月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(シアトル篇)」

敗戦記念日の八月十五日。僕はやや複雑な気持ちで機上の人となった。向かうは米国のシアトルである。
後輩の神市くん(仮名)と一年越しの計画であったアメリカ横断の旅を遂行するべく、アメリカ合衆国の北西に位置するワシントン州シアトルへ向かったのである。スターバックスマリナーズトム・ハンクスメグ・ライアン主演の映画「めぐり逢えたら」の舞台として有名な都市である。
そこから、レンタカーで東へ進み、アイダホ、モンタナ、サウスダコタアイオワミズーリイリノイインディアナ、ケンタッキーといくつもの州を通過していく、気が遠くなるほどのドライブを敢行。ケンタッキーで友人のロブらと会い、テネシー州ナッシュビルから国内線でニューヨークシティに入り弟と会う、という壮大な計画である。
盛り上がりもオチもないダラダラした旅行記となりますが、順を追って書いていきます。ほとんど自分の記録のためのような記述になりますが、ご自分が旅した気分になって読み進んでいただければと思います。
  • 【シアトル】
ノースウェスト航空で飛んだのだが、機内ではとにかくアメリカ人のキャビンアテンダントの態度の悪さにイライラする。いや、当人はふてくされているわけでも、勤労意欲に欠けているわけでもない。これは単に日本人とアメリカ人のサービスに対する解釈の違いでしかないのであろう。
一言で言ってガサツなのだ。通路一杯のお尻が、通る度に僕の腕に当たる。僕はごく普通の姿勢で肘掛けに腕を置いているだけなのだが、いちいちぶつかる。後方のトイレに行こうとしたところ、おばちゃんCAがちょうど飲み物のカートを押してバックヤードから出てくるところだった。少し戻れば済むことなので、僕は彼女がバックするものと当然思っていたら、手で「お前が下がれ」と合図してくる。カチンと来たので「ハァン?」と露骨に睨みつけてやると全く怯む様子もなく、前方のトイレと使えと指示してくる。自分のカートを下げるよりも、僕が下がって前方のトイレに行く方が「It's easier.」とのことだが、それは誰にとっての「easier(楽チン)」だというのか。
トレイとポットを持って「コーヒー? コーヒー?」と来た際にも、僕の隣の客に出すために、僕の鼻先にトレイを差し出してコーヒーを注ぐ。無神経な。
しかし、おそらく、そもそもの感覚が違うので、僕が怒って指摘したところで、このアジア人は何がそんなに不満なのかと、全くピンと来ないのだろうな。逆に「ハァン?」と、お前アタマおかしいんじゃねえのくらいの反応をされるのがオチだ。僕はあの、アメリカ人の「ハァン?」攻撃が大嫌いだ。
せっかくの旅で怒っていても仕方ないので、なるべく心穏やかに過ごせるよう、読んでいた小説に没頭する。
そんなこんなで着陸すると、今度は入国審査で延々一時間並ばされた。ここでも、心穏やかにと念じつつひたすら寡黙なアジア人に徹する。何度経験しても、あの、人を犯罪者扱いで睨めつける審査官には慣れることがない。
やっと入国すると、シアトルは朝の十時頃。こちとらほぼ徹夜でクラクラしているが、シアトルではこれから一日が始まるのだ。それでも体が思ったより楽なのは、シアトルが日本から最も近い九時間のフライトで行ける場所だからだろうか。
レンタカーのカウンターで、予約通り車両を確保できているのか、ドキドキしながら予約確認書を差し出す。僕は日本で様々なサイトをあたった末、トラベルジグソウというサイトで予約した。希望の日や借りる場所と返す場所を入力すると、各レンタカー会社の概算費用が一覧で表示されるサイトだ。
中でも、ナショナル社が飛び抜けて安かったのでカードで既に支払いも済ませてあったのだが、本社は英国のサイトだったし、なんだか不安なのである。「そんなの聞いてない」とか平気で言われそうで……。
ところが、緑色の制服を着たおばちゃんは何の問題もなく「オーケー、オーケー」とパソコンに何やら打ち込んでいる。
「へー、あんた、テネシーまで行くの?」
と、返却場所を聞いて驚いている。
「カントリー歌手にでもなりに行くの?」
だそうだ。テネシー州ナッシュビルカントリーミュージックのメッカで、またの名を「ミュージックシティUSA」という。
借りた車はトヨタハイランダー。日本ではクルーガーという名称で販売されているらしい四駆車だ。おばちゃんが、
「Big enough?(大きさは充分?)」
と訊いてくる。やはりこの国では大きいことは良いことなのだ。
駐車場内の指示された場所まで行って、車を受け取る。これからお世話になる車と対面して、もちろん、サイズは問題ない。というか、デカイ……。
係員の黒人のおにいちゃんが「なんでまたシアトルに?」と尋ねてくる。日本人も多いはずだが、まぁ彼らからすれば、どうして日本人がわざわざLAでもなくシアトルに旅行に来るのかが不思議なのだろう。
説明も面倒なので、「イチローの試合観戦だよ」と答える。おそらく、黒人層は圧倒的にバスケ支持だから、野球の知識は少ないのではないだろうか。「ふ〜ん、そう」とのこと。
右側走行のアメリカで、慣れない大型車。空港を出ると、いきなりハイウェイだから注意が必要だ。はじめはかなり緊張しながらの運転だったが、シアトルのビル群が見えてくると、これまでの不快なあれこれが吹き飛んで、気分が一気に昂揚した。
「サイコーだな!」
車内で一人雄叫びを上げる。
アメリカ横断といえば、有名なのはルート66というLA→シカゴを結ぶ道路である。でも、僕が出発地にシアトルを選んだのには、理由が二つある。
アウトドアとイチロー
シアトルは、マウントレーニアに代表される豊かな自然と美しい湾に周囲を囲まれ、アウトドアが盛んな土地なのである。それに、アメリカ北西部には、ゴールドラッシュを背景に、労働者用のタフでカッコいい本物のワークウェアブランドやツールメーカーがいくつもある。
そのひとつがフィルソン。
日本ではゴールドウィン社が販売代理店をしていて、値段が本国の倍くらいする上に扱う商品が限られている。だから僕にとっては、シアトルのフィルソン本店に行くことはここ数年の念願となっていた。
僕はこの旅にもあえてスーツケースではなく、フィルソンのダッフルバッグで来ていた。どうせ自動車でのロードトリップがメインなので持ち歩く距離など知れている。
ついでに、フィルソンの帽子までかぶって来ていた。
イチローは言わずもがな。マリナーズの観戦チケットは、これまたウェブサイトで予約していた。
ちょっと値の張る席でもいいと思っていたのだが、その日は対戦相手がヤンキースで人気のカードだったためか、ほとんどが売り切れ。一人三〇ドル程度の三階席しか確保できなかった。
ハイウェイ五号を下りると、いきなりマリナーズのセーフコフィールド脇を通り、フィルソンのショップに到着。あまりのスムーズさにこちらが驚いた。
デッカイ車を頭から駐車場に突っ込む。アメリカ人は、ほとんどの場合、わざわざバックから駐車するようなことはしない。
フィルソン店内は僕にとってはディズニーランドであった。ニヤニヤを抑えられない。当然フィルソン一色で、ほぼ全てのアイテム、サイズが揃っている。ただし、サイズはどれも大きい。スモールでさえデカイ……。
防水のためオイルフィニッシュされたゴワゴワのコートや、ハンティング用のウールジャケットなどが陳列されている。店の奥はファクトリーになっていて、平日なら製造作業現場が見られるらしい。店内にはオイルの匂いが漂い、これらをファッションとしてではなく、作業着として使うのであろう数人の男たちが通路に巨躯を捻じ込んで品を吟味している。
その中で僕はウールのヴェストを購入。日本より、試着してみて合えば買うつもりだったアイテム。シアトルに到着して、ものの三時間でこの旅の買い物は終了。もうこの他に買いたいものは、お土産以外にはない。
会計の際、店員さんに、僕がどれだけこの場所を訪れてみたかったか、日本から空港に着陸して真っ直ぐここにやってきたことなどを伝えると、「そうかそうか、そんなに好きなら……」と、百周年の時の記念ステッカーの残り物をくれた。こういうフランクさがアメリカの美点だ。ありがとう。
もう一軒、REIという有名なアウトドア店に寄って、トレッキング仲間にお土産を買った。とりあえずこれで、行きたい場所には行ったことになり、宿に向かう。
ダウンタウンのはずれにあるベストウェスタンロイヤルインがシアトルでの宿だ。これも日本で入念に事前リサーチした。色んな人が、過去に泊まったホテルのインプレッションを書き込んでいるアメリカのサイトを読んだが、まぁモーテルなので大した評価は得ていない。
スタッフの態度がどうだった、伝言が伝わってなかった、ベッドが柔らか過ぎた、駐車にお金がかかるのはいかがなものか、街から離れていて周りに何も無い、などなど。
しかし、泊まってみてわかったことだが、アメリカ人ってのは、文句が多い! とにかく主張する民族性だから、要求だけは厳しい。せやったら、お前は自分の職業に対して、それだけ完璧に従事しているのか? といえばおそらくそんなことはない。でも、人に対しては言いたいこと言う。
僕は大きな不満は感じなかった。明日、後輩の神市(仮名)が合流するから、今夜は一人だけど明日には男二人になる。だから、ダブルベッドひとつでは困るのだが、部屋に荷物を置いてからそれに気付いた。また重いカバンを運んでフロントまで戻って、「えーとですね……」と、このちょっとややこしい状況を説明する。
すると、「今夜はベッド二つの部屋がないから、明日新しい部屋を用意させてほしい」という。僕としては、明日また荷物をまとめなくてはいけないのが面倒になるが、ここはひとつオトナになって「OK。ノープロブレム」と笑顔を見せる。アメリカ人ならゴネたりするのだろうか。まぁ、大きなことではない。
その日は、興奮と疲労で、日暮れを待たずに眠ってしまった。早朝に目覚めたので、散歩に出かけた。カメラを手に、騒々しくなる前にシアトルの日曜日の朝を撮る。道中、物乞いに二度お金をせがまれた。「孫が三人いるのだが、朝食も与えられない」と懇願する老婆。あんまり必死なので数ドル恵んでやることにした。
「小銭ないか。朝食も食べられないんだ」という黒人の若者は、直前までタバコを吸っていたのでお断りした。タバコなど贅沢品だろ。ゴタゴタを回避したければ、もしかしたらポケットには常に数ドル用意しておいてもいいのかもしれない。散歩しただけでお金が減るとは、難儀な国だ。
午前中に、神市を空港で拾い、そのままセーフコフィールドで野球観戦に向かった。東側から見る球場は、鉄骨が美しく組まれた構造で堂々とした威容である。西側にはレンガ調のゲートが構えられていて、神市が「あ、テレビで見たことある」と漏らしていた。予約済みのチケットを窓口で受け取り、センター側より階段を上がると、「ボールゲームへようこそ!」と言わんばかりのパノラマが目の前に広がる。フィールド全体が見渡せるように通路が設計されていて、瞬時に非日常の世界に引き込まれるように作られているのだ。
観客と選手の近さ、最上段からでも臨場感が存分に感じられる角度、開閉式のドームなど、野球の楽しさを充分に理解している人間によって考案されたのであろうアイデアが詰まっている。素晴らしい球場だった。
ホットドッグを食べ、イチローの背中に声援を送り、城島のホームランに立って拍手をし、隣りの見知らぬアメリカ人とハイファイブを決め、相手チームのAロッドにブーイングを浴びせる。正しいメジャーリーグ観戦の仕方を、心から楽しんだ。
「いやー、良かったなぁ」、「最高でしたねー」とお互いに口にしながら球場をあとにする。
初めて訪れたシアトルの街は、僕が知るアメリカのどの街とも違う、落ち着いた気品のようなものが感じられた。それは一部は、山や海や湖といった自然と人間生活の調和からもたらされていると思われる。ボーイング社の工場という軍需産業も持ちながら、アウトドアであり、カフェであり、単なる経済的発展の追求からは一線を画す文化や人生観が底を流れているのだろう。
穏やかな気候も関係しているかもしれない。北海道よりも北の緯度にあっても、温暖な海流によって過ごしやすい気候だという。ちょっと「住んでもいいかも」とすら思えた。仕事何しよっかな。できれば日本人社会に頼らずアメリカに溶け込んで、なるべく自然に近い場所で、願わくばアップスもダウンズも少ない暮らしを送ってみたいものだ。と、「何言ってんのよ」という妻の声が聞こえてきそうな夢想をしてみる。夢想だけならお金の計算もいらないし。
とはいえ、翌日からはアップもダウンもありそうなロングドライブに出発する。毎日六〇〇マイル(九〇〇キロ)走破の旅路へ。
以降は次号で。
(つづく)