僕の仕事仲間に山本太郎さんという人がいた。仮名か実名かわからない名前なのでこのまま書こう。もちろんあの政治家とは無関係だ。
太郎さんはちょっと変わった人で、よくしゃべった。あんまり人の話を聞かずにしゃべるくせに結論がなかったりするので、会議の中では僕はたまに苦笑した。
彼の方が年上だけど一度など、
「黙れ! オレがしゃべっとんねん」
と黙らせたことすらある。放っておくとまたしゃべり出す。
仕事でなければとても愉快な人で、誰とでも友達になる特技があり、実際に友達も多かったと思う。
もう十五年近く前のことだが、僕と太郎さんはもう一人の仲間とスウェーデンとフィンランドに出張した。現地のタクシーの中では、最も英語が話せない太郎さんが一番よくしゃべった。
「*** Hotelね。Little hurryね」
「太郎さん、英語のあとの、その『ね』はなんなんですか」
出張の終盤、だいたい仕事は済んだ頃に、僕たち三人は雪と氷の町にぽつんとあったレストランに入った。
太郎さんはまずビールを頼んだ。料理を注文して待つ間、僕たちはひとまず互いを労って乾杯した。
「ん?」
ビールを一口飲むと、太郎さんは胡乱げにボトルを手に取って、裏のラベルを見た。
「どうしたんですか?」
「このビールな、賞味期限切れとるわ」
飲んだ瞬間に違和感があったのだろう。賞味期限の欄には、わずかに過ぎた年月日の記載があった。
僕がウェイターを呼んだ。なのに太郎さんは、ボトルを突きだすと、いきなり言い放った。
「チェンジ! チェンジ!」
僕は慌てて太郎さんを制して、ウェイターになるべく落ち着いた口調で告げた。
「このビールの賞味期限が切れていたようなんです。フレッシュなものと交換をお願いできますか?」
ウェイターが奥に引っ込んでから、僕は太郎さんに言った。
「あのね、太郎さん、突然『チェンジ! チェンジ!』なんて言ったら、日本語では『替えろ! 替えろ!』って言っているようなものですよ」
「そ、そうか……」
「ホテトル嬢ちゃうねんから」
「せやな」
「これから僕らの料理が出てくるってのに、その食いもんに何されるかわかりまへんで」
「あ、ヤバいかな?」
太郎さんは言うが早いか、席を離れ、勝手に厨房に消えていった。
一分半後に出てくると、笑顔で「もう大丈夫や」と言った。
「全員に挨拶して、握手してきた」
なんやそれ。厨房の皆さんは、キョトンとして、もう一回手を洗い直すハメになったかもしれないが、その晩は和やかにメシを食べて終わった。
まぁ、とにかく、クレームを入れなくてはならない時や、誰かの何かを正さなくてはいけない時、イラッと来た時こそ、賢明な対応をしなくてはいけない。特に頭に血が上った状態で、正確に判断しなくてはいけないというのは難しいことだ。
前々号で僕は最近「怒らなくなった」と書いたが、僕の家族や古い友人たちは笑うだろう。瞬間湯沸器とか狂犬と比喩されるにぴったりの短気な人間が、僕だったからだ。
もちろん今でも怒ることはあるのだけど、それは
①怒ることが問題解決につながる時
②相手に悪意がある時
の二つの状況においてのみである。
だから、会社員時代も後輩に怒ったことはない(と思う)。
最善を尽くしたつもりだけどできなかったことや、うっかりやらかしてしまったこと、ど忘れしてしまったことを怒ったところでどうしようもない。それらは僕にもしょっちゅうある。
そんなことより、起きてしまった問題をどうしたらいいのか考えた方がいい。
携帯電話を片手に、おそらく後輩だか部下だかに
「お前、今すぐ持って来いや、コラー! ここに! 今すぐや!」
と怒鳴り散らしているサラリーマンを道端で見たことあるが、「ここ」てどこやねん。電話やぞ。
相手に悪意がある、もしくはそう感じた時には徹底抗戦する。そういう姿勢を見せなくてはいけない。
クソリプにはさらなるクソを返す。
「棍棒を携え、穏やかに話す」
これはセオドア・ルーズベルト大統領が、自身の外交方針を表わしたスローガンだ。「棍棒外交」という言葉で知られるが、棍棒だけでは一面しか捉えていない。
「にこやかに罵詈雑言を吐く」のは竹中直人だ。そうじゃない。
ムッカーッときて怒りが溢れ出そうな時に、①問題解決になるか、②相手に悪意はあるか、の二つは考慮していいはずだ。
だから、駅とか店で大きな声で怒っているおっさんはアホなのである。
何十年も生きてきて、そういうふうに状況と感情をブレイクダウンして考えたこともないのである。困ったものだ。
大雨で電車が止まったとして、駅員さんに怒鳴ると電車が動き出すのだろうか?
駅員さんはおっさんに意地悪をしようと、電車を止めたのであろうか?
上記二つのクライテリアを「そんなもん冷静に考えてられるか」という向きには、最後にもうひとつだけ提案があるがどうだろう。
「カッコいいかどうか」
その時にどういう対応を見せるのがカッコいいのか、で決めるしかあるまい。
僕は個人的には、心の中に「カウボーイ」を住まわせていて、その男はめちゃくちゃカッコいいんだ。一生追いつけないくらいカッコいいんだけど、少しずつ彼に近づきたいと思わせてくれる。
どうすればいいか教えてくれるし、ちょっと待てと抑えてくれるし、この方がよくない? と提案してくれる。
そして、人として言うべきを言わなくてはならない時、ちょっとした勇気が必要な時、カウボーイは僕に語りかける。
「お前、いまそれを、そいつに言わなかったら、あとで家に帰ってから後悔しないか?」
僕はその声に従う。
それは人によって、カウボーイでなくても、サムライでも、ナイトでも、キングでも、矢沢でもなんでもいい。あなたが信じられる何かを、心に持ったらいい。
さて、ここまで言っても、威圧的に人を恫喝したり、暴力的に人を苦しませるのが「カッコいい」と考えている人間がいる。確かにいる。
僕のカウボーイは、僕以外の人にはなにもしてあげられないので、申し訳ない。せめてそういうやつらが特別に太くて黒くてデカい棍棒でぶん殴られますように、と祈っております。