月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ほいじゃー、がんばって」

以前に書いたように、僕が「一番カッコいい」と考えている、二十七才の男としての一年があと一週間で終わってしまう。当初の予定のように行きつけのバーも持つことなく、巨悪に一人果然と立ち向かうこともなく、謎の失踪をとげた美女を探し出すこともなく、その一年を静かに終えようとしている。
……正確に言えば、何人かの女性から連絡が途絶えたくらいで、まぁ、これには事件性は見当たらない。
今日も僕は、風呂での読書という秘めたる愉しみに興じては、「陰毛って分けても分け目できないんだなー」などと、どの学会にも発表できない新発見をしている。
こんなんでいいのだろうか、とふと思うこともあるが、平日は人並みにマジメに働いているんだから文句はあるまい、と納得して生きている。
しかし、この年になると周りは結婚続きである。毎月のように先輩やら同期やら、後輩までもが結婚してゆく。友達と遊ぼうとしても、「その日は○○の結婚式二次会で……」なんてことはよくある。
僕には信じられないことである。あんなに金がかかって、面倒くさくて、うすら恥ずかしいことを、人はどうしてあれほどの労力を遣ってしたがるのだろう。なぜ、ウェディングドレスは「着なくてはいけない」のだろう。どいつもこいつも『ゼクシー』に毒されている。僕が大統領になったら発禁処分にしたる。
以前付き合ってた女性と「もしも結婚するなら」という会話をした際に、「式とかは別にしないでもいいよな?」とさりげなーく、あくまでもさりげなく申し入れたところ、
「な、なに言ってんの!?」
と、まるで僕が「ポスティング制度でメジャーに挑戦する」とでも言い出したかのような反応を示された。
で、では、と思って「それなら指輪とかは別に高くなくていいよな?」と恐る恐るお尋ね申し上げたところ、
「あなた、本気で言ってんの!?」
と、あたかも僕が「会社を辞めて、陰毛に分け目がつかないことについて陰毛学会に論文を書く」と言い出したかのような叱責を受けた。
「百万円の指輪とは言わないけど、給料の三か月分とは言わないけど……、七、八十万は……」だそうだ。
おいっ! そりゃ間違いなく給料の三ヶ月分くらいじゃないかい!
僕がそんな富豪に見えたか、ボケェー。このブルジョワジーが! 「アタシはお安い女じゃないのよ」か、コラ。そんな女はこっちからごめ……。
と思ったら、なぜか僕がフラれた……。
相手をロープに投げたのに、返ってきた相手にドロップキックされたプロレスラーのような気分だった。
学生時代の家族社会学の教科書には、人が結婚する理由について、経済的な相互依存とか、子育ての共有とかに混じって「コンスタントなセックスの機会」というのも入っていた。僕はそれを知って、ああそうなのか、それで正しかったんだと、お墨付きを与えられたようで安堵した。
なにせ僕は「結婚した暁には火木土、および祝祭日はしたい」、まさにジェニファー・ロペスにはうってつけの男だ。
う〜ん、そういう意味では結婚も悪くない。
それでも、子供はどうしよう。子供ってほしいか? 僕はそこで立ち止まる。結婚の予定もない、孤独な男がこんな休日の夜に立ち止まってみる意味などないが、シミュレーションは大切だ。暇つぶしには持って来いだ。
よく女の人が「子供ってかわいいからほし〜」などとおっしゃるのを耳にする。それが僕に対しての「今すぐ抱いて〜」メッセージならいいのだが、おそらくそうではない。
三兄弟を立派に育て上げたうちのおかんも「大変だったけど、子育てで色々学べたわよ」と言っている。それならそれで、僕にもっと感謝して小遣いとかくれてもいいと思う。
余談だが、いっつも膝にネコを乗せてテレビを観ているうちのおやじを指して「早く孫を抱かせてあげてよ」と言うから、僕は「じゃ、作るの担当するから育てて」と返す。
子供が「かわいい」のも、「色々学べた」のも、親の立場からのメリットであって、僕の幼少時代を振り返っても、「な? 僕チンてかわいいだろ?」と思ってたわけでも(確かにかわいかったが)、「おらー、オレが父母会で問題になって色々学んだろ」とか思ってたわけではない。わけもわからないまま毎日学校に行って、弟と最後のキットカットを取り合って、気がついたら二十七才が終わろうとしていただけのこと。
僕は無邪気に遊ぶ子供たちを見ると、不憫で仕方ないのだ。
「お前らは今は何も知らずに遊んでいられるけどな、人生ってのはツライんだぜー」と、心の中で思うのだ。やつらには今日の晩ゴハンがハンバーグか、クリームシチューかが問題かもしれんが、その内もっと大問題が降りかかるのだ。
給食にピーマンは出てくるし、席替えして一番前の席になるし、親友は転校するし、第一志望の付属校には落ちるし、体育教師には殴られるし、女子にはモテないし、デートは緊張するし、おっぱいとか触りたいけどよーわからんし、いつかフラれるし、就職面倒くさいし、またサヨナラされるし、仕事忙しいし、やっぱり別れ話を突きつけられるし、ローン長いし、いきなりポイされるし、そして、きれいに忘れられるし……。
ガキどもよ、それでも笑っていられるのか?
もしも、僕に子供が生まれたら、僕が長いことかけて学んできた一つひとつの事柄を、そいつはまた初めから学び直さなくてはならない。不憫だ。途方もなく気の毒だ。
僕のことはいい。たとえきれいに忘れ去られちまっても、それでもなんとかかんとか生きていかれるくらいの強靭な、鈍感なハートは、二十七年間かかって培ってきた。
でも、それが僕の子供にもうまいこと遺伝されるとは限らないのだ。
息子がフラれた時、なんて声かければいいのだろう。
「おとーちゃんもな、昔はいっぱいフラれてんで」
とか言ったところで、
「お前みたいなおっさんはフラれて当然なんや! しかも、おかんがいてるやんけ! そこそこハッピーエンドやんけ」
と、勝手に僕のライフストーリーもそこそこなエンディングにされかねない。
青春を生きる者は自意識過剰だから、自分こそ最も不幸な星の下に生まれたと考えている。
それにしても、この不況、犯罪増加、モラリティー崩壊に加え、顕在化したあらゆる欲望の蠢くこの薄汚い世の中へ、ピカピカの新品の個人を「ほいじゃー、がんばって!」と送り出す残酷さは、僕には今のところ、ない。
(了)