月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「留学なんて、しにくくていいのだ」

新型ウイルス禍により学校教育が中断している現状を鑑み、「9月入学」が議論されている。

日経新聞が知事41人から回答を得たアンケートによると、6割が賛意を示したという。

新型コロナ:9月入学、知事の6割「賛成」 グローバル化進展期待 :日本経済新聞

産経新聞を読んでいたら、早稲田大の石原千秋教授は、知事たちは勘違いをしている、としてこのように書いている。
〈9月入学制度にすれば海外から優秀な留学生が集まり、日本の若者が留学するだろうと。(中略)ノーベル経済学賞受賞者が一人もいない国に優秀な留学生が大勢くることなどあり得ない。極端に言えば、9月入学制度は日本の優秀な若者を海外に流出させるだけの制度なのである。それでも、将来的には9月入学制度への移行は避けられないと思う〉

留学生が来ること、留学に行くこと、に関して言えば、アメリカはチャイナからの留学生については警戒感を高めていて、留学ビザの取り消しに動いている。
むやみに増やせばいいというものではないので、日本が無防備すぎることは付言しておきたい。

トランプ米大統領、一部中国人留学生の入国拒否命じる-安保上の懸念 - Bloomberg

9月入学に関して、僕個人は「どっちでもいい」という意見で、アメリカとカナダは確かに9月入学だが、オーストラリアは2月だし、シンガポールは1月、韓国は3月だというので、各国まちまちなわけで、なにも無理してアメリカに合わせなくてもいいと考えている。

というのは、僕自身が留学生として、9月入学でアメリカの大学に入学した留学生の出身なので、いくつか思うことがあるのだ。

以下は、教育システムを議論する上でのオピニオン的価値はまったくないとお考えください。ただの元留学生の個人的エッセイとしてお読みいただければ結構です。

 

僕は1994年の3月に高校を卒業して、その年の8月に渡米した。その間の4か月間はなにをしていたかというと、バイトしていた。英会話学校にも通っていた。
同級生たちは大学に進学したり浪人したりしていたから、とても中途半端な時期であった。
日本の大学の雰囲気を知りたくて、大学に進んだ友人の授業にこっそり入れてもらった記憶がある。

アメリカで入る大学はノースキャロライナ州の小さなカレッジに決まっていたから、浪人生のようにバリバリ勉強する必要はなかったのだが、7月頃になると、じわじわと恐怖が襲ってきた。
これまではアメリカに行くといってもなんだか夢の中のように現実感のない話だったし、入学を許可された喜びはあったが、いざ渡米が翌月に迫ってくると、「え、オレまじでアメリカとか行かなくちゃいけないの?」という不安に押しつぶされそうになるのだ。

僕はそれまで日本の普通の学生として生きてきただけなので、特別英語ができるとか、帰国子女であるとかではなかった。
TOEFLは高校生にして500点以上(現在は知らないが、当時の方式で)とっていたけど、英語なんてわからないことだらけで、アメリカ人に交じって授業を受け、単位をとっていかなくてはいけないなんて、「おいおい、まじかよ」と、自分で留学を決めておいて、そんな気持ちだったのだ。

 

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我が母校

アメリカの大学は2セメスター制で、9月~12月の秋学期と、1月~5月の春学期があり、単位取得が満了した時点で、12月卒業の人もいれば、5月卒業の人もいる。

つまり、日本のように卒業する人はみんな3月とは限らないのである。

ちなみに僕は、3年目にケンタッキー州の大学に編入して、合計4年半かかって98年の12月に卒業している。

その間の涙ぐましい留学生活とアメリカ人たちとの友情については別の機会に書くとして、卒業間近から卒業後のことに触れておきたい。

当時はインターネットが個人にも利用可能になる以前の世界なので、両親へのエアメールが1週間かかって日本に届き、また1週間かかって返事がくる時代である。すごいでしょ?

ボストンとかニューヨークとか、大都市では日本企業が開く合同説明会みたいなリクルーティングのイベントがあったようだが、ケンタッキー州という田舎にいた僕は、そういう情報をもたらしてくれる日本人ネットワークも持っていなかったし、正直いって、日本の大学生のように、授業の片手間に就職活動ができるような余裕もなかった。

単位を1つでも落としたら卒業できないという瀬戸際だったので、毎日必死に小論文を書いたり、宿題をやったりすることに忙しかった。それに授業を終えると、週3回、4回、大学のジムに通って筋トレすることに、エネルギーのかなりの部分を割いていた。

その頃、人生のテーマに掲げていたのが「セルフ・コントロール」という言葉で、自分の頭脳と身体、そして心(意識)をいかに制御して、目の前にあるやるべきことをやっていくかに挑戦していた観がある。もちろんサボったり、昼寝したり、ルームメイトのニンテンドーを勝手に使ってゲームをしたりはしていたけど、当時は酒を飲まなかったので、結構マジメだったのだ。

そうそう、思い出した。本も書こうとしていた。
『カッコいい留学という虚像』という仮題で、結局これは出版はされなかったのだけど、はじめに入学したコミュニティーカレッジにいた、団体で留学してくる日本人学生たちの程度があまりにも低かったので、その実像を日本に伝えるために書いたのだった。

日本には、親の見栄とか、あほボンや出来の悪いお嬢ちゃんをアメリカに送ればなんとかなる式の考えにつけこんで、集めた学生を昔の集団就職のようにガサーッとアメリカ中の小規模な大学に送り込むブローカーのような商売があるのだ。

だから、どんなバカな学生でも留学なんて可能なのである。

しかし日本の人はそんな事情は知らないから、帰国すれば「アメリカの大学? カッコいい!」と言われて、なんとなくステイタスになる。実情はひどいもので、「日本でダメなやつは、どこ行ってもダメ」ということが僕にはよくわかった。
そういうのを見てきた反動の、「セルフ・コントロール」でもあったのだ。

半年くらいかけて、現地の生の声としてちゃんとした原稿をワープロ(PCなんてなかった)で書いたつもりだったけど、若かった僕には出版してくれる版元を見つけることはできなかった。その後、原稿はずっと引きだしの奥にしまってあって、いつだったか封筒から出してみたら感熱印紙の文字がもう消えてしまって読めなくなっていた。
フロッピーディスクに入れたデータも今となってはもうどこにいったかわからない。あったとしても読み取る機械がない。

……急に思い出して話題がそれてしまった。

とにかく最後の学期は授業と筋トレと原稿を書くのに忙しくて、就職は先送りにしたかった。
それに、社会学専攻だったのだが、学部レベルのそれは基本中の基本を学んだに過ぎなくて、もっと学びたい意欲もあった。
アメリカで学んだ社会学を、日本の社会にどう応用できるかを試してみたい気持ちもあり、日本の大学院に進むことにした。

98年の12月に卒業して、年が明けた99年の2月には入学試験である。実質ひと月の受験勉強でよく受かったな、と思うが、法政大学大学院に行くことになった(のちに中退)。

これにより僕は日本の4月入学、3月卒業というサイクルに戻れたことになるし、それはつまり、就職活動のスケジュールに乗れることになった。

※しかし結局、2年目に「職が決まれば大学院は中退します」と伝えながら就職活動して、電通の内定をもらってすぐ学校はやめて、入社までまた10か月ほどバイト生活するという、おかしな時間を過ごした。

入学月を変えるというのは、みんなそろって企業に就職活動して、みんなそろって4月に入社するという、日本独特のタイムラインも変更を迫られるわけだ。

僕は、「日本式の新卒採用というものが、新卒/中途、正社員/契約社員、海外支社なら日本からの駐在/現地採用という差別意識と格差を生み、雇用流動性の妨げになっている」として、反対を主張しているのだが、9月入学にするなら、企業社会も含んだ全体のドラスティックな変革が必要になるだろう。
それを日本にできるだけの気概があるかと問われれば、残念ながらないのではないか。

結局、「働き方改革」といってもみんな一斉にそろってやる。「クールビズ」とお上が掛け声をかけてくれないとネクタイひとつ外せない男たち。「こうした方がいいね」ということをすぐに「こうしなくてはならない」というルールにしてしまう大企業。

無理なんじゃないかなぁ。

だから9月入学もいずれ立ち消えになるのではないか、というのが僕の見方だ。

たとえアメリカのように5月と12月に卒業する人が出なくて、日本は引きつづきみんな3月だとしても、それから世界を放浪しようが、起業に挑戦しようが、家業を手伝おうが、自衛隊に入ろうが、またやりたいことが変わって企業に就職したいと思ったらフツーに志願できて受け入れられるような自由闊達な社会に、少しずつ変化していってほしいと思う。

そのためには、ボンクラはどこ行ってもボンクラなので、それぞれが個を磨いて、「なぜこれがしたいのか」を人にちゃんと伝えられないとむつかしいと思うんだけど。

留学生として日本の外に飛び出すという行為は、日本独特の慣習からもいったん外れることなので、それくらいの蛮勇を持って臨んで然るべきなのではないか、と僕は自分を振り返って思う。

そうして日本のシステムを外から眺めて、いろんなことに疑問を持ったり、よいところを見つけたり、劣等感を噛みしめたりして、自分はこうありたい、と考える機会を得ることが、結局留学の成果なのだと思う。英語がどうこうというレベルの話ではないのだ(と、僕の英語レベルは棚上げするが)。

誰かにお膳立てをしてもらって、「ハイどうぞ」とするものではないはずなのである。そうしてもらわないとできないような人間は、ハナから留学などするべきではない。

それくらいキビシイものでいいと思うのね。