月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「権威に抗うことを生き甲斐にしているやつら」

「泣く子と地頭には勝てない」ということわざがあるが、僕が反論したり言い争いをしたりしないように心がけている人間が二種類いて、そのひとつは警察官である。
人並みに交通違反で警官に止められたことはあるが、そういう時も言い逃れや言い訳を試みないことにしている。無駄だからである。

もちろん、こちらに非がないのにあらぬ嫌疑をかけられたりなんかしたら、全力で抵抗すると思うけど、今のところそういう経験はない。警官に止められる時はいつも僕が速度を超過しているか、後部座席の人がシートベルトをしていないか、などなにかしらの違反をしているのである。

さっさと終わらせてほしいから無抵抗でいる。

しかも、日本の警察官はやさしいのである。
「ごめんなさいね~。速度どれくらい出てたかわかりますかー?」
などとクイズ形式で攻めてきたりする。

「急いでるところ申し訳ないです~。ちょっと今の車線変更はダメでした。ワタシ、見ちゃったから、これはもう、すみません!」
などと警官の方が謝りながら迫ってくることもある。

やさしすぎる。これがアメリカだったら、ポリスマンは非常にキビシイ口調で、有無を言わせないのである。

ちょっとでも抵抗しようものなら、「貴様、クルマを降りてそこに手をつけ。そして脚を開け!」である。もしかしたらすぐに銃口を向けられてしまうかもしれない。

僕の弟はアメリカでプルオーバー(車を止めること)された際、英語を話せないフリをして、「芝居してんじゃねえぞ、コラ」と余計にトラブルになったし、僕はモンタナのハイウェイで速度超過したときに、挙動を慎重にコントロールし、紳士的にふるまって見逃してもらったこともある。釈明は一切していないのである。ただ質問にまっすぐに答えただけだ。
詳細は以前に書いた。

tabistory.jp

 

f:id:ShotaMaeda:20200201003239j:plain

日本ではテレビ番組や、街中でも、警官はやたらに低姿勢で、ごちゃごちゃぬかすチンピラに対しても粘り強く何事かを説得していて、応援の警官があっという間に五人も十人も取り囲んで、いつまでも押し問答をつづけているシーンを見かけることがあるだろう。

あんなもん、柔道技で組み伏せるか、警棒でぶっ叩いてしょっぴいてもいいのではないかと思うことさえある。

交通違反程度の軽犯罪に対して、シタ手に出てやさしく接するのは、任務を迅速に終わらせる警察なりの知恵なのだろう。渋谷の「DJポリス」は当時、一般市民への接し方としては世界でも稀にみるクレバーなやり方だったと思うし。

しかし、明らかに失礼な態度で、罪を逃れようとする輩についても同じ手が通用するわけはないのだから、ここはひとつ実力行使してくれた方が、周りの善良な市民としては、さっさとコトが済んで助かるのではないだろうか。

チャイナは武漢発の新型コロナウィルスの感染拡大を受け、国のチャーター機第一便で帰国した206人のうち2名が検査を拒否したため政府が苦慮する一幕があった。拒絶した人は動画撮影してまで激しく抵抗したという。

法的な拘束力がないから国としても苦しい(やり方が甘い)ところだったが、その2人は思慮が浅すぎるのではないか。
このネット社会では身元はあっという間に暴かれ、ウィルス蔓延の恐怖に駆られた大衆から、社会的に抹殺されてしまうことが想像できないのだろうか。最終的には、検査を受けることを申し出たということで、その2人を含めた国民の健康と生命を守るための措置を実施しようとした人たちの時間と労力を無駄にした格好だ。

www3.nhk.or.jp

我が国は、争いごとを好まず、何事も穏便に済ませたい国民性が美徳である一方、市民のしゃらくさい権利意識が肥大しすぎて、物事が遅々として進まない一面がある。

他国であったなら、係官は“Greater Good”(社会全体の善)のために、より毅然と厳然と対応したのではないかと想像する。
さすがに棍棒で殴って検査室に連行することはできないだろうが、巧妙に恫喝したり、恐ろしい取引条件を提示したりくらいならしたかもしれない。

 

警察官と航空機の機長が似たような制服を着ているのは権威を表わすもので、警備員はその権威にあやかるために同じような制服を着る。

機長は航空法により(第七十三条の三と四)言うことを聞かない乗客を降機させることができる。全体の利益のために当然のことだ。
アメリカでは暴力的に引きずりおろす場面がネットに流れて問題になったが、やり方はともあれ、誰でも目にしたことはあるはずの、乗務員に悪態をつく乗客を考えれば、それに反駁できる者などいるのだろうか。
駅員にだってそれくらいの権威を持たせたいくらいだ。

僕は、自分の持ち場を守る人の、そこにおける権威というものには一定のリスペクトを払うことにしている。それは、厳めしい制服を着た人たちだけではなく、飲み屋の大将、スナックのママ、お店の店主、そういったふつうの人たちに対してもである。

権威というものにアレルギーでもあるのか、逆らうこと、難癖をつけること、あわよくば引きずりおろすことを生き甲斐にしているような人間が、ゴロツキにもいれば、ジャーナリストにもいれば、弁護士にもいる。そういう人間に限って、自分は権威を誰よりも欲しているものだ。ひと言でいうと、ダセえ……。
共産主義国家を見ればわかるではないか。

 

僕が、反論したり言い争いをしたりしないように心がけている人間が二種類いる、と書いたのに、もうひとつを挙げるのを忘れていた。

ええ感じの熟女である。

オレを棍棒で殴ってほしい……。