私はこれまで読んだ本に導かれて旅をしてきた。
はじめてのひとり旅は、東京で生まれ育った少年が、日本海を見ようと富山県の朝日町を訪ねた。そこは映画『少年時代』(篠田正浩監督/1990年公開)のロケ地になっていて、十八才の私は目の前が海岸の民宿に泊まって、小学校や駅や農道の写真を撮りながら特に観光地でもない田舎をウロウロした。
私のアルバムによると、1994年7月の12日から16日の四泊の旅だった。
そのときの話を5000字のエッセイにして、先般、ZINE『本と旅する』に寄稿した。
私にとっては思い出深い旅で、昨年、仲間たちと新潟県上越市の高田でひと晩飲んだとき、帰りに朝日町のあたりに寄ってみたかったのだが、時間がなくて叶わなかった。
コロナ禍も下火になった今年、可能ならまたアメリカに行きたかった。しかし、円安、インフレ、原油高のトリプルパンチで手が出ない。
これまで私は「アメリカで十日くらい遊ぶなら、三〇万円あればビンボー旅行ができる。四〇万ならふつうに遊べる。五〇万あれば、買いたいモノを買って、値段を見ずにメシを食べて豪遊できる」と、これくらいの感覚でいた。
ところが、いまは最低五〇万円からスタートみたいになっている。
だから、今年はせめて国内旅行に行くことにした。
2021年に刊行された藤沢周さんの『世阿弥最後の花』(河出書房新社)は、私が近年読んだ小説の中では白眉と言える大傑作で、いつか佐渡島で能を観たいと思うようになった。
藤沢周著『世阿弥 最後の花』を、夏中をかけてゆっくりと読み終えた。佐渡に配流となった世阿弥が、地元の人たちの温かさに触れ、その生の掉尾を飾るような能に挑む。背骨のように物語を支える数々の和歌が、登場人物の一人一人が、藤沢文学の一文一文が、とにかく素敵で堪えられない! 速読無用🥲 pic.twitter.com/CymsSsVFeD
— 前田将多 (@monthly_shota) 2021年9月13日
佐渡には能の文化がいまでも根づいていて、夏の間あちこちで演能されている。
今年は6月15日に草苅神社、翌16日には正法寺で開催される、とウェブサイトで知り、「正法寺はまさに世阿弥が滞在していた寺じゃん。ここで観たい! せっかくだから二日連続で観よう」
と、すぐに日程を決めた。主催者に電話してチケットの取り方などを相談すると、いたく喜んでくださり、たくさんの佐渡観光のパンフとともにチケットを送ってくれた。
さて、フェリーも予約しなくては。佐渡島へのフェリーは、新潟港と直江津港から出ている。
関西からなら直江津のほうが近いし、そこは昨年行った高田が隣町だ。
しかし、直江津港から佐渡島南部の小木港への便は、朝六時出発である。
「これは、モーターサイクルで初日に、大阪から直江津まで五〇〇キロを走り切る途中で、富山県の朝日町を再訪して、直江津に着いたら高田へ出て、ひとり酒をやるしかあるまい。フェリーは翌朝だな」と腹をくくった。
ライダー以外のひとにはわかりづらいだろうけど、私のこれまた旅の経験上、モーターサイクルで快適に走れる距離は350キロくらいだ。
距離500キロ、マシーンは250cc、季節は梅雨。これはかなりキツイ。
そんなわけで移動時間を、休憩含めて十時間を見て、朝六時に出発した。天気は雨だ。
名神高速から北陸自動車道で、京都府→滋賀県→福井県→石川県→富山県、そして新潟県と先は長い。まずは滋賀県の黒丸SAでさっそく休憩だ。
……と思ったら、いきなりトラブル発生。
後部座席にネットで括りつけていた防水バッグが落ちかけていて、マフラーの上に乗っているではないか。運転していると背後は見えないからぜんぜん気づかなかったし、こんなミスをするのは免許取りたての20年前以来だ。
バッグはマフラーの熱で溶けて酷い有様だった。ショルダーストラップは焼けて使用不能になり、バッグの中に入れていたお気に入りの上着も焼けて、溶けたプラスチックがベッタリ付着してダメになった。
「あ~ぁ……」
幸先悪すぎる。意気消沈である。
その後も、給油に、昼食に、休憩にと、頻繁に停まった。
北陸道は、クルマも少なくて走りやすいのだが、平坦な道がのっぺりとつづくので退屈してしまう。だんだん疲労も感じはじめて、富山に入ったあたりのSAでマシーンを停め、柱に凭れて20分くらい午睡さえとった。
柱に寄りかかって20分くらい寝たw pic.twitter.com/yEIXJy2mhU
— 前田将多 (@monthly_shota) 2023年6月14日
雨はバシバシ降っていたが、やがて最初の目的地である富山県の朝日町で高速道路を降りたころには小雨になった。
泊(とまり)という駅を探す。ここは29年前に、私が歩いたあたりだ。様子はだいぶ変わっていて、なかなか記憶が蘇らない。
「このあたりかなぁ」と、古い写真と同じと思しき場所で写真を撮ってみたが、たぶんちょっとちがったかもしれない。
その後、モーターサイクルで、映画『少年時代』の撮影に使われた木造の小学校舎を探してあちこち走ってみたが、見つからなかった。おそらくもうないのだろう。
地元のひとに訊いたらわかるのだろうが、まずひとが歩いていないし、ご老人がいたとしても、ヘルメットをかぶってモーターサイクルに乗った男が、小学校について尋ねるというのは、現代にハードルが高い。この30年で時代がかなり変わってしまったことは私も理解している。
泊から海沿いの道を走って、隣町の宮崎へ移動。
ここに、私が泊まった旅館があるはずなのだ。
……あった。
建物はあったが、こちらももう営業はしていないようだ。
当時はおばあちゃんと、五〇代と思しきおっちゃんが営んでいた。でも、十八才からすれば、おじさんの年齢なんかよくわからないから、もしかしたらいまの私の年齢(47才)とそう変わらなかったのかもしれない(あ、五〇代ならすでにそう変わらんか)。
1994年にすでにおばあちゃんだった方が、いま生きているはずはないけど、おっちゃんのほうももういないのかもしれない。
私の写真アルバムにはメモが書いてあって、「次は何年後になるかわからないけどきっとまた朝日町を訪れたい。美しい景色があのままでありますように」とある。
29年かかってしまったが、また来たぞ。
18才の私がこんなところでなにやってたかって、好きな映画のロケ地を歩いてたんだけど、いま47才の私は好きな小説の舞台を訪ねようとしている。変わらずおんなじことやってんだよ。
小学校も旅館もなくなってしまったが、私が感動した富山の自然の景色だけはほぼあのままだった。
火野正平さんがBS NHKでやっている『にっぽん縦断 こころ旅』のセルフ版のようなひと時となった。
雨は止まないが、この旅のために新調したレインウェアとレイングローブのおかげでさほど気にならない。
もう陽も暮れてしまった。結局、直江津の宿に着いたのは七時ごろで、朝日町でのウロウロも含めて13時間かかったのである。
明日のフェリーは朝六時に出港するから、五時すぎにはチェックインしなくてはならない。
が、今夜ひとりで高田の町を再訪することはどうしてもしたい。というわけで、畳敷きの部屋で重たくなりそうな腰を上げた。
タクシーに乗って直江津駅で降ろしてもらって、高田駅まで行くつもりだったが、運転手さんは「田舎なもので、電車は一時間に一本くらいですよ」と言う。
「高田までこのまま行ってもらったら二千円くらいでしょうか?」
「いや、9キロほどあるので、三千円くらいかと」
迷った末、タクシーで行ってもらった。ふた言目には「田舎なもので……」と卑下する運転手さんだったが、都会が善で、田舎が悪とは、私はまったく思わない。
せっかく来た田舎で、せめてお金を使うのだ。
高田の居酒屋では、魚を一匹焼いてもらって、中華そばまで食べて、日本酒も飲んで、いつも二名で支払うくらいの金額を払ってきた。このあたりはお通しが二品出るので、トータルでだいぶ食べた。満足じゃ。
Oh yeah🐟
— 前田将多 (@monthly_shota) 2023年6月14日
旅はサイコー pic.twitter.com/WWulTAtBV7
翌朝はアラームが鳴る前の四時に目が覚めた。
(つづく)