月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「コロナ禍を、人間として生きること」

コロナにはじまり、コロナに終わった一年であった。

皆さん、おつかれさまでした。……なんだけど、まだ終わっていないどころか、日本の感染者数は過去最多の4515人で2020年を締めくくるという、苦い苦い年の瀬となった。

僕個人の感慨としては、ウイルスそれ自体への恐怖よりも、人間の醜さを見せつけられた酸鼻の方が大きかったように感じる。

トイレットペーパーやマスクを買い占めた人たち、所謂「自粛警察」として、県外からの自動車に傷をつける嫌がらせをしたり、帰省した人の実家にわざわざ匿名の張り紙をした人たち、政府からの補助金を詐取した人たち、医療従事者の子供を預かることを拒絶した保育園、「俺はコロナだ」と言って、わざわざ接客のある飲食店で飲んだり、ツバを吐きかけて故意に他人にうつそうとした人たちなどなど。

僕の知人は北関東のとある県に嫁いだが、その村でコロナに感染してしまった人は、家族ごとよそへの引っ越しを余儀なくされたという。

2011年の東日本大震災のあとにも同じように、買い占めや、被災者へのいじめや、瓦礫処理の受入れ拒否があったことを忘れた人はいないはずなのに、まったくデジャブのような光景であった。

生物が「種の保存」のために行動するというのは大きな誤解で、「個(自分)の保存」を優先するという。自分の生存のために、種(群れ)があった方が有利と考えるときには、群れ(社会)を守る行動をとるが、それはあくまでも自分のためにと、遺伝子に書き込まれたプログラミングなのだ。

ただし、これは生物学者や動物行動学者が二十世紀より解明してきた「生物」「動物」の生き方のことであって、「人間」には遺伝子学のみでは計り知れない文学的な生き方、そして死に方があるはずなのである。

上記の独善的なひとたちを見聞きして、「あぁ、生物として生き残りたくて、人間としては生きてねえんだな」と半ば呆れて思う。

 

なにが本当なのか、どうすればいいのか、情報が溢れかえった中で、僕は今年の半ばにおいて、積極的にニュースに触れるのをやめた。特に民放のテレビを観るのは真っ先にやめた。

どれだけ情報や報道に触れても、とどのつまりは自分ができることは「手を洗う」「マスクをする」「三密を避ける」という、これまでに何度も聞かされてきた方法しかないようなのだ。

バカのひとつ覚えのようで忸怩たるものがあるが、現時点でわかっている、つまらないけど本当のことなのだから仕方ない。

そして、誤解を恐れずに言うと、毎日死について考えた。
自殺することではない。今年は実際に著名な方が何人も自死を選んでしまって、少なからずショックを受けたが、僕は「今年に死ぬのだけはごめんだ」と思っていた。

多くのひとが生活を脅かされ、中には人生を狂わされたひともいた散々な一年だったが、この大災難の終焉になにが待っているのかだけは見届けたいと思った。

そのためにも生きなくちゃいけないから、感染予防のためにできることが「手洗い」に「マスク」であるならお安い御用なのであった。

しかし、「死ってそんなに怖いものなのか。怖いのは痛みや苦しみなのではないのか」、「死はいつか受け容れなくてはならない。これはそのための貴重な訓練なのではないか」といったことは考えた。

毎日セックスについて考えていて、いざ本番がきたら思ってたよりあっけなかったように(※個人差があります)、死についてちゃんと考えていたら、みっともなくおたおたしないかもしれないじゃん! するかもしれないし、知らんけど。

まぁ、とにかく「そない長く生きたいとは思わないが、近々死ぬのはカンベンしてほしい」というこれまでの基本方針を貫いていくまでだ。

 

カントリーソングに”Prop Me Up Beside the Jukebox”という歌がある。
「俺が死んだら、ジュークボックスに立てかけてくれ

 神様よ、天国には行きたいけど、でも今夜行きたいってわけじゃねえ♪」

www.youtube.com

これを歌ったジョー・ディフィーというカントリー歌手も、今年コロナ感染により亡くなってしまった。僕が好きな歌手のひとりだった。
このひとの”Pickup Man”という歌に影響されて、19才の僕がはじめて買ったクルマはピックアップトラックだったし、39才の僕がカウボーイの牧場でジョンディアのトラクターを運転しながら歌ったのが、彼の”John Deere Green”という歌だった(拙著『カウボーイ・サマー』P182参照)。

 

誰しもを傷つけ、大切な人や仕事を奪っていったウイルスであった。……あ、まだ終わっていないか。ひとまず、今年は終わった。

 この忌々しいコロナ禍の向こうに、きっとたのしいことがたくさんあるはずと信じて、また来年。
皆さん、お元気でね。

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「なんだか泣けた夜の話」

45才になりました。信じられません。

成人して四半世紀、25才で会社に入ったから、社会人20年ということになる。
人生50年ならもう晩年を迎えているのに、大したことはしていない。

同じ45才で亡くなった著名人たちを挙げると、
クイーンのフレディー・マーキュリー
ジャズピアニスト、歌手のナット・キング・コール
イリュージョニストの初代引田天功
そして、作家の三島由紀夫がいる。

近しい年齢では、『スローカーブをもう一球』のスポーツライター山際淳司(46才)、ジョンFケネディー35代米国大統領(46才)、写真家・探検家の星野道夫(44才)などがいて驚く(敬称略)。

ちなみに世を去った年齢は、享年で表記すると年を越えた時点で1才足されるので、ややこしい。今回は、死没した時点での年齢で表わした。

数日前の11月25日が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫が割腹自殺をした日から50年だったので、新聞やテレビをはじめとしたメディアで三島が次々と取り上げられ、書店には三島関連本が多く並んでいる。

三島由紀夫についてはあまりに多くが語られているため、僕が思うことなどここでは割愛するが、
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」
という、三島がサンケイ新聞(現・産経新聞)に寄稿した随筆の有名な一節を、現代に読んでなにかを思わない人はいないであろう。

かと言って、自分を顧みて、自らの腹を掻っ捌いてまで訴えたいような、激烈ななにかを僕は持っていない。

それは哀しいことのようにも思えるのだが、ないからこそ45年目も元気に生きられそうな気がして、今夜は凡人に生まれた僥倖を静かに祝おうか。

上記の偉人たちに比べたら、そりゃなにもしていないに等しいのだけど、小さい人生には小さいなりにいろんなことが起こり、まずまずがんばってきたし、「いつ死んでもいいや」と思えなくもない。

しかし、僕はある大阪の名士(仮に井上さんとしよう)に説教された日を忘れない。

僕が書いたコラムを田中泰延さんフェイスブックでシェアして、それを読んだ井上氏が僕たち二人を呼び出した。

曰く「きみたちに酒を奢りたいのだが、一席設けさせてくれないか」。

僕は氏とは初対面だった。

靴を脱いでお座敷に上がるような料亭に案内されて、料理をごちそうになったあと、三人は彼が行きつけにしているバーに入った。
高い竹鶴を用意してくれていて、それを飲ることになっていた。
何杯目かのウィスキーののち、僕はなにかの拍子に「いつ死んでもいいと思っている」旨を述べたのである。
僕は14年勤めた電通を辞め、カナダでカウボーイをして帰国し、本(原稿)も書き終えたころだったと思う。ちょっとした虚脱感と、先への不安を抱えていたのだった。

そのとき、井上氏は言った。
「僕はな、四肢のない水泳選手が、プールで泳ぐのを見たことがある。溺れているのか泳いでいるのかわからないモゾモゾした動きで、観客ははじめぎょっとして見ていた。しかし、彼は沈みそうになりながらも着実に進み、ゴール間近になると、観客はみんな立ち上がって、もう大声援や。僕は心を揺さぶられてもうてな。
……だから、五体満足なきみは、そんなこと言うたらあかん」

彼は僕を指ささんばかりにつづけた。
「能力を、使い尽くせよ。やれることはぜんぶ、やれよ」

僕は不覚にも初対面の男の言葉にシビれて、涙してしまったのだった。

 

あれからまた何年か過ぎ去り、僕はまた誕生日を迎えてしまったのだが、45才にもなれば自分の能力はわかっているつもりだし、見えてしまいそうなその限界に抗いながら、どうしたらそれを使い尽くすことができるのか、考える毎日である。
ウィスキーを飲みながら、命を浪費しながら、サボりながら、考えている。

教えてよ、寅ちゃん……。

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「知らんわ」

 

「酔っ払いが大嫌い、だった」

僕が酒を飲みはじめたのは遅くて、二十代も後半になってからだ。
両親と男ばかり三兄弟の家族なのに、冷蔵庫にヨーグルトやプリンはあってもビールはないような家庭だった。
若いうちに何度か飲酒を試してみたけど、おいしいとも思えないし、心臓バクバクするし、自分には合わないと思い込んでいたのだ。

そして、それ以上に、酔っ払いが嫌いだった。大嫌いだったのである。

「飲まないと言えないことがある」→ふだんウソばっかついて生きやがって。
「酔うとエッチになっちゃう♡」→飲まないでもなれ。オレはなる。
「俺の酒が飲めないのか」→お前が作ったんか。

と、このように思っていたのである。

こちとら酔っぱらうという感覚がわからないので、酔っ払いの挙動はすべて、「志村けんが、ああいうふうに酔っ払いの演技をするから、みんなそれをマネしているのだ」と考えていた。

僕はケンタッキー州の大学を出ている。
ケンタッキー州はウィスキーの名産地で、1920年代の禁酒法の時代に、それまでは東海岸で蒸留されていた酒を密造するために、業者らがアパラチアン山脈を越えて内陸部に逃げ、水のよい土地としてケンタッキーを選んだ。

元々はケンタッキー州バーボン郡でつくられた、原料の51%以上がトウモロコシであるコーンウィスキーをバーボンと呼んだそうだ。いまではバーボンはケンタッキーのあちこちで製造されている。

挙げればキリがないが、代表的なところでいうと、メイカーズ・マーク、ジム・ビーム、オールド・クロウ、ワイルド・ターキー、アーリー・タイムズなどなどがある。

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2015年にMaker's Markの蒸留所も訪ねた

学生の僕は、当時ケンタッキーバーボンの一滴も飲まなかった。いまから思うと、なんてもったいないと思うが、そのころは授業のあと学内のジムで鍛えてからプロテインを飲むようなマジメな学生だったし、ルームメイトは酒もタバコもやらず、日曜日には教会に通うような男だったし、カネもないしで酒は飲まなくてよかったかもしれない。

その後、酒の飲み方に関しては悪名高かった電通に入社すると、僕は身構えた。
「ムリヤリ飲まされたらどう対処しよう……」

そういう席では「僕は、酒は飲みませんので」とまっさきに宣言していた。

そうすると必ず「飲まないのか、飲めないのか?」と訊かれる。

「飲めないし、飲みません」と決然と述べると、なんだかダブルで意志が固いような印象を与えられて、それ以上勧められることはなかった。よい先輩や上司に恵まれたのだ。

 

ところが、である。現在、四十四才。オレはどうしちまったんだ。
酒を飲まない日はない。

ウィスキーをおいしいと思うし、二日酔いしないし、体に合うのだろう。なんてこった。

 

 

 

依存しているかどうかで言うと、依存しているはずだ。

日常生活に支障はないし、いわゆる「アル中」という言葉で連想されるような、手が震えるとか、肝臓の数値がぁーとか、時と場合をわきまえず昼間から飲むとかいうことはない(こともない)が、「今日はやめておこう」と思っていても、夜になるとビールの一本はプシュッといってしまう。

 酒を飲むようになってよかったと思えることは多々ある。

得がたい友人たちも得たし、酩酊により冷たく厳しい現実からちょっと遊離するような心地よい感覚も知った。
会社を辞めてから酒量は増えたが、牧場でカウボーイたちと働きながら飲んだビールや、働いたあとのウィスキーは忘れがたい。

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カントリーには、酒に関する歌は多い。

僕の好きなやつを一曲紹介したい。

Midlandという3ピースバンドの”Drinkin’ Problem”という歌である。

 

“Drinkin’ Problem” by Midland

One more night, one more down
One more, one more round
First one in, last one out
Giving this town lots to talk about
But they don't know, what they don't know

もう一夜 もう一口
もう一度 もう一杯
最初に来て 最後に帰るやつ
この町で噂になっている
でも連中はわからないことはわからない

People say I've got a drinkin' problem
That ain't no reason to stop
People sayin' that I've hit rock bottom
Just 'cause I'm living on the rocks

ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
それはやめる理由にはならないね
ひとは俺がどん底にいるという
なぜなら俺がオンザロック座礁とのダブルミーニング)で生きているから

It's a broken hearted thinkin' problem
So pull another bottle off the wall
People say I got a drinkin' problem
But I got no problem drinkin' at all

これは失恋による難儀な問題だ
棚からもう一本もらおう
ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
だけど俺には飲むことになにも問題はないね

They keep on talkin'
Drawing conclusions
They call it a problem, I call it a solution

彼らはくっちゃべっては
勝手な結論を導く
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ

Last call gets later and later
I come in here, so I don't have to hate her
Same old folks, same old songs
The same old, same old blue neon
The same old buzz, just because

ラストオーダーは深く また深くなる
俺はここに来ると 彼女を恨まないで済む
おんなじ連中 おんなじ歌
おんなじ酒

People say I've got a drinkin' problem
That ain't no reason to stop
People sayin' that I've hit rock bottom
Just 'cause I'm living on the rocks

ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
それはやめる理由にはならないね
ひとは俺がどん底にいるという
なぜなら俺がオンザロックで生きているから

It's a brokenhearted thinkin' problem
So pull another bottle off the wall
People say I got a drinkin' problem
But I got no problem drinkin' at all

これは失恋による難儀な問題だ
棚からもう一本もらおう
ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
だけど俺には飲むことになにも問題はないね

They keep on talkin'
Drawing conclusions
They call it a problem, I call it a solution

彼らはくっちゃべっては
勝手な結論を導く
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ

Just sitting here in all my grand illusions
They call it a problem, I call it a solution
Just a solution

ただここに座って壮大な幻想に浸る
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ
これこそが解決法さ

(対訳:前田将多)

 

酒は潤してくれるし、流してくれるし、浸らせてくれるし、濁してもくれる。沈まないようにだけはしなくては……。

Drink responsibly.

 

youtu.be

https://www.midlandofficial.com/

ブラックライブスがマターすると、レッドスキンはどうしたらいいのか

「もう人類はムリなんじゃないか」と思ってしまうような夏がつづいている。

ほとんど遊びにも行けないのに、いやになるくらい暑いだけで、冬にはじまったウイルスがしぶとくて、世界中が猖獗の地となり、香港で自由を求める人たちは法改正による恐怖に意気消沈し、アメリカでは人種差別へのたたかいがいつしか娯楽としての破壊行為になってしまった。

それに比べれば小さなことかもしれないし、一部は関連しているのだけど、また答えのない、うんざりするようなことを考えてみた。

NFLフットボール)のワシントン・レッドスキンズがチーム名を変更するそうだ。

2020年7月3日に「チーム名を再考する」と発表して以来、もうすぐ二ヶ月になろうとしているが、新チーム名は不明のままである。 

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書きようがなくてWashington Football Teamとある(左下)

簡単に経緯を紹介するとこういうことになる。

  • 1932年、ボストン・ブレイブスが創設されたが、同名の野球チームがあったため、翌33年にボストン・レッドスキンズに改称。
    インディアンの血を引いたとされるウィリアム・ヘンリー・ディーツという監督と、数名のネイティブ選手に敬意を表してそのような名前にしたとされている。しかし、ディーツが本当にスー族の末裔だったかどうかは不明であるという(画像検索をしてみた限り、本当のように感じるが)。
  • 37年、ワシントンDCに移転。
  • 67年、はじめの6つの商標登録を取得(その後チームロゴなどでさらに追加)。
  • 72年、ネイティブアメリカンの代表者たちから抗議を受け、チーム名変更などを求められる。このときは応援歌の「頭皮を剥げ!」の歌詞を改変し、チアリーダーの三つ編みのカツラを取りやめている。
    以降もネイティブからの抗議を受けて、登録商標無効の裁判などで争ったが、最終的にチームは勝訴している(2017年)。
  • 2013年、オウナーのダニエル・スナイダーは「チーム名は絶対変えない。絶対だ」と宣言。
    その後も、オバマ大統領(当時)、DC知事、メディアなどの発言から圧力を受けつづける。
  • 2020年、フェデックス、ナイキ、ペプシなどスポンサーからの要請に屈するかたちで、チーム名の再検討を発表。

www.washingtonpost.com

 

ちなみに、MLB(野球)のクリーブランド・インディアンスもマスコットキャラクターであったワフー酋長を2018年シーズンでもって廃止した。今後はチーム名も変更を迫られる可能性はある。

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僕としてはなんだか気持ち悪さが残るこれらの決定なのだが、それは単に僕が部外者だからなのだろうか。
インディアンをモチーフにすることがよくないのなら、カンザスシティ・チーフス(酋長)やダラス・カウボーイズはなぜよいのだろうか。
ミネソタ・ヴァイキングススカンジナビア半島の人からクレームがつかないのだろうか。
ラスヴェガス・レイダース(侵略者)は犯罪被害者の人たちから文句を言われないのだろうか。
ニューヨーク・ジャイアンツは巨人症の患者たちを悲しませないのだろうか。
ニューイングランド・ペイトリオッツ愛国者)は、アメリカでは問題ないだろうが、日本だったらうるさい連中がわいてきそうだ。

レッドスキンズ」のなにがいけないのか、調べてみても「団体が侮蔑的だと主張している」より先の具体的な情報がない。おそらく戦略として、あえて「侮蔑的である」の一本鎗で通しているのだろう。人の主観については、それ以上の反論がしにくいからだ。

肌の色への言及がいけないと仮定すると、”Black Lives Matter”と矛盾するようになる。肌の色に人種を象徴させて「黒人の命をちゃんと扱え」と訴えているからだ。

先住人たちは、もしかしたら自分たちの肌は赤くないと考えているのかもしれない。
確かに、日本人(東アジア人)の僕は、自分の肌が黄色いだなんて思ったことはない。
我々はふだんも「あの人は肌が白いね」「ゴルフして真っ黒になっちゃったよ」などと話す。

しかし、いまでも黒人を黒人、白人を白人と呼ぶように、我々が何色なのかといわれたら、黄色以外に選択肢がない。それは「黄色組」に入っているくらいに、僕は思っている。運動会で「僕は赤組じゃない」「人を白と赤で分けるのはよくない」とか言っても仕方ないからだ。

アメリカの運転免許証には、生年月日、身長、体重のほかに、髪の色、目の色が記載される。肌の色はないが、色で識別されることがフツーにあるのだ。

レッドに関していえば、「RED MAN」という噛みタバコのブランドは1904年からある。

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黒人が”Black is Beautiful”と謳ってきたように、インディアンはレッドであることを誇りにしてきたフシすらある。
たとえば、アメリカンインディアンの文化保護団体であるAssociation on American Indian Affairsは、「Red Hoop Talk」というトークショウを配信している。
 

Red Hoop Talk - Association on American Indian Affairs

https://www.indian-affairs.org/red-hoop-talk.html

 

「文化の盗用」の問題だろうか。

つまり、先住民族でもない者が企業マスコットとしてインディアンをステレオティピカルに描くこと、黒人でもない者が黒人のイメージを商業利用すること、日本人でもない者が(アメリカ各地にあるような)インチキな日本食レストランを経営すること、これらが文化の盗用の例である。

しかし、これも突き詰めれば、大阪のインデアンカレーもNGだし、そもそも、日本のイタリアンレストラン、フランス料理店、カントリーバーなどなど、ほとんどが文化の盗用になりかねない。

「リスペクトがあるか、ないか」という基準は非常に微妙な匙加減なので、取り扱う人は充分慎重にやらなくてはならないのは間違いない。

レッドスキンズという名称の否定が、アメリカンインディアンの総意ではなく、一部のノイジーマイノリティの運動であったとするなら、チームの経営者がすべきだったことはいくつかあるだろう。

ウィリアム・ヘンリー・ディーツ監督が本当にネイティブアメリカンの血を引く者だったことを証明する。
そもそもの命名がそのスピリットに敬意を表するものだったことを確認する。
その上で、アメリカンインディアン系のスタッフを積極的に採用する方針を掲げる。もちろん選手も、有能な者がいれば(アファーマティブ・アクションの問題点に留意しつつ)獲得・育成する。

これらができたなら、ほぼポリティカリーコレクトネスに敗けることはなかったように思うのだが、事なかれ主義の大企業スポンサーのカネに屈するしかなかったことは悔やまれる。

ゆくゆくは、アメリカンインディアンのスター選手を育成し、後進の、同人種の若者が「いつかレッドスキンズでプレイしたい」と憧れるようになれば最高ではないか。

これは、継続的なブランド構築により不可能ではないはずだ。

そして、なにかを隠匿、排除、糊塗するだけではなく、こういった未来を照らすための活動こそが、いま求められるのではないだろうか。

 

ブラックライブスはもちろんマターするべきだが、なぜ町を燃やし、人々が殺し合っているのか、僕にはぜんぜんわからない。このコラム劈頭に「娯楽としての破壊行為」と書いたが、撤回するつもりはない。百歩譲って自己陶酔だ。

暴力でなにかを解決できると考えているなら、無知である。

ジョージ・フロイド氏の死を発端に全米各地で巻き起こったが、彼の死と、デイビッド・ドーン氏の殺害に軽重はないはずではないか。
ドーンさんはセントルイスの元警官(黒人)で、6月2日に友人の質店を暴徒たちから守ろうとして射殺された。彼が絶命するまでの間、誰かがスマホで動画撮影をしてフェイスブックに配信された。

日本のウヨクとサヨクも似たところがあるが、畢竟、同じような種類の人間たちが銃口を向け合っている。

アメリカはどこへ向かっているのか、なにをどう解決したいのか、まったく混沌としてしまった。

 

「美白」を謳った化粧品を販売中止する動きもあるが、多くの人が疑問に感じているように、肌が白いことは、少なくとも我が国では古来より美しいとされてきたから、その価値観はなかなか揺るがないのではないか。

クエーカー・オーツ社が黒人女性のイラストを使った「アント・ジェマイマ」のブランド名を変更するそうだが、いやいや、その前にクエーカー教徒の白人男性のイラストが社を代表しているのはどう考えているのか。
bbc.com/japanese/53088372

こういった運動を推し進めるとどこに行きつくのか、その帰結するところを、きっと誰も考えていない。

端的に言うなら「白人以外ぜんぶダメ」ということになろう。
そして、それは皮肉なことに、白人優位の世界をより強固にするだけだ。

マクドナルドのロナルド、P&Gのミスタークリーン、プリングルズのひげのマーク、ラム酒のキャプテン・モーガンモノポリーおじさんはすべてお咎めなしだ。特にマクドなんて、黒塗りならぬ白塗りしてるわ、夢に出てくるほどの恐怖でしかないわ、いろいろ問題ありそうなのに……。

erinsweeneydesign.com

 

リンカン大統領が奴隷解放宣言をしたのが、南北戦争中の1863年
マーティン・ルーサー・キングJR牧師が25万人の前で「私には夢がある」と演説をしたのが1963年。
その間、実に100年。

さらに半世紀以上の時間が流れたが、人類の歩みは善い方向に向かっているのか。

人工国家アメリカは、人類の可能性と醜悪を、我々に見せてくれる。

「あらゆるものが『生きろ』と言うが」

死について考えるとき、それが身近な誰の死であっても悲しいものだろうし、なかんずく自分の死であるなら恐れない人はいない。死ぬのはなるべく先延ばしにしたいものだ。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しむ女性が、医師二名に安楽死を依頼し、それに応えた二人が薬剤を与えて死なせたという、いわゆる安楽死に関する事件があった。

この報道に触れて、誰でも安楽死について思考を巡らせたのではないだろうか。

しかし、日本医師会の中川会長は〈今回の事件は安楽死尊厳死に当たらず、「安楽死の議論の契機にすべきではない」〉とコメントした。

ALS患者嘱託殺人 日医会長「安楽死の議論の契機にすべきではない」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

いや、これを議論の契機にしないでいつするの、と僕などは思う。
我が国では、介護や医療費や人としての尊厳など、終末期の医療に関する社会問題はすでに顕在化していて、それ以前に死は、個人の問題として、誰にでもふりかかってくることである。

どう考えても100%真っ白な答えは出ないむつかしい事柄とはいえ、感情に流されず議論を深めていくことは必須だと僕は思うのである。

まず、安楽死尊厳死という似通った言葉を分けておく。

一般に安楽死という言葉は、積極的安楽死を指し、つまり苦しみから解放するために薬物を投与して命を終わらせること。
尊厳死は、回復の見込みがない患者に対して、人工呼吸器など延命措置をとらないこと、または治療を中止して自然な死を迎える手助けをすること。

……ということなのだが、静岡大松田純名誉教授によると、世界各国では区別は明確ではなく、致死薬の投与など積極的安楽死、医師による自殺介助、治療の中止による消極的安楽死をひっくるめて「尊厳死」という概念でくくられているという。
日本の場合は、公益財団法人 日本尊厳死協会が「安楽死には反対」という立場をとっているため、きっちりとした区別があるということだ。
イヤな言い方をすれば、(マスメディアが)そこを混同した表現をすると団体が抗議してくるから、キッチリ分けないとアレというわけだ。

それはさておき、現在の日本では違法である安楽死について意見表明をすると、クソリプが飛んでくる炎上案件なのである。だから人は意見をしたがらないし、議論が深まらない。

僕はどちらかと言えば安楽死には賛成なので、その立場から、議論のために排除しておくべき態度を列記してみる。

■「いま難病と闘っている人に失礼」

安楽死に肯定的というのは、あくまでも「自分がそのときどうしたいか」ということであって、他人に対して意見を押しつけるものではないし、医者でも神様でもないのに「きみは治らないから死んだ方がいい」などと言いたいのでは断じてない。

その意味で、よく引き合いに出される優生思想とも直接的な関係はないと言える。

古くはナチスによる障害者安楽死の「T4事件」、最近では相模原障害者施設殺傷事件など、人道への犯罪については当然、相応の厳しい刑罰が下される。

それにも関連して……

■「生きたい人が生きたいと言いにくくなる」

重病や障害のある弱い立場の人が、家族や社会の負担を考慮して意に沿わない選択をしてしまうことを「すべり坂」と呼ぶそうだ。
しかし、世界で初めて安楽死を合法化したオランダでいえば、すべり坂の例は規制当局(地域安楽死審査委員会)の評価によると、起きてはいない。

そのために規制が設けられていて、オランダでの安楽死を行なう際には「注意深さの要件」という6つの条件が求められる(以下要約)。

a 医師が、患者の要請が自発的で熟慮されたものであることを確信している。
b 医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであることを確信している。
c 医師が、患者の病状および予後について、患者に情報提供をしている。
d 医師および患者が、患者の病状の合理的解決法が他にないことを確信している。
e 医師が、少なくとももう一人の独立した医師と相談し、その医師が診断の上、書面による意見を述べていること。
f 医師が、注意深く生命終結を行なう、自死を介助すること。

これを読んでもわかる通り、患者は安楽死を要望することはできても、その意を汲んで実施するか否かの最終決定権は医師にあるのだ。

ツイッターで検索すればこんな意見がある(以下、晒し上げる意図はないので、リンクではなく書き起こす)。

股間を『デリケートゾーン』って言ったり、売春を『パパ活』って言ったりするのと同じ感じで、安楽死を『ハッピーエンド療法』みたいな別の言葉で呼ぶ奴が出てくると思うし、そいつ社会的にはまあまあの地位を持っていて清潔感あって、一見すると悪人には見えない極悪人だと思う」

安楽死がマナーとなって早50年。今では仕事の失敗を安楽死で詫びるというのは社会常識となっている。先日は不倫騒動を起こした俳優が謝罪会見にて詫び安楽死を選択することを伝えた。恋愛禁止のルールがあったアイドルは熱愛が発覚し安楽死をしたことが話題となった。もちろん多くの人が悲しんだ」

……だそうです。
両方とも「すべり坂」についての言及だが、安保法制を「戦争法!」と呼んだり、テロ等準備罪にかかわる通信傍受法を「盗聴法!」と決めつけたりしてきた、我が国の「議論」が思い起こされる。こういうのは無益である。

■「今回のような残酷な事件をきっかけに法整備なんかしてほしくない」

上記の医師会会長と同じような態度だが、オランダでも安楽死の容認はある「事件」が端緒であった。1999年に精神科医のバウドウイン・シャボット医師が、50才の女性に対して自死を介助したのである。

日本でも安楽死にまつわる事件はいくつも起きている。ここでは詳細は挙げないが;
成吉善(ソン・ギルソン)事件(1946年)、山内事件(1961年)という家族による嘱託殺人事件。
医師によるものでも、東海大病院事件(1991年)、国保京北病院事件(1996年 ※不起訴)、川崎共同病院事件(1998年)があった。

www.amazon.co.jp


北海道立羽幌病院(2004年)、富山県射水市民病院(2006年)、和歌山県医大附属病院紀北分院(2007年)などでも延命治療中止をめぐって事件化した事例があった。
インターネットが絡んだものとしては、ドクター・キリコ事件(1998年)があった。

オランダとちがい、日本はそのたびにショッキングな事件性を煽り立てること、関係した個人を責め立てることに終始し、肝心の安楽死の議論を先送りにしてきて今日に至ったのである。

東海大病院事件は、医学部助手であった医師が、多発性骨髄腫に侵された患者の長男らから求められ、治療行為を中止し、なお苦しむ患者に対し塩化カリウム製剤などを注射し、死に至らしめたものだ。

横浜地裁は判決として、医師による積極的安楽死が許容されるための四つの要件を示した。
①患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること。
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。

このケースでは、医師は④(明示された意思表示)が満たされていないことを理由に、殺人罪に問われ、懲役2年、執行猶予2年に処された。

上記4つの要件に加え、現代に安楽死を論じる場合、
緩和ケアと組み合わせた検討と、本人、家族、医療チームとしての合意形成。
患者が認知症を持つ場合、安楽死の同意をどこまで有効とするのか。
精神的疾患により本人が「死ぬほどの苦痛」を感じている場合はどうするのか。
などなど、論じられなくてはいけない問題が山ほどある。

精神疾患に関連して述べるなら、医師によらない自らの手による自殺をどう考えるのか、という壁にぶち当たり、安楽死はよくてなぜ自殺はいけないと言えるのかという疑問に直面せざるを得ない。

こうなるともはや、医療を超えて、宗教や哲学の領域になる。

「②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」には該当しないから、安楽死議論の範疇ではもちろんないのだが、無責任な他者として言えることは、「死ぬまで生きようよ」というバカみたいなことをマジメに言いつづけるしかない。
だって、
「明日、朝メシがおいしいかもしれないじゃん」
「今度またカラオケ行けるかもしれないじゃん」
「今季、阪神が優勝するかもしれないじゃん」
「明日会う誰かと生涯の友になれるかもしれないじゃん」
みたいな、どんなくだらないことを希望として生きたっていいじゃん、と思う。

生きていれば、運気も気持ちも揺動するもので、その振れ幅が大きい人が躁鬱病として、深く深く沈んでしまうのだと思う。
僕にだって悩みはあるから、いつどうなるかは知らん。

身も蓋もないことを言うと、「テロリズムと自殺は止められない」と、僕は思う。
爆弾持って突っ込んでくる人を防ぎようがないように、死のうとする人を止められる絶対の方法はない。だから、年間2万人くらいの人が、救済の網からすり抜けるように亡くなってしまう。

だけど、病魔によって明日や明後日死ぬはずではない人は、誰かに頼ってでも生きてほしいと思う。
「生きててよかった」と思える日は必ず来るからだ。

 今回このコラムを書くにあたって参考にした松田純著『安楽死尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定』(中公新書)に、ダーウィンに関する記述があり、このように書いてあった。

〈人間は肉体的な弱さを、一つは「知的能力」を駆使して「武器や道具を作製できたこと」によって、もう一つは「社会的資質によって仲間を助け、また自分も助けられたこと」によって、補ってきた〉

強い者が生き残ってきたわけではなく、適応できる者が生き残ってきたわけだから、人間は自分ひとりの力ではなく、助け合って当然だというわけだ。
そのために家族がいて、友人がいて、文学があり、音楽があり、スポーツがあり、芸術がある。世の中の、淘汰に耐えてきたあらゆるものが「生きろ」というただ一点をバカのひとつ覚えのように伝えてきているのだ。

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それでも、死はまったく個人的なことで、残される者と死にゆく本人の問題はまったく別のものである。
今回のALSという病気には、立ち向かって生きようとしている人たちもたくさんいる。
よく知られたところでは2018年に死去されたスティーブン・ホーキング博士だろう。博士は病気の進行が緩徐であったため、気管切開によって呼吸を保ち、合成音声でコミュニケーションをし、76才まで生きた。

しかし、今回亡くなった京都の女性はTLS (Totally Locked-in Syndrome) が間近に迫っていたのではないかという報道もあった。

ALS嘱託殺人、女性に視力失う症状 意思疎通手段喪失前の「安楽死」希望か(産経新聞) - Yahoo!ニュース

体が動かなくなったALS患者は視線入力のパソコンを使って意思疎通や表現をすることができる。ところが、TLSになると目も使えなくなり、自分の身体の中に意識が完全に幽閉(ロックトイン)されてしまうという。
こんな残酷なことがあるだろうか。

そんな病魔が自分の身にふりかかったら、僕自身はどういう選択をするのか、元気ないまは正直わからない。
動揺、悲嘆、絶望。そんな言葉では言い尽くせないし、誰にも伝えられない空白の混沌の中、「終わらせてくれ」と思うかもしれない。
なにかに頼って生きたいと思うかもしれないけど、果たして頼れるものはあるのだろうか……。

ルクセンブルクでは、安楽死法が議会を通過した際、国家元首であるアンリ大公が署名を拒否した。それに対し議会は、法律の公布に大公の署名が必要ないように憲法を改正してまで通過させたという。

アメリカでは、オレゴン州ワシントン州などにつづき、同じ西海岸のカリフォルニア州でも2015年、ジェリー・ブラウン知事(当時)が法案に署名した。

その際の知事のコメントに苦悩が透ける。
“In the end, I was left to reflect on what I would want in the face of my own death”
「最後は、自分が死に直面したときになにを望むかを考えた」

“I do not know what I would do if I were dying in prolonged and excruciating pain. I am certain, however, that it would be a comfort to be able to consider the options afforded by this bill. And I wouldn’t deny that right to others.”
「私が長期の耐え難い痛みの中で死を迎えるとしたら、自分がどうするかはわからない。しかしながら確かなことは、この法案によって、考慮できる選択肢が生まれるというのは、ひとつの慰めにはなるだろう。そして、私は他者のその権利を否定するものではない」

After struggling, Jerry Brown makes assisted suicide legal in California - Los Angeles Times

 僕も、ブラウン元知事のこのセリフ以上に言えることはないと思う。

 

(了)

 

このコラムは、以下の書籍を参考に執筆しました。

松田純著『安楽死尊厳死の現在 採取段階の医療と自己決定』(中公新書
安楽死を合法とする各国の経緯、最終段階の医療における希望と問題、尊厳と自殺にまつわる思想史まで網羅し、大学教授らしい客観的な筆致が読みやすい本です。

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大鐘稔彦著『安楽死か、尊厳死か あなたならどうしますか?』(ディスカバー携書)
現役のベテラン医師として死を見つめてきた著者による、安楽死尊厳死への考察。こちらの一冊も、一方の意見に偏重することなく書かれています。

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そのほか、「ロックトイン」については、脳梗塞によりロックトインになり、目を使った意思疎通で自伝を残した『ELLE』誌編集者の実話に基づいた映画『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年 ジュリアン・シュナーベル監督)、

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第一次世界大戦で顔の各器官を失い、腕と脚も切断された男の最終末期を描いた映画『ジョニーは戦場に行った』(1971年 ダルトン・トランボ監督)は、ご自分の意見形成のためにぜひご覧ください。

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『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)⑥最終回

DAY 6「陽気な牧場主」

 

目覚めると、目の前に牛の大群がいて慄然とした。
朝靄もやにかすむ午前六時、牛たちは水を飲みに来たのだろう。

まだ誰も起きていないから、僕は読書をして待った。本を読む余裕もないほど毎日いろいろあったから、本を開くのは行きの飛行機の中以来だった。

馬はホルター(馬の頭に装着して牽くためのロープ)で木につないでいたが、彼らは四肢で立ったまま眠ることもできるのだそうだ。
帰路はまたクレイトンにまたがり、ジェイクが違うルートを先導した。二日目になるとクレイトンとはさらに意志の疎通が容易くなり、ほぼ意のままに動いてくれるようになった。

一時間ほどかけて、ゆっくりと牧場に戻った。

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明日は、ギャッヴュー・ランチを離れて、カナダ人カウボーイの所に移る。
午後は芝刈り機で居住エリアのあちこちを刈った。
映画『ストレイト・ストーリー』のような、乗って運転するタイプのものだ。
運転は難しくはないが、どういうパターンでどういう順序で刈っていくか、美的感覚を求められる。

ジェイクとフェンス修理にも行った。
先に述べたように、この辺りの広大なプレイリーは、一マイル四方のセクションという単位と、その四分の一である半マイル四方のクォーターという区画で分けられている。
そして、各クォーターは大概、等間隔に打たれた杭に有刺鉄線を張って、家畜の移動を制限している。
しかし、木は朽ちるし、ワイヤーは錆びたり、腐って切れたりするから、都度修理が必要になるのだ。カウボーイの基本的な仕事と言える。

イーグルスの名曲『デスペラード』の中で、“You’ve been out riding fences for so long now” という歌詞がある。
これは、直訳すると「君は長い間、馬に乗ってフェンスのチェックをして回っている」という意味だ。
今ではフェンス修理はピックアップトラックで行くが、昔は馬に乗って何日もかけてフェンスを見て回ったのだ。
それはひどく単調で、孤独で、時に危険な仕事でもあった。だから、この歌詞は「長い間、孤独でいる」ということを婉曲に表現している。

修理のために、ジェイクはトラクターに乗り、僕は一九九〇年製の古いダッジピックアップトラックに修理道具を積んで付いて行った。
ダッジの中は土埃だらけで、速度計は故障していて、クラッチは遠く、とても運転しづらい。でも、それがカウボーイらしくてワクワクした。

途中でフェンスの外に出てしまっている牛に遭遇した。
そうやって逃げてしまう牛を見つけて、戻すのも日々の仕事の一つだ。

ジェイクは、フェンス囲いの一部にあるゲイトを開いた。ゲイトは、地面に打ち込んである杭を支柱(蝶番=ちょうつがい)にして、有刺ワイヤーでつながれた柱四本ほどを門として開けられるようにしてあるものだ。

普段は、支柱となる杭の天面と足元に留められた針金のループに、ゲイトの柱を二点で固定して閉めてある。
開けるためには、天面のループを柱より外し、足元のループから抜き、引っ張りながら弧を描くように移動させる。
全て手作りの代物だ。
(著者註:書籍ではここにイラストがありますが、手元にないので掲載できず、わかりづらくてすみません)

「俺が運転するわ」と、ジェイクがダッジに乗り込み、まず開いたゲイトから、牧草地に一度乗り入れた。
「なんでいっぺん入ったんですか?」
「轍を作っておいた方が、牛がそれに沿って入りやすいんよ」
 こういう細かいノウハウの一つひとつをどのように学んだのか、いちいち感じ入ってしまう。

牛は近づくと、避けるように逆方向に逃げる。
そうやってジリジリと、ゲイトの方へ追いやっていく。
フェンス沿いに小走りで逃げる牛がたまに逸そ れて道路側へ進路を変えると、すかさずブロックして、フェンス側に戻す。

しかし、この時は失敗してしまった。牛が突如横に走り出して、他所の土地へ走り込んで行ってしまった。
人の畑をピックアップトラックで走り回るわけにはいかないから、諦める他なかった。

修理すべきフェンスに着くと、まず朽ちた古い杭を取り去り、新しい杭を打つ。
僕はてっきりスレッジハンマーででも打つのかと思っていたが、ジェイクはトラクターのバケットで打つという。
牧場によっては、ポストパウンダーという杭打ち専用のマシーンがあるらしい。

僕が杭をまっすぐになるよう手で押さえておいて、ジェイクがトラクターを操作して、バケットの底でガン! ガン! と打ち込む。
左右の傾きは運転席から見えるけれど、前後の傾きは見えにくいから指で示してくれと言う。
ガン! と叩き込んだり、バケットを杭の上に押し付けてグリグリと傾きを修正したり、トラクターそのものが生き物であるかのように器用に操作する。

杭を地中に充分深く打ってから、有刺ワイヤーを直す。
これにはワイヤーストレッチャーという器具を使う。
長いコの字型のジャックアップのような工具で、両端にワイヤーを挟む箇所がある。そこに噛ませて、てこハンドルをキコキコと押すと、歯を一つずつ移動して片方がもう片方に寄っていく。
つまり、てこの原理を使って、ワイヤーの端と端をググーっと引き寄せる道具なのだ。こういう専用の工具があるのだ。

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ワイヤー・ストレッチャー

古いワイヤーの切れた部分と、杭に巻き付けた新しいワイヤーの端をそうやってギギギと寄せて、あとは腕力で結んで接続する。
ワイヤーは杭に三本通っていて、各杭にU字ステイプルで固定してある。

ジェイクの流れるような作業の手つきを見ていると簡単そうに見えるが、実際はずっと難しい。
有刺ワイヤーは硬いし、ピンと張らせなくてはいけないし、ワイヤーストレッチャーやプライヤーズ、(ペンチのこと)、ハンマーといった工具を次々手にして使いこなせなくてはいけない。
見習いカウボーイの僕は、あっちを持ったりこっちを支えたりして手伝うだけだ。

ジェイクに一つ忠告を受けた。
「前から気になってたんやけどな、シャツは入れた方がええで」
そうか、うっかり日本でのファッションのまま、僕はシャツをジーンズから出して着ていた。
しかし、言われてみればブランディングで出会った本職のカウボーイたちには、シャツを出している者はいなかった。カウボーイは必ずタックインなのだ。
なぜなら、
「ワイヤーに引っ掛けて破いたり、機械に巻き込まれたりすることもあるからな」
ということだ。

ここでは、着るもの、使うもの、履くもの、全てに意味があるのだ。
カウボーイが着るシャツは夏でも長袖だ。これも、汚れやケガから身を守るためだ。

 

明日から、キング・ランチというギャッヴューのみんなも親しいカナダ人が経営する牧場に移る。
五日間という短い間ではあったが、僕が滞在することを許してくれたジェイクのボスであるステュアート・モリソン氏に挨拶をした。

彼は、リンカやミライには「グランパ(おじいちゃん)」と呼ばれる好々爺だ。
写真を撮らせてほしいと頼むと、彼は「ちょっと待ってね」と、おもむろにカウボーイハットをかぶった。
一九八八年のカルガリーオリンピックの時に奮発して買った高級品だそうだ。今はかなり汚れてヨレているが、大切に使っている。

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牧場主のステュアート・モリソン氏(3年後の2018年に逝去された)

ビジネスマンとしては才覚があり、このサスカチュワン州のギャッヴュー・ランチの他にも、元々経営していたアルバータ州の牧場も全て売却はせずに一部を残し、そこの敷地には豪邸を持っているという。
七二歳になる現在でも、そちらとこちらを行ったり来たりして、また、ビジネストリップにも頻繁に出かけている。

「早く引退することが幸せなことかどうかは分からないよ。引退した知り合いの何人かはもう死んでしまった。わたしはずっと動き回ってる方がマシだな」
 ステュはそう語った。

「ジェイクとは、わたしがアルバータ州エイドリーでロデオマネージャー(ロデオ大会を仕切る責任者)をしている時に出会った。『泊まる所あるのか?』と訊いたら、『ない』って言うから、うちに泊めることにした。
帰る前に飲みに連れていったら、うっかり忘れて置いて帰っちゃってさ、悪いことしたよな、わっはっは!」
おしゃべり好きで陽気な牧場主なのだ。

「ギャッヴューが競売に出た時に、『やるか? 本当にやるか?』『やります!』『オーケー! じゃあ、スーツケース持ってこっちに来い!』って決まったのさ。忘れもしない、二〇〇五年一〇月二一日にここを買った」

「ジェイクはまだ英語もヘタな頃から、私の助手席でよく『カウボーイになりたい』って語っていた。わたしは彼の礼儀正しく誠実な人柄が気に入ったんだ。
最近では、カウボーイもなり手を探すのが大変でな。若い連中はオイルビジネスの方ばかりに行ってしまう。
ジェイクは今では、生まれた頃から馬に乗ってきたようなやつらにも劣らず馬も上手い。だから、わたしもラッキーだったんだよ」

「ジェイクがブルファイターを辞めてよかったよ。あれは危険な仕事だ。死んだやつも何人か知ってる。わたしが死んだあとも、ジェイクがここを守り、リンカがマネージャーにでもなってさ、ははは、ずっと続いてくれればいいよな」

ステュアートも、ジェイクも、望むことは同じだった。

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