月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「善良で、愛すべきバカのひとたち」

僕が通っている床屋さんは住宅地の路地裏にあり、まず地元のひとしか来ない。
以前は心斎橋のヘアサロンに行っていたのだが、会社を辞めたときにわざわざ電車に乗ってミナミまで出ていくのが億劫になり、近所を歩き回って探したところなのだ。

おしゃれすぎず、寂れすぎず、店の前で例の三色のぐるぐるが回っている、どこにでもあるような床屋さんで、僕よりすこし年上のおにいさん(といっても五〇前なんだけど)がやっている。
余計なものはほとんど置いていないスッキリした店内で、いつもきれいにしてある。
彼、川上さん(仮名)は、若いころは大阪の理髪店で修業をしていたそうで、父上が亡くなったあとに店を継いだ。
腕前は文句なしで、僕は彼との床屋談義もたのしみにして、ここ何年も通っている。

※画像は無関係です

なんと、カットは3000円。

二〇一九年十月に消費税が10%に上がったときに、僕は彼に進言した。
「3300円に上げましょうよ。いくらなんでも安すぎますよ」

しかし、川上さんの答えは、
「いやぁ……、それでなんかお客さんにごちゃごちゃ言われるのもイヤで……」
というものだった。

別に指弾するつもりはなくて、単に事実を述べるまでだが、田舎のひとの考えというのはこんな感じなのだ。約三十年のキャリアがある川上さんによるカットの対価が、3000円で妥当かどうかではなく、「いままでこうだったから変えたくない」、「変えてお客が離れるのが怖い」のである。

「プラス300円で来なくなるようなひとは、はじめからお客じゃないんですよ!」
だなんて第三者の僕は勝手なことを言うのだが、彼は「いや、でも、う~ん……」と言葉を濁すだけで首肯はしなかった。

「ティップジャーを置いたらどうですか」
という提案もしたことはあった。
ティップジャーは便利なもので、僕の店に来た友人がコーヒー飲んでおしゃべりして、ここにチャリン♪としていく。お客さんが「釣りはいいから」とここにチャリン♫と落としていく。

彼の場合ならマッサージを丁寧にするとか、頭皮ケアをするとか、お茶を出すとか、使いようはあるのだ。

でも、海外居住経験のない日本人がティップなど理解するはずもないことは、言ってる本人の僕もわかっていた。

そんなこんなで月日は経ち、いまは値上げ値上げのラッシュである。

これまで日銀は「物価の2%上昇を目標」としていたのにもかかわらず、国民も経済界も、笛吹けどビタイチモン踊らなかった。それなのに、まわりの顔色を窺って、他社がやりだしたら一挙にやる。
たのむぜジャパニーズよ。やり方が小ズルいんじゃ。

つくづく、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」(ビートたけし)というのは二十世紀に残る名言である。

ロシアによるウクライナ侵攻を受けての企業のロシア撤退のときも同様だった。
ユニクロは屁理屈をこねて事業を継続する意向だったが、まわりを見て撤回(事業の一時停止)した。
柳井社長にとって、平和や人権よりもナニが大事なのか、よくわかる一件であった。
 

www.businessinsider.jp

 

値上げに関しては、各社それぞれの考えややり方があっていいと思うのだが、雪崩をうって一斉にやってくれるなよ。

電力会社に至っては、電力逼迫により生活者に節電をお願いしておいて値上げをするという。

昨年までにガリガリ君の値上げに踏み切っていた赤城乳業はいまごろ胸を撫でおろしているか、「あんなに手間かけて十円上げたのに!」と地団太踏んでいるかもしれない。
〈1979年、オイルショックの余波で当時の主力商品「赤城しぐれ」を30円から50円に値上げした。すると売り上げが激減。会社が危機にひんするほどの打撃を受けた〉と下記記事にあるが、時代は変わった。

www.nikkei.com

三十年もの間、耐え忍んで、この国では、ひとは豊かにならなかったのだ。
値上げがちゃんと賃上げに結びついて、ちょっとはよい世の中になりますように、と祈るほかない。

先週も床屋さんに行ったところ、シャンプー台の脇にスース―するシャンプーが置いてあった。
六月にして異常な暑さなので、僕は「それ、使ってくれます?」と頼んだ。

川上さんは「はい、そのつもりでしたよ」と快諾した。

「それはここで売ってはいないのですか?」
僕は、値上げをしない彼の店にちょっとでも貢献したくて、整髪料もアマゾンではなく、ここで買っていた。そのシャンプーもほしくなったのだ。

「売ってますよ」
「買いたいんですけど、そのボトルサイズだと、ひとりで使い切る前に夏が終わってしまって、冬でもスース―するハメになるんですよね」
「ハハハ、ちゃんと小分けのボトルも百円ショップで買って用意してあるんです」

彼は思いのほか用意周到だった。
「え! だったら、なんで『このシャンプーは販売しています』とか、『小分けのボトルもあります』とか書いておかないんですか」

「なんか、ええかなって思って……」
「わははは」

こういうひとなのである。

最後の支払いのときに、川上さんは、
「えーと、カット3000円で、シャンプーが、……じゃあ400円です。もともとのボトルが〇〇mlで〇〇円だから、百円ショップの小ボトルを足しても、400円ならまぁまぁ、高くはないかと…」
などと、訊かれもしないのに原価を基に計算して、客である僕に言うのである。

「そんなんええから」
僕は4000円を出してお釣りは受け取らなかった。

もう一度言うが、田舎のひとというのはこんな感じなのである。

後日、この一件を僕の税理士さんに、「日本人はもうちょっと儲けなくてはいけませんよねぇ」と、己の商売下手は棚に上げて、嘆息しつつ話した。
税理士さんによると、
「理髪店て、どこもレシート出さへんやろ。だから売上なんてどうとでも書けるんや。消費税払わんために売上を一千万円未満に抑えたいところも多いんやで」
という裏事情もあるらしい。
※僕の床屋さんがそうであると言っているのではない。

そろそろウィルス禍にも夜明けが見えて、三年ぶりに海外でも行きたいと、ためしに航空券を検索したら、いままで15万円前後で乗れていたアメリカ行きが、軒並み25万円オーバー+燃料サーチャージになっていた。

世の中のアンバランスというのか、ダイバーシティと呼んでいいのか、都会と田舎の格差なのか、大企業と小商いの懸絶なのか、僕は犬と散歩しながら、複雑な気持ちで夜空を見上げるのであった。

善良なひとが、善良なだけで愛すべきバカのひとたちが、ちゃんと生きていける世の中でありますように……。