月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「夢への往来(佐渡旅 後篇)」

新潟県直江津港から、佐渡島小木港までは、フェリーで2時間40分かかる。

私はフェリーでの旅は過去にもしていて、大阪港から大分県の別府までは何度も乗っているし、愛媛県八幡浜から大分県臼杵までや、福岡県の新門司港から大阪港までなど、船旅はいつでも旅情にあふれ、よいものだ。

兵庫県の明石から淡路島への船は、たったの14分で着いてしまう。

佐渡に渡る前は、なんとなく、関西人には馴染みのある淡路島みたいなところを想像していたが、本土との離れ具合はだいぶちがう。

佐渡の陸影が見えてきた

今回携えてきた小説、『世阿弥最後の花』にも、〈神の鉾の滴りから、南は淡路の国が生まれ、北となればこの佐渡の国。胎金両部、すなわち、伊弉諾である金剛界が淡路であり、伊弉冊である胎蔵界佐渡となり、南北に浮かんで四涯を守っているのである〉という記述がある(P245)。

やや表現が難解だけど、要するに神話の国ニッポンにとって、淡路と佐渡は対をなす存在である、ということ。

二等船室(一番安い)は絨毯敷きの広間で、乗客は思い思いの場所で、ゆっくり過ごす。私も、乗船の間は、その『世阿弥最後の花』を再読したり、すでに旅の疲れが出てごろりと横になったり、海を眺めながら煙草を吸いつつ佐渡に流された世阿弥の気持ちを想像したりした。

フェリーで2時間40分かかる距離は、手漕ぎボートでも脱走できそうな淡路島と比べたら大変なもので、ものすごい隔絶感がある。ゼッタイに自力では帰ってこられない。

ただ、上陸してみると、いきなりこの島の豊かさに気圧される感じすらある。
とにかく、「島」という言葉から連想される狭い陸地でホソボソと暮らす態様ではなく、どかーんと田んぼが広がり、わんさと海産物が獲れ、さらに金や銀まで掘れたというのだから、ある時期には佐渡はドリームアイランドであったはずだ。

小木港からモーターサイクルで西へ15分ほどの宿根木は、かつて北前船の商売で栄えた港町だという。
ここは確かに海と丘に挟まれた狭い地域に民家がぎっしり詰まって、お互いに肩を寄せ合うようにしているのだが、公開されている清九郎という屋号のお屋敷に入ってみると、建材は当時の一級品、広々とした二階建て、屋敷の背後にそそり立つ岩山を刳り貫いて鉄の扉をつけて野菜や海産物の貯蔵庫にしていたという。

受付のおばあちゃんによると、北前船が日本のあちこちに寄港しながら物品の売買を繰り返し、何ヶ月もかけて帰ってくると、いまで言う7、8千万円ほどの売上になったそうだ。清九郎さんとこは船を二艘所有していたから、つまり売上高1億5千万円くらいだったのだろう。そりゃあ立派な家屋も造れるわ。

宿根木の家並み

清九郎

さて、この旅には現地待ち合せの友人夫婦がいて、写真家の森善之さんご夫妻だ。
ゴールデンウィークに森さんと会った際、私が「今度、佐渡に行くんです。能を観てみようと思って」と話すと、森さんは興味を示して「ええなぁ。俺も行くわ」となった。ただし、奥様を伴って飛行機とフェリーを使って、別ルートでやって来た。

彼らと、島の中央部やや西寄りの泉という地域にある宿で落ち合う。今夜は草苅神社で薪能があるので、森さんのレンタカーでまた島南部へ戻るかたちで向かう。

順徳天皇御火葬塚にも手を合わせてきた

森さんは『Japangraph』という写真集を自社でつくっていて、これは日本の各都道府県の自然の風景や、風土に根づいた暮らしをしているひとたちをフィルムに焼きつけたものだ。

彼は何年もかけて日本全国をまわるつもりだが、60代のいま、きっと「死ぬまでに終わるかなw」と思っているはずだ。そういう長いプロジェクトである。

japangraph.net

今夜の薪能は地元の若者や能愛好家による、いわば素人芸である。日頃の稽古の成果を発表する場になっている。
明日の正法寺でのろうそく能はプロによる本格的なものだから撮影は禁止。森さんはこの草苅神社の能を、8×10インチの大判フィルムで撮らせてもらおうと、主催者の神主さんと交渉をはじめた。

粘り強く話し合った末、結局、終演後に舞台上で集合写真を撮らせてもらうことになった。

フィルムはいま大変高価らしく、森さんは数枚しか持参していない。ここでは一枚だけ使い、一発撮りである。
大きな三脚を立てて、昔の結婚式の記念撮影みたいに撮影者が黒い布をかぶって撮るやつだ。

能の内容は、私にここで解説できるような知識もないので割愛する。なにせ初体験だ。

いろんな見方ができると思う。
「なに言ってるのかわからない」、「うしろの『イヨーッ! ポン!』の掛け声と小鼓がシテ(主人公)の台詞とかぶって、余計にわかりづらい」とか、現代人の理解を超えた部分もある。
しかしながら、なぜ六百年も昔から変わらぬ様式で愛好されているのか、当時のひとたちはなにを想ってこれを書き、演じ、観ていたのかなど、私の足りない頭で想像しながら味わうと、日本人という不思議な存在の細やかな感性に指の先くらいでかすかに触れられたような気になる。

娯楽や情報が溢れかえった現代に生きる我々よりも、昔のひとは、ひとつ出会いや、ひとつの祈りに、ひとつの物語を描けるくらい、万物を深く深く慈しんで生きていたのだと思う。

そうでなければ、和歌も俳句も生まれない。

どっちがおもしろいかと訊かれれば、正直、能よりも吉本新喜劇のほうがおもしろいよ?
だけど、何事も「やばいw」「ウケるw」で済ませてしまいがちな我々が、かつて生きていた彼らの心のひだに触れて、敬意と弔意に胸が熱くなるような経験をするのも悪くない。
そんなことを私は思った。

草苅神社の能舞台

一夜明けて、佐渡島二日目。

森さんご夫妻は写真を撮りに自動車で出かけた。私はモータサイクルで、佐渡スカイラインという標高900mまで上る山越えの道を走った。霧で視界は悪かったが、山を下りるとちょうど佐渡金山のあたりに出た。

いま世界遺産に申請中の佐渡観光の要となる一帯だ。せっかくなのでマシーンを降りて明治期の金鉱を見学してきた。江戸期のほうもあるが時間がかかるので今回はパス。

島の西側の海に出てから、佐渡の北半分(大佐渡という)を一周するために海沿いを北上した。それ以降は天気に恵まれた。

佐渡は荒々しい岩や崖と、それらとせめぎ合うような波の、雄々しい自然のパワーに包まれている。海の深いブルーと、初夏の水を湛えた田んぼのグリーンが眩しい。

信号もない国道を右に左にカーブしながら、単気筒のエンジンでトコトコトコトコ進んでいくのは最高に気持ちがよかった。
北端の二ツ亀を望む場所で休憩した。ここにはリゾートホテルがあり、期待したような地の果て独特の寂寥感はなかったが、それでも、半ば遠い異国に来たような達成感はあった。
「あぁ、オレはここに来たことをいつまでも覚えているだろうな」という予感である。

二ツ亀

夕方までに一度宿に戻り、この旅のメインイベントである正法寺のろうそく能へ徒歩で向かう。

森さんご夫妻が道に迷ったそうで時間ギリギリになっても来なくて少々慌てたが、指定席とはいえ、会場となる本堂は立錐の余地もない満席だ。

正法寺

荘厳な雰囲気の中、まずはこの日の能を奉納するための住職たちの読経からはじまった。
つづいて『世阿弥最後の花』の作者である藤沢周さんの講演。藤沢さんはツイッターを通じて知り合い、私は尊敬する大先輩のように私淑しているが、対面するのははじめてであった。

新潟出身の藤沢さんの郷土愛と熱のこもったお話により、今日の演目である「経正」の主人公である平経正への理解ができて、観能の助けになる。

www.the-noh.com

先述の通り、昨夜の薪能は地域の愛好家による演能で、今夜のろうそく能はバチバチのプロによる有料イベントである。

ド素人の私は当然存じ上げなかったが、シテは重要無形文化財総合指定保持者の松木千俊師という方が演じる。

昨夜の草苅神社は、それはそれでよかった。「能ってこういう感じなのね」という雰囲気はつかめた。しかし、正法寺の能は、総合的な迫力がちがった。魂がジーンと痺れるような得体の知れない、経験したことのない、充足感に満たされた。

観能のあと、地酒バーを見つけて、森さんとしみじみ飲んだ。いや、結局しこたま飲んだ。
「言葉がちゃんと届くねん。謡と鼓と笛も完璧に調和していて、すごかった。いやぁ、よかった」
と、彼も喜んでいた。

森さんは、いまは30代の息子たちが幼いころには佐渡を度々訪れていて、キャンプしたり、写真を撮ったりしてきた。
しかし、今回はじめて能を観て、「僕にとっても今までとはまったくちがう佐渡を見た旅でした。ますます佐渡が好きになりました。前田さんのおかげです」と言ってくださった。

 

能には死者が登場する。

私をこの島まで連れてきた『世阿弥最後の花』にも、主人公の世阿弥の前に、早逝した息子の元雅や、世阿弥より200年も前にこの地に流されて狂死した順徳院(天皇)が、夢なのか現なのか判然としないかたちで現れる。

私は個人的には霊を信じない。しかし、霊という、人間の思考が生み出した概念は、祈りとか誰かに思いを馳せる行為から湧き出た、想像による創造だ。いわば、夢だ。

眠りの間に見る不条理な挿話も夢なら、ひとの望みや理想や祈りも夢と呼ばれる。現世ではないどこかに在る世界が夢なのである。

そして、そことの往来を疑似体験できるのが能を観ることなのではないか。

私はこの旅で、歴史の一部に触れ、私なりに死者を悼み、海や山や道を愛で、心を潤すような酒を飲んだ。
時間と空間を超えて、佐渡の波間に浮かんで消えた世阿弥や順徳院の夢を想った。

先に私は「ある時期には佐渡はドリームアイランドであったはずだ」と書いた。

いや、訂正する。

佐渡はドリームアイランドだ。

 

(了)