月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「二〇〇〇㍍と二〇〇〇㌔の旅(SF篇)」

  • 1/4回
その晩僕は、山仲間であり、親友と呼んでなんの差支えもない大谷さん(仮名)をバーに呼び出し、こう問うたのだ。
  • 「大谷さんよ、あそこにいつか行きたいねとか、いつかあれしようよ、と今まで話してきたことをね、そろそろ一つひとつ実現していかなくちゃいけない時期だと思うんだ。だって、僕ら、もうすぐ四〇だぜ」
これまで僕たち二人が話してきたことは色々あるが、それらのほとんどは「アメリカの旅」に収斂できる。 以前に僕は、彼に提案していた。
  • 「アメリカを旅するなら三つくらいのプランが思い浮かぶんだ」
  • 一、ジョン・ミューア・トレイルに代表されるアメリカのトレイルを往くハイキング。
  • 二、どこかブーツメイカーの本拠地を訪ねて買いに行く。僕らは二人ともモーターサイクル乗りでアウトドアマンなのでブーツには目がない。
  • 三、横断でも縦断でもいいので、ロングドライブして雄大な景色を目にする。
  • 「どれでもいいから、行こうや」
決断を迫った僕に、大谷さんは数秒の沈黙ののちに答えた。
  • 「……行きます。行きましょう」
よくぞ決断してくれた。数年前に結婚したこの人は、まだ新婚旅行にすら行っていないというのに。 それから僕は旅の計画を進め、幸運なことに上記3つの全てを網羅するよくできたプランが組み上がった。 サンフランシスコ(SF)から入国し、レンタカーでヨセミテ国立公園に入り、ハイキングからのテント泊。 公園を出てからロングドライブで北上し、オレゴン州ポートランドに立ち寄り、最後はワシントン州シアトルでメジャーリーグ観戦をする。 ポートランドは、ナイキの本社がある中都市で、Columbia、Pendleton、KEENなどのスポーツブランド、Danner、WESCOといったブーツメイカー、Langlitz Leathersを初めとするレザーブランドがあるのだ。僕にとっては三度目の訪問になるシアトルには、アウトドアウェアのFILSON、漁やヨットなどの海での作業用帽子から生まれたアウトドアアパレルのKAVUがある。 もうええねん。いっぺんで全部やったるわい! 準備としては、ヨセミテ公園でのハイキングがまずはやっかいだ。公園というと井の頭公園みたいなものを想像されるかもしれないが、これは広大な面積を持つ自然保護区域だ。日をまたぐキャンピングやハイキングには許可申請が要るのだ。決してわかりやすくはない本国のサイトで情報を得て、「いつから」「どこで」「何人で」「いつまで」滞在するのかFAXで申請をすると、後日メールで回答がくる仕組みになっている。キャンプ場にはそれぞれ定員があり、その半分は予約可能、半分は早い者勝ちだという。そして予約申請は約半年前から受け付けることになっている。 本当はジョン・ミューア・トレイル(JMT)の一部を歩くつもりだった。JMTとは、ヨセミテ内のトレイルヘッド(入口)からマウント・ホイットニーまでおよそ三四〇キロ続く自然歩道のことだ。日本には故加藤則芳さんが紹介したことで知られる。加藤さんについては十三年五月号をご参照。
しかし、人気の高いそのトレイルに続くキャンプ場は、申請した時点ですでに満杯で却下の連絡がすぐに来た。一計を講じて、僕はヘッチーヘッチーというマイナーなエリアを選び、そこから登れるスミス・ピークという山を登ることを選んだ。ようやく申請内容が許可された。
あとは、航空券、レンタカー、わかっている日と場所の宿泊施設の予約を次々に決めていく。
だいたい準備が整ったところで、仕事の方も段取りをしておかなくてはいけない。その時の僕はしんどい仕事をどっぷりとやっていて、正直、神経をかなり擦り減らしていて肉体的にも精神的にも疲弊の度合いが激しかった。二〇一一年にカナダのトレイルをソロハイクした時にも似たような状況だったと自分で書いているが(十一年七月号ご参照)、なぜだか旅の神様はそういう時ほどそっと手を差し伸べてくれる。
僕は一緒に仕事をしている後輩の滝下くん(仮名)を、大谷さんの時と同じようにバーに呼び出した。僕は、カウンターに並んで座った彼の方に体を向けた。
  • 「あのな、六月の○○日から○○日まで、オレはアメリカを旅してくるから、キミ、仕事の方は頼むぞ」
滝下。この男は、僕の意図をまったく酌まなかった。
  • 「えっ! ボクも行きたいです!」
大体、この男は普段から物事を深く考えない。別のある晩、僕がメシに誘うと、彼はこう言って断った。
  • 「今夜は打ち上げがあるんです」
  • 「へぇー、なんの打ち上げ?」
  • 「わかりません!」
なんの打ち上げか自分でも知らずにとにかく参加する人間を、僕は初めて見た。
キビ団子を差し出された猿のようにキラキラした目をした滝下を、僕は断ることはできなかった。だって、上記のような複雑で準備の面倒な外国旅行など、この男が自分で計画できるわけがないからだ。つまり、今回僕が彼を残していくということは、彼から一生に一度のチャンスを奪ってしまうことになるのだ。
そんなわけで、今回もなんだかわからずに参加を表明した滝下を加えて、旅の道連れは二名、合計男三人の旅に相成った。
サンフランシスコ空港でレンタカーを受け取る。Chevrolet Tahoeというドデカイ車だ。五三〇〇ccV8エンジンの、僕らからしたらバケモノ。しかし、レンタカー屋のおっさんは「もう一〇〇ドル足したらさらに大きいのに替えられるよ」と、それこそ大きなお世話を提案した。いらん。すでにデカい。
僕の運転で空港を出て、まず目指すべきはREIだ。これはアメリカの大型アウトドアストアで、大概のものはここで揃う。僕と大谷さんはそこで料理用バーナーの燃料と行動食の一部、滝下はなんと、テント・寝袋・マットをここで調達する必要があったのだ。
ヘッチーヘッチーからスミス・ピークを登るのに不可欠なアイテムを現地調達するのはちょっとリスクがあったが、我々は、きっとアメリカの方が安いし品揃えが豊富なはずだと踏んだのだ。
この判断に間違いはなかった。マットだけで何十種類もあり、試用品が床に並べてある。マットというのは、テントの中で敷いて、その上に寝袋をセットしないと地面に体温を奪われて眠れなくなるから必須である。折り畳み式のものは安価だが嵩張り、空気で膨らむタイプは小さくまとまるが一般に高価である。滝下は後者を選んだ。
それにしても、あんなに分厚いマットを日本で見たことがない。山の中でもフカフカのマットで寝ようというアメリカ人のアホさというか、楽チン主義の徹底ぶりを垣間見たようで微笑ましい。
寝袋もたくさん吊り下げてある商品の中から選ぶのだが、ここはひとつ現地の店員さんの助けを借りよう。僕がひとつ薄めの寝袋に目星を付けて、ヨセミテで使うのに適しているかどうか尋ねてみた。この旅で、英語がまともにできるのは僕だけだ。
店員さん曰く、
  • 「これは薄いよ。友達の家のカウチで寝る時に使うやつだ」
  • と言う。ほんまか。友達の家のカウチなら、毛布でいいだろ。特に白人のあなた方は、大概寒くてもTシャツと短パンじゃないか。
だから、僕はこれを滝下に訳さなかった。
  • 「これでええやろ」
テントは、大谷さんが羨ましがるほどの、初心者にはもったいない軽量なモデルを選択し、皆それぞれ必要なものを手にレジに並ぶ。僕は先に支払いを済ませて、店の外で袋を下げて待っていた。すると、大谷さんが、四つほどのアイテムを両腕に抱えて出てきた。
  • 「英語、速すぎて何言ってるかわからん!」
きっと、「袋は要るかい?」と訊かれているのがわからずに、テキトーにNOと答えたのだろう。アメリカ人は外国人にまったく手加減しないからなぁ。
サンフランシスコのダウンタウンで昼食を摂り、滝下が行きたがったリーバイス・プラザに立ち寄る。ここはリーバイスの本社であり、ちょっとしたミュージアムになっている。
憧れの場所に来られて機嫌のいい滝下と、同じくリーバイス・ファンである大谷さんの喜ぶ様子に、僕もうれしい。
さて、まだ初日なのだが、ここからおよそ一三〇マイル(二〇八キロ)離れたソノラという町のモーテルに向かう。
事前にアメリカ地図を見すぎて、ソノラなどSFの町はずれ程度に考えていて、しかも頭の中でマイルとキロの観念がごっちゃになっていたようで、この距離を甘く見ていたきらいがある。軽食と水などの買い物を含めて四時間かかり、夜十時に到着。
山に持って入る荷物と車に残す荷物を分けたり、行動色を準備したりして、深夜に就寝。ツインの部屋なので、僕と滝下が同じベッドに入った。
  • 「お前、せっかく買ったマットと寝袋を試して床で寝ろよー」などとからかったが、疲労と時差ボケですぐに寝入ったのでなにも気にならなかった。
空港に着いたのが今朝というのが信じられないくらいの、長い初日であった。
しかし、二〇〇〇メートルの山と、二〇〇〇キロの運転の旅はまだなにも始まっていなかったのである。