月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「新聞って、いる?」

先日、『働かざる者たち』(サレンダー橋本著・小学館)という漫画を読んだ。斜陽産業と言われて久しい新聞社の中にいる、さまざまなタイプの働かないおっさんたちを描いた哀しくて笑えるものだった。

僕は電通に勤めていた頃の何人かの顔を思い出したし、新聞社に限らず、サラリーマンなら誰でも、「うちにもいるいる、こういうおっさん」と思えるだろうから、人に勧めたくなる。

さて、ヨソさまの心配などしても仕方ないのだが、新聞というものをいったい誰が読んでいるのか不安になることがある。毎朝電車に乗ると、誰も新聞紙など広げていない。そもそも満員電車の時間帯に利用せざるをえない人たちは、そんなことは物理的に不可能だし、いや、比較的すいている時間であっても、みーんなスマホに目を落としているだけで、新聞を読んでいる人などほぼいない。

僕は新聞の熱心な読者であることを自負している。
電通時代には、先輩から、
「今朝、地下鉄でショータのこと見かけたけど、ものすごい真剣に新聞読んでたから、話しかけるのやめたわ」
と言われたくらい、読み込んでいる。

そんな一読者として、新聞に大きなお世話の提言をしたいと思う。

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ご存知の通り、新聞各社には論調というものがあって、朝日新聞毎日新聞はいわゆる「左系」で、現在でいえば安倍政権に対しては批判的な立場から報道をすることが多い。読売新聞と産経新聞はこれに対して「右系」と呼ぶことができ、たとえば憲法改正にも賛意を示している。

新聞の役割には、報道・意見・娯楽の三つがあり、中でも意見については各社、独自の個性をもって読者にアピールしようとはじまったものだと想像できる。しかし、僕にはこれが不思議なのである。新聞社も組織であるからには、いろいろな違う意見の人たちがいるはずだ。上層部や論説委員にだって、考えに差異はあるだろう。まさか入社試験で思想テストでも行なっているわけでもあるまいに。

なのに、なぜ朝日新聞は判でついたように朝日的主張をして、産経新聞は常に産経的論考を披露するのだろう。

僕は内部を知る知人に、それについて訊いてみたことがある。彼の答えはこうだった。
「空手の『型』みたいなものだよ。朝日ならこう、毎日ならこう、と、『こう書いときゃいいだろ』みたいに、それぞれが社風に従っているだけでは」

まぁ、記者もサラリーマンであるから、それはわからなくもない……。

古いものだが、ここに『体験的新聞論』(潮新書12・1967年)という本がある。昭和の「伝説的」新聞記者と言われた藤田信勝が書いたものだ。

彼は、“ニュース“というものは、“事実”の“コピー”であり、「事実のコピーが常に必ずしも真実を伝えるとは限らない」と論じた上で、「正確なコピーをつくるのは、できるだけ多くの面から一つの事実を切り取って考えてみることだと思う」と述べる。

「一つの事実を、かりに一つの円だと考えると、円そのもののコピーをつくることは、なかなか困難な仕事であっても、円に内接する多角形の数を増やすことによって円に近いものを描き出すことができる。AよりBのほうが、より円(事実)に近いといえよう」

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この著作から五〇年が経って、現在の新聞社が「より円に近いもの」を読者に提供できているかと言えば、疑わしいのではないか。

商売的に言えば、円ではなく、三角の方が「尖っている」だけ人には刺さりやすい。扇情的とまで言わなくても、誘導的な見出し、一面的な報道、感情的な言葉、プロがこれらを用いれば、人の心をとらえることは容易いだろう。

スマホとあらゆるものが、限られた時間を奪い合う高度な情報社会の中にあって、競争の原理によってそのようなトガッた意見が突き抜けやすいのは仕方ないとも思える。

しかし、それによって起こるのは分断である。

アメリカで起こることは数年遅れて必ず日本でも起こるものだが、分断について言えば、その兆候はすでにはじまっている。

ネットメディアに顕著だが、左系メディアと右系メディアがはっきりと分かれ、片方の視聴者や読者は、もう片方には見向きもしないものだ。朝日系列のHuffPostは左系ということになるので、僕がたまにブログをあげると「ハフポらしくもない」などという意見を目にすることがある。そんなことはどうでもいいじゃねえか。

そうやって、メディアが「型」通りの主張を載せつづけたり、決まりきった報道ばかりしていると、同じような顧客ばかりが集まってきて、集団が凝り固まってくる。
スマホで記事を読む人は、聞きたい意見ばかり選択的に読むから、ますます偏向していく。そういうサイクルで分断の溝は深く、広くなっていく。

自省を込めて書くが、偏向しているのはメディアばかりでなく、我々も同様なのだ。

新聞が目指すべきは、トガッた三角ではなく、円ではないかと思う。

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「オレは新聞など読まん!」

今、円を描くことを目指したメディアはほとんどない。

円だからといって、みんな仲良く、丸く収まるように話し合えと言っているのではない。
僕は、円の中での「穏やかで理性的なバトルロイヤル」は、充分に読者を惹きつける魅力があるのではないかと思っている。そう、右は右同士、左は左同士で、「そうだよね。そうだよね」と讃え合うのではなく、右と左が意見をちゃんと交わせば、これはおもしろいだろうと思う。
かつての『朝まで生テレビ』がそれを目指したのだろうが、結局、声のデカいものばかりが一方的に主張を押し通す、視聴に堪えない番組であった。それに輪をかけて醜いのが今のネットだ。

「武力ではなく対話」と言ってる連中が、対立意見を持つ人間と対話できないんだからなにをかいわんやだ。

そうじゃない。たとえば新聞社内で意見の分かれるグループがそれぞれ取材をして、違う視点から交互に特集記事を出し合うなり、ちゃんと両論併記で記事化するなりした方が、読んでいる方は知的娯楽として楽しめるということだ。
論説委員のご高説ではなく、普通の中堅社員がやったらいいと思う。政治家を含め、有名人のパフォーマンスはたくさんだ。

なんなら朝日新聞の人間と産経新聞の人間が一緒になって横断的にやったらいい。飲み屋では行なっているのだろうから、それをちゃんと紙面でやったらいいのだ。瀕死の新聞は一丸となってそれくらいやっていいではないか。

ひとつひとつのテーマに答えなんか出るはずはない。しかし、「答えなどない」ということを、一般の読者が理解しないと思考の停滞はつづく。
これを食べれば健康になる。これをすれば仕事ができるようになる。アベが辞めれば世の中よくなる。こういう考えを少なくとも子供に見せたくは、ないな。

僕自身の旗印を鮮明にするならば、死刑には賛成だし、移民反対だし、日韓関係に未来などないと思っている。しかし、反対意見の、まともな人間となら話してみたいという好奇心はある。ヒステリックなのと、恫喝的、暴力的なのはかなわん。
意見だってなにがなんでも変えないという意思はない。

新聞がちゃんとこの世の複雑さと困難さを、ただの単純化ではなく、整理して見せてくれるなら読みたい。
その過程で、「この記者は鋭い」「この人の書き方は響く」というように、記者にスターが生まれていくことも想定できよう。そうやって、顔と名前が見えるかたちで個人を「スター」にしていった方が、社としてもいいように思う。なぜなら、少なくとも僕は、誰だかわからない新聞「社」の考えなど求めていないからだ。

まぁ、スターから辞めていっちゃうだろうから、そこはゴメンやけど。

前出の藤田信勝には『敗戦以後』という、一介の記者の目で戦争末期からの混沌とした時代を見つめた、日記をベースとした著作もある。その中で、まさに戦争に敗れた八月十五日に新聞記者としての身の振り方に悩んだ、次のような記述がある。
「しかし、いまわれわれ全部が新聞社を去ったらどうなるだろうか。国民は杖を失った盲人同然だろう」

これをもって現代の視点から批判するのは容易いが、新聞社に勤めるというのは当時、かほど傲慢にも近い特権的立場であった。今はそんな時代ではないものの、やはり記者クラブをはじめとして特権的地位にあることは間違いない。

僕は、記者クラブは措いて、誇り高い職業であってほしいと、敬意を込めて思う。
藤田信勝は僕の祖父でもあるしね。

普段カネを払って新聞を読んでいる僕が、なんで一日使ってこんなことを考えなくてはならないのかわからんのだが、個人的には新聞は社会に重要な仕事だと考えているので、社会の分断を憂えて、休日を使って書いた。

 

「今夜も悲しいきみへ」

今朝いきなり訃報が舞い込んできた。

カナダの牧場にいる日本人カウボーイ「ジェイク」から、「ステュがなくなった。おそらく心臓麻痺」というメッセージを受けた。
「ポッカリ穴があいた感じ」というジェイクに返せる言葉を探すには、しばらくの時間を要したのだが、僕は
「いいボスでした。冥福を祈ります」
と返信した。

ステュこと、ステュアート・モリソン氏は、八〇〇〇エイカーを誇るサスカチュワン州のギャッヴューランチの牧場主で、長身で声が大きく、体や声と同じくらい大らかな心を持つ男だった。僕が拙著『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』の取材でそこに滞在していた二〇一五年には、七十二才だった。だから今は七十五才か。

僕が牧場に着いて三日目くらいに「インタビューをさせてほしいので、今夜時間をください」とお願いすると、「いいよ」と快諾しながらも、あとでジェイクには「なにを訊かれるんだろう……」とやや緊張した様子を見せていたらしい。
結局、「あのインタビューだけどな、明日にしてくれないか」と一度延期したことを覚えている。その時の会話の内容は『カウボーイ・サマー』の第一章に載っている。

「写真を撮らせてほしい」
と尋ねると、
「いいよ。あ、ちょっと待ってね」
と、よっこいしょと立ち上がり、壁に掛けてあったハットを取ってきて、それをかぶった。一九八八年のカルガリー五輪の年に、ちょっと無理して買った高価なカウボーイハットだという。もう汚れて多少ヨレたものだったが、やはりカウボーイの正装は、カウボーイハットなのだと、僕はうれしく思ったものだ。

ジェイクからしたら、職場のボスだから、いろいろ不満も、時には面と向かって言いたいこともあったろう。
だけど、彼はステュのことを、心からリスペクトしていたし、感謝していた。

島根県出身で、大阪で働きながら、お金を貯めてはカナダに飛んで、ロデオに打ち込んでいたジェイクを、「弟子」のようにカウボーイとして雇い、当時入手したてだった広大な牧場を任せてくれたのは、ステュ本人だからだ。

ロデオ会場で出会った、英語もろくに話せないアジア人に対して、
「お前、今夜泊まるところあるのか?」
と声をかけ、寝床を提供するというのは、こうしてただ書くよりもずっと難しいことだと思う。
ただし、「ちょっと飲んで行こか」と立ち寄ったバーで酔っ払って、肝心のジェイクを置いて帰るという豪快なオチがあるのだが、この話はジェイクもステュも、いつも笑い話として話してくれた。

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ギャッヴューランチから、キングランチに移った僕は、あの夏、馬や犬といった動物たちにはよくモテた。特に、キングランチの牧場主、ハーブが飼うグーフィ―という大きくて黒いラブラドール・レトリバーは、よく僕にくっついてきた。

「人間のことが好きなんですね」と言った僕に、ハーブの妻、イーディスは、
「でもね、大きくてうるさい人は苦手みたいよ」
と教えてくれた。ステュのことらしかった。

ただカウボーイへの憧ればかりで、牧畜業のスキルなどなかったジェイクをいちから育て、ヴィザの手続きなどの面倒を見て、外国人の彼に信頼を置いて立場を与え、大きな声で溌剌と人付き合いをする彼は、Big hearted cowboyの見本のような男だったと思う。

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二年後、本を持って僕が牧場を再訪した時、高齢のステュは脚を悪くしたようで、ギクシャクとロボットのようにぎこちなく歩くようになっていた。

生前には、ジェイクの娘たちの学費を援助することや、牧場の管理を今後もジェイクに任せることを約束していたそうなので、グランパ(おじいちゃん)との突然の別れに、娘たちやジェイクの悲しみを思うと、心が痛む。

 

生きていると、喜びは長続きしないのに、悲しみは心を押し潰さんばかりの勢いで襲ってくることがあるだろう。あたかも、うれしかったことが、悲しいことに上書きされていくのが人生であるかのような錯覚すら覚えることがある。

人はいつか死ぬし、物はいつか壊れるし、恋は終わるし、カネはなくなる。

悲しみというのは、〈乖離〉のことだ。

つまり「離れている」状態のこと。
愛する人と、死によって会えなくなること。
好きだった人と、心が離れてしまうこと。
みんながもう、集まれないこと。
夢見た場所に、行けないこと。
ほしいものが、手に入らないこと。
なりたかった自分に、なれないこと。
そうあるはずだった人生を、生きられないこと。
過去のあの時に、戻れないこと。

これらはすべて、物理的、心理的、両方を含めて距離が離れていることだ。
それが悲しみの正体なんだ。

僕はこれに気付いてから、悲しいことを不必要にひどく悲しむことはなくなった。
いや、悲しいことはたくさんあるし、悲しいことばかりのように思える夜もある。

だけど、これはただの乖離の問題だから、自分でどうにかできることと、どうしようもないことがあると、分解してみるとわかる。いや、わからないかもしれないけど、わかったような気になって、また明日を待つのである。

そして、自分でどうにかできることは、そこまでは自分でやってみるけど、そこから先の手が届かない領域はくよくよ考えないことにしている。

超えられない乖離は、仕方ないこと。ただ、僕たちができることは、想うことである。
想うことは、距離も時間も超えられるから。

だから、今日は、もう会えないステュのことを想って、遠くにいるジェイクのことを想って、乖離を心の中では、少しだけ埋めてやるのだ。

Rest in peace, Stu.

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もうすぐ死ぬかのように生きること

一時間幸せになりたければ、酒を飲みなさい。
三日間幸せになりたければ、結婚しなさい。
八日間幸せになりたければ、豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい。

という中国古諺があるらしい。

僕なら
一生幸せになりたければ、カントリーミュージックを聴きなさい
というだろう。

毎年一回くらいやるカントリーソングの紹介(和訳)である。

好きな歌手は何人もいるから、選ぶのは大変なのだが、Tim McGrawは、アルバムが出れば必ず買うアーティストのひとりだ。彼のことは過去にもここで紹介しているのだけど、ずっと好きなので仕方ない。

彼の曲から一曲選ぶのはさらに大変なのだが、”Live Like You Were Dying”という曲にしよう。

ティム・マグロウはメジャー・リーガーだったタグ・マグロウの息子であるが、婚外子であったため、十一才の時に自分の出生証明書を見つけてしまうまで、実の父親については知らなかった。タグはティムと会ってからも七年間、父親であることを否定したが、やがてこれを認め、父子としての付き合いをはじめた。
ティムがカントリー歌手として成功してからは、ビールのバドライトのCMで共演もした。

ティム・マグロウは、全世界で五千万枚以上のレコードを売り、数々のヒット曲を持つ、アメリカを代表する歌手のひとりである。以下の曲はビルボード誌による、「批評家が選ぶティム・マグロウのベストソング」としても挙げられている。

www.billboard.com


ソングライターのティム・ニコルズとクレイグ・ワイズマンの共通の知人が、ガンであると誤診されたことがあり、その時に二人が持った「もしそうなったら、君ならどうする?」という会話から生まれた歌なのだそうだ。
ティム・マグロウは父親を亡くした直後であったため、即座にこの曲に共感したという。

 “Live Like You Were Dying”

Said I was in my early 40’s
With a lot of life before me
And a moment came that stopped me on a dime

 人生はまだまだ続くと思っていた40代前半だった、と彼は言った
 その瞬間は突然やって来たよ

I spent most of the next days, looking at the X-rays
Talking about the options, talking about sweet time

 次の日からレントゲン写真ばかり眺めてすごした
 選択肢について話し合ったり
 楽しかったあの頃について語り合った

Asked him when it sank in
If this might really be the real end
How’s it hit cha, when you get that kind of news
Man, what cha do
He said

 沈黙がおとずれたとき僕は彼にたずねた
 もしもそれが本当に本当の終焉だったなら
 どんな衝撃だったかな
 そんな知らせを受けたとき
 なにをしたんだい
 彼は言った

*Chorus
I went skydiving
I went Rocky Mountain climbing
I went two point seven seconds on a bull named Fu Manchu
And I loved deeper
And I spoke sweeter
And I gave forgiveness I’d been denying
And he said someday I hope you get the chance
To live like you were dying

 俺はスカイダイビングに行ったよ
 ロッキー山脈のハイキングにも行った
 フー・マンチューって名前のブルに2.7秒乗れたぜ(※)
 それから愛する人をもっと大切にした
 あたたかい言葉で話した
 ずっと拒否していたけどあいつを許すことにした
 彼は言った
 いつか君にも もうすぐ死ぬかのように生きられる日が来ることを願うよ

He said I was finally the husband
That most the time I wasn’t
And I became a friend a friend would like to have

 ぜんぜんなれていなかった夫に俺はようやくなったんだ
 友人が望むような友人になった、と彼は言った

And all of a sudden going fishing wasn’t such an imposition
And I went three times that year I lost my dad

 突然釣りに行くことはまったく面倒でなくなったし
 親父が亡くなった年には三回行ったよ

Well I finally read the good book
And I took a good long hard look at what I’d do
If I could do it all again
And then

 やっと聖書だって読んだし
 俺がもう一度人生をやれるならなにをするか
 よくよく考えてみたんだ

*Repeat Chorus

Like tomorrow was a gift
And you’ve got eternity to think about
What you’d do with it
What did you do with it
What did I do with it
What would I do with it…

 明日が贈り物であるように
 時間が永遠にあるかのようによく考えた方がいい
 人生を使ってなにをするか
 なにをしてきたか
 俺はなにをしてきただろうか
 俺はなにをするだろうか…

Skydiving
I went Rocky Mountain climbing
I went two point seven seconds on a bull named Fu Manchu
And I loved deeper
And I spoke sweeter
And I watched an eagle as it was flying
And he said someday I hope you get the chance
To live like you were dying

 スカイダイビングに行ったよ
 ロッキー山脈のハイキングにも行った
 フー・マンチューって名前のブルに2.7秒乗れたぜ
 それから愛する人をもっと大切にした
 あたたかい言葉で話した
 イーグルが飛んでるのを眺めたよ
 彼は言った
 いつか君にも もうすぐ死ぬかのように生きられる日が来ることを願うよ
 もうすぐ死ぬかのように生きろ
 もうすぐ死ぬかのように生きるんだ…

Official Video:

www.youtube.com


※印をつけたところを少し解説する。
「ブルに2.7秒乗った」というのは、ロデオのことを指していて、ロデオの中のブル・ライディングのことである。これは、ロデオのメインイベントといえる、暴れ牛に片腕で乗る競技で、八秒間乗るとポイントがつくのである。
フー・マンチューというのは英国作家のサックス・ローマ―が創造した、長いヒゲを生やした(まぁ、要するにラーメンマンみたいな)中国人の悪党で、その後悪人キャラクターとして他の作品にもひとり歩きするようになった。さらに、ナマズヒゲのことが「フー・マンチュー」と呼ばれるようになるくらい定着しているようだ。

つまり、ここで登場するブルが、フー・マンチューと名付けられるような凶悪なヤツだということだ。

ロデオというのは、アメリカの映画や歌で、これくらい自然に登場するスポーツなのであるが、日本では「カウボーイ」の存在と同様、ほとんど知られていない。
アメリカに関する情報や知識が、あまりにも東西の両端、具体的には東海岸のニューヨーク~ワシントンDCと、西海岸のロスアンジェルスに偏っていることに歯痒さを覚えて、僕は『カウボーイ・サマー』を書いたのだが、ロデオのことも取材してこようと思う。

ひとりの日本人の若者が、この夏テキサスに渡り、ブルライダーとしての訓練に励んでいる。なぜそんな危険が伴う、無謀とも思えるスポーツに熱中するのか、アメリカ人はそこに何を見ているのか、日本人の初心者がどこまで通用するのかを、見届けてこようと思っている。

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※イメージです

明日出発して、帰国後に何回かの連載にまとめよう。おそらくnote上で珈琲一杯分程度の有料記事にするつもりである。

『カウボーイ・サマー』のスピンオフ企画、『ロデオ・サマー』にご期待ください。おもしろいの書きます。
これも、僕にとっての「もうすぐ死ぬかのように生きる」すべのひとつですので。
応援よろしくお願いします(乗るのはオレちゃうけど)。

 

後日談:
『ロデオ・サマー』、掲載しました。

note.mu

「太くて黒い棍棒を」

僕の仕事仲間に山本太郎さんという人がいた。仮名か実名かわからない名前なのでこのまま書こう。もちろんあの政治家とは無関係だ。

太郎さんはちょっと変わった人で、よくしゃべった。あんまり人の話を聞かずにしゃべるくせに結論がなかったりするので、会議の中では僕はたまに苦笑した。
彼の方が年上だけど一度など、
「黙れ! オレがしゃべっとんねん」
と黙らせたことすらある。放っておくとまたしゃべり出す。

仕事でなければとても愉快な人で、誰とでも友達になる特技があり、実際に友達も多かったと思う。

もう十五年近く前のことだが、僕と太郎さんはもう一人の仲間とスウェーデンフィンランドに出張した。現地のタクシーの中では、最も英語が話せない太郎さんが一番よくしゃべった。
「*** Hotelね。Little hurryね」
「太郎さん、英語のあとの、その『ね』はなんなんですか」

出張の終盤、だいたい仕事は済んだ頃に、僕たち三人は雪と氷の町にぽつんとあったレストランに入った。
太郎さんはまずビールを頼んだ。料理を注文して待つ間、僕たちはひとまず互いを労って乾杯した。
「ん?」
ビールを一口飲むと、太郎さんは胡乱げにボトルを手に取って、裏のラベルを見た。
「どうしたんですか?」
「このビールな、賞味期限切れとるわ」
飲んだ瞬間に違和感があったのだろう。賞味期限の欄には、わずかに過ぎた年月日の記載があった。
僕がウェイターを呼んだ。なのに太郎さんは、ボトルを突きだすと、いきなり言い放った。
「チェンジ! チェンジ!」
僕は慌てて太郎さんを制して、ウェイターになるべく落ち着いた口調で告げた。
「このビールの賞味期限が切れていたようなんです。フレッシュなものと交換をお願いできますか?」

ウェイターが奥に引っ込んでから、僕は太郎さんに言った。
「あのね、太郎さん、突然『チェンジ! チェンジ!』なんて言ったら、日本語では『替えろ! 替えろ!』って言っているようなものですよ」
「そ、そうか……」
「ホテトル嬢ちゃうねんから」
「せやな」
「これから僕らの料理が出てくるってのに、その食いもんに何されるかわかりまへんで」
「あ、ヤバいかな?」
太郎さんは言うが早いか、席を離れ、勝手に厨房に消えていった。
一分半後に出てくると、笑顔で「もう大丈夫や」と言った。
「全員に挨拶して、握手してきた」
なんやそれ。厨房の皆さんは、キョトンとして、もう一回手を洗い直すハメになったかもしれないが、その晩は和やかにメシを食べて終わった。

まぁ、とにかく、クレームを入れなくてはならない時や、誰かの何かを正さなくてはいけない時、イラッと来た時こそ、賢明な対応をしなくてはいけない。特に頭に血が上った状態で、正確に判断しなくてはいけないというのは難しいことだ。

前々号で僕は最近「怒らなくなった」と書いたが、僕の家族や古い友人たちは笑うだろう。瞬間湯沸器とか狂犬と比喩されるにぴったりの短気な人間が、僕だったからだ。

もちろん今でも怒ることはあるのだけど、それは
①怒ることが問題解決につながる時
②相手に悪意がある時
の二つの状況においてのみである。

だから、会社員時代も後輩に怒ったことはない(と思う)。
最善を尽くしたつもりだけどできなかったことや、うっかりやらかしてしまったこと、ど忘れしてしまったことを怒ったところでどうしようもない。それらは僕にもしょっちゅうある。
そんなことより、起きてしまった問題をどうしたらいいのか考えた方がいい。

携帯電話を片手に、おそらく後輩だか部下だかに
「お前、今すぐ持って来いや、コラー! ここに! 今すぐや!」
と怒鳴り散らしているサラリーマンを道端で見たことあるが、「ここ」てどこやねん。電話やぞ。

相手に悪意がある、もしくはそう感じた時には徹底抗戦する。そういう姿勢を見せなくてはいけない。
クソリプにはさらなるクソを返す。

棍棒を携え、穏やかに話す」
これはセオドア・ルーズベルト大統領が、自身の外交方針を表わしたスローガンだ。「棍棒外交」という言葉で知られるが、棍棒だけでは一面しか捉えていない。
「にこやかに罵詈雑言を吐く」のは竹中直人だ。そうじゃない。

ムッカーッときて怒りが溢れ出そうな時に、①問題解決になるか、②相手に悪意はあるか、の二つは考慮していいはずだ。

だから、駅とか店で大きな声で怒っているおっさんはアホなのである。
何十年も生きてきて、そういうふうに状況と感情をブレイクダウンして考えたこともないのである。困ったものだ。
大雨で電車が止まったとして、駅員さんに怒鳴ると電車が動き出すのだろうか?
駅員さんはおっさんに意地悪をしようと、電車を止めたのであろうか?

上記二つのクライテリアを「そんなもん冷静に考えてられるか」という向きには、最後にもうひとつだけ提案があるがどうだろう。

「カッコいいかどうか」
その時にどういう対応を見せるのがカッコいいのか、で決めるしかあるまい。
僕は個人的には、心の中に「カウボーイ」を住まわせていて、その男はめちゃくちゃカッコいいんだ。一生追いつけないくらいカッコいいんだけど、少しずつ彼に近づきたいと思わせてくれる。
どうすればいいか教えてくれるし、ちょっと待てと抑えてくれるし、この方がよくない? と提案してくれる。
そして、人として言うべきを言わなくてはならない時、ちょっとした勇気が必要な時、カウボーイは僕に語りかける。
「お前、いまそれを、そいつに言わなかったら、あとで家に帰ってから後悔しないか?」

僕はその声に従う。
それは人によって、カウボーイでなくても、サムライでも、ナイトでも、キングでも、矢沢でもなんでもいい。あなたが信じられる何かを、心に持ったらいい。

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さて、ここまで言っても、威圧的に人を恫喝したり、暴力的に人を苦しませるのが「カッコいい」と考えている人間がいる。確かにいる。

僕のカウボーイは、僕以外の人にはなにもしてあげられないので、申し訳ない。せめてそういうやつらが特別に太くて黒くてデカい棍棒でぶん殴られますように、と祈っております。

マエダという名前とインドネシア

もう五年もたってしまった。五才若かった僕は、インドネシアで働いていた。
勤めていた広告会社で、アジア内のあちこちの拠点にコピーライターやアートディレクターの中堅社員を送り込み、三ヶ月間、現地社員たちと席を並べて働くという研修プロジェクトがあったのだ。
大阪で働いていた僕はある日、上司に小部屋に呼ばれた。
「……というプロジェクトを本社が始めるそうで、お前が関西第一号として選ばれたから」
呼ばれた時点では、僕は人事異動かなにかだと予想していたので戸惑った。
「え、どこの国に行くのですか?」
「わからん」
「いつからですか?」
「わからん」
こんないい加減な感じだったのだが、やがて僕はインドネシアに送られた。

その頃に書いたコラムは12年12月号から13年4月号までの四回に残されている。

僕には、今でもインドネシアに友人たちがいる。最近は、現地の経済伸長が著しく、インドネシアから彼らが日本に旅行にやってくる。その度に僕は京都や大阪を案内したり、観光客が来ないようなバーに連れて行くのである。

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僕はインドネシアを愛してやまない。
日本人の多くが知らないのが大変残念なことなのだが、僕の苗字である「前田」というのは、かの国ではとても尊敬されている。

旧日本海軍に、前田精(ただし)少将という人物がいて、大東亜戦争時に在バタビアジャカルタ日本海軍武官府の代表をされていた。

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インドネシアというのは、およそ三五〇年間に渡り、オランダ(およびイギリス)の植民地だった。赤道に近い熱帯の気候は、コーヒー、タバコ、茶、サトウキビなど国際市場で需要の高い作物の栽培に適し、地下資源も豊富だった。しかし、それらすべては植民地政府に安く買い取られ、ヨーロッパで高く売られた。

一九四二年に、日本軍が石油を求めてインドネシアに侵攻し、オランダを追い出した(オランダ本国はすでにドイツに降伏して、イギリスに亡命政府を作っていたが、オランダ領東インドと呼ばれたインドネシアには植民地政府が残っていた)。

そして、戦争は日本の敗北で終わる。
オランダ植民地軍が戻ってくる。
インドネシア人がとうとう独立を求めて立ち上がった。

ポツダム宣言を受け入れた日本は、何もしてはいけなかったし、武力紛争が起これば鎮圧する義務を負っていた。しかし、前田少将は、かねてより親交があったスカルノ氏、ハッタ氏らが独立宣言を起草する際、安全な自分の公邸に呼び入れ、部屋を使ってもらった。
スカルノ氏とは、デヴィさんが第三夫人だった人、と言った方が日本ではわかりやすいかもしれない。インドネシアの初代大統領になる人物である。ハッタ氏はその後、二代大統領に就く。

  宣言
  我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。
  権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
  ジャカルタ、05年8月17日
  インドネシア民族の名において
  スカルノ / ハッタ

手書きの原稿には日付のところに数字が「17 8 05」と並ぶ。17日8月05年の意味だが、05年というのは、日本紀元(皇紀)で、1945年は2605年だったからだ。イスラム教徒であった起草者たちは、キリスト教に基づいた西暦を拒否したかったのだろう。

インドネシア独立戦争は一九四五年から四九まで続いて、日本軍の中から祖国を捨てて、軍を脱走してインドネシアに残り、現地人とともに戦った者たちが一千から二千人いたと推定される。そのうちのかなりが命を落としたと言われている。

 

現在では、前田精少将の邸宅は、独立宣言文起草記念館として公開されている。
インドネシア独立戦争で亡くなった八〇万人の一部は、ジャカルタ郊外のカリバタ英雄墓地に墓標がある。日本人の名前が並んだ一角もある。
僕は五年前に、その両方を訪ねた。

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前田提督(海軍の将官を提督という)は、インドネシア語では「ラクサマナ・マエダ」といい、教科書にも出てくるそうなので、ちゃんとした教育を受けたインドネシア人にはよく知られている。

僕がインドネシアの拠点をはじめて訪れた頃、僕なりに緊張していたので、白いシャツを着て、マジメな顔をして会社に通った。インドネシア人の同僚からしたら、「日本からなんだかパリッとした人がやって来た。『マエダ』さんというらしい……」と、敬意を持った目で見られていたようだ。
ある時、同僚に訊かれた。
「あのー、マエダさんは、あのラクサマナ・マエダと関係がある人でしょうか?」
僕は眉ひとつ動かさず、相手の目を見据えて答えた。

「もちろんだ」

数秒おいて、ニヤッと笑うと、向こうもそれが冗談だと気づく。
「わははは! ウソつけ!」
「わははは! オレを敬え!」

こんなふうにして、僕は彼らと友達になった。前田提督に感謝である。
しかし、僕の次に派遣された後輩社員も、名前が前田くんだったから、マエダがありふれた名前であることがバレてしまった……。

若いデザイナーの社員とキツイ仕事を担当して毎晩夜中までクレイジーな働き方をした。イユスくんという。彼とのことは13年1月号に書いてある。

五年たって、彼は二回会社を移っているが、その時の同僚であった女性社員と結婚して、ハネムーンで昨日、日本にやって来た。僕は昨夜、大阪の道頓堀近くに会いにいった。

観光客が来ないバーに彼と花嫁を連れて行って、思い出話をした。
「マエダさん、僕はあの時の企画、クライアントに採用されなかったけど、今でも一番よかったと思っています」
「そうだよなー。あれ、おもしろかったよな」
「日本の広告会社は、クライアントの求めるものを提案しようとするけど、今いる(欧米系の)会社は、本当にいい案を出そうとするから、こっちの方がいいです」
僕はあの時、傭兵みたいな立場だったので、力を示さなくてはならなかったし、広告ってそもそもおもしろいはずじゃん! ということを若い彼らに見せたかった。だから、やや無責任におもしろい案を出したのだった。それはそれですごいプレッシャーだった。

イユスくんは、日本が大好きで、奥さんの方は本当は韓流スターが好きなのだが、「まずは日本!」と主張して連れてきたそうだ。
前述のラクサマナ・マエダの冗談を彼にも話して笑った。
僕はカウボーイの話をした。
彼はジャパンが受注を逃し、チャイナに奪取されたジャカルタ高速鉄道の話をした。
その他、なにかいろいろ話した。
「君たちは、これからセックスしろよな」
と言って、新婚夫婦と別れた。

五年前に、文字通り、笑ったり泣いたりしながら働いてよかったと思えた、いい夜だった。

ジャカルタの、体にまとわりつく熱気と雨のにおいが、僕は恋しい。

「電通辞めて三年たった予後観察(個人的メモ)」

僕は二〇一五年六月にそれまで十四年勤めた電通を辞めたので、もうすぐ三年になる。
この『月刊ショータ』では、「幸せに生きるための10のこと」みたいな、読んですぐ効いたような気がするコラムは書かないことにしているのだけど、今回は「本当のことを書く」という原則は守りつつ、「会社を辞めてわかったこと」を書こうと思う。

※とっても個人的な話です。すぐに効くどころか、およそ人の役に立つとは思えませんので、ご了承ください。

いいことしか書きません。悪いことの方は、だいたい誰でも想像される通りです。僕は退職してすぐにカナダに行ってカウボーイをしていたので(拙著『カウボーイ・サマー』ご参照)、失業保険を受け取っていません。冬のある日に、「トラックドライバー募集」の案内を真剣に読み込んだこともあります。

しかしながら前提として、僕は会社がイヤでイヤで辞めたわけではありません。

 

■怒らなくなった

この三年間で怒ったことなど、猫の寅次郎を何度かブチのめしたくらいで、こちらもそれ以上に傷だらけになった。最近では寅と話せるようになったので、流血事案も少ない。

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一部読者には有名な寅の痴態w

人間に対してはおよそ腹を立てなくなった。
うちの主人(妻)によると、会社員時代の一時期は、帰宅してもイライラしていたり、常に腹を立てているようなことがあったようだ。広告の仕事というのは、本当にしょーもない人にしょーもないことを言われ続ける仕事なので、よほど心の広い、寛容な、そして、打たれ強い人にしか勤まらない。もしくは、意地の悪い書き方をすれば、仕事は仕事、と割り切れて、心底では大した興味がない人。

なんで怒らなくなったのかと、自分なりに考えてみると、圧倒的になにかをガマンしなくてはならない状況が減ったのではないかと思う。日本の人は明らかにガマンをしすぎ。その象徴が男性サラリーマンのスーツで、どうしてなにか公式な日でもなく、猛暑のアジアの国でスーツを着続けなくてはいけないのか、誰も疑わない。疑っても、お上が「クールビズ」と名前を付けて免罪符を発行するまで動かない。
それでいてカッコつける目的の服であるスーツが日常化することで、ぜんぜんカッコよくない着こなしを独特の発展のさせ方をしてしまう。

あ、他人事なのに腹立ってきた。

僕は会いたくない人に会いに行くことはないし、飲みたくない酒を飲むこともない。
ストレスというのは、仕事そのものから発生するのではなく、ほとんどの場合、人間関係が原因なのだそうだ。仕事だからガマンして、嫌な人間と顔を突き合わせなくてはならないから毎日がイヤになってしまうのだ。
個人的には、電通の人も、クライアントの人も、そんなに嫌な人間ばかりだったわけではなくて、僕は実に恵まれていたと思っている。それでも、ガマンは充分してきたつもりなので、しんどい業界であったことは確かだ。

 

■友人が増えた

今さらやっとわかってきたのだが、電通の頃の僕は、周りの人たちからは「電通の前田将多さん」としか思われてなかったのだろうなーと思う。いくらこちらがそんなつもりはなくて、誰とでも人として付き合っているつもりでも、あちらは「電通の」という枕詞なしには自分を見てくれはしないようだ。
もちろん当時はそれでいいことの方が多かったように思うのだが、友人は辞めてからの方が増えた。友人は多けりゃいいってものではないし、積極的に増やすつもりもないけれど、おもしろい人が僕をおもしろそうと思ってくれて、どこかで出会う。

そして、前述の通り、僕は嫌な人間とは無理に付き合わないので、いい友人ばかり何人もできた。単純に、彼らと会う時間ができたというのもある。
電通の人と飲みに行こうと思ったら、大統領に面会を願うような「今月はこの日しかない」みたいなことがザラにある。

 

■よく眠れるようになった

僕は不眠の傾向があり、ベッドに入ってから30分以内に眠れるようなことはまずなかった。なかなか眠れなくて、睡眠について自分なりに編み出した方式があって、「眠くならない時は、眠れなくても翌日に大した影響はない」「5時間眠るくらいなら、4時間の方がスッキリ起きられる」「夜眠れなくなるから、昼寝はしてはいけない」とか、いろいろ自分に言い聞かせるようにしていたのだが、今はすぐに眠れる。たとえ昼寝をいつ何時間しても、夜すぐに眠れる。

……こんな個人的な事情を書いても、人の役には立たないけど、まぁこれくらい不健康から解放された幸せな人間だと思ってほしい。いったいなんちゅう生活をしていたのかと、我ながら憐れに思うこともある。

あの頃を思い出すと、ベトナム帰還兵の気持ちが少しわかるような気がすることがある。もちろん僕は五体満足なのだが、精神のどこかを欠損したような感覚だ。

 

■本番を生きている

広告の仕事というのは、ヨソ様の会社や製品をいかにプロモートするかということに思索を巡らす。僕にはこれがどうにも練習試合のように感じられることがあった。
どんなにいい施策を実施することができても、もしくは失策をやらかしたとしても、最も影響を被るのはそのヨソ様であって、僕たちではない。もちろん会社が広告の扱いを失うのは痛手だが、キレイごとを言わせてもらうなら、クライアントに被害を及ぼしてしまうよりはマシなことだ。

だから、究極的には他人のために時間を使い、体力を費やし、知力を振り絞っている。
「これ一生やってていいの?」
と、時折思うのであった。
現在も広告業界にて懸命に働いている友人たちには失礼な話で申し訳ないが、これは個人の仕事観とか人生観にかかわることなので容赦願いたい。

練習試合でたくさんの経験を積んで、やがては自分の本番をしたいと、僕は思った。

電通でどんな失敗をしても、規則や法律に触れない限りクビになることはない。
ひどいトラブルを起こしてしまったとしても、給料は毎月保証されている。
会社がつぶれることは、当面の間はない。

 ただ、おもしろくない。

脈拍数が低い人間は、本能的にそれを上昇させようとするためスリルを好むそうだ。僕は確かに脈拍が少ないのだが、ギャンブル自体にはそれほど興味はない。だけど、電通辞めてカウボーイするとか、ちょっとおかしいところがあるのかもしれない。
自分の本番と言っても、何千億円も稼ごうとか、世界に支社をつくろうとかは視野にない。僕が立ち上げたスナワチ社は、ただスモールビジネスがスモールサイズのまま、目の届く範囲によろこびを提供していけるのかどうか、試したいだけだ。夢など小さい。だけど深いつもりだ。

いいことしか書きません、とはじめに書いたので、悪い側面は挙げないけど、それは数え出したらキリがない。こんな不安定な暮らしはないと思う。
だけど、怒らなくなって、いい友人が増えて、よく眠れて、ドキドキできたら、これ以上なにを求めよう。まずまず幸せなのではないかと、いつもいつもではないけど、思うのである。

こんな話でよければ、もっと聞きたい方がいらしたらスナワチへお越しください。
コーヒー淹れますよ。
スナワチ大阪ストア
大阪市西区阿波座1丁目2-2

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「#metoo 時代のHow to SEX」

僕の友人の稲元くん(仮名)は、女の子と飲みに行くと、「サラトガクーラー」を注文するという。彼は現在二十代で、カノジョはいない。
「なんでサラトガクーラーなの?」
僕は尋ねた。
サラトガクーラーというのは、ジンジャーエールとライムジュースのノンアルコール・カクテルなんです。だから、女の子に僕が酒飲めないってバレないんです」

そう、稲元くんは下戸なのだ。彼は続ける。
「ですので、わかってるバーテンダーなら『ハイ』ってそのまま作って出してくれるのですが、そうでない人は『こちらノンアルコールのサラトガクーラーです』って出してきやがるのでムカつくんです」
「『え? 飲めないの?』ってバレてまうから?」
「そうなんです」
「別にええやないか、飲めなくたって」
「ちがうんですよ……。女の子って気を使ってるつもりなのかなんなのか、こっちが飲まないと向こうも『じゃあワタシもいいや』って飲まなかったりするんですよ」

その後の説明を端折って、稲元くんの懸念をまとめると、よーするに、女の子が飲まないとエッチなことをする雰囲気にまでたどり着けるチャンスが減るのだという。彼はヤリたいのだ。いや、彼だけではない。男というのはヤリたい生き物なのだ。

気持ちが悪いと言われようがなんだろうが、僕はそれを否定するつもりはない。若い男がもっと恋愛をしてセックスをしてくれないと、世の中が暗いままだ。人類が繁栄しない。

しかし、稲元くんに根本的なことをお教えしよう。
はじめからウソなんかついてはいけない。

これには僕なりの根拠がある。これは以前(2016年5月号)にも紹介したが、人と人が出会って恋愛関係に発展するには段階というものがあって、「恋愛の発展へのホイール理論」という。社会学者のアイラ・ライスが提唱したセオリーだ。
非常に重要なので、この話は馬鹿のひとつ覚えのように何度でも言うが、これには四つの段階がある。

①Rapport [一致:「いいな」「気が合うな」と思うこと]
②Self-revelation [自己開示:自分について曝すこと]
③Mutual dependency [相互依存:お互いを頼ること]
④Personality need fulfillment [人としてのニーズを満たしてくれること]

②に着目してほしい。自分のことを知ってもらわないと、関係は発展しないのである。
もちろんこれは双方向のことで、出会った二人がお互いを開示し合わなくてはならない。
だから、「僕は酒飲めないんだよね」なんて話は真っ先にしておいた方がいい。あとになってウソがバレると恥ずかしい。たとえ一晩限りの関係を求めているとしても、酔わせてナンとかしてやろうなんていうのは、昨今では「#metoo」の一言で社会的に抹殺されてしまう。


善良(でフツーにスケベ)な男性にとってですら、セックスのしにくい世の中になったものだ。
#metooによって性暴力が抑制されるのは歓迎だが、#metooはほとんど女性から語られた性に終始し、男性は黙っている。偽善者は別として、世の男性は腫れ物に触るように、この話題を避ける。
そりゃそうだろう。本音を言えばヒステリックに指弾され、クソリプが飛んできて、全男性は悪とされ、楽しくもないフェミニズミックな議論に巻き込まれそうだからだ。僕は男女同権を基本理念として、以下は男性の視点から書くことにする。

「同意」についてかなり厳しく定義が進み、このままいくと各人が不動産契約かケータイショップのように、ちっさいちっさい文字で書かれた、読む気もしない長ったらしい文言を読まされ、「同意」にサインでもしないとセックスできなくなるような感慨がある。
それが"Play it safe"だというならそうなのだろうが、同意書を読み上げているうちに、チ〇チンは萎む。そんなことをモノともせずに元気いっぱいに勃起できるほど、多くの男性は心もチ〇チンも強靭ではないのである。

芸能人の不倫が「文春砲」に代表されるイエロージャーナリズムによって見世物にされ、官僚のセクハラ発言が国会を空転させるほどに、性に関して繊細で厳しい世の中だ。大人たちはそんなにナイーブなのか。Naiveというのは、日本人はsensitiveと誤用しているが、より「無知」に近い意味だ。

中年になったアイドルが女子高生を家に呼んで「何もしないなら帰れ」と恫喝するのは同意以前に許されることではないが、大人の男女だったとしたら、どのようにセックスへ向けて合意形成をしていくのか。

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僕が会社で新入社員だった頃、西先輩(仮名)がこう言った。
「社内はやめとけ」
東京ラブストーリー』(一九九一年)世代の僕は、サラリーマンになったからには、テレビドラマのような社内恋愛もしてみたい気持ちがないわけでもなかったが、「社内はトラブルの元だ」と西先輩は断固として言うのだ。
時は二十一世紀になったばかりで、セクハラという概念もまだ曖昧なものだったし、性に関してゆるい社会であったと思うのだが(広告業界なんて、墓場まで持っていかなしゃーない話が山ほどある)、今思えば、社内というのは力関係だらけだ。
同期以外の人間関係は、力関係しかないと言っても過言ではない。そんな中で恋愛をしようものなら、トラブルが尽きない。

上下関係があるのなら、どんな社内恋愛だってセクハラではないか。『はじまりはいつも雨』(ASKA)ではなくて、はじまりはいつもセクハラということになってしまう。

そして、男にとって、「この人に襲われそうになったんです!」と言われてしまえば言い逃れは難しい。まるで痴漢冤罪のように、男性は圧倒的に不利である。
だから、先輩は満員電車の中で両手を上げて耐える乗客のように、社内の女性とは関係を持たないことを徹底した。結果、十数年たった今でも独身を貫いているのだが、これはまぁ自己責任というか、個人の選択の範疇だ。

 
さて、#metoo時代のHow to SEXである。

「おっぱい触っていい?」と同意を求めることはセクハラでアウトなのだそうだが、これは高級官僚のおっさんと取材者である若い女性であったからダメなのであって、稲元くんは若い男性だ。世の中はフェアにはできていない。

稲元くん、僕は特にその方面のエキスパートでもないのだが、正攻法で考えるなら、こうするしかないのではないかという、ひとつの回答にたどり着く。

「セックスしませんか?」

この一言を、どのタイミングで、どういう口調で、どういう表情で、どこまでの関係を築いたあとで、言えるか言えないか。煎じ詰めればそれしかないのではないか。

「ホテル行こう」はもう通用しないことになるのだ。だって「ホテルに行くとは言いましたが、セックスすることに合意はしていません」ということになるからだ。
「おっぱい触っていい?」は、よもや同意を得られたとしても、その先も、「キスしていいですか?」、「パンツ脱がしていいですか?」、「○○を××していいですか?」と延々、許諾を確認しなくてはいけないことになる。その間に再び、チ〇チンは萎む。

最後は法廷に立つ覚悟で、稲元くんはセックスに臨まなくてはならないのである。

 男がバカで、どうしようもなくスケベであることは認める。僕はカナダの牧場でカウボーイしていた時に、牛を眺めてつくづく思った。オスというのは去勢されてさえ、メスがそばにいれば後ろから乗りたがるのだ。バカじゃないかと思ったが、まさにあれが我々の姿だ。

いい女がいればなんとかしてヤリたいと思うし、おっぱいが近くにあれば万にひとつの可能性にかけて「触っていい?」と言うし、昔は公園にエロ本が落ちていれば、雨でグチョグチョであっても木の棒でページをめくったものだ。
オハイオ州立大学の調査によると、若いアメリカ人男性が一日にセックスについて考える回数は平均十九回であるという。

それでもなお、男はつらいよ、と思う。別に、わかってくれとは言わないが、先の「セックスしませんか?」だって、ほとんどの機会では、男が提案する立場に置かれるのだ。提案は多くの場合、却下される。

人間というのは、就職面接であれ、恋愛であれ、拒絶されるのはつらいのである。そのリスクを負って、ベッドに誘い、なにかをトチれば社会的に殺されかねない。
もちろん女にもリスクはある。レイプされるリスク、妊娠のリスク、誰とでも寝る女とレッテルを貼られるリスク(この社会的圧力は結構大きい)、その時は仲良くハメ撮ったものをあとになって晒されるリスクなどなど。たくさんありましたね、すみませんでした。

ただし、前出のオハイオ大の調査を再度引っぱり出してくると、一日にセックスのことを考える回数は、女性の場合で平均十回なのだそうだ。男性の約半分とはいえ、結構考えているらしい。

ということは、「セックスしませんか?」のキラーフレーズだって、もっと女性からリスクをとって言える世の中にならないと、社会の大きな部分はなにも改善しない。本当の意味での男女平等は実現しえないだろう。


雰囲気のいいバーにて、彼女はお酒の何杯かも飲んで、稲元くんはサラトガクーラーですら充分いい気分の夜だ。二人は、カウンターの下で手をつないでみる。が、彼女はそれをすぐに放すと、肘をついて両手を組む。
「今、ワタシがなに考えてるかわかる?」
彼女が笑いかける。彼は、少し胸が弾むのを自覚する。
「え、なんだろ。僕と同じことかな」
「ふふふ、たぶん一緒のことかな♡」
「じゃあ、同時に言おうか」
「いいわよ」
「せーの……」

 

「セックスしませんか!」「最後にアイス食べよ」
どうしてくれるのだ。この恥ずかしさ……。

常に「断られること」「恥をかくこと」に怯える男性は、これ以上リスクが増大するなら、報酬と懲罰を天秤にかけて、もう恋なんてしない、なんて、言わないよ絶対。結局すんねやないか、槇原さん。

いろいろ能書きを垂れましたが、もうはっきりと言うしかないと思うんだ。

ちょっとお茶するように、電車でUSJに行くように、愛車を飛ばして海を見に行くように、波とひとつになるように、紺碧の空に湧き上がる入道雲のように、稲穂が風に撫でられてダンスするように、砂漠の月影に浮かぶ一対のナツメヤシのように、春の訪れに蠢動をはじめる虫たちのように、そして、檻に入れられた牛のように。

「セックスしませんか?」