月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「追悼 チバユウスケさん」

チバユウスケ氏が亡くなって、かなしい。

2023年はロクなことがなかった一年だが、年末にこれか、とガックリ膝から崩れ落ちるような喪失感だ。訃報から十数日が経つが、しばしばチバユウスケのことを考えてしまう。

私はただの一ファンで、もちろん個人的な面識はない。
The Birthdayが好きだったし、チバユウスケを尊敬していた。
Thee Michelle Gun Elephant(以下TMGE)も悪くないが、彼らがデビューしてミュージックシーンを衝撃的に駆け抜けた90年代後半、私はアメリカにいた。だから、聴きはじめたのはTMGEの後期からだった。正確にいうと「GT400」(2000年リリース)という曲だと思う。

私は音楽的なことはほとんどなにもわからないが、チバユウスケの書く詞と、その割れた声に心酔していた。

TMGEの楽曲は「ただただカッコよくてメッセージは希薄」という印象がある。

「バードメン」
「スモーキン・ビリー」
リボルバー・ジャンキーズ」
「ロデオ タンデム ビート スペクター」(「暴かれた世界」)
「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」
「デッドマンズ・ギャラクシー・ナイト」
などなど、カッコいいが意味は不明という言葉の組み合わせが頻出する。
おそらく、カッコいいことのみを追い求めたバンドだったのだと思う。これは批判ではなく、賛辞としてそう思う。

そして、TMGE解散後、チバユウスケはROSSOなどのユニットを経て、The Birthdayとして再始動。

その1stアルバムから度肝を抜かれた。
TMGEの頃はやや甲高さのあったチバの声はより太く、深くなり、グラインダーで削られた鉄から飛び散る火花の束のように、スピーカーから、ステージから、熱く降り注いだ。そして散弾銃のように無数の穴を空間のそこら中にぶち抜いた。

若い衝動で疾走したのがTMGEなら、The Birthdayは成熟した大人のロックだった。大人と言っても、落ち着いたとか、スロウでメロウなとかではない。
ロックンロールの真ん中にがっしりと軸足を置いて、現代最高のロックを聴かせつづける、ブレないバンドだった。

私見だが、日本のロックミュージシャンと呼ばれるひとの多くがロックな声を持っていない。
ギターはロック、格好はロック、振る舞いはロック。しかし、声がそうではないのだ。

チバユウスケの声は唯一無二で、誰にもマネできないし、天性のロックシンガーのものだった。

声だけでなく、あの狼のような眼、あの悪魔のようなやや尖った鼻と顎(私の女友達は加えて「齧りつきたい首筋」と表現した)、あの神々しい立ち姿は、後天的に修得することは不可能で、持って生まれたものがないとなれない、ロックの権化といえる存在だった。

昨今は、ひとつのバンドを聴いていると「これもおすすめ」とコンピューターが提案してくるが、そのいずれもが到底適わなかった。私を満足させることはできなかった。

The Birthdayになった詩人チバユウスケの世界は、どこか「中二病」的な青臭さがあったTMGEのころから、一段階も二段階も円熟した。
相変わらずの、彼にしか書けない、わけのわからなさが、私は大好きだった。

お気に入りのフレーズは数え切れない。

カサブランカ・タンゴバー お気に入りのアイスピックで 太もも刺されたぜ 痛てえのなんの 酔いもさめた〉(MEXICO EAGLE MUSTARD)

〈ねえ ストリッパー あのヘリコプターを 撃ち落としたら 迎えに行くから〉(STRIPPER)

〈鳥の頭を持っている メシアは簡単に言った 今ある風船をぜんぶ 落とせば済むことだろって〉(ROKA)

〈ミミズばれのハートひとつ いつ死んでも構わないけど ベッドの下 一万回履いたジーパンまだ履くつもり〉(The Outlaw’s Greendays)

〈超人的なヴァイオリニストがいて 書けもしない五線譜の前で 疑問符だらけの 魅惑のメロディー〉(ディグゼロ)

〈壊れそうな夜 ロータリーに倒れてた 血と鉄混じった どこか少し懐かしい味〉(涙がこぼれそう)

〈生まれかわったら なんになりたい? たまにあの娘は聞く 俺はでまかせに 人間と魚にはなりたくはないね〉(マディ・キャット・ブルース)

こんな歌詞はキャフェインとアルコホルとニコティンのほかにもいろんな成分を摂取しないと書けないのではないかと、私なんかは思っていた。

しかしそれらよりもなによりも、チバがこの世界をどう見ているか、どんなふうに見えてほしいと願っているかが、その詞から垣間見える作品が稀にあり、私にはそれが格別にうれしかった。

荒々しくて、不愛想で、河童が嫌いで(笑)、暗くて乾いた、冷然とした世界ばかりを描いてきたように見えるチバユウスケが、ごくたまにぽっとあたたかいものをこちらに投げてよこす。

5曲だけ紹介しよう。

〈彼女は言うのさ この美しい世界が 汚れる前に
どこかちがう星さがして 引っ越したいって 
そこではふたりの子供を育てて いっしょに花を植えるの
きれいさ すべてが 輝いてる 
そんな日には 争いも黙るだろう 太陽が横切る前に〉(SHINE)

youtu.be

「SHINE」はThe Birthdayがはじめて披露したバラードで、残念ながらミュージックビデオはないし、ライブでもそんな多く演奏されたわけではないと思う。しかし、私はあのチバの声で、こんなにやさしい歌が歌えるのかと心を打たれた15年前のことをよく覚えている。

 

〈とんでもない歌が鳴り響く予感がする そんな朝が来て俺
世界中に叫べよ I LOVE YOUは最強 愛し合う姿はキレイ〉(くそったれの世界)

youtu.be

The Birthdayには珍しく、愛を高らかに謳った一曲。
チバユウスケは「かきくけこ」を「きゃききゅけきょ」と発音するので、「I LOVE YOUは最高」と言ってるのかと思ったら「最強」だった。そうだな、最高ではアホみたいだが、最強ならわかる。
愛は世界に向けて、堤防にも砲台にも松明にもなる。

 

〈あのレモンかじってた 真夜中青かった 世界中がブルーに染まってた
きれいだと思った このまま全てが 真っ青に沈んで海になる〉(レモン)

youtu.be

ここでは、レモンを素直に解釈するなら、彼らが駆け抜けた青春、すなわちTMGEのころの記憶ではないかと思う。悔恨とか挫折とか、あったと思う。やりたくてもできないこともあったはずだ。
私はどこかのライブ会場で、新曲だったこの歌を聴いて、涙が出たことがあった。

いま聴くと、〈愛してる今でもまだ お前が生まれてよかった〉というのは、いつかの女を指すのではなく、早逝した盟友のアベフトシTMGEのギタリスト)のことではないかと思えてきて、また泣ける。

 

〈明日はきっと青空だって お前の未来はきっと青空だって 言ってやるよ〉

〉(青空)

youtu.be

淡々と哀しさが押し寄せるような導入部から、希望あふれるサビへの転換が爽快である。これをライブで聴いたらどんな感情が胸に去来するかと、想像しながら聴いてほしい。

 

〈誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい
誰かが倒れたら 起こせばいい それだけでいい
誰かが立ったなら ささえればいい それだけでいい〉(誰かが)

youtu.be

元々はパフィーのためにチバが書いた歌を、The Birthdayが後年にセルフカバーしたものだ。当初他人のために書いたからこそ、チバユウスケの人間としてのやさしさが、まっすぐに表わされたもののように思える。

TMGEが1998年のフジロックフェスティバルに出演した際、すし詰めの観客が前へ前へと押し寄せ、失神者が続出した有名な事案があった。そのときに演奏を中断させられ、すこし不機嫌な素振りを見せたチバがひと息ついてから
「倒れてるやつは起こしてやろうぜ」
と呼びかけた一幕があった。それを彷彿させる。

上記のサビの歌詞は、ほんとうに「それだけでいい」と思う。

〈見えたね 行くべきとこ ほんとは最初から わかってた
迷うのは あたりまえさ〉

この一節には、おそらくこれを40才前後で書いたであろうチバユウスケ自身の、人生への人知れぬ迷いや決意がにじむ。人間ひとりの弱さや寄る辺なさを知る者にしか書けないはずだ。

 

かくして、チバユウスケはロックスターを演じきった。

その早すぎる去り方も含めて鮮烈で強烈で、ファンの心を激しく揺さぶって、いつまでも切なく残るやさしさを置いていってくれた。

ありがとうございました。ボタンを押せば、またチバユウスケの声が聴けるのが唯一の救いだけど、またチケットを持って、あなたの音楽を全身で浴びたかった。

Rest in peace in Sabrina Heaven.