月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「上越市高田にスピンオフ」

環状の電車といえば、東京の山手線がもっとも有名だが、大阪にもJR大阪環状線がある。
友人の関さんと吉岡さんが「大人になってから友達ってできるのか」という、ふとした会話から、「じゃあ、毎月ひと駅飲み歩きましょう」とはじめた遊びが「環状線一周飲み会」である。

天王寺駅からはじめて、外回りに新今宮、今宮、芦原橋……、と飲み歩いていく。
僕は電通を辞めて、ひと夏カウボーイをやって帰国した2015年の秋に、大正駅から合流するようになり、その後、原さんという男も加わった。

環状線は一周19駅ある。つまり、一周するのに一年半以上かかるのだ。
そんな遊びがウイルス禍による長い中断を経て、4周目になった。6年半である。

「ネット検索せずに、足と勘で店を探す」、「チェーン店には入らず、地元のひとが来るような小さな店を選ぶ」という基本方針に従って、我々四人は細い路地をまさぐり、夜の闇に目を凝らす。
だいたいどの店でも、常連さんの邪魔をしないよう、1、2杯でそこを後にして、つぎを探す。

毎回、とてもたのしい。毎月ワクワクして待ち、散会のときにはベロベロになる集まりなのだ。

今回はそのスピンオフとして、新潟県上越市まで行ってきた。
吉岡さんが1994年製のTOYOTAランドクルーザーを買ったのが新潟にあるお店で、購入の意思を伝えてからオーバーホウルを経て、引き渡しまで一年も待ったという。

「それならいっしょに新潟まで行って、ひと晩みんなで飲もうよ」ということになったのだ。

あ、今回は事前にはゆるやかにネット検索しました。上越市に誰も土地勘はなかったので、だいたいどのあたりに飲み屋があるのか、見当をつけないと宿の予約もできないし……。
サンダーバード25号は大阪駅を出て、金沢駅が終点。そこから新幹線に乗り換えて、上越妙高駅へ。

新大阪とか新神戸もそうなんだけど、新幹線のために設置された駅というのは、繁華街を避けているから、まわりには大してなにもない。
僕たちは地図をざっと見て、高田という駅に目をつけた。
結論から言うと、ビンゴすぎるビンゴであった。

翌日にクルマ屋のおっちゃんが言っていたが、かつては「飲みに行くなら高田」だったのだそうだ。
本町通りというメインストリートから、一本西を並行に走る仲町という通りには居酒屋や小料理屋、バーやキャバクラまでが揃っていて、かなり賑わっていたそうなのだ。

過去形で書いたのは、最近はシャッターが閉じたままの店舗や空きテナントも多く、ゆっくりと錆びていくように町が衰退していく、日本のあちこちで感じ取れる物寂しさが濃厚にあったからだ。

これまた古いホテルに荷物を置いた僕たちは、さっそく仲町で店を物色しはじめた。
吉岡さんが、薄暗くて開いているのかいないのか判然としない酒屋の前で足を止めた。彼は古いウィスキーを買う趣味を持っていて、嗅覚が反応したのだろう。
「入っていいですか?」
断って入ると、中には店員の若い女性と、お客なのか知り合いなのか中年の男性がひとり。
吉岡さんは、おそらく限定品の珍しいジャックダニエルを選んだ。

レジの横に、線香がそなえられていて、遺影には若いやんちゃそうな男性が写っている。
聞けば、先月旦那さんが亡くなり、この店はまもなく消滅するのだそうだ。中年の男性は、故人の友人で、葬式に来られなかったため遠方から弔問に来たのだという。
値段を訊き返すくらいちょっと高かったウィスキーを、吉岡さんが「せっかくだから」と買うと、男性は店の人間じゃないのに喜んだ。吉岡さんからすれば、若くして未亡人となってしまった彼女への香典のようなつもりだったはずだ。

日が暮れてきたころに、我々一行は、「一休」という居酒屋に入った。
不愛想な大将とその母親がやっているお店。お通しが二品出てくる。気前がいいな。
串焼きの豚、揚げ出し豆腐を食べて、新潟なんだから魚介類も食べなくてはと、焼きイカ半身というのを頼んだ。
「半身ってどうことなんですか?」
と尋ねると、おかあさんが「一匹だと大きいからな、こうしてこうして半分にな……」と説明してくれた。
なのに、最後まで焼きイカは出てこなかった(笑)。

しかし、こういうのも含めて、町のちいさな店で飲むたのしさなのである。

我々は笑って勘定をたのみ、つぎへ向かう。
「雁木亭」。雁木(がんき)というのは、降雪時に歩道を確保するために、家屋の軒を長くのばした、雪国独特の造りを指す。

ここでは、「のっぺ」という郷土料理(あんかけの煮物)、鮫のコロッケなど地のモノをいただき、刺身を食べ、日本酒をあれこれ飲んだ。
すると、たのんでいない一本の酒がテーブルに出された。映画でよくある、「あちらのお客様からです」というやつだ。
振り返ると、カウンター席にさっき酒屋で会った男性がいて、「あそこにわざわざ入ってきて、酒を買ってくれたお礼に」ということだった。ありがたい。情けは人の為ならずだ。

食べるもの、飲むもの、すべてが美味しかったのだが、雁木亭でもお通しが二品出てくるものだから、僕なんかはもう満腹だ。

つぎはバーへ行った。「ムーン・シャイン」。
ムーン・シャイン(月明り)というのは、密造酒の俗語だろう。1920年代、アメリカの禁酒法の時代に、月明りにまぎれて密造酒をつくり、そして運んだことからきている。
そういうことなら、と、バーボンをたのむ。まぁ、僕はいつでもバーボンなのだが。

さて、そろそろ飲み会も終盤を迎え、我々は居並ぶスナックの看板を眺めて歩く。
どのビルが寂れ具合、妖しさとして適切か、そして、どの店がカラオケの騒音がなく、年老いたママから素敵な昔話なんかが聞けそうか、探検隊として一番神経を使う瞬間である。

ある雑居ビルの一階、「miho」。ここはどうだ。
ドアは開いていて、カーテンのみが視界を遮る。耳を澄ますまでもなく、話し声が漏れ聞こえる。
「ん? おっさんじゃねえか」
僕はそう思ったのだが、入ってみると店主は女性だった。(写真がないから書きたかぁないけど書くしかないが)推定年齢七〇才の、ちょっとハスキーで低音のよく通る声を持つ、この人がミホさんなのだろう。
三〇年くらいここでやっているらしい。
ここでもお通しが二品。山菜の漬物と、タケノコ汁。これも郷土料理だ。

後日、みんなでなにが美味かったか話し合ったところ、このタケノコ汁を挙げた人が複数いた。
僕も、これに一票だな……。

さんざん飲んだが、二日酔いもなく目覚めた翌日は、クルマ屋さんに行く前に、高田城公園を訪れ、上越市歴史博物館を駆け足で見て回った。
美しい町であった。

僕の職業がたとえばプログラマーとか超能力FBI捜査官など、どこに住んでもできる仕事だったなら、しばらく住むのも悪くないだろう。
北へ行ったらすぐに直江津の海、南へ行けば妙高山など越後の山々。
安くて旨い店が高田にはいくらでもある。すばらしい。

TOYOTAランドクルーザーを吉岡さんが購入した店は佐野オート商会といい、その整備の腕を買われて、全国からお客や修理の依頼が来るらしい。
吉岡さんは亡くなった父上が滋賀に単身赴任中、ランドクルーザーに乗っていた記憶が強烈に残っていて、自分も同じ型式のクルマがほしくなったという。
なんと父上のクルマのハンドルを母上が保管していて、それを今回のクルマに取り付けてもらった。

石原慎太郎氏は、死とは虚無であり、なにも残らないとしつつも、しかし「虚無は歴然として存在する」と喝破して、今年二月にこの世を去った。
吉岡さんは、少なくともこれから何年、何万キロの間、ハンドルを握るたびに、憧憬と感傷の手触りに何事かを想うだろう。

ここで一曲プレゼントしよう。このランクルとほぼ同い年の1995年につくられたカントリーソングである。
”The Car” by Jeff Carson

youtu.be


Jeff Carson氏も今年の春に亡くなった。

午後二時すぎに出発できるかと思っていたら、試乗や手続きのため三時になってしまい、まっすぐ大阪へ向けて450km走らなくてはならなくなった。

途中で寄り道したかった石川県の松井秀喜記念館とかは残念ながらスキップだ。
しばらく日本海沿いのドライブを満喫して、以降は高速道路をとにかくひた走る。
大阪に戻ったのは夜十時半。

またよい旅をした。

また来月から環状線一周飲み会をするが、四周目にもなればわかる。
大人になってからも友達はできる。年齢や職業を越えて、友達はできるのである。