ラジオで悩み相談の番組を聴いていたら、こんな質問だった。
「私は恋愛に興味がなくて、彼氏もほしくありません。親や友人など、まわりの声も鬱陶しいし、本当に価値観を押しつけてほしくないです。こんな生き方は許されないのでしょうか」
それに対して、スタジオに遅刻してやってきたIKKOさんがいつもの調子で、
「そんなの、もっ・た・い・な~い~!♡♪」
と答えていて苦笑してしまった。
ほかの回答者からは、
「恋愛は、他者を思いやる気持ちとか、自分のダメなところを学べる最強の機会なので、あきらめてほしくはない」
という理性的な言葉もあり、NHKらしいバランスであった。
僕の親しい後輩にも、僕と知り合って十数年、30越えてもカノジョがいるところ一切見たことない滝下くん(仮名)という男がいる。
意識が高すぎて、昼間はアートディレクターとして働き、残業でどんなに遅くなっても毎晩10Km走り、サウナに通い、週末はひとりで山に登る。カレー作りにも一時期ハマっていたが、「スパイスから作りだすと一日かかるので……」と、最近はしていないそうだ。
「あいつは、晩年は山奥の小屋に住んでヨガをやって暮らすだろう」と、我々仲間のあいだでは言われている。
過去には、僕も滝下くんに対して、IKKOさんのように「きみは毎日なにが楽しいねん」と問うたことが何度かある。しかし、ジョギングして、サウナ行って、山登りするのが楽しいらしいので、それ以上なにを言ってもムダなのである。
滝下くんは、僕が過去に書いたコラムの中で、「クルマを運転したくないのは、加害者になる可能性があるから」と答えた人物だ。
訊いたことはないが、もしかしたら恋愛に関しても同じように「加害者になるから」と考えているのかもしれない。
自分自身の若いころを振り返ると、僕にも一時期「恋愛などしたくない」と思っていたことはある。理由はちがう。
それは「僕と付き合ってください」「デートしてください」「セックスしたいです」など、恋愛というのは自分の要求ばっかりで、なんじゃこりゃ? 利己の追求も甚だしいな、と考えていたからだ。
「寅ちゃんはなに考えてるの?」
— 前田将多 (@monthly_shota) 2018年12月28日
「恋とは、結局『乞う』ことなのではないか、ということだ。そこには羞恥心も利他の精神もない。独善さ」 pic.twitter.com/zwRm5TmMGo
好きな人の時間を奪う、人生の一部を借りる、肉体と交わる。それを要求するような権利や、それに見合う価値など自分にあるのだろうか、何様なのだろうか、と思っていたのだ。
好きな人がいて、その人の幸福を願うなら、彼女が好きなようにするのが一番なのであって、自分の要求に応えてくれたとしても、彼女の幸福など約束できない。オレはそんな無責任はしたくない。
もしもそのコが、自らの選択においてオレといたいというなら、それはヤブサカではないが、こちらからオファーを出すことなどおこがましい。
オレが素っ裸で横たわって、静かに目をつむり、「好きにして♡」などと言えればいいが、そんなニーズが見いだせない。
19、20才くらいのころじゃないかな。そんな時期に、そんなふうに考える男が、モテるわけないよね……。
かくしてモテない青春時代を送ったのであった。
加害/被害の対立構造で恋愛を考えたことはないが、大人を長いことやっていると、その両方になったことはある。
“加害”してしまったことはトゲのように時折チクリと胸を刺すし、その後の行動に判断を下す上で抑制になることもある。それが人間としての成長ということなのだろうと思う(ちなみに、小学校を卒業して以来、女性を殴ったことはないので誤解なきよう)。
“被害”を受けたことはもはやどうでもいいことだが、そう、大人になって、自分の価値も独善も、いろんなことがどうでもよくなった。晴れて、雑で穢れた大人になったのだ。
何事も、あまりくよくよと考えていいことはない。
僕は考えることをやめた。考えることは寅ちゃんに任せて、たまにそれを聞かせてもらえればよい。
「寅ちゃんはなに考えてるの?」
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年4月10日
「色恋もよいが、青春で触れるべきは、ひとの赤誠ではないかということだ」
「カラフルな台詞だね、寅ちゃん」
「心が色盲みたいな人間もいるからな…」 pic.twitter.com/0XSjyFvgwT
どうしてお腹が減るのか、どうして夜は眠たくなるのか、いつまでも考える人はいないだろう。そして、その考えを人に認めてもらおうとすることなど無意味なので、その前に食べるなり眠るなりしたらいいのだ。
人類というのは、恋をしてセックスしないと絶滅するわけで、本能に組み込まれたことに意味を見出そうとしたり、抗おうとしたりしてもムダである。
大切なのは、ドアを開けておくことではないだろうか。そうすると、いつか誰かが入ってくる。
いや、いつまでたっても入ってこないこともある。だけど、誰かを無理矢理に入れることはできないし、わざわざ鍵をすることもないだろう。
もらった釣銭が多くて、返しに行った先の店員と仲良くなることもあるだろう。
人数合わせのため草野球に呼ばれてしぶしぶミットを持って行ったら、二塁手が女性で、ど真ん中ストライクなこともあるだろう。
自転車のチェーンが外れた女の子を助けたら、恋のホイールが回りだしてしまうこともあるだろう。ないか。
となりの家から電線をひっぱって電気を盗んでいたのがバレて、謝りに行った先の娘に電撃が走ることもあるだろう。ないか……。
しかし、僕は、男に限った話だが、バーカウンターで「火を貸してくれ」と言ってきたドイツからの男と友達になったし、アメリカの学生寮の共用キッチンで料理をしていて、向かいの部屋にバターをもらいに行って、そこに住む男と親友になって20年以上がたつ。
ドアを開けておいたからだ。
若いきみには、たまにまちがえたかのように恋の対象が入ってくるかもしれないじゃないか。
そんなものだ。
だけど、滝下よ、深夜に10km走っても職質されるだけだし、朝からカレーを仕込んでる部屋とかサウナに女の人が入ってくることはないからな。きみのひとり用テントに突如入ってくるのは、熊くらいのものだ。
やっぱり、あいつはヨガするしかないな。ヨガ教室が人気出て、それが高じて、変な反動で、いやらしい宗教とか開きませんように……。