月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「BLMとはなんだったのか」

誰も書きたくないことを書くこのコラムだが、ここのところずっと考えていて、答えが出せないままのことがある。

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ひとりで夜道を歩いていたら、向こうから黒人の男性が三人やってくる、としよう。
僕は心のどこかで「怖いな」と思ってしまう。これは差別なのか、ということだ。

少なくとも差別心なのだとは思うけど、無意識的に思ってしまうのは止めようがない。
これが浅黒い肌を持つマレー系の女の子三人なら怖いとは感じないし、スカンジナビア系の男性三人だったとしてもそこまで怖いとは思わないだろう。

これをもって「お前は人種差別主義者だ」と即断する人は、LAの夜道やブラジルはサルバドールの路地を歩いてきてほしい。いや、ホントに歩いてから言ってほしい。
前から大きな黒人三人組が歩いてきて怖いと思わないのは、もっとデカい黒人五人組くらいのものだろう。

相手の顔立ちや体格、人種や性別や年齢などをまったく考慮せずに、ポリティカリーにまったくコレクトな対処ができる人間がいるわけがないのだ。マシーンじゃあるまいし。

ただし、やってきた黒人の彼が、
「エクスキューズミー、サー。このあたりでまだやってるオーセンティックなバーをご存知ないでしょうか?」
と訊いてきたなら、
「はい、そこの角を曲がったところにある地下のバーはなかなかのバーボンを揃えていますよ。それではよい夜を」
と受け答えするだろう。

僕が人を雇うような大きな会社の社長で、黒人男性が応募してきて、見どころのある人物に思えたなら雇うだろう。
差別というのは制度のことであり、言動に表れる意識や感情のことだ。
一応、アメリカでは制度上の人種差別はなくなり、何ジンであるかにかかわらず、建築家でも弁護士でも、なりたければなれるし、大統領にだってなれるし、入ってはいけない劇場やバスはない。

だから、”Black Lives Matter”を振り返るに、なにを求めているのか、海を隔てた国にいる僕なんかからはわかりにくい。ブラックライブスがマターすることに反対する人間などいるはずがないのだ。大物スターに言われるまでもない。

ただそれを暴力でもって訴えたことは、いや、破壊行為へと暴発したことは、完全な失敗であった。

同様に破壊行為に発展したトランプ支持者の議会侵入事件は、すでに降任したトランプ前大統領の弾劾裁判に帰着して、BLMはノーベル平和賞にノミネートとは、悪い冗談か。
 

www.usatoday.com

 

BLMは人種問題というよりも、階級闘争であった。

低い社会階層に属する被害者を、そんなに高くもない階層にいる警官が撃った。それでも、警官は「権威」であるから、民衆は「支配者」に向かって棒を振り上げた。が、勢いあまって振り下ろす場所を間違え、町々を焼いた。暴力はなにも解決しない。

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文化人類学者のルース・ベネディクト女史が1940年代にものした『レイシズム』(講談社学術文庫)という本がある。ちょっと長いが引用する。

〈人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行なわれるのだとしても、人種差別を減らす方向に動くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない〉(P182)

黒人の平均的生活水準が上がらなくてはいけないし、警官の教育レベルも向上しなくてはいけないし、アメリカの国家としての社会問題(ホントは我が国も含めた世界中の問題だが)も改善されないといけない。

最大の社会問題のひとつは「格差」である。

 

つまるところ、BLMとは「黒人の生活をなんとかしないと」という意味なのだ、と僕はいま解釈している。
昼間からラりって警官に悪態ついては撃ち殺されるような人生はまっぴらごめんだ、ということだ。64%がひとり親の家庭で育ち、人口の13%しか構成しないのに、全囚人の40%を数える黒人が置かれた環境に対して「どうなってんだよ!」という怒りなのだと思う。
格差問題に対して、トランプ前大統領は”Buy American!(アメリカ製品を買え)”、”America first!(アメリカ第一)”で雇用創出を実現しようとし、これをまったくの失敗と片づけるのはフェアではないと思う。

大統領候補だったバーニー・サンダースは民主社会主義者を自認しているから、格差問題にはより積極的に取り組んだだろう。バイデン大統領は現状未知数。就任したいまもなお、未知数である。

 

レイシズム』には興味深いことが書いてあった。

〈……人間は自分の所属する社会が推奨している形で尊敬を獲得しようとする。領土拡大を良しとする社会であれば、一人ひとりが侵略者になる。富の蓄積を良しとする社会であれば、一人ひとりが人生の成功をドルとかセントの単位で測るようになるだろう〉(P111)


〈何が称揚されるか、何がその機会を与えるかは、国ごとに、そして特にその内部の階級ごとに変わってくる。それをひとまとめにしたものを、私たちは「アイルランド人らしさ」「イタリア人的なもの」「農民の典型」「銀行家っぽさ」として認識する〉(P113)

「時代や状況が変わっても当てはまるような実体を言い当てていることは稀である」と断ってあるが、日本人がマジメな国民だと認識されているなら、それはマジメであることが美徳とされているから、ということ。

ここで冒頭に書いたように、「黒人は怖い」と思ってしまう自分が思うに、黒人がそのように認識されるのは、その“バッドボーイ・アティテュード”であり、「反逆的であること」をクールとするアフリカンアメリカン・カルチャーに因るのではなかろうか。

もちろん、法を遵守する黒人もいれば、僕のように不真面目な日本人もいるから、クソリプはやめてくれ。卵が先か、鶏が先か、という話も結構です。

『シカゴPD』という警察モノのテレビシリーズがあり、その一話で「息子を警官(こちらも黒人)に射殺された父親が復讐にやってくる」回がある。その物語の最後で父親はこのように悟る。
「俺は息子に『警察なんかに屈するな。絶対に従うな』と育ててきた。それが彼を死なせてしまったのかもしれない……」と。

親から「お巡りさんは平和を守る町の英雄なんだ」と説かれるか、「警官はブタ(※警官を指すスラング)だ」と教えられるか、それは子が生きる社会に思わぬ隔壁を築くだろう。

ベネディクトはこうも書く。

レイシズムを拭い去るための運動は、今日ではすなわち「民主主義を動かす」ことである〉(P197)

であるなら、僕は「格差を縮小するための運動は、すなわち資本主義を抑えることである」と言いたい。資本主義は結構なのだが、抑制しないと格差問題はどうにもならない。純粋な資本主義など、2008年のリーマンショックの際、米政府が民間金融機関にカネを注入した時点で一度は敗北したのだ。

末代までかかっても使いきれないような、世界を丸ごと買えるようなカネを世界中から集めて貯めこんだGAFAの上層部が、いつか「世界中の貧困家庭の若者の教育費を、私たちが払います!」と申し出てこないかな。人からタダでデータ抜きまくった結末の、そういうオチを期待する。

こういうときだけ、なんかサヨクっぽくなってすみません……。