月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「『抱いてください』への長き道のり」

先月はじめにまた上田豪さんと田中泰延さんと、ヒマナイヌスタジオ神田より、飲みながらのトーク配信を行った。
 

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一応、テーマらしきものを設定して、「僕たちだってこんなことで悩んでる」ということで事前にお悩み募集もした。たくさんのメールをいただいたのだが、そのすべてにお答えできずすみませんでした。

メールをとりまとめるのは僕の役割だったので、「これは取り上げよう」と考えていたにもかかわらず、本番で酔っ払いすぎて忘れてしまった質問がある。
スタジオに入る前に、みんなでウィスキーやらビールを買いに行って、僕たちははじめ普通のジャックダニエルズを選んだ。アルコール度数は四〇だから、まぁふつうのウィスキーだ。
しかし、ひろのぶさんが「せっかくだから」とキリンの富士山麓シグニチャーブレンドというボトルに替えた。これは芳醇なウィスキーだが五〇度あり、しかもチェイサーを飲むのを忘れていた僕には、かなり効いたのである。

開始七十分すぎたあたりから明らかにスローダウンして、最後はヘロヘロになっているのが、恥ずかしいくらいわかってしまう。

さて、いただいていた質問は、四十代の女性からで以下のようなものだった。

「『抱いていただけませんか?』というキラーフレーズを、いつかちゃんと言いたい相手がいます。友人です。
いやー、言っちゃっていいっすよねー?
だって好きなんだもん。そういうの、重くならず、でもキチンと言えるのが、カッコいいオトナってもんではないでしょうか?
ダメか?
ちなみに、抱いてほしいけど、つきあうとかは考えていません。もっと仲良くなれればいいだけです。

キラーフレーズの使用上の注意をご教示ください」

この方は、僕がちょうど一年前に書いた『#metoo時代のHow to SEX』というコラムがお気に入りだそうで、小さくプリントアウトまでして手帳に挟んでいるとのこと。
お気に召して幸いです……。

僕はさしてモテてきたわけではないし、青春時代などおよそモテとは無縁にすごしてきた。もちろん女性から「抱いてください」などと言われた経験はないので、勝手な想像を交えて、この場で僕からの回答を共有しようと思う。

新宿鮫』シリーズで有名なハードボイルド作家の大沢在昌さんが過去にエッセイで、「自分は二十五才まで、女性にも性欲があることを知らなかった」と書いていた。
僕はそれを二十五才で読んで、「オレは今でも知らんわい」となんだか悔しかった。思えば、女性に断られつづけてきた半生であった。

「悲しさの正体とは『乖離』である」と以前に書いたことがあったが、つらさの本質というのは「拒絶されること」である。

告白した相手に断られる。受験した大学に落とされる。面接で不採用になる。会社から解雇される。
これら、拒絶されることというのは、のちのちまで根に持つほど、人にとってキツいのである。
特に、恋愛においてフラれるというのは「あなたはもう私の人生にとって必要がない」「出て行ってほしい」という宣告である。セックスの誘いを拒否されるというのは、「お前なんかに体を触られたくもない」というメッセージである。

恐ろしい。わかったからもうそれ以上言わないでほしい。

だいたい男の方から行動を起こしては討ち死にするものだが、ここで引き下がらない男というのは一生モテないか、訴えられて社会的にも抹殺されるのでやめた方がいい。権力や力関係を利用して、断れない状況へ女性を追い込む男も多くて、これが社会問題となった#metooの淵源であった。

 

さきほど、デザイナーをしている友人の平くんが来て、「プレゼンで、案を三つ提案すると、すんなり決まりますね!」という当たり前のことを、さも大発見のように話して機嫌よく帰っていった。
僕は「なにをいまさら……」と苦笑しながら、「プレゼンというのは、案の提案のためだけにあるのではなく、説得の方法だから」と話した。紙芝居を披露するように、段階を踏んで、納得させたい結論へ導くのである。

女がロマンチックな雰囲気を求めるように、男だってストーリーに酔うということはある。

「抱いていただけませんか?」にたどり着くまでの道のりというのは遠い。しかし、千里の道も一歩から、しかない。いきなり素っ裸で走ってくるやつはいないのである。

バーならテーブルではなく、必ずカウンターに座るのだ。人間にはテリトリー意識というものがあり、それは眼前から扇状にひろがる空間である。よって、目の前に座られるよりも、隣りに座られる方が緊張度が低いのである。

お酒を注ぐというのは、英語で「pour」である。この単語には、「吐露する」という意味もある。
一杯の酒が注がれるたびに、心の中からもひとつ、とどめおかれた思いを言葉にして出さなくてはいけない。

「抱いてもらえませんか?」

まだ早いっちゅうねん。いきなり素っ裸で走ってくるなと言っているだろう。

仕事の話、住んでる町の話、旅した場所の話、流行ってる服の話、自慢の靴の話、好きな食べ物の話、最近読んだ本の話、泣いた映画の話、アホな友人の話、子供のころの話、加齢による現象の話、登れなかった山の話、知らなかった歴史の話、取り繕えなかった失敗の話、叶わなかった夢の話……。

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これくらいをすれば、だいたい話すことももうないだろう。できるなら、七:三くらいで相手にしゃべらせよう。あなたに話すということは、あなたをそれだけ受容しているということでもある。

ウィスキーの三、四杯も飲んで、そろそろ滑舌もあやしい。

「はい♡」

なにが「はい♡」なのかわからないが、当たり前のように手を差し伸べて、手をつなぐのだ。それはあたかも、マラソンを走り終えた選手をバスタオルで包む係員のように、当然の動きとして行なうのだ。

手をつなぐと、もしかしたら散々言葉を連ねておしゃべりした以上に、さまざまなことがわかる。体温も、手指のかたちも、爪のなめらかさも、ぎこちない動きも、握り返す力の具合も。
その中から読み取るべき重要なことは「自分は拒絶されているかどうか」である。

拒絶感が伝わってこないのであれば……、
「抱いてもらえませんか?」

まだ早い! 素っ裸とは言わないが、ブラを振り乱して走ってくるやつはいない。

ナイショ話をするように、顔を寄せて、耳元にささやいてみる。

「ねえ、ねえ……」
「ん?」
「あのさ」
「うん」

ここで、つないだままの手にぎゅっと力を入れて握る。

「前から思ってたんだけど……」
「うん」
「今夜」
「うん」

秋(とき)は来た。多少の酒くささは大目に見るので、吐息が耳朶にかかるくらい、さらに一歩、接近するのだ。

「抱いてもらえませんか?」

 

どうだろう。オレは自分で書いててビッチャビチャだが、どうだろう。

「え、えーと、明日、ボク出張で朝早いから……ごめん」

こういう、人の気持ちがわからない、不甲斐ない男も最近の世の中にはいるから、覚悟はしておいてほしい。

そんなやつに限って、来なんだらええのに、次回も誘えばのうのうとやって来る。
そんな時こそ、待ち合わせ場所に素っ裸で走っていって、テイクダウンして、駆け込み寺だろうが、連れ込み宿だろうが、引っ張り込んでほしい。

グッドラック。