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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「十年念じよ」

column

僕は占いの類は信じないのだが、先日、勤め先の送別会で「ワタシ、手相が診られるんです」という女性と会話をしたので、せっかくだから僕の掌を診てもらうことにした。

彼女は僕の両手をグイッと引き寄せ、しばらく凝視したのち、いきなり、

「芸術家肌なタイプではないですね……」 と言った。

広告クリエーター(という言葉は大嫌いだが)という職業柄、それを言われて傷付く人もいるのではないか、という配慮は微塵も感じさせない、事実を事実としてだけ告げる口調であった。僕はわかっている。自分はおよそ芸術を解さない人間であることを。
だから、僕は平然と、そして平然と聞こえるように答えた。

「そうね、僕は全然アーティストなタイプではないよ」

彼女は僕の掌を再び矯めつ眇めつしながら、目を上げることもなく、今度はこう告げた。

「かといって、理論派でもないですね」

なんやねん! なんやっちゅうねん。オレがなんの取り柄もない人間であることを、外堀を埋めるようにして徐々に伝えてくる戦法か。オレはそのへんの勘はいいんだぞ。繊細だからな。
続けて彼女は言った。

「あ、勘はいい方みたいです」

あぁ、そうかい。知ってるわ。
それにしても、「勘はいい」という漠然とした、掴みどころも証明のしようもない結論とは。良く解釈するならば、「センス(第六感、つまりシックスス・センスというくらいだから)は良い」とふうに受け取れる。普通に翻訳するなら、単に「なんか知らんが、なんとかなってる」ということか。
まぁまぁ、いいではないか。センスがいいというのは、何事にも役に立ちそうだしな。芸術家肌でセンス悪かったら、つまり才能ゼロと同義だからな。って、勝手に良く解釈した方をさらに拡大して採用しました。
最後に彼女が言ったのは、

「あとは、なにかをずーっと続けるのは得意ですね」 ということだ。なるほど。その時履いてたブーツも二十年近く履いてるものだった。

話は変わって、先週、ハタチの男子大学生と二人で飲んだ。彼は三年前の僕のカナダ一人旅の際に、行きの飛行機で隣り合わせた当時高校二年生の少年だった。三年が経って、彼は大学生になっていたのだ。
二〇一一年七月号に日影くんという名前で登場している。

http://goo.gl/QYK62s

僕はあの時、旅から帰って、テニスの青春小説を読んだ際に、機上で出会った、「テニスをやっている」「修学旅行でシアトルに行くところ」だった高校生のことを思い出して、なぜだか彼にもこの本を読んでほしいと思ったのだ。そして、高校名とテニス部と苗字しかわからない彼宛に、封筒にそれだけ書いて本を送ってみたのであった。
ちゃんと届いたのである。お礼の電話をもらった。きっとお母さんから「ちゃんとお礼を言いなさいよ」とか言われたのだろう。ちゃんとした教育を受けている少年の初々しいお礼の仕方だった。
その時に同封した僕の名刺を頼りに、彼から三年ぶりに連絡があったのだ。実は、今夏、錦織選手が全米オープン決勝に進んだ時に、僕の方もなぜかその日影くんのことを思い出していた。その直後の連絡だったから、僕はうれしかった。
もうすぐ三十九になろうとしているおっさんと、二十才の大学二年生がどんな会話をしたのか。いや、そんな隔たりを感じさせないほど、楽しい会話をしたものだ。だけど、訊いてみるとなんと母親は四十二才だという! 三つ上。「今度一緒に飲もう」と喉まで出かったぞ。
ちょっとクールで物怖じしない日影くんは、バイトのことや、大学のことや、海外への興味のことなどを聞かせてくれた。僕に就職の相談をするわけでもなく、なにかためになる話を求めるでなく、ホントに自然体の好青年なのだ。そして、なかなかのハンサムボーイなのに、カノジョはいないそうだ。

「コンパしたろか?」と再び喉まで出かかったが、彼は「……ぽいコならいるんですけど」と意味深なことを言う。 「なんやそれ、ええなぁ」 「いや、あの、付き合おうと思えば付き合えるのかもしれないけど、バイトの仲間なので、仲間同士が楽しいかなぁ、と」

やはり、クールなのだ。僕がハタチの時はそんなんなかったなぁ。付き合おうと思って付き合えるなら、付き合ってたわな。付き合えないから付き合わなかったな……。
思わず遠い目をした僕の口から出た次の言葉はこうだった。

「……失恋とか、してみてえなぁ」 「え、そうですか?」 と驚く日影くんに僕は補足した。失恋は散々してきたから、その辛さはよく知っているのだ。わざわざそれをしたいわけではなくて、恋と失恋は一対だということを僕は知っているだけだ。恋をすれば失恋はセットなのだ。恋が恋で終わるためには失恋がセットで付いてくるのである。恋から結婚に発展すると、恋は終わらなくもないが、変質するだろう。

私などは、うちの主人(=妻)に「愛してるー」とか言おうものなら、テレビのリモコンを持ったままで、

「うるさい。押し付けがましいねん」 と、一顧だにされない。だから、言わないようにしている。

恋を求めると失恋が帰結であるなら、人生を少なからず味わってきた我々大人は先回りして失恋に思い致すのである。
「恋してえなぁ」が「失恋してえなぁ」になるのは、「甲子園に出てみたいなぁ」が「砂とか持って帰りたいよね」になるのと同じことだ。優勝旗ではないのだ。そこはいつも砂なのだ。

「それって、さびしくないですか?」

日影くんは真っ当な問いを投げかける。

「もうな、想定しとくねん。どーせフラれるねん」 「フラれたら諦めるタイプですか?」 「去る者は追っても仕方ない。それより、相手がいなくなっても、自分が生きていけるように心の準備をしておくことだ」

日本女性の平均寿命がゆうに八十を越えるようになり、うちの母親なんかほぼ確実に、男性である僕よりも長生きするだろう。「いつまでもあると思うな」は、「親とカネ」ではなく「恋とカネ」なのだ。

「そうなんですかー……」

日影くんは納得できない様子だ。それでこそ若者だ。

「他者の心はコントロールできないからな。できるのは、自分のだけだ」

日影くんがよく納得できない様子だったことをもうひとつ話した。

「何かを十年思い続けるというのは、思ったより簡単なことだ」ということ。

十年を二回しか経験したことのない日影くんはまだ十年費やして何かを念じたことはないのだろう。
難しい話ではない。僕は十六の頃から「ヒゲ生やしたい」と思っていたら、二十六で生やせるようになった。本当である。家系的に特に濃いわけではなく、三兄弟でヒゲを生やせるのは僕だけだ。腹を六つに割りたい? 割れた(まぁ、鍛えたからなんだけど)。バイク乗りたい? 乗れた(うん、免許取ったからなんだけど)。
自分のことはなんとかなるのである。それが人の評価や判断に委ねなくてはならない類のものはそうはいかない。しかし世の中はそういうことだらけだから、念じてもモテないし、思い描くような成功はできない。
念じるのだ。十年念じよ。人のことではない。オノレのことをだ。
なかなかの理論だろう。そう、僕は理論派ではないのだ。
最後にひとつだけ忠告しておこう。自分の切実な念が通じない部分がひとつだけある。アレだ。あれはまったく言うことを聞かない(場合がある)のだ。いや、二十才の若者とは逆の意味でだ。
日影くん、君にも丹下段平の気持ちがよくわかる日が来るだろう。その喩えがすでにわからないか。そうか。
結局こんな話ですまん。僕は、アーティスティックでもないのだ。