月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

心に火を。尻にも火を

広告企画制作の仕事をしていると、初対面の人などにこのように言われることがある。

「クリエイターって、ゼロから何かを生み出すんだから大変な仕事ですね」

僕は毎度こう答える。

「ゼロからじゃないですよ。商品があって、クライアントの指示があるんだから」

実際はゼロどころか、制約と条件だらけの世界だ。 大変な仕事であることは認めるが、クリエイターだなんて呼ばれるほどのものではない。

クリエイターを英語で「The Creator」と表記すれば、それは創造主、つまりユダヤ教キリスト教において七日間で天地を創造したとされるヤハウェのことである。 だから、僕は自分をクリエイターだなんておこがましいことを言える人間を信用できない。

クリエイターと言える人間は、子供を産む女性だけではないだろうか。だって、人間をクリエイトできるのだから。人から人が出てくるなんて、我々男からすれば想像もできないクリエイションなのである。

そのクリエイターが減って久しいことはよく知られている。少子化である。 それに関しては、子を持たない僕自身も責任を感じないではない。 しかし、自分を含めた多くの共働き夫婦の生活を顧みると、そりゃそうだろという諦念も感じざるを得ないのだ。

散々働いて、「今晩はゴハンいらない」で、外で飲み食いして夜十時とか十一時に帰宅する。

とりあえずテレビニュースをつける。 お風呂沸かすと十二時。明日も七時起き お互いこうだったらそりゃね、セックスなんてする元気も時間もないわけですよ。

僕の先輩に仲尾さん(仮名)というヤンキーみたいな先輩がいる。この人はとにかく、チームを遅くまで仕事させることで知られ、ご自身も夜昼関係なく猛烈に企画をすることで数々の実績を築いてきている。

それなのに、男の子が三人もいる。奥様はハーフかと思えるような美人だ。にもかかわらず、子供は何人生まれても仲尾さんそっくりで、奥様の要素はどこにあるのかわからない。だから僕は、仲尾さんが自分でピッコロみたいに口からヒリ出していて、奥様はその傍らで応援しているだけなのではないかと疑っているくらいだ。どういう強い遺伝子をしてるのだ。

このくらいの何かを残し、遺すというDNAへの強いプログラミングがないと、仕事も子供もできないのかもしれない、と何事にも執着の少ない僕なんかは仲尾さんを見ていて思うのだ。

奇しくも週刊新潮四月三〇日号で「『人口激減社会』の利点検証」という特集記事があった。

我が国では、少子化による人口減少に加え、出生率が全国最低の一・一三である東京への一極集中が加速していて、消滅可能性都市が地方のあちこちに生まれているという。

しかし、記事は: ・産業構造の転換により、経済規模が変わらないまま人口が減れば、各人はより豊かな生活が送れるようになる。 ・空き家が増える問題の反面、家を二つ持つことも夢ではなくなるかもしれない。 ・悪名高い日本の満員電車から解放される。 ・人手不足になることで、終身雇用や年功序列に代表される、人を大切にする日本型経営を取り戻せる。 といったような利点を指摘している。

いくつかは首肯できる点があると思ったが、イマイチおもしろくねえな、と僕は雑誌を閉じた。 騙されてはいけない。少子化は問題ではない。

僕は率直に言うと、少子化なんて人口の適正化としか思っていない。それとセットになる高齢化の方がよほど深刻なんだけど、深刻なのは「今、生きている世代にとって大変」、というだけで、我々団塊ジュニアあたりの世代までが死に絶えたあとの若い世代は、もっと幸せになれると希望を持っていいよ。

まず、余計な仕事をしなくて済むだろう。人が少ないから、アレコレ言ってくる外野が減る。製造業で言うなら、製品に無駄な機能をくっ付けるのをやめられる。

多すぎる全員に何がしかの仕事をさせなくてはいけないから、「至れり尽くせりのつもりの余計なお世話」の機能がいっぱい付けられて、あーだこーだ口を挟んでくるエライ人の意見も取り入れなくてはいけなくて、その分費用が価格に乗せられて高くなっているのが現在の日本の状況だ。

電化製品一般は、それで世界で勝てなくなっているのではないのか。先日ツイッターで、某カメラメイカーの製品パッケージを開けたら、分厚い説明書やらディスクやら、そのインストールの手順書やら、なんたら登録の方法とか、余計な紙モノや付属品がワラワラ出てきて幻滅した旨の投稿を見た。「ワクワク感が一気になくなった。だから、箱やその中身まで美しいアップルに勝てないんだよ!」と、その人は嘆いていた。 便利にしていくのはいい。しかし、どこかで「いや、それはいらん」と、本質でないものはストップさせないと。自動車が全自動運転に近付けば近付くほど、買いたい人いなくなるよ(作ってるのはグーグルかもしれないけど、それは措いて……)。

今ですら、雨が降れば自動でワイパーが動き出し、暗くなれば勝手にライトが点灯するらしいではないか。いるか、それ?

運転しているのはヒトなわけで、速度や進行方向はもちろん、天候やら路面状況やらの条件を見つつ、自分でコントロールするところに運転の楽しさがあるのではないのだろうか。ということは、自動車って自動ではなかったのだね。自ら動かす車か。なんかしんどそうやな。

生きている人生がコントロールができないことばかりだからこそ、自分の操縦によって人間以上の力を享受することができるのがクルマの魅力ではないのか。判断すべき要素と遣う体の部位が多いから、モーターサイクルはより楽しいのではないのだろうか。

ああ、オレは古い人間さ。

結局、傑作は個人からしか生まれないのだ。桑田佳祐の才能の五分の一ずつを持った人が五人集まってもサザンオールスターズは生まれないのだ。強い個人と、それを支えるメンバー。

山田洋二監督は、寅さんという傑作キャラクターを、原案・脚本・監督を担当して、一人で作った。それでも、脚本は常に他の誰かとの共同執筆でクレジットされている。個人の力と、巧みな補助。

こういうことだ。

人が少ないなら少ないで、個人の裁量を大きくして、物事の決定を早くして、重要な部分にお金と時間とサポートを充てる。

結果、ソリッドでいて目の行き届いた良品を作っていく。ジャパンの生き残る道はこれだと、僕は思っている。 そして、これこそが効率化である。

日本の産業界は他の先進各国に比べて、その生産率や効率が悪いと指摘されている。そりゃそうだよ、人が多すぎるんだから。 それをもってして、世の大企業の中では効率化の名のもとに、総務系部署の肥大化が進んでいて、「効率を上げる目的で、それを測定・精査するための不必要な作業」が増え続けている。それで現場が余計に仕事が増えて苦しんでいるという、本末転倒が起きている。

本当はそういうことじゃないでしょう。

若い人が「死ね、クソ」と思っているおっさん世代は実際にじきに死ぬから。だから、あとの世代は、働くの、もっと楽しいよ。せめて自分たちがゆくゆくそういうおっさんにならないように気を引き締めて生きていこうではないか。

さっき、全自動運転の自動車は誰も買いたがらない、という話をしたが、男性の所謂草食化・絶食化だって、エロスがインターネットでいつでもタダで見られるようになったのと軌を一にするだろう。止められはしないけど、便利すぎるのはダメなのだ。疑似体験はできても本物じゃない。

人が多すぎて、オンナなんかいくらでもいるから、「家帰って、Xvideos観ればいいや」と思っているのかもしれないが、これがもっと少なくなってみなさい。極端なこというと、日本人が三十八人くらいになってみなさいさ。ひとクラス分ですわ。

そうなれば、DNAが勝手に種の保存に対して危機感を持って、何か緊急事態宣言的なものを発動させるかもしれない。

「このオンナは、他の誰でもない、オレが抱かなくてはいけない!」

「このコだ。このコなんだ! このコでなければ一生愛なんていらない!」

「このヒトにはオレしかいないんだ!(残り男子たった十七人だけどっ)」 というある種の集団催眠のような狂奔。殺し合ってでもクラスのマドンナちゃんを抱くと思うけどね。マドンナちゃんでなくてもそれなりに抱いちゃうと思うけどね。

これくらいの切実感に溢れた勘違いをしないと恋愛もセックスもできませんからね。僕なんかそれくらいの切実感持ってたけど、大した恋愛もセックスもしてきてないからな。ナメんなよ。

そうでもしないと、仲尾さん(仮名)みたいなただでさえ遺伝子まで筋肉でできているような人にみんな持って行かれてしまいますから(※仲尾さんはあちこちでそっくりな子供を作っているわけではありません)。

まぁ、これから産業転換の過渡期に入って、もう少し「ジャパン大丈夫か?」という危機感が共有されれば、なおさら日本が自滅することはないのではないかなぁ。

江戸期にも飢饉による人口減によって、農業の改善に拍車がかかって効率が上がり、余暇ができたことにより、むしろ文化が発展したというし。

締切のある仕事をしてきた「似非クリエイター」、月末にならないとこれを書かない「自称コラムニスト」として、僕にはそこのあたりはよーくわかります。