月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ブラックライブスがマターすると、レッドスキンはどうしたらいいのか」

「もう人類はムリなんじゃないか」と思ってしまうような夏がつづいている。

ほとんど遊びにも行けないのに、いやになるくらい暑いだけで、冬にはじまったウイルスがしぶとくて、世界中が猖獗の地となり、香港で自由を求める人たちは法改正による恐怖に意気消沈し、アメリカでは人種差別へのたたかいがいつしか娯楽としての破壊行為になってしまった。

それに比べれば小さなことかもしれないし、一部は関連しているのだけど、また答えのない、うんざりするようなことを考えてみた。

NFLフットボール)のワシントン・レッドスキンズがチーム名を変更するそうだ。

2020年7月3日に「チーム名を再考する」と発表して以来、もうすぐ二ヶ月になろうとしているが、新チーム名は不明のままである。 

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書きようがなくてWashington Football Teamとある(左下)

簡単に経緯を紹介するとこういうことになる。

  • 1932年、ボストン・ブレイブスが創設されたが、同名の野球チームがあったため、翌33年にボストン・レッドスキンズに改称。
    インディアンの血を引いたとされるウィリアム・ヘンリー・ディーツという監督と、数名のネイティブ選手に敬意を表してそのような名前にしたとされている。しかし、ディーツが本当にスー族の末裔だったかどうかは不明であるという(画像検索をしてみた限り、本当のように感じるが)。
  • 37年、ワシントンDCに移転。
  • 67年、はじめの6つの商標登録を取得(その後チームロゴなどでさらに追加)。
  • 72年、ネイティブアメリカンの代表者たちから抗議を受け、チーム名変更などを求められる。このときは応援歌の「頭皮を剥げ!」の歌詞を改変し、チアリーダーの三つ編みのカツラを取りやめている。
    以降もネイティブからの抗議を受けて、登録商標無効の裁判などで争ったが、最終的にチームは勝訴している(2017年)。
  • 2013年、オウナーのダニエル・スナイダーは「チーム名は絶対変えない。絶対だ」と宣言。
    その後も、オバマ大統領(当時)、DC知事、メディアなどの発言から圧力を受けつづける。
  • 2020年、フェデックス、ナイキ、ペプシなどスポンサーからの要請に屈するかたちで、チーム名の再検討を発表。

www.washingtonpost.com

 

ちなみに、MLB(野球)のクリーブランド・インディアンスもマスコットキャラクターであったワフー酋長を2018年シーズンでもって廃止した。今後はチーム名も変更を迫られる可能性はある。

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僕としてはなんだか気持ち悪さが残るこれらの決定なのだが、それは単に僕が部外者だからなのだろうか。
インディアンをモチーフにすることがよくないのなら、カンザスシティ・チーフス(酋長)やダラス・カウボーイズはなぜよいのだろうか。
ミネソタ・ヴァイキングススカンジナビア半島の人からクレームがつかないのだろうか。
ラスヴェガス・レイダース(侵略者)は犯罪被害者の人たちから文句を言われないのだろうか。
ニューヨーク・ジャイアンツは巨人症の患者たちを悲しませないのだろうか。
ニューイングランド・ペイトリオッツ愛国者)は、アメリカでは問題ないだろうが、日本だったらうるさい連中がわいてきそうだ。

レッドスキンズ」のなにがいけないのか、調べてみても「団体が侮蔑的だと主張している」より先の具体的な情報がない。おそらく戦略として、あえて「侮蔑的である」の一本鎗で通しているのだろう。人の主観については、それ以上の反論がしにくいからだ。

肌の色への言及がいけないと仮定すると、”Black Lives Matter”と矛盾するようになる。肌の色に人種を象徴させて「黒人の命をちゃんと扱え」と訴えているからだ。

先住人たちは、もしかしたら自分たちの肌は赤くないと考えているのかもしれない。
確かに、日本人(東アジア人)の僕は、自分の肌が黄色いだなんて思ったことはない。
我々はふだんも「あの人は肌が白いね」「ゴルフして真っ黒になっちゃったよ」などと話す。

しかし、いまでも黒人を黒人、白人を白人と呼ぶように、我々が何色なのかといわれたら、黄色以外に選択肢がない。それは「黄色組」に入っているくらいに、僕は思っている。運動会で「僕は赤組じゃない」「人を白と赤で分けるのはよくない」とか言っても仕方ないからだ。

アメリカの運転免許証には、生年月日、身長、体重のほかに、髪の色、目の色が記載される。肌の色はないが、色で識別されることがフツーにあるのだ。

レッドに関していえば、「RED MAN」という噛みタバコのブランドは1904年からある。

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黒人が”Black is Beautiful”と謳ってきたように、インディアンはレッドであることを誇りにしてきたフシすらある。
たとえば、アメリカンインディアンの文化保護団体であるAssociation on American Indian Affairsは、「Red Hoop Talk」というトークショウを配信している。
 

Red Hoop Talk - Association on American Indian Affairs

https://www.indian-affairs.org/red-hoop-talk.html

 

「文化の盗用」の問題だろうか。

つまり、先住民族でもない者が企業マスコットとしてインディアンをステレオティピカルに描くこと、黒人でもない者が黒人のイメージを商業利用すること、日本人でもない者が(アメリカ各地にあるような)インチキな日本食レストランを経営すること、これらが文化の盗用の例である。

しかし、これも突き詰めれば、大阪のインデアンカレーもNGだし、そもそも、日本のイタリアンレストラン、フランス料理店、カントリーバーなどなど、ほとんどが文化の盗用になりかねない。

「リスペクトがあるか、ないか」という基準は非常に微妙な匙加減なので、取り扱う人は充分慎重にやらなくてはならないのは間違いない。

レッドスキンズという名称の否定が、アメリカンインディアンの総意ではなく、一部のノイジーマイノリティの運動であったとするなら、チームの経営者がすべきだったことはいくつかあるだろう。

ウィリアム・ヘンリー・ディーツ監督が本当にネイティブアメリカンの血を引く者だったことを証明する。
そもそもの命名がそのスピリットに敬意を表するものだったことを確認する。
その上で、アメリカンインディアン系のスタッフを積極的に採用する方針を掲げる。もちろん選手も、有能な者がいれば(アファーマティブ・アクションの問題点に留意しつつ)獲得・育成する。

これらができたなら、ほぼポリティカリーコレクトネスに敗けることはなかったように思うのだが、事なかれ主義の大企業スポンサーのカネに屈するしかなかったことは悔やまれる。

ゆくゆくは、アメリカンインディアンのスター選手を育成し、後進の、同人種の若者が「いつかレッドスキンズでプレイしたい」と憧れるようになれば最高ではないか。

これは、継続的なブランド構築により不可能ではないはずだ。

そして、なにかを隠匿、排除、糊塗するだけではなく、こういった未来を照らすための活動こそが、いま求められるのではないだろうか。

 

ブラックライブスはもちろんマターするべきだが、なぜ町を燃やし、人々が殺し合っているのか、僕にはぜんぜんわからない。このコラム劈頭に「娯楽としての破壊行為」と書いたが、撤回するつもりはない。百歩譲って自己陶酔だ。

暴力でなにかを解決できると考えているなら、無知である。

ジョージ・フロイド氏の死を発端に全米各地で巻き起こったが、彼の死と、デイビッド・ドーン氏の殺害に軽重はないはずではないか。
ドーンさんはセントルイスの元警官(黒人)で、6月2日に友人の質店を暴徒たちから守ろうとして射殺された。彼が絶命するまでの間、誰かがスマホで動画撮影をしてフェイスブックに配信された。

日本のウヨクとサヨクも似たところがあるが、畢竟、同じような種類の人間たちが銃口を向け合っている。

アメリカはどこへ向かっているのか、なにをどう解決したいのか、まったく混沌としてしまった。

 

「美白」を謳った化粧品を販売中止する動きもあるが、多くの人が疑問に感じているように、肌が白いことは、少なくとも我が国では古来より美しいとされてきたから、その価値観はなかなか揺るがないのではないか。

クエーカー・オーツ社が黒人女性のイラストを使った「アント・ジェマイマ」のブランド名を変更するそうだが、いやいや、その前にクエーカー教徒の白人男性のイラストが社を代表しているのはどう考えているのか。
bbc.com/japanese/53088372

こういった運動を推し進めるとどこに行きつくのか、その帰結するところを、きっと誰も考えていない。

端的に言うなら「白人以外ぜんぶダメ」ということになろう。
そして、それは皮肉なことに、白人優位の世界をより強固にするだけだ。

マクドナルドのロナルド、P&Gのミスタークリーン、プリングルズのひげのマーク、ラム酒のキャプテン・モーガンモノポリーおじさんはすべてお咎めなしだ。特にマクドなんて、黒塗りならぬ白塗りしてるわ、夢に出てくるほどの恐怖でしかないわ、いろいろ問題ありそうなのに……。

erinsweeneydesign.com

 

リンカン大統領が奴隷解放宣言をしたのが、南北戦争中の1863年
マーティン・ルーサー・キングJR牧師が25万人の前で「私には夢がある」と演説をしたのが1963年。
その間、実に100年。

さらに半世紀以上の時間が流れたが、人類の歩みは善い方向に向かっているのか。

人工国家アメリカは、人類の可能性と醜悪を、我々に見せてくれる。