本屋でベストセラーになっているビジネス書や啓蒙書の類をほとんど読まない。「こうすればより優秀なビジネスマンになれる」とか「これで株で儲かる」的な指南書にはどうにも触手が動かないのだ。
本当は、少なくとも読まないよりは読んだ方がいいのだろうけど、ダメなのだ。買っても読破しない。たとえ読んでも身につけない。
そういう本に対して、心のどこかで罪悪感があるのだろうと思う。
いや、本に対してというより、「立派に」なろうとしている自分に対して、という方が正しいか。
立派なオトナになろうとして本を読む自分の脇で、それを覗き込むもう一人の自分がいる。そして、「何読んでんの? 立派になろうとしてんの? 立派になんのん?」と小バカにしたように問いかけてくるような気がする。
実は、日経新聞を読むことさえ自己嫌悪を覚えるのだ。ビジネスマンとしては失格かもしれんが、だってだって、企業の今期決算がどうの、株価がどうの、人様の会社の儲かり具合なんか興味ないんだもん。それよりも、それによって社会がどう良くなったのか、国民がどう幸せになったのか、これからこの国がどう住み易くなるのかを、教えてもらいたい。
経済だけを突き詰め、文化や歴史を軽んじてきた帰結として、現在の、金儲けのための金儲けを繰り返す輩を時代の寵児ともてはやしたり、巨大市場を盾に、次々にインネンを繰り出すシナに拝跪する日本がある。だなどと評論家みたいな口もきいちゃうが、「日本人は経済発展のために、あまりにも大きな犠牲を払ってきた。真の豊かさとはなんだろう?」という議論は、ここ何十年も聞かされている。何も変わっちゃいない。
ビジネスマンとして成功するということはつまりお金持ちになること。優秀な会社員とはつまるところマシーンのような気がしてどうも興味が湧かない。いわゆる一般的な意味での仕事っていうのは、「やる気が出ない」とか「二日酔い」とか「あいつムカつく」とか、そういった人間的な感情の介入を排さなくてはいけない。究極的に言えば、メシも食べずに、ウンチもせずに、下ネタも言わずに、眠りもせずに、二十四時間ポジティブ・シンキングで働くというのが最も優秀なビジネスマンということになる。ツライとかシンドイとか不平も漏らすことなく、常に利益を上げる。そして、上げ続けることが優秀さの証となる。
……まっっったく、憧れない。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ (中略) ホメラレモセズ ヤタラオモロイガ フダンナニヤッテルノカ ヨーワカラン サウイウオッサンニ ワタシハナリタイ
僕は親アメリカ人、反アメリカ合衆国を旨としているから、率直に言って、アメリカ的資本主義には賛成しない。それは、人を幸せにしない。大企業と、お金持ちがより肥え太る仕組みであって、労働者一般は搾取されるのみだ。あ、「搾取」だなんて、パンクな言葉を使っちまった。
前々回に登場した僕の親友、ロブは政治科学で学位を得るために、今日もかの地でがんばっている(はずだ)。今宵も、特大の何かしらを食べながら。
彼は、アメリカは政治が悪いから、カナダか日本に移住したいと半ば本気で考えている。一度「政治科学専攻で卒業する人は、何をするの?」と訊いてみたら、こう答えた。
「プレジデント・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ」
爆笑した。お前なんか爆笑してやる。
しかし、彼が言うには「アメリカは、食事を配膳する人や、トラックを運転する人など『実際にアメリカを動かしている人たち』を見捨てている」と。この「実際にアメリカを動かしている人たち(People that actually make America go)」という表現が、なんだか心に残った。
通常、国を動かしていると呼べるのは、大統領や、議員や、大企業経営者、軍需複合体関係者という得体の知れない連中を指すことが多い。しかし、彼が言いたいのは、毎日の生活は、そういう労働者がいるからこそ廻っているのだということ。お前らが食べる贅沢な食事は、誰が調理し、誰が運んでいるんだ、と。
本当は当たり前のことなのに、やれ勝ち組だ負け組みだ、株価がどうだ、今期の利益がどうだ、と金持ちがお金の話ばかりしやがって、金のない者などこの世にいないも同然だ。ちなみに「勝ち組負け組み」に相当する英語は「haves & havenots」だろうか。持てる者と持たざる者。
自分がどっちかなんて考えたこともないが、「モテざる者」であることだけは確かだ。チクショー!
毎年何十億円も稼いでいるのに、現状維持に不服と契約更改を保留するメジャーリーガー、出演したマイナー作品が偶然ヒットしたからって十数億円もの出演料の上乗せを求めて訴訟を起こす映画俳優、人の会社を経営する気もないのに乗っ取って、引っ掻き回した後さっさと転売する資本家、お前らみんな好かん! 底なしの欲望が怖いんじゃ! 個人が一生で遣い切れないほどのお金を要求し、手にするのは罪悪だと、僕は思う。
人間が生涯贅沢な生活を送るのに、いくらあればいいのだろう?
ちょっと奥さんに相談してみた。
「もしも、一億円あったら、毎年一千万円遣っても十年いけるんだよな」
と僕。
「えーと、十倍だから、そう」
「十億円あったとして、三億の豪邸建てても、まだ七億。一千万円生活を七〇年続けられるわけだ。充分やな、うん」
一人納得した僕に、奥さんが言い放つ。
「……その十億円は一体どこにあるのよ」
「その問題は、一旦ええねん」
僕は現在会社員で、メジャーからのオファーは今期は見送られたようだし、主演作とかの話も今は聞いてないから言ってしまうが、いくら金持ちになっても十億円以上はいらん! もしもそれ以上のお金が唸らんばかりで、あってあってしょーがないのなら、僕はこうする。
母校に「ショータ・ホール」を寄贈する。
まだあったらどうする? 「ショータ・ホール別館」も寄贈する。
まだまだあったら、「ショータ・ホール新館」も作ったらぁ!
「ショータ寮」も「ショータ食堂」も「ショータ博物館」もいったれ! いや、「ショータ博物館」は、なんだか僕のミイラでも展示してそうだから、やめておこう。
アメリカから欧州に目を移すとしよう。欧州の成熟した国家のいくつか。たとえば、オランダとかデンマークとかベルギーといったコンパクトな国で、人々がどのように生活を営んでいるのか。どんな産業が盛んで、典型的な毎日はどのように繰り返されているのか。
オランダといえばマリワナ、デンマークといえばエロビデオくらいしか連想できないのだが、知識が乏しいだけに、なんだか幸せ指数は高そうな気がする。
あの辺の欧州の寒い国というのは、性志向の多様な地域としても有名だ。あえて「倒錯」という言葉は使わないでおこう。SMはドイツ発祥だし、フィストなんたら、スカトロかんたら、レザーどうの、トランスこうの……。あんまり文明が進むと、人間は頭がイッちゃうようだ。
日本も目指すべきはアメリカなんかの資源も欲望も溢れんばかりの大国ではなく、世界に誇る産業も有名人も別にいないけど、なんだか文化の薫り高い国ではないのだろうか。そして、わけのわからんセックスに勤しみ、オリンピックでいくつかの金メダルを常に取り、カッチョええ椅子に座るような国になるべきだろう。
しかし、まぁ、そういう国の実情ってのも、あんまり知識を蓄えない方が夢が壊れなくてよろしい。僕の兄の友達に、スウェーデン人のハードコアパンクスがいて、日本版CDの発売を兄のレーベルから行なった。その際に歌詞の翻訳を担当させられたのだが、やっぱりスウェーデン人も怒ってた。歌詞は憤怒でギトギトでしたわ。
色々あるらしい。
本当は日本だっていいセンス持っているし、誇りもあるのに、戦争に負けてから完全に自尊心を失い、経済大国になってから美的感覚がおかしくなった。ドン・キホーテなんか、あの外観は犯罪的じゃないか! どんなセンスしとんねん。なんでペンギンやねん。
ホームラン何本打つか知らんが、私服姿も場外ホームラン級の野球選手。田んぼの真ん中に屹立するキャッスルみたいなラブホテル。住民も赤面するようなゴージャスな名前が付いてるマンション。人生の歓びが、ここにこそ凝縮されてるかのようなパチンコのCM。シッコ漏れる寸前みたいに追い越し車線を爆走していく、ダッシュボードにフカフカ栽培中の車。メイドの格好してるだけのブスをありがたがってる男。食費は維持して、ダイエット用品をさらに買う女。同じもんばっか量産しやがって、音楽を冒涜してるレコード会社。胸ポケフラップという、グッドデザイン賞モノの発明した大阪市。
お金の遣い方を間違うと、かくも怖い人たちが生まれちゃうのである。ジャパニーズホラーやで。
(了)
P.S. とは言いつつも、資本主義の権化みたいな職業で日々口に糊していることに葛藤もあります。せめて、出世とかしないようにがんばります。