コロナにはじまり、コロナに終わった一年であった。
皆さん、おつかれさまでした。……なんだけど、まだ終わっていないどころか、日本の感染者数は過去最多の4515人で2020年を締めくくるという、苦い苦い年の瀬となった。
僕個人の感慨としては、ウイルスそれ自体への恐怖よりも、人間の醜さを見せつけられた酸鼻の方が大きかったように感じる。
トイレットペーパーやマスクを買い占めた人たち、所謂「自粛警察」として、県外からの自動車に傷をつける嫌がらせをしたり、帰省した人の実家にわざわざ匿名の張り紙をした人たち、政府からの補助金を詐取した人たち、医療従事者の子供を預かることを拒絶した保育園、「俺はコロナだ」と言って、わざわざ接客のある飲食店で飲んだり、ツバを吐きかけて故意に他人にうつそうとした人たちなどなど。
僕の知人は北関東のとある県に嫁いだが、その村でコロナに感染してしまった人は、家族ごとよそへの引っ越しを余儀なくされたという。
2011年の東日本大震災のあとにも同じように、買い占めや、被災者へのいじめや、瓦礫処理の受入れ拒否があったことを忘れた人はいないはずなのに、まったくデジャブのような光景であった。
生物が「種の保存」のために行動するというのは大きな誤解で、「個(自分)の保存」を優先するという。自分の生存のために、種(群れ)があった方が有利と考えるときには、群れ(社会)を守る行動をとるが、それはあくまでも自分のためにと、遺伝子に書き込まれたプログラミングなのだ。
ただし、これは生物学者や動物行動学者が二十世紀より解明してきた「生物」「動物」の生き方のことであって、「人間」には遺伝子学のみでは計り知れない文学的な生き方、そして死に方があるはずなのである。
上記の独善的なひとたちを見聞きして、「あぁ、生物として生き残りたくて、人間としては生きてねえんだな」と半ば呆れて思う。
なにが本当なのか、どうすればいいのか、情報が溢れかえった中で、僕は今年の半ばにおいて、積極的にニュースに触れるのをやめた。特に民放のテレビを観るのは真っ先にやめた。
どれだけ情報や報道に触れても、とどのつまりは自分ができることは「手を洗う」「マスクをする」「三密を避ける」という、これまでに何度も聞かされてきた方法しかないようなのだ。
バカのひとつ覚えのようで忸怩たるものがあるが、現時点でわかっている、つまらないけど本当のことなのだから仕方ない。
そして、誤解を恐れずに言うと、毎日死について考えた。
自殺することではない。今年は実際に著名な方が何人も自死を選んでしまって、少なからずショックを受けたが、僕は「今年に死ぬのだけはごめんだ」と思っていた。
多くのひとが生活を脅かされ、中には人生を狂わされたひともいた散々な一年だったが、この大災難の終焉になにが待っているのかだけは見届けたいと思った。
そのためにも生きなくちゃいけないから、感染予防のためにできることが「手洗い」に「マスク」であるならお安い御用なのであった。
しかし、「死ってそんなに怖いものなのか。怖いのは痛みや苦しみなのではないのか」、「死はいつか受け容れなくてはならない。これはそのための貴重な訓練なのではないか」といったことは考えた。
毎日セックスについて考えていて、いざ本番がきたら思ってたよりあっけなかったように(※個人差があります)、死についてちゃんと考えていたら、みっともなくおたおたしないかもしれないじゃん! するかもしれないし、知らんけど。
まぁ、とにかく「そない長く生きたいとは思わないが、近々死ぬのはカンベンしてほしい」というこれまでの基本方針を貫いていくまでだ。
カントリーソングに”Prop Me Up Beside the Jukebox”という歌がある。
「俺が死んだら、ジュークボックスに立てかけてくれ
神様よ、天国には行きたいけど、でも今夜行きたいってわけじゃねえ♪」
これを歌ったジョー・ディフィーというカントリー歌手も、今年コロナ感染により亡くなってしまった。僕が好きな歌手のひとりだった。
このひとの”Pickup Man”という歌に影響されて、19才の僕がはじめて買ったクルマはピックアップトラックだったし、39才の僕がカウボーイの牧場でジョンディアのトラクターを運転しながら歌ったのが、彼の”John Deere Green”という歌だった(拙著『カウボーイ・サマー』P182参照)。
誰しもを傷つけ、大切な人や仕事を奪っていったウイルスであった。……あ、まだ終わっていないか。ひとまず、今年は終わった。
「コロナが終わったら、カネを擲ってあそこへ旅するんだ。あの人と会うんだ。きっと行くんだ」と思えるのは、この忌々しいコロナがもたらした希望だわな。人は号砲が鳴るか、〆切があるか、そのどちらかがないと動かんものだからな…
— 前田将多 (@monthly_shota) 2020年7月26日
この忌々しいコロナ禍の向こうに、きっとたのしいことがたくさんあるはずと信じて、また来年。
皆さん、お元気でね。