月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「7回の夏の昔、なにをしていただろう」

久しぶりに音楽アルバムを買った。
買ったと言っても、モノとしてのCDではなくてダウンロードなんだけど、以来ずっと聴いている。

モーガン・ウォレンという若いカントリー歌手で、僕はまず彼の”Whiskey Glasses”という曲で注目していて、不適な面構えも、ガサガサした声質も好きだった。

https://youtu.be/nmI3gA-PQKs

 アメリカではここ何十年も変わらない「田舎モノ・スタイル」である、マレットヘアにカットオフ・シャツ。
マレットとは、「横は短いのに、襟足を長く伸ばすヘアスタイル」のことである。80年代に流行ったのだろうか、すでに90年代には「ダサい」とされていたように思うが、今でも燦然とダサい。
イメージが浮かばない人は”mullet”で画像検索してみてほしい。

カットオフ・シャツとは、「袖を切り落としたシャツ」のこと。あれだ、スギちゃんである。

これらは「レッドネック」とか「ホワイト・トラッシュ」と揶揄されるような、アメリカの白人労働者層を象徴するスタイルなのである。

モーガン・ワレン自身は、1993年にイーステネシーの牧師の家に生まれ、ピアノとバイオリンを習い、野球選手としての奨学金で大学へ進学しているから、わりとええトコの子なのかもしれないと想像する。

しかし、ロン毛で出場したオーディション番組”The Voice”で注目されるや、南部の田舎モノ丸出し戦略で、音楽業界に殴り込みをかけてくるとは痛快ではないか。

殴り込みといえば、彼は2020年の5月にバーで酔っぱらって暴れて逮捕されてもいる。 

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購入したのは彼のセカンドアルバム『Dangerous』なのだが、中でも特に”7 Summers”という曲は素晴らしい。
僕には音楽的なことはなにひとつわからないので、どういうメロディーラインで、どういうアレンジだと、こんなにノスタルジックで切ない歌が出来上がるのか、解説できる人がいたら教えてほしいくらいだ。

できた当初はアルバムに含めるつもりはなかったそうなのだが、TikTokにサビを歌って公開してみたところ、すごい反響を得て考えを改めたという。

www.tiktok.com


コロナ社会ももう、一年になる。

先のことは考えても仕方ないから、最近よく昔のことを思い出す。

7年前の夏はなにをしていただろうか。
今は2021年だから、2014年の夏。僕にとっては電通での最後の夏(まだ辞めることは決心していなかったけど)で、重たいプロジェクトに関わり、とにかく心身を削って働いていたように思う。

その次の夏は、カナダの牧場で「カウボーイ・サマー」だ。

それからいろんな人に出会って、なんとか元気にやっているけど、それにしてもコロナめ。
先を見ても虚しくなるし、うしろを振り返っても切なくなるぜ。やれやれ……。

 

“7 Summers” by Morgan Wallen

Yeah, you used to talk about
Getting even further South
Somewhere where the summer lasted all year 'round
Probably got a big ol' diamond on your hand right now
Maybe a baby or a couple by now
Long driveway to a big white house

そうそう きみはもっと南に移り住むことを話してたね
夏が一年中つづくどこかに
たぶん今ではデカいダイヤモンドの指輪をしてさ
子供のひとりかふたりもいてさ
長いドライブウェイがある 大きくて白い邸宅に住んでるかもね

 But I wonder when you're drinking if you
Find yourself thinking about
That boy from East Tennessee
And I know we both knew better
But we still said forever
And that was seven summers
Of Coke and Southern Comfort
Were we dumb or just younger, who knows?
Back then, you used to love the river
And sippin' on a sixer with me
Does it ever make you sad to know
That was seven summers ago?

でも僕は思いを巡らす
きみが飲んでるときなんかにふと
あのイーステネシーの男について想うことがあるのかなと
僕にはわかってる
僕らふたりが そんなことはありえないって知っていたのに
それなのに 永遠だなんて言ったこと
コーラとサザンカンフォートを飲んだ7回の夏
僕らは愚かだったのか 単に若かったのか
誰にわかるというんだ

あの頃きみはあの川と そこで僕と6缶パックのビールを飲むのが好きだった
あれからもう7回の夏が過ぎただなんて
哀しく思うことはないのかい?

 

Yeah, I bet your daddy's so proud
Of how his little girl turned out
Think she dodged a bullet
Of a good old boy like me
'Cause I still
Go drinkin', same friends on Friday
Bought a few acres, couple roads off the highway
Guess you never saw things my way anyway

そうだな きみのお父さんは誇りに思っているはず
小さかった彼の娘がどんなふうに育ったかを
そして彼女が僕みたいなダサい男と よくぞ別れたと思っているだろう

だって僕は今でも同じ仲間たちと金曜日に飲みに行くし
ハイウェイから道何本か奥に小さな畑を買ったし
きみと考え方はぜんぜんちがったよね どのみち

But I wonder when you're drinking if you
Find yourself thinking about
That boy from East Tennessee
And I know we both knew better
But we still said forever
And that was seven summers
Of Coke and Southern Comfort
Were we dumb or just younger, who knows?
Back then, you used to love the river
And sippin' on a sixer with me
Does it ever make you sad to know
That was seven summers ago?

Seven summers ago
Seven summers ago

それでも僕は思いを巡らす
きみが飲んでるときなんかにふと
あのイーステネシーの男について想うことがあるのかなと
僕にはわかってる
僕らふたりが そんなことはありえないって知っていたのに
それなのに 永遠だなんて言ったこと
コーラとサザンカンフォートを飲んだ7回の夏
僕らは愚かだったのか 単に若かったのか
誰にわかるというんだ

あの頃きみはあの川と そこで僕と6缶パックのビールを飲むのが好きだった
あれからもう7回の夏が過ぎただなんて
哀しく思うことはないのかい?

7回の夏の昔
7回の夏の昔さ

 

(対訳:前田将多)

youtu.be

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「BLMとはなんだったのか」

誰も書きたくないことを書くこのコラムだが、ここのところずっと考えていて、答えが出せないままのことがある。

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ひとりで夜道を歩いていたら、向こうから黒人の男性が三人やってくる、としよう。
僕は心のどこかで「怖いな」と思ってしまう。これは差別なのか、ということだ。

少なくとも差別心なのだとは思うけど、無意識的に思ってしまうのは止めようがない。
これが浅黒い肌を持つマレー系の女の子三人なら怖いとは感じないし、スカンジナビア系の男性三人だったとしてもそこまで怖いとは思わないだろう。

これをもって「お前は人種差別主義者だ」と即断する人は、LAの夜道やブラジルはサルバドールの路地を歩いてきてほしい。いや、ホントに歩いてから言ってほしい。
前から大きな黒人三人組が歩いてきて怖いと思わないのは、もっとデカい黒人五人組くらいのものだろう。

相手の顔立ちや体格、人種や性別や年齢などをまったく考慮せずに、ポリティカリーにまったくコレクトな対処ができる人間がいるわけがないのだ。マシーンじゃあるまいし。

ただし、やってきた黒人の彼が、
「エクスキューズミー、サー。このあたりでまだやってるオーセンティックなバーをご存知ないでしょうか?」
と訊いてきたなら、
「はい、そこの角を曲がったところにある地下のバーはなかなかのバーボンを揃えていますよ。それではよい夜を」
と受け答えするだろう。

僕が人を雇うような大きな会社の社長で、黒人男性が応募してきて、見どころのある人物に思えたなら雇うだろう。
差別というのは制度のことであり、言動に表れる意識や感情のことだ。
一応、アメリカでは制度上の人種差別はなくなり、何ジンであるかにかかわらず、建築家でも弁護士でも、なりたければなれるし、大統領にだってなれるし、入ってはいけない劇場やバスはない。

だから、”Black Lives Matter”を振り返るに、なにを求めているのか、海を隔てた国にいる僕なんかからはわかりにくい。ブラックライブスがマターすることに反対する人間などいるはずがないのだ。大物スターに言われるまでもない。

ただそれを暴力でもって訴えたことは、いや、破壊行為へと暴発したことは、完全な失敗であった。

同様に破壊行為に発展したトランプ支持者の議会侵入事件は、すでに降任したトランプ前大統領の弾劾裁判に帰着して、BLMはノーベル平和賞にノミネートとは、悪い冗談か。
 

www.usatoday.com

 

BLMは人種問題というよりも、階級闘争であった。

低い社会階層に属する被害者を、そんなに高くもない階層にいる警官が撃った。それでも、警官は「権威」であるから、民衆は「支配者」に向かって棒を振り上げた。が、勢いあまって振り下ろす場所を間違え、町々を焼いた。暴力はなにも解決しない。

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文化人類学者のルース・ベネディクト女史が1940年代にものした『レイシズム』(講談社学術文庫)という本がある。ちょっと長いが引用する。

〈人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行なわれるのだとしても、人種差別を減らす方向に動くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない〉(P182)

黒人の平均的生活水準が上がらなくてはいけないし、警官の教育レベルも向上しなくてはいけないし、アメリカの国家としての社会問題(ホントは我が国も含めた世界中の問題だが)も改善されないといけない。

最大の社会問題のひとつは「格差」である。

 

つまるところ、BLMとは「黒人の生活をなんとかしないと」という意味なのだ、と僕はいま解釈している。
昼間からラりって警官に悪態ついては撃ち殺されるような人生はまっぴらごめんだ、ということだ。64%がひとり親の家庭で育ち、人口の13%しか構成しないのに、全囚人の40%を数える黒人が置かれた環境に対して「どうなってんだよ!」という怒りなのだと思う。
格差問題に対して、トランプ前大統領は”Buy American!(アメリカ製品を買え)”、”America first!(アメリカ第一)”で雇用創出を実現しようとし、これをまったくの失敗と片づけるのはフェアではないと思う。

大統領候補だったバーニー・サンダースは民主社会主義者を自認しているから、格差問題にはより積極的に取り組んだだろう。バイデン大統領は現状未知数。就任したいまもなお、未知数である。

 

レイシズム』には興味深いことが書いてあった。

〈……人間は自分の所属する社会が推奨している形で尊敬を獲得しようとする。領土拡大を良しとする社会であれば、一人ひとりが侵略者になる。富の蓄積を良しとする社会であれば、一人ひとりが人生の成功をドルとかセントの単位で測るようになるだろう〉(P111)


〈何が称揚されるか、何がその機会を与えるかは、国ごとに、そして特にその内部の階級ごとに変わってくる。それをひとまとめにしたものを、私たちは「アイルランド人らしさ」「イタリア人的なもの」「農民の典型」「銀行家っぽさ」として認識する〉(P113)

「時代や状況が変わっても当てはまるような実体を言い当てていることは稀である」と断ってあるが、日本人がマジメな国民だと認識されているなら、それはマジメであることが美徳とされているから、ということ。

ここで冒頭に書いたように、「黒人は怖い」と思ってしまう自分が思うに、黒人がそのように認識されるのは、その“バッドボーイ・アティテュード”であり、「反逆的であること」をクールとするアフリカンアメリカン・カルチャーに因るのではなかろうか。

もちろん、法を遵守する黒人もいれば、僕のように不真面目な日本人もいるから、クソリプはやめてくれ。卵が先か、鶏が先か、という話も結構です。

『シカゴPD』という警察モノのテレビシリーズがあり、その一話で「息子を警官(こちらも黒人)に射殺された父親が復讐にやってくる」回がある。その物語の最後で父親はこのように悟る。
「俺は息子に『警察なんかに屈するな。絶対に従うな』と育ててきた。それが彼を死なせてしまったのかもしれない……」と。

親から「お巡りさんは平和を守る町の英雄なんだ」と説かれるか、「警官はブタ(※警官を指すスラング)だ」と教えられるか、それは子が生きる社会に思わぬ隔壁を築くだろう。

ベネディクトはこうも書く。

レイシズムを拭い去るための運動は、今日ではすなわち「民主主義を動かす」ことである〉(P197)

であるなら、僕は「格差を縮小するための運動は、すなわち資本主義を抑えることである」と言いたい。資本主義は結構なのだが、抑制しないと格差問題はどうにもならない。純粋な資本主義など、2008年のリーマンショックの際、米政府が民間金融機関にカネを注入した時点で一度は敗北したのだ。

末代までかかっても使いきれないような、世界を丸ごと買えるようなカネを世界中から集めて貯めこんだGAFAの上層部が、いつか「世界中の貧困家庭の若者の教育費を、私たちが払います!」と申し出てこないかな。人からタダでデータ抜きまくった結末の、そういうオチを期待する。

こういうときだけ、なんかサヨクっぽくなってすみません……。

「コロナ禍を、人間として生きること」

コロナにはじまり、コロナに終わった一年であった。

皆さん、おつかれさまでした。……なんだけど、まだ終わっていないどころか、日本の感染者数は過去最多の4515人で2020年を締めくくるという、苦い苦い年の瀬となった。

僕個人の感慨としては、ウイルスそれ自体への恐怖よりも、人間の醜さを見せつけられた酸鼻の方が大きかったように感じる。

トイレットペーパーやマスクを買い占めた人たち、所謂「自粛警察」として、県外からの自動車に傷をつける嫌がらせをしたり、帰省した人の実家にわざわざ匿名の張り紙をした人たち、政府からの補助金を詐取した人たち、医療従事者の子供を預かることを拒絶した保育園、「俺はコロナだ」と言って、わざわざ接客のある飲食店で飲んだり、ツバを吐きかけて故意に他人にうつそうとした人たちなどなど。

僕の知人は北関東のとある県に嫁いだが、その村でコロナに感染してしまった人は、家族ごとよそへの引っ越しを余儀なくされたという。

2011年の東日本大震災のあとにも同じように、買い占めや、被災者へのいじめや、瓦礫処理の受入れ拒否があったことを忘れた人はいないはずなのに、まったくデジャブのような光景であった。

生物が「種の保存」のために行動するというのは大きな誤解で、「個(自分)の保存」を優先するという。自分の生存のために、種(群れ)があった方が有利と考えるときには、群れ(社会)を守る行動をとるが、それはあくまでも自分のためにと、遺伝子に書き込まれたプログラミングなのだ。

ただし、これは生物学者や動物行動学者が二十世紀より解明してきた「生物」「動物」の生き方のことであって、「人間」には遺伝子学のみでは計り知れない文学的な生き方、そして死に方があるはずなのである。

上記の独善的なひとたちを見聞きして、「あぁ、生物として生き残りたくて、人間としては生きてねえんだな」と半ば呆れて思う。

 

なにが本当なのか、どうすればいいのか、情報が溢れかえった中で、僕は今年の半ばにおいて、積極的にニュースに触れるのをやめた。特に民放のテレビを観るのは真っ先にやめた。

どれだけ情報や報道に触れても、とどのつまりは自分ができることは「手を洗う」「マスクをする」「三密を避ける」という、これまでに何度も聞かされてきた方法しかないようなのだ。

バカのひとつ覚えのようで忸怩たるものがあるが、現時点でわかっている、つまらないけど本当のことなのだから仕方ない。

そして、誤解を恐れずに言うと、毎日死について考えた。
自殺することではない。今年は実際に著名な方が何人も自死を選んでしまって、少なからずショックを受けたが、僕は「今年に死ぬのだけはごめんだ」と思っていた。

多くのひとが生活を脅かされ、中には人生を狂わされたひともいた散々な一年だったが、この大災難の終焉になにが待っているのかだけは見届けたいと思った。

そのためにも生きなくちゃいけないから、感染予防のためにできることが「手洗い」に「マスク」であるならお安い御用なのであった。

しかし、「死ってそんなに怖いものなのか。怖いのは痛みや苦しみなのではないのか」、「死はいつか受け容れなくてはならない。これはそのための貴重な訓練なのではないか」といったことは考えた。

毎日セックスについて考えていて、いざ本番がきたら思ってたよりあっけなかったように(※個人差があります)、死についてちゃんと考えていたら、みっともなくおたおたしないかもしれないじゃん! するかもしれないし、知らんけど。

まぁ、とにかく「そない長く生きたいとは思わないが、近々死ぬのはカンベンしてほしい」というこれまでの基本方針を貫いていくまでだ。

 

カントリーソングに”Prop Me Up Beside the Jukebox”という歌がある。
「俺が死んだら、ジュークボックスに立てかけてくれ

 神様よ、天国には行きたいけど、でも今夜行きたいってわけじゃねえ♪」

www.youtube.com

これを歌ったジョー・ディフィーというカントリー歌手も、今年コロナ感染により亡くなってしまった。僕が好きな歌手のひとりだった。
このひとの”Pickup Man”という歌に影響されて、19才の僕がはじめて買ったクルマはピックアップトラックだったし、39才の僕がカウボーイの牧場でジョンディアのトラクターを運転しながら歌ったのが、彼の”John Deere Green”という歌だった(拙著『カウボーイ・サマー』P182参照)。

 

誰しもを傷つけ、大切な人や仕事を奪っていったウイルスであった。……あ、まだ終わっていないか。ひとまず、今年は終わった。

 この忌々しいコロナ禍の向こうに、きっとたのしいことがたくさんあるはずと信じて、また来年。
皆さん、お元気でね。

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「なんだか泣けた夜の話」

45才になりました。信じられません。

成人して四半世紀、25才で会社に入ったから、社会人20年ということになる。
人生50年ならもう晩年を迎えているのに、大したことはしていない。

同じ45才で亡くなった著名人たちを挙げると、
クイーンのフレディー・マーキュリー
ジャズピアニスト、歌手のナット・キング・コール
イリュージョニストの初代引田天功
そして、作家の三島由紀夫がいる。

近しい年齢では、『スローカーブをもう一球』のスポーツライター山際淳司(46才)、ジョンFケネディー35代米国大統領(46才)、写真家・探検家の星野道夫(44才)などがいて驚く(敬称略)。

ちなみに世を去った年齢は、享年で表記すると年を越えた時点で1才足されるので、ややこしい。今回は、死没した時点での年齢で表わした。

数日前の11月25日が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫が割腹自殺をした日から50年だったので、新聞やテレビをはじめとしたメディアで三島が次々と取り上げられ、書店には三島関連本が多く並んでいる。

三島由紀夫についてはあまりに多くが語られているため、僕が思うことなどここでは割愛するが、
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」
という、三島がサンケイ新聞(現・産経新聞)に寄稿した随筆の有名な一節を、現代に読んでなにかを思わない人はいないであろう。

かと言って、自分を顧みて、自らの腹を掻っ捌いてまで訴えたいような、激烈ななにかを僕は持っていない。

それは哀しいことのようにも思えるのだが、ないからこそ45年目も元気に生きられそうな気がして、今夜は凡人に生まれた僥倖を静かに祝おうか。

上記の偉人たちに比べたら、そりゃなにもしていないに等しいのだけど、小さい人生には小さいなりにいろんなことが起こり、まずまずがんばってきたし、「いつ死んでもいいや」と思えなくもない。

しかし、僕はある大阪の名士(仮に井上さんとしよう)に説教された日を忘れない。

僕が書いたコラムを田中泰延さんフェイスブックでシェアして、それを読んだ井上氏が僕たち二人を呼び出した。

曰く「きみたちに酒を奢りたいのだが、一席設けさせてくれないか」。

僕は氏とは初対面だった。

靴を脱いでお座敷に上がるような料亭に案内されて、料理をごちそうになったあと、三人は彼が行きつけにしているバーに入った。
高い竹鶴を用意してくれていて、それを飲ることになっていた。
何杯目かのウィスキーののち、僕はなにかの拍子に「いつ死んでもいいと思っている」旨を述べたのである。
僕は14年勤めた電通を辞め、カナダでカウボーイをして帰国し、本(原稿)も書き終えたころだったと思う。ちょっとした虚脱感と、先への不安を抱えていたのだった。

そのとき、井上氏は言った。
「僕はな、四肢のない水泳選手が、プールで泳ぐのを見たことがある。溺れているのか泳いでいるのかわからないモゾモゾした動きで、観客ははじめぎょっとして見ていた。しかし、彼は沈みそうになりながらも着実に進み、ゴール間近になると、観客はみんな立ち上がって、もう大声援や。僕は心を揺さぶられてもうてな。
……だから、五体満足なきみは、そんなこと言うたらあかん」

彼は僕を指ささんばかりにつづけた。
「能力を、使い尽くせよ。やれることはぜんぶ、やれよ」

僕は不覚にも初対面の男の言葉にシビれて、涙してしまったのだった。

 

あれからまた何年か過ぎ去り、僕はまた誕生日を迎えてしまったのだが、45才にもなれば自分の能力はわかっているつもりだし、見えてしまいそうなその限界に抗いながら、どうしたらそれを使い尽くすことができるのか、考える毎日である。
ウィスキーを飲みながら、命を浪費しながら、サボりながら、考えている。

教えてよ、寅ちゃん……。

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「知らんわ」

 

「酔っ払いが大嫌い、だった」

僕が酒を飲みはじめたのは遅くて、二十代も後半になってからだ。
両親と男ばかり三兄弟の家族なのに、冷蔵庫にヨーグルトやプリンはあってもビールはないような家庭だった。
若いうちに何度か飲酒を試してみたけど、おいしいとも思えないし、心臓バクバクするし、自分には合わないと思い込んでいたのだ。

そして、それ以上に、酔っ払いが嫌いだった。大嫌いだったのである。

「飲まないと言えないことがある」→ふだんウソばっかついて生きやがって。
「酔うとエッチになっちゃう♡」→飲まないでもなれ。オレはなる。
「俺の酒が飲めないのか」→お前が作ったんか。

と、このように思っていたのである。

こちとら酔っぱらうという感覚がわからないので、酔っ払いの挙動はすべて、「志村けんが、ああいうふうに酔っ払いの演技をするから、みんなそれをマネしているのだ」と考えていた。

僕はケンタッキー州の大学を出ている。
ケンタッキー州はウィスキーの名産地で、1920年代の禁酒法の時代に、それまでは東海岸で蒸留されていた酒を密造するために、業者らがアパラチアン山脈を越えて内陸部に逃げ、水のよい土地としてケンタッキーを選んだ。

元々はケンタッキー州バーボン郡でつくられた、原料の51%以上がトウモロコシであるコーンウィスキーをバーボンと呼んだそうだ。いまではバーボンはケンタッキーのあちこちで製造されている。

挙げればキリがないが、代表的なところでいうと、メイカーズ・マーク、ジム・ビーム、オールド・クロウ、ワイルド・ターキー、アーリー・タイムズなどなどがある。

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2015年にMaker's Markの蒸留所も訪ねた

学生の僕は、当時ケンタッキーバーボンの一滴も飲まなかった。いまから思うと、なんてもったいないと思うが、そのころは授業のあと学内のジムで鍛えてからプロテインを飲むようなマジメな学生だったし、ルームメイトは酒もタバコもやらず、日曜日には教会に通うような男だったし、カネもないしで酒は飲まなくてよかったかもしれない。

その後、酒の飲み方に関しては悪名高かった電通に入社すると、僕は身構えた。
「ムリヤリ飲まされたらどう対処しよう……」

そういう席では「僕は、酒は飲みませんので」とまっさきに宣言していた。

そうすると必ず「飲まないのか、飲めないのか?」と訊かれる。

「飲めないし、飲みません」と決然と述べると、なんだかダブルで意志が固いような印象を与えられて、それ以上勧められることはなかった。よい先輩や上司に恵まれたのだ。

 

ところが、である。現在、四十四才。オレはどうしちまったんだ。
酒を飲まない日はない。

ウィスキーをおいしいと思うし、二日酔いしないし、体に合うのだろう。なんてこった。

 

 

 

依存しているかどうかで言うと、依存しているはずだ。

日常生活に支障はないし、いわゆる「アル中」という言葉で連想されるような、手が震えるとか、肝臓の数値がぁーとか、時と場合をわきまえず昼間から飲むとかいうことはない(こともない)が、「今日はやめておこう」と思っていても、夜になるとビールの一本はプシュッといってしまう。

 酒を飲むようになってよかったと思えることは多々ある。

得がたい友人たちも得たし、酩酊により冷たく厳しい現実からちょっと遊離するような心地よい感覚も知った。
会社を辞めてから酒量は増えたが、牧場でカウボーイたちと働きながら飲んだビールや、働いたあとのウィスキーは忘れがたい。

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カントリーには、酒に関する歌は多い。

僕の好きなやつを一曲紹介したい。

Midlandという3ピースバンドの”Drinkin’ Problem”という歌である。

 

“Drinkin’ Problem” by Midland

One more night, one more down
One more, one more round
First one in, last one out
Giving this town lots to talk about
But they don't know, what they don't know

もう一夜 もう一口
もう一度 もう一杯
最初に来て 最後に帰るやつ
この町で噂になっている
でも連中はわからないことはわからない

People say I've got a drinkin' problem
That ain't no reason to stop
People sayin' that I've hit rock bottom
Just 'cause I'm living on the rocks

ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
それはやめる理由にはならないね
ひとは俺がどん底にいるという
なぜなら俺がオンザロック座礁とのダブルミーニング)で生きているから

It's a broken hearted thinkin' problem
So pull another bottle off the wall
People say I got a drinkin' problem
But I got no problem drinkin' at all

これは失恋による難儀な問題だ
棚からもう一本もらおう
ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
だけど俺には飲むことになにも問題はないね

They keep on talkin'
Drawing conclusions
They call it a problem, I call it a solution

彼らはくっちゃべっては
勝手な結論を導く
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ

Last call gets later and later
I come in here, so I don't have to hate her
Same old folks, same old songs
The same old, same old blue neon
The same old buzz, just because

ラストオーダーは深く また深くなる
俺はここに来ると 彼女を恨まないで済む
おんなじ連中 おんなじ歌
おんなじ酒

People say I've got a drinkin' problem
That ain't no reason to stop
People sayin' that I've hit rock bottom
Just 'cause I'm living on the rocks

ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
それはやめる理由にはならないね
ひとは俺がどん底にいるという
なぜなら俺がオンザロックで生きているから

It's a brokenhearted thinkin' problem
So pull another bottle off the wall
People say I got a drinkin' problem
But I got no problem drinkin' at all

これは失恋による難儀な問題だ
棚からもう一本もらおう
ひとは俺が飲酒問題を抱えているという
だけど俺には飲むことになにも問題はないね

They keep on talkin'
Drawing conclusions
They call it a problem, I call it a solution

彼らはくっちゃべっては
勝手な結論を導く
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ

Just sitting here in all my grand illusions
They call it a problem, I call it a solution
Just a solution

ただここに座って壮大な幻想に浸る
彼らはこれを問題と呼ぶけど
俺にとってこれは解決法なんだ
これこそが解決法さ

(対訳:前田将多)

 

酒は潤してくれるし、流してくれるし、浸らせてくれるし、濁してもくれる。沈まないようにだけはしなくては……。

Drink responsibly.

 

youtu.be

https://www.midlandofficial.com/

「ブラックライブスがマターすると、レッドスキンはどうしたらいいのか」

「もう人類はムリなんじゃないか」と思ってしまうような夏がつづいている。

ほとんど遊びにも行けないのに、いやになるくらい暑いだけで、冬にはじまったウイルスがしぶとくて、世界中が猖獗の地となり、香港で自由を求める人たちは法改正による恐怖に意気消沈し、アメリカでは人種差別へのたたかいがいつしか娯楽としての破壊行為になってしまった。

それに比べれば小さなことかもしれないし、一部は関連しているのだけど、また答えのない、うんざりするようなことを考えてみた。

NFLフットボール)のワシントン・レッドスキンズがチーム名を変更するそうだ。

2020年7月3日に「チーム名を再考する」と発表して以来、もうすぐ二ヶ月になろうとしているが、新チーム名は不明のままである。 

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書きようがなくてWashington Football Teamとある(左下)

簡単に経緯を紹介するとこういうことになる。

  • 1932年、ボストン・ブレイブスが創設されたが、同名の野球チームがあったため、翌33年にボストン・レッドスキンズに改称。
    インディアンの血を引いたとされるウィリアム・ヘンリー・ディーツという監督と、数名のネイティブ選手に敬意を表してそのような名前にしたとされている。しかし、ディーツが本当にスー族の末裔だったかどうかは不明であるという(画像検索をしてみた限り、本当のように感じるが)。
  • 37年、ワシントンDCに移転。
  • 67年、はじめの6つの商標登録を取得(その後チームロゴなどでさらに追加)。
  • 72年、ネイティブアメリカンの代表者たちから抗議を受け、チーム名変更などを求められる。このときは応援歌の「頭皮を剥げ!」の歌詞を改変し、チアリーダーの三つ編みのカツラを取りやめている。
    以降もネイティブからの抗議を受けて、登録商標無効の裁判などで争ったが、最終的にチームは勝訴している(2017年)。
  • 2013年、オウナーのダニエル・スナイダーは「チーム名は絶対変えない。絶対だ」と宣言。
    その後も、オバマ大統領(当時)、DC知事、メディアなどの発言から圧力を受けつづける。
  • 2020年、フェデックス、ナイキ、ペプシなどスポンサーからの要請に屈するかたちで、チーム名の再検討を発表。

www.washingtonpost.com

 

ちなみに、MLB(野球)のクリーブランド・インディアンスもマスコットキャラクターであったワフー酋長を2018年シーズンでもって廃止した。今後はチーム名も変更を迫られる可能性はある。

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僕としてはなんだか気持ち悪さが残るこれらの決定なのだが、それは単に僕が部外者だからなのだろうか。
インディアンをモチーフにすることがよくないのなら、カンザスシティ・チーフス(酋長)やダラス・カウボーイズはなぜよいのだろうか。
ミネソタ・ヴァイキングススカンジナビア半島の人からクレームがつかないのだろうか。
ラスヴェガス・レイダース(侵略者)は犯罪被害者の人たちから文句を言われないのだろうか。
ニューヨーク・ジャイアンツは巨人症の患者たちを悲しませないのだろうか。
ニューイングランド・ペイトリオッツ愛国者)は、アメリカでは問題ないだろうが、日本だったらうるさい連中がわいてきそうだ。

レッドスキンズ」のなにがいけないのか、調べてみても「団体が侮蔑的だと主張している」より先の具体的な情報がない。おそらく戦略として、あえて「侮蔑的である」の一本鎗で通しているのだろう。人の主観については、それ以上の反論がしにくいからだ。

肌の色への言及がいけないと仮定すると、”Black Lives Matter”と矛盾するようになる。肌の色に人種を象徴させて「黒人の命をちゃんと扱え」と訴えているからだ。

先住人たちは、もしかしたら自分たちの肌は赤くないと考えているのかもしれない。
確かに、日本人(東アジア人)の僕は、自分の肌が黄色いだなんて思ったことはない。
我々はふだんも「あの人は肌が白いね」「ゴルフして真っ黒になっちゃったよ」などと話す。

しかし、いまでも黒人を黒人、白人を白人と呼ぶように、我々が何色なのかといわれたら、黄色以外に選択肢がない。それは「黄色組」に入っているくらいに、僕は思っている。運動会で「僕は赤組じゃない」「人を白と赤で分けるのはよくない」とか言っても仕方ないからだ。

アメリカの運転免許証には、生年月日、身長、体重のほかに、髪の色、目の色が記載される。肌の色はないが、色で識別されることがフツーにあるのだ。

レッドに関していえば、「RED MAN」という噛みタバコのブランドは1904年からある。

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黒人が”Black is Beautiful”と謳ってきたように、インディアンはレッドであることを誇りにしてきたフシすらある。
たとえば、アメリカンインディアンの文化保護団体であるAssociation on American Indian Affairsは、「Red Hoop Talk」というトークショウを配信している。
 

Red Hoop Talk - Association on American Indian Affairs

https://www.indian-affairs.org/red-hoop-talk.html

 

「文化の盗用」の問題だろうか。

つまり、先住民族でもない者が企業マスコットとしてインディアンをステレオティピカルに描くこと、黒人でもない者が黒人のイメージを商業利用すること、日本人でもない者が(アメリカ各地にあるような)インチキな日本食レストランを経営すること、これらが文化の盗用の例である。

しかし、これも突き詰めれば、大阪のインデアンカレーもNGだし、そもそも、日本のイタリアンレストラン、フランス料理店、カントリーバーなどなど、ほとんどが文化の盗用になりかねない。

「リスペクトがあるか、ないか」という基準は非常に微妙な匙加減なので、取り扱う人は充分慎重にやらなくてはならないのは間違いない。

レッドスキンズという名称の否定が、アメリカンインディアンの総意ではなく、一部のノイジーマイノリティの運動であったとするなら、チームの経営者がすべきだったことはいくつかあるだろう。

ウィリアム・ヘンリー・ディーツ監督が本当にネイティブアメリカンの血を引く者だったことを証明する。
そもそもの命名がそのスピリットに敬意を表するものだったことを確認する。
その上で、アメリカンインディアン系のスタッフを積極的に採用する方針を掲げる。もちろん選手も、有能な者がいれば(アファーマティブ・アクションの問題点に留意しつつ)獲得・育成する。

これらができたなら、ほぼポリティカリーコレクトネスに敗けることはなかったように思うのだが、事なかれ主義の大企業スポンサーのカネに屈するしかなかったことは悔やまれる。

ゆくゆくは、アメリカンインディアンのスター選手を育成し、後進の、同人種の若者が「いつかレッドスキンズでプレイしたい」と憧れるようになれば最高ではないか。

これは、継続的なブランド構築により不可能ではないはずだ。

そして、なにかを隠匿、排除、糊塗するだけではなく、こういった未来を照らすための活動こそが、いま求められるのではないだろうか。

 

ブラックライブスはもちろんマターするべきだが、なぜ町を燃やし、人々が殺し合っているのか、僕にはぜんぜんわからない。このコラム劈頭に「娯楽としての破壊行為」と書いたが、撤回するつもりはない。百歩譲って自己陶酔だ。

暴力でなにかを解決できると考えているなら、無知である。

ジョージ・フロイド氏の死を発端に全米各地で巻き起こったが、彼の死と、デイビッド・ドーン氏の殺害に軽重はないはずではないか。
ドーンさんはセントルイスの元警官(黒人)で、6月2日に友人の質店を暴徒たちから守ろうとして射殺された。彼が絶命するまでの間、誰かがスマホで動画撮影をしてフェイスブックに配信された。

日本のウヨクとサヨクも似たところがあるが、畢竟、同じような種類の人間たちが銃口を向け合っている。

アメリカはどこへ向かっているのか、なにをどう解決したいのか、まったく混沌としてしまった。

 

「美白」を謳った化粧品を販売中止する動きもあるが、多くの人が疑問に感じているように、肌が白いことは、少なくとも我が国では古来より美しいとされてきたから、その価値観はなかなか揺るがないのではないか。

クエーカー・オーツ社が黒人女性のイラストを使った「アント・ジェマイマ」のブランド名を変更するそうだが、いやいや、その前にクエーカー教徒の白人男性のイラストが社を代表しているのはどう考えているのか。
bbc.com/japanese/53088372

こういった運動を推し進めるとどこに行きつくのか、その帰結するところを、きっと誰も考えていない。

端的に言うなら「白人以外ぜんぶダメ」ということになろう。
そして、それは皮肉なことに、白人優位の世界をより強固にするだけだ。

マクドナルドのロナルド、P&Gのミスタークリーン、プリングルズのひげのマーク、ラム酒のキャプテン・モーガンモノポリーおじさんはすべてお咎めなしだ。特にマクドなんて、黒塗りならぬ白塗りしてるわ、夢に出てくるほどの恐怖でしかないわ、いろいろ問題ありそうなのに……。

erinsweeneydesign.com

 

リンカン大統領が奴隷解放宣言をしたのが、南北戦争中の1863年
マーティン・ルーサー・キングJR牧師が25万人の前で「私には夢がある」と演説をしたのが1963年。
その間、実に100年。

さらに半世紀以上の時間が流れたが、人類の歩みは善い方向に向かっているのか。

人工国家アメリカは、人類の可能性と醜悪を、我々に見せてくれる。