月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)⑤

※DAY 5も、DAY 4につづいて殺生があります。閲覧注意ですね…。

DAY 5「命を扱う厳しさと、ジェイクの小さな夢」

 

晴れているが風の強い日。日曜日だから、仕事は遅めの開始とジェイクから伝えられていたのに、僕はまた六時半に目覚めてしまった。

馬とポニーに干し草をやっていたら、ジェイクもやって来た。
ライノに、ミネラルが入った袋と、塩の袋を積んで、牧草地へ行った。これは、牛の栄養を補給するサプリみたいなもので、牧草地のそこここに、ドラム缶を輪切りにした桶が置いてあり、その中に両方の袋を空けるのだ。
一日中草を食べている牛たちがさらにそれを舐めて、塩分とミネラル分を補う。

ジェイクは、牧場の敷地を頭の中で区切って、毎日のようにライノで順々に見回りをする。彼はまた、それが好きなのだそうだ。

「こんなこと言うたらアレやけど」と前置きしてジェイクは言う。

「俺はね、夢ってもう叶かなえてもうたんやね。もうこれ以上望むことってないねん。望むとするなら、この生活がいつまでも続くことくらいかな……」

ジェイクと僕は一歳違い。四一歳にしてそれを言える男と、今年四〇にして仕事を辞めてゼロになった僕。
いや、僕だってカウボーイをやって「みたい」という、ジェイクに比べたらいささか軟弱な夢のためにここまで来たのではないか。

嫉妬とかではなく、純粋にジェイクという男の存在が大きく感じられた。
同時に、彼がカナダ人カウボーイに交じってロープを投げる姿や、昨日のミーを解体する鬼気迫る様子を思い出しながら、彼が歩んできたこれまでの道のりの遠さを思った。

この春に産まれた仔牛たちとその母牛らがいる牧草地にも、ライノで入って行って見回りをした。
風に吹かれて、凸凹の草原を奥の方まで進むと、一頭の仔牛が群れから離れてうずくまっているのを発見した。
ジェイクが回り込んで様子を見ると、お尻の辺りにケガをしているようだった。

「コヨーテに噛み喰われたんだ」
よく見ると、赤い肉が露出していて傷は深いようだった。
「肛門周辺の肉は柔らかいから、そこを狙われるんだ」とジェイクが教えてくれた。

で、どうするんだどうするんだと、僕の頭の中には回答がない問いが巡った。
「こいつは助からないので、撃つしかない」
ジェイクの決断はあっけないほど早かった。

ライフルを取りに一旦ショップに戻った。
しかし、棚の引き出しやロッカーの中を探しても、二二口径の弾丸が見つからない。

「もっと大きな口径の弾ではダメなんですか?」
他の弾丸ならいくらでもあるので、僕は尋ねた。
「それでは、頭ごとぶっ飛んでしまう」

二二口径がハンティングや害獣駆除に最もよく使われる弾丸らしい。だから、誰かが何かの用事に使い切ってしまったのかもしれない。
弾丸を見つけることができないまま、牧場主のステュアートに報告に行った。
僕はステュの家の外で待った。
ジェイクが浮かない顔で出てきた。

「ノドを切れってさ」
ジェイクはナイフを研いでから、トラクターを出して現場に向かう。
その道中の空気は重かった。

「まぁ、ボスの言うことだからさ……」
諦めの表情で彼は言った。

「いや、いいんだよ。いいんだけどさ、俺の後味だけの問題だからさ」
それはそうだろう。離れた場所からズドン! で終わるのと、自らの手でノドをかき切らなくてはいけないのでは精神的負担が違いすぎる。

口数も少なく戻ってみると、仔牛は同じ場所にいた。
ラクターを降りると、僕はジェイクに言った。
「記録写真を撮るので、離れた所にいてもいいですか?」
それを口実に、正視したくなかったのだ。

ジェイクはロープを出して、仔牛に近づいていった。すると、これまで動けなかった仔牛が立ち上がってヒョコヒョコと逃げ出すではないか。分かるのだろうか。

彼が徒歩で容易く捕らえ、横倒しにして手足を縛るのを僕はファインダー越しに見た。振り返ると、他の牛たちがこちらを不安げにじっと見ている。その居並んだ目に、抗議めいたものを感じないでもなかった。

殺るのかと思ったら、ジェイクはナイフを取りにトラクターに戻った。嫌な時間だった。
彼は仔牛の胴をまたいだ。
ノドに何度かナイフを振るった。
そして、トラクターの傍らまで歩いていき、そこに腰を下ろした。

僕はその場から動けず、仔牛の生命が完全に消失するまでうなだれて待つジェイクの後ろ姿を眺めるしかなかった。
僕は感情の昂りを覚えて、涙を堪えた。その背中が、なんだか仔牛の命を憐れんでいるように思えてならなかったのだ。

おそらく、そんなことはないはずなのだ。カウボーイはどのみちやがて屠殺される運命の家畜を育てているのだ。命を売り買いする職業だ。
それでもだ。どうなんだろう。
結局、真相はジェイクには訊かなかった。僕にはそう見えた。それだけだ。

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「二日で二頭失うとはね……」
血だらけの手でトラクターを運転しながらジェイクは苦笑した。
ラクターのバケットには仔牛の亡骸が収まっている。
証拠写真を残し、保険会社に保険請求するためだ。コヨーテによる損害は保険によって補償されるという。

これは、ビジネスなのだ。

昼食の後、ジェイクはいつもソファで午睡をとる。そのソファは夜だけベッドに変形させて、僕がベッドとして使わせてもらっている。

その日は午後から家族みんなと馬に乗ってキャンプに行こうと話していた。風が強かったので、それが止むのを待っていると、夕方には弱まった。

馬の準備をして出発だ。
リンカとミライもそれぞれポニーに乗った。
ヨシミさんはキャンプ道具や食べ物を満載したライノを運転した。
僕はクレイトンと名付けられたおじいちゃん馬を借りた。荒っぽい動きはしないから安心できる。
登り坂になるとゆっくり行くのがしんどいのか突然駈ける。それ以外は、大体思い通りに動いてくれた。
メスのポニーのお尻にやたら鼻先を近づけたがるスケベジジイだ。

東へ進み、それから北へ。もしかしたら南か。どこをどう往ったのか、僕にはもう分からなかった。
ラズベリーが採れる茂みを抜けたり、丘を上がったり、とにかく先頭のジェイクに付いて行く。

大空の下、大地を覆う萌黄色の牧草が風に吹かれて、さざ波のように視界を渡っていく。
ここ、カナダのプレイリーには丘はあっても山はないから、地平線までどこまでも見晴らせる。
こんな所でカウボーイハットをかぶってのんびりと馬の背に揺られていると、空想の世界にいるような、現実感を欠いた感覚に襲われる。

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©Yoshimi Itogawa

テントは丘の上に張るのかと思ったら、丘を降りた池の畔にキャンプ地を構えることになった。
「まだちょっと風があるから、寒いかもしれないからな」とジェイク。
子どもたちもいることだし、それがいいかもしれない。

池は普段、牛たちが水を飲みにやって来るところだから、糞がそこここに落ちている。牛の糞は柔らかくて、地面でパイのような形状で固まることから「カウパイ」と呼ばれる。

焚火で焼いてホットドッグを作って夕食にした。
日没は午後九時過ぎ。それを眺めに徒歩で丘に上がった。太陽は地平線の向こうに沈んでからも、しばらくの間、空を赤く灼いた。

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日没後も焚火を囲んで、ウィスキーを飲みながらジェイクやヨシミさんとあれこれ話した。
「ジェイク、これまでに僕みたいなのが、『カウボーイさせてくれ』って来たことはなかったの?」

ジェイクは日本のテレビ番組に何度か取り上げられている。
実は僕も、そのうちの一つを偶然観ていて、出会う前からジェイクというカウボーイがいることは知っていたのだ。

「いないよ。だから今回ショータが来てくれてうれしいんだよ!」
僕ももちろん、ここに来られて、あなた方に温かく迎えてもらってうれしい。
「俺、いっぺんこういうカウボーイキャンプやってみたかってん。ベッドロールで草の上に寝るっていうさ。でも、子どもも小さかったし。今日はショータがいるから、やっとやってみようという気になったんよね」

ベッドロールというのは、かつてカウボーイたちが牛を追いつつテキサスから北方へ向かって旅をした時代に、寝袋として使ったキャンバス製のブランケットだ。
普段は革ヒモで巻かれてサドルの後ろに括られている。
寝るときには、それに包まって、星を眺めて眠ったわけだ。

夜も更けて、僕は大型テントの中でヨシミさんや娘たちと川の字になるか、野外で寝てみるか、一瞬考えた。
女性たちの中に入るのは抵抗があったけど、ヨシミさんは「かまへんで」と言ってくれていた。

僕は寝袋をジェイクから少し離れた、なるべく牛糞のない辺りの乾いた場所に敷いて星空の下で眠った。

だってこれが、ジェイクがやり残していた、小さな小さな夢だったのだから。

(DAY 6へつづく…)

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