじ伏せたようだ。

次はなんとか頭に掛けたが、今度は深く入り過ぎて、仔牛に組み付く僕の横で誰かが、
「首が締まってるぞ! 頬骨に引っ掛けるんだ!」
と大声で言っている。
僕は仔牛を押さえるのに必死でそれどころではない。
何人かの男たちが助けてくれて、ヘッドキャッチャーをずらす。
仔牛は観念するのかと思ったが、そんなはずはない。暴れ回ろうとして、必死で抵抗
する。
「前足を取れ!」
「手首を握って、上に引っ張ってろ!」
「そのままだ!」

色々なカウボーイたちに助けてもらいながら、なんとか仔牛の前足をキメた状態に持っていくことができた。
しかし、その腕力の強いこと。それを抑えるのも僕の腕一本。僕が引く力と、ヤツが押してくる力で勝負だ。
「動くんじゃねえ! このクソ野郎!」
 思わず日本語で悪態をついた。そうこうしているうちに、ディーンが焼けた鉄棒を持ってやって来る。
今仔牛が暴れたら、僕の太腿ももあたりをジュゥッとやられそうで、
こちらも必死だ。
「OK!」と誰かが言ったのを合図に僕は仔牛を放した。

f:id:ShotaMaeda:20200710190212j:plain

やる前は怖くて足が震えたが、やったあとは力を使い過ぎて手が震えた。次の仔牛に対応しようと、立っていると、馬上のカウボーイの一人が、
「そいつを一人にするな」
と地上班に指示を出した。
そいつとは、もちろん僕のことだ。
周りが助けてくれるのはありがたいことだけど、なんとも恥ずかしいことだ。そして、密かに、……傷ついた。

結局、四頭挑戦して二頭失敗。これではカウボーイ失格でも仕方がない。

ジェイクを見ると、今度は馬の上から仔牛に向かってロープを投げている。巧みに馬の方向と仔牛への距離を調整して、頭の上でロープの輪を回す。
タイミングを見て、狙った所へスッと投げる。この一連の動作を習得するのには、途方もない時間と訓練がいったことだろう。

ジェイクも日本人で、初めからこんな芸当ができたわけではないはずだ。それが今、こうしてカナダ人のカウボーイたちに溶け込んで、自分の役割を果たしている。

一度、ジェイクが投げたロープが仔牛に掛かり、逃げる仔牛に合わせて馬をターンさせる際、何かの拍子に自分の馬の尻と尻尾の間にロープが渡るような格好になってしまった。
すると、馬は気持ちが悪いのか、後ろ脚を跳ね上げてバッキングし出した。
ロデオのような危険な状態だ。ジェイクが落とされたらケガするかもしれない。

馬は四度ほど跳ねたと思うが、ジェイクはバランスを取って持ちこたえ、馬の動きを制御することに成功した。

見ていた全ての人間がジェイクに拍手を送り、口笛も飛び交った。
僕の目に、照れ笑いするジェイクの姿が眩しく映ったことは言うまでもない。

f:id:ShotaMaeda:20200710190236j:plain

夕方になって、全頭を処理し終えると、牧場主が用意したホームメイドのハンバーガーをみんなで頬張って、お互いを労って解散だ。
僕はなんの役にも立てなかったが、ブランディングというものに立ち会えただけで満足で、興奮がしばらく収まらなかった。

助手席から広い空と草原ばかりの風景を眺めて帰る途中、ジェイクの友人であるデイルの家の前を通るので、立ち寄ることになった。

デイルは、もう子どもたちは独立して、道路から私道を入った瀟しょうしゃ洒な邸宅に奥さんと二人で暮らしている。
庭には柵で区切ったコラルがあり、馬を二頭飼っている。
彼の職業はガス検査員ということなのだが、溜息が漏れるほど裕福な暮らし向きだ。
コラルの奥には真っ青な空を映す湖が広がる。しかし、これは大雨の時に自然と草原にできた池で、そのまま湖としていつまでも残っているものだという。

灰色の口髭を生やして、愛嬌あるクリクリした瞳のデイルは、僕ら一向を気さくに迎えてくれた。
「ビール飲むかい?」

ジェイクも僕もブランディングの会場でビールは散々飲んできたのだが、もう一本いただいた。
「ジェイクは遥はるばる々日本からやって来て、わたしが夢見たような暮らしをしている。簡単なことではないと思うよ。すごいことだ」

ジェイクは島根県で生まれ、熊本での大学時代に乗馬クラブでアルバイトをした。
そこがウェスタン乗馬のクラブで、各スタッフにアメリカ風のニックネームを付けて呼んだ。
だから、彼はカナダに来たからカナダ人が呼びやすい名前を自分で付けたのではなく、もう人生の半分ほどを「ジェイク」という呼び名で生きているのだ。

乗馬クラブで、彼は馬に興味を持ち、やがてロデオに熱中するようになった。大阪で就職してからも、同じ趣味の仲間たちとカナダに弾丸旅行を繰り返し、ロデオ大会に参加した。

そのうちに選手としてよりも、「ブルファイター」という立場に楽しみを覚えるようになった。
ブルファイターというのは、ロデオ会場で活躍するピエロの格好をした男のことだ。ブルから落ちた選手を助け起こしたり、ブルの気を引きつけて安全を確保したり、観客を楽しませ大会を盛り上げる縁の下の力持ちといったところだ。

現在の雇い主であるステュアートと出会ったのも、カナダのロデオ会場だ。彼は、日本でアルバイトを九か月して、残る三か月はカナダでロデオ三昧をするという一年間を何度か繰り返した。
平日はステュアートの仕事を手伝い、週末になるとあちこちのロデオ大会に出かけるというサイクルだ。
すでに日本でヨシミさんと結婚していて、長女のリンカもいた。

ところが、ある日、日本にいるジェイクにステュアートから国際電話がかかってきた。

「わたしが経営しているアルバータ州の牧場を売って、今度サスカチュワン州にもっと広い牧場を買おうと思っている。働き手が要るんだが、お前やらないか?」

ジェイクと、その家族の運命を変えた一本の電話だった。

(DAY 4 へつづく…)

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)②

DAY 2 「カウボーイって今でもいるんですか?」

 

朝六時半に自然と目が覚めた。会社員時代にはまずなかったことだ。

僕は電通という広告会社のコピーライターだった。コピーを書くだけでなく、イヴェントをプロデュースしたり、ブランド・コンサルタントのようなことをしたり、海外の支社でも働いた。

電通には能力の高い上司や先輩、後輩が多かった。有能と表現するよりも、関西弁で言うところの「おもろいヤツ」が多かった、と言った方が的確な気がする。
おもろいくらい口が達者な営業マン、おもろいくらい頭のいいマーケター、おもろいくらい次々とおもろいアイデアを出すクリエーティブ社員。社内だけでなく、一緒にプロジェクトにあたるデザイナー、プロデューサー、演出家、カメラマン、制作会社、企画会社、イヴェント会社、PR会社などのスタッフの中にも、仕事を越えた友情を結んだ人たちがいる。

広告の仕事は、傍から見えるほど華やかなものではないが、それでも日本中・世界中のあちこちに行かせてもらう機会があったり、様々な業界の人に会えることが仕事の喜びの一つだった。

給料も悪くなかった。若い頃からそうであったわけではないが、一五年近くも働いていると、充分すぎる額の給料をもらっていた。それでも僕は、それら一切を捨てても、カウボーイについて深く知りたかった。

いや、カッコつけすぎた。電通での仕事はストレスが高かったし、組織が巨大化・グローバル化するにつれ、日本のどの大企業とも同じように、官僚化・硬直化が進んでいた。僕はそれに一生付き合うつもりはなかったから、僕にとっての潮時だったのだ。

「会社辞めてカウボーイする」と人に言うと、一人残らずこう訊いてきた。文字通り、一人残らずだ。

「カウボーイって何するんですか?」

次の質問も決まっていた。
「カウボーイって今でもいるんですか?」
「基本的には牛を育てて食肉業者に売る。これが仕事。それをどうやっているのかを、これから見てくる。カウボーイは今でもいるし、今でも馬に乗って仕事しているはずなんだ」
僕はいつもそのように答えていた。

ジェイクは七時前に起きてきて、彼が「ライノ」と呼ぶ二人乗りの四輪バギーに同乗して、牛の見回りに出かける。僕に牧場のひと通りを見せてくれる意味もあったのだと思う。

f:id:ShotaMaeda:20200702170442j:plain
ライノはヤマハの四輪バギーのモデル名だが、ジェイクは一人乗りの四輪バギーである「クワッド」と区別するために、現在のものはヤマハ製ではないのだが、そう呼んだ。

ジェイクが働くギャッヴュー・ランチは、広大な敷地のほぼ中央に居住区域があり、南東にジェイクの家、やや離れて南に牧場主のステュアート・モリソン氏の家があり、そして、通りを挟んだ西側にその息子のディーンが住んでいる。

ジェイクの家屋の前にはサッカーのフィールド半分ほどの敷地があり、その中央部をフェンスで囲ってロバを飼っている。

f:id:ShotaMaeda:20200702170527j:plain

その北側に馬の競技や調教を行うアリーナ兼厩舎、東側に工具や機械類がある「ショップ」と呼ばれる作業場と納屋(バーン)があり、西側にもう一つ古いバーンがある。
そのバーンの隣りの草地もフェンスで囲われていて、馬が二頭いる。他にもここからは見えない放牧地に馬はいるが、手に入れて間もない馬や、具合が悪かったりして見えるところに置いておきたい馬はそこに入れるようだ。

f:id:ShotaMaeda:20200702170549j:plain

ショップ

それぞれの場所へ徒歩で向かうといちいち時間がかかるから、ライノやクワッドを使って牧場内を移動するのだ。

ジェイクの運転するライノで牧場を出て、放牧地へ向かう。昨夜とは別のテキサスゲイトを越えて、東の方の丘へ向かっていく。これまでに自分が付けた轍を踏襲しながら、ジェイクは見回りを行う。

仔牛は春から初夏に産まれるように、種付けの時期をコントロールしているが、遅れてこの七月の半ばに産まれてくる場合もあるから、主にそれをチェックしている。

それにしても、広い。空が大きい。ギャッヴュー・ランチは東側の土地が隆起していて、あとは三方向ともほぼ平らな大地が広がる。だから、東の丘から眺めれば見渡す限り、若芽色の牧草地帯とポコポコと積雲が浮かぶ涼しげな七月の空が視界に満ちるのだ。

そこここにオレンジ色のポンプジャックが稼働しているのが見える。石油掘削機だ。巨大な機械も、ここから見るとオレンジ色の小鳥が地面を啄ばんでいるように映る。
僕はあまりの広大さに息をのんだ。
「これ全部がジェイクのところの土地なんですか?」
「いや、全部じゃないけど、あのへんからあのへんまで……」
と、ジェイクは遠くの彼方を指さした。

f:id:ShotaMaeda:20200702170822j:plain

左手に見えるのがポンプジャック

カナダのサスカチュワン州を飛行機から見下ろすと、きれいに正方形に土地が区切られているのが分かる。それをセクションという単位で呼ぶ。
一平方マイルの大きさだ。そして、さらによく見てみるとその正方形は「田」の字のように四分の一に仕切られている。これを一クォーターという。
つまり、一マイルが一・六キロメートルでその半分だから、八〇〇メートル四方の土地だ。

ギャッヴュー・ランチの敷地は、一二・六二五セクションある。これは、八〇八〇エイカーということになり、約三二・七平方キロメートル。
広すぎて理解しにくい場合に日本人はよく東京ドームでたとえるが、この場合、およそ七〇〇個分にあたり、結局想像もつかない。

さらに丘を上ったり下ったりしながら牧草地を走る。轍があるとはいえ、ジェイクがこの茫漠とした土地を自由に走り回って、よく迷子にならないものだと変に感心してしまった。

七月半ばでも、カナダの朝は涼しい。ライノでスピードを出すと風が冷たい。
ゴアテックス上着を着て来てよかった。ハットを飛ばされないようにやや俯き、振動でよろけないように助手席の支柱を握る。

「とうとうカウボーイの牧場まで来たんだな……」という実感が湧いてきて、ニヤニヤしてしまう。

牧場に戻ると(牧草地も牧場の一部だが、本書では分かりやすく区別するために家屋やショップがあり生活をするメインの敷地を牧場と呼ぶ)、アリーナへ案内してもらった。

ここは、体育館ほどの大きさの建物で、入り口を入ってすぐ右手に干し草が貯蔵してあり、左手の小部屋には家畜用の薬品や難産の牛を介助する医療器具などが置いてある。ジェイクは毎朝ここでコーヒーを沸かす。

奥が鉄柵で囲われた砂地になっていて、ここで馬の調教をしたり、ロープで牛を捕らえるローピングの競技大会などを開催したりする。
柵のそばの倉庫部屋に、サドル(鞍)やブライドル(馬勒や手綱)やスパー(拍車)などの馬具が保管してある。

入り口から一〇メートルほど入った所に、黒い牛が一頭、四肢を折って腹這いになっていた。
聞けば、このミーと名付けられた雌牛は障害があり歩行困難なため、群れから切り離してこちらで面倒を見ているのだという。尿結石を伴う疾病のため、お腹に穴を開けられて、糞尿を垂れ流しの状態で、寝たきりになっているのだ。
確かに、お尻のあたりは尿で濡れていて、糞もそこに溜まっている。
ジェイクがその糞を干し草用の大きなフォークでかき取る。

間近で見る牛を、怖いとは思わなかった。
黒い巨躯を伏せて、ときおり「ウオォォ~」と苦しげな声を上げる様は、彼女がすでに半分モノになりかけていることを表していた。

「助からへんと思うんやけど、どうしたもんかな……」
ジェイクは困った顔で言った。生き物としてのミーは気の毒であったが、仕事の場である牧場としては、厄介な懸案事項であった。体重が優に六〇〇キロを越えていて、移動させるのも人間の力ではままならない。

 

ジェイクが牧場で働く仲間たちを紹介してくれた。
ロジャーは七九歳。しかし、白髪のヒゲを蓄えて、野球帽をかぶってなにやら巨大なマシーンで颯爽と登場してきた姿は、八〇近い老人とは思えない。アルバータ州カルガリーから、サスカチェワン州のギャッヴュー・ランチまで九〇〇キロを運転して、数日間だけ手伝いに来てくれているという。

握手を交わすと、七九歳の掌は分厚すぎて、僕の指がほとんど回らなかった。こちらの手が華奢すぎて恥ずかしくなったくらいだ。

彼は、トラクターの後部に取り付けた長大な金属のマシーンを操作して、ヘイベイルという干し草を巻いたものを運んでいる。
ヘイベイルは直径一八〇センチほどもあり、重量は先ほどのミーと同程度の五、六〇〇キロもあるという。それを牧草地から一度に十四個運んできて、牧場の南側の敷地に降ろし、並べていく。

ベイルというのは「貯蔵」という意味だが、まさにこうして、家畜の食糧である草を貯蔵していくのだ。

f:id:ShotaMaeda:20200702171257j:plain

次に紹介されたのは、牧場主の息子であるディーンだ。
彼もまたデカい。後日訊いたら一八〇センチ台半ばだったが、堂々たる体格が、実際の身長以上に大きく見せるのだろう。
口の周りは黒々としたヒゲで覆われ、それが癖なのか、ややしかめたような表情をする。しかし、口を開くと拍子抜けするようなやさしい話し方で、ちょっと似合わないくらいの高い声を出す。
五〇を越えた男にしては威厳が足りないのだが、僕は出会ってすぐに、彼はいいヤツなんだと分かった。

ディーンは、ジェイクの家の裏に盛るための土を取りに行くというので、僕もトラックに同乗した。
ジェイクの家は、モバイルハウスといって、他所で建造されてからそのままの形で運ばれてきたものだ。この春に、土を掘った所に設置されて、まだ土台が剝き出しのままになっていた。
そこを土で埋めて平坦にしようというのだ。

トラックの助手席は視界が高く、長いギアをゴキッと入れてエンジンを唸らせるディーンの傍らにいるだけで、なんだかワクワクする。
コーン畑に沿って一〇分ほど走ると、土砂堆積場があり、そこに土が山盛りになっている。
ディーンはトラックを降りるとすぐさま停めてあったペイローダー(シャベルカーのこと。これは和製英語)に乗り込んで動かし始めた。

f:id:ShotaMaeda:20200702171345j:plain
大型トラックから、すぐさまペイローダーに乗り換えて巧みに操る彼を見て、僕は理解し出した。
現代のカウボーイは、あらゆる機械を自在に操作しなくはいけないのだ。ピックアップトラックはもちろん、ライノ、クワッド、トラクター、大型トラック、ペイローダー……。

そして、家屋の外構整備も自分たちでやり、電気、ガス・水道管の設置工事まで自分たちでできる限りは行うのだそうだ。畜産のみならず、農作、土木、機械と、あらゆる知識とスキルが求められるようだ。
広告業界でしか働いたことのない僕には、いずれの経験もゼロである。初めから分かっていたことだけど、改めて不安になってきた。

ジェイクから申し付けられた初仕事は、除草作業であった。

ライノで北に数キロ走った斜面に、牛が食べると有害な植物が繁茂しているので、除草剤をスプレーして回ってほしいという。
それなら僕にも問題なくできそうなので、ジェイクの上の娘であるリンカと二人で作業に向かう。
ふと考えると、この広い土地のうち、「あそことあそこに不要な雑草が生えている」ということをジェイクが把握していることに驚きを覚える。

除草剤の液体をタンクに詰めて、僕がそれを肩に掛けて、斜面を上っていく。
リンカと目的の雑草を見つけては、「あった!」「あそこ!」と指さして、タンクから出たチューブの先の噴射口からスプレーを撒く。

リンカも自ら進んで実によく働く。夏休み中の一一歳の女の子が、野外で除草剤を撒いて回りたいはずはないと思うのだが、右も左も分からない僕をサポートしてくれるつもりなのだろう。彼女は鼻の頭に汗を浮かべて、僕と一緒に歩き回った。
 
タンク内に夾雑物が多いのか、たまに噴射口が詰まる。その度に先端を外して、息を強く吹きかけてスプレー穴を掃除して元に戻す。
僕は仕事のために、日本からバッファロー革の茶色い手袋を持って来ていた。土や埃や雨で汚れることは覚悟してきたけれど、まずは除草剤によって染みができた。

一時間ほどで、その区域の除草剤散布は終えた。
イメージしていたカウボーイの仕事とは程遠いのだが、僕にもできる仕事を与えてくれたジェイクの気遣いをありがたく思った。

ジェイクは言う。
「完璧になることはないんやけど、常に先々を見て、土地をより良くしていくのが、カウボーイの仕事。たとえば、俺は家の庭に何本も苗木を植えた。自分が生きているうちに大きくはならへんかもしれへんけど、俺の孫くらいの代には、いい日除けになるかもしれない」

今季の業績、半期の目標、五年後の肩書。あとは考えるとしたら老後の自分のことくらい。
会社員をしていた僕は、目先のカネのことなんて考えたくもないと粋がっていたけれど、せいぜいその範囲しか考えていなかった。
ジェイクたちカウボーイが視野に置く、時間の長さ、静かな思いの遠大さに、僕は胸を突かれた。

ジェイクはその日、僕に乗馬もさせてくれた。
アリーナに馬を牽いてきて、その準備をする。僕はカウボーイの仕事を経験するにあたり、昨年のうちに何度か、日本でウェスタン式の乗馬をさせてくれる乗馬場で基礎的な
ことは習ってきた。
だから、歩く・ジョグする・止まるくらいは問題なくできた。しかし、それ以上の複雑な動きはできない。

サドルやブライドルといった馬具の取り付けも、乗馬場ではオウナーが行なっていたから、自分でしたことはない。それを伝えるとジェイクがやってくれた。
それを眺めて覚えようとしたけれど、取り付ける手順やコツがあるような感じで、とても一回見たくらいでは覚えきれるものではなかった。

アリーナの鉄柵の中で馬にまたがってみると、視界が高くなり気持ちがいい。恐るおそる歩かせてみて、時々走ってみる。
まだ怖くて体がのけ反ってしまいカッコ悪い。
リンカも、下の娘のミライも、ポニーに乗って一緒に歩き回ったり、器用に走らせたりする。子どものうちから上手に乗ってしまうのだから、将来が楽しみである。

しばらく遊ばせてもらって、馬を降り、サドルとその下に敷いた毛布を下ろして、馬にブラシをかける。これは馬を美しくするためというよりは、汗で濡れた毛を整えたり、馬の体に触れながら、ケガはないかおかしな傷はないかなど、健康状態を子細にチェックしていく意味がある。
乗る前にブラシするのは、小石やゴミが付いている上から毛布とサドルを乗せてしまうと、馬が不快だったり、傷を作ってしまうからだ。

それにしても、馬の美しさは格別だ。
パンと張ったお尻や、隆起した首元から肩にかけての筋肉、引き締まった脚、そして、艶やかな毛の輝き。
これまで、競馬ファンなどが言う「馬はかわいい」という気持ちはあまり理解できなかったのだが、間近で触れてみると確かに、やさしそうな目は意思の疎通ができそうで、愛らしい。

その晩は、庭にテーブルと椅子を並べて、僕の歓迎と、明日またアルバータ州へ帰るロジャーへの慰労を兼ねたパーティーをしてもらった。
牧場主のステュアート、息子のディーンとそのガールフレンド、ロジャー、そして、ジェイクの一家四人と、大きな家族のように温かい時間を過ごした。

(DAY 3へつづく…)

www.amazon.co.jp

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)①

私、前田将多のカウボーイの旅から5年になる夏、『カウボーイ・サマー』発売から3年になる記念に、第1章を何回かに分けて無料公開します。

旅した気分で、ゆっくりおたのしみください。

---------------------------------------------------------------------------------

Dedicated to my late father and all the cowboys out there.
(亡き父と、今日も大空の下で働く、すべてのカウボーイたちに捧げる)

f:id:ShotaMaeda:20200630203539j:plain

DAY1「ジェイクという男」


「君、嘘をついているだろう。わたしにはそう見えるが?」

ヴァンクーヴァー空港の入国審査官は、僕の目をまっすぐ覗 のぞき込んで詰め寄ってきた。イタリア系であろう男の大きくて黒い瞳に射すくめられて、僕は脚が震えるのを感じた。

「いえ、嘘は言っていません」

震えを悟られないように平静を装って答えた。制服姿のイタリア系は眉一つ動かさない。一年以上費やした計画が、しょっぱなのこんなところで阻止されてはたまらない。
「それは確かか? この国で働くのではないな? 虚偽の証言は連邦政府からの罰則の対象になるぞ」

僕がミスしたのは、この質問への対応だった。初めの質問に対する答えは「イエス」だし、続く質問へは「ノー」である。

そこでやや混乱した僕は、
「はい、いや、つまり、いいえ……」
と答えてしまったのだ。それは、彼の目には口ごもったように映っただろう。
 
先ほど、入国審査のカウンターでは、僕は女性係官に対してにこやかに受け答えをした。
「前職は広告会社のコピーライターでしたが、先月辞めました」

バカ正直にそう伝えたのが良くなかったのだ。彼女は、僕が手渡した税関申告書にさらさらっと何事か書き加えた。果たして、僕は他の乗客が直進して出口へ向かうところを止められ、「お前はあっちだ」と別室へ追いやられたのだ。そこは尋問をする側とされる側の人間が何組も並ぶ大きな部屋だった。

初めは、ランダムに選ばれて形式的な質問のいくつかも受けて、通されるものと思っていた。「荷物開けろと言われたら、タバコがたくさん入ってるからマズいなぁ」程度に思っていたのだ。

しかし、疑われたのは不法就労で、入国審査官はあくまでも本気で、実に執拗だった。
「誰のところに行くんだ」
サスカチュワン州に何があるのだ」
「そんな何もない所で、三か月も何をするんだ」
「宿泊先の友人というのは誰だ」

挙句の果てに、
「アイフォーンを出して、その人物の連絡先を見せろ」
と来た。連絡先はアイフォーンの住所録ではなく、メールの文章の中にあったため、僕はなにかマズいことが書かれていなかったか、そしてそれが英語でなかったか瞬時に思い出しながら、命令に従った。

彼はアイフォーンを奪うと、奥の電話を使い始めた。画面を覗き込みながら何軒にもかけている。
僕はなす術もなく、その様子をぼんやりと眺めた。

僕は、この夏の間、カナダの牧場でカウボーイとして働く計画だった。牧場主に提示した条件は「給料はいらない。しかし、食事と寝床を提供してほしい」というものだった。だから、僕は嘘をついているといえばついているし、無給なのだから「働く」わけではないという理屈も成り立つ。
しかし、不法就労を疑う審査官にそこまで説明はしない。事前に、「無給といえど、働くことによりカナダ人の雇用を一つ奪っていることになると解釈されるから、それは言うな」と助言されていたのだ。嘘はつかないが、余計なことまで言わないというスタンスを貫くしかない。

無機質なタイル張りの審査室では、僕の脇でインド人の子連れの婦人が尋問を受けている。「日本人がわざわざカナダに出稼ぎに来るかよ」と内心毒づいてみるが、彼らにとっては、日本だってアジアの一国にすぎない。チャイニーズもジャパニーズも一緒くただ。

イタリア系が戻ってきた。
「行ってよい」

行ってよくない時は絶対逃がさないという眼光で威圧するのに、一度行ってよくなると邪魔者のように追い払われる。
「僕のアイフォーンを返してください」

彼は「申し訳ない」のひと言もなく返してきた。
 
国内線でレジャイナ空港に着くと、ジェイクが奥さんと二人の娘を連れて出迎えてくれた。彼と会うのはその時が二回目であったが、大きなカウボーイハットをかぶっていたからすぐに分かった。

背丈は僕と変わらない一七〇センチくらい。とにかく目を引くのが、その大きなマスタッシュ、口髭だ。分厚く伸ばしたヒゲを外向きにカールさせている。彼の瞳も、間近で見ると色素が薄く奥まで透けそうな茶色で、その日本人離れした風貌を強調している。

そう、彼はジェイクといっても日本人だ。サスカチュワン州の牧場で、十数年に渡りカウボーイとして働いている。その年の正月に彼が七年ぶりに帰国していた際に、僕は友人を通じて彼と出会った。

f:id:ShotaMaeda:20200630203809j:plain

春になって、僕は会社を辞める準備をしつつ、彼に「カナダでひと夏カウボーイをしたい。ついては、カナダ人の牧場を紹介してくれないか」とお願いしたのだ。

ジェイクも戸惑ったことだろう。一度だけ会った男がそんな依頼をしてきたのだ。
空港では、その戸惑いを反映したようなぎこちない握手をしたような覚えがある。僕の方も、それを感じ取って不自然なくらい慇懃に振る舞ったような気がする。

しかし、その後、僕にとってジェイクという男は、心の中の特別な位置を占める男となるのだった。
 
ジェイクの運転で一家とレジャイナの街に出ると、その足でカウボーイハットを買いに行った。なにはともあれ、まずは格好から入りたい。
カウボーイハットには大きく二種類がある。秋冬用のフェルトハットと、春夏用のストロウハットだ。前者の方が高価で、中でもビーヴァーのファーで作られたものは最高級と言われている。
ハンドメイドのものであれば、米ドルで五〇〇ドルを優に越えるだろう。その次がラビット・ファーで、ウール製は比較的廉価だ。カウボーイたちは、高級品であれば何年、何十年にも渡りそれをかぶるという。一方、ストロウハットは数十ドルから一〇〇ドル程度で、ワンシーズンかツーシーズンで使い捨てにする場合もある。

夏を過ごすにあたり、僕が選んだのはストロウハットだ。ブリム(ツバ)の広さは四インチ(約一〇センチ)が標準的だが、その反り返り方のシェイプや、クラウン(頭を入れる筒の部分)の高さ、クリース(天辺の部分の窪み)の形状、ハットバンド(頭周りに巻かれたバンド)の素材やデザインは様々だ。

f:id:ShotaMaeda:20200630203855j:plain

f:id:ShotaMaeda:20200630203908j:plain
二階建ての広い店内には何十種ものハットがあり迷ったが、最後はサイズ重視で選んだ。風が吹いたり馬に乗る時に、ハットが脱げては困るから、頭を振ってみてもグラグラしないジャストサイズなものが必要なのだ。

ステットソンのハットが買えるに越したことはないが、そんな高級品は作業用にはもったいない。
ステットソンというのは、二〇一五年に創業一五〇年を迎えた、カウボーイハット・ブランドの代表だ。正確に言えば、ジョン・バターソン・ステットソンが、カウボーイハットというものを発明したのだ。

ニュージャージー州のハットメイカーの息子として生まれたジョンは、結核性の病気を患い、療養先として西部に滞在していた。

ある日、ハンティング仲間たちとコロラド州パイクスピーク周辺で嵐に遭って、身動きが取れなくなってしまった。
彼らは狩った獣の生皮でとりあえずのテントを作って夜を凌いだ。そこでジョンは、父親が帽子作りに用いていた手法で、ウサギの毛から耐水性の布地を作ることを思いついた。
初めは毛布にしていたが、そのうちにハットを作ってみた。
太陽からも顔を守れる広いツバと、軽くて暖かで、水も運べる丈夫なクラウンを持つハットであった。

ジョンがそれをかぶって旅を続けると、すれ違った馬上の男が興味を示した。男は、その見たこともない素敵なハットを五ドルで売ってほしいとジョンに頼んできた。

機嫌よさそうにハットをかぶって去っていく男の後ろ姿と、手の中の五ドルを見ながらジョンは決心した。東部に戻ったジョンは、姉から六〇ドルを借りて、合計一〇〇ドルの資金を元手に、あのオリジナルのハットを量産すべく会社を起こしたのだ。

それが“Boss of the Plains (平原を治める者) ”と名付けられたカウボーイハットの初代である。
一九世紀末には、ステットソン社は世界一のハットカンパニーに成長していた。様々な会社がハットを作り始め、互いに競いながら形や大きさも多様に変化していった。

南西部のカウボーイたちは日差しから顔を陰にできるツバの広いハットを好んだ。
北部では、厳しい風雪でハットが飛ばされないよう、ツバは小さ目でクラウンも低いものが必要とされた。
当時は、ハットの形によって、出身地が大体分かったという。

ワイルド・ウエスト・ショウや初期のカウボーイ映画のスターたちは、そのカリズマの象徴ともいえる大きなハットを粋にナナメにかぶった。
カウボーイに限らず、都会生活者の間でも、表を歩く時には帽子をかぶるのがエチケットとされた古き良き時代があった。ステットソンは、ドレスハットやカジュアルハットも、高い品質で供給した。

やがて時代は移ろい、機械工業化社会の進展と第三次産業の勃興とともに、男たち女たちが皆ハットをかぶることはなくなってしまった。ステットソン社も厳しい時を過ごしたが、今も昔もハットを使うカウボーイたちに支持され、揺るぎない地位を保持している。

僕がハットを試している間、ジェイクたちは店内にひしめくように陳列されたカウボーイブーツやシャツや馬具を見ていた。街で買い物と夕食を済ませると陽も暮れた頃だった。
ジェイクの九三年製のトヨタは、見た目もさることながら、内側も土埃で汚れている。エアコンは故障して動かない。
僕はそれを見ただけで、牧場での仕事の厳しさを垣間見る気がした。

彼が住むGapview Ranch(ギャッヴュー・ランチ)までは、二時間の道のりだ。
街を抜けると、漆黒の中をヘッドライトに照らし出される車線しか見えなくなる。街路灯も信号も一つもない。

闇の中のどこかでジェイクが左折すると舗装もされていない道となった。そこをガタガタと三〇分ほども走り、何度か曲がり角を曲がった。

道路の途中で、鉄パイプを等間隔で何本も横に敷いた箇所があり、その上を通ると金属が音を立てた。
「テキサスゲイトっていうんだ。車は通れるけど、牛は隙間を怖がって通れない仕組みなんだ」
と教えてくれた。
つまり、これが牧場の敷地内に入った証なのであった。

f:id:ShotaMaeda:20200630204104j:plain
その晩はすっかり遅くなったのだが、娘たちが寝たあとも、ジェイクと奥さんのヨシミさんと三人でビールを飲みながら話した。
彼らが、久しぶりの日本からの来客を、ひとまずは喜んでくれているようで、よかった。
僕はここではじめの五日間世話になり、カウボーイの仕事の手ほどきを受けてから、カナダ人の牧場へ移る予定だ。

僕は関西からやって来たが、同じく関西にあるヨシミさんの実家から、娘たちへの届け物を預かっていたので、それらを渡した。
ハウス食品のシャービック・イチゴ味とメロン味。
それと、日本の国語教科書。ジェイクとヨシミさんは日本で生まれ育ったが、幼くしてカナダに来た長女のリンカと次女のミライは、日本語と英語を母語とする日本人だ。
家庭でしか使わない日本語をちゃんと習得できるように、教科書を読ませようというのだ。

それは、親や親戚からしたら大事なことだと思ったし、娘たちは娘たちで、シャービックを心待ちにしていたことだろう。
僕は三か月分の荷物を入れるスーツケースになんとかそれらをねじ込んできた。

(DAY 2へつづく…)

www.amazon.co.jp