月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「二〇〇〇㍍と二〇〇〇㌔の旅(シェア篇)」

  • 4/4回

ポートランドに入ったのは、帰宅ラッシュの最中の午後五時半。高速道路は自動車で埋まっていた。 この町で、僕と旅の供である大谷さん(仮名)と滝下(仮名)は、バブル時代のOLも真っ青のショッピング三昧をすることに決めていた。それがなければ、ポートランドはスルーして、そのままシアトルに向かう手もあったのだ。 旅の計画段階では、オレゴン州ポートランドという名前から、僕もドが付くくらいの田舎を想像していたのだが、近頃ではすっかり街と自然が調和した最先端都市になっているらしい。ひと昔前のサンフランシスコが若者文化の発信地であったように、今やポートランドがその役目を果たしていると雑誌記事に書いてあった。

渋滞を避けるために早めにハイウェイを降りて、まず向かったのはダナーというブーツメイカーのファクトリーストアだった。家に六〇足を眠らせる(たぶん今はもっとある)ブーツマニアである大谷さんのリクエストだ。僕もブーツ愛好家を自認はするが、履くことが好きなのであって、コレクションする趣味はない。その点は僕は彼と志向を異にする。

彼によると、ダナー・ブランドは近年、その経営会社が日本のABCマートに買収され、日本のブーツマニアたちの間ではガッカリなニュースとして話題になったとのことだ。スニーカーの安売り店であるその会社がブランドを弄くることにより、せっかくのダナーがきっと安物ブランドに成り下がるか、変にプレミアム付きの実用重視ではないブーツにされてしまうかファンは危惧している……と、買ったブーツを全然実用しない大谷さんが言っていた。

そんなわけで、彼は日本市場に入ってくる前のダナーをポートランドで買えることを楽しみにしていた。空港に近いファクトリーストアは、工場の一端でアウトレット品をついでに売るといった場所ではなく、広さ、コントロールされた内装と商品陳列、品揃えなど全てレベルが高いのであった。

わからないことは店員ではなく、大谷さんに訊けば済んだ。

  • 「このモデルは××の後継として発売されて、ここの素材が〇〇になっていて、ソールがこうなっているのが特徴です」
  • 「これは日本では発売されていないカラーで、日本には黒と茶の二種類しか入ってきていませんね」
  • 「縫い目がズレていたり、革に少し傷がある、いわゆるB級商品は、ブーツのベロを捲ってみると小さなパンチ穴が開けてあるんですよ」

実際に捲ってみると、確かにそうなっていた。

大谷さんの商品知識に僕と滝下は舌を巻いた。というか、ちょっと畏怖すら抱くレベルだった。

  • 「君、いつでもここで働けるやん」

店ではコーヒーも置いてあり、自由に飲んでよい。寛大な心と、濶大な店舗面積だからこそできることである。 大谷さんと滝下はブーツを手に入れ、満足げであった。特に大谷さんは「ボク、ちょ、ちょっと感動すらしています」と語った。モノでここまで心が動かされる体験というのはそうそうないだろう。何千キロも走って、ここまで来てよかったよなぁ。

その晩は近くのホテルに泊まった。空港に近いのでビジネス客が多いのだろうが、なぜかベッドが三つあるこれまた広い部屋をあてがってもらえて狂喜した。僕と滝下はこの旅で初めて、一人に一つのベッドを得たのだ。

ブーツマニアの次は、カレーマニアのお世話だ。滝下はカレーにうるさい。アメリカに来て以来何日もカレーを食べていないので、事前にカレー屋があることを調べ上げていた。カレー屋と呼ぶには相応しくないオシャレなレストランだったのだが、アメリカにおいて、そんなオリエンタルな食べ物を受け容れる人たちというのは、先進的な考え方で、異文化に許容的な人間が多いからだろう。金曜の夜で込み合っていて、それでいてスーツを着た人など皆無だ。 刈上げ頭の明らかなレズビアンカップル、ヒゲモジャ男、学生なのかアート系職業なのかわからないがそれらしき黒ブチメガネの人、インド系のカップルなどなど。とにかくアメリカン・デブがいない。

カウンターで注文をして席で待つシステムだったが、僕が席で待っていても、大谷さんが戻ってこない。英語での注文に手間取っている様子だったので、見に行くと、彼は困り果て、なんと日本語で注文していた。

  • 「エート、コレト、コレガ、ホシイデス」

そりゃ通じねえよ! もうちょっとがんばろうや……。苦笑して助け舟を出す。 二十七になる滝下は、ビールを頼むとIDの提示を求められた。まぁそうだろうなぁ。若く見えるアジア人の中でも特に滝下は「小型版フォレスト・ガンプ」みたいな見た目だから。 カレーの後は、通りを隔てたバーの屋外席に座り一杯ずつだけ飲んだ。下戸の大谷さんはジンジャーエール

屋外にいるとまたアメリカ人が話しかけてくる。ホームレス支援のタウン紙みたいなものを売るおばあちゃん。「小銭ないか?」と問いかける黒人の若者。英語がわからないフリをして彼をあしらうと、しばらくしてまた戻ってきて今度は「タバコくれないか」と言う。 観念して僕が箱を差し出すと、「二本いいか」。 いいよ。持ってけよ……。なかなか図々しいのだが、それくらいで彼の金曜の晩が救われるのなら善しとすることにした。今さらダメとは言えんしね。

翌日は、街の中央部を切り裂いて流れる河を渡り、ダウンタウンに出てあちこち目当ての店を廻って歩いた。碁盤の目で道が交差する構造だが、西側は上り坂になっている。古い建物と、そこに入る新しい店たちが絶妙なバランスをしていて、小雨が降ったり止んだりの中を歩いても飽きることがない。角を曲がると知ってるアウトドア・ブランドの店が出現したりして、時間がいくらあっても足りないくらいだ。 男三人がキャーキャー言いながらショッピングする姿など書き残しても仕方ないので詳細は省く。

いや、滝下。彼だけはまるで女の子そのもののようなショッピングの仕方で、後半は多少焦れたくらいだ。 とある雑貨店の植物コーナーを、バッグを肘に掛けたスーパーの主婦スタイルで歩く滝下。検疫があって植物は持って帰れないから見ても仕方ないのだが、恨めしそうに飽くことなく見ている。その後、十五分もポストカードをディスプレイした棚の前で動かない。

  • 「お前、いつまでポストカード見とんねん」

すでに外でタバコ二本吸い終わって、さらに通りがかりのアメリカ人二名に一本ずつせびり取られた僕は痺れを切らして声をかけた。

  • 「あ、すんません。これ、すごくこだわってて、活版印刷なんですよ」

知らんがな。申し訳ないけど、知らんがな。 広告のアート・ディレクターとしては彼は見どころのある若者なのだ。ただし、僕の仕事をカバーしてくれるどころか、僕の旅について来た。

ダウンタウンで各人あれこれ買い込んで、町はずれにあるラングリッツ・レザースを訪ねた。老舗の革ジャンブランドで、今でも家族経営を堅持し、一日最大六着しか作らないそうだ。日本で買うと、新品なら平気で二、三〇万円もする。もちろんこれも、大谷さん情報。

  • 「そんな値段なんで、買うつもりはないです。ちょっと見られればそれでいいので」

大谷さんがそう言うので、シアトルへと発つ前に立ち寄ってみたのだ。 ブランド名が書かれていなければ雑貨屋か小さな食料品店にしか見えない白い壁の店舗兼工房の前に立つと、ドアを開けるのにちょっと勇気がいる。そんな頑固な会社だから、ひやかしのアジア人客など相手にもしてもらえないのではないだろうか。ヒゲ面のバイカーたちが集っていておっかなかったりするのではないだろうか。 果たして、中にはオールバックで腕中タトゥーだらけのショーン・ペンみたいな男性店員と、マネージャーか社長なのか、白髪の壮年男性がいた。 怖々挨拶を交わすと、ショーン・ペンが言う。

  • 「コーヒーかコーラいるか?」

僕たちはちょっと顔を見合わせてしまった。「ゆっくりしていけや」なのか、「すぐには帰さないぞ」なのか、どういうつもりなのか……。 コーヒーを頼むと、ラングリッツのロゴ入りのマグカップで出してくれて、店舗内を説明してくれた。

  • 「こっちが中古品で、こっちが女性モノ。あっちが新品だ」

中古品の陳列だけでかなり充実していて、正直、これだけで充分見応えがある。思い返せば、僕は新品の方は見もしなかった。 着てみると僕も大谷さんも、興奮を抑えられなかった。白髪の方が、革ジャンを試着する大谷さんに奥からあれこれ出してきてくれる。威厳すら放つ分厚い皮革の光沢と、シンプルで堅牢な造りが、そこらの凡百の革ジャンとは別格であることを主張している。 日本製の繊細さもなければ、ヨーロッパモノのデザイン性もない。アメリカ独特の全体に漂う「ダサさ」。「これがまたいいんですよねー」と、大谷さんと語り合う。

結局、サイズの丁度よい革ジャンに出合ってしまい、購入を決断するに至り冷や汗だか脂汗だかでビッショリしている大谷さんの興奮に呑まれ、僕もレザーヴェストを買った。支払いをしていると、ショーン・ペンが手入れ用のオイルローションとラングリッツのステッカーを付けてくれた。 大谷さんが僕に請う。

  • 「『僕は十八才の頃からラングリッツを知っていて、二十年間憧れていました。今日、ここで買えてとてもうれしいです』と伝えてください」

僕がそれを伝えると、ショーン・ペンも白髪も「おぉ、そうか! それはうれしいな」と、ステッカーをさらに束で出してきて僕らにくれた。こういう率直で心のこもった会話が日本のどれだけの店でできるだろう。バイトのコに言っても「はぁ……」で終わりそうではないか。こんななにげないやり取りだけでも、アメリカまで来てお金を落とす意味があろうというものだ。僕たちが払ったのは決して小さな金額ではない。しかし、それは革ジャンのみならず、こういった経験に払ったのであるから、全く惜しくはない。

ラングリッツ店舗のカウンターには、こういう文言がプレートで表示してあった。

  • "The bitterness of poor quality remains long after the sweetness of low price is forgotten."

つまりこうだ。「品質が悪かったことの苦い経験は、価格が安かったことの甘い思いが忘れ去られた後も、ずっと長く残るものだぜ」 良いモノは高いのが原理だ。モノだけを見ずに、それを作る人に思い致し、彼ら彼女らに対してお金と共に敬意を払うことを忘れずにいたいものだ。

充足感と虚脱感に襲われながら、予約していたシアトルのアパートメントに辿り着いた時には、夜九時になっていた。

メシにありつこうと、夜のダウンタウンでバーに入ると、フードはすでに終了したとのこと。仕方なく一杯だけ飲む。 シアトルも多分に洩れず、あらゆる建物が禁煙。しかも、「入口から(確か)十フィート(三〇メートル)離れて吸え」という。山の中でウンチするのと同様の厳しさだ。つまり、タバコはウンコ扱いなのだ。 仕方ないから道端で独り一服していると、またもやアメリカ人に話しかけられる。まずは黒人の大男。小銭を求められたが、コインも一ドル紙幣も本当になかったので断った。すると、次は、どう見ても浮浪者の黒人じいさんがやって来た。

  • 「シアトルの夜をお楽しみですか?」

なんだか拍子抜けするほど礼儀が正しい。

  • 「私の名前は、デイビッド・キングスレーといいます。あなたはどこから来たのですか? シアトルにはどれくらい滞在されるのですか?」
  • などと上機嫌に話しかけてきて、握手を求めてくる。正直に言わせてもらうと、これから食事するのに、浮浪者であろうじいさんの手は握りたくなかったのだが、礼儀としてそのカサついた手を握って、しばらく会話に付き合った。すると、
  • 「えー……、ところで、小銭はお持ちではないですか?」
  • ときた。やっぱりね。

僕がまた「悪いけど、本当にないんだ」と伝えると、「シーット」とつぶやいて立ち去っていった。あの手、この手である。

シアトルでの翌朝は、ゆっくりと荷物整理や洗濯をした。丸々遊べる最終日のこの日はまずフィルソンに向かった。僕にとっては三度目の訪問になるアメリカを代表する、歴史あるアウトドア・ブランドの本店だ。アウトドアといっても、昔で言う金鉱掘りや木こり、今で言えばキャンピング、フィッシング、ハンティングだから、店舗内も日本で想像されるようなカラフルさはない。しかし、鹿の頭が壁に掛けてあり、暖炉があり、ウッド調の落ち着いたアメリカン・ホームを思わせる上品な内装だ。

僕は実は、事前にここに自分のカバンを送ってあった。何年も愛用していたトートバッグが縫い目から避けて、外ポケットが使えなくなっていたのだ。だから、「修理してほしい」と手紙を添えて送ったのだ。メールが来て「あなたのバッグを検査しましたが、我々としては、修理よりも『交換』をおススメします。それでもよいですか?」と言ってきた。 僕はもちろん即答で「構いません」と返信したのだが、その後にオーダー記録用紙が価格も明記されて送信されてきたので、その「交換」が無償なのか、単に「もう一つ買った」ことになっているのか分からなかったのだ。

  • 「トートを引き取りに来た者ですけど……」
  • と尋ねると、男性店員がほどなくして奥から新品を出してきて、当然のように請求はしてこなかった。

どういうことなんだろうね。うれしいと同時に、考え込んでしまう。何年も使い込んだカバンを、新品に無償交換ですよ? これが、アメリカで「一生モノ」を標榜する企業の鷹揚さなのだなぁ。

夜はシアトルマリナーズの野球観戦をした。野球にほとんど、というか、全く興味のない大谷さんと滝下も、ボールパークの開放的な雰囲気を大いに楽しんだ様子だ。それぞれマリナーズの帽子を被り、巨大なホットドッグにかぶりついた。 夜九時半前に球場を後にし、日本酒バー「sakenomi」に向かった。二〇一一年に訪れ、再訪を約束して去った場所だ。(二〇一一年八月号ご参照)。

長くて濃密な旅の締めくくりとしては、これ以上求めようがない幸福感に満ち溢れた晩だった。店のジョニーさんともまた話せてうれしかった。それにしても、大ぶりの湯呑になみなみと注がれた日本酒二杯で、僕はわけがわからないほど酔ってしまった。

覚えているのは、最後に出合ったちょっと素敵な出来事だ。 帰り道に、お土産のためアメリカのビールを数本買おうと、コンビニに立ち寄った。すると六本セットしか売っていなくて、それだと十ドルと少しする。ふと見ると、僕たちの脇に同じように思案顔の黒人男性がいる。そこで、僕たちは彼と金を出し合って六本を分けることにしたのだ。 支払いをして、彼に二本渡すと、「二ドルしか出してないのに、いいのかい?」と言う。

  • 「いいんだよ。心配無用」

どうせ、バックパックにそんなに詰められないのだから。 しばしお喋りした後、彼は缶ビールを二本手にして、うれしそうに歩いていった。

コンビニに入る前に、やはりタバコをせびってきた白人男性は「いくら払えばいい?」と小銭を出した。

  • 「タダだよ」

ポートランドでの男性は、タバコ一本のために、僕にクウォーター硬貨を三枚も握らせた。七十五セントだ。僕はしばらく歩いた先にいた物乞いの老婆にそれを渡した。

アメリカには、かように困窮した人たちがたくさんいる。この国の根幹に深々と突き刺さって抜くことができない毒矢は、富そのものではなく、その分配の問題だ。もちろん、僕に何の助けなどできないのだが、小銭やタバコくらいならシェアしたらいい。 僕たちに一生モノの頑丈な製品と、一生モノの経験を与えてくれたアメリカに、多少なりとものお礼のつもりだ。

いい旅でした。熊に喰われることもなく二〇〇〇メートルの山にも登ったし、畑さん(仮名)という新しい友人ができたし、二〇〇〇キロ運転して買い物もたくさんしたし、野球も観て、三年ぶりにアメリカ西海岸で日本酒を味わうという粋な宵を過ごした。 僕個人としては、大谷さんや滝下に、僕が人生の一時期を暮らし、僕の一部分を置いてきてあるアメリカという国を見せることができたことが何よりよかった。二〇一一年にカナダをソロハイクした時に、あの絶景を僕がどんなに大谷さんとシェアしたかったか!(二〇一一年八月号ご参照) 「いつかやろうぜ」のうちのいくつかをいっぺんにクリアしました。でも、まだいくらでも思いつくよ。次は何する? どこ行く、兄弟?