月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「上越市高田にスピンオフ」

環状の電車といえば、東京の山手線がもっとも有名だが、大阪にもJR大阪環状線がある。
友人の関さんと吉岡さんが「大人になってから友達ってできるのか」という、ふとした会話から、「じゃあ、毎月ひと駅飲み歩きましょう」とはじめた遊びが「環状線一周飲み会」である。

天王寺駅からはじめて、外回りに新今宮、今宮、芦原橋……、と飲み歩いていく。
僕は電通を辞めて、ひと夏カウボーイをやって帰国した2015年の秋に、大正駅から合流するようになり、その後、原さんという男も加わった。

環状線は一周19駅ある。つまり、一周するのに一年半以上かかるのだ。
そんな遊びがウイルス禍による長い中断を経て、4周目になった。6年半である。

「ネット検索せずに、足と勘で店を探す」、「チェーン店には入らず、地元のひとが来るような小さな店を選ぶ」という基本方針に従って、我々四人は細い路地をまさぐり、夜の闇に目を凝らす。
だいたいどの店でも、常連さんの邪魔をしないよう、1、2杯でそこを後にして、つぎを探す。

毎回、とてもたのしい。毎月ワクワクして待ち、散会のときにはベロベロになる集まりなのだ。

今回はそのスピンオフとして、新潟県上越市まで行ってきた。
吉岡さんが1994年製のTOYOTAランドクルーザーを買ったのが新潟にあるお店で、購入の意思を伝えてからオーバーホウルを経て、引き渡しまで一年も待ったという。

「それならいっしょに新潟まで行って、ひと晩みんなで飲もうよ」ということになったのだ。

あ、今回は事前にはゆるやかにネット検索しました。上越市に誰も土地勘はなかったので、だいたいどのあたりに飲み屋があるのか、見当をつけないと宿の予約もできないし……。
サンダーバード25号は大阪駅を出て、金沢駅が終点。そこから新幹線に乗り換えて、上越妙高駅へ。

新大阪とか新神戸もそうなんだけど、新幹線のために設置された駅というのは、繁華街を避けているから、まわりには大してなにもない。
僕たちは地図をざっと見て、高田という駅に目をつけた。
結論から言うと、ビンゴすぎるビンゴであった。

翌日にクルマ屋のおっちゃんが言っていたが、かつては「飲みに行くなら高田」だったのだそうだ。
本町通りというメインストリートから、一本西を並行に走る仲町という通りには居酒屋や小料理屋、バーやキャバクラまでが揃っていて、かなり賑わっていたそうなのだ。

過去形で書いたのは、最近はシャッターが閉じたままの店舗や空きテナントも多く、ゆっくりと錆びていくように町が衰退していく、日本のあちこちで感じ取れる物寂しさが濃厚にあったからだ。

これまた古いホテルに荷物を置いた僕たちは、さっそく仲町で店を物色しはじめた。
吉岡さんが、薄暗くて開いているのかいないのか判然としない酒屋の前で足を止めた。彼は古いウィスキーを買う趣味を持っていて、嗅覚が反応したのだろう。
「入っていいですか?」
断って入ると、中には店員の若い女性と、お客なのか知り合いなのか中年の男性がひとり。
吉岡さんは、おそらく限定品の珍しいジャックダニエルを選んだ。

レジの横に、線香がそなえられていて、遺影には若いやんちゃそうな男性が写っている。
聞けば、先月旦那さんが亡くなり、この店はまもなく消滅するのだそうだ。中年の男性は、故人の友人で、葬式に来られなかったため遠方から弔問に来たのだという。
値段を訊き返すくらいちょっと高かったウィスキーを、吉岡さんが「せっかくだから」と買うと、男性は店の人間じゃないのに喜んだ。吉岡さんからすれば、若くして未亡人となってしまった彼女への香典のようなつもりだったはずだ。

日が暮れてきたころに、我々一行は、「一休」という居酒屋に入った。
不愛想な大将とその母親がやっているお店。お通しが二品出てくる。気前がいいな。
串焼きの豚、揚げ出し豆腐を食べて、新潟なんだから魚介類も食べなくてはと、焼きイカ半身というのを頼んだ。
「半身ってどうことなんですか?」
と尋ねると、おかあさんが「一匹だと大きいからな、こうしてこうして半分にな……」と説明してくれた。
なのに、最後まで焼きイカは出てこなかった(笑)。

しかし、こういうのも含めて、町のちいさな店で飲むたのしさなのである。

我々は笑って勘定をたのみ、つぎへ向かう。
「雁木亭」。雁木(がんき)というのは、降雪時に歩道を確保するために、家屋の軒を長くのばした、雪国独特の造りを指す。

ここでは、「のっぺ」という郷土料理(あんかけの煮物)、鮫のコロッケなど地のモノをいただき、刺身を食べ、日本酒をあれこれ飲んだ。
すると、たのんでいない一本の酒がテーブルに出された。映画でよくある、「あちらのお客様からです」というやつだ。
振り返ると、カウンター席にさっき酒屋で会った男性がいて、「あそこにわざわざ入ってきて、酒を買ってくれたお礼に」ということだった。ありがたい。情けは人の為ならずだ。

食べるもの、飲むもの、すべてが美味しかったのだが、雁木亭でもお通しが二品出てくるものだから、僕なんかはもう満腹だ。

つぎはバーへ行った。「ムーン・シャイン」。
ムーン・シャイン(月明り)というのは、密造酒の俗語だろう。1920年代、アメリカの禁酒法の時代に、月明りにまぎれて密造酒をつくり、そして運んだことからきている。
そういうことなら、と、バーボンをたのむ。まぁ、僕はいつでもバーボンなのだが。

さて、そろそろ飲み会も終盤を迎え、我々は居並ぶスナックの看板を眺めて歩く。
どのビルが寂れ具合、妖しさとして適切か、そして、どの店がカラオケの騒音がなく、年老いたママから素敵な昔話なんかが聞けそうか、探検隊として一番神経を使う瞬間である。

ある雑居ビルの一階、「miho」。ここはどうだ。
ドアは開いていて、カーテンのみが視界を遮る。耳を澄ますまでもなく、話し声が漏れ聞こえる。
「ん? おっさんじゃねえか」
僕はそう思ったのだが、入ってみると店主は女性だった。(写真がないから書きたかぁないけど書くしかないが)推定年齢七〇才の、ちょっとハスキーで低音のよく通る声を持つ、この人がミホさんなのだろう。
三〇年くらいここでやっているらしい。
ここでもお通しが二品。山菜の漬物と、タケノコ汁。これも郷土料理だ。

後日、みんなでなにが美味かったか話し合ったところ、このタケノコ汁を挙げた人が複数いた。
僕も、これに一票だな……。

さんざん飲んだが、二日酔いもなく目覚めた翌日は、クルマ屋さんに行く前に、高田城公園を訪れ、上越市歴史博物館を駆け足で見て回った。
美しい町であった。

僕の職業がたとえばプログラマーとか超能力FBI捜査官など、どこに住んでもできる仕事だったなら、しばらく住むのも悪くないだろう。
北へ行ったらすぐに直江津の海、南へ行けば妙高山など越後の山々。
安くて旨い店が高田にはいくらでもある。すばらしい。

TOYOTAランドクルーザーを吉岡さんが購入した店は佐野オート商会といい、その整備の腕を買われて、全国からお客や修理の依頼が来るらしい。
吉岡さんは亡くなった父上が滋賀に単身赴任中、ランドクルーザーに乗っていた記憶が強烈に残っていて、自分も同じ型式のクルマがほしくなったという。
なんと父上のクルマのハンドルを母上が保管していて、それを今回のクルマに取り付けてもらった。

石原慎太郎氏は、死とは虚無であり、なにも残らないとしつつも、しかし「虚無は歴然として存在する」と喝破して、今年二月にこの世を去った。
吉岡さんは、少なくともこれから何年、何万キロの間、ハンドルを握るたびに、憧憬と感傷の手触りに何事かを想うだろう。

ここで一曲プレゼントしよう。このランクルとほぼ同い年の1995年につくられたカントリーソングである。
”The Car” by Jeff Carson

youtu.be


Jeff Carson氏も今年の春に亡くなった。

午後二時すぎに出発できるかと思っていたら、試乗や手続きのため三時になってしまい、まっすぐ大阪へ向けて450km走らなくてはならなくなった。

途中で寄り道したかった石川県の松井秀喜記念館とかは残念ながらスキップだ。
しばらく日本海沿いのドライブを満喫して、以降は高速道路をとにかくひた走る。
大阪に戻ったのは夜十時半。

またよい旅をした。

また来月から環状線一周飲み会をするが、四周目にもなればわかる。
大人になってからも友達はできる。年齢や職業を越えて、友達はできるのである。

 

「おかんがオレオレ詐欺に引っかかりました…」

うちのおかんがいわゆる「オレオレ詐欺」に引っかかった。
50万円やられたそうだ。

手口は、掻い摘んで書くと以下のようになる。
僕の兄になりすました人物から電話があり、「会社の重要書類やケータイが入ったカバンを失くした。だから、いま公衆電話からかけてるんだけど、今日中に1000万円支払わなくてはいけなくて、上司とお金をかき集めている。自分の責任なので上司にばかり苦労をかけられないから、ATMから50万円引き出してきて、助けてくれないか」と言うのだ。
そして、「俺は外にいてそちらに行けないが、ちょうど上司が近くまで来てるから、彼に渡してほしい。彼はおかんの顔を知らないので、いま着てる服装を教えて」という筋書きだったそうだ。

ポイントは
・週末に入る前の金曜日の、銀行窓口(問合せ)が終わる午後三時ごろに着電。
・カバンは反社(反社会的勢力)に取り上げられていて、ケータイにかけると個人情報が抜き取られるからかけてはいけない、と釘を刺す。
・また、金銭にかかわることなので第三者には話さず、内密にしてほしい、と頼んできた。
・指示通りの場所で声をかけられた上司は、とても紳士的で丁重にお礼を言われた。
 ……といったところで、やや荒唐無稽ながら、自分たちの思い通りにひとを操作できるよう巧妙に仕組まれている。

なんと、あとでお礼の電話まであったそうだ。
あまりに鮮やかな手口で、僕はおかんを責める気にもなれない。
犯罪は憎むべきだが、縛り上げられて暗証番号を吐かせられるとか、何百、何千万円も騙し取られるよりマシだったと、高い授業料と考えるしかないのではないか……。

かねてより、「詐欺には気をつけてね。僕たち息子が電話でカネを求めることは絶対にないから」と、繰り返し言い聞かせていたし、「最近は還付金詐欺も多いみたいなので注意してね」と、インターネット記事のURLを添えて送ったりもしていたのだ。
何年か前にも、僕の兄が痴漢で捕まったという設定のオレオレ電話があったそうだが、そのときは「うちの息子はこんなふうに泣きじゃくらない」と見破っていた。

それでもやられてしまった。
僕の母親は昨年大病もしたし、残念ながら、老化によりやや認知能力が衰えているのだと思う。
その週末は「あぁ、長男の役に立ててよかった」と誇らしくすら思って過ごしたそうなのだ。
週明けになって、兄と話す機会があり、「え! どういうことだよ!!」となったらしい。

ニュースを読めば、こういう詐欺被害に遭う高齢者は、訝しんで止めようとする銀行員を振り切ってまでお金を振り込んだり、機転をきかせた店員に防がれるまで、高額の電子ギフト券をグイグイ買おうとしたり、偶然のかたちで心ある人に遭遇しなかったら、未然に防げる手立てってあるのかな、と思ってしまう。

しかも、犯罪集団は顧客リストを持っているから、一度引っかかったうちのおかんなど上顧客に分類されているかもしれない。つぎにまた別の手で来られたら、二度騙されない保証はどこにもない。

そこで、離れた地方に住んでいる次男の僕は、地元の警察署に連絡をとって、県民サービス係の警察官の方に助言を仰いだのである。アポをもらい、お話を伺ってきた。

警察署なんて、運転免許関係の用事でしか訪ねたことはないので、白いシャツの制服を着た永松さん(仮名)の案内で奥の小部屋に通されると、映画やテレビでしか見たことない取り調べを受けるようで、ちょっと昂揚する。

永松さんは、高齢者を狙う詐欺のさまざまな手口を教えてくださった。
まずは、おなじみ①「母さん助けて詐欺(オレオレ詐欺)」である。
親が地方に住んでいる場合、東京や神奈川までお金を持って来させる手口もあるそうだ。
田舎だと見知らぬ人間は目立つし、カネの受け渡しが済んだら、偽の息子から「母さんありがとう。迎えに行くからいっしょに帰ろう」と、どこかで待ちぼうけをさせ、その日のうちに家に帰れなくさせるという。
そのほか、②市役所の職員を騙る「還付金詐欺は、「お金が還ってくるので、こちらが案内する通りにATMを操作してください」と言って振り込ませるものがオリジナルタイプ。
「あなたの古いキャッシュカードでは還付金が受けられないので、新しいものに交換します。暗証番号を確認させてください」というのが、新たなパターンだそうな。
役所の手続きというのはわけわからんほど複雑すぎるから、わかりやすく親切にされたら従っちゃうよなぁ。
③警察官に成りすました詐欺
「詐欺グループを捕まえたところ、あなたの名前がターゲットのリストに載っていました。カードを封印させてもらいます」と言って、クレジットカードを袋に入れ、ダミーが入った袋とすり替える。映画『スティング』でも見られた古典的な手口だ。
「このまま三日間置いておいてください」と指示して、通報を遅らせる。

「近所で空き巣がありました。自宅に現金はありますか?」からの、「偽札の検査をするので、預からせてもらいます」という流れもあるという。
よく考えたら話のスジがおかしいのだが、咄嗟には疑うことができないものだ。
警察官以外にも、銀行員や百貨店員を名乗って「あなたのクレジットカードが犯罪に使われました」と言ってコンタクトしてくることもあるとのこと。
④老人ホーム入居権詐欺
大手建設会社の名前で電話がある。
「今度開設される老人ホームに入居する権利が当たりましたが、ご入居されますか?」
唐突にそんなこと言われても、「いいえ」と答えるのがふつうだろう。
「では、ほかの方に譲りますので、あなたの名義を貸してもいいでしょうか?」
これを受け入れてしまうと、つぎに“警察”から電話が来て、「名義を貸すのは犯罪です」と脅されるのである。
パニックになっていると、また建設会社から電話が来て、
「違法という指摘があってこちらも困っているので、入居権を買い取ってくれ」
となる。

次々に新しい手口が発明されているように見えるが、基本は上記の
①母さん助けて系
②還付金系
③警察系
④老人ホーム系
の4つの類型があり、それがいろんな派生や新シナリオでもって、「最近はまたこれが流行っている」というふうにぐるぐる巡っているということだ。

対策としては
■まず、固定電話をやめる。
最近は携帯電話でこと足りるはずなので、解約してもいいのではないか。
詐欺の電話は圧倒的に固定電話が多いそうだ。
「犯罪防止のため録音します」という警告アナウンスが事前に流れる「防犯対策機能付き」の電話機もあるそうだが、気休めにしかならない。実はうちの実家の電話機もこれだった。

僕の家にも固定電話があるからわかるが、だいたいロクな電話がかかってこないものである。勧誘やセールスが大半で、顔洗ってるときとかに電話が鳴るから顔を拭き拭き慌てて応答すると、どこかの業者が送信してきたファックスの「ピー」いう音だけが聞こえ、受話器を叩きつけたくなる。

■「はい、〇〇です」と名乗って出ない。
うちのおかんは、上司役の紳士に「マエダさん」と呼び止められてカネを渡したらしい。
電話番号も名前も住所も犯罪グループに把握されているのだ。考えてみたら恐ろしいことである。
永松さんによると、「消防署の者ですけど、最近管内で火事が増えております。そちらはおひとり暮らしですか?」という、詐欺集団が独居老人を識別するための電話もあるという。
「はい、そうです」と思わず答えると、「くれぐれも火に気をつけてくださいね~」と当たり障りなく電話を切るが、「ハイ、独居老人」とリストにチェックされる。

■変な電話が来たら、一旦切って確認
それができたら苦労はないのだが、よくわからん電話は一旦切って、長男なら長男、市役所なら市役所、警察なら警察署に自分で電話して確かめてみるのが一番いいのだ。
うちのおかんの例みたいに「ケータイにかけると個人情報が抜き取られる」などと警告されても、僕なら「そんなわけねえだろ」とわかるが、年寄りは鵜呑みにしちゃうだろうなぁ……。
「こんな電話が来たけど」と、まわりの人に相談してみるのも手なので、とにかく一旦切って、落ち着いて考えるのが肝要なのだろう。長男のケータイがダメなら、僕に電話くれてもよかったはずだ。

奈良県警では
「電話口 お金の話 それは詐欺」
という標語で、注意を促しているという。

「私どもの発信が弱くてすみません」と、永松さんは恐縮するが、ホントに世の中は、悪いやつらが高齢者を虎視眈々と狙っている。
連中は頭もよく、演技力にも長けていて、受け子だけ捕まえてもなかなか組織の上層までたどり着けないように工夫している。
そんな中、独居老人はまるで、ジャングルに佇む草食動物でしかない。
うちの親だって、本人は老人のつもりすらないし、防犯意識が低いつもりもない。
「まさか私が騙されるなんて」と全員が言うはずだ。

インターネットを絡めた詐欺も含めれば、我々家族は、果たして親(や子)を守り切れるのか……。
ショッピングサイトから決済画面だけ別のサイトに飛ばし、カード番号を入力させて「エラー表示」のあと、元のサイトに戻されたら、情報を詐取されたことにすら気づかない。
「あなたのPCがウィルスに感染しました」と表示が出て、「データを守るには、いますぐクレジットカード番号を入力して対策ソフトを購入してください」とやられたら誰でも一瞬は焦る。

確実な打つ手はほとんどないように思われるが、日ごろからそういうことを会話するしかないのだろうなぁ。
最終的には、近くにいる家族がキャッシュカードやクレジットカードを取り上げて、お金を管理するしかなくなる。もうそうなったら、老人ホームに入ってもらったほうがお互いのためかもしれない。

親が年々頑なになって、息子の言うことなんか聞かないし、話せばケンカになるのは、我々四、五十代の人間にとって共通の悩みだと思う。
例に洩れず、会うたびに腹が立つので、ここのところおかんを避けていた僕なのだが、今回の一件は、僕にも〇割〇分三厘くらいは責任があろう。

警視庁の特殊詐欺対策ページには、まさに今回の手口が載ってました。ご覧ください。
そして是非、防犯についてもう一度、親御さんと話し合ってみてください。

www.npa.go.jp

「約束を交わしてはいけない国」

新型ウィルスによる長い長い災禍にもようやく光明が見えはじめたかと思った2022年2月末、ロシアがウクライナに侵攻した。

ニュース解説にある通り、これは「ブダペスト覚書」を踏みにじる行為である。
ブダペスト覚書というのは、1994年12月5日にハンガリーブダペストで署名された政治協定でつまり「ウクライナベラルーシカザフスタンの三ヶ国が核兵器を放棄する代わりに、アメリカ、ロシア、イギリスの核保有国が安全保障を提供する」というもの。

いったいロシアというのは約束を守ったことが一度でもあるのかな、と思った次第である。

日本人の我々からすると、まず思い浮かぶのが「日ソ中立条約」である。

これは原文を見てみると、4か条しかないシンプルなもので、以下のような文言である。
第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す

第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし

第三条 本条約は両締約国に於て其の批准を了したる日より実施されるべく 且五年の期間効力を有すべし 両締約国の何れの一方も 右期間満了の一年前に 本条約の廃棄を通告せざるときは 本条約は次の五年間自動的に延長せられたるものと認めるべし

第四条 本条約は成るべく速に批准せらるべし 批准書の交換は東京に於て成るべく速に行はるべし

最終的に、ソ連はそれを破棄して、敗戦間近の日本軍に宣戦布告をするという火事場泥棒みたいなことをしたわけだが、ソ連にはソ連の言い分があるようだ。
ソ連がドイツと戦っているときに、日本はドイツを支援したじゃないか」ということらしい。

こちらとしては、「いやいや、うちはおたくを攻めていませんし、勝ち馬に乗れそうになったとたんに突然なんか言うてきましたね」ということになる。

時系列で並べてみよう。
1939年8月23日、独ソ不可侵条約
1940年9月27日、日独伊三国同盟
1941年4月13日、日ソ中立条約
1941年6月22日、ドイツがソ連領に侵攻
1941年8月14日、イギリス・アメリカが大西洋憲章が発表。第一条に「領土の不拡大」が謳われた
1941年9月24日、連合国会議において、ソ連を含む各国がそれを承認
1945年4月5日、ソ連外務大臣モロトフ日ソ中立条約の破棄を通告
1945年7月16日、アメリカが核爆弾の実験に成功。ポツダム会談中のトルーマン大統領は21日にそれを知る。
イギリス首相だったチャーチルも、トルーマン政権の国務長官バーンズも、核爆弾があればソ連の対日参戦は不必要と考えていたが、ルーズベルト大統領時代から参戦を求められていたソ連スターリンは、“戦利品”ほしさに戦闘準備を急ぐことになる。
1945年8月6日、広島に核爆弾投下
1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告
1945年8月9日、つづいて長崎に核爆弾投下
1945年8月15日、日本、ポツダム宣言を受諾し降伏
1945年9月5日までに、ソ連北方領土を占拠
1945年10月24日、国際連合憲章が発行

国連憲章テキスト | 国連広報センター


1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約により、日本は連合国48ヶ国と講和。
ただし、ソ連は調印せず
1956年10月19日、日ソ共同宣言により国交は回復。「平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」とあり、平和条約締結後に、ソ連歯舞群島色丹島を引渡すことに同意
1956年12月18日、日本が国際連合に加盟

サンフランシスコ条約
「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」(第二条 c項)
とある。
日本政府は「択捉、国後、歯舞、色丹の四島は千島列島に含まれない」と主張しているし、サンフランシスコ平和条約に調印していないロシアは権利を主張する立場にない、としているが、このあたりがこじれた原因だろう。

北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)|外務省


島嶼がいっぱいあって「近接する諸島」とひとまとめにしてしまったところに落とし穴があった、としか思えない。

ロシアとしては「近接する諸島に対するすべての権利と書いてある」と言いたいのだろうが、少なくともアメリカは領土不拡大の大西洋憲章に則り、1972年5月15日に沖縄も返還している。ただし、まだ軍事基地があるから、なおややこしい。

アメリカ軍がいなくなったら、ロシアも安心して島を返してくれるのだろうか。いや、そうなったら、チャイナとロシアが我が国を本格的に取り合うかもしれんよね。

その後、日本とソ連(ロシア)の間にはいろいろあったけど、結局、北方領土問題は動かず、
2020年7月4日、領土割譲を禁止したロシア改正憲法が発効
プーチン大統領のこの措置により、北方領土問題は日本にとってさらにむつかしいものとなった。

こうして振り返ると、太字にした約束事を、ロシアはことごとく破ってきている。

ぜんぜんすっきりとしない北方領土問題が、すっきりおわかりになったかもしれないが、ひとつはっきりわかることは、「ロシアのような国とは、ひとつたりとも、約束を交わしてはいけない」ということではないだろうか。

 

(了)

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岡田和裕『ロシアから見た北方領土』(光人社NF文庫 2012年)
A. J. ベイム著 河内隆弥訳『まさかの大統領』(国書刊行会 2018年)

「きみの中の、なにかを進めるのが旅なのではないか」

もう2年半近くも海外に行っていないことになる。
まぁ、そんなに長い時間でもないけど、どうもこの2022年もムリなんじゃないか、つぎはいつになるんだろうと考えると心が重たくなる。
特に近年は、2017年(カナダ→サンフランシスコ)、2018年(ミラノとテキサス)、2019年(シアトル)と毎年どこかへ行っていたので、なおさらかもしれない。

そんなわけでか、最近は昔のことをよく思い出す。
90年代前半は、まだインターネットが普及する以前であった。一度外国に行けば、毎日のように安否を確認することや、起きた出来事を伝えることはできなかった。

僕が18才でアメリカの大学に行ったとき、入学の前に両親と旅行をした。
テネシー州ナッシュビル。父と僕が好きだったカントリーミュージックの中心地だ。兄と弟は日本に残った。

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ナッシュビルには、グランド・オール・オプリー・ハウスというカントリーの殿堂とされる劇場があって、そのステージに立つことはカントリー歌手の誉れである。そのときは、GAOHには建物の前までしか行かなかったが、隣接したオプリー・ランドUSAというテーマパーク(1997年に閉館してモールになった)の中の屋内ステージで、Doug Supernawという歌手のコンサートを観た。

ダグ・スーパーノウは”I Don’t Call Him Daddy”という曲がヒットしていて、僕も父親も好きだった。

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歌の内容は、離婚した男が、元妻が新しい男と住む町へ息子に会うために行きたいが、生活もギリギリで時間的余裕もない。硬貨を握りしめて息子に電話して言われた、「僕はあの人をパパとは呼ばないよ。パパとはちがうから」という言葉に涙する、という市井のアメリカ人の生活感を伴ったものだ。
カントリーはいつも庶民の音楽で、日常の悲しみや喜びを歌にして伝えてくれる。

僕は一丁前にカウボーイハットをかぶって席に座っていたのだが、うしろの女性から帽子をチョイチョイと触られ、
「+&$@X%...ヘッロー」
と言われた。
なにを言われているのかわからなかったので、訊き返すとどうやら「ステージが見にくいからハットを取ってくれないか」と言っているようである。
ヘッローは”hat off”だったのだ。

”Would you mind if I ask you to take your hat off?“とかなんとか言っていたのだろう。
僕は素直にハットを頭からとったが、いま考えると、カウボーイに対して「ハットを取れ」などとよく言ったものである。
こちらも観光客なら、向こうもお上りさんだったのだろうが、エチケットとしてはたしかに、男性は屋内では帽子を脱ぐことになっている。しかし、カウボーイは例外なのである。
だから、映画の中で、サルーンのバーカウンターでウィスキーを飲むカウボーイたちはハットをかぶったままだ。
さらに言うと、ひとのカウボーイハットに断りもなく手を触れることはご法度だ。
これは本当なので覚えておいてほしい。

しかし、当時の僕はそんなこと知らないし、英語よくわかんねーし、アメリカ人でけーし、こえーし、なにも言わずに従ったのだった。
まぁ、いまでも「おいおい、きみはカウボーイに対してハットを脱げと言っているのか? このハットをか?」などと僕が言うかと言えば、言わないと思うけど。言ったとしても冗談とわかるように言うだろうし、前が見えにくいなら帽子くらい取りますけど……。
僕もライブハウスで、背の高い男が自分の前に立つとイヤだもん。

数日間のナッシュビル滞在をたのしんだあと、僕は両親と空港で別れることになった。
僕はそこからバージニア州ノーフォーク空港へ飛び、彼らは日本へ向かう。
僕が飛行機の通路へと歩き去る際、母親はカメラを構えていたが、なんだか照れくさいし、これからはなにがあってもひとりでなんとかしなくてはならない恐怖もあったし、僕はすぐに背を向けて背中越しに手だけ振った。
後年、母は「写真にうしろ姿しか写ってないじゃない」と文句を言ったが、それはそれでいい写真だったのではないだろうか。

田中泰延さんと上田豪さんとのトーク配信で語ったことがあるが、「いまでももう一度してみたい体験」は、このあとノーフォーク空港に降り立ってからの逸話だった。

『僕たちはむつかしいことはわからない』(1時間37分50秒あたり)

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バージニア州の南隣りのノースキャロライナ州の小さな大学から迎えが来ているはずだったのに、誰もいない。15分待って、30分くらい待っただろうか。
さすがに不安に耐えきれなくなった僕は大学の留学生担当者に電話をしようと公衆電話を探した。番号が書いたメモ帳を探して、コインを出して、えーと英語でなんて言えばいいんだろう……と考えていたところで、ちょうど肩をつんつんとされた。
迎えの人らしき黒人のおじさんがそこにいて、「きみがショータか?」と訊かれた。
「そ、そうです。そうです。ジャパンから来ました」
「日本人なんて滅多にいないからすぐわかったよ、ハハハ」

ということで、大学名が横腹にプリントされた白いヴァンに乗せられて、1時間半ほど揺られる。
そのときに「オレ、これからどういう場所に連れて行かれるんだろう……」という、これまで感じたことのない不安な気持ちで車窓から眺めた、広い広いコーン畑の茫漠。
傾きはじめた太陽の光が、コーンの穂先を淡く縁取る寂寞。
なにかができるから来たわけではなく、なにもできないのに来てしまった、息苦しいような当惑。

カウボーイがラッパーになってライム(韻)をキメちゃうくらい、とにかく不安の重たさがすごかったのだ。
それなのに、いま46才で振り返ると「あんな感情はもう持ちえないのだろうか」と、もう一度味わってみたい気持ちがこみ上げて来もするのである。

だからこそ、その縮小再生産でもいいから、あの心がキュッとするような鋭敏な感覚を求めて、旅を繰り返すのだと思う。

二年後、僕の弟もアメリカで進学することになり、僕はなにも手を貸していないのだが、彼も自分で学校を決めたようだった。新学期がはじまる九月まで英語学校に行く予定で、夏休み中にまた両親と渡米してきた。
休暇に入ったばかりで一時帰国前の僕がテキサス州ダラスで合流して、ジョンFケネディー博物館などを訪ね、ダラスの街を観光した。

そして、二年前にナッシュビル空港でそうしたように、今度は弟だけがカンザスへ飛び、僕と両親は日本へ帰ることになった。
弟が、たぶんあのときの僕と同じような表情を浮かべて機内に消えると、母は人目も憚らずに泣いた。父に抱きついて泣きじゃくった。
僕はあんなに泣いた母を見るのははじめてだった。そして、同時に気づいた。
きっと僕を見送ったときにも同じように泣いたのだろう、と。

それを確かめたことはないけど、「いや、あんたのときは、空港でホットドッグ食べて、日本に帰ったわよ」とか言われたらメンボクない。

いま当時の母親くらいの年齢になって、僕が思うに、自分の身の一部が引き剥がされるような辛さがあったのではないだろうか。
僕には子供がいないからわからないけど、もしも寅ちゃんが旅に出ると言ったら「気をつけてな」と送るだろう。

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「気をつけてな、寅ちゃん」

でも、ジョージくんだったら「ダメ絶対!」と離さないだろう。

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「ジョージくん、なにかまちがってるよね」

僕はノースキャロライナで、さんざん恥をかきながらアメリカ生活になんとか順応していった。

授業で「なにか宿題が出た」ということは理解できても、なにが宿題かよくわからないので、毎回授業のあとに教授のところに行っては、「あのー、宿題はなんでした?」と尋ねたものだ。
社会参加意識の高い友達に誘われてはじめて献血をしたときは「取られる血液の量はたったの1パイントだから大丈夫だ」なんて言われたが、パイントという単位がどれくらいかわからなかった。
それが473mlと、わりとたっぷりなことをあとになって知った。
僕は午後の授業で貧血になって机に突っ伏した。

いつものように教授のところに宿題の内容を訊きに行くと、「寝てるからだ!」なんて小言を言われたが、「いえ、ちがうんです。献血をしたもので……」としどろもどろに拙い英語で言い訳をして、小さな屈辱を飲み込んだ。

とにかくあの頃はわからないこと、言えないことが悔しかった。ふつうのことができないということに無力感を覚えた。アジア人の男がモテないことに劣等感を味わった。
英語の壁は途方もなく高かった。

「青春というのは、なにもかもが恥ずかしい時代だ」と、たしか中島らもが書いていた。
三島由紀夫は『金閣寺』の中で、「そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在していないと言う贅沢な不満から生まれるものではないのか」と主人公に述べさせている。

僕は十分かどうかは定かではないけど、一応ちゃんと存在はしてるし、恥ずかしい思いもするけれど、少なくとも46才のいまなら、わからないことは堂々と「わかりません」と言える。英語なんか、いまでも6、7割しかわからないし。
わからないことは恥ずかしくないし、スベるのも恐れずに、あの手この手でまわりの人をもっと笑わせることもできるだろう。

小学校も中学校も高校も、会社員時代も、それなりにたのしかったけど、戻りたいとは思わない。
しかし、アメリカの大学には、現在の厚かましいおっさんのままで、恥知らずな鈍感さのままで、このヒゲを生やしたままで、このウィスキーを飲める量のまま(当時は一切飲まなかった)で、戻ってみたいとは思うことがある。

もちろん、戻ることはできないから、せめて先に進みたい。新たな旅がしたい。
振り返れば、僕のスゴロクの駒がこれまでに止まってきた、ここやあそこに、旅があったように思う。

 

(了)

 

先月トバしましたが、”寅ちゃん本”が発売になっております。Thanks.

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そういえば、これだって旅の話です。

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「アメリカの叫び」

カントリーのラジオから叫びのような歌が聴こえてくる。

鉄をグラインダーで削ったときに飛び散る火花のような歌声と、胸ぐらを掴んでくるようなメッセージが、うつくしい旋律に乗せられている。

「なんだこの歌は」と驚いて調べてみると、Aaron Lewisという、浅生鴨さんを彷彿させるおじさんだった。
90年代の終わりにデビューして、00年代はじめにヒット作を放ったStaindというハードロックバンドのボーカリストが、カントリーに転向したそうだ。
同じく90から00年代に活躍したロックバンド、Hootie & the BlowfishのDarius Ruckerもさらに早い時期からカントリー歌手になっている。

つまり、カントリーいうのは、アメリカの歌うたいが還ってくる、THEアメリカンミュージックといっても過言ではない。

この、アーロン・ルイスによる「I’m Not the Only One」という歌は、基本的にはアメリカ人の愛国心を丸出しにした、反リベラルの政治メッセージソングである。

ジャパンは息苦しさに悶え苦しんでいるが、アメリカだってもがいているのだ。

果てしない貧富の差、共和党民主党の深い断絶、暴発する人種問題への怒り、歴史すらも書き換えたいキャンセルカルチャー。そこへ来て、一国で77万人の命を奪ったウィルス禍、20年を費やし元の木阿弥となったアフガン撤兵……。

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日本人の愛国者として、僕にもほとんどは頷ける内容の歌詞なのだが、” willing to bleed or take a bullet for being free”という部分は、イマイチすんなりと飲み込めない。
「自由のために血を流す」というのは、圧政に苦しむ少数民族とか、香港や台湾の人たち、不当に弾圧される人々が言うならわかるのだが、たとえアメリカがタリバンに負けたとしても(実際、敗北と呼べる結果なのだが)、アメリカは自由のままであるだろう、と思うのだ。

いまでも戦国時代みたいな国情の他国を、宗教も政治制度もちがうアメリカ合衆国が民主主義で平定しようというのは、あまりにも無理があった。そのために血を流した米兵士に大義を与えたい気持ちはわかるし、濫觴911のテロ事件であったとしても、どうにも戦いつづける意義のない戦争だった。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」に近い態様だったことだろう。

wedge.ismedia.jp

アメリカというのは建国の歴史からして、なにかを他者に押しつけて、組み敷いて、突き進んできた国なので、それは悪癖であり宿痾のようなものだ。
東から西へ領土を拡大していくことを「マニフェスト・ディスティニー(明白な運命)」と云って正当化したし、先住民にキリスト教を布教することは「野蛮人を文明化する、正しい行ないである」と考えていたし、南北戦争での奴隷解放を受け、1870年に憲法修正第15条によって黒人にも選挙権を認めたものの、南部諸州では人頭税や読み書きテストを課すなどあれこれの妨害があり、およそ100年後、1965年の投票権法成立を見るまで人種差別は顕著で執拗だった。

だから、この歌にもアメリカの傲慢なところが滲み出ているように感じられて、「そういうところが、世界から嫌われるところやぞ!」とも思うのだが、それでもなお、この歌は僕の心を惹きつけてやまない。

アメリカの歌と思って聴けば矛盾もあるが、我がこととして聴くならば、僕も国のために斃れたひとたちには敬意を持っているし、もしもこの国の自由が脅かされるような事態になったら、あらゆる手段で戦うつもりはあるからだ(まっさきに死ぬタイプだけど)。

Youtubeでは、この歌のいくつかのバージョンが視聴できて、一番多いもので480万回再生され(2021年12月現在)、14万の高評価と1万5千件のコメントがついている。ラジオでも毎日流れている(僕が聴くラジオ局では、ExplicitといってFワードを使って歌うバージョンが平気でオンエアされている)。

アーロンは、ひとりではなかったのだ。

彼に賛同するかどうかは聴くひとの勝手だが、多くのアメリカ人が現代に対して感じている、焦燥や憤懣が表現されている。

 

youtu.be

“I’m Not the Only One” by Aaron Lewis

Am I the only one here tonight
Shaking my head and thinking something ain't right?
Is it just me?
Am I losing my mind?
Am I standing on the edge of the end of time?

俺だけか 今夜ここに
なにかがおかしいと思って 首を振るのは
俺だけ? 俺の頭がおかしいのか?
俺はこの世の終わりにいるのかね

Am I the only one?
Tell me I'm not
Who thinks they're taking all the good we got?
And turning it bad
Hell, I'll be damned
I think I'm turning into my old man

俺はひとりぼっちか? ちがうと言ってくれ
やつらがこの社会のいいところを奪って 捻じ曲げる
そうなったら俺も終わりだな
俺はオヤジみたいになってきたな

Am I the only one willing to bleed
Or take a bullet for being free?
Screaming 'What the fuck!' at my TV
For telling me
Yeah, are you telling me?
That I'm the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
As the statues coming down in a town near you
Watching the threads of Old Glory come undone

俺だけか? 自由であるために
血を流すことを 弾丸を喰らうことを 厭わないのは
なんじゃそりゃ! とテレビに叫ぶ
なに言ってやがる 
俺だけだとでも?
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でも銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

Am I the only one not brainwashed
Making my way through the land of the lost
Who sees it as it is
And worries about his kids
As they try to undo all the things he did

俺だけなのか? 洗脳されていないのは
失われゆく国でなんとか前に進もうとするのは
事実をそのままに見るのは
子供の未来を憂うのは
神がしてきたことを やつらがナシにしていく中で

Am I the only one who can't take no more
Screaming, 'If you don't like it, there's the fucking door'
This ain't the freedom we been fighting for
It was something more
Yeah, it was something more

俺だけか? もう無理だと思うのは
気に喰わないならドアはあっちだぜと叫ぶ
こんな自由のために戦ってきたわけじゃないだろ
もっと大きななにか
そう もっと大切ななにかだろう

Am I the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
Another statue coming down in a town near you
Watch the threads of Old Glory come undone
Am I the only one?
I can't be the only one

俺だけか? 自由であるために
血を流すことを 弾丸を喰らうことを 厭わないのは
そんなバカな! とテレビに叫ぶ
なに言ってやがる 
俺だけだとでも?
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でも銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

俺だけか? 俺だけなはずはないだろう

Am I the only who quit singing along
Every time they play a Springsteen song?

俺だけか? スプリングスティーンの曲が流れるたびに
合わせて歌うことをやめたのは

Am I the only one still sitting here
Still holding on, holding back my tears
For the ones who paid with the lives they gave
God bless the USA
I'm not the only one willing to fight
For my love of the red and white and the blue
Burning on the ground
Another statue coming down in a town near you
Watching the thread of Old Glory come undone

俺だけだろうか まだここにいるのは
涙をこらえながら まだ持ちこたえているのは
命を捧げた者たちのために
アメリカに神のご加護を
俺だけじゃないだろう
焼け落ちる 赤と白と青の国旗への愛のために
戦おうという気があるのは
きみの近くの町でもまた銅像が倒され
歴史の連なりが断ち切られるのを眺める

I'm not the only one
I can't be the only one
I'm not the only one

俺だけじゃない 俺だけなはずはない
俺だけじゃない


(対訳:前田将多)

youtu.be

補遺:ブルース・スプリングスティーンは長らく労働者を代弁するロック歌手として認知され、「The Boss」の愛称で大衆から敬われてきたが、2020年10月に、「トランプが再選されたらオーストラリアに移住する」と発言した。アーロン・ルイスは「ひとりの男のために国を捨てようなど、それがアメリカ人としての態度か」と怒っているようだ。

「毛のことに、いちいちうるさい国」

大阪の高校で、「髪を黒く染めろ」と強要されてモメた末、不登校になった女子生徒が慰謝料など損害賠償を求めた二審判決がニュースになった。

一審の報道:

www.nikkei.com

二審: www.sankei.com

判決は、一審と同じく、「学校側の指導に違法性はない」として女生徒の訴えを再び退けたが、不登校の間に座席表や名簿から名前を省いたことは違法として220万円の求めに対して33万円の支払いを命じた。

このニュースは一見、「女生徒は生まれつき髪が茶色いのに、無理矢理に黒く染めさせられた」と思うのだが、よく読むと、一審において「生来の髪色が黒色だという合理的な根拠に基づいて指導した」と認められていて、つまり「女生徒の生来の地毛は黒かった」のである。

はっはっは、やりよるのぉ。

 

僕が思ったことは二点ある。
①本当に生まれつき茶色い髪のひとだったなら、裁判所は違法と判じただろうか(すると思うし、すべき)。
②たとえ彼女が頭髪を茶色く染めていたとしても、それを黒く染め直させる校則ってなんなのだろうか(後述)。

よその小娘が茶髪にしようがしまいが、ひと事だから僕はそんなふうに寛容に考えられるのだろうか。自分に娘がいて、彼女が金髪にして厚化粧して、半裸みたいな恰好で、頭悪そうなチャラチャラした男たちを引き連れて、平気で外を歩いていたら、僕はどのように反応するか、想像してみた。

……泣きながらぶん殴るかもしれないし、「青春を謳歌しとるのぉ」と目を細めるかもしれない。わからない。

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犬猫で考えて申し訳ないけど、こんな弱虫でもちゃんと育てるし…

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こんな暴れん坊でも、傷だらけになって抱きしめますがね…

僕が通った都立高校は自主性を重んじる校風で、およそ校則というものがなかった。
唯一、「体育館では体育館履きを履け」くらいのもので、上履きで体育館に入った生徒が、体育教師に殴られたという話を耳にして「おいおい、規則のレベルに対して罰が異常にキビシイなwww」と当時ビビったものだ。

服装も格好も自由だったので、僕は髪を伸ばしてポニーテイルに結んでいた時期もあるし、3年時にはカウボーイハットをかぶって登校していた。ふだんは自転車通学なのに、ハットかぶって馬じゃなくて自転車に乗るのがどうも納得できなくて、ハットの日はわざわざ電車で行っていた。

同級生には金髪に脱色した生徒もいたし、ヒゲもいたし、どんな格好をしても自由だった。

富田くん(仮名)はパーマをかけて登校した日に、「林家ペーか!」とみんなに爆笑された。以来、卒業まで「ペー」と呼ばれるハメになった。女子からも「ペーさん」と呼ばれていた。

自由とはそういうものだ。自己表現して、それがダサかったり汚かったりすれば、まわりからそれなりの評価を受けるのである。

いま四十代半ばの僕らの時代でいえば、たとえばリーゼントにしてボンタン履いていれば、街でツッパリに絡まれる確率は高くなっただろう。イキッた格好をしていれば、それなりのリスクがあるのだ。
それでもなお自分のしたい格好を貫きたいなら、イバラの道かもしれないが、かき分けて進むしかない。
その過程でなにかを学ぶこともあるだろう。それこそが教育である。

そういえば、女性が半裸みたいな服装で電車に乗って痴漢に遭って、「そんな服着てるからだ」と言うおっさんがいたら、そっちが社会的に半裸にされて吊るし上げられる。それはわかる。
従って、あくまでも悪いのは痴漢なのだから、イキっていてヤンキーやチンピラに絡まれたとしても、ヤンキーやチンピラが悪いのだろう。
うん、だけどヤンキーやチンピラは、悪いのが前提なので、そう主張したところで、なにかが解決するわけではないね。

 

高校生が髪の毛を染めることはなにがいけないのだろう。

上記のように「街で危険な目に遭うリスクを避けさせるため」なのであれば、自動車に轢かれるかもしれない登校などさせられなくなる。

「まわりとちがうことをしてはいけない」のであれば、期末試験で全科目100点取ってもいけないし、身長が190センチになってもいけないことになりはしないか。

アメリカで大学に行っていたカンタさんの言である。

僕も同じく大学教育をアメリカで受けて、いろいろなことに気づいた。
「人だかりは黒山ではなかった」し、「肌色という色はなかった」のである。

「日本は”decipline”が優れている」と外国からは思われていて、つまり規律正しいということだ。
災害で被害を受けて、みんなが困った状況になっても、よその国みたいに食料や物品を強奪し合うようなことにならないのは、確かにすばらしい国民性である。
それはぜひ今後とも大切にしていきたいものだが、「髪の毛を染めない」ことは規律なのかどうか。

僕はちがうと思う。

学校教育において「規律」というなら、「お互いに助け合う」とか「弱い者をいじめない」とか、人間として当たり前だと我々が思っていることをちゃんと教えるべきだし、国際化する現代においては、「ひとの肌や髪の色についてとやかく言わない」と教えた方がいいくらいだ。
出席するとか試験で及第点を取るとかを含め「約束を守る」ことさえできていれば、髪の毛の色など規律でもなんでもない。

バカな教師がバカな規則をでっちあげて、それを勝手に規律だと思い込んでいるだけだ。

くだんの高校だって、ウェブサイトを見にいけば「なりたい自分を実現する」だとか「輝く個性」だなんて書いてある。キサマ、どのクチが……。

 

そして、学校だけでなく、社会一般の中でも、こういったバカな規則が溢れかえっているのがジャパンなのである。

monthly-shota.hatenablog.com

この国では長らく、人間をおんなじカタチした鋳型に嵌め込んで量産するのが教育だとされてきた。だけど、それが間違っていることなど、誰でも気づいているはずなのに、自分たちの目の前のくだらない規則は等閑視してしまう。

友人が、あるイベントで百貨店に立つことになったのだが、百貨店側から「ヒゲは禁止」と言われたそうだ。

「は? バカじゃないの」と僕は彼に言ったあと、「『御社の多様性というものへの見解についてお聞かせください』とでも訊いたら?」と付け加えた。

まぁ、たたかうことにすると二審まで行かなくちゃならなくなって面倒くさい(大阪メトロ運転士の「ヒゲ訴訟」も二審までいって原告の勝訴)から、そこまでしなくてもいいんだけど、こういう「誰かに叱られるかもしれないから、先まわりして当たり障りなくしておく」という態度が、社会を息苦しくさせていて、自分らしく働くことが歪められている要因のひとつである。

 

で、ヒゲ禁止と言われた友人はどうしたか。

「ずっとマスクしてましたから、関係ないですよ」

はっはっは、やりよるのぉ。

「古いものは、腐ってない限りよいのではないか」

ダイバーシティだとかサステナビリティ―だとかSDGsだとかポリティカリーコレクトネスだとか、ホント―にうるさい世の中になったものだが、いつの世も敬意を払われモテるのは、男らしい人、女らしい人であるというのは強烈な皮肉である。

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……てなことを、アメリカの刑事ドラマや日本の探偵小説を通じて思った。

寅ちゃんもこう言っていたし。

 

「古い男」と聞いて、二階さんみたいなのを想像されると困っちゃうのだが、カッコいい男はたいていちょっと古いのである。

僕がここ何年も観ているのは『シカゴPD』で、これはシカゴ51分署の消防士たちを描いた『シカゴファイア』のスピンオフとして製作され、現在シーズン7まで続いている。
シカゴ警察署に設置された特別捜査班のハンク・ボイト捜査官は正義の悪徳刑事で、ギャングから押収したカネを自分の金庫に隠し持っていて、仲間が人質になるなどイザというときには、そこから札束を出してきて使うし、事件解決のためなら暴力、拷問、なんなら殺人まで厭わない冷血漢だ。
反面、特捜班の部下たちには強い連帯感を持っていて、よい父親のように頼りになる男でもある。

www.axn.co.jp

最近見たのは『BOSCH』というアマゾン製作の刑事ドラマ。シーズン7で完結したが、これはアマゾン史上最長で、彼がLA警察を辞めて私立探偵になってからのスピンオフ作品が今後発表されるという。
主人公のハリー・ボッシュは典型的な一匹狼タイプで、上層部に媚びないので出世はしないが、直属の上司(女性)の顔は立て、捜査資料をしつこくしつこく読み込んで事件解決に執着する。

www.amazon.co.jp

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Amazon primeより

5作の長編を今年読み終えてしまって、出るのか出ないのかわからない次作が待ち遠しいのは原尞さんの『探偵沢崎シリーズ』。
1988年に『そして夜は甦る』でデビューしてから約30年の間に長編は5つしか書いておらず、2作目と3作目の間が5年とすこし、3作目と4作目が9年、4作目から最新作にいたっては13年以上もかかっているという、生ける伝説の探偵小説作家である。
沢崎は西新宿にあるワタナベ探偵事務所の探偵だったが、雇用主が疾走したため、ひとりで事務所を経営している。ボロい車に乗り、警察にもヤクザにもクールな減らず口をやめず、硬骨漢そのものなのである。

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最新刊『それまでの明日』

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いずれも「古い男」たちばかりで、軽やかに生きているようには思えない。

対義語となる「新しい男」というのは、まぁ「いまどきの男」ということだから、流行に敏感で、いまならスニーカーとかプレミア価格でも集めちゃって、なんなら転売しちゃって、テクノロジーに対してはアーリーアダプターで、スマホに心拍数とか燃焼カロリーとか記録させちゃって、米津さんのような本当の天才にしか許されないマッシュルームカットしちゃって、ミニマリストでビーガンでノンバイナリーで……。

世界は広いからどんな人がいてもいいんだけど、急に言い出すのやめてよね。
おじさんたちおばさんたちは、なにがなんだか飲み込むのにひと苦労なんだよ。

 

ところで僕の3冊目の本は翻訳書になった。

『寅ちゃんはなに考えてるの?』というタイトルで、夜な夜な僕が寅ちゃんになにを想うのか問いかけた彼の返答の言葉が「200寅ちゃん」収蔵されます。
ネコの寅ちゃんが言うことは、僕の意見ではありません。僕はあくまでも翻訳しただけなので、著者は寅次郎名義です。
でも、内容は知っているので、200寅ちゃん読むとなんだか心動かされることは約束できます。

特装版はレザー張りの表紙で、9月20日までの予約数に応じて製作する予定。ですので、予約しないとほぼ手に入らないとお考えください。
レザーは黒、焦げ茶、茶色、グレーなどで、牛革もあれば山羊革もあるので、基本的にはどんなレザーがお手元に届くかはそのときまでのおたのしみ(11月発送予定)。

通常版は紙の表紙で、撮影したレザーを印刷したデザインになります。

ランダムにいくつかご紹介:

 あー、うっとうしいw

飼い主から見た寅次郎は、ボイトのように暴力的で、ボッシュのようにしつこくて、沢崎のように腹立つネコなのですが、たまに古くさくてもよいことを言いますので、ぜひ購入をご検討いただきたいです。

いまどき革張りの書籍なんて作らないし作れないんですよ。しかもただの写真集ではなくて、1ページ1ページ、デザインがちがう…。
これは、ただの本を超えたなにかになるはずです。

 ご予約はこちら:

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Thanks.


タイトル:『寅ちゃんはなに考えてるの?』
著者:寅次郎
版元:ネコノス
デザイン:上田豪
撮影:田中泰延(特装版)
レザー協力:内山高之
印刷ディレクター:ムラ係長
訳者:前田将多