月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「日本を救うでっかいハナシ」

先月、シアトル・マリナーズの球場でメジャーリーグの野球を観戦した際、ホットドッグとフレンチフライズ(ポテト)とビールを買ったら、27ドル50セントした。1ドル=110円として計算すると、3025円である。
それだけで3千円を超えているのである。

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もちろん球場価格であることは承知しているが、僕はそれが高いとは思わなかったのだ。
なぜなら、最後は「もうええわ」と思うくらいサイズが大きく、おいしかったし、マリナーズの勝利も含めて、トータルの満足度が高かったから。

ブラジリアン・ステーキ店では、串刺しになった様々な部位の肉塊を、店員が次々に席まで持ってきてくれて、ほしい人はそれをスライスしてもらうシステムだった。
腹いっぱい食べて、ティップ込みで1人80ドル近く払った。それもよかった。

それにしても、アメリカというのは、ティップについても「15%ならいくら、20%ならいくら、25%ならいくらです」と、勘定書きに印字してある図々しさというのはなんなのだろう……。税金ですでに10%取られているのに、一体トータル何十%取るつもりなんだ。

僕は帰国してから「日本の経済は平成の30年間でほとんど伸びておらず、他の先進諸国に差をあけられっぱなし」という記事を読んでいろいろと思うことがあった。

海外からの旅行者が日本に大勢来ているのはもちろん「日本文化が好き」という以前に「安いから」である。
昨今、食品メイカーやお菓子メイカーが、次々と食べ物を小さくしている。値上げせずにコストを削減するために、実質値上げのサイズ縮小をしているわけである。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4087/

www.nhk.or.jp

 ほんとうに、誰も幸せにしない愚策だと思う。

食品のサイズを小さくしたり、個数を少なくしたりするのは、単に原料を減らすだけではない。
製造機器を更新する場合もあるだろうし、パッケージを新規製作する場合もあるだろう。製品やウェブサイトや販促グッズすべての表示を変更するし、取引先への説明・通達など、裏では社員があれこれ動くために残業しなくてはならないだろう。
その結果、売上が伸びる要素はないのだ。ちっさくなるだけなのだから。よくて横ばいだ。

社員は「いったいなんのために働いているのだろう……」と徒労感に見舞われないのだろうか。

「生産性」という言葉を耳にしたことはあると思う。
「日本は生産性をもっと上げないと経済がヤバい」といった言説に新聞やネットで触れたこともあることだろう。

「生産性を上げる」という表現は、一見「もっと効率よく働いて、もっとモノを作らないといけない」というように捉えられがちだが、ここで一度、言葉の意味を振り返ってみよう。

公益財団法人「日本生産性本部」によると、「生産性とは、あるモノをつくるにあたり、生産諸要素がどれだけ効果的に使われたかということ」とある。ここで「やっぱそうなんだー」と思ってしまうものだ。

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(公益財団法人 日本生産性本部ウェブサイトより)

「日本人は朝から晩までこれだけ働いているのに、もっと働かなくてはいけないのか」とゲンナリさせられる。満員電車に乗って職場に向かい、嫌な上司とか意地悪な取引先に耐え、残業して安酒飲んでクタクタになって、帰宅して寝るだけ。
限りある人生の時間と、人間としての心を売り渡す引き換えに、家族を養う給金をもらう。これが労働というもので、それをさらに効率よく、すなわちもっと仕事をぎゅうぎゅうに詰め込んで、人間業とは思えないようなスピードでしなくてはいけないのか、と。

だが、もう少しこの、クソまじめでおもしろくもないサイトを読んでみると、生産性には「物的生産性」と「付加価値生産性」があると書いてある。
物的生産性を上げるというのは、要するに前述のような「同じ時間・労力でもっと作ること」である。

一方、付加価値生産性をというのは「企業が新しく生み出した金額ベースの価値、つまり付加価値を単位とする」とあるが、それを上げるという所為とは「ちゃんと利益を上げること」を指す。

企業というのはたいてい、次のようなことをしている。
100円で仕入れた材料や設備で、独自のものやサービスを作り、それを150円で売る。それによって50円の利益を上げている。その利益を、ちゃんと60円、70円にする努力が「付加価値生産性」を上げるということになる。

いま日本の多くの企業がやっていることは、売価の150円を死守するために、100円の中に含まれる材料費や人件費をカットしようとばかりしていることになる。

ちがう。

100円を500円、1000円にすることが企業の手腕であり、「生産性を上げろ」というのはそれをやれという意味なのである。

「付加価値は人件費として労働に分配され、利益や配当などとして資本にも分配されます。生産性向上の成果をどう分配するかという問題を考えるにあたっても、付加価値労働生産性が重要な指標のひとつと考えられています」(再び、日本生産性本部ウェブサイトより)。

それにより、GNPが上がって、給料が上がる。
現代の問題は(経営層と労働者層の)分配の不平等であり、企業努力のベクトルの誤謬である。

日本人は概して、目に見えないものに価値を見出すことが苦手なので、たとえばデザイン、たとえば言葉、たとえばブランドというものを軽視してきた。
反面、目でわかり手で触れられる機能や、サイズ÷価格といういわゆる「コスパ」ばかりが追求されてきた。

また、一部の企業はブランドというものを心底は理解もしていないし、信じてもいないから「まやかし」のように扱い、ぼったくりで儲けてきた。また、「間違って払っちゃった小銭」、「知らんうちに乗っけられてた費用」みたいなおカネをかき集める技術にばかり磨きをかけてきた。

「付加価値」という見えないものの価値こそ、ちゃんと理解しなくてはいけないことの本質なのだと思う。

もちろん簡単なことではない。
「とは言っても、人は安い方を買う」だろうし、「日本人は結局フツーのものを買う」だろうから。それは会社を経営している僕個人は痛切にわかっているつもりである。
ファンを増やすというのは、一時のお客を得ることよりも難しいことだ。

僕の先輩の田中ひろのぶさんは以前こう言った。

「日本人というのは、無味無臭のものをつくる天才やな。アサヒ・スーパードライトヨタ・カローラ、マイルド・セブン、ユニクロ、これぜんぶ無味無臭や。つまらんかもしれん。せやけどいいもんな」

別の先輩コピーライターである中尾孝年さんはこう書いた。
「言葉だって、削れば尖る」

だから僕はいま、こう思う。
「会社だって、尖れば刺さる」

これまで日本企業は「好かれる努力」よりも、「嫌われない努力」ばかりしてきたように思える。その産物が無味無臭の良品たちだ。

だけどこれからは、刺さってくれる人だけを対象に尖った企業が増えていくのではないか、というのが僕の希望的観測である。
どーでもいいモノを大量につくる時代はとうに終わったのではないか。
どーでもいいモノをどーでもいい人たちに売る仕事に就きたい人は減っていくのではないか。

心が刺されるほど感銘を受けた企業の製品やサービスなら、他より高くてもそれがほしいし、ずっと付き合いたいはず。少なくとも、消費者としての僕はそう思う。

世の中には高すぎるものもあるし、安すぎるものもあるけど、安すぎる最たるものが人の給料になっている日本を救う道は、安売りをやめて、利益をフェアに分配することである。それは格差社会アメリカがいまだ実現できていないことでもある。

タイトルにウソがないくらいにだんだん話がでっかくなってきたところで、最後にもっとでっかい話をして終わります。

奇しくも、天皇陛下が即位を宣明され、「国民の幸せと世界の平和」を願う誓いのお言葉を述べられた。

国民の幸せという意味では、国民は「安かった」に幸せを感じている場合ではないのである。そうしないと、月末に給料も「安かった」となるだけなのだから。

もっと「おいしかった」「カッコよかった」「たのしかった」「よかった」に幸せを感じたいものである。

(了)

もっと深く知りたい方はご参考にどうぞ:
https://diamond.jp/articles/-/19820

diamond.jp

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note.mu

「なかなかしんどいワンダーランドへの旅③」

トレイルに入って3日目の朝、岳ちゃんは残りの三人よりも1時間ほど早く、8時半にキャンプ地を出て行った。
「トレイルから逸れたところにクレセント・レイクという湖があって、そこが絶景らしいんです。そこで竿を振るのが、僕の今回の一番の希望なんです」
と、釣り好きな岳ちゃんは話していた。そのためだけにわざわざフライフィッシングの竿を、バックパックにくっ付けて持ってきていたのだ。

「それは、トレイルからどれくらい離れてるの?」
「地図で見た感じ、片道30分て感じですね。行ってみますか?」
「……行ってきて」
ということで、僕は美しい湖には惹かれはしたものの、往復1時間を余計にかけて歩けるほど余力があるとは思えなかったのである。

 

【ハイク3日目】イエローストーン・クリフス → ファイア・クリーク

イエローストーン・クリフスは朝日に輝いていた。今日は、やっと雨や霧から解放されたみたいだ。

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小一時間歩くと、小さな湖というか、大きな池に出た。岳ちゃんがデポしたベアキャニスターが目印となって、そこからトレイルを離れたことがわかった。
池の向こうは丘になっていて、クレセント・レイクはそれを越えたところにあるのだろう。
滝下がバックパックをその場で下ろして置いたまま、身軽になって彼を迎えに行った。大谷さんと僕は、池の近くに残って、おやつを食べたり、おしゃべりをしたり、まぁ、完全にサボリを決め込むつもりだった。

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やや風が冷たかったが、ここ2日間の天気に比べたら快適そのものだった。

「そうだ! 濡れたテントをここで干しておきましょうよ」
「いいね!」
大谷さんの発案で、草の上にそれぞれのテントを広げた。

1時間が経過しようとしていた。池は僕たちが待つ場所の右手下方にあり、左手は針葉樹の上り斜面になっている。なにげなくそちらに目をやると……、
「おいおい、熊がいるぞ」
「え!」

斜面の中腹あたりに熊が姿を現していて、木の実でも探しているのか地面に鼻を近づけてウロウロしているではないか。
緊張が走る。

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中央の黒いのがクマ

「やばいな。どうしよ」
「こっちに気づくなよっ」
僕らは小声で相談した。距離は50メートルくらいあるが、熊が全速力で向かってきたら数秒でここまで来る。
「荷物を持って、とりあえずゆっくりと池の方に逃げましょう」
「オ、オッケー」
「滝下くんの荷物に気づかれたら終わりですわ。取られたらもうどうすることもできません」
「うーむ……」

滝下の荷物よりも、まずは自分たちの身の安全だ。大谷さんと僕は、なるべく物音を立てないように、静かに池の方へ下りて行った。しばらく観察していると、熊は斜面を水平に左方向へゆっくりと動いていき、やがて林の中へ消えていった。よし!

「それにしても、あいつら遅いな」
「ちょっと僕、見てきますわ」
大谷さんが池から丘を上がって、様子見に行った。が、彼はすぐに帰ってきた。

「ダメです。丘を越えたら湖があるのかと思ったら、まだまだ続いてて見えません。だいぶ奥っぽいですわ」

もうしばらく待っていると、滝下が一人で戻ってきた。ちょっと顔が引きつっている。
「どうした?」
「岳さんには会えたんですが、帰り道を別々のルートで行ったらはぐれてしまいました」

どうやら湖へは一本きれいな道があるのではなく、不明瞭なルートが何本もあるらしい。
「ちょっと、僕、もう一回行ってきます」
滝下は焦りを顔に浮かべて、また丘を上がっていった。大谷さんと僕のおっさんチームはできることがなくて、ただ岳ちゃんの無事を祈って再び待つしかなかった。情けないが、四人がバラバラになったら余計に大変だ。

「滝くーん!」と呼ぶ、岳ちゃんの声だけが丘の向こうから聞こえてきた。
こちらからも呼び返すが返事はない。呼んでいるということは助けが要るのだろうか……。

結局、はじめに滝下と別れたときから2時間半後に、二人は帰還した。
「すみません、一緒の道で戻ればよかったんですが、それぞれ来た道で帰ろうとして、ちがう道を行ったんです。どうせどこかで合流するだろうと思っていたら、しなかったんです……」
と滝下。
「いや、俺も、『あれ? 合流しない』とわかった時にそのまま一度ここまで来ればよかったのに、湖まで戻ってしまって……」
と岳ちゃん。

二人の思い込みと、咄嗟の判断が食い違ってしまったようだ。
しかも、滝下は湖ではしゃいで一眼レフカメラを水没させ、岳ちゃんはもっとはしゃいで湖底の岩で足の裏をケガしたという。君らなぁ……。

僕と大谷さんは見ていないクレセント湖

「こっちはこっちで、熊が出たんだよ!」
「ええ! マジですか」

なんだかもう、両チームともちょっとしたドッキリに遭った気分であった。

気を取り直して、再出発である。
「じゃー、大谷さん先に行ってください」

滝下は、僕と大谷さんとはじめて行ったカリフォルニアの山で、先頭を歩いている時に熊を見て以来、熊をとても怖がっている。
「なんでやねん、滝くん行きーよ」
滝下は、熊除けの鈴の代わりに、時折口笛を鳴らしながら先を行った。

道は下って下って、ひと山下りて、丸い石の川原に出た。
登りは息が苦しくてツラいが、下りは下りで膝関節と脚の筋肉全体に負担がかかる。

近くの滝で岳ちゃんが飲み水を汲みに行った間、僕はストレッチをして脚のあちこちを伸ばした。そして、大腿筋を揺すって回復を促した。テニス選手の足が攣った際に、トレーナーが脚を揺する。揉むよりも揺すった方がいいと、滝下に教わったのだ。

今日のルートは、距離はさほどない(地図上では10キロ強)ものの、またここから登りがはじまる。脚も疲労がたまっているし、下半身だけではなく、バックパックを背負う肩も腰も痛む。たまに首も痛むことがあって、ほぼ全身が悲鳴を上げはじめている。

森の中の上り坂を今日は2時間。昨日ほどのしんどさではないが、それでもキツいものはキツい。
クレセント・レイクの一件のために、時間をだいぶ食っていたので、日没も迫っていた。

木々に囲まれた薄暗いところにファイア・クリーク・キャンプの表示を発見したが、キャンプ場へは、そこからトレイルをはずれてさらに0.6マイル(1キロ)道を下らなくてはいけなかった。

そこはテーブルとして使える切株がある快適そうなテント場だったが、水場が不便だった。倒木が何本も、行く手を遮るようにあって、川へ行きづらいし、水がチョロチョロとしか流れていなかった。
いまからのメシに必要なので、水をコップに取って、2リットル入るポリウレタンのボトルに何杯も入れる、それからフィルターで濾して、飲み水や料理に使う。面倒くさいのだ。

ちなみに、トイレは快適(笑)

パカッ

その日の、山の中での最後の晩餐は、ヘッドライトを灯しながら暗闇の中で食べた。しかし、みんなで輪になって、ワイワイおしゃべりしながら楽しい時間だった。
岳ちゃんと滝下はまだ持っていたビールを、僕も少しもらった。


【ハイク4日目】ファイア・クリーク → サンライズ(元の場所)

キャンプ場をあとにして、しばらく山道を登ると展望のよい場所に出た。
やっと、最終日にしてはじめて、マウント・レーニアを拝んだ。快晴である。
そうだった、オレたちはマウント・レーニアの周囲を歩いてたんだよ。まったく見えないから、もう少しで忘れるところだったわ!

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孤峰Mt. レーニア

この日はなんの苦もなかった。最高であった。ご褒美のような一日、最後に相応しい絶景、山の神様の抜群の演出、疲れを癒すハイライトの連続であった。

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川のほとりがあまりに美しいので、岩の上でコンロでコーヒー沸かして休憩までした。

丘の上からどこまでもつづく北の山々の連なりを眺めた。
近くにいた男性に、
「カナダまで見えてますかね?」
と尋ねてみると、
「いや、カナダはもっと先だよ」

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僕たちはこの広すぎる国の、ほんの一部を4日間かけてたったの60キロほど歩いただけなのだが、しんどさにもよろこびにもヒイヒイいわされた。マウント・レーニアを一周するワンダーランド・トレイルは全体で150キロある。

トヨタシエナを停めてあったサンライズ・ビジターセンターへの最後の坂道を下り、ゴール。

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街にいると「自然はいいな」「山はいいな」と思い、山に入ると「人間界はいいな」「ビールほしいな」「ハンバーガー最高だな」「ふとんあったかいな」と思う。

だったらなんでこんなことするんだろ。シアトルに戻ってその後4日間ほどあちこち観光した折、岳ちゃんに訊いてみた。
「そうですねぇ。やっぱりすごい景色を見たいですね。そして、そこまで自分で歩いて行って、やっと見られるというのが好きですね……」

そう、大した答えはないよね。人が「へえぇ!」って驚嘆するような意外な言葉はないわ。
自分が生きる世界の「すごい景色が見たい」以外ないのだ。

岳ちゃんはもうひとつ付け加えた。
「山にいると、嫌な人間に会わないですね」

そもそも人に会わないんだからそりゃ当然なんだけど、すれちがう人、キャンプ地で会う人、レンジャー、どの人も言葉を交わすと穏やかでにこやかで親切で、いい顔してる。

僕たちもいい顔してただろうか。きっとしてたな、うん。

そういういい顔でいるために、たまに山を、森を、歩かなくちゃな。

(了)

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今回行ったルート図

 

「なかなかしんどいワンダーランドへの旅②」

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その晩は、疲れ果てて8時には寝て、狭いテントの中でもすぐに眠りに落ち、7時間ほど一気に眠った。
激しい雨音に目が覚めて、腕時計を見ると3時すぎだった。

車中泊をした前の晩の予報がヘヴィーレインだったが、今夜の方がよほどヘヴィーだ。遠くで雷鳴も聞こえている。
テントというのは、居室をつくる層に、もう一枚フライシートという雨除けをかぶせてある。だから、雨が直接漏れてくるということは考えにくい。
しかし、出入りするドアにあたる部分はメッシュでできていて、壁の一部も軽量化と通気のためメッシュなのだ。
地面を激しく打つ雨滴が跳ねて、メッシュを通してテントの中を濡らしていた。
寝ていても、飛沫が顔に当たってきて不快だ。

床面も、その下には雨水が流れてきていて、浸水はしていないもののじっとりと湿ってきている。
寝袋はダウン(羽毛)でできていて、濡れると保温力が落ちるからまずい。

しかし、この状態からできることはわずかしかないので、濡れた場所を手ぬぐいで拭き、せめてテント内のなるべく中央で寝た。

大雨は止む気配はなく、「これ以上降りつづけたら……」との恐怖がじわじわ襲ってきた。

隣りのみんなはどうしているか気になったが、声をかけてせっかく寝ている人を起こしてしまったら申し訳ないので、したくなってきたオシッコとともにガマンだ。

何度も寝返りを打って、朝を待つ。もう7時間も眠ったし、あと3時間ほどウトウトしながら潰すのはさほど苦ではない。テントでなかなか寝つけないことが多い僕は、そんなもんだと思っている。

6時になって、まわりがゴソゴソ動き出したのを待って、
「滝下、岳ちゃん! 大丈夫か!?」

と声をかけてみた。
「ヤバイです!」
滝下の声が返ってきた。
「水たまりの中にいます!」

……おいおい、これ、どうするんだよ。

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手前が岳ちゃん、奥が滝下のテント

滝下と岳ちゃんのテントは完全に水に浸っていて、岳ちゃんに至っては、靴が流されてテントの外に出ていた。
テントとフライシートの間の空間を前室といい、テントの中に入れたくない靴や濡れたものを置いておくのだが、そこまで水が流入してきて、靴を流したのだ。

僕らはしばし呆然とそこに立ち尽くした。

「どうする?」
これは「今日も雨が降る可能性が高いけど、ハイキングを続けるか?」という意味だ。このままずっと雨なら、荷物のすべてが濡れてしまい、夜は一桁台の気温の中、命の危険も考慮しなくてはいけない。そして、それ以前に、ちっとも楽しくない。

一瞬だけ逡巡した我々四人だったが、「まぁ、明日以降は晴れる予報だったし、行きましょう」という結論になり、雨に濡れて、泥で汚れて、重たくなったテント一式を片付けはじめた。

キャンプ場の近くには川があり、水を補給できるようになっている。そこまで何度も下りて行って、汚れがひどいものはザブザブ洗った。

トイレの近くで出会った、我々よりも上のキャンプ場に泊まっていた背の高いアメリカ人男性と話すと、「俺は3日間濡れっぱなしだよ」と笑っていた。ツラいなぁ……。
朝食を食べて、荷物のパッキングが完了すると10時になっていた。

雨は小雨になっていて助かった。今さら肉体的には影響しないが、精神的にまだ楽なのだ。

 

【ハイク2日目】ミスティック・レイク → イエローストーン・クリフス

ミスティック・レイクという静かな湖に出た。空は相変わらず白いけど、ここに来てはじめて、心和むような、いつまでも見ていたいような景色に出合ったような気がした。
湖面は、そこに描いてあるように向こうの山を映し、風もなく無音。いま、ここには僕たちしかいない、という静寂の空気に包まれていた。

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湖に沿って歩いて、再び濡れた森に入る。丘をひとつ越えると、右手に山、左手に平原という平坦な道になった。
マーモットがあちこちにいて、岩の上で立ち上がって見張りをしたり、食べ物でもあるのか地面でゴソゴソしたりしている。

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やがてトレイルは崖になり、左手の谷の向こうにカーボン・グレイシャーという氷河を見ながら数マイルつづく。ふつう、氷河は白い氷雪の塊なのだが、カーボン氷河は赤紫色の土をかぶっていて、地図で知らなければ氷河とは気づかないかもしれない。
氷河の先端までくると、そこからは川が流れだしていて、これはカーボン・リバーだ。付近で石炭が発見されて以来、カーボン(炭素)川と呼ばれるようになったそうで、氷河から溶けた水は沈殿物が多く白く濁っている。

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このあたりで休憩していると女性のソロハイカーとすれ違った。彼女はにこやかに二言三言、言葉を交わすと、力強い足取りでぐいぐいと坂道を上がっていった。僕と岳ちゃんは、タイツに包まれた逞しいお尻を見送りながら、「アメリカ人すげえなぁ…」と嘆息したのであった。

トレイルは川を離れると苔だらけの森に入った。木々も、岩も、びっしりと苔に覆われていた。僕たちが以前に歩いたカリフォルニアはもっと乾いていて、日差しが肌に突き刺さるようで、唇がすぐにパサパサになったものだ。
同じアメリカだから、そういうイメージを持って来てしまったが、北西部のワシントン州は湿潤で、こんな雨の日は地面はグチュグチュ、苔とシダ植物とキノコばかりで、日本の山を彷彿とさせた。
特に森に囲まれたこのあたりは、京都の山と大差なかった。

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ここから陰鬱で、急峻な600メートルの登りが待っていた。600は距離ではない。距離は2.7マイル(4.3キロ)の間に、高低差が600メートルあるのだ。
この日は結構歩いた最後に、バカらしくなるほどキツい登りが待っているのだ。

勾配が尋常ではなかった。少し先を行く大谷さんの姿が自分の頭よりも上にある。
スポーツジムにステアマスターという階段を登るような運動をする有酸素マシーンがあるだろう。あれを延々2時間半つづけるような感じだった。
気が狂うほどキツイので、何度も休憩をとって、息を切らせながら行動食を咀嚼して、また登る。

しんがりを行く30代の岳ちゃんもさすがにしんどそうにしていた。が、大谷さんはすぐに姿が見えなくなるくらいスタスタと進んでいく。

「大谷さんてこんな人だったっけ……」
やはり、自身と荷物両方の軽量化を徹底的に実行してきた人と、なにもしなかった僕との差は如実だった。
滝下と大谷さんが先を行き、僕と岳ちゃんが遅れて歩く。もしかしたら、岳ちゃんは僕を最後にするとかなり遅れてしまうことを見越して、わざわざ最後尾を歩いてくれていたのかもしれない。す、すまんな。

それに比べて、滝下は、先輩のことを気づかうこともなく、自分の体力を見せつけるように進んでいく。
僕が「ちょっと休憩!」とタイムアウトをもらって行動食を摂るときも、立場が逆なら、僕は先輩が口の中のものを飲み込んで、水のひと口も飲んで、ひと呼吸つくのを確認して、
「さぁ、いいですか?」

「OK。いいよ」
「行きましょう」

で、歩みを再開するだろう。

ところが滝下は、僕が最後のひと口を口に入れた瞬間に歩き出す。
僕はまだモグモグしながら「あのヤロウ……」と、疲れとか、汗とか、雨とか、ジメジメとか、非常識な急坂とか、終わらない九十九折とか、色んな不快さに、八つ当たりしたくなってくる。

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これはレースじゃねえんだ。僕が山歩きを好きで十数年もつづける理由のひとつは、これは競争ではないことだ。勝ち負けも優劣も、ここにはない。経験の長さも、登った山の数も、歩けるマイルも、ギアの値段も、抱いた女の数も、関係ない。
最後のは本当になにも関係なかった。

競争とはまったく無縁な世界を、仲間たちと苦楽をともに歩き、食べ、しゃべり、寝る。これが好きなのだ。

そういう山に結局人間は競争を持ち込み、本格的な登山家なら「初登頂」「初単独登頂」「初無酸素単独登頂」など、色んな条件をもとに記録をつくりたがる。自己顕示欲のために命を落とした登山家も多いだろう。
トレイルランニングもそうだ。なんでこんなところで競走するの? と僕は思うのだが、まぁ好きな人は止められないから仕方ないか。

 

「いつ終わるんだよ……」という登りは、九十九折(英語ではスイッチバックという)が「終わった! もう稜線だ!」と思ったら、まだダラダラつづいて閉口したが、ようやくイエローストーン・クリフス・キャンプの案内板を見つけて、本当に終わりを告げた。

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Yellow Stone Cliffsは直角にそそり立った崖で、今日のゴールの感慨とともに見上げると、山羊(マウンテン・ゴート)の家族が歩いているのが小さく小さく見えた。

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白く見えるのが山羊の家族

キャンプ場は、反対側の谷へ下りていくと、小川を渡ったところにあった。

二日目の終わり。

僕はビールは重たいので2本しか持参していなかったが、昨夜1本空け、この日もガマンできずに到着してすぐに飲んでしまった。
ウィスキーがあればよかったのだが、町のスーパーで品揃えがイマイチなどというゼイタクな考えで買うのをやめたら、それ以降ウィスキーを売っている店がなかったのだ。愚かであった。
どこにでもあるジャックダニエルズでいいから、小さなボトル(ペットボトルに入っているから大して重たくない)を買っておくべきだった。

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最後のビールを真剣な顔で飲むw

キャンプ場に着いたのが6時前で、日没まであまり時間がなかったため、慌ただしくテントを張り、メシを食べ、ウィスキー片手に語らうことも叶わず、また早々にテントに引っ込んだ。

明日からは天気がいいはずだ。
ところが、最大のピンチは翌日だったのだ……。

(つづく)

「なかなかしんどいワンダーランドへの旅①」

またしんどい旅をしてきた。
しんどかった旅をもう一度反芻して旅行記コラムを書くのもしんどいのだが、自分と、一緒に行った友人たちがのちに楽しめるように書くことにしよう。

そして、毎度そうなのだが、こんな外国の山奥に行きたくもないし、行く装備も体力もないけど、「読むと旅した気になれる」というお言葉をちょうだいすることもあるので、そういう想像の旅に誘う目的で書きましょう。

 

今回行ったのは、ワシントン州シアトルの郊外にあるマウント・レーニアの麓にあるトレイルである。
マウント・レーニア周辺の自然豊かな地域は、元々は何千年にもわたり先住民族の狩猟生活の場だったのだが、1792年に英国海軍のジョージ・ヴァンクーヴァー大尉が太平洋岸を調査した際にこの山を発見し、友人のピーター・レーニア少将にちなんでマウント・レーニアと名付けたという。……そんな友達を持ちたいものである。

その後、1899年になって、およそ950平方キロメートルに及ぶこの広大な土地が、アメリカで五番目の国立公園(自然保護区域)に指定され、アウトドア体験や自然教育の場として親しまれている。

なお、我々は高さ4392メートルのマウント・レーニアに登ったわけではない。山をぐるっと囲むようにワンダーランド・トレイルという長いコースが整備されていて、その北側の一部を歩き、それから北へ派生して元の場所へ一周できるノーザンループという周回コースを歩いたのである。

二年前にジョン・ミューア・トレイルをセクションハイク(一部を歩くこと)したとき同様、空港でレンタカーを得ると、まず向かうのはシアトル市内に本店を構えるアウトドアストア「REI」だ。お湯をわかすコンロのガスを飛行機に持ち込めないため、現地で入手するほかないのである。
その他、フリーズドライの食糧や装備の一部の補充もした。
メンバーもJMTと同じく、大谷さん、滝下くん、岳ちゃん(すべて仮名)と僕(前田将多)の男四人。
クルマすらも前回と同じ、トヨタシエナ。レンタカー会社の案内係が「どっちでも好きな方でいいよ」とクライスラートヨタを指さすので、ゲン担ぎみたいな気持ちで後者を選んだ。「ミニヴァン」のカテゴリーだったがぜんぜんミニではなくて、排気量3500ccとたっぷりである。

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初日は、シアトルから40マイル(65キロ)ほど南東に走り、MT. レーニア国立公園の手前にある小さな町、イーナムクロウにモーテルを探して泊まる。
金曜の晩だったのだが、高層ビルなんかひとつもないかわいらしい町であるにもかかわらず、レストランはどこも賑わっていて、僕たちは入ったメキシカンレストランでしばらく待たされた。
日本でいうなら、仙台市から車で小一時間の柴田郡川崎町で、金曜の晩にこんな盛り上がりが見られるとはどうも思えないので、アメリカの豊かさに少々面食らった。
スーパーで行動食と水(とビール)を買って、明日に備える。この時、品揃えがたいしたことなかったのでウィスキーを買わなかったことをあとで後悔することになる……。

 

翌朝、ホワイトリバー・エントランスより国立公園に入り、ゲイトで車一台分の入園料30ドルを払い、レンジャーステイションで女性レンジャーから許可証を受け取り、注意事項の説明を受ける。ゲイトの係も若い女性で、しかもものすごい美人。レンジャーもアマンダというかわいらしい女性。

「日本だったら(こういう係は)絶対田舎のおっちゃんかおばあちゃんだよなー」と、超高齢化の我が国を振り返り、ここでもアメリカの元気を見せつけられた思いだ。

予報でわかっていたことだが、天気が心配だ。
サンライズ・ビジターセンターまで車を走らせると、標高1800メートルを越えていて、山の天気は変わりやすいものの、予報はヘヴィーレイン。

本来の計画では、この日から歩き出して、まずはすぐ近くのサンライズ・キャンプにてゆっくりテント泊のつもりだった。しかし、小雨が降り、霧が出ているようなうすら寒い状況なので、まったく気が進まない。

とりあえず荷物は自動車に置いたまま、キャンプ地だけ見に行くことにした。

身軽なので四人でスタスタ30分ほど歩いて、キャンプ地を確認すると、丘に囲まれた広い場所のそこここに、テント場を表す番号をふったサインがあり、それぞれに適度なプライバシーを確保できる程度の間隔があって快適そうだった。……ただし、天気さえよければ、だ。

僕たちはビジターセンターに停めた車に戻り、今晩は車中泊を決め込むことにした。
これはこれで寝やすいわけではなかった。夜になると気温は一桁台まで下がり、寝袋を使っても寒いし、倒した座席も「寝る」というポジションには程遠いし、屋根を打つ雨音を聞いて明日が思いやられるし、明け方に少しだけ、細切れの眠りをつかんだりつかみ損ねたりしたくらいだった。

 

【ハイク1日目】サンライズ → ミスティック・キャンプ

朝6時半の日の出とともに動き出し(といっても霧と雨で陽はない)、寝不足でややテンション高いまま朝食を摂り、それぞれレインウェアに身を包み、重たい荷物を背負って、8時に出発した。

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正直言って、この日の記憶はあまりない。

よく整備されたトレイルを歩いたのだが、とにかく一日雨で、霧で見晴らすことは叶わず、白い靄に包まれたまま、道を下ったり登ったりすることおよそ18キロ。

距離が遠くないガレ山や氷河や、眼下にのたうつ河は見えたが、とにかく白くモヤっているばかりの景色だった。幻想的ではあっても、ワンダーランド・トレイルに期待していた「ワンダーランド」感はなく、僕たちはただ雨に濡れて一歩ずつ進んでいった。

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滝下は体は小さいが、アートディレクターとしての仕事のあと、深夜に10キロ走るような体力バカだし、細身の岳ちゃんも僕より10才若く、文句も言わず黙々と歩く。同い年の大谷さんは、今回の旅に備えて、体重を10キロ弱落とし、荷物の軽量化に努めてきた。

僕はといえば、夜は酒を飲んでしまうからトレーニングは結局ほとんどしないままこの日を迎えてしまった上、装備は10年前に買った重いもののままだった。新調したのはKEENの軽いブーツくらいだ。

山歩きには近年「ウルトラライト」という概念が台頭していて、荷物をとにかく軽く、少しでも軽くして、身軽に、遠くへ、速く行こうというものだ。究極的には食器もシリコン製やプラスティック製にして、シャツはラベルまで切り落とし、テントではなく緊急用みたいなビヴィーという寝袋に毛が生えたようなアイテムで寝たりするそうだ。
問題は、軽量化するにはカネがかかるのだ。大谷さんがそうしてきたように、自作で工夫して費用を抑えることはもちろん可能だが、それにしても、一度持った装備をあれこれ買い換える必要があり、僕がケチであることは措いても、まだ使えるものを使わないことに抵抗があり、買い換えるのは億劫だったのだ。

前回のJMTのハイキングで、僕は荷物軽量化のために行動食を少なくしてしまい失敗した。カロリーが足りていないとみるみる体力が落ちて、回復も充分にできず、3日目でギブアップして山を降りたのであった。
その教訓をいかして、今回は行動食をグラノラ・バー、ビスケット、スニッカーズビーフジャーキー、ナッツなど、充分に持った。その代わりに70リットルの大型バックパックは重たくて、43才の自分の体力を信じて歩くしかなかった。
初日にして後半はキツかった。もうじきキャンプ場かも、というあたりで限界を迎えそうだった。

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休憩も立ったまま…

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川を渡る機会が三度ほどあって、丸太の橋が渡してある。最後の橋は、ちょっと長めで、手すりがなくて、やや斜めに傾いでいて、そして雨に濡れていた。
僕は疲労のためガクガク震えそうな脚で、川に落ちることなくこれを渡れる自信がなく、何度も躊躇して「岳ちゃん、先に行って」と譲った。

歩いてしまえばなんてことなかったのだが、一度「落ちるかも」とイメージしてしまうと、恐怖が拭い去れないのである。

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ビビる私…

一日中雨に打たれて、夕方5時にミスティック・キャンプに着いた。
キャンプ場といっても、濡れた森の中をわずかに切り拓いただけの、薄暗い場所だ。

なんとなく松の木の下の、気休め程度に雨を避けられそうな場所にテントを張った。僕の隣には岳ちゃんのテント、その向こうに滝下。大谷さんは一段下がった、次のテント場を選んだ。

夕食はフリーズドライ。お湯を入れて待つだけ。
アメリカで買ったフリーズドライ食品は、日本のものとちがい肉ががっつり入っていて食べごたえがある。日本のはどうしても米ばかりで、食事のメインとしては物足りないものになりがちだ。

それにしても、雨のため、メシも立ったままである。ツライなぁ……。男たちは言葉も少なく、それぞれ今後の不安を胸に秘めていたと思う。

日没の7時半までに食事を終えて、食品はベア・キャニスターという熊から守る強化プラスティックの樽に入れて、離れた場所に置く。

もう体力も気力もメゲて、すぐに寝袋に潜りこんだ。

 

朝、惨事が待っていた。

(つづく)

「クレイジーでビューティフルな彼女の歌」

カントリーソングの話をしたい。たまにやるシリーズである。
たとえば過去にはこんなのも。

monthly-shota.hatenablog.com

 

誤解を恐れずに言うと、僕が女の人を人間と認めたのはいつ頃だったろうか。
少年時代には、僕は女の人があまり好きではなくて、なるべく話すことなく、関わらずに学校生活を送ろうと考えていた。

「あの人たちは、僕らと同じではない」
「しゃべり方がちがう」
「走り方がちがう」
「ぶったら泣く」(ぶつなクソガキ)
「ボール投げるのがヘタ」
「字がうまい」
「髪の毛がきれい」
「なんかいいにおいがする」
「かわいい」

結局、好きなんかえ!

今の子供たちは知らないが、少なくとも僕の幼少時代など、男同士の遊びとかスポーツとかケンカに、女子の分け入る余地はなかった。力が強い者、声が大きい者、もっと正確に言うと、相手を躊躇せずぶん殴れる者が最後には勝った。
政治的に正しかろうがそうでなかろうが、昭和の子供というのは事実、そういう世界にいたのだった。

それを指さして「ミソジニー(女性蔑視)!」だとか「マチズモ(男性優位主義)!」だとか感じる人もいるかもしれない。「はい、そうでした」としか言えない。

動物とそう変わらぬ連中が、より高等なモノの見方や考え方を学ぶのは、もう少しあとになってからだ。それが成長する、すなわち人間になっていくということだ。

 

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うちの寅ちゃんみたいに無邪気なガキが第二次性徴を迎えるころには、男子は好きな女子を神聖化し、偶像化するようになる。
「このコは姿かたちと同じように、心も完璧なのではないか」
「絶対に悪いことやズルいことはしないのではないか」

これが例の「アイドルはうん○しない」という定説につながる。

だけど実際には、女だってウソもつけば浮気もする(個人差があります。うん○については未確認)。

僕に関して言えば、はじめて付き合った女の子が自分の高校で新しいカレシをつくって、僕を捨てたときにひどいショックを受けたものだ。

「あぁ、女の人って、こんな残酷なことをするんだ……」

以降、ハタチ過ぎまで女性不信である。この間、人として認めなかったのである。
女の人ぜんたいを、僕の心の中の刑務所に入れたのである(アホ)。

はじめの疑問「僕が女の人を人間と認めたのはいつ頃だったか」について、なにかひとつの契機があったわけではないが、大人になるにつれて、何人かの女性と付き合い、またフラれたりなんかして、思い余って結婚して、いつしか「女の人も人間なんだ」と認めることになる。
ただし「ちがう人間」としてである。

 

男が女に対して「わかってたまるか」と思うように、女のことだって男からはおよそわかってないのだろう。
しかし、「わかりたい」と思いつつ、いつまでもわからない状態がつづくところに、男と女が飽くことなく惹かれあう何かがあるのかもしれない。いや、最近はもう「わかり合えないことがわかった」くらいだ…。

前置きが「もう入れて♡」というくらい長くなったが、すてきなカントリーソングを紹介したい。

「彼女はイカれてる。だけど、それを美しいと、僕は思ってしまうんだ」という、男のどうしようもない気持ちである。ここ数年でもっとも僕の心に響いたラブソングであった。

これ以上の説明は不要だと思うので、対訳とビデオをお楽しみください。
クレイジーな恋を。

 

“Beautful Crazy” by Luke Combs

 Her day starts with a coffee and ends with a wine
Takes forever to get ready so she’s never on time for anything
When she gets that come get me look in her eyes
Well it kinda scares me the way that she drives me wild
When she drives me wild

彼女の一日はコーヒーではじまり ワインでおわる
支度するのにいつまでもかかるから 何事においても遅刻する
彼女が近寄ってきて 見つめ合うと
どれほどたまらない気持にさせられるか なんだか怖いくらいだ
彼女がぼくをたまらなくさせるとき……


Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy but her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
彼女はイカれてる だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ


She makes plans for the weekend, can't wait to go out
'Til she changes her mind, says, "let's stay on the couch and watch TV"
And she falls asleep

彼女は週末の計画をする 出かけるのが待ち遠しそうに
なのに気が変わって 「ソファでゴロゴロしてテレビみよっか」と言いだし
やがて眠ってしまう

Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy but her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
そう 彼女はイカれてる だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ

She's unpredictable, unforgettable
It's unusual, unbelievable
How I'm such a fool, yeah I'm such a fool for her

彼女は予測不可能で 忘れられなくて
これはフツウじゃない 信じられない
ぼくがどれほど夢中か どれほど彼女に夢中か

Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy, she's crazy, she's crazy
But her crazy's beautiful to me
Her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
そう 彼女はイカれてる おかしい 狂ってる
だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ

(対訳:前田将多)

 

Official Video:

youtu.be

「ボカシだらけのニッポンに」

先月、参議院議員選挙が終わった。票を投じるにあたり、どういう日本になってほしいか、各人が考えたことだと思う。
僕自身も、なんの権限もないのに、大統領にでもなったつもりでつらつら考えることはあるので、我が国、我が国民の「そういうの、やめといた方がいいよ」と思う事柄を挙げてさせていただく。

法治国家としてあれこれもうちょっとスッキリと、人々は雨にも負けず溌剌と、しないものかなぁ……。 

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オレは、こういう人がいたら友達にはなりたくない……

①とりあえずボカシ入れてうやむやにする

逮捕された人が護送されるときに、手のあたりにボカシが入っているニュース映像は誰でも目にしたことがあるだろう。

「人権保護のためのテレビ局の自主規制」とされているが、あのボカシの向こうで手錠がかけられている以外のなにがされているというのだろう。そんなに人権を保護したければ顔にモザイクをかけるか、そもそも映像での報道をしなければいいではないか。

「手錠の手元をボカスと、それを見た人は逮捕されたことが認識できず、人権が保護される」という論理が通用するなら、「ポルノの局部にボカシを入れると、それを見た人は出演者がセックスしてることが認識できず、公序良俗が保たれる」ということになる。

こういうわけのわからない考えを本気で信じて、ジャパンではボカシを入れることにしたのだろう。昔のポルノは実際にセックスをしていたわけではなく、それらしく演技していた「疑似本番だった」ので、取締当局と製作サイドは共犯だった構図になる。
「このビデオは本番しているらしい!」ともなれば、ボカシは入ったままなのに、男たちが狂喜してこぞって見たがった。そんな牧歌的な時代があったようだ(四十三才の僕よりも上の世代)。

「……1980年代後半から90年代初頭にかけて、AVの帝王・村西とおるは徹底した『本番至上主義』を掲げた」らしい。僕はその分野は詳しくはないのだが、東良美季さんという作家が書いていた(メール配信日記『勝谷誠彦の××な日々』2018年2月10日付録より)。
こういったエロ映像作家の情熱に興味がある方は東良氏の著作『裸のアンダーグラウンド』をどうぞ。
野坂昭如『エロ事師たち』は、エロ写真の闇販売からブルーフィルムの製作で一発当てようとのめり込んでいく男たちの話で、舞台は60年代だったが、いつの世も男というのはエロに必死なのである。

が、このコラムで改めて、男たちのエロへの必死さをお伝えしたかったわけではなかった。
ましてや「オレはうやむやが嫌いなんだ! ハッキリぱっくり見せんかい」と強調したいわけでもない。

ボカシのような「表面上ごまかしているが、真相はバレバレ」という例はこの国に多いと言いたいのだ。パチンコは文鎮とか火打石をゲットして喜ぶ場所ではないし、ソープランドはお風呂に入って疲れをとるお店ではない。
インターネットでエロスなど無限に触れられる現代に、いつまでこういう時代遅れをやっているのだろうか。先進的な法治国家といえるのか。

インターネットの発達自体が、「画像が見たい」「もっと鮮明な画像が見たい」「映像が見たい」「出会いたい」というエロの欲望とともにあった、というか、性欲によって駆り立てられて発展したわけだから、いい加減見て見ぬふりはしない方がいいように思う。

もっと言えば、非合法にしておくから、なんぼでも抜け道があって水面下で売春が行われる。援助交際パパ活も含めて、煎じ詰めれば売春なわけで、これは法で止められるわけがないのだから、合法化して税金を課するべきである。

正直言って、エロから税金をちゃんと徴収できれば、日本の税収なんかかなり余裕が生まれるだろう。それを社会福祉にあてるべきだ。しかも、反社会的組織に資金がまわるのも防ぐことができる。

日本の性風俗産業の市場規模は7兆6千億円で、国が負担する公務員の人件費に匹敵するのだという。(門倉貴史著『世界の[下半身]経済がわかる本』

自衛隊は子供の目に触れる場所に来るな」などと、まったく世の中の仕組みを理解していない女性団体とかが、売春を非合法のまま看過するのは、反社会的組織という敵に塩を送っていることになる。

special.sankei.com

その手の方々がお好きなリベラルで先進的な国々は、売春合法化に踏み切っていて、国際人権団体アムネスティもそれを支持する方針を打ち出した(2015年)のだから、あの人たちが反対する理由はあるまい。

www.amnesty.or.jp

「教育が大事です!」と言ったって、高い教育を受けてなお売春をする人はいる。貧困が根底にあることに疑いはないが、お金に困っていなくてもする人はいるのだ。男を買う女ももちろんいる。
男に関しては、出身、職業、容姿、収入にかかわらずいる。奨励はしないが、止められるわけがない。

これは好き・嫌い・キモいの問題ではないのだ。

 

②マジメな顔して毎日働く

上記の女性団体のように、人(世論)が事実ではなく感情や信条で動く現象を「ポスト・トゥルースpost-truth)」と言う。

逆に無感情であることが日本人に大きな弊害をもたらしていると思えるのが、「働き方」だ。

僕は、日本人の労働観の問題は電車の中に凝縮されていると考えている。
「本日は○○電鉄をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は○○行き急行です。お立ちの方は手すりか吊り革におつかまりください。車内に不審物がございましたら乗務員にご連絡ください。携帯電話のご使用はまわりのお客さまのご迷惑になりますのでお控えください。優先席は体の不自由な方、お年寄りにお譲りください。傘などのお忘れ物にご注意ください。次は○○駅に止まります」などと発車してから、注意事項を延々としゃべっていて、ものを読んでいる僕は「ちょっと黙ってくれ」と思う。
揺れたらつかまるし、ヨロヨロしたジイさんが来たら座ってても席譲るから……。

こうやって規則通りにテープ(古い)のように喋りつづけるから、バカな人は「こいつは感情のないロボットに違いない。だからなにを要求してもいい」とどこかで思い込むのではないだろうか。

駅員さんへの暴力というのは、こういうところに淵源があると、僕は思う。

「きみが人間らしく振る舞わないと、人として扱われないんだぞ」(拙著『広告業界という無法地帯へ』より)ということだ。

もちろん、暴言を吐いたり、暴力をふるったりする人間が悪い。しかし、これも売春と同じで、いつの時代も根絶はできない。こちらが変わることで防衛できることはある。

「電車の運転手が水を飲んだらクレームが来た」というため息が出るような話題があった。

www.j-cast.com

消防士が消火活動の帰りにうどん屋に寄って叱られたとか、警察官はコンビニに行くとき私服に着替えるとか、日本人、ええ加減にせなあかん。

去年の夏、僕の店の前にパンクしたパトカーが停まって、自動車警ら隊員なのか、かなり重装備の警官が大汗かきながらタイヤ交換をしていた。
僕が冷たい水を差し入れたところ、彼は一気に飲み干して、お礼を言って笑顔で去っていった。一日気分がいいではないか。

僕が電通時代に感じていたことだが、クライアントとの合計六、七人の打合せがあったとしよう。そういう場で、僕が冗談を言って笑わせると、その笑い方は「いけないブラックジョークに笑うような」様子なのだ。特に上司がそこにいる場面に多い。

僕は「ああ、この人たちは職場で笑ってはいけない」と思い込んで働いているんだな、と気の毒に思ったものだ。

電通関西支社というのは、いつでも冗談ばかりの笑いの絶えない職場であったから(部署によるw)、なおさらそのように感じた。

おそらく、日本の大企業の大半がそういう「マジメなだけ」の会社なのではないかと想像する。僕はそれならそうと、なおさら余計な冗談を言ったり、メールに書いたりして仕事をしようと心がけた。

それは自己防衛の手段でもある。
相手がどーでもいいマシーンなら、
「これ、明日までにやって」
と、ボタンを連打するように命令すれば済むが、相手が感情もあり、冗談も言う人間なら、
「すみません、こうこうこう言う事情がありまして、なんとか明日までにできないでしょうか」
とお願いしたくなるだろう。結局明日までにやんのかい。

いや、同じ明日までであっても、その言い方によって、こちらのやる気はだいぶちがう。
場合によっては「任せとけい! ひと肌脱ごうじゃないか」という気分にすらなるだろう。

人間が働く意味とはそこにある。誰かのために、なにかをすることではないのか。

 

③ただの慣習を、いつの間にか厳格な規則のように扱う
先日、葬式に行ったのだが、一緒に行った後藤さんは喪服を持っていなかったので、実家からスーツを取り寄せた。すると、二十年近く昔のものだったため、ウエストがまったく入らない。
だから、「後藤さん、とにかくなんか黒い服着ておけばいいよ」ということにした。
後藤さんは、辛うじて着られた上着と、黒いズボンの下に、VネックのTシャツを着て行った。
僕自身も、喪服は持っていない。ただ黒いスーツ一式を持っているだけだ。
これはアメリカでもそうで、亡くなったのが近い家族か、よほどの要人でもない限り、真っ黒な正装なんか庶民はしないものだ。
カウボーイなんて、黒いジャンパーに黒い野球帽かぶって行っていた。

リクルートスーツというものの存在などもっとわからない。
あなたの個性が問われている就職面接なのに、「なるべくみんなと一緒になるように」同じようなスーツを着たり、女子なら同じように髪をひっつめたりする必要なんかない。
いや、「みんなと同じように働きたいんです」という人はそれでいいだろう。それならそうして、量産されたロボットのように働いて、酔っ払ったおっさんとか、高圧的な上司に罵倒されるのも甘受して働いてください。

それが嫌なら「誰が決めたのかもわからないようなルール」は疑うべきだろう。自分で考えて、人間としての感情も個性も尊厳も保って、抗ったらいいのではないだろうか。善くも悪しくも、堂々とやれば、おっさんらはなにも言ってこないものだ。

なんでもかんでも慣習を否定しろ、と言いたいのではない。日本には上座下座とか、お箸の使い方とか、特にサラリーマンには「新人がエレベータで立つ位置」、「タクシーで座るべき階級順の位置」などさまざまな馬鹿らしいような慣習がある。
しかし、それらは相手がある際のことなので、知った上で臨機応変にやったらいいのだ。
葬式なら黒いものを着ていれば文句言う遺族はいないだろう。
そんな時は「香典返せ、この野郎。お前が死んだのか」と一喝したらいい。

面接ならなおさら、男は自分が一番カッコよく見えると思うスーツを着て、女は自分が一番きれいに見えるメイクをしたらいいのだ。

カッコいい男たち女たちが増えないと、この国はヤバいと思うよ。

 

「NHKをぶっこわせ!」と連呼していた人が参院選に通ったが、「ボカシなんか、とっぱらえ!」でなんとかいけないものだろうか。いけちゃうような気がするぞ……。

「2019年上半期、凄味のある4冊」

今年も半分終わってしまった、ということで、ここ半年で読んでおもしろかった本を紹介することにしよう。僕の「読書感想文」程度の、とっ散らかったものです。

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藤沢周 著『界』(文春文庫)

「文豪」という言葉を思うとき、僕は現代の文豪とは藤沢周さんなのではないかと考えている。
「豪」というのは、力量や才知がすぐれている人、という意味である。

文豪、性豪、上田豪。
その語感には、凄味と呼べるような、ただならない妖しさとか、「豪」であり「剛」である強さ(こわさ)が漂う。
あ、上田豪さんは銀座でグラフィックデザイナーをしている僕の友人だ。

「おもしろかった本」を紹介すると言った先から矛盾するが、藤沢氏の小説はおもしろいのとはちがう。引き込まれてページを繰る手が止まらない、というのともぜんぜんちがう。
だけど僕は、一文一文が芸術品であるかのように鑑賞しながら読んでいく。読み終えても、なんだかよくわからない部分が多々残るのだが、鼻腔の奥にわだかまる余韻のようなものを味わうことができる。

『界』では、妻と別居中で、東京に愛人を残した榊という男が、日本のあちこを遍歴し、月岡(新潟県)で、指宿(鹿児島県)で、比良(滋賀県)で、八橋(愛知県)で、女と出会う。
そこでは性的な関係が直截に描かれていたり、まったくなかったりする。九編のストーリーそれぞれが、男の体臭や、畳や、雨や、居酒屋や、性のにおいを脳に届けてくる。

「この話はこういう意味なんだ」「こういうことを描いているんだ」などと、安易に解説できない凄味に気押される。

僕は一度、藤沢氏の同じく短編集である『サラバンド・サラバンダ』の書評めいた短い感想をツイッターに書いたことがある。これを目にした氏は喜んでくださった(酔っ払っていらっしゃったのかもしれない……w)のだが、まぐれ当たりがつづくわけはないので、なにか憶断するような言葉は慎みたい。

 

 

ただ、においなのだ。
人間の五感の中で、嗅覚だけが脳に直接運ばれる。ほかの四つは視床という部位を通じて脳にやってくるが、嗅覚だけはそこを経ることなく大脳皮質や扁桃体に届くという。

『界』というのは、言葉が視覚を通じて、においを想起させ、それがあたかも直接脳に刺さったかのような錯覚を与える短編集だ。生と死、生と性、観念と実在、ある日とまたある日、彼岸と此岸、それぞれの曖昧な「界」を彷徨うと、現実とも妄想ともつかぬ意識下に、においだけが残る。
なにかの感情や感覚を惹起するのが芸術なら、藤沢作品はやはり文豪による文芸なのである。

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藤沢周 著『界』(文春文庫)

 

内村光良著『ふたたび蝉の声』(小学館

内村光良と表記されると咄嗟にはわかりづらいが、ウッチャンナンチャンウッチャンの書き下ろし小説である。

会沢進という遅咲きの役者は、妻、百合子がありながら、仕事仲間のミサキに淡い恋心を抱いている。
進の姉、ゆりは、宏という年下の彼氏から求婚されるが、自らの離婚経験のため躊躇する。
竜也は進と同級生であった高校時代は、ピッチャーで地元のヒーローだったが、挫折していまは借金漬けの怠惰な生活を送る。
そして、進とゆりをあたたかく見守る両親の正信と浅江。
こういった登場人物による、昭和から平成を通じた、家族とその周辺の群像劇である。

殺人鬼も、国際スパイも登場しなければ、巨悪もカーチェイスも出てこない。日常の悲喜劇が、わりと淡々と語られるのだが、それぞれ時代を懸命に生きようとする市井の人々の家族愛が通底していて静かな感動がある。

吉田修一作品を彷彿させる、陽だまりを歩くようなやさしさがあり、胸をしめつける切実さがあり、誰もが「明日もがんばろう」と思うはずだ。

f:id:ShotaMaeda:20190630152145j:plain内村光良 著『ふたたび蝉の声』(小学館)

 

鷹匠裕 著『帝王の誤算 小説 世界最大の広告代理店を創った男』(角川書店

一転してこちらは、権謀術数、策略と欲望渦巻く広告業界の話を「小説」の体(てい)で描いたものだ。

電通の第九代社長から、電通グループ会長、そして最高顧問になった成田豊氏が、「電通の成田」ではなく「連広の城田」という架空の人物に置き換えられている。

電通が連広であるように、博報堂が弘朋社、トヨタがトモダ、ニッサンがニッシン、マツダがマツノ、日立が日同と、モデルが丸わかりの中、当時(こちらも昭和から平成)の広告業界の「ほんまに?」という水準のムチャクチャぶりが、ゾクゾクするような緊張感あるストーリーに乗せられている。

たとえばこうだ。

トモダの高級車「マークZ」の広告業務は、それまで連広が一手に扱ってきたのに、弘朋社との競合になった。それぞれがプレゼンをした末、弘朋社が勝ち取った。
怒った城田は、はじめは新型マークZの不備を探らせ、不買運動でも仕掛けてやろうかと考えるが、新任の営業局長の奇策を採用し、逆に社員を使って、次々に購買予約をさせた。社員には知り合いを引き入れることまで奨励し、会社から支援金を奮発した。
さらに、パブリシティ費用を連広が負担して、雑誌や新聞といったメディア各社に「新マークZは素晴らしい」という記事を書かせまくる。

すると、どうなるか。
生産が追いつかなくなって、トモダは、手に入らないものを大々的に広告することは消費者への不義であるとして、マークZの広告キャンペーンを中止にし、すでに押さえてあった広告枠は、別の車種に切り替えたのであった。

これ以上書くとネタバレになるから控えるが、こういった逸話が次から次に出てくる。

大企業との広告業務以外にも、オリンピックや都知事選といった国家を動かすようなイベントに連広がどのようにかかわってきたのかもわかるようになっている。

成田豊氏は、僕が電通に入社したときの社長であった。
平社員の僕からしたら、会話したこともないエライさんだったが、僕が入社した年(二〇〇一年)に、電通の株式を公開し、汐留本社ビルを建て、グローバル化に舵を切った、いまの電通の方向性に大きく影響を及ぼした社長である。

「ボンクラ社員がなにを」と言われるだろうが、実は、僕は株式公開と新社屋建設は誤りだったと当時から考えていた。
乱暴に簡略化して言うが、姿の見えない“ステイクホルダー”や、フランスの建築家に設計させたがために、車寄せが日本と逆方向にカーブしているようなビルディングに重きを置いたがために、そこで働く人間たちがないがしろにされていった、その「終わりの始まり」であったと考えているからだ。

本作中にも、九一年に実際にあった若手社員の自殺が出てくるが、結局そこから大した方向修正もせぬまま、「クライアント・ファースト」で突っ走り、一五年の女性新入社員の自殺というショッキングな事件に帰結することになる。

電通上層部の暗躍についてエンタメとして読みたければ『帝王の誤算』を、電通平社員の現実に泣き笑いしたければ拙著『広告業界という無法地帯へ』を読まれたし。と、自分の宣伝もさせてね。

『帝王の誤算』で、ひとつ、印象に残ったセリフがある。
東京へのオリンピック再誘致の事業を、連広が競合を経ない随意契約で受注し、それを議会で突かれた石原慎太郎氏と思われる夏越議員が言い放つ。
「君たちは知らないかもしれないが、こういう仕事をできる会社は日本にひとつしかないんだ。連広だよ」

それは、まぁ真実なのではないかと思う。なんでも屋たりえるネットワークと、能力ある社員を保持していることは事実だろう。
ワタシが尻尾まいて逃げ出すくらい優秀な人が多いのだから。わっはっは。

f:id:ShotaMaeda:20190630152448j:plain鷹匠裕 著『帝王の誤算』(角川書店

 

■田中泰延 著『読みたいことを、書けばいい 人生が変わるシンプルな文章術』(ダイヤモンド社

さて、トリは、僕の電通時代の先輩であり、盟友のひろのぶさんである。「泰延」という漢字を変換するために、「泰平」と打って一字消し、「延長」と打ってまた一字消すのが面倒くさいから、ひろのぶさんと表記することにする。

書きたいことや書けることはたくさんある。
しかし、ツイートがおもしろすぎてフォロワーが五万人に達しようとしているひろのぶさんの初の著書の内容がいかに素晴らしいについては、ほかに多くの方が競うように、筆を尽くして書いているから、「本当のことしか書かない」コラムニストとしての僕は、以下の二点にのみ言及しておこうかと思う。

 

これを著者本人に読まれると失礼でアレだが、僕はいつもこの本について人と話すとき、こう言う。
「おもしろかったよね。でも、あれ、ギューッと詰めたら、厚さこれくらい(人差し指と親指で四ミリくらいを示す)だよね」

もちろんわかっている。その中に大切なことがたくさん詰まっていて、それをエンターテインメントとして、語りかけるように一気に読ませるひろのぶさんの技量と才能がほとばしるようなのである。

本というのは、書けと言われて一生懸命書くと、編集者に「減らせ」と言われる。
「こんな厚い本は、もう人は読まない」、「文字ばっかだと売れない」というのである。

だから、『読みたいものを、書けばいい』は、構造として革新的だな、と感心した。
大きな余白、でっかい文字、ひろのぶさんのウェブ記事の特徴である、そこここにある太文字。それでも内容は濃密この上ない。
QRコードで過去の記事をスマホで読める仕組みも、田中泰延氏にはじめて触れる読者には親切である(日本の人口の半数以上はツイッターなどしていない)。
ダイヤモンド社の編集者である今野氏の手腕なのかな。

 

もう一点。僕は「文章がうまくなる方法」というものには否定的なのである。そのほとんどは遺伝子によって決まっていることは科学研究が示唆している。
つまりは才能なのである。

はじめにひろのぶさんから「なんか、文章術の本を書かないかって依頼が来て、書こうと思うねん」と聞かされたときは、正直に言うと、
「そんなインチキなもん書きたいわけちゃいますやろ」
と、僕は思ったのだ(今野さんゴメンネ)。

かくして世に出たこの本を、僕は新幹線の中で読んで、新大阪から東京に着くまでに読み終えた。

ぜんぜんインチキは書いてなかった。
それどころか、ひろのぶさんは安易なビジネス書やハウツー本の類を嘲笑って、それこそ「凄味」すら放ってこれを書き切っていた。

ものを書く上での基本スタンス、なぜ書くのか、どうやって書くのか、人を惹きつける書き方とは。これらの「書く」はそのまま「生きる」に置換可能だ。

最後は才能、という自説を僕は変えないが、それを賦活するにあたり知るべき大切なことが凝縮されている。

実を言うと僕は、新幹線での読書の終盤にさしかかる、小田原を通過するあたりで少し涙した。

「ひろのぶさん、やったな……」という感慨が、ここ二、三年という年月の重みをともなって押し寄せてきたのだ。

僕は「死ぬほどやりたいことがあって」、四年前に電通を辞めた。以来、そのひとつひとつを実現するべく、チマチマと活動している。
ひろのぶさんは「死ぬほどなにもやりたくなくて」、二年半前に電通を辞めた。
ご自分でもそう公言しているが、人に「あれ書いて」と頼まれれば書き、「ここに来て」とイベントに呼ばれれば行き、自分からなにかをしたいと考える人ではまったくないのだ。

 

 だけど、人生それだけで済むわけはなくて、
「もうセブンイレブンで働こかな……」
と自嘲していたこともある。
僕は、仕事場の近くのコンビニを指して、
「あそこなら、名札に『けいこ』って書いてある白人のスタッフがいますよ!」
「よし! そこにするわ」
「裏手のあそこなら、平日は美人の人妻が働いてますよ!」
「じゃあ、そこにするわ!」

我々はいつもそうやって笑っては、問題を先送りにする。

ひろのぶさんと僕は、たまにバーで飲むが、いつも楽しい話をしているわけではない。
たいがい、肩を寄せ合って、暗い顔してウィスキーの味がするそれぞれの孤独を舐めているだけだ。上田豪さんも同じような顔して、そこにいる場合もある。

ああして、横に並んでボソボソと話して過ごした夜の数々が、涙で滲む車窓に映し出されるようだった。

 

案の定、この本は高い支持を得ているようで、大きな増刷がなされた。
ひろのぶさんに「おめでとうございます!」とメッセージを送信したら、こんな返信があった。

「ありがとう。とりあえず、セブンイレブンに出す履歴書は引き出しにしまいました」

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田中泰延 著『読みたいことを、書けばいい』(ダイヤモンド社)