月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「おかんの白子のり」

私の母親はいくつか病気をしたあとに認知症が進んでひとりで暮らすことがままならなくなり、この春以来グループホームに入っている。

認知症というのは(人にもよるのだろうが)ゆっくり進んでいくようで、はじめは私たち家族にもわからなかった。
ここ何年も「なーんか最近、おかんが素直じゃない」、「しゃべってると腹が立つ」ということが増えてきていた。

七年前に弟が妻と幼い娘を連れてアメリカから帰国したときに
「あの子(娘)は天然パーマで野生児みたいでかわいくない」
などと言ったらしい。

天然パーマの遺伝子がどこから来たのかも考えずによく言うわ! あんたや!

おかんが自動車を運転していてもやたら速度が遅くて、まわりのクルマにも迷惑だし、私もイライラして
「もうちょっとさっさと行ってよ」
と急かすと、
「うるさいわね! 私のペースで行ってるの!」
などと怒るので、瞬間湯沸かし器の私はなお怒って怒鳴る。

そんなこんながよく起きて、私はおかんとはなるべく話したくないと思っていた。
東京への出張があっても、おかんと会いたくないためわざわざホテルに泊まったこともある。

いまから思えば、あれは認知症がすでにはじまっていたのだ。認知症の初期段階は、発言や行動に他者への気遣いが希薄になっていくのだと思う。

そういえば、生前のおばあちゃん(母の母)がアルツハイマーになったときも、おかんがやたらとおばあちゃんに腹を立てて厳しい言葉をぶつけるので、当時十代だった私は「あんなにおばあちゃんを叱ることないのに」とおかんに指摘したことがあった。
同じことを、いま私が繰り返してしまったのだ。

そのうちに言動が正常ではないことが誰の目にも明らかになって、料理ができなくなるとか、オレオレ詐欺に騙されるとか、階段から落ちるとかとかの経緯があって、兄がグループホームを迅速に手配してくれた。

入居して半年以上になるが、いつ訪ねて行っても、誰が会いに行っても
「ごはんがおいしくて、ここは気に入っている。でも量が少ないのでお腹がすいちゃうのよね」
と話す。
基本的には機嫌よくやっているようだし、体の調子もよくなった。

とにかく食欲だけは旺盛だ。入居前にも家族が「これはお昼ごはん。こっちは晩ごはん」とお弁当を用意しても、昼間にふたつとも食べてしまうことがあったし、食べても食べても「ごはんまだ?」という典型的なボケ老人みたいな要求をしていた。

 

先日、私は東京に行った。ヒマナイヌスタジオ高円寺からのトーク配信のためだ。

いただいたご相談の中には、老いた親の介護に関するものが複数あった。

ゲストの立川談笑師匠ともひとしきりそんな話をして、私は「明日、施設にいる母親に会いに行くのですけど、せめて機嫌よく行ってきますわ」というようなことを言った。

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その晩はおかんのいない実家に泊まって、翌朝、仲良しの隣家の方とお話ししたところ、信用金庫からおかん宛にお歳暮が届いたそうで、それを預かってくれていた。
私はそれを受け取った。
箱には「白子のり」と書いてある。

いまから私はおかんのグループホームを訪問するのだが、そこは食べ物の持ち込みが不可なので、白子のりは私がもらうことにした。
その二日前がおかんの74回目の誕生日だった(考えてみたらヤザワと同い年。彼我の差に愕然とする……)から、花束を用意して、私はおかんに会いに行った。

おかんは、会うなりまた同じことを言う。
「ここはごはんはおいしいんだけど、量が少なくてお腹が減っちゃうの」

またメシの話かw と思いながら、私は話を聞く。

「あたし、ケーキが食べたいから喫茶店に連れて行って」
「いいよ。あとで行こう」

おかんはしゃべり方も言うことも子供みたいになってしまって、私は親戚の子供を外に連れ出すような気分になる。

「そうそう、信用金庫から白子のりが届いてたんだけど、おかんは食べられないだろうから、僕がもらっていくね?」

当然、「ああ、そうして」という答えを予期しつつ、なにげなく私は伝えた。

すると、おかんは
「なんで勝手に持って行くのよ! ひとのものを!」
と、昂然と抵抗した。

「いや、白子のりをもらっても家にいないんだから食べられないでしょ」
「今度xx日に往診で帰るんだからそのときに家にいるの!」
「往診の間に、白子のり一缶をまるまる食べるわけないだろう!」

しかも、あとで兄に確認したところ、往診はグループホームで実施されるので、わざわざ家には帰らない。

おかんがここまで執着するとは思わなかったので、私は困った。おかんはさらに言い募る。

「ひとのものを黙って持って行ったらだめでしょう! 私に届いたものじゃないの」
「黙って持ってってねえよw だから、こうして『もらうね』って言ってるだろ」
「ダメよ。あんた、それは泥棒よ」

おかんはあくまでも白子のりをあきらめなかった。

「わかった、わかった。じゃあ、言います。いま言います。『白子のりを僕にください』。これでいい?」

おかんは一瞬口ごもった。

「……じゃあ、……いいわよ。あげるわよ」

私はようやく白子のりをゲットした。

おかんと散歩に出て、喫茶店を探す。グーグルすると徒歩5分のところに一軒あったので、そこを目指すことにした。
着いてみるとそこはカフェはカフェなのだが、老人たちの憩いの場として区の補助を受けて運営されている場所だった。

「ごめんください。ごめんくださ~い!」と何度か呼ぶと、体の不自由なおじいさんがゆっくりゆっくり出てきた。

「ここはケーキとか、お菓子はありますか?」と私が尋ねると、おじいさんはもじもじと照れくさそうに、「あるにはあるけど、いつか誰かにもらったものを冷凍したケーキなので、おいしいかどうかはわからない。そんなことなのでお代には含めませんが、それでよければどうぞ」という意味合いのことを口にした。

それでいいっす。食べるのはオレじゃないけどw

民家の名残というか、民家のままカフェ使いされている食卓に座ると、おかんは紅茶を頼んだ。おじいさんにあれこれ作らせるのは申し訳ない感じだったので、僕も同じものにした。

15分くらい待った。

たまにキッチンのほうを覗くと、腰の曲がったおじいさんが、腰を曲げたまま微動だにしていなくて不安になるのだが、よく見ているとわずかに動いている。

さすがのおかんも「遅いわね」とか言い出すので、私はおじいさんに向かって「なにかお手伝いしましょうか?」と問いかけてみる。しかし、彼は「いえ、大丈夫です」と固辞する。

でも、なにかにせっせと取り組んでいる様子はない。
あとで思ったことだが、おじいさんはおそらく、ケーキが解凍するのを待っていたのだろう。

そうこうして、キッチンの台にティーカップがふたつ並んだので、私はおじいさんに「私が運びますよ」と声をかけて、お盆を運んだ。
ケーキは半分凍っていた感じだが、おかんは「うんうん」と言って食べた。

おじいさんが、かりんとうとゆで卵を2セット持ってきた。
「これは紅茶についていますので……。ケーキはお代には含みませんから」と、また同じことを言った。

おかんはさっそく殻を割って、ゆで卵を食べた。私はここに来る前に大きなランチを食べたので、卵はいらない。
おじいさんに「僕はいりません」と返そうとすると、おかんが
「あたしが食べるわよ」
とそれを奪った。

さっきの白子のりの一件はなんだったのだ。

「ケーキ食べてから、ゆで卵2個も食べるの!?」と、私が驚くと、おかんは「あとで食べる」と言って卵をフリースのポケットにしまった。
「塩は? 部屋にあるの?」
「塩はなくてもいい」

私だったら、あんなモソモソするものを塩なしには食べられない。

 

茶店からホームへの帰り道に、おかんが「ハンドクリームがほしい。寒くなって、手がカサカサするの」と言うからコンビニに寄って、ハンドクリームを選ばせた。
「ほかには?」と訊くと、「飴もほしい。どれにしようかしら……」ということで一袋買った。ほんと、子供のようなのだ。

部屋に戻って、洗面台を見ると、ハンドクリームがあった。しかもちがう銘柄が2つ。

「ハンドクリーム、あるじゃん!」
「これはちがうからいいの」

おかんがいいなら、いい。

おかんは、私が買った飴の袋を開けると、
「あんた、一個あげるわ」
と私に手渡してきた。

白子のりもそれくらい気前よくほしかった。いや、べつにほしいわけではなかったんだ。

 

後日、兄経由で、施設から「食べ物を持ち込むな」とお叱りの連絡を受けた。
ゆで卵がバレたのだろう。知らんがな。