月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「未来に届け、僕らの涙声」

アメリカを旅していた時のこと、オレゴン州ポートランドでとあるレザーショップに入ったところ、支払いカウンターにこのような表示、というか宣言が貼ってあった。 曰く、「私たちはどなたであってもサービスを拒絶する権利があります」。
  • 「どなたであっても満足を保証します」ではない。
僕はこの文句に目を疑い、写真に撮らせてもらいたかったのだが、こう高らかに宣言されていると「お断わりします。その権利があるからだ」とか言われそうでちょっとヒヤヒヤした。結果的には、「なんでこんなもん撮りたいねん」という、ちょっとポカンとした表情で女主人は許可してくれた。だからここに貼付することができたわけである。 すっかりアメリカのレザー製品に魅了されて帰国したのち、インターネットで別の家族経営のレザーブランドを見つけた。それはグレッグ(仮名)という四人の子持ちの厳めしい面構えの男が経営している。 ウェブサイトにて、グレッグはハッキリと書く。
  • 「我々は、従業員とその尊厳を、カバンを売ることよりも大切にしている。もし誰かがいかなる方法においてでも、彼らに大声で怒鳴り散らしたり、脅すようなことがあるならば、そいつは顧客としてクビだ」
  • 「我々は、九十九パーセントの方々は、正当なクレームである場合であっても、礼儀正しくて親切で我慢強く、そして丁寧であることを知っている。ただ、残りの一パーセントの連中がいる。彼らはつまらないことに対して大声を出し、脅しをかけてくる(たいていの場合、なにかをタダで得るか、値引きをさせるために)」
  • 「そういう連中には、我々のカバンを持ち歩く仲間になってもらわなくて結構だ」
  • 「我々にとって、我々の仕事と、我々の顧客は等しく大切なのである。ここまでお付き合いいただきありがとう」
僕は今度、グレッグのカバンを注文すると思う。 アメリカ人は主張が激しいというが、換言すれば、攻撃的であり、また、アメリカ人のグレッグは気持ちがいいくらい率直なのである。 「お客様は神様です」とか「未来の子供たちのために」とかのオタメゴカシは言わないのだ。すぐにバレる嘘だからだ。お互いに嘘と知っていながら、その嘘の上でビジネスを進めてお互いの利益を引っ張り合いするような面倒くさいプロレスは不要なのだ。 ところが、「お客様は神様」的プロトコルを疑わない人が日本企業には多いから、もしもその中の一人が取引先に対して「それは違うでしょう」と異議を唱えると、日本では何が起こるか。 その人は味方であるはずの同僚や上司から「キ、キミ、なんてことを」などと、「背後から撃たれる」のである。明らかに言われていることがおかしいから「おかしい」と言って、その発言の主から「いや、そうではない」と反撃されるなら議論の中で進歩は生まれるが、背中から撃たれると作戦中止をせざるを得ない。独りで戦おうとすると「大義なき戦」になりそうだから、自ら「撃ちかたやめ!」で一旦撤退することになる。 で、あとで味方であるはずの人間に「でも、やっぱりおかしいでしょう」と問い直すと、「おかしいのはわかっているが、言うとカドが立つからな……」などと、状況の改善を放棄する。だから、日本のビジネス界の悪癖は一向に好転しないままずっとそのままである。 そういうのを山ほど見てきたし、幾度も当事者になってきたからわかるのだが、「唐揚げの最後のひとつを残しちゃうほど平和を愛する民族性」も困ったものである。 日本のサラリーマンが駅でああまでアラレもなく泥酔してしまうのは、そうやってストレスフルな問題を解決してこなかったことと無関係ではあるまい。しかし、諍いを徹底的に回避してきたからこそ、世界最高水準の治安の中、駅でぐっすり眠れるという変なおまけもある。 メジャーリーグには新しく「チャレンジ」という制度が施行されるようになった。審判の判定に疑義がある場合、監督はチャレンジ、つまり挑戦できるのだ。「それはおかしい!」と挑戦の意思を申し出る。 そうすると、ニューヨークにある本部で映像を確認して、改めて裁定が下される。監督の異議が認められると、チャレンジの権利はもう一回残る。しかし、監督が誤っていた場合、その試合で再びチャレンジする権利は与えられない。テクノロジーの進展に伴い、テニスでも同様の制度がある(一セットにつき三回まで)。これがもっと昔からあれば、マッケンローはあれほど木製ラケットをブチ折らなくても済んだかもしれない。 ビジネス界、もしくは学校でも同じ制度を採用すればいいのにと思う。間違った発言がエライ人の口から出たものだから、みんなおかしいと思いつつもその場はスルーしてしまうことはよくあるだろう。 お客様だろうが、社長だろうが、先生であろうが、神様でないことは明らかなのだから、間違いも犯すし、不当な要求もする。 一日中チャレンジばっかりしてくるような、カバン屋のグレッグがブチ切れそうな鬱陶しい人間が出ないように、一日一回(成功すればもう一回)としよう。
  • 「社長、それは間違っています」と言うと、確かにカドが立つ。しかし、「まぁそういった方向で検討しつつ、今後の課題ということで共通の認識を持たせていただき、幅広い視野で状況に対応させていきたいと思います」などと、梅田から難波まで行くのに、JR大阪駅で環状線に乗って、鶴橋で千日前線に乗り換えて行くような回りくどい言い方をしてもなんの意味もないだろう(大阪の人にしかわからない比喩で失礼。いや、大阪の人もわからないかも)。
そういう時は、御堂筋線で一発で行くために、「チャレンジ!」すればいいのではないだろうか。「チャレンジ」という単語が直截すぎるというあくまでも平和主義者のためには「未来にチャレンジ!」とか「明日のためにもっとずっと!」とかなんとか誰も反対しないお口にやさしい言葉を企業ごとに考案したらいいだろう。オレは恥ずかしいからイヤだが。
  • 社長:「今後、経営の効率化のために、従業員は全員、首元にICチップを埋め込んでもらうことにします」
  • 社員:「未来にチャレンジ!」
これなら、社長に挑戦状を叩き付けたことにはならないだろう。あくまでも社の未来のために僭越ながら意見をひとつ申し上げます、程度のソフトランディングが期待できそうだ。それでも、なんとなくウヤムヤのうちに首元にICチップを埋め込まれることになりそうな予感はする……。
  • 社長:「今後、経営の骨太化のために、下請け業者どもをバール状のもので殴打するつもりでブッ叩くように」
  • 社員:「明日のためにもっとずっと!」
ダメだ、ダメだ! もっとずっとガンガンにブッ叩くようにしか聞こえん。 そうだ、意味を曖昧にする常套手段はアルファベット化だ。インポはED、家庭内暴力はDV、ハゲはHAGE、いや違った、AGAだ。 だから、チャレンジは、なんか……「Cコール」とかにしたらどうか。
  • 社長:「今後、経営の自分ゴト化のために、従業員は私以外を全員管理職とします。よって私にだけは残業代がつきますが、私は常に会社のことを考えていますから業務時間は毎日二十四時間とします」
  • 全員:「Cコール!!」
ひとまず、いいだろう。 ちゃんとした会社なら、社内のCコールを吸い上げるために「Cコール委員会」を立ち上げてその傾向をビッグデータ解析するだろう。偽って何度もCコールをブチかます不逞社員が現れないように、「Cコールをした者は、その経緯と結果と見込まれる利益を、規定の書式に従って作成しCコール委員会に提出すること」になるだろう。そして、その回数、頻度、内容の把握をより正確にするために、「Cコールをする者は三営業日前までに事前申請」する規則ができるだろう。 その事前申請は、事前の「ジ」から取って「Gコール」と呼ばれるようになるだろう。やがて、ひとりの役員が「事前はJじゃないのか」と言い出したのと同時期に、セクハラ委員会から「Gコールは『自慰行為』と語感が近すぎる」とクレームがついたダブルパンチを社も看過できず、「Jコール」に改められる。それでもなお、「Jコール、通称Gコール」もしくは「元Gコール」と社内一般には呼ばれるようになる。 どうでしょう。これがニッポンの組織というものです。 どこ委員会に文句を言いに行ったらいいのでしょうか。 今日も心の中で叫びましょう。いや、心の中だけに留めましょう。 せーの、
  • 「シーコール!!」(涙声)。