月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ウヨクに言いたい。サヨクに訊きたい」

「テレビが報じない!」、「言論封殺だ!」と嘆きながら、ネットで思い切り自由に発言している意見がよく聞こえてくる。
「いい時代のいい国に生まれたじゃないか、キミたち」と、僕は思って眺めている。
 
現代のテレビ放送のメジャー局がどういう人々に向けて番組を作っているか考えれば、鋭い見方、核心を突いた意見、痛みを伴う真実というのは放送しにくいことは想像に難くない。
政府が圧力をかけていると指弾する人もいるけど、具体的にいつどのようなかたちで圧力があったのか明らかにできる人はこれまでいたためしがない。一部の新聞は、「圧力などない」と明確に否定している。
 
テレビ局側からすれば、一番嫌なのはおかしな視聴者からのしつこい抗議だろう。テレビ消せばいいのに、わざわざ電話代かけて抗議してくるヒマでおカネのある人たち。
だから、誰もが否定しない、当たり障りのないものしか映したくないのだ。
 
もっと言えば、クイズ番組を観れば、どういう視聴者を想定しているかよくわかる。上からな言い方で申し訳ないけど、僕は嫌いなのだ。ああいう常識ばかりを問う、おバカなタレントを笑うための簡単なクイズ番組が。
それどころか、民放すらも最近は観なくなってしまった。
しんどいのだ。常に明るく楽しくなければならないと、大袈裟に演出する強迫観念に憑りつかれたような雰囲気が。
 
電通に勤めていた頃は、テレビCMはなるべく観るようにしていた。今はそれもしんどい。広告主の思惑と、制作者の苦悩が透けて見えてしまって、おもしろくない。
現役の広告業界の人たちの大半なんか、テレビCMすら見ていない。朝から深夜まで働いていて、見る時間などないのだ。
 
「テレビは報じない!」と言っている人は、この「当たり障りのない明るく楽しいものだけを映す箱」であるテレビなんか消して、他のことをしたらいいのだ。
とはいえ、テレビは偉大である。影響力・制作力・権威の総合力において、今でもこれからもしばらくはメディアの王であり続けるとは思う。
但しそれはエンターテインメントの分野においての話で、情報や報道についてはもはやそうではない。
 
今回はこんな話がしたかったのではなかった。
「誰もよう言わん本当のこと」を書こうと思っていたのだ。
 
先日、バーで飲んでいて、何気なく自分のライターを傍らに置いていたら、一緒にいた相手がこう訊いてきた。
「ショータさんは右翼なんですか?」
 
僕はいくつも持っているライターの中で、その日こういうものを使っていた。

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旭日旗のデザインだ。
 
「ウヨクじゃねえよ。オレは単に愛国者なだけだ」
現在の日本語において、右翼という言葉の中に包含される排他的な意味。これは否定しておきたい。
右翼→排他的→ヘイトスピーチ憲法九条の改正→核武装。やめてくれ。勝手に想像を飛躍させて、人の頭の中まで決めつけないでくれ。
オレは愛国者なだけで、上記すべてを肯定するような人間ではない
穏やかを好み、フェアで、論理的でありたいと願い、問題の解決に向けて思考を巡らせる一介の愛国者でありたい。
 
右翼、左翼の定義すら難しい複雑な世の中になってしまったかもしれないが、僕は小さな政府でとにかく自由主義、個人の責任が伸長すればいいとは考えていない。アメリカで言うなら、民主党寄りの考え方だ。国民皆保険を導入しようとしたオバマ大統領ですら現地では「左翼!」と罵られている。同時に「ヒトラー!」と侮辱されていたのだから、わけがわからない。
トランプ候補に関してはもはや右翼なのか愚かなのかも評価のしようがない。
 
仮にも僕は日本で生まれ育ち、アメリカで暮らし、インドネシアカナダで現地の人間たちと共に働いてきた。そういう人間が、これまで外国人たちに受け容れられてきておいて、排他的になどなれるはずがない。
 
いいですか。旭日旗というのは、明治時代にデザインされ、その後、旧日本軍も軍旗として採用していた。現代でも自衛隊と、朝日新聞その他の私企業がロゴマークとしてデザインの一部を使用している
意味はライジングサンで「日出ズル国」。日本人は紅白をめでたいものとしてきたし、初日の出や富士山からのご来光を崇めてきた。
世界各地では、旭日旗のデザインが日本のクールな象徴として今でも通じる。実際に、バンコクの百貨店で、世界各国をイラストで表現した壁面を見たことがあるが、フランスはエッフェル塔で、アメリカ合衆国自由の女神で、ジャパンは旭日旗だった。
 
国を愛せるということは、幸せなことである。数日前までお盆だったから、故郷に帰っていた人も多いだろう。一度外に出ると、故国そのものが故郷に思え、愛おしむ瞬間が訪れる。
移民者・亡命者・難民などとして見知らぬ土地に生きる術を見つけなくてはいけない状況の人々もたくさんいる。
僕のアメリカ時代の初めのルームメイトはカンボジアアメリカ人だった。両親が幼い彼と姉を連れて、故国から移民して来たのだ。ポル・ポト政権下の七〇年代後半にカンボジアから渡ってきたというだけで、その苦労が偲ばれる。
 
アメリカ人はアメリカが好き。それどころか、彼らは自国が大好きだ。至るところに星条旗がある。街に、ビルに、製品に、Tシャツに……。

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カナダ人もカナダが好きだ。カナダで去年、カナダを誇りにするサインをたくさん見てきた。カナダ人には複雑な事情もあって、彼らアメリカという大国に隣接しているため、アメリカのテレビを観て、アメリカの音楽を聴いて、アメリカの映画を観て、アメリカに作物や資源を売って社会を成立させているという側面がある。
これを文化的な侵略と捉え、このままではカナダの独自性が失われてしまうと危惧する人も多い。だからこそ、製品には"Proud to be Canadian"と書いて、企業は"100% Canadian Owned"と殊更謳うのだ。

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インドネシア人もインドネシアが好きだ。

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しかし、僕が友人たちに「次に生まれるなら、どの国がいい?」と尋ねてみた際には、すぐさま「ジャパンだ!」、「お前の国だよ!」と答えた。
かといって、インドネシアを愛していないという意味ではない。僕だって同じように問われたら、「どこかヨーロッパの小国」と答えるかもしれない。夢想するのは自由だ。
そこで、
「いや、お前な、日本という国がどんだけ腐っているか知ってるか?」
などと言わない。世界に楽園などない。

インドネシア高官がどれだけ腐敗しているかなど、彼らと一緒に仕事していればいくらでも傍聞できる。

僕はアメリカが好きなアメリカ人が好きで、カナダを誇りにするカナダ人が好きで、インドネシアを愛するインドネシア人が好きだ。
それぞれが自国を愛し、それでいて相手国を敬いながら、学ぶべきを学び、それでもわけわからんことはいつまでもわけわからん。
世界の人間と付き合うというのはこういうことだ。というのが、僕のひとつの結論である。
 
だから、僕の感覚から言えば、日本人がデカデカと星条旗の描かれたTシャツを着て臆面もなく歩いていることの方が不思議なのだ。正確に言えば、独立国の人間として気恥ずかしい。
さらに、僕が日本国旗の付いたシャツを着ていたり、旭日旗のライターを使っていると「右翼ですか?」、「なんか怖い人ですか?」、「戦争肯定派ですか?」とくる。
バカヤロウめ。お前に向かって本気でヘイトスピーチしたろか。しないだけで、できないのではないぞ。
 
アメリカのディクシーフラッグをご存知だろうか。
アメリカの南北戦争時の連合国旗である。日本ではうまいこと北軍・南軍と呼ぶが、連邦vs.連合の国を二分しての戦いであった。
その時の連合軍、つまり南軍の目印が通称ディクシーフラッグである。

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現代においても、南部人の誇り、また反逆の証としてディクシーフラッグは南部(の田舎)ではためいてきた。ところが、KKKなどの人種差別主義者が掲げたり、最近ではサウスキャロライナ州の黒人系教会で銃乱射事件を起こした犯人が殊更見せびらかしたために、南軍旗に対する嫌悪感が拡大した。
 
南部諸州の議会は渋々南軍旗を掲げることをやめ、カリフォルニア州歴史教育の場以外で、南軍旗を政府施設で販売したり掲揚することを州法で禁じるに至った。
そもそも南北戦争自体が、その結果として、奴隷制否定の契機になったのも分が悪かったろう(開戦当初は奴隷制の可否を懸けた戦いではなかった)。
 
旭日旗も、街宣車を乗り回す人たち、匿名で罵詈雑言を撒き散らす所謂ネトウヨと呼ばれる人たちのためにおかしな色彩を帯びることになった。
あんなに、あっけらかんとメデタクて、颯爽と突き抜けて、燦然と輝ける意匠なのに。
ディクシーフラッグと共通する部分があるが、前述のように明治時代に開発された旭日デザインに人種差別的な意味合いはない。日本軍が使っていたからと言って、今日でも自衛隊朝日新聞までもが使用するジャパンを象徴したデザインではないか。
そんなことよりも、なぜ世界中が自国の旗や歌やカラーを誇らしげに扱うのに、日本がそれを躊躇うのか、根本を考えようではないか。
 
「一部の国が抗議してくるから」だって?
このコラムは言えないことを書くのだから、書こう。
チャイナと南北コリアでしょ?
ではあの人たちは、何なら抗議してこないんだ。
 
そりゃ町内会が一個ありゃ、一軒か二軒はおかしな家があるだろう。そういうものだ。
 
言いたいことは山ほどあるが、誰も言わないことを書く趣旨に沿って言うなら、我が国にとって最後の戦争というのは大東亜戦争であった。ところが、朝鮮戦争は一九五〇年からで、南にはアメリカはじめ民主主義国家、北の「朝鮮民主主義人民共和国」にはチャイナ、ソ連といった社会主義国家がついて、冷戦の縮図として半島を奪い合う戦闘を行なったわけでしょう。
結局、北緯三八度線で手打ちにしたことにより、同じ民族が分断された二つの国家に一旦落ち着いた。一旦、というのは、終戦はしていなくて、休戦状態のまま続いているから、ことあるごとに北の大将は「ソウルを火の海にしてやる」と恫喝するのだ。
ってことは、今の日本が軍国化するしない以前に、アンタら戦争中だし、大軍でもって北を支援したチャイナはどうなのだい。少なくとも朝鮮統一が成るまで、千年でも二千年でも許せない相手であるはずだろう。
なんかおかしくないか。機会があれば話そうぜ。
 
インドネシアの友人が、以前にオランダに旅行に行ったというから、僕は多少面食らった。
インドネシアは三五〇年間もオランダの植民地だったじゃないか。向こうでぎこちない感情はないのかい?」
「全然。家族みたいにもてなしてもらったよ」
 
日米が死闘を繰り広げたペリリュー島には、米太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツの言葉を刻んだ石碑がある。
「諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ」
 
 これ以上、敗者側に何も言わせてくれるな。我々には恥という概念がある。
 
フィリピンが南シナ海でのチャイナの一方的な権益拡大に対して、あまりにも対話に応じないため仲裁裁判所に訴えた。その結果、チャイナの主張は全面的に否定された。それでも、彼らは「そんなものは紙クズだ」と無視を決め込んだ。国連の海洋法に基づいた規定により仲裁を求めた裁判所の判決を、国連の安保常任理事国が紙クズ扱いするって凄いことだ。
悪く見れば無法者、好意的に見るなら、なんと気骨のある態度……
 
だから、嫌われたっていいのではないか?
誰にも嫌われないように振る舞ったところで、好かれるわけでもないことはテレビ番組が証明してみせてくれてるわけだし。
 
戦争になるって? 嫌われたくらいで戦争になるなら、とっくになってるでしょう。
そうならないために、安倍内閣憲法解釈まで曲げて活動しているわけでしょう。いや、僕は自民党支持でもないのだが、安倍政権よりふさわしい選択が今のところ見つけられないのだ。
 
やはり僕は右翼かって?
愛国者だ。なんの権限もないが、平和維持への方策を現実的に考える一人だ。できることは、外国人に日本人がどういう者か見せることくらいだ。
言えない圧力を感じているのは、こんな普通の愛国心を胸に宿す市井の人たちだ。誰だって、好き嫌いを越えた、自分なりの正しい正しくないの基準に照らして、言うべきは言いたいはずなのに、差別主義者呼ばわりされるのは心外だろう。
 
右翼の人に言いたい。
普通の日本人の邪魔をしないでくれ。
 
そして、左翼の人に訊きたい。あなた方は領土領海の防衛・戦争回避のために何をしてきた? 日本の国会前に集まったって何の意味もないどころか、弊害でしかない。
中華人民共和国共産党本部前でやってきなさい。北京の中南海ってところにあるから。フィリピン以外にもベトナムインドネシア、マレーシアとのこと、臺灣、チベットウイグルとの関わりを知らないとは言わせない。
エクスペディアで安い航空券出てるぞ。
いい時代のいい国に生まれただろう。