タバコである。
最近「スピーク・ラーク」とか「♪テーテテテッテーテレレーターラー・ラッキーストラーイク」とかのCMがやってないことはお気づきだろう。
そう、タバコのテレビCMが自粛されて久しい。
露出が許されるのは、「おれは捨てない」とか「あ、ディライト」とか、タバコ屋なのに「ワタシは吸わない」みたいなお利口ちゃんなメッセージだけなのだ。
タバコってのは今や、鼻をつままれても、唾を吐きかけられても、叩かれ罵られ蔑まれても、反論さえ許されず、身ぐるみ剥がれて道端に打ち捨てられているような存在である。
そして、この度、財務省の決定により「バスや電車の車内、屋外看板などの広告を禁止し、新聞なども大幅に減らす」ことになったそうだ。
アメリカで、ウィンストン(タバコのブランド)が粋な屋外広告を掲げていて、それにはただ「少なくとも、自分の車の中では吸えるぜ」と書いてあった。しかし、もはや日本では、その看板さえ出せなくなる、というわけだ。
もちろん、アメリカからやってきた風潮で、アメリカ人のヒステリックさは、今回のテロから戦争にかけてのペイトリオティズム(妄信的愛国心)や、過去に遡れば禁酒法とか、例は枚挙に暇がない。日本人は「あいつらはアホ」という事実に気付くべきなのだ。
大量破壊兵器は結局出てこなかったし、酒だって結局飲んでも構わないじゃないか。
肺ガンになった連中が束になってタバコ会社に訴訟を起こし、莫大な賠償金をせしめるような国だ。デブがマクドナルドに責任転嫁して訴えたところ、その訴えは当然棄却された。それなのに「タバコで火事になって火傷を負ったら、タバコ会社を訴えて二億円の和解金をふんだくれる」ってのはどういうことだ!?
実際にあった話なのだ。
こういうのは政治的レイプだと、僕は思う。抵抗できないとわかってる相手を寄ってたかって蹂躙している。
もはや表立って経済活動ができないタバコ会社に残された道は限られていて、水面下に潜るしかなくなってくる。広告という手法を制限されてしまったから、プロダクト・プレイスメントという密やかな活動に相当な労力と金額をつぎ込んでいると見られている。
WHO(世界保健機構)の調査によると「一九八八年から九七年にかけてベスト二十五入りしたハリウッド映画のうち、八十五%に喫煙の場面が登場した」とのこと。
つまり、タバコ会社の努力によって、映画の主人公はタバコを吸い続けるのだ。ブラッド・ピットも、マット・デイモンも、スクリーンの中で、カッコよくクールに、うまそうにタバコを吸うわけだ。映画を観ている限り、アメリカがあれほど嫌煙キ○ガイには見えない、とは思わないか?
それをもってWHOは、「喫煙シーンがある映画を見る際は保護者が同伴するなど監督が必要だ」としている。
その昔「八時だよ! 全員集合」が教育上よくないとされ、子供に見せない親がいたらしい。確かに我家では、それを見るときは必ず親同伴だった。
てっきり僕は、家族揃って志村けんやカトちゃんを観るのが土曜の夜の幸せな過ごし方だったと勘違いしていたが、そうか、あれは僕の両親が、僕がカトちゃんのマネして、「うんこちんちん!」などと学校で連発しないように監視していたのか。
- そのおかげで、僕はうんこもしない、ちんちんも出さない紳士に育つことができたんだ!
- パパとママに百万回のキスを送ります。
- 愛を込めて ショータ
- ……って、バカじゃねえのか!
タバコが小道具に用いられているシーンでは必ず、「ケビン、これは映画の中だけの話だからな、タバコってのはな……」と諭す。
セックスシーンで「アリソン、これは映画の中だけの話でね、セックスってのは……」と説く。
カトちゃんのギャグには「ショータ、うんこちんちんというのは、排泄物と男性生殖器の組み合わせの複合語でだな……」と解説する。
そんな鬱陶しい親がいたら、九十一%の子供はまともには育たない、という研究結果がSRCによって発表されている(SRC=Shota Research Center)。このアホどもめが!
タバコの起源ってのは、古代マヤ文明に遡る。その当時、喫煙という行為は「神との交信」だったのではないかと考えられている。まぁ、その頃の葉っぱってのは、今で言うところの麻薬だったのかも知れないから、単なる「トリップ」だったとも思える。しかし、人間の発明した偉大な文化なわけだ。そういった歴史を軽視するようなアホが、ビートルズがアビイロードを行進する有名なジャケット写真から手のタバコを削除するという歴史の改竄を平気で行う。こんなの犯罪じゃないか。
歴史に残る文学も、道を拓いた学問も、世界を変えた音楽も、往年のギャグも、タバコなしには生まれなかった、といったら大袈裟だろうか。
タバコ嫌いな人だって落ち着いて考えれば、憎むのは吸い方の悪い人間であって、タバコそのものではないのではないか? 体に悪いのは分かりきっているが、精神にとっては手放せないのだ。こちとらの健康は放っておいてくれ。
生まれ方は選択できなかった。死に方くらい選択させてくれ。
それでも、許してくれない諸氏には……、百万と一回のうんこちんちんを送ろう。
(了)