大阪の高校で、「髪を黒く染めろ」と強要されてモメた末、不登校になった女子生徒が慰謝料など損害賠償を求めた二審判決がニュースになった。
一審の報道:
二審: www.sankei.com
判決は、一審と同じく、「学校側の指導に違法性はない」として女生徒の訴えを再び退けたが、不登校の間に座席表や名簿から名前を省いたことは違法として220万円の求めに対して33万円の支払いを命じた。
このニュースは一見、「女生徒は生まれつき髪が茶色いのに、無理矢理に黒く染めさせられた」と思うのだが、よく読むと、一審において「生来の髪色が黒色だという合理的な根拠に基づいて指導した」と認められていて、つまり「女生徒の生来の地毛は黒かった」のである。
はっはっは、やりよるのぉ。
僕が思ったことは二点ある。
①本当に生まれつき茶色い髪のひとだったなら、裁判所は違法と判じただろうか(すると思うし、すべき)。
②たとえ彼女が頭髪を茶色く染めていたとしても、それを黒く染め直させる校則ってなんなのだろうか(後述)。
よその小娘が茶髪にしようがしまいが、ひと事だから僕はそんなふうに寛容に考えられるのだろうか。自分に娘がいて、彼女が金髪にして厚化粧して、半裸みたいな恰好で、頭悪そうなチャラチャラした男たちを引き連れて、平気で外を歩いていたら、僕はどのように反応するか、想像してみた。
……泣きながらぶん殴るかもしれないし、「青春を謳歌しとるのぉ」と目を細めるかもしれない。わからない。
僕が通った都立高校は自主性を重んじる校風で、およそ校則というものがなかった。
唯一、「体育館では体育館履きを履け」くらいのもので、上履きで体育館に入った生徒が、体育教師に殴られたという話を耳にして「おいおい、規則のレベルに対して罰が異常にキビシイなwww」と当時ビビったものだ。
服装も格好も自由だったので、僕は髪を伸ばしてポニーテイルに結んでいた時期もあるし、3年時にはカウボーイハットをかぶって登校していた。ふだんは自転車通学なのに、ハットかぶって馬じゃなくて自転車に乗るのがどうも納得できなくて、ハットの日はわざわざ電車で行っていた。
同級生には金髪に脱色した生徒もいたし、ヒゲもいたし、どんな格好をしても自由だった。
富田くん(仮名)はパーマをかけて登校した日に、「林家ペーか!」とみんなに爆笑された。以来、卒業まで「ペー」と呼ばれるハメになった。女子からも「ペーさん」と呼ばれていた。
自由とはそういうものだ。自己表現して、それがダサかったり汚かったりすれば、まわりからそれなりの評価を受けるのである。
いま四十代半ばの僕らの時代でいえば、たとえばリーゼントにしてボンタン履いていれば、街でツッパリに絡まれる確率は高くなっただろう。イキッた格好をしていれば、それなりのリスクがあるのだ。
それでもなお自分のしたい格好を貫きたいなら、イバラの道かもしれないが、かき分けて進むしかない。
その過程でなにかを学ぶこともあるだろう。それこそが教育である。
そういえば、女性が半裸みたいな服装で電車に乗って痴漢に遭って、「そんな服着てるからだ」と言うおっさんがいたら、そっちが社会的に半裸にされて吊るし上げられる。それはわかる。
従って、あくまでも悪いのは痴漢なのだから、イキっていてヤンキーやチンピラに絡まれたとしても、ヤンキーやチンピラが悪いのだろう。
うん、だけどヤンキーやチンピラは、悪いのが前提なので、そう主張したところで、なにかが解決するわけではないね。
高校生が髪の毛を染めることはなにがいけないのだろう。
上記のように「街で危険な目に遭うリスクを避けさせるため」なのであれば、自動車に轢かれるかもしれない登校などさせられなくなる。
「まわりとちがうことをしてはいけない」のであれば、期末試験で全科目100点取ってもいけないし、身長が190センチになってもいけないことになりはしないか。
アメリカに4年住んで思うのは、やっぱり日本の校則はもはや軍隊のようでめちゃくちゃ気持ち悪いということ。授業中にお茶飲んだらダメ、昼休み以外に弁当食ったらダメ、髪染めるのダメ、ピアスダメ、化粧するのダメ…全部めちゃくちゃ気持ち悪い。当時は常識と思ってたけど、今振り返ると相当ヤバい…
— カンタ🇺🇸🌴 (@theonlyonekanta) 2021年10月24日
アメリカで大学に行っていたカンタさんの言である。
僕も同じく大学教育をアメリカで受けて、いろいろなことに気づいた。
「人だかりは黒山ではなかった」し、「肌色という色はなかった」のである。
「日本は”decipline”が優れている」と外国からは思われていて、つまり規律正しいということだ。
災害で被害を受けて、みんなが困った状況になっても、よその国みたいに食料や物品を強奪し合うようなことにならないのは、確かにすばらしい国民性である。
それはぜひ今後とも大切にしていきたいものだが、「髪の毛を染めない」ことは規律なのかどうか。
僕はちがうと思う。
学校教育において「規律」というなら、「お互いに助け合う」とか「弱い者をいじめない」とか、人間として当たり前だと我々が思っていることをちゃんと教えるべきだし、国際化する現代においては、「ひとの肌や髪の色についてとやかく言わない」と教えた方がいいくらいだ。
出席するとか試験で及第点を取るとかを含め「約束を守る」ことさえできていれば、髪の毛の色など規律でもなんでもない。
バカな教師がバカな規則をでっちあげて、それを勝手に規律だと思い込んでいるだけだ。
くだんの高校だって、ウェブサイトを見にいけば「なりたい自分を実現する」だとか「輝く個性」だなんて書いてある。キサマ、どのクチが……。
そして、学校だけでなく、社会一般の中でも、こういったバカな規則が溢れかえっているのがジャパンなのである。
この国では長らく、人間をおんなじカタチした鋳型に嵌め込んで量産するのが教育だとされてきた。だけど、それが間違っていることなど、誰でも気づいているはずなのに、自分たちの目の前のくだらない規則は等閑視してしまう。
友人が、あるイベントで百貨店に立つことになったのだが、百貨店側から「ヒゲは禁止」と言われたそうだ。
「は? バカじゃないの」と僕は彼に言ったあと、「『御社の多様性というものへの見解についてお聞かせください』とでも訊いたら?」と付け加えた。
俺が若いころ、コンサートの会場整理のバイトをしたとき、GLAYのコンサートだったかな。ヒゲがあった全員、「お前らカミソリ買ってきて剃れ」と上司から言われた。客は髪の毛青く染めてくる自由な人たちだよ?
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年9月18日
俺は「今日、僕が帰ったら困りますか?」と尋ねた。
彼は否と言うので、帰ったわな
当時は、ヒゲに対して殊更なにかプライドのようなものがあったわけではない。しかし、日当6000円のために、人権の一部を売り渡すことに抵抗を感じた。他のひとたちは自費でカミソリ買ってきて公衆トイレで剃っていた。それはそれで正しい。
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年9月18日
俺はただ、黙って列に並ぶ人間にはなりたくないと思ったまで
会社の新人のころ、偶然ヒゲが伸びたら先輩が「十年早いわ」と言ってきた。俺は彼を尊敬していたので「はい」と答えて翌日剃ってきた。リスペクトの問題なのだ。
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年9月18日
3年目になり、結婚式の宴会芸で会場を爆笑させたら、以後、先輩がちょっと俺に優しくなった。こっそりヒゲを生やしてもうすぐ20年になる…
友人が出展するイベント主催者から「ヒゲ禁止」と言われ、腹が立って長々と書いてしまったヒゲ話であったが一晩たっても腹が立つ。社員でもない、部下でもない、未成年でもない独立した大人に対して言うことか。スカート履けとか、ヒール履けとか、化粧禁止とか、女性にも同じことを強いたらどうなるか
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年9月19日
まぁ、たたかうことにすると二審まで行かなくちゃならなくなって面倒くさい(大阪メトロ運転士の「ヒゲ訴訟」も二審までいって原告の勝訴)から、そこまでしなくてもいいんだけど、こういう「誰かに叱られるかもしれないから、先まわりして当たり障りなくしておく」という態度が、社会を息苦しくさせていて、自分らしく働くことが歪められている要因のひとつである。
で、ヒゲ禁止と言われた友人はどうしたか。
「ずっとマスクしてましたから、関係ないですよ」
はっはっは、やりよるのぉ。