月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(モンタナ篇)」

シアトルでは、買い物して、ベースボール観て、レンタカーにも慣れ、ダウンタウンを観光して、楽しく濃密な二日間を過ごした。が、しかし……。
お遊びは終わりだ。灼けたハイウェイが男たちを待っている。ただし、その男たちの一人は色白で、もう一人は最近シミと枝毛を気にしている。
モーテルで翌日からの長いドライブに備えて、地図を確認。確認するまでもなく、インターステイト九〇を、とにかく東へ東へと行くしかないのだが、問題は「どこまで行けるか」だ。すっごくテキトーに、シアトルからケンタッキー州ボウリンググリーンまで五日間と設定したものの、日本を発つ直前にグーグルマップでちゃんと調べたところ、二四二〇マイルと出た。
これを五日で割ると……、いや、ケンタッキーでは友人に会うのに、夜に着いても仕方ない。翌日にはニューヨークに飛ぶのだ。だから、実質、四日で計算しなくてはいけない。
二四二〇÷四=六〇五マイルとなる。
六〇〇マイルって言われてもわかんねえよ!
キロに直せば、九六八キロってことだけど、そんな数字を聞いて感覚的に理解できるわけがない。日本で考えれば、東京から山口県で大体千キロだが、プロでもない限り一日ではまず無理。神戸あたりで一泊したくなる距離だ。
しかし、行かないとケンタッキーで待つ、僕の“ビッグアメリカンブラザー”であるロブに会えなくなる。ロブは以前にも登場している親友だ。行くしかない。
一日目の目標は、モンタナ州ヘレナに設定。
出発地点をシアトルにした理由は先述の通りだが、僕にとってモンタナの地を訪れることは、この旅の目的のひとつなのであった。
モンタナ。おぉ、モンタナ。僕は何年待っただろう。十五年くらいだろうか。
ほとんどマイナーといってもいいこの州に僕が憧憬を抱く理由は、映画「リバー・ランズ・スルー・イット」で描かれた神々しいまでの自然美である。ロバート・レッドフォード監督がモンタナを愛でるように撮った、大地と川の織りなす芸術。観ていない方は是非観てほしい。フライフィッシングがわからなくても、毛嫌いするべきではない。釣りの映画ではなく、家族愛の映画だからだ。そして、若き日のブラッド・ピットの、輝かんばかりの美丈夫っぷり。大自然の美しさに一歩も劣っていない。
この旅行の前に予習として、この映画のDVDを再度観てみたのだが、ラストはまた涙してしまった。
モンタナは、その他のレッドフォード監督作品で言えば「モンタナの風に抱かれて」、ブラッド・ピット主演作で言えば「レジェンド・オブ・フォール」でも舞台となっている。どちらも観る価値のある佳作である。
モンタナと聞いて、「ジョー・モンタナはモンタナ出身なんすかね?」と、わけのわからん質問をする相棒の神市(仮名)には悪いが、僕はそれほどモンタナに強いこだわりを持っていた。ちなみに、ジョー・モンタナペンシルバニア州出身らしい。
しかし、瀬戸朝香は瀬戸の出身だ。
「リバー・ランズ・スルー・イット」に出てくるミズーラという町を通過して、ヘレナまで辿り着ければ上出来だ。何もない町なのだろうが、その何もなさを見に行きたい。
起床は五時半。六時にモーテルで朝食をとり、七時前に出発。ブルーのトヨタハイランダーに荷物を積み込み、シアトルの街から、すぐにインターステイト九〇に乗る。そして、朝もやに煙るワシントン州を横断すべくひた走る。
八月の半ばではあるが、日本のような蒸し暑さはない。むしろ、朝晩は肌寒くなるので、薄いジャケットを一枚羽織るくらいで丁度いい。ただし、日差しは強いのでサングラスと日焼け止めは必需品だ。
ワシントン州の景色は、乾いていた。黄土色の土にところどころ低木が見られるゴツゴツした丘陵地帯。途中、車の風防ガラスがパシパシと音を立てるので雨でも降り出したかと思ったら、そうではない。虫なのだ。時速七十マイル以上(およそ一二〇キロ)で走る車体に、蚊や蜂などあらゆる羽虫がぶつかり潰れる音なのだ。クリアだったガラスが白い染みや黄色い汚れでどんどん濁っていく。
およそ一五〇マイル(二四〇キロ)くらい走ったあたりで、早めの給油をする。あまりに周りに何もなくて、次のガソリンスタンドがいつ来るか心配になるのだ。
このドライブのために二人の共有の財布をつくり、毎日それぞれが五十ドルずつ入れるようにした。ガソリンや飲み物なんかは、そこから出すことにして、事後清算の手間を省いた。スタンドでは、僕が給油と支払いを、神市(仮名)が備え付けてあるT字の道具を使って虫で汚れた風防ガラスを掃除する役割が自然と生まれた。その後の四日間ずっとその作業分担で進んでいった。
スタンドの目の前には、大きな河が悠々とのたくっている。空と全く同じ深い碧色の水面が、ペタッと貼り付けられたように静かに光を反射している。地図で確認するとコロンビア河というらしい。その河を写した写真が、今回の旅で最も出来映えのいい一枚となった。
次のレストエリアで休憩をすると、無料のコーヒーとクッキーをいただいた。ブースの中にいる、係のおねえさんに礼を言い、置いてある寄付金箱にお金を入れる。疲れた神経を覚ますような温かいコーヒーは格別の味わいだった。こういうボランティア精神と寄付の心というのは、いかにもアメリカらしい。
僕が数時間運転したので、運転を神市に交代する。アメリカでの初めての運転で怖かったかもしれないが、すぐに慣れたようだ。スピードにさえ適応すれば、信号のないハイウェイの方が簡単なはずだ。
昼食のために、途中のスポケインという善良そのもののような小さな町で、一旦ハイウェイを下りた。市街地での運転の方が神市は戸惑った様子だった。それでも、なんとかメキシカン料理のファストフード店に車を留めて一休みすることに。
そこは注文してから待つと、名前を呼ばれるシステムらしく、名前を訊かれた。僕は「トヨタ」と答えた。
日本人の名前はアメリカ人には発音しにくい。だから、最も有名な日本名であるトヨタの名前を拝借したのだ。これは、誰かの本に書いてあった、外国での煩わしさを回避するためのちょっとした知恵だ。
神市は「スズキ」と名乗った。すると、店員のおばちゃんには大受けだった。彼女は腹を抱えて笑い、次のお客に
「この人たち、こっちがトヨタで、こっちがスズキだなんて言うのよ!」
などと伝えている。スポケインの町の善良な方々に喜んでいただいて、僕もうれしい気分だ。確かに、日本の店に白人男性が二人でやって来て、
「俺がハーレーで、こっちがデイビッドソンだ」
とか言ったら笑えるかも。できれば革ジャン、バンダナ姿でいてほしいものだ。
絆創膏だらけで、
「俺はジョンソン。こいつもジョンソンだ」
というのもいい。
スポケインの町ではよく人にジロジロ見られた。こんな北西部の田舎町ではアジア人はまだ珍しいのだろう。そういえば、黒人すらも全く見かけない。
運動不足を解消するためにアメフトのボールを買って、レストエリアで遊ぶことにしたが、ボールを売っている店が見つからない。ウォルマートがあればいいのだが、町をくるっと廻っても見つけられず、先を急ぐことにした。
少しだけアイダホ州を通り、いよいよモンタナ州へ突入。いや〜、僕の人生でアイダホなんて来るとは思わなかったよ。
このあたりに来るとロッキー山脈に近くなり、緑に色づいた山々が周りを囲むようになってくる。針葉樹林が空に向かって突き立ち、ハイウェイに沿うように渓流が這っている。想像通りのモンタナだ。
僕は一瞬も逃さないように景色を見つめていたかったのだが、その頃から急激に睡魔に襲われてしまった。時差ボケも抜けきれていなかったのかもしれないが、高速運転というのは神経を酷使するため、思いのほか疲労してしまうみたいだ。
ミズーラでもフットボールは見つけられず、八時くらいだろうか、日が暮れる頃になってようやく今日の目的地であるヘレナに入った。僕らが入ってきたところは町のはずれにあたる地区のようでみすぼらしいカジノばかりだった。日本でいうパチンコ屋といったところか。確かに、「リバー・ランズ・スルー・イット」の中で、ブラッド・ピットはギャンブルで借金を作り、トラブルに巻き込まれるのだったけれど。
ややがっかりしてさらに進んでいくと、やがて人の生活が感じられる町らしくなってきた。キリスト教の大聖堂が丘の上に見える。とりあえずは、そこまで行ってみて、夕陽に照らされた大聖堂を写真に収めて、観光した気になる。
二人とも意識が遠のきそうなほど疲弊していたが、自らに鞭打ってどうにか明日のためにガソリンを満たし、ようやくこの町でフットボールを手に入れ、バーガーキングで夕食を買って、モーテルにチェックインする。レストエリアで手に入れたクーポンを使って一泊五十九ドル。素晴らしい。部屋に冷蔵庫がないこと以外は何も問題なし。
シャワーを浴びて、明日の予定を確認して、気絶するように眠りに落ちた。
翌日はイエローストーン国立公園へ向かう。リビングストンでハイウェイを降りて、一般道へ。
アメリカの道路でよく見かけるものに、バーストしたタイヤの残骸と小動物の死骸がある。この道でもやたらと死骸を見かけた。車内になんだか匂いがすることがあり、初めはなんだかわからなかった。古い脂のような、生臭いような匂いだ。しかし、何度か嗅ぐうちに、動物の骸を通り過ぎて数秒後にそれが漂ってくることに気付いた。
  • 「神市、これってまさか……」
  • 「そうですね。気付きました?」
初めて嗅いだ屍の匂いだ。気分が悪いが、美しい景色の傍らには、決して無臭ではない自然の厳しさが存在しているということだ。
イエローストーン国立公園への入園には、自動車一台二十五ドルの入園料を支払う。これより先は山と水と植物と動物の支配する世界であって、人間はあくまでも入らせていただくだけの存在でしかない。
僕らは何十マイルかは走ったが、広大な公園の角ッコを舐めたに過ぎない。アメリカ人たちは、でっかいキャンピングカーやピックアップトラックに牽引させたトレーラーハウスで奥へと入っていく。おそらく公園内で何日もの間、キャンプしながら暮らすのだろう。我々のようなせせこましい生活をしている民族からすれば、人生観も変わるような体験だろう。
渓流に向かって竿を振るフライフィッシャーたちが見える。バッファローが一匹、うなだれながら歩んでいくのが見える。淡い緑の草に覆われた平原がどこまでも見える。遠くの斜面に馬の群れが見える。次から次に違う表情を見せる自然保護地域の細い道を静かに走る。ただただ走る。穏やかだ。
公園を出た後は、ベアトゥースバイウェイという道に入って、この日のハイライトを迎えた。この道は、CBSのチャールズ・クロウルトという記者が「アメリカで最も美しい道」と賞賛した道なのだ。美しさとかおいしさとかおもしろさを数値化して順位付けするのは本来は嫌いなのだが、理屈っぽいこと言うてる場合ではない。
おっさんが最も美しいと言うなら、最も美しい道として感受しようではないか。
ただし、残念なことに、僕にはここで見た壮麗な景観を言葉で表わせるだけの技量がない。だから、お伝えすることはできない。ただ言えることは、湖があって、雪が残る山があって、起伏のある草原があって、柔らかく光を通す雲があって、冷たい風が吹いていて、そんな中をうねって走る一本の道があった、ということ。
山の斜面を削って作られた、漫画のような崖道のカーブでは、高所恐怖症の神市が悲鳴を上げていた。漫画のようだし、車のCMのようだ。そんな陳腐な表現しか出て来ない……。
色んなものを見すぎて、この後、ハイウェイ九〇に戻ってしばらくすると、僕はまた助手席で眠りに落ちてしまった。憧れていたモンタナを去るにあたり、神市には「モンタナが終わる頃には声かけて」と頼んでいた。それにもかかわらず、いざ神市が州境で「モンタナ終わりますよ」と起こしてくれても、
「ん」
と声を発しただけで、すぐに眠りに戻ったらしい……。
神市は腹の中で「なんやねん」とツッコんだことだろう。
(つづく)