新型ウィルスによる長い長い災禍にもようやく光明が見えはじめたかと思った2022年2月末、ロシアがウクライナに侵攻した。
ニュース解説にある通り、これは「ブダペスト覚書」を踏みにじる行為である。
ブダペスト覚書というのは、1994年12月5日にハンガリーのブダペストで署名された政治協定でつまり「ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの三ヶ国が核兵器を放棄する代わりに、アメリカ、ロシア、イギリスの核保有国が安全保障を提供する」というもの。
いったいロシアというのは約束を守ったことが一度でもあるのかな、と思った次第である。
日本人の我々からすると、まず思い浮かぶのが「日ソ中立条約」である。
これは原文を見てみると、4か条しかないシンプルなもので、以下のような文言である。
第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す
第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし
第三条 本条約は両締約国に於て其の批准を了したる日より実施されるべく 且五年の期間効力を有すべし 両締約国の何れの一方も 右期間満了の一年前に 本条約の廃棄を通告せざるときは 本条約は次の五年間自動的に延長せられたるものと認めるべし
第四条 本条約は成るべく速に批准せらるべし 批准書の交換は東京に於て成るべく速に行はるべし
最終的に、ソ連はそれを破棄して、敗戦間近の日本軍に宣戦布告をするという火事場泥棒みたいなことをしたわけだが、ソ連にはソ連の言い分があるようだ。
「ソ連がドイツと戦っているときに、日本はドイツを支援したじゃないか」ということらしい。
こちらとしては、「いやいや、うちはおたくを攻めていませんし、勝ち馬に乗れそうになったとたんに突然なんか言うてきましたね」ということになる。
時系列で並べてみよう。
1939年8月23日、独ソ不可侵条約
1940年9月27日、日独伊三国同盟
1941年4月13日、日ソ中立条約
1941年6月22日、ドイツがソ連領に侵攻
1941年8月14日、イギリス・アメリカが大西洋憲章が発表。第一条に「領土の不拡大」が謳われた
1941年9月24日、連合国会議において、ソ連を含む各国がそれを承認
1945年4月5日、ソ連外務大臣のモロトフが日ソ中立条約の破棄を通告
1945年7月16日、アメリカが核爆弾の実験に成功。ポツダム会談中のトルーマン大統領は21日にそれを知る。
イギリス首相だったチャーチルも、トルーマン政権の国務長官バーンズも、核爆弾があればソ連の対日参戦は不必要と考えていたが、ルーズベルト大統領時代から参戦を求められていたソ連のスターリンは、“戦利品”ほしさに戦闘準備を急ぐことになる。
1945年8月6日、広島に核爆弾投下
1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告
1945年8月9日、つづいて長崎に核爆弾投下
1945年8月15日、日本、ポツダム宣言を受諾し降伏
1945年9月5日までに、ソ連が北方領土を占拠
1945年10月24日、国際連合憲章が発行
1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約により、日本は連合国48ヶ国と講和。
ただし、ソ連は調印せず
1956年10月19日、日ソ共同宣言により国交は回復。「平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」とあり、平和条約締結後に、ソ連は歯舞群島、色丹島を引渡すことに同意
1956年12月18日、日本が国際連合に加盟
サンフランシスコ条約に
「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」(第二条 c項)
とある。
日本政府は「択捉、国後、歯舞、色丹の四島は千島列島に含まれない」と主張しているし、サンフランシスコ平和条約に調印していないロシアは権利を主張する立場にない、としているが、このあたりがこじれた原因だろう。
島嶼がいっぱいあって「近接する諸島」とひとまとめにしてしまったところに落とし穴があった、としか思えない。
ロシアとしては「近接する諸島に対するすべての権利と書いてある」と言いたいのだろうが、少なくともアメリカは領土不拡大の大西洋憲章に則り、1972年5月15日に沖縄も返還している。ただし、まだ軍事基地があるから、なおややこしい。
アメリカ軍がいなくなったら、ロシアも安心して島を返してくれるのだろうか。いや、そうなったら、チャイナとロシアが我が国を本格的に取り合うかもしれんよね。
その後、日本とソ連(ロシア)の間にはいろいろあったけど、結局、北方領土問題は動かず、
2020年7月4日、領土割譲を禁止したロシア改正憲法が発効
プーチン大統領のこの措置により、北方領土問題は日本にとってさらにむつかしいものとなった。
こうして振り返ると、太字にした約束事を、ロシアはことごとく破ってきている。
ぜんぜんすっきりとしない北方領土問題が、すっきりおわかりになったかもしれないが、ひとつはっきりわかることは、「ロシアのような国とは、ひとつたりとも、約束を交わしてはいけない」ということではないだろうか。
(了)
岡田和裕『ロシアから見た北方領土』(光人社NF文庫 2012年)
A. J. ベイム著 河内隆弥訳『まさかの大統領』(国書刊行会 2018年)