月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「アメリカはどこにあるんだ」

誰しも、使命感を持って続けていることがあるのではないだろうか。子供を育てることもそうだし、仕事にそれを感じて取り組んでいる人もいるだろうし、地域や業界や趣味で、何かの団体に所属することもそれに通じるものがあるだろう。
 
僕にとってそれはカントリーミュージックである。
いや、バンドをやっているとか啓蒙活動をしているとか、特に何かをがんばっているわけではなくて、時折コラムで紹介するくらいだ。
だけど、それを「使命感」だなんて大仰な言葉にしてみせたのは、父親の遺志に僅かながら応えたいという思いもあってだ。
 
僕の父親は生前、日本カントリーミュージック協会という団体を立ち上げて、理事として十年間活動していた。もう解散してしまった小さな協会ではあったけど、一応本国アメリカのカントリーミュージック協会の傘下として認定されていた。
 
まだインターネットが普及する以前だったので、会員に対して本国の最新情報を伝えることはもちろん、テレビ局からの情報提供の依頼に応じたり、コミュニティFMの番組のために流す楽曲のリストを作成したりしていた。
 
僕はそこまでするつもりはないのだけど、こういう素晴らしい音楽がどうしても日本で広く知られない歯痒さは感じている。
なにも高尚なものではなくて、ビール飲みながら聴いたり、BBQでもする時に流しておくのに持ってこいの大衆音楽だ。現代カントリーはロックやポップ音楽とほぼ相違がない、と言ってもいい。
古くからのファンによる「こんなのカントリーじゃない! ただのポップだ!」という批判はここ三十年くらいされている。
 
日本のレコード会社はテイラー・スウィフトがカントリー歌手だなんて一言も謳わなかったし、キャリー・アンダーウッドやケニー・チェズニーなど他の歌手も「アメリカンミュージック」と表記したりする。カントリーと書くと「なんだかダサそうで」売れないからだ。
 
なんだかダサいものが好きな僕はただ、これでアメリカ人の心に触れてきたし、カントリーを聴いて英語を覚えてきた
歌詞が優れていることはカントリーを知る人なら認めるところだろう。
大阪でカントリーバーを営む友人のマスターからリクエストがあったので、Blake Sheltonの"The Baby"という歌を翻訳する。マスターはカントリーを心から愛しているけれど、英語は苦手なのである。
でも本当は、歌詞がわかると音楽は倍以上味わいを増すだろう。友人のためにひと肌脱ぐ。
 
ブレイク・シェルトンはアメリカではトップシンガーの一人である
オーディション番組の"The Voice"の審査員もやっていたから、ケーブルTVでご存知の方もいるのではないだろうか。
 
このコラムの中で何度か英語文法の解説に絡めてカントリー曲を紹介しているが、今回は文法ウンヌンはナシ。ややこしいこと抜きで意訳だけすることにする。
 
"The Baby"
 
My brother said that I
was rotten to the core.
I was the youngest child,
so I got by with more.

お前は甘やかされやがってと兄は俺に言った
俺は末っ子で 兄弟とは色々あったんだ

I guess she was tired by
the time I came along.
She'd laugh until she cried,
I could do no wrong.
She would always save me,
because I was her baby.

たぶん母は俺が生まれた頃には
子育てに慣れて甘くなっていたと思う
俺が何をしたって涙が出るまで笑ってくれた
母はいつでも俺を救ってくれた
俺は彼女のベイビーだったから
 
I worked a factory in Ohio,
a shrimp boat in the Bayou,
I drove a truck in Birmingham.
Turned 21 in Cincinnati,
I called home to mom and daddy,
I said "Your boy is now a man."
She said "I don't care if you're 80,
you'll always be my baby."

俺はオハイオの工場で働いた
南部の港で海老漁船にも乗った
バーミンガムでトラック運転手をした
シンシナティで成人した
実家の母と父に電話してこう告げた
「あなたたちの子供はとうとう大人になったぜ」
母は言った
「あなたが八〇才でも関係ないわ
いつまでも私のかわいい子なんだから」
 
She loved that photograph,
of our whole family.
She'd always point us out,
for all her friends to see.

母は家族全員が写ったあの写真が好きだった
友人たちにわかるように一人ひとり指さした
 
That's Greg he's doing great,
he really loves his job.
And Ronnie with his 2 kids,
how 'bout that wife he's got.
And that one's kinda crazy,
but that one is my baby.

それがグレッグ 彼はがんばってるわ
自分の仕事を本当に愛してる
二人の子供といるのがロニー
こんないいお嫁さんもらって
それから この子はなかなか大変な子でね
でも私にはかわいい末っ子なの
 
I got a call in Alabama,
said come on home to Louisianna
and come as fast as you can fly.
Cause your momma really needs you,
and says she's got to see you,
she might not make it through the night.
The whole way I drove 80
so she coul
d see her baby.

俺はアラバマで電話を受けた
ルイジアナの実家に飛んで帰って来いという
母さんはお前が必要なんだ
最後に会わないとって言ってる
今夜もたないかもしれないから
俺はずっと八〇マイルで飛ばした
母が愛した息子に会えるように
 
She looked like she was sleepin'
and my family had been weepin'
by the time that I got to her side.
And I knew that she'd been taken,
and my heart it was breakin',
I never got to say goodbye.

彼女は眠っているように見えた
俺が母の横にたどり着いたときには
家族は泣いていた
それで俺にはわかった
母は神に召されたって
俺の心は張り裂けそうだった
さよならを言うことができなかったんだ

I softly kissed that lady
and cried just like a baby.
 
俺はそのレディにそっとキスをした
そして赤ん坊のように泣いたよ
 
Official Video:
 
この曲は二〇〇二年に発表され、カントリーチャートの一位になっている。シェルトンにとっては、デビュー曲の"Austin"以来、二番目のナンバーワンソングだ。
実際の彼はオクラホマ生まれ。十四の時に、兄のリッチーを交通事故で亡くしている。高校を出てすぐに、音楽キャリアを築くべく、カントリーミュージックの本拠地であるテネシー州ナッシュビル出ている。
 
この曲も含め自分では作詞はしないのだが、
「ダークス・ベントレーとか、同世代のシンガーソングライターは自分で書いてるんだから大変だよなぁ」
と呑気なことをラジオで言っているのを聞いた。
釣り好きで、「最近は釣り具屋に行くと見つかって大変なことになるから、もっぱらネット通販でしか買えない」とボヤいていた。
南部訛りがキツく、田舎の気のいいあんちゃん丸出しである。
二度離婚して、二〇一五年にはフォーブス誌の試算でおよそ三十億円分稼いだビッグスターであることは脇に措いて、僕はこういう男と友達になりたいと願う
 
最近、日本ではオレゴン州ポートランドやニューヨークのブルックリンが流行ってるって? それからカリフォルニアだって?
どれもアメリカの一面ではあるんだけど、本当にアメリカらしいアメリカとは、都会ではなくてオハイオやケンタッキーやノースキャロライナやオクラホマの名もなき町にあると僕は考えている。
カントリーを聴きながらピックアップトラックを運転し、家族を想ったり、小さな恋をしたり、それを失って涙浮かべてウィスキー飲むような連中が、僕らと何ら変わらない人たちだということがわかる。
 
僕が去年の夏カナダでカウボーイやっていた時もよく彼の歌を聴いていた。時折、トラクターの運転席で、僕も涙を浮かべたものである。
 
僕の母は東京で健在だ。
しかし、我が家の「なかなか大変な末っ子」である弟はオハイオ州シンシナティで成人したし(僕は三人兄弟の真ん中)、なんだか共感できるところが多くて心の中の脆弱な箇所をふいに突かれてしまった
二〇〇六年六月号 「弟A」(これ、十年前のコラムだから、今はもっとマシな暮らしをしています):
 
僕は、十年前の冬の早朝にこの世を去った親父の死に目には会えなかった。その前に辛うじて、さよならは伝えることができたんだけど。
いくつか彼に感謝を込めて誓ったことがあって、そのうちのひとつが「死ぬまでカントリーを聴くよ」ということだった。
 
個人的な話になって申し訳ない。ここまで付き合ってくださってありがとう。
マスター以外の方々にも、こういう人間の血が通う歌が、二十一世紀にも現存していることを知ってもらいたかっただけなんだ。
 
だから、なるべく家族の写真は紙焼きにした方がいいと思う。
みんなそれぞれ忙しいし、カネもないんだろうけど、何年かに一度は家族で集まった方がいいと思うんだ。
 
来月、末っ子の弟が六年ぶりに日本に帰ってくる。
 

f:id:ShotaMaeda:20160905171013j:plain