月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「なかなかしんどいワンダーランドへの旅②」

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その晩は、疲れ果てて8時には寝て、狭いテントの中でもすぐに眠りに落ち、7時間ほど一気に眠った。
激しい雨音に目が覚めて、腕時計を見ると3時すぎだった。

車中泊をした前の晩の予報がヘヴィーレインだったが、今夜の方がよほどヘヴィーだ。遠くで雷鳴も聞こえている。
テントというのは、居室をつくる層に、もう一枚フライシートという雨除けをかぶせてある。だから、雨が直接漏れてくるということは考えにくい。
しかし、出入りするドアにあたる部分はメッシュでできていて、壁の一部も軽量化と通気のためメッシュなのだ。
地面を激しく打つ雨滴が跳ねて、メッシュを通してテントの中を濡らしていた。
寝ていても、飛沫が顔に当たってきて不快だ。

床面も、その下には雨水が流れてきていて、浸水はしていないもののじっとりと湿ってきている。
寝袋はダウン(羽毛)でできていて、濡れると保温力が落ちるからまずい。

しかし、この状態からできることはわずかしかないので、濡れた場所を手ぬぐいで拭き、せめてテント内のなるべく中央で寝た。

大雨は止む気配はなく、「これ以上降りつづけたら……」との恐怖がじわじわ襲ってきた。

隣りのみんなはどうしているか気になったが、声をかけてせっかく寝ている人を起こしてしまったら申し訳ないので、したくなってきたオシッコとともにガマンだ。

何度も寝返りを打って、朝を待つ。もう7時間も眠ったし、あと3時間ほどウトウトしながら潰すのはさほど苦ではない。テントでなかなか寝つけないことが多い僕は、そんなもんだと思っている。

6時になって、まわりがゴソゴソ動き出したのを待って、
「滝下、岳ちゃん! 大丈夫か!?」

と声をかけてみた。
「ヤバイです!」
滝下の声が返ってきた。
「水たまりの中にいます!」

……おいおい、これ、どうするんだよ。

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手前が岳ちゃん、奥が滝下のテント

滝下と岳ちゃんのテントは完全に水に浸っていて、岳ちゃんに至っては、靴が流されてテントの外に出ていた。
テントとフライシートの間の空間を前室といい、テントの中に入れたくない靴や濡れたものを置いておくのだが、そこまで水が流入してきて、靴を流したのだ。

僕らはしばし呆然とそこに立ち尽くした。

「どうする?」
これは「今日も雨が降る可能性が高いけど、ハイキングを続けるか?」という意味だ。このままずっと雨なら、荷物のすべてが濡れてしまい、夜は一桁台の気温の中、命の危険も考慮しなくてはいけない。そして、それ以前に、ちっとも楽しくない。

一瞬だけ逡巡した我々四人だったが、「まぁ、明日以降は晴れる予報だったし、行きましょう」という結論になり、雨に濡れて、泥で汚れて、重たくなったテント一式を片付けはじめた。

キャンプ場の近くには川があり、水を補給できるようになっている。そこまで何度も下りて行って、汚れがひどいものはザブザブ洗った。

トイレの近くで出会った、我々よりも上のキャンプ場に泊まっていた背の高いアメリカ人男性と話すと、「俺は3日間濡れっぱなしだよ」と笑っていた。ツラいなぁ……。
朝食を食べて、荷物のパッキングが完了すると10時になっていた。

雨は小雨になっていて助かった。今さら肉体的には影響しないが、精神的にまだ楽なのだ。

 

【ハイク2日目】ミスティック・レイク → イエローストーン・クリフス

ミスティック・レイクという静かな湖に出た。空は相変わらず白いけど、ここに来てはじめて、心和むような、いつまでも見ていたいような景色に出合ったような気がした。
湖面は、そこに描いてあるように向こうの山を映し、風もなく無音。いま、ここには僕たちしかいない、という静寂の空気に包まれていた。

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湖に沿って歩いて、再び濡れた森に入る。丘をひとつ越えると、右手に山、左手に平原という平坦な道になった。
マーモットがあちこちにいて、岩の上で立ち上がって見張りをしたり、食べ物でもあるのか地面でゴソゴソしたりしている。

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やがてトレイルは崖になり、左手の谷の向こうにカーボン・グレイシャーという氷河を見ながら数マイルつづく。ふつう、氷河は白い氷雪の塊なのだが、カーボン氷河は赤紫色の土をかぶっていて、地図で知らなければ氷河とは気づかないかもしれない。
氷河の先端までくると、そこからは川が流れだしていて、これはカーボン・リバーだ。付近で石炭が発見されて以来、カーボン(炭素)川と呼ばれるようになったそうで、氷河から溶けた水は沈殿物が多く白く濁っている。

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このあたりで休憩していると女性のソロハイカーとすれ違った。彼女はにこやかに二言三言、言葉を交わすと、力強い足取りでぐいぐいと坂道を上がっていった。僕と岳ちゃんは、タイツに包まれた逞しいお尻を見送りながら、「アメリカ人すげえなぁ…」と嘆息したのであった。

トレイルは川を離れると苔だらけの森に入った。木々も、岩も、びっしりと苔に覆われていた。僕たちが以前に歩いたカリフォルニアはもっと乾いていて、日差しが肌に突き刺さるようで、唇がすぐにパサパサになったものだ。
同じアメリカだから、そういうイメージを持って来てしまったが、北西部のワシントン州は湿潤で、こんな雨の日は地面はグチュグチュ、苔とシダ植物とキノコばかりで、日本の山を彷彿とさせた。
特に森に囲まれたこのあたりは、京都の山と大差なかった。

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ここから陰鬱で、急峻な600メートルの登りが待っていた。600は距離ではない。距離は2.7マイル(4.3キロ)の間に、高低差が600メートルあるのだ。
この日は結構歩いた最後に、バカらしくなるほどキツい登りが待っているのだ。

勾配が尋常ではなかった。少し先を行く大谷さんの姿が自分の頭よりも上にある。
スポーツジムにステアマスターという階段を登るような運動をする有酸素マシーンがあるだろう。あれを延々2時間半つづけるような感じだった。
気が狂うほどキツイので、何度も休憩をとって、息を切らせながら行動食を咀嚼して、また登る。

しんがりを行く30代の岳ちゃんもさすがにしんどそうにしていた。が、大谷さんはすぐに姿が見えなくなるくらいスタスタと進んでいく。

「大谷さんてこんな人だったっけ……」
やはり、自身と荷物両方の軽量化を徹底的に実行してきた人と、なにもしなかった僕との差は如実だった。
滝下と大谷さんが先を行き、僕と岳ちゃんが遅れて歩く。もしかしたら、岳ちゃんは僕を最後にするとかなり遅れてしまうことを見越して、わざわざ最後尾を歩いてくれていたのかもしれない。す、すまんな。

それに比べて、滝下は、先輩のことを気づかうこともなく、自分の体力を見せつけるように進んでいく。
僕が「ちょっと休憩!」とタイムアウトをもらって行動食を摂るときも、立場が逆なら、僕は先輩が口の中のものを飲み込んで、水のひと口も飲んで、ひと呼吸つくのを確認して、
「さぁ、いいですか?」

「OK。いいよ」
「行きましょう」

で、歩みを再開するだろう。

ところが滝下は、僕が最後のひと口を口に入れた瞬間に歩き出す。
僕はまだモグモグしながら「あのヤロウ……」と、疲れとか、汗とか、雨とか、ジメジメとか、非常識な急坂とか、終わらない九十九折とか、色んな不快さに、八つ当たりしたくなってくる。

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これはレースじゃねえんだ。僕が山歩きを好きで十数年もつづける理由のひとつは、これは競争ではないことだ。勝ち負けも優劣も、ここにはない。経験の長さも、登った山の数も、歩けるマイルも、ギアの値段も、抱いた女の数も、関係ない。
最後のは本当になにも関係なかった。

競争とはまったく無縁な世界を、仲間たちと苦楽をともに歩き、食べ、しゃべり、寝る。これが好きなのだ。

そういう山に結局人間は競争を持ち込み、本格的な登山家なら「初登頂」「初単独登頂」「初無酸素単独登頂」など、色んな条件をもとに記録をつくりたがる。自己顕示欲のために命を落とした登山家も多いだろう。
トレイルランニングもそうだ。なんでこんなところで競走するの? と僕は思うのだが、まぁ好きな人は止められないから仕方ないか。

 

「いつ終わるんだよ……」という登りは、九十九折(英語ではスイッチバックという)が「終わった! もう稜線だ!」と思ったら、まだダラダラつづいて閉口したが、ようやくイエローストーン・クリフス・キャンプの案内板を見つけて、本当に終わりを告げた。

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Yellow Stone Cliffsは直角にそそり立った崖で、今日のゴールの感慨とともに見上げると、山羊(マウンテン・ゴート)の家族が歩いているのが小さく小さく見えた。

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白く見えるのが山羊の家族

キャンプ場は、反対側の谷へ下りていくと、小川を渡ったところにあった。

二日目の終わり。

僕はビールは重たいので2本しか持参していなかったが、昨夜1本空け、この日もガマンできずに到着してすぐに飲んでしまった。
ウィスキーがあればよかったのだが、町のスーパーで品揃えがイマイチなどというゼイタクな考えで買うのをやめたら、それ以降ウィスキーを売っている店がなかったのだ。愚かであった。
どこにでもあるジャックダニエルズでいいから、小さなボトル(ペットボトルに入っているから大して重たくない)を買っておくべきだった。

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最後のビールを真剣な顔で飲むw

キャンプ場に着いたのが6時前で、日没まであまり時間がなかったため、慌ただしくテントを張り、メシを食べ、ウィスキー片手に語らうことも叶わず、また早々にテントに引っ込んだ。

明日からは天気がいいはずだ。
ところが、最大のピンチは翌日だったのだ……。

(つづく)