月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「二〇〇〇㍍と二〇〇〇㌔の旅(ロード篇)」

  • 3/4回
前号の予告通り、山での「お花の摘み方」から始めよう。
僕はこれまで相当な数の山歩き関連の書物を読んできたはずである。しかし、「野ウンチの仕方」に関するちゃんとした描写は読んだことがないのであった。
いや、ウンチの仕方は想像できますわい。しかし、例えば我々がいるようなアメリカの自然公園の中のトレイルで「スイスから来た男女三人組と出会った」という記述があったとする。三人の男女ということは、それが男二女一であれ逆であれ、一人はカップルでないわけだから、「野ウンチとか恥ずかしくないのだろうか」というのが常々の疑問であった。一人の方の男にしたって「友達のカノジョがウンチしに行くところ」なんか知りたいだろうか。
正直に吐露すると、僕は少々恥ずかしかったのだ。
陽が暮れたのを見計らって、前号で紹介したように、トレイルから何メートル、水場から何メートル離れたポイントを探して、さきほど夕食を摂った大きな岩場の陰に向かった。僕と、友人の大谷さん(仮名)と後輩の滝下(仮名)がいたのは丘の上の荒れ地だったので、上記のいずれからも離れているから問題ない。
すると、僕は「お花摘みに……」と言っておいたにもかかわらず、滝下が岩場の上に立ちヘッドライトを点けているではないか。
  • 「こいつ、ふざけんなよ」と多少腹が立たないでもなかったが、僕はスゴスゴとさらに奥へと歩を進めた。もうそこは丘を下る斜面に近い。
適度に柔らかそうな地面に当たりをつけてシャベルで穴を掘る。規則では十五センチ以上の深さとあったので、がんばってかなり深くまで掘った。
ここで、大きな用事のための小さなコツを記しておこう。穴を掘る時は、前号の貼り紙の図にあったように、普通は指定がなければ丸い穴を掘りたくなるだろう。それはなぜか。その時人は、ウンチのことしか考えていなくて、オシッコを考慮に入れていないからだ。ところが、大は小を兼ねる。実際に使用してみると、穴は楕円形であるべきなのだ。和式便所が理に適っているのだ。楕円に掘ってそれを跨ぐかたちが、最も的を外さずに大も小も包摂する母なる大地としての役割を全うするのである。誰も教えてくれないことなので多少詳しめに書いたことをご容赦ください。
大谷さんと滝下がテントに入ってしまい、一人になった僕はゴソゴソと寝る準備に取り掛かった。食糧などを詰めたベアキャニスターを岩場の上に隠すように置くのが、最後に残った僕の仕事となった。
僕がそれを持って歩くと、
  • 「……誰ですかっ!?」
  • と滝下のテントの中から足音に怯えた声がする。
  • 「あぁ、ごめんごめん。オレだよ。ショータ」
普段の生活で、人が本当に怯えている声というのは耳にしないので、むしろ僕が怖くなったくらいだ。それくらい滝下は、往路で熊に遭遇したのがショックだったみたいだ。「オレ、死ぬ」と思ったそうだ。僕は「いる」とは想像していたし、この不毛の丘の上にわざわざ登ってこないような気がしていて割と楽観的だった。
朝五時半くらいに目覚めると、やはり食糧は無事だった。「この寝袋では薄い」という店員のアドバイスを僕が通訳せずに買わせた寝袋で、滝下は寒くて夜中に何度か目が覚めたらしいが、まぁ初めはそんなものだ。分厚い寝袋を持つよりも、服やシーツで調整した方が汎用性があるのだ。許せ。
僕たちはカメラと水ボトル以外の一切の荷物をそこに残したまま、朝八時にスミス・ピークの頂上に登った。昨日からの苦しかった登り道と土埃だらけの不快さを経て、ようやく褒美のような視界を得た。朝の澄んだ空気に浮かぶ山々の連なりと、カリフォルニアの空だけで、他に余計なもののない視界。ロッククライマーの聖地として知られるハーフドームという岩塊が遠くに、焙煎前のコーヒー豆のように生白く、小さく見える。確かにドームを半分に割ったような異形なのですぐにわかった。
テントを片付けて、行き道で見つけた水場で再び水を補給し、顔を洗って下山する。それはそれでしんどく、四時間ほどかかった。標高が下がると暑さばかりが感じられ、僕たちはヘッチーヘッチーのダム湖だけ見学して、熱気に追い出されるようにしてヨセミテ国立公園を去ることにした。ベアキャニスターを返却する際、レンジャーに「どうして林が広範囲に焼けているのか」訊いてみた。どうやら、去年の夏に大規模な山火事があったらしい。
僕は大谷さんに言った。
  • 「そっか、残念だな。きれいな景色を見せたかったのに悪かったね」
  • 「いえ、燃え跡の山を歩くなんてないと思うのでいい経験でしたよ」
うん、またどっか行こうぜ。
公園を後にした我々は七十マイル(約一一二キロ)ほど走って、マリポサという町でモーテルを見つけた。途中にも本当に小さな町はあって、MOTELと書いた建物は見かけたのだが、営業しているのかどうかも判然としないうら寂しく不穏な雰囲気であった。そんな町に一泊の宿を求めてアジア人たちが飛び込んだら、夜中に村人中がクワやスキを持って僕たちを取り囲み、悪徳保安官に後ろ手に捻じり上げられ、黒くてぶっとい棍棒で殴りつけられそうだったので敬遠した。どんな偏見やねん。
マリポサのマイナーズ・インというモーテルは、レストランやラウンジも併設されていて、渇き、そして飢えた我々は肉にありつき、シャワーを浴びて、人間界に復帰した。
翌日は、僕の友人の友人の畑さん(仮名)という、在米歴三十年の方に初めてお会いするべく、パソロブレスという海に近い町まで、灼熱のカリフォルニアを一八〇マイル(約二八八キロ)突き進んだ。ここから陽炎に揺れる端まで行くことだけを用途として敷かれた、定規で引いたような真っ直ぐなアスファルト、草を食んで項垂れる牛たちのいる牧場、昔はそういう牛たちを東へ運んだであろう鉄道の線路、乾いてひと気のない町、砂丘を越える国道、ヨーロッパを模した屋敷が構えるワイナリー。カリフォルニアは干ばつに襲われているようで、ハイウェイ沿いの農場には「水がないと仕事もない!」「水不足の解決を!」といった悲痛な叫びを印刷した横断幕がいくつも掲げてあった。
ジェームス・ディーンが自動車事故で亡くなった地点も通った。国道四一号に四六号が合流する箇所だ。そこにはJack Ranchという牧場があり、少し先のJack Ranch CafeにはJDの記念碑が設置されている。日本のファンクラブの方が建てたという。
スタバで待ち合わせた畑さんとは話が弾んでしまい、日本食レストランで夕食までご馳走になってしまった。翌日には八二〇マイル(約一三〇〇キロ!)北にあるオレゴン州ポートランドに着くために、その日のうちにいくらかでも走っておきたかったのだが、せっかくの厚意なので甘えさせていただいた。
畑さんが言うには
  • 「君たちは若いんだから、交代で徹夜で走ればいいんだよ」
  • 「いえ、僕たち三十八ですのでそないに若くないんです……」
  • 「若い、若い! 地図見せてみ。ほら、四センチくらいだぞ!」
畑さん、むちゃくちゃ言うなぁ。
その勢いに感化されて、夜十時に北へ向けて出発したものの、僕はすぐに眠気に襲われてしまい一時間で大谷さんと交代。ペーパードライバーの滝下は運転はしないので戦力にならない。三人でションベンしながら見上げた夜空の中央にブチまけられた無数の光の粒。日本ではなかなか見られない天の川だ。
結局、僕と大谷さんで数回ずつ運転して、深夜三時半から二時間だけレストエリアで仮眠。山から余ったフリーズドライ食品を朝食にして、過酷なロングドライブの続きに立ち向かった。
カリフォルニアは長かった。縦に長い形状なので、行けども行けどもオレゴンが見えてこなかった。そりゃそうだ、カリフォルニア州だけで日本全土と同等の面積があるのだから……。
しかし、着実に北へ向かっていることを、僕たちに教えてくれたのは空気中の湿度だった。それまで唇がガサガサに乾燥してひび割れてしまったのは山での紫外線のせいだと考えていたが、北に行くにつれてそれが自然と治ったのである。
オレゴン州に入ると、いとも簡単に雨が降った。カリフォルニアの農家の恨めしい声が聞こえてきそうだ。植物も広葉樹が増えた。岩の露出した荒々しい山肌が、青丹色の草に覆われるようになった。
単調な運転の中で、レストエリアでの休憩は楽しみのひとつだ。日本ではまずありえないことだが、アメリカ人は実によく話しかけてくる。海兵隊にいて沖縄で暮らしたことがあるという男性。「家に帰るガソリン代がないので小銭を分けてくれないか」という若者。ギターを抱えているので、「その代りに一曲」と歌い出すのかと思ったら、「もうこいつも売ろうかと思ってるくらい困ってるんだ」とアピールする。数ドルカンパした。
  • 「よく運転し、よく恵め」と書いたボードを置いて座るクシャクシャのカウボーイハットを被った老人。こちらにも数ドル渡した上で、一緒に写真を撮らせてもらった。実際に昔は牛追いの仕事をしていたそうだが、今は老いてこの有様だと陽気に言う。
  • 「日本から来たんか。いいとこなんだろ? いい女がいてさ。わはは。行ってみたいが、わしゃ年を取りすぎたなぁ」と、顔の方もクシャクシャにして笑う。堂々としていて、なんとも素敵な物乞いであった。
富める者と貧しき者。人工国家と大自然。その保護の魁であり、過剰なまでの大量消費社会。フレンドリーさと、制度化した人種差別の歴史。あらゆる側面に相反する顔を持つアメリカ。
僕にとっては大学教育を授かった国であり、過去に何年も住んだはずなのに、何度、何処を訪れても掴みきれない不可解な国だ。いや、不可解なのはお互いさまだろう。無尽蔵の魅力が詰まった国であると、悔しいが認めざるを得ない。
十九時間分の長い長いハイウェイの先、灰色の曇り空の下にポートランドの街並が姿を現した。