月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「オトナになんかなりたくないや」

出張で飛行機に乗ったら、行きも帰りもどこかの席で赤ちゃんが終始ギャーギャー喚いていて閉口した。出発から到着までずーっとだ。
乳児を飛行機に乗せることはできない法律はできないだろうか。
  • 赤ん坊を飛行機に乗せて移動しなくてはいけない理由など、この世にはない。
  • 田舎の両親に初孫を見せる? 両親がこっちに来たらいい。
  • 急な転勤? 赤ん坊がちょっと育つまで単身赴任すればいい。もしくは、自家用車で陸路を行け。
  • 旅行? 十年早いわ。
  • 夜逃げ? 夜逃げは一.五tトラックと相場が決まっている。飛行機などというリッチな手法は許さん。
白状するが、国際便で泣き続ける白人親子を怒鳴りつけたことがある。僕は飛行機の中ではあまり眠ることができないのだが、やっとウトウトしかけたその時、斜め前に座る父親が抱いた赤ん坊がウッギャー! とおっぱじめた。普段の僕なら耐えたかもしれないが、その時は疲労と眠気と狭いシートで機嫌が悪かったので、叱りつけてしまった。
なんとも後味が悪く罪悪感は禁じえなかった。その父親は赤ん坊を抱いて席を立っていったが、その後戻らなかったので、乗務員が気を利かせて、このアブナイアジア人から離れた別の席を用意したのか、もしくは気を利かせて二人にパラシュートを支給したかだ。
同じようなことを、もっとアブナイうちの弟Aはしている。アメリカにはグレイハウンドバスという長距離バスがある。よく映画で出てくる「家出する十九歳の娘」とか「ニューヨークで夢破れた若者」なんかが大都会あるいは地元の町に向かって乗るバスである。
つまり、あまりお金のない人たちが利用する移動手段なのである。アメリカは異常にデカいから、当然、乗車時間は国際線の飛行機並みになる。
僕はまだ紳士だから怒鳴った時も「ヘイ! プリーズ!(おい、頼むよ!)」と言った。弟はグレイハウンドバスで騒ぐガキに対して「シャラーップ!(黙れ!)」と直球を放った。おそらくその頃はニワトリのような真っ赤なモヒカン刈りだったのではなかろうか。
凍る車内。うかつに振り向けない乗客、耳だけは鋭敏に澄ます人、なんならハンドバックに忍ばせた護身用の十八口径に手を伸ばす婦人……などが容易に想像できる。
この雰囲気を溶解させたのは、「まぁまぁ」と弟に飴ちゃんを差し出してきた一人のジイさんであった。
そして、ジイさんは語り始めた。
「あんちゃん、この腕の疵をごらん。ワシがその昔、ムショから脱獄した時に負った傷だ。つまらん諍いで人を殺めてブチ込まれておったんじゃ。その時妻は身ごもっていて、何度か手紙をくれた。その内に、娘が生まれたことを知らせてきた。
ところが、手紙は月日が経つにつれて少なくなり、いつしか来なくなった。ワシは妻と娘に会いたくて脱獄までした。鉄条網に引っ掛けて皮膚を割いた傷がこれだ。妻子を傷つけた罪に比べれば、どうということはないがね。帰った家はもぬけの殻さ。
ワシは名前を変え、住処を変え、仕事を転々とした。妻と娘を探そうにも、こっちが追われる身ではそれもままならない。探してるんだか逃げてるんだかわからない内に、二十年以上が経っちまったよ。
この年になって、電話料金すらまともに払えないとは情けない生活だ。でもな、電話を再開してもらおうと公衆電話から電話会社にかけた時、どうもオペレーターの声に聞き覚えがある。何十年経とうと妻の声は忘れやしないもんだ。ビンゴー! 奇跡が起きたよ。
彼女はアトランタで電話会社に勤めてる。そして、娘はこの週末に結婚だとさ。
そりゃ会いたいよ。でも、娘はワシのことなど知らない。向こうは向こうで築いた生活がある。それを掻き乱すのは本望ではない。
だからワシは妻と約束をした。式にはただの通りすがりの老人ということで見物させてもらうのさ。タキシードも着ない。バージンロードも歩かない。若者の幸福な門出に偶然出くわした、ただの通りすがりだよ。見たらすぐに帰るのさ。
今、ワシはそこへ向かうバスに座っている。娘のことを考えていた。泣き声も笑い声も聞いたことのない娘。だから、ワシは後ろの席で喚いてる赤ちゃんの声を聞きながら、娘の泣き声はどんなだったろうと想像していたのさ。
あんちゃん、ワシがそう言う資格などないが、子供を持ったら、あの泣き声も天使の歌声に聞こえるもんだぜ。
……鬱陶しい話をして、すまなかったな」
ジイさんは顔を隠すように、再び窓の外を眺めた。弟Aは飴を舐めた。しょっぱい飴だった。
ごめん、ウソである。僕はまたウソをついてしまった。
あのー、どこまで本当かと言うと、飴をくれたところまで、です。
昨日の帰りの飛行機の中では、泣き叫ぶ赤ちゃんの後ろに座ったサラリーマンのおじさんが、変な顔をして見せていた。すると泣いていた赤ちゃんは「ウ、ウ、ウへ、ウヘヘヘ」と笑顔を見せた。それに気付いた親が、申し訳なさそうに彼に会釈している。僕も思わず顔がほころんでしまった。いかんいかん。いい人になってしまう。
航空法を改正して赤ん坊を禁止しようとする理由は、第一に、乳児がかわいそうだからだ。離陸の際の唸るエンジン音、体にかかるG、乱気流の中での急降下、着陸の時の衝撃、どれをとっても、乳児には刺激が強すぎる。そりゃ泣き叫ぶだろう。なぜ「カリブの海賊」に乗れない乳児が、飛行機には乗れるのか。おかしいではないか。
第二の理由は、もちろん、僕がうっさくて眠れないからだ。
赤ん坊の泣き声は「この世の終焉」であるかの如く空気をヒビ割れさせるが、実際、ヤツらはそんな気分なのだろう。この先の人生にもっと怖いことや泣きたいことが待っているとも知らずに……。
中島らも氏が、「産まれてきた赤ん坊が泣くのは、この世に出てきたことが悲しいからだ」と書いていた。母親の子宮ほど居心地のいい場所はないのに、そこからズボーッと出されたことが悲しいのだ。
僕が産まれた時、泣き声を上げなかったので看護婦に尻を張られて泣き出したそうだ。泣くことによって呼吸をするから、無理に泣かされるのだ。その後、母親に引っぱたかれ育ち、今では奥さんにシバかれながら、大人になろうとしている。現在、三十才だが、いつ頃オトナになるんだろう。
たまに飲みに連れて行かれてウィスキーを出されることがある。
僕はウィスキーの匂いを嗅ぐと、なんだか自分がおっさんになったような気がして、どうも体が受け付けない。大人になることを、体が拒否するのだ。
株がどうのビジネスモデルがどうのという、お金儲けの話もオトナの匂いがしてどうも苦手だ。そのくせお金はほしいから、困ったもんだ。
会社で部署を異動してから、プレッシャーで、ジンマシンと口内炎と痔になった。残すは胃か円形脱毛症かと思っていたら、実際には下痢になった。
「ウッギャー!」と泣き叫んだらなんとかならないものだろうか。
(了)