死について考えるとき、それが身近な誰の死であっても悲しいものだろうし、なかんずく自分の死であるなら恐れない人はいない。死ぬのはなるべく先延ばしにしたいものだ。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しむ女性が、医師二名に安楽死を依頼し、それに応えた二人が薬剤を与えて死なせたという、いわゆる安楽死に関する事件があった。
この報道に触れて、誰でも安楽死について思考を巡らせたのではないだろうか。
しかし、日本医師会の中川会長は〈今回の事件は安楽死や尊厳死に当たらず、「安楽死の議論の契機にすべきではない」〉とコメントした。
ALS患者嘱託殺人 日医会長「安楽死の議論の契機にすべきではない」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
いや、これを議論の契機にしないでいつするの、と僕などは思う。
我が国では、介護や医療費や人としての尊厳など、終末期の医療に関する社会問題はすでに顕在化していて、それ以前に死は、個人の問題として、誰にでもふりかかってくることである。
どう考えても100%真っ白な答えは出ないむつかしい事柄とはいえ、感情に流されず議論を深めていくことは必須だと僕は思うのである。
一般に安楽死という言葉は、積極的安楽死を指し、つまり苦しみから解放するために薬物を投与して命を終わらせること。
尊厳死は、回復の見込みがない患者に対して、人工呼吸器など延命措置をとらないこと、または治療を中止して自然な死を迎える手助けをすること。
……ということなのだが、静岡大の松田純名誉教授によると、世界各国では区別は明確ではなく、致死薬の投与など積極的安楽死、医師による自殺介助、治療の中止による消極的安楽死をひっくるめて「尊厳死」という概念でくくられているという。
日本の場合は、公益財団法人 日本尊厳死協会が「安楽死には反対」という立場をとっているため、きっちりとした区別があるということだ。
イヤな言い方をすれば、(マスメディアが)そこを混同した表現をすると団体が抗議してくるから、キッチリ分けないとアレというわけだ。
それはさておき、現在の日本では違法である安楽死について意見表明をすると、クソリプが飛んでくる炎上案件なのである。だから人は意見をしたがらないし、議論が深まらない。
僕はどちらかと言えば安楽死には賛成なので、その立場から、議論のために排除しておくべき態度を列記してみる。
■「いま難病と闘っている人に失礼」
安楽死に肯定的というのは、あくまでも「自分がそのときどうしたいか」ということであって、他人に対して意見を押しつけるものではないし、医者でも神様でもないのに「きみは治らないから死んだ方がいい」などと言いたいのでは断じてない。
その意味で、よく引き合いに出される優生思想とも直接的な関係はないと言える。
古くはナチスによる障害者安楽死の「T4事件」、最近では相模原障害者施設殺傷事件など、人道への犯罪については当然、相応の厳しい刑罰が下される。
それにも関連して……
■「生きたい人が生きたいと言いにくくなる」
重病や障害のある弱い立場の人が、家族や社会の負担を考慮して意に沿わない選択をしてしまうことを「すべり坂」と呼ぶそうだ。
しかし、世界で初めて安楽死を合法化したオランダでいえば、すべり坂の例は規制当局(地域安楽死審査委員会)の評価によると、起きてはいない。
そのために規制が設けられていて、オランダでの安楽死を行なう際には「注意深さの要件」という6つの条件が求められる(以下要約)。
a 医師が、患者の要請が自発的で熟慮されたものであることを確信している。
b 医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであることを確信している。
c 医師が、患者の病状および予後について、患者に情報提供をしている。
d 医師および患者が、患者の病状の合理的解決法が他にないことを確信している。
e 医師が、少なくとももう一人の独立した医師と相談し、その医師が診断の上、書面による意見を述べていること。
f 医師が、注意深く生命終結を行なう、自死を介助すること。
これを読んでもわかる通り、患者は安楽死を要望することはできても、その意を汲んで実施するか否かの最終決定権は医師にあるのだ。
ツイッターで検索すればこんな意見がある(以下、晒し上げる意図はないので、リンクではなく書き起こす)。
「股間を『デリケートゾーン』って言ったり、売春を『パパ活』って言ったりするのと同じ感じで、安楽死を『ハッピーエンド療法』みたいな別の言葉で呼ぶ奴が出てくると思うし、そいつ社会的にはまあまあの地位を持っていて清潔感あって、一見すると悪人には見えない極悪人だと思う」
「安楽死がマナーとなって早50年。今では仕事の失敗を安楽死で詫びるというのは社会常識となっている。先日は不倫騒動を起こした俳優が謝罪会見にて詫び安楽死を選択することを伝えた。恋愛禁止のルールがあったアイドルは熱愛が発覚し安楽死をしたことが話題となった。もちろん多くの人が悲しんだ」
……だそうです。
両方とも「すべり坂」についての言及だが、安保法制を「戦争法!」と呼んだり、テロ等準備罪にかかわる通信傍受法を「盗聴法!」と決めつけたりしてきた、我が国の「議論」が思い起こされる。こういうのは無益である。
■「今回のような残酷な事件をきっかけに法整備なんかしてほしくない」
上記の医師会会長と同じような態度だが、オランダでも安楽死の容認はある「事件」が端緒であった。1999年に精神科医のバウドウイン・シャボット医師が、50才の女性に対して自死を介助したのである。
日本でも安楽死にまつわる事件はいくつも起きている。ここでは詳細は挙げないが;
成吉善(ソン・ギルソン)事件(1946年)、山内事件(1961年)という家族による嘱託殺人事件。
医師によるものでも、東海大病院事件(1991年)、国保京北病院事件(1996年 ※不起訴)、川崎共同病院事件(1998年)があった。
北海道立羽幌病院(2004年)、富山県の射水市民病院(2006年)、和歌山県立医大附属病院紀北分院(2007年)などでも延命治療中止をめぐって事件化した事例があった。
インターネットが絡んだものとしては、ドクター・キリコ事件(1998年)があった。
オランダとちがい、日本はそのたびにショッキングな事件性を煽り立てること、関係した個人を責め立てることに終始し、肝心の安楽死の議論を先送りにしてきて今日に至ったのである。
東海大病院事件は、医学部助手であった医師が、多発性骨髄腫に侵された患者の長男らから求められ、治療行為を中止し、なお苦しむ患者に対し塩化カリウム製剤などを注射し、死に至らしめたものだ。
横浜地裁は判決として、医師による積極的安楽死が許容されるための四つの要件を示した。
①患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること。
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。
このケースでは、医師は④(明示された意思表示)が満たされていないことを理由に、殺人罪に問われ、懲役2年、執行猶予2年に処された。
上記4つの要件に加え、現代に安楽死を論じる場合、
緩和ケアと組み合わせた検討と、本人、家族、医療チームとしての合意形成。
患者が認知症を持つ場合、安楽死の同意をどこまで有効とするのか。
精神的疾患により本人が「死ぬほどの苦痛」を感じている場合はどうするのか。
などなど、論じられなくてはいけない問題が山ほどある。
精神疾患に関連して述べるなら、医師によらない自らの手による自殺をどう考えるのか、という壁にぶち当たり、安楽死はよくてなぜ自殺はいけないと言えるのかという疑問に直面せざるを得ない。
こうなるともはや、医療を超えて、宗教や哲学の領域になる。
「②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」には該当しないから、安楽死議論の範疇ではもちろんないのだが、無責任な他者として言えることは、「死ぬまで生きようよ」というバカみたいなことをマジメに言いつづけるしかない。
だって、
「明日、朝メシがおいしいかもしれないじゃん」
「今度またカラオケ行けるかもしれないじゃん」
「今季、阪神が優勝するかもしれないじゃん」
「明日会う誰かと生涯の友になれるかもしれないじゃん」
みたいな、どんなくだらないことを希望として生きたっていいじゃん、と思う。
生きていれば、運気も気持ちも揺動するもので、その振れ幅が大きい人が躁鬱病として、深く深く沈んでしまうのだと思う。
僕にだって悩みはあるから、いつどうなるかは知らん。
身も蓋もないことを言うと、「テロリズムと自殺は止められない」と、僕は思う。
爆弾持って突っ込んでくる人を防ぎようがないように、死のうとする人を止められる絶対の方法はない。だから、年間2万人くらいの人が、救済の網からすり抜けるように亡くなってしまう。
だけど、病魔によって明日や明後日死ぬはずではない人は、誰かに頼ってでも生きてほしいと思う。
「生きててよかった」と思える日は必ず来るからだ。
「寅ちゃんはなに考えてるの?」
— 前田将多 (@monthly_shota) 2020年5月6日
「嘆くのはすべてやったのち、最後の最後だということだ」
「はい。なかなかその最後まで行き着かないものだね…」 pic.twitter.com/cvFOUp7st3
今回このコラムを書くにあたって参考にした松田純著『安楽死・尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定』(中公新書)に、ダーウィンに関する記述があり、このように書いてあった。
〈人間は肉体的な弱さを、一つは「知的能力」を駆使して「武器や道具を作製できたこと」によって、もう一つは「社会的資質によって仲間を助け、また自分も助けられたこと」によって、補ってきた〉
強い者が生き残ってきたわけではなく、適応できる者が生き残ってきたわけだから、人間は自分ひとりの力ではなく、助け合って当然だというわけだ。
そのために家族がいて、友人がいて、文学があり、音楽があり、スポーツがあり、芸術がある。世の中の、淘汰に耐えてきたあらゆるものが「生きろ」というただ一点をバカのひとつ覚えのように伝えてきているのだ。
それでも、死はまったく個人的なことで、残される者と死にゆく本人の問題はまったく別のものである。
今回のALSという病気には、立ち向かって生きようとしている人たちもたくさんいる。
よく知られたところでは2018年に死去されたスティーブン・ホーキング博士だろう。博士は病気の進行が緩徐であったため、気管切開によって呼吸を保ち、合成音声でコミュニケーションをし、76才まで生きた。
しかし、今回亡くなった京都の女性はTLS (Totally Locked-in Syndrome) が間近に迫っていたのではないかという報道もあった。
ALS嘱託殺人、女性に視力失う症状 意思疎通手段喪失前の「安楽死」希望か(産経新聞) - Yahoo!ニュース
体が動かなくなったALS患者は視線入力のパソコンを使って意思疎通や表現をすることができる。ところが、TLSになると目も使えなくなり、自分の身体の中に意識が完全に幽閉(ロックトイン)されてしまうという。
こんな残酷なことがあるだろうか。
そんな病魔が自分の身にふりかかったら、僕自身はどういう選択をするのか、元気ないまは正直わからない。
動揺、悲嘆、絶望。そんな言葉では言い尽くせないし、誰にも伝えられない空白の混沌の中、「終わらせてくれ」と思うかもしれない。
なにかに頼って生きたいと思うかもしれないけど、果たして頼れるものはあるのだろうか……。
ルクセンブルクでは、安楽死法が議会を通過した際、国家元首であるアンリ大公が署名を拒否した。それに対し議会は、法律の公布に大公の署名が必要ないように憲法を改正してまで通過させたという。
アメリカでは、オレゴン州やワシントン州などにつづき、同じ西海岸のカリフォルニア州でも2015年、ジェリー・ブラウン知事(当時)が法案に署名した。
その際の知事のコメントに苦悩が透ける。
“In the end, I was left to reflect on what I would want in the face of my own death”
「最後は、自分が死に直面したときになにを望むかを考えた」
“I do not know what I would do if I were dying in prolonged and excruciating pain. I am certain, however, that it would be a comfort to be able to consider the options afforded by this bill. And I wouldn’t deny that right to others.”
「私が長期の耐え難い痛みの中で死を迎えるとしたら、自分がどうするかはわからない。しかしながら確かなことは、この法案によって、考慮できる選択肢が生まれるというのは、ひとつの慰めにはなるだろう。そして、私は他者のその権利を否定するものではない」
After struggling, Jerry Brown makes assisted suicide legal in California - Los Angeles Times
僕も、ブラウン元知事のこのセリフ以上に言えることはないと思う。
(了)
このコラムは、以下の書籍を参考に執筆しました。
松田純著『安楽死・尊厳死の現在 採取段階の医療と自己決定』(中公新書)
安楽死を合法とする各国の経緯、最終段階の医療における希望と問題、尊厳と自殺にまつわる思想史まで網羅し、大学教授らしい客観的な筆致が読みやすい本です。
大鐘稔彦著『安楽死か、尊厳死か あなたならどうしますか?』(ディスカバー携書)
現役のベテラン医師として死を見つめてきた著者による、安楽死・尊厳死への考察。こちらの一冊も、一方の意見に偏重することなく書かれています。
そのほか、「ロックトイン」については、脳梗塞によりロックトインになり、目を使った意思疎通で自伝を残した『ELLE』誌編集者の実話に基づいた映画『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年 ジュリアン・シュナーベル監督)、
第一次世界大戦で顔の各器官を失い、腕と脚も切断された男の最終末期を描いた映画『ジョニーは戦場に行った』(1971年 ダルトン・トランボ監督)は、ご自分の意見形成のためにぜひご覧ください。