月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「面接にはオールバックで行きなさい」

僕が就職活動をしていたのは二〇〇〇年の春で、氷河期と呼ばれる期間(一九九三~二〇〇五年)の中でも、有効求人倍率で見れば最悪の数値を叩き出した、超がつく氷河期であった。
そういう時節に難関といわれる企業に入社したのだからエラいだろう、と自慢したいわけではない。僕はまともな就職活動はしていないのだから。

入社試験を受けた企業は二社。業界一位の電通と三位のADKだけだ。二位の博報堂はぼーっとしているうちに〆切が過ぎていて受けられなかった。が、なんとなく「オレは博報堂っぽくはないな」と感じてはいたので、受ける気もなかったのかもしれない。

テレビ朝日エントリーシートを提出しに行ったような記憶もあるが、その後なんの音沙汰もなかったので、書類審査で落ちたのか、そもそも書類に不備があったのか、今となってはわからない。

とにかく面接までこぎつけたのは二社で、内定をもらったのは、そののちに入社した電通だけだった。

僕は面接には自信があった。経歴が異色で、話すべきネタがいくつかあったからだ。
アメリカの大学をひとつの単位も落とすことなく卒業して、法政の大学院で社会学を専攻しながら、早稲田のお笑いサークルで一応、大手芸能事務所が仕切る学生大会の決勝に残る程度の実績があった。

monthly-shota.hatenablog.com

面接にはスリーピースのダークスーツを着て、坊主頭でのぞんだ丸刈りにしたのは奇を衒ったわけではなく、その少し前に、親友である男に対して暴言を吐いてしまいお詫びの印だったのである。

彼とは当時同じバイトをしていて、よく話した共通の話題は進路についてだった。彼は頭脳明晰で、スポーツ万能で、しかもとにかくおもしろかった。こんなに人を笑わせられる人間がいるのか、というくらい昔からユーモアのセンスが抜群だった。

将来はどういう輝かしい道に進むのだろうと思っていたら、公務員になると言った。
若い僕は当時、公務員なんて夢のない、ただ安定だけを求めるつまらん仕事だと完全に見下していたのだった。彼のような人間的に魅力あふれる男に、つまらん道は選んでほしくない一心で、僕は公務員という立場を侮辱する言葉を並べ立てた。

ほとんど怒ったところを見たことがなかった彼が、突如、烈火のごとく怒った。
「俺の父親は公務員だ! だけど区役所を変えようと戦ってきた人で、出世もしなかったけど、そういう公務員だっているんだ。十把一絡げに馬鹿にするんじゃねえ!」

僕は何事も思い込みで断じる自分を恥じた。彼の志望先だけでなく、彼の父親を侮辱するようなかたちになってしまったのである。
あまり反省ということをしたことのない不遜な人間である僕であったが、彼の言葉は僕の胸を切り裂いて、背中から突き抜けた。切り口は鮮やかすぎて、血も出なかった。

だから僕は素直に謝った。「ごめん。言いすぎたと思う」

バイトが休憩時間になると、僕は近くの床屋さんに飛び込んで、頭を丸めた。

 ちなみに、僕の親友は消防隊員という公務員になり、いまは特別救助隊員(レスキュー隊)の教官をやっている。

丸坊主になって戻った僕に、バイト先の上司は「あら、前田くんどうしたの?」と目を丸くしたが、僕は「気分転換です。へへへ」と笑ってごまかした。

家に帰ると、おかんは「あんた、その頭なによ。まるで少年院から出てきたみたいじゃない」と言って、珍しそうに坊主頭を撫でた。

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「面接もそれで行くの、あんた?」

面接のことなど、ちっとも考えていなかったのだ、僕は。
親友を傷つける言葉を吐いてしまったけど、何度も「ごめん」と謝るのは憚られ、ただ、坊主にすることで、この件は終わりにしてほしかったのだった。

ところが、企業に送った履歴書には、髪の毛がある頃の写真が貼ってあった。
ADKの一次面接に赴くと、スーツを着た二人組の社員さんはギョッとした。ひとりが、僕の顔と、手元の書類の写真を見比べて、
「ずいぶん変わりましたね……」
と言った。
僕は用意していた答えで淀みなく応じた。
「はい。パッケージは変わりましたが、中身はいっしょです」

一次面接はなんなくパスした。

二次が筆記試験だった。
広告会社の筆記試験なんて形式だけの、つまりなんらかの理由をこしらえて人を落とすための、常識問題なのだろうと高をくくっていたら、そうではなかった。その年のADKの筆記テストはマジだった。
その前年に、旭通信社と第一企画が合併してアサツーディ・ケイとなり、業界第三位に躍り出たADKは、業界内外からの期待も高かったし、それに応えるべく本気でいい人材を獲得しようとしていた。それがひしひしと伝わってくるような試験だった。

だいたい、広告会社を志望するようないい加減な学生に
「経済紙でよく見かける『ベア』という言葉は、何の略ですか?」
などという問いを出してどうする、と思うのだ。
経済紙など読んだことがなかったボンクラには答えようがない。まず前提がおかしいと考えた僕は、このように回答した。

「見かけない」

ADKには二次試験であえなく不採用となった。悔いはなかった。

電通の試験についてはなにも小細工はしていない。誰からの「推薦状」もないし、面接では質問に対しまっすぐ答えただけだし、なるべく相手の目を見てはっきり話しただけだ。

入社して何年かすると、今度は僕が面接官をすることになったし、OB訪問の学生とも何人もお話しした。
アメリカで大学を出て、法政の大学院は中退になっている僕には、OB訪問してくるような人は本来いないのだが、たまに先輩から「君の方が学生と年も近いから話も合うやろ。会うたってくれへんか」と、役割が回ってくるのだ。

余談になるが、最近いくつかの企業で、OB訪問の女学生が社員に性的暴行を受けた事件が報じられていたのを読んで心が痛む。モテないやつというのは、あらゆる手段を使って、一度でも多く、一人でも多くを相手に、セックスをしようとする。
立場を使って、カネを使って、権力を使って、酒を使って、策謀を使って、暴力を使って。

四〇代も半ばにさしかかれば、学生なんてほとんど子供であることがわかる。子供にあれこれ言っても正しい対応は難しいと思うので、助言や諫言めいたことはほかに譲るが、この「あらゆる手段を使って」という点は強調しすぎることはないと思う。

 

閑話休題。OB訪問してきた男子学生に、僕からいつも伝えるのはこういうことだ。

「面接にはオールバックで行きなさい」

自分が一番いいと思うスーツを着て、一番カッコいいオールバックにして、自分のことを堂々と話してくる、これ以外に小賢しい「今日から実践! 就職面接に勝つ10の方法」とか読んでももう遅いんだよ。
おじさんたちは小賢しい若者が一番嫌いなんだよ。なぜなら、やがて自分を追い落とす存在になるから潜在的脅威なのだよ。

この前も学生さんと僕の店であるスナワチでお話ししていて、僕はおもむろに
「なんで君はマッシュルームカットしてるんだい?」
と訊いた。
本人はマッシュルームカットにしていたつもりはなかったみたいなのだが、君がマッシュルームカットかどうかはこちらが決めることなので、君はまちがいなくマッシュルームカットだったのである。そうでないと、世の中にハゲた人はいないことになる。

いや、普段どんな髪型にしようと人の勝手である。しかし、スーツを着る時にはオールバックにするものなのである。せめて額は出そう。

試しに”men in suits”で画像検索してみればわかる。
このことについては過去にも書いたけど、それはワンセットなのだ。

そして、オールバックにすることにはそれなりの意味もあり、自分の顔をよく見てもらえることになる。面接というのは自分のことを見せて、お話しして、お伝えしに行く場だ。そのために履歴書があって、これまでの経験や意見を開陳するのである。その時に顔を隠していたら、チグハグな印象を与えるだけではないか。
恋愛と同じで、自分を開示せずになにかを与えられることはないのだ。

いまどきオールバックにして来る就活生なんていないって?
だからやるんだよ! 

僕は若者に言いたい。なんだよ、リクルートスーツって。そんなもの世界のどこにもないぞ。勝手に日本人がでっち上げたもので、そんなものを着なくてはいけないルールはない。

群れの中からどのように目立つのか、その方法を考えなくてはいけない。もちろん、面接で足を組んでタメ口でしゃべったら目立つだろう。でも落とされることくらいはわかるだろう。

では、どうやったら好ましく目立てるのか。手はじめにオールバックしかあるまい。
それ以外に、君にもオレにも、すぐに目立てる能力などないのだ。

オールバックというのは、(ハゲさらばえる前に)男がたどり着けるひとつの到達点だ。そこはかとないインテリジェンスが感じられて、最低限の接遇は提供したくなるディグニティーが醸し出されて、トラディショナルでオーセンティックな思想を持つまともな男に見えるものだ。

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わけもなく偉人感が出る


これだけ語ればきっとわかってもらえるだろう。

それでは、就職活動中の学生諸君の健闘を祈ります。
「前田さんの言った通り、オールバックにしていったら内定もらえました!」という報告をお待ちいたします。

「オールバックにしていったのに落ちました!」という場合には、
「それはオールバックのせいじゃねえだろう」
と返します。

 

P.S. 整髪料はクールグリースがおすすめです。

「カウボーイは、よく眠る」

英語で、テントやタープ(屋根として張る布)を使わずに野宿することを「カウボーイ・キャンピング」という。

十九世紀の後半、アメリカで大陸横断鉄道が東部から西部へと敷設されていくと、肉牛を流通させるために、カウボーイたちは牛の大群を馬で追って、歩かせて歩かせて、鉄道の駅がある町まで運んだ。

何百マイルも移動させるためには、数ヶ月間そうやって荒野の旅を続けなくてはいけない。現在のようにあちこちにモーテルはないし、今でもアメリカには町に行き当たらない広漠とした土地がいくらでもある。

こうした牛追いは「キャトル・ドライブ」と呼ばれ、自由でワイルドで、過酷な生活だった。

寝る時は、ベッドロールという、キャンバス地に毛布の裏地がついた、つまりは寝袋にくるまって地面で横になった。脱いだジーンズをくるくる巻いて枕にし、風が立てる小さな物音と、近くで休む馬の息遣いを聞く。仲間のいびきもあったろう。
満天の星以外はなにも視界になく、夜空に落っこちていくような心許なさを感じたかもしれない。

アウトドアを愛好する人ならわかるだろうが、雨や寒さの問題は当然として、日本でそれをやろうとすると、朝起きた時には朝露でびしょ濡れになってしまうだろう。

テキサスやニューメキシコといった、乾いた土地ならではの方法だと思う。

私も一度だけ、カウボーイ・キャンピングをしたことがある。
拙著『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』(旅と思索社)の第1章を参照いただきたいが、その日は、ジェイク一家と馬で小一時間も移動して、夜にはウィスキーをしこたま飲んだから、思ったより苦もなく眠りに落ちることができた。

朝、目覚めた時には、周囲には牛の群れがそばの池に水を飲むためにやって来ていて、ビビったものだ。

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私は会社員をしていた頃は、夜なかなか寝付けない体質だったため、さまざまな方法を試した。ベッドタイムにメラトニンというサプリや、睡眠補助薬を服用したし、酒を飲んでみたり、ストレッチをしてみたり……。
眠れなくて、寝返りを繰り返して、うつ伏せになったり、また仰向けに戻ったりして、それでも眠れなくて、時計だけが着実に3時を指し、4時を指す、あの辛さといったらない。疲れていないわけではないのに、なんで眠れないのか、自分を呪う気持ちばかりが募る。

会社を辞めて、40才を目前にして無職になり、カナダの牧場でカウボーイをしていた時は、夜は10時から11時の間にベッドに入り、朝は6時半に起きた。
たっぷり8時間眠ったし、だいたい即座に眠れた。

広告会社での仕事とは、頭の使い方が全然ちがった。
机で唸るような時間や、会議でイライラするようなことや、パソコンを前にため息をつくようなことは、(少なくとも牧場主ではない)カウボーイの仕事ではまったくなかった(ジェイクは昨年に牧場主を亡くしてから、事務仕事もしなくてはならず、ストレスが増えたと吐露する)。
ただ、いかに効率よく、失敗することなく、できれば美しく、その日の仕事をやり終えるかは常に考えていた。知らないことや、できないことばかりで、自分が無能に思える夜が何度もあった。

体については、これまでは「使う」といううちに入らなかったと思えるくらい、よく使った。一日中牧草地でトラクターを運転する日もあったが、それにしたってボコボコの地面でお尻が跳ねるような運転席でバランスをとったり、後部に取り付けたマシーンがちゃんと作動しているか確認するために、首と体をよじって何十回も振り返ったり、結構体力を使うのである。

その他、重たいものをいくつも運んだり、牛糞まみれの場所を歩いたり、小川を飛び越えてまた歩いたり、馬に乗ったり、書くだけなら楽しそうなひとつひとつの行動が、ただのサラリーマン経験しかない都会の軟弱な男にはキツかった。

私が寝泊まりしていた部屋は、牧場主の家屋の地下にある客室で、隣りに洗面所もシャワー室もあった。
一日の仕事を終えて、手を洗いに行って鏡を見ると、日焼けと土埃で赤黒くなった自分の顔がある。夕食後にシャワーを浴びて汚れを落とし、ちょっとだけウィスキーを飲む。そして日記を書く。

牧場主のハーブは、あくびをして閨房に引っ込む。私は地下室に降りて、腕立て伏せをしてから、歯磨きをして、ベッドで少しだけ本を読む。
あとは夢も見ずに深く、深く眠る。

陳腐な表現しか出てこないが、「人間というのは、本来こうして生きてきたのではないか」という感慨があった。

食べて、動いて、眠る。
よく働くために、よく食べて、また働くために、よく眠る。

なお、ハーブは午前の仕事のあと、昼食を食べてから、カウチに寝そべって午睡をとる。

20キロほど南へ行ったところにある牧場で働く、日本人カウボーイのジェイクも、昼食後は同じようにしていた。
お互いは、牧場の中で日々どのように働いているかを知らないから、ジェイクは僕の話を聞いてはじめて「ハーブもそうなんや」と知ったらしい。

 

“Each night, when I go to sleep, I die. And the next morning, when I wake up, I am reborn.”
(毎晩、眠りにつく時、私は死ぬ。そして、翌朝目覚める時、私は生まれ変わる)
こう言ったのはマハトマ・ガンディーだが、毎日懸命に働く者にしか言えない言葉かもしれない。
そして、死を意識しないところに、本当の生はないのだろう。

ところで、いまの私はといえば、毎晩ベッドに入ってすぐに眠れる。
たいして働いているわけではないので、人として恥ずかしいくらいに……。

 

(了)

このコラムは、ジェイク糸川監修、前田将多著でnote.muに載せている『カウボーイの独り言』という有料連載コラムの第5回を転載したものです。
ワンコインで今後も含め全コラムがお読みになれますので、もしよろしければどうぞ:

note.mu

「誰もしたくない隣国のハナシ」

その方は、共同通信社から社費留学でフランスの大学に在籍して語学を身につけ、その後パリ支局長を務めて、新聞社に移籍。記者活動を通じて、日本のピューリッツァー賞ともいえるボーン・上田記念国際記者賞を受賞し、パリ在住二十年以上の実績を評価されて日本記者クラブ賞、菊池寛賞も受賞。フランスに関する多くの著作があり、現在でも現地に住み旺盛な言論活動をしている。

そういうジャーナリストが、テレビで「フランス人の交渉術」として、
「強い言葉で相手を威圧する」
「周囲にアピールして理解者を増やす」
「論点ずらして優位につく」
と論じた。……と仮定しよう。

これは、「差別的だ!」「ヘイトだ!」と、日本国内で問題になるだろうか。

なるまい。

お気づきのように、これはフランスを韓国に置き替えたら、まるっきり一月二十四日にフジテレビ『プライムニュースイブニング』で放送された、産経新聞黒田勝弘論説委員にまつわる一件のことである。

headlines.yahoo.co.jp

ためしに、「フランス人 交渉術」で調べれば、「とことん話し合う、交渉する、主張する(中略)、めんどくさい人達」、「自分たちが世界の中心だと考えている」と書いてある。

アメリカ人なら「『朝令暮改』がアメリカ人のスタイル」、ロシア人なら「多少のルールは破ってもいいと考えている」、「恐ろしく疑い深い」など、それぞれに不名誉なステレオタイプが記載されている。ふむ……。

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しかも、韓国人について言えば、上記の三つの指摘は過去の事案でもって例示できる。
「強い言葉で相手を威圧」したナッツ姫というのがいたし、朴槿恵前大統領は「加害者と被害者の立場は千年たっても変わらない」と宣したし、「周囲にアピール」して慰安婦像を世界のあちこちに建てたし、「論点をずら」すことにより、韓国人サッカー選手が日本人に向かって猿のマネをしたことが、なぜか旭日旗を日本の朝鮮支配の象徴であると断じるという、よくわからない方向に飛躍したことがあった。

ここ最近、立てつづけに外交問題が勃発している:
韓国が、主宰する国際観艦式で、日本の自衛隊護衛艦旭日旗を掲げるのをやめさせるために、「自国旗と韓国旗のみ掲揚するよう」各国に通達し、自衛隊は参加を取りやめ、参加国はどこも従わなかった。

いわゆる元徴用工訴訟で、韓国の大法院(最高裁)が、一九六五年に結ばれた日韓基本条約を無視して日本企業に賠償判決。

自衛隊のP-1機への韓国軍によるレーダー照射問題。
それにつづく、自衛隊機が威嚇飛行したとの主張、
など、次から次に問題が起きるのだが、その都度、なぜか日本人の中に韓国を一方的に擁護する人たちがわらわらと現れ、日本人が韓国の所業を批判すると「ネトウヨ!」「ヘイト!」などと糾弾される。

法と事実に照らし合わせば、今のところ日本が間違っているとは、僕には思えないのだが、それを公に言うことは憚られる雰囲気がこの国にはある。それによって、感情のコントロール能力がアレな人たちは、匿名で、口汚く、執拗に韓国および朝鮮人を罵ることになり、いわゆるネトウヨができ上がる。そして、彼らと一緒クタにされるのが怖いから、正当な言い分であっても人は口をつぐむ。

韓国を批判する際には、必ず「私には韓国人の友人もいるが」と予め断ってから述べる必要があるし、酒場で話すにしても「この中に在日朝鮮人の人がいたらゴメンやけど」とはじめに謝っておくことになる。アメリカ人の血が入っている人だってふつうにいるかもしれないし、配偶者がドイツ人の人もいるだろうに、韓国・北朝鮮にだけはやたらと気を使う。

フランスよりもずっとめんどくさいでしょうよ、韓国の方が。

 

韓国を無条件に擁護して、人権派キドリなのか、リベラル派を自認しているのかわからないが、そういう人こそが韓国を蔑視する意識があることを知った方がいい。そうでないなら、韓国以外のフランスやアメリカやロシアについても、なにかあるたびに毎回「ヘイト!」「ネトウヨ!」と騒ぎ立てなくてはなるまい。ヘイトって、いつからそんなに軽く、守備範囲が広くなったのだ。

歴史上のすべてがとは言わない。国民のすべてがとは言わない。しかし、いま両国間で起きている数々の問題について言うなら、韓国に理はない。

国際的な約束を守っていない(旭日旗は現在も正式な自衛隊の旗で、国際的に日本の象徴とも認識されている。日本支配時代を想起させると言うなら、日本国自体が存続しているのであり、日本そのものを否定しなくてはならなくなる。それこそ人権侵害だ)。
法と国家間の合意に基づいた主張をしていない(賠償問題は、日韓合意で完全かつ最終的に解決している)。
責任を求める対象がちがう(よって、元徴用工と称する人たちへの賠償を正当とするなら、韓国政府がそれをするべき)。
証拠が薄弱。事実が確認できない(あの自衛隊機の画像では証拠にならない)。

 

こういうことを書くと、どういう批判が来るかもわかっている。
「在日の人の気持ちも考えろ」
考えているからこそ、書くのだ。こんな理不尽ばかりを押し通そうとする国の人だと思われるのは、彼らも心外だろう。

(例にならって書くが)僕には、過去に在日韓国人の恋人もいた。現在の問題についてどう思っているかわからないし、少なくとも僕のことは完全に忘れているだろうけど、彼女は日本国籍でないことを「これまで、あなたにしか話したことはないけど」と打ち明けた。彼女にそうさせること自体がおかしいじゃないか。
過去に日本人が差別をしてきたからなのだろうが、それについては我が国にもバカが多くてすみません、としか言いようがない。

「俺の祖父はブラジル人なんだ」と同じ調子で「わたしのルーツは朝鮮半島だよ」と言える世の中にならなくては健全とはいえない。これから好むと好まざるにかかわらず(個人的には安易な人口増加策としての移民は反対だが)、外国人居住者は増えていくわけである。

奇しくも、大坂なおみ選手が、テニスの全豪オープンで優勝し、全米オープンからの連覇を達成したという、めでたいニュースが数日前にあった。彼女は、ハイチ系日本人で、アメリカ育ち。こういうことが当たり前になっていく。

世界の国々を歩いてみれば、純血なんて、数代前の先祖までしか辿れないから根拠もないし、なんの意味もないことがわかる。

以下は「ドイツ人は嫌いだ」というイギリス人男性がDNA検査をした結果のドキュメンタリー映像だ:

www.youtube.com

韓国人、北朝鮮人だけが「話題にしない方がいい人たち」であり続けていいはずがない。
いいことはいい、悪いことは悪い、それだけだろう。

繰り返すが、「かわいそうな韓国」と見下す人たちこそが、異常な擁護姿勢を見せる。もしくは現政権への批判に利用する。

 

筑波大学大学院に古田博司教授という方がいて、大学院生としてソウル大学に留学した経験がある。筑波大で博士号を取得したのち韓国に暮らし、帰国して韓国社会や朝鮮史の学者になった。サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞受賞。日韓で統一した歴史見解を模索した試みである日韓歴史共同研究委員として折衝にあたり、前出の黒田勝弘氏同様、韓国に関する著書多数。

この、韓国を知悉した古田博司教授が、いま、韓国についてはこのように説いている。

「教えず、助けず、かかわらず」

 

千年たっても変わらないのは、「この二国は対等な国同士である」となることを願うばかりだ。
対等だからこそ言うべきは言う必要があるし、ウソやごまかしには徹底抗戦しなくてはならない。

リスペクトを払わないのなら、古田教授の教えに従って、日本は新潟から鳥取あたりまでの海に、びっしり高性能モーターを取り付けて、島ごとハワイの方へ逃げたるぞ。
そうできないものだろうか……。

「きみはなにを考えて仕事しているのか」

年末だから、よし、今年あった楽しかったことを振り返ってみよう。悲しかったことは忘れてしまおう。

今年といってもつい先日の話だが、銀座の広告デザイン会社代表をされている上田豪さんと、僕の電通時代の先輩で「青年失業家」である田中延泰さんと、神田のヒマナイヌスタジオからトーク番組を配信させてもらった。

前回の月刊ショータ2018年11月号『テレビって、いる?』の中で、僕は「ふつうのトーク番組が観たい。人と人が、あたかもラジオのように、なんのヒネリもなく話す番組」と書いた。

それを三人でやってみたのである。

二時間の配信だったが、思いの外多くの方々が観てくれて、たくさんの質問もちょうだいした。YouTube版は、アーカイブとしていつでも視聴することもできるので、お時間が許す方は是非どうぞ:
「僕たちはなにを考えて仕事しているのか」

www.youtube.com

なんちゅういい笑顔をするんだ、ひろのぶさんはwww

その中で上田豪さんが
「ふたりに訊いてみたかったことがあってさ」
と切り出して、「大きな会社を辞めて、ひとりでやり出してからの心境の変化」について尋ねてこられたシーンがある(20:43~)。
「たとえば、日々、会社にいたらこうだったけど、ひとりでやってみるとこういうところはいいよな、というところもあるし、こういうところは会社にいた方がよかったな、とかあるじゃないですか」

会社員を辞めて、四半世紀近くが経ち、フリーの立場を経て、デザイン会社の経営者兼プレイヤーをされている豪さんからのご質問に対して、僕はふたつコメントをした。

「『あぁ、オレって本当に人から指図されるのが嫌いだったんだな』ってことがわかりました」

もうひとつは、
「サラリーマンでいた時に思っていたことが、自分の立場が変わると、まったく考え方が変わりますね。サラリーマンとして広告業界とか電通とかにいろいろ言いたいこともあって、『広告業界という無法地帯へ』という本も書きましたけど、また経営者になると意見がちがったりするんですよね」
「会社員というのはどこまでいっても使われてる人間で。だけど会社に入って何年かたつとそういうことって忘れてしまうから(中略)いつの間にか『この会社は、もしくはこの部署は、俺がいるから成り立っている』という思い上がりをしはじめるわけですよ」

話したことを文字に直すとエラソーに聞こえるので補足説明をすると、僕は決してあの本に書いたことから変節したわけではない。

ただ、会社員としての目以外で、物事を見られるようになった。会社員としての、安定という心の平安も、人がつくったルールの下で働くストレスも、それ以上どこへも抜け出せないような行き詰まり感も知っている。
ひとりで働くようになって、自分の考えでいかようにも舵を切れる自由も、かと言って目的地にまっすぐたどり着けるわけでもない焦燥感も、これより先がわからない不安も身にしみている。

僕はスナワチというレザーストアを大阪に持ち、文筆業もやり、たまに広告系の仕事も依頼があればやる。そのいずれにも本業・副業という意識はない。なぜなら、僕の仕事は前田将多をやることだと考えているから。
だから、どこへ行っても仮面はかぶらないし、なるべく僕以外の人物を演じないように心がけている。

サラリーマンのストレスというのは、この点、意に反したことをしなくてはならなかったり、逆に、よかれと思ってやろうとしたことを止められたり、好きでもない人のためにニコニコしたり、愛情もない人の出世や組織の発展のために自分の人生の一部を切り取って捧げなくてはならないことにあるのではないか。

そう思うなら辞めていいと思うんだけど、会社を移ったところでそのあたりは似たり寄ったりだぞ。人に使われるというのは、「人手が足りない」という表現からもわかる通り、原則的には、きみの心や頭がほしいのではなくて、手とか足とかの部分を対価と引き換えに渡すことだから……。

田中泰延さんは「会社っていうのは誰かが野望を抱いて起業したもので、お前にも少しお金を分けてやるから俺の野望を手伝えよ、って誘われてちょこっと手伝う、ていうのが会社員の本質ですよね。みんな、そこに気付いてないから、会社に入るとしんどくなっちゃうのでは」と言っている。
この記事は必読です。
「仕事のやりがいって、ホントに存在するの? 青年失業家・田中泰延のはたらく論」

ten-navi.com

なんでこんな、働く人の気が滅入るような話をわざわざ書くかというと、なぜかスナワチには悩み相談室のように、なにか僕に尋ねたいことがあってやって来る人がままあるからだ。

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元々入りにくいスナワチが、僕が目をケガしたことにより最も入りにくくなった日の一枚

確かに、店をつくる時に、建築家には「イメージは探偵事務所です」とお伝えしたが、本当に依頼人が来るとは思ってないじゃん。しかし、依頼人は自分の立場というものをまず客観的に見つめる必要がある。
中には精神バランスを崩して休職中の人とやりとりをすることもあったりして、僕は「オレは医者じゃねえからな」とはじめに断ってから、結論的には「大丈夫だから心配すんな」といった愚にもつかない回答を差し出す。でも、本当にこれしかないんだから。
実際はちがうかもしれないけど、「(会社を辞めても)大丈夫」「(生きていれば)なんとかなる」と念じるしかないような状況というのは、僕自身も経験してきたことだから。

人の話を聞く過程においては、デイル・カーネギー『人を動かす』という名著に書いてあったことをそのまま実践するだけだ。
「聞き手にまわる」とか「誤りを指摘しない」とか「人の身になる」とか、当たり前なんだけど簡単にはなかなかできないことを、できる限りやるだけだ。
この本には重要なことが書いてあって「人間の持つ最も根強い衝動は、”重要人物たらんとする欲求“だ」とある。あなたは人として重要である、と思われたいし、自分としても自尊心を持ちたいということ。これが叶えられないと人は動かないし、動きたがらない。

であるならば、この重要感が保てないと考えるなら、その会社は辞めた方がいいのではないか、というのがひとつの基準になる。そして、人の自尊心など屁ともとらえないような組織が日本に増えていることもおそらく事実だろう。

一寸の虫にも五分の魂というように、「“Shit job”(クソみてえな仕事)にもなにかしらの意味がある」と思いたいものだが、どうなんだろう。つまらない繰り返しの仕事でも意味があると思えるのなら、やるしかない。

僕は店をやりながら、時折ふたつの言葉を思い出す。ひとつは古い記憶だ。
僕が十八才で西新宿の居酒屋でバイトをしていた時にヒマな晩があり、江戸っ子の親方がこう言った。
「ショーちゃん、商いってのはよ、『あきない』ことだからよ、飽きちゃあいけねえんだよ」

僕はお客さんが来ない日にこれを思い出す。           

もうひとつは最近読んだ本の中で、糸井重里さんが言っていたことだ。
「ぼくらは農業のように、毎日続けていくことを大事にしています」(聞き手・川島蓉子、語り手・糸井重里『すいません、ほぼ日の経営。』日経BP社)

僕は、毎朝フロアに掃除機をかけることが面倒くさく感じる時にこれを思い出すことにしている。

 

さて、二〇一八年は、僕にとっては(毎年のように)楽しい一年でした。新年も皆さんにとって素晴らしい一年となりますように……。

「テレビって、いる?」

僕がカナダの牧場でカウボーイをしていた頃、アメリカのケンタッキー州から遊びに来ていたニールというおじさんがいた。彼は企業の工場を設計・建設する会社を経営していて、大金持ちだった。
「今度、わたしのうちに遊びに来なさい」
と言うので、僕はカウボーイ滞在を終えて、アメリカへ取材旅行に出る前に、本当に訪ねてみた。

門からドライブウェイを走って、やっと家屋が見えてくる、映画に出てくるようなお屋敷だった。大きな池の前にある大邸宅は、彼の趣味で埋め尽くされているような観があった。

暖炉があって、バーカウンターの奥には数々のバーボンボトルが並び、壁にはハンティングで仕留めた鹿の頭が飾ってあり、床には熊の毛皮。フライフィッシングの毛針を自作するための部屋があり、地下室には数々の釣竿と、ボウガンやライフルが陳列されていて、南アフリカで釣ったという大魚のはく製があった。

道路を渡って、少し丘を上がった別邸(彼の敷地内だ)は、自身の手によって建築中で、当時はまだ骨組みだけができている状態だった。
「何年もかけて少しずつ完成させる。そうしたら、趣味のモノをすべてここへ移すんだ」
と、すでに六十を越えたニールは言ったが、「一体いくつまで生きるつもりなんだ(笑)」と、僕は苦笑いしたくなる思いだった。
経営する会社の仕事をバリバリやって、アフターファイブないし週末には釣りやハンティングを散々やって、別邸の工事を独力で進め、休暇には二千キロ以上を運転してカナダまで行く。「なんてエネルギーにあふれた人なんだ」と感心する僕に、彼が言った言葉をよく覚えている。

「わたしは、テレビは観ない」

それだけのことを成すには、テレビなんか見ていてはダメなんだろうなー、と僕は漠然と思ったが、その一言はやけに鮮明に心に残っている。

僕個人はいまでもテレビは観るのだが、その時間は確実に減ったし、観てもNHK BSかケーブルテレビがほとんどだ。民放の番組を観ることはおよそなくなってしまった。

前回のコラム『新聞って、いる?』に続いて、「テレビって、いる?」を考えてみたいのだが、基本的にはいらないのである……。いきなり結論を書いてしまった。

あんまり観ていないとはいえ、朝テレビを点けると、情報番組をやっている。「あ、こんなん観てたらバカになる」とすぐにわかる。いや、視聴者はバカという前提で作られているのがわかるためイライラするというのが正確な表現か。

常に明るく楽しくなくてはいけないという様式が、もはや強迫観念となって制作者の頭の中に巣食っているように思われてならない。それがしんどい。人間、いつもいつも明るく楽しい気持ちでいたいわけではないのだ。
もっと淡々とできないのだろうか、と僕などは思ってしまい、つい穏やかなNHK BSに移ってしまう。

番組の時間帯にかかわらず、CMをまたぐクイズの出題も、大げさに驚く芸能人のワイプも、タレントのキャスターやコメンテイターの当たり障りのない発言も、芸能人がお金をもらって遊んでさらに賞金をもらう様も、一度売れた人を使い尽くすまで出し続けるのも、テレビの人が考える手法や演出のすべてが、僕には合わない。

なにをするわけでもない、タレントという日本独特の人たちの存在は不可解だ。
ほぼズームイン朝(古いw)のスタジオのうしろでピースする人や、アマタツの横でテレビに映ろうとする人に毛が生えたくらいの存在ではないか。

9時ぴったりではなくて、8時54分に番組が始まるとか、前の番組と次の番組がつなげてあるとか、そういう施策はすべてアメリカのテレビ局の番組作りから取り入れられたものなのに、肝心な中身の質がついてこないのは、予算規模の問題と片付けていいわけはないだろう。

僕が年を取ってしまったのだろうか、と思うけどそうではなくて(いや、年を取ったことは認めるが)、本当に年を取った人たちはテレビを観ているようだ。

業界の人に訊いてみたところ、興味深いことを耳にした。
テレビ業界といえば視聴率至上主義なのかと思いきや、
「ここ最近認識が変わりつつあり『いくら世帯視聴率を取っても意味がない!』という考えがようやく徐々にですが浸透しつつあります」
という。

世帯視聴率というのは、一家にあるテレビがどの番組を映しているか、という本来は大雑把な指標なのだが、個人に分解してみると結局のところ「F3、M3層」、つまり五十代以上のおっちゃんおばちゃんと、おじいちゃんおばあちゃんが多く観ているということになる。
よって、「数字取ってるのにCM枠が売れないという悲惨な状況」が顕在化しつつある、というのである。

広告の仕組みに馴染みがうすい人にわかりやすく説明すると、そういう枠で流されるのは、健康食品や保険系やハズキルーペなどということになる。大スポンサーである自動車や化粧品やIT系や通信サービスの企業にCM枠がなかなか売れないということだ。

興味深いことに、視聴率は(以前ほど)取れていなくても、若年層をターゲットにした一部のトガッたバラエティー番組の枠は、売出し即完売するそうだ。

つまり、テレビが家族みんなで観るものでなくなって久しいが、ますます「テレビのラジオ化」「雑誌化」(クラスター化)が進んでいるのではないだろうか。広い視聴を狙うより、狭くても深いつながり、そのジャンルやその番組しか観ない熱心なファンをつかむことの方に生き残りの策があるようにも思える。

前出のニールのような「わたしは、テレビは観ない」と言う人に、「あ、でも、これだけは観る」と言わせる番組がそれぞれの人にあるという状況。この顧客との関係を、ネットやリアルで縦に横に広げる。テレビ業界人というのは頭脳とエネルギーの集団(半分本気で半分皮肉)だから、既にやってるのかもしらんけど。

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いる?

かつても、そして今でも辛うじて、最強の影響力を持ったメディアの王であり、エンタメの枢要であるはずのテレビ局であるが、さまざまな社会的圧力や自主規制により、いまやインターネット番組の方が過激な表現や豪華な仕掛けができたり、そのパワーバランスは変容しようとしている。それもラジオ化・雑誌化の一面だろう。

僕個人としては、ふつうのトーク番組が見たい。人と人が、あたかもラジオのように、なんのヒネリもなく話す番組。定型のコーナーも、お飾りのアシスタントもなく、ただ酒でも飲んで話す番組。
懐古趣味で申し訳ないけど、村上龍の『Ryu’s Bar 気ままにいい夜』や『たかじんnoばぁ~』みたいに、まぁバーばっかでアホみたいだけど、ただ話す。淡々と話す。時に大笑いも起きるが、笑いだけが目的ではない。

二〇一七年に終了したサンテレビの『カツヤマサヒコSHOW』は、関西在住の僕でもテレビ視聴できないくらいのドローカル番組だったのだが、ゲストが絶妙で、PCで一度観てしまうと結構引き込まれるものがあった。勝谷氏個人の、センスと知的好奇心の賜物だ。

作家とか学者とかミュージシャンとか、いわゆる芸能界と関係のうすい、中でもちゃんとした言葉を持つ人を招いて、時には沈黙も、当惑も、不穏も、口論もありで放送する。そういう作り物でない「本当のこと」ならネットでも拡散するだろう。

本やアルバムの宣伝は少し入ってもいい。それがないと「ちゃんとした言葉を持つ人たち」は少額のギャラでは出演してくれない。顔と名前を出して自分の言葉で話すということにはリスクが伴うからだ。

だけど、宣伝したいことがある芸能人ばかりの出演はいったんナシで、そういったもう世間にバレバレなテレビ局と芸能事務所のバーターは興醒めなので排除。『情熱大陸』みたいになっちゃうから。まぁ僕も、水着姿見たさに菜々緒の回は観たけど反省してるよ。オレが間違ってたよ……。

さて、誰をこの番組のホストにしたらいいか、無関係なのに考えたくなるでしょう。
どうだろうか。
町にふつうの定食屋が少なくなったように、言葉を聞かせて、人間を見せる、ふつうの番組がなくなった。僕はそんなのが観たいけどな。

「新聞って、いる?」

先日、『働かざる者たち』(サレンダー橋本著・小学館)という漫画を読んだ。斜陽産業と言われて久しい新聞社の中にいる、さまざまなタイプの働かないおっさんたちを描いた哀しくて笑えるものだった。

僕は電通に勤めていた頃の何人かの顔を思い出したし、新聞社に限らず、サラリーマンなら誰でも、「うちにもいるいる、こういうおっさん」と思えるだろうから、人に勧めたくなる。

さて、ヨソさまの心配などしても仕方ないのだが、新聞というものをいったい誰が読んでいるのか不安になることがある。毎朝電車に乗ると、誰も新聞紙など広げていない。そもそも満員電車の時間帯に利用せざるをえない人たちは、そんなことは物理的に不可能だし、いや、比較的すいている時間であっても、みーんなスマホに目を落としているだけで、新聞を読んでいる人などほぼいない。

僕は新聞の熱心な読者であることを自負している。
電通時代には、先輩から、
「今朝、地下鉄でショータのこと見かけたけど、ものすごい真剣に新聞読んでたから、話しかけるのやめたわ」
と言われたくらい、読み込んでいる。

そんな一読者として、新聞に大きなお世話の提言をしたいと思う。

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ご存知の通り、新聞各社には論調というものがあって、朝日新聞毎日新聞はいわゆる「左系」で、現在でいえば安倍政権に対しては批判的な立場から報道をすることが多い。読売新聞と産経新聞はこれに対して「右系」と呼ぶことができ、たとえば憲法改正にも賛意を示している。

新聞の役割には、報道・意見・娯楽の三つがあり、中でも意見については各社、独自の個性をもって読者にアピールしようとはじまったものだと想像できる。しかし、僕にはこれが不思議なのである。新聞社も組織であるからには、いろいろな違う意見の人たちがいるはずだ。上層部や論説委員にだって、考えに差異はあるだろう。まさか入社試験で思想テストでも行なっているわけでもあるまいに。

なのに、なぜ朝日新聞は判でついたように朝日的主張をして、産経新聞は常に産経的論考を披露するのだろう。

僕は内部を知る知人に、それについて訊いてみたことがある。彼の答えはこうだった。
「空手の『型』みたいなものだよ。朝日ならこう、毎日ならこう、と、『こう書いときゃいいだろ』みたいに、それぞれが社風に従っているだけでは」

まぁ、記者もサラリーマンであるから、それはわからなくもない……。

古いものだが、ここに『体験的新聞論』(潮新書12・1967年)という本がある。昭和の「伝説的」新聞記者と言われた藤田信勝が書いたものだ。

彼は、“ニュース“というものは、“事実”の“コピー”であり、「事実のコピーが常に必ずしも真実を伝えるとは限らない」と論じた上で、「正確なコピーをつくるのは、できるだけ多くの面から一つの事実を切り取って考えてみることだと思う」と述べる。

「一つの事実を、かりに一つの円だと考えると、円そのもののコピーをつくることは、なかなか困難な仕事であっても、円に内接する多角形の数を増やすことによって円に近いものを描き出すことができる。AよりBのほうが、より円(事実)に近いといえよう」

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この著作から五〇年が経って、現在の新聞社が「より円に近いもの」を読者に提供できているかと言えば、疑わしいのではないか。

商売的に言えば、円ではなく、三角の方が「尖っている」だけ人には刺さりやすい。扇情的とまで言わなくても、誘導的な見出し、一面的な報道、感情的な言葉、プロがこれらを用いれば、人の心をとらえることは容易いだろう。

スマホとあらゆるものが、限られた時間を奪い合う高度な情報社会の中にあって、競争の原理によってそのようなトガッた意見が突き抜けやすいのは仕方ないとも思える。

しかし、それによって起こるのは分断である。

アメリカで起こることは数年遅れて必ず日本でも起こるものだが、分断について言えば、その兆候はすでにはじまっている。

ネットメディアに顕著だが、左系メディアと右系メディアがはっきりと分かれ、片方の視聴者や読者は、もう片方には見向きもしないものだ。朝日系列のHuffPostは左系ということになるので、僕がたまにブログをあげると「ハフポらしくもない」などという意見を目にすることがある。そんなことはどうでもいいじゃねえか。

そうやって、メディアが「型」通りの主張を載せつづけたり、決まりきった報道ばかりしていると、同じような顧客ばかりが集まってきて、集団が凝り固まってくる。
スマホで記事を読む人は、聞きたい意見ばかり選択的に読むから、ますます偏向していく。そういうサイクルで分断の溝は深く、広くなっていく。

自省を込めて書くが、偏向しているのはメディアばかりでなく、我々も同様なのだ。

新聞が目指すべきは、トガッた三角ではなく、円ではないかと思う。

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「オレは新聞など読まん!」

今、円を描くことを目指したメディアはほとんどない。

円だからといって、みんな仲良く、丸く収まるように話し合えと言っているのではない。
僕は、円の中での「穏やかで理性的なバトルロイヤル」は、充分に読者を惹きつける魅力があるのではないかと思っている。そう、右は右同士、左は左同士で、「そうだよね。そうだよね」と讃え合うのではなく、右と左が意見をちゃんと交わせば、これはおもしろいだろうと思う。
かつての『朝まで生テレビ』がそれを目指したのだろうが、結局、声のデカいものばかりが一方的に主張を押し通す、視聴に堪えない番組であった。それに輪をかけて醜いのが今のネットだ。

「武力ではなく対話」と言ってる連中が、対立意見を持つ人間と対話できないんだからなにをかいわんやだ。

そうじゃない。たとえば新聞社内で意見の分かれるグループがそれぞれ取材をして、違う視点から交互に特集記事を出し合うなり、ちゃんと両論併記で記事化するなりした方が、読んでいる方は知的娯楽として楽しめるということだ。
論説委員のご高説ではなく、普通の中堅社員がやったらいいと思う。政治家を含め、有名人のパフォーマンスはたくさんだ。

なんなら朝日新聞の人間と産経新聞の人間が一緒になって横断的にやったらいい。飲み屋では行なっているのだろうから、それをちゃんと紙面でやったらいいのだ。瀕死の新聞は一丸となってそれくらいやっていいではないか。

ひとつひとつのテーマに答えなんか出るはずはない。しかし、「答えなどない」ということを、一般の読者が理解しないと思考の停滞はつづく。
これを食べれば健康になる。これをすれば仕事ができるようになる。アベが辞めれば世の中よくなる。こういう考えを少なくとも子供に見せたくは、ないな。

僕自身の旗幟を鮮明にするならば、死刑には賛成だし、移民反対だし、日韓関係に未来などないと思っている。しかし、反対意見の、まともな人間となら話してみたいという好奇心はある。ヒステリックなのと、恫喝的、暴力的なのはかなわん。
意見だってなにがなんでも変えないという意思はない。

新聞がちゃんとこの世の複雑さと困難さを、ただの単純化ではなく、整理して見せてくれるなら読みたい。
その過程で、「この記者は鋭い」「この人の書き方は響く」というように、記者にスターが生まれていくことも想定できよう。そうやって、顔と名前が見えるかたちで個人を「スター」にしていった方が、社としてもいいように思う。なぜなら、少なくとも僕は、誰だかわからない新聞「社」の考えなど求めていないからだ。

まぁ、スターから辞めていっちゃうだろうから、そこはゴメンやけど。

前出の藤田信勝には『敗戦以後』という、一介の記者の目で戦争末期からの混沌とした時代を見つめた、日記をベースとした著作もある。その中で、まさに戦争に敗れた八月十五日に新聞記者としての身の振り方に悩んだ、次のような記述がある。
「しかし、いまわれわれ全部が新聞社を去ったらどうなるだろうか。国民は杖を失った盲人同然だろう」

これをもって現代の視点から批判するのは容易いが、新聞社に勤めるというのは当時、かほど傲慢にも近い特権的立場であった。今はそんな時代ではないものの、やはり記者クラブをはじめとして特権的地位にあることは間違いない。

僕は、記者クラブは措いて、誇り高い職業であってほしいと、敬意を込めて思う。
藤田信勝は僕の祖父でもあるしね。

普段カネを払って新聞を読んでいる僕が、なんで一日使ってこんなことを考えなくてはならないのかわからんのだが、個人的には新聞は社会に重要な仕事だと考えているので、社会の分断を憂えて、休日を使って書いた。

 

「今夜も悲しいきみへ」

今朝いきなり訃報が舞い込んできた。

カナダの牧場にいる日本人カウボーイ「ジェイク」から、「ステュがなくなった。おそらく心臓麻痺」というメッセージを受けた。
「ポッカリ穴があいた感じ」というジェイクに返せる言葉を探すには、しばらくの時間を要したのだが、僕は
「いいボスでした。冥福を祈ります」
と返信した。

ステュこと、ステュアート・モリソン氏は、八〇〇〇エイカーを誇るサスカチュワン州のギャッヴューランチの牧場主で、長身で声が大きく、体や声と同じくらい大らかな心を持つ男だった。僕が拙著『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』の取材でそこに滞在していた二〇一五年には、七十二才だった。だから今は七十五才か。

僕が牧場に着いて三日目くらいに「インタビューをさせてほしいので、今夜時間をください」とお願いすると、「いいよ」と快諾しながらも、あとでジェイクには「なにを訊かれるんだろう……」とやや緊張した様子を見せていたらしい。
結局、「あのインタビューだけどな、明日にしてくれないか」と一度延期したことを覚えている。その時の会話の内容は『カウボーイ・サマー』の第一章に載っている。

「写真を撮らせてほしい」
と尋ねると、
「いいよ。あ、ちょっと待ってね」
と、よっこいしょと立ち上がり、壁に掛けてあったハットを取ってきて、それをかぶった。一九八八年のカルガリー五輪の年に、ちょっと無理して買った高価なカウボーイハットだという。もう汚れて多少ヨレたものだったが、やはりカウボーイの正装は、カウボーイハットなのだと、僕はうれしく思ったものだ。

ジェイクからしたら、職場のボスだから、いろいろ不満も、時には面と向かって言いたいこともあったろう。
だけど、彼はステュのことを、心からリスペクトしていたし、感謝していた。

島根県出身で、大阪で働きながら、お金を貯めてはカナダに飛んで、ロデオに打ち込んでいたジェイクを、「弟子」のようにカウボーイとして雇い、当時入手したてだった広大な牧場を任せてくれたのは、ステュ本人だからだ。

ロデオ会場で出会った、英語もろくに話せないアジア人に対して、
「お前、今夜泊まるところあるのか?」
と声をかけ、寝床を提供するというのは、こうしてただ書くよりもずっと難しいことだと思う。
ただし、「ちょっと飲んで行こか」と立ち寄ったバーで酔っ払って、肝心のジェイクを置いて帰るという豪快なオチがあるのだが、この話はジェイクもステュも、いつも笑い話として話してくれた。

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ギャッヴューランチから、キングランチに移った僕は、あの夏、馬や犬といった動物たちにはよくモテた。特に、キングランチの牧場主、ハーブが飼うグーフィ―という大きくて黒いラブラドール・レトリバーは、よく僕にくっついてきた。

「人間のことが好きなんですね」と言った僕に、ハーブの妻、イーディスは、
「でもね、大きくてうるさい人は苦手みたいよ」
と教えてくれた。ステュのことらしかった。

ただカウボーイへの憧ればかりで、牧畜業のスキルなどなかったジェイクをいちから育て、ヴィザの手続きなどの面倒を見て、外国人の彼に信頼を置いて立場を与え、大きな声で溌剌と人付き合いをする彼は、Big hearted cowboyの見本のような男だったと思う。

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二年後、本を持って僕が牧場を再訪した時、高齢のステュは脚を悪くしたようで、ギクシャクとロボットのようにぎこちなく歩くようになっていた。

生前には、ジェイクの娘たちの学費を援助することや、牧場の管理を今後もジェイクに任せることを約束していたそうなので、グランパ(おじいちゃん)との突然の別れに、娘たちやジェイクの悲しみを思うと、心が痛む。

 

生きていると、喜びは長続きしないのに、悲しみは心を押し潰さんばかりの勢いで襲ってくることがあるだろう。あたかも、うれしかったことが、悲しいことに上書きされていくのが人生であるかのような錯覚すら覚えることがある。

人はいつか死ぬし、物はいつか壊れるし、恋は終わるし、カネはなくなる。

悲しみというのは、〈乖離〉のことだ。

つまり「離れている」状態のこと。
愛する人と、死によって会えなくなること。
好きだった人と、心が離れてしまうこと。
みんながもう、集まれないこと。
夢見た場所に、行けないこと。
ほしいものが、手に入らないこと。
なりたかった自分に、なれないこと。
そうあるはずだった人生を、生きられないこと。
過去のあの時に、戻れないこと。

これらはすべて、物理的、心理的、両方を含めて距離が離れていることだ。
それが悲しみの正体なんだ。

僕はこれに気付いてから、悲しいことを不必要にひどく悲しむことはなくなった。
いや、悲しいことはたくさんあるし、悲しいことばかりのように思える夜もある。

だけど、これはただの乖離の問題だから、自分でどうにかできることと、どうしようもないことがあると、分解してみるとわかる。いや、わからないかもしれないけど、わかったような気になって、また明日を待つのである。

そして、自分でどうにかできることは、そこまでは自分でやってみるけど、そこから先の手が届かない領域はくよくよ考えないことにしている。

超えられない乖離は、仕方ないこと。ただ、僕たちができることは、想うことである。
想うことは、距離も時間も超えられるから。

だから、今日は、もう会えないステュのことを想って、遠くにいるジェイクのことを想って、乖離を心の中では、少しだけ埋めてやるのだ。

Rest in peace, Stu.

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