月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

おっさんたちのスタンド・バイ・ミー③

ロザリー・レイクを後にすると、スイッチバック(九十九折のこと)で丘を下った。昨日はほぼずっと登りだったから、はじめて下りの筋肉を使ったような気がする。
ほどなくして、昨日の本来の目的地だったシャドウ・レイクに出た。このトレイルでは次々と湖に出くわす。水のある景色というのは、それが川であれ、滝であれ、湖であれ、人を和ませるものがある。僕は海にはたまに恐怖を覚えるのだが。
僕たちはすでにギラついている朝日に目を細めながら、また写真を撮った。

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陽光を受けて目に沁むほど白い花崗岩の道を登っていく。左手には川が流れていて、ビーバーの巣があったり、滝が轟音とともに岩肌を洗っていたりして、目を楽しませてくれる。が、とにかく暑い。今日も天気が良すぎる。

昨夜なかなか寝付けなかったり、大谷さんが迷子になったりでいろいろあったので、充分に回復できていない上、行動食を制限しているから体力が落ちていく。いつもなら五〇分歩いて一〇分休憩を取るところを、頻繁に休むようになった。
休憩中に川原まで降りて、手ぬぐいを濡らし、焼けた首元を冷やした。他の三人は、川の水を浄水器に入れて、冷たい雪解けの水をガブ飲みした。岳ちゃんはその後、何度も小便をしていた。そうやって体温を下げようとしていたらしい。

途中の分かれ道に立てられた標識の前で、アメリカ人三人組の男たちに道を訊かれた。
「アグニュー・メドウへはこっちでいいのか?」
「おぉ、そう言えば、シャドウ・レイクの手前で案内板があったから、このまま行って、それに従えばいいはずだよ」
「サンキュー。……その、手首に付けてるのはなんだ?」
僕はフマキラーの「どこでもベープNo.1未来セット」というふざけた製品名の、腕に装着する除虫剤を着けていた。電池でファンが回って、薬剤を拡散するタイプで、パッケージには「世界最高水準」「5倍効く!」と書いてあった。
「これは、蚊のため」
除虫剤を英語でなんて言うのか咄嗟に出てこなかったので”mosquito thing”と言ったのだが通じたようだ。正確には”insect repellent”というらしい。

「わはは、見ろ! 彼の周りには蚊がいないが、こっちの彼には蚊がたかってるぞ! 効いてる!」と、男は僕と大谷さんを指さして仲間たちに冗談を言った。ほんまに、効いてるんかいな、これ。

蚊は相変わらず大量にいて、僕たちを終始困らせた。タイツの上から刺されるので、今日は僕も大谷さんも着脱可能なズボンの裾を付けて長ズボンにしていた。アメリカ人のほとんどは半袖、短パン姿で、タンクトップの女性とかもいる。どういうことなのだろう……。ハナから防御しようという気はないのだろうか。
インポからハゲまで、なんでも錠剤で解決しようとするアメリカ人は、近い将来「飲むと蚊に刺されなくなる錠剤」を開発するのではないだろうか。

今朝のハンモックの一団のおじさんが言っていたように、雪が残った一帯があった。斜面なので、足跡をたどるように気をつけて渡ると、ガーネット・レイクが見えてきた。

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ここで長い休憩を取ることにした。地図上ではすぐに見えるのに、朝九時に出発して、もう三時になっていた。僕はここで湯を沸かしてチキンラーメンを食べ、大谷さんは昼寝をした。
休憩を終えて、ガーネット・レイクから離れる時に出会った中年カップルの女性は、
「ここからトレイルがわかりにくい場所があるわよ。私たちは間違えて湖の向こうの方に出ちゃって苦労したわ。あなたたちGPS持ってるの?」
と注意してくれた。
「いや、紙の地図だけですが、まぁ気を付けます。大丈夫です」
先へ進むと、トレイルは岩山を急登していくのだが、確かにわかりづらい箇所があった。しかし、それよりもとにかく苦しかった。酸素も薄い上、岩道の登りで日陰が少なく、この日はつらかった記憶しかないくらいだ。大谷さんは「ここが一番キツかった」と、後日話した。一番若くて体力のある滝下は、すぐに僕らを引き離していく。

足の裏、太腿だけでなく、バックパックの重量がのしかかる腰も両肩も、痛んだ。

さらにルビー・レイク、エメラルド・レイクという小さな湖を通って、ようやくサウザンド・アイランドレイクに到着。ここはJMT全体で見ても、ハイライトと呼べる絶景の湖だそうだ。

倒れるように荷物を置き、テント用に小石がどけてある水辺のスポットを四人分見つけてテントを張った。もう六時を過ぎて、陽も落ちかけていたが、岳ちゃんはまた魚釣りに挑んだ。
僕は川に足を浸してしばらく冷却した。気持ちがよかった。

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疲れ果てた僕らは、翌日から二手に分かれる相談をした。滝下が地図を睨んで、このままトレイルを北上して、ドノヒュー・パスを越えて一泊し、トゥオルミー・メドウまで出る本来の道程のほかに、ここの湖から東へ分かれて、比較的平坦な道を南東へ下りていく「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)」のルートを見つけていた。

僕と大谷さんの四〇代チームは、迷わず後者を選んでいた。
「すまんが、もう無理や……」
「このままでは明後日トゥオルミーに着くこともできないぞ」

滝下自身は「僕はどっちでもいいんですけどね」と言っていたため、PCTで帰るプランが有力になっていたが、岳ちゃんは「元のプランで行きたい」と言い出しづらくなっていたようだ。
そこで翌朝から二手に分かれるよう計画をし直した。四〇代チームはとにかくPCTで山を降りる。バスで町へ戻り、クルマを回収してモーテルに泊まり、翌日君らを下山口まで迎えにいく。
これはスリルもあり、なかなかのプランだと思い、僕たちはサウザンド・アイランドの畔に立てたテントに潜って寝た……。

ところがその夜、ドドドと雷が鳴り出し、空が光った。雨がテントの生地を叩く。
僕は、どうせ雨も降らないし、誰も来ないと考え、テントの中を狭くする大きなバックパックを外に出して寝ていた。そんな時に限って、雨は本降りになってきたので、慌てて中へ引き入れた。
湖畔というのは落雷の危険度は最悪レベルだ。昨夜に続いて、またもや僕たちは深夜にテントから這い出した。湖の向こうの丘の中腹にヘッドライトの光がチラチラ動いた。他のキャンパーも怖れて起きてきたのだろう。どこかに落雷した音が鳴り響くと、僕たちは恐怖で身を縮めた。
大谷さんにとっては、二日連続で夜中に岩陰で身を潜めることになるという、災難続きのテント泊であった。

翌朝、僕たちは残りの食糧を二チームで分け分けして、湖のすぐ先で別れた。岳ちゃんと滝下はまっすぐ、大谷さんと僕は右へ。

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パシフィック・クレスト・トレイルというのは、ジョン・ミューア・トレイルと一部を重複しながらも、南北にもっともっと長く伸びるトレイルだ。

僕たちが歩いたトレイルに関して言えば、起伏を越えることによるダイナミックな景観は少ないが、花が風に揺れ、鳥がさえずり、リスが木の幹を走り回るような牧歌的なハイキング・コースであった。森の中を一時間半ほど歩いたのち、山の斜面を横切って作られたトレイルを、谷の向こうの山々の連なりや、一昨日泊まったロザリー・レイクが谷間に小さく見えるのを眺めながら歩いた。すれ違うのは、女性のソロハイカーが多かった。

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小さく水たまりのように見えるロザリー・レイク

十キロちょっとのこのコースは、滝下と岳ちゃんが行ったJMTの続きよりはずっと楽なはずだったが、それでも、二日間の疲労が蓄積している僕たちには充分こたえた。
地図で見る限りほぼ平坦だと思っていても、坂道がグググッと曲がりながら続いていたりすると気が遠くなる。最後は九十九折で一気に下りていく予定だったが、それがなかなか出てこない。
「やった! 最後の下りだぞ!」と思っても勘違いで、またトレイルは角度を上げていくということが何度か重なった。
九十九折に辿り着いた時には、それは見紛いようもなく、きれいにくの字の折り返しの連続で、下るとようやく人工物が見えてきた。木材を扱う作業場のようだった。人影はないが、人里に下りてきた実感が湧いて安堵した。アスファルトを少し歩いて、バス停を見つけた。

疲労困憊で、蚊のせいであちこちが痒く、重たい荷物も不快であった。ほどなくしてやって来たバスでマンモスレイクスの町に戻ると、駐車したままのレンタカーを探し出し、僕たち二人は何はともあれ手近なオープンカフェでビールやコーラを飲んで、モーテルを手配した。晩メシは出発の前日とまた同じ店でチーズバーガーだ。幸せだった。笑いが止まらなかった。

とにかく、ベッドで寝られるというのは最高だった。体力が余って余って仕方がない人たちはよしとして、なんで凡人の僕たちがこんなキツイ思いをしてまで山登りをするのか、こういう日には我ながらまったく理解できない。なのに、またなぜか行きたくなるのが不思議なものである。

滝下と岳ちゃんは、ドノヒュー・パスという峠を無事に越えて、安全などこかでテントを張ることができただろうか……。

 翌朝、モーテルを出発すると、大谷さんが、
「あのー、恥ずかしいんですけど、またウェルカム・センターに寄ってもいいですか?」
と告白した。何事かと思って問うと、
「実は……、Sサイズを買ったTシャツが小さくて、Mを買い直したいんです……」
わははは! 大谷さんはこの何年か体重が増えているから、僕たちは「アメリカンサイズだけど、Mですって」と助言したのだが、「いや、Sで大丈夫!」と跳ねつけて買ったのだ。

途中、ヨセミテ公園に東側から入るゲートで大渋滞があったため、予定よりも一時間遅れて、約束のトゥオルミー・メドウに到着した。車を駐車場に残して、トレイルの出口である橋を目指した。
そこで一時間くらい二人で川を眺めながら待ってみたが、彼らは現れなかった。そのため、車をもっとこちらに近い駐車場に移しておこうと一旦戻ったところ、岳ちゃんが車の脇で待っていた。滝下も姿を見せた。橋まで行く道は二股になっていて、どちらも同じところへ着くのだが、そこで入れ違ってしまったようだ。

僕たちはとにかく再会を祝福して、彼らの目的達成を称えた。
途中で断念した、だらしない四〇代チームの僕と大谷さんは、後輩二人を迎えに行く前に、ガス・ステーションとダイナーと土産物屋が一緒になった店で、六本パックのビールと氷を買っていた。そして、ベア・キャニスターに氷をぶち込んで、缶ビールをキンキンに冷やしておいた。彼らのためにピザも用意していた。
二人が狂喜したことは言うまでもない。

こういう時のビール、雪をかぶったままの山塊を鏡のように映し出した湖面や、ひと息入れて見上げた空のブルーだとか、ああいった景色のために、僕たちはまた面倒くさい荷造りをして、暑さや虫に文句を言いながら山を、森を、歩くのだろう。

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1000アイランド・レイク

僕たち四人はサンフランシスコへの帰路につく前に、ヨセミテ公園を見学して、公園のすぐ外にある、映画のセットのようにカラフルでかわいらしい小さな町で、またチーズバーガーを食べた。その後、サンフランシスコの最後の夜にも食べた。

帰国したら四人それぞれの世界に戻るのだけど、またいつかどこかへ行こうぜ。
しんどかったことはすぐに忘れて、僕たちは次の旅へ思いを馳せる。

(了)

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「おっさんたちのスタンド・バイ・ミー②」

マンモス・レイクスではまずウェルカム・センターに立ち寄って、予約してあったジョン・ミューア・トレイル(JMT)の入山許可証を取得しなくてはならない。ログハウス風の建物の中に、記念品や土産物のストアとインフォ・カウンターが一緒になってある。

オリーブ色の制服を着た係官の前には、僕たちと同じようにハイキングをするのであろう人たちがすでに列をなしている。
係官の男性から、トレイル上での規則をひと通り聞いて、質問に答える。
「ベア・キャニスターは持っていますか?」「はい」
「持ち込む燃料の種類は?」「ブタンガスです」
「OK。焚き火はすでに焚き火跡があるかまどではしていいが、それ以外での直火は禁止です」
彼が唐突に「私はワカヤマにいたことがあります」と言った。
はじめは「オカヤマ」と言ったのかと思ったが、聞いているうちに「シラハマ」が出てきたので理解した。厳格なルールが課されるトレイルなのだが、彼とは和やかに会話をして、一人六ドルの入山料を支払って手続きは完了。

マンモス・レイクスの町はスキーリゾートで、町の入口にあるウェルカム・センターから車で十数分ほど坂道を登ると、メインロッジという、冬場にはリフト発着場や着替えロッカーとして機能する大きな建物がある。周りにはレストランやレンタル自転車の店や駐車場があり、その向こうには貼り付けたような青空を背景に、山々が聳えている。

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アウトドアショップに併設されたカウンターで、明日のシャトルバスのチケットを入手し、レストランのテラス席で、そのわざとらしいような青空を見上げて地元のビールを飲み、ダウンタウンで巨大なチーズバーガーにかぶりついた。

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翌日から男四人で、それぞれのテントと寝袋と食糧を担いで歩くので、最後の晩餐のようなカロリーたっぷりの贅沢であった。
モーテルはリゾート価格で高かった。仕方ない。洗濯したり、明日の支度をして、二部屋に分かれて眠った。

 

朝九時過ぎに満員で出発したバスを、デビルズ・ポストパイルで降りた。他の乗客もほとんどが一緒に降りたが、大きな荷物を背負っているのは僕らくらいのもので、日帰りの客だと見える。
デビルズ・ポストパイルというのは「悪魔の、杭の、積層」という意味で、玄武岩が柱状に並んで立つ奇怪な景勝地だ。説明板がそこに立てられていたが、僕らはゆっくりと眺める間もなく、JMTのトレイルヘッド(入口)に向かい、森へと入っていった。

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トレイルは緩やかに登っていく。緩やかなのだが、重さ十五キロほどの荷物を背負って歩くのは、ただ歩くのとはまったくちがう……。気温はさほど高くなく、湿度も日本に比べればぐっと低いので発汗は少ないが、とにかく紫外線がキツイ。日向ではカーッと肌に食い込むような鋭い日差しが体力を奪う。

息を切らせて岩肌の道を登り、普段なら感嘆するような碧空を、ため息まじりにふり仰ぐ。松の木の木陰に入るとスッと涼しくなる。僕が想像していたJMTは、草原の中を一本貫くトレイルを、遠くの山を眺めたり、時折現れる湖で休んだりしながらのんびりと歩くものだった。
誰かの「休憩しましょうか」の声に、頷かなかったことはない。いきなりしんどかった。

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一時間半ほど歩いた頃だったか、そろそろまた休憩しようと思った矢先、目の前に川が出た。向こう岸から数人のアメリカ人男女のハイカーが川の中を歩いて渡ってくる。橋はないものかと見回してもないようだ。
「水は冷たいですか?」と尋ねると、
「上流の方よりはマシよ。目が覚めるわ」と、その女性は教えてくれた。ブーツを脱いで渡渉しなくてはいけない箇所が他にもあるのだろうか。やっかいだな。
躊躇していては、渡る勇気が引っ込んでしまうような気がして、僕はさっさとサンダルに履き替え、先陣を切って水に踏み込んだ。

「冷たい! そして、深いぞ!」
膝の上くらいかと思った水深は、予想を超えて、股の上まであった。流れは強くないが、川底の石は滑りやすく注意が必要だ。一気に渡った。
他の三人はブーツから履き替えるのにややモタモタしていたが、僕が水辺に多い蚊を払いながら待っていると、次々にやって来た。

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確かに目が覚めた。互いに濡れた下半身を笑い合って、そこで休憩したかったが、とにかく蚊が多くて、場所を移った。
ブーツを履き直してしばらく歩いていると、濡れたことも忘れてしまうくらいに、乾燥した空気がすぐに乾かしてくれて不快感はほとんどなかった。


そこからは、トリニティー・レイクス、エミリー・レイク、グレイディーズ・レイクと、小さな湖のそばを抜ける道が続いた。写真に撮ると美しいが、現地にいてみると、ジメッとした湿地で、蚊柱が立つくらいの数で襲われる。タイツの上からも、シャツの上からも刺してくる。もちろん顔、首、耳、指など少しでも露出している部分は抜け目なく刺す。落ち着いて景観を楽しむどころではないのだ。

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トレイルはずっと登っていて、すでに標高は二九〇〇メートルに達し、僕は体力の消耗が激しかった。いつもならナッツ類やm&mチョコを大量に持って行動食にするが、重量とスペースの関係でカロリーメイトやビーフジャーキーのみにして、食べる量も控えていたため、体力維持に支障が出ていた。

当初は地図を眺めて、「一日目はシャドウ・レイクまで行こう。いや、行けるなら、その先のガーネット・レイクまで行ってしまおう」なんて言っていたのに、シャドウ・レイクですらまだ先の先であった。夕方には行動をやめて、テントを張る場所を探すつもりが、目的地に全然たどり着かない。
「こりゃまずいぞ……」と思っていた矢先、アメリカ人のカップルとすれ違った際に、重要な情報を得た。
「どこまで行くんだい?」
「シャドウ・レイクを目指してる」
「そこは今年、キャンプ禁止区域になってるから、手前のロザリー・レイクで泊まった方がいい。素敵なテント場がたくさんあるよ」
いいことを聞いた! それなら次の湖だ。


確かに、ロザリー・レイクは素敵な場所だった。石を積んだかまどがあるテント泊に最適なスペースがあり、湖からの水が流れ出す小川がすぐ近くにあり、蚊も比較的少なかった。これ以上は望めまい。

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僕たちはひと休みしたあと、力を振り絞るようにそれぞれのテントを張った。岳ちゃんは釣りを始めた。虹鱒(ニジマス)を釣って食糧の足しにするつもりだ。


「釣れますか?」
岳ちゃんは突然日本語で話しかけられた。Tシャツを着替えていて、サングラスをしていたからはじめはわかりづらかったが、さっきすれ違ったカップルの男性の方だった。彼は関西外語大学にいたことがあるそうで、日本語を少し話せた。名前をティムという。
彼らは僕たちとすれ違ったあと、グレイディーズ・レイクまで行ったが、蚊も酷いし、快適なテント場を探すことができなくて引き返してきたのだという。

彼の案内で釣り場を移動しながら話を聞くと、彼は昨日大きな魚を釣ったのだが、捌き方を知らないため石で潰したり闇雲に切ったりしたため、食べられる身がほとんど得られなかったのだそうだ。だから、捌くところを見せてほしい、とのこと。
岳ちゃんは快諾した。と、思ったら瞬く間に二匹釣れた。
「彼女も見ていていいか?」
ティムが訊くので、もちろん「いいよ」と答えると、彼は念を押すように何度も言った。
「見るだけだから」
つまり「君たちの食べ物を取るつもりはない」と言いたいのだろう。


僕らのキャンプ地に戻って、魚の捌き方講座が始まった。
ところが、「まず虹鱒を岩に叩きつけて気絶させます」のところから、笑ってしまうくらい難易度が高そうだった。
「お尻の方から腹を切りまして、内臓をこのように指で掻き出します」
すでに彼女の方は引いていた。
そんなこんなで、「……というように、簡単でしょ?」と三枚におろした時には、日米ともに全員が「どこがやねん」と思っていた。


とにかく岳ちゃんはそれをオリーブ油と香草で焼いた。そして、焼き上がると、ティムたちにも味見してもらった。見るだけなんてわけにはいかない。彼の導きによるいい釣り場で入れ食いだった魚なのだから、当然食べてもらわなきゃ。

その晩は焚き火をして、ウィスキーを飲んで寝たのだが、深夜にハプニングがあった。
大谷さんが遭難しかけたのだ。
彼はウンチしに行こうとテントを出て、真っ暗な中を水場から離れて丘を登った。用便には、水場から六〇メートル以上離れなくてはいけないというルールがある。
岩陰で用を済ませたあと、帰る方向を間違えて、テントの位置を見失ってしまったのだ。ヘッドライトで照らす木や岩はどれも同じように見え、光が届かないところは完全な暗闇でなにがなんだかわからない。一時間ほども彷徨って、ようやくハンモックで眠るグループを見つけ、拙い英語で助けを求めた。
「すみません。自分の居場所がわからなくて、ここにいさせてもらっていいでしょうか?」
若い男がひとり目を覚ました。
「ああ、そのへんの少し離れたところにいたらいいよ」
大谷さんは近くの岩場で身を縮めて寒さに耐えた。ここは標高三〇〇〇m弱で、夏でも夜には一桁台まで気温は下がる。彼は用足しだけのためにテントを出たので、上着は着ていなかったのだ。

実はハンモックで眠る一団は、僕らのすぐそばにいた。彼はやっと見覚えのあるテントを視界にとらえて安堵したが、結局二時間近くも外で難渋していたのだ。
生還した大谷さんと滝下の会話が聞こえてきて、僕も岳ちゃんもテントから這い出してきた。とにかくよかった。マヌケに聞こえるだろうが、こんなことも起こり得るのだ。それくらい夜は静寂で、深い暗闇で、つかみどころがないのだ。

翌朝、ハンモックの一団に挨拶をした。
「昨日は我々の仲間がご迷惑おかけしました」
父親なのだろうか、グレーのヒゲを生やした年配の男性が笑顔で答えた。
「いやいや、誰にでも起こりうることだよ。君たちが向かう、ここから先のトレイルには雪もあるから、しっかり足を踏み込んで、気をつけてな」

ティムが出発前に顔を出してくれた。「いつか四国の八十八箇所巡りをしたい」と話していた彼に、僕は自分の名刺を渡して、「その時はどうせ関西空港に来ることになるでしょ。大阪で一杯おごらせてよ」と伝えた。
僕たちは、ため息だか掛け声だかわからない呻き声とともに、またバックパックを背負った。

 

(つづく)

「おっさんたちのスタンド・バイ・ミー①」

カリフォルニア州には「ジョン・ミューア・トレイル(JMT)」という有名なハイキング・コースがある。ハイキングと書くと、サンドウィッチでも携えてテクテクと歩く牧歌的なイメージだが、ここはウィルダネス(原生自然)の中を一本伸びるトレイルを歩くかなり過酷なものだ。JMTは全長およそ三四〇キロ。全部歩こうと思ったらひと月くらいかかる。

僕はもう何年も前に故加藤則芳さんというアウトドア作家がものした『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング340キロ』平凡社から一九九九年初版発行)という本を読んで、憧れを募らせてきた。

一度、仲間たちとその一部を歩こうと計画したのだが、ここは厳格なルールによって入山者を制限しているため、希望の時期に許可が取れず、代わりに同じヨセミテ国立公園内のヘッチヘッチーというエリアにあるスミス・ピークという山を登った。面倒な手続きの話は、月刊ショータ二〇一四年七月号で触れた。

 あれから三年。あの時、僕と大谷さん(仮名)がはじめて山に引き込んだ後輩の滝下(仮名)が、「やっぱりJMTに行きたい」と言う。最近会社を辞めて、僕と同じく貧しくも自由になった岳ちゃん(仮名)も仲間に加えて、男四人がその計画に乗り出した。

ヨセミテへの入園申請や情報収集は、言い出しっぺの滝下が、英語もよくわからないはずなのに異常な情熱をもって積極的に進めてくれた。JMTのすべてを歩く気力も体力もないので、その一部を歩くにあたり、彼は「デビルズ・ポストパイルから入り、テントで三泊しながら北へ六〇キロほど進み、トゥオルミー・メドウへ下りる」というセクション・ハイクを構想した。
「マンモス・レイクスという町からバスでトレイルヘッド(入口)へ行き、四日目にトゥオルミー・メドウから巡回バスを捕まえて町へ戻ります。だいたい一日に一八キロくらい歩くことになりますが、詳しい人に訊いたところ『余裕』だそうです」
「おぉ、カンペキやないか。よし、マンモス・レイクスまでのレンタカーとかホテルとかは任せとけ!」

計画は楽しかった。なんでも四人で割れるから費用は割安になるし、「あれを持って行こう」「これは現地で手配しよう」などといった装備の相談にも話が弾んだ。

僕は出発の前月に『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』(旅と思索社)という著作を刊行していたから、この旅の前に取材先であったカナダの牧場に本を届けに行くという仕事をくっ付けて、彼らよりも十日前に日本を出た。

それぞれが別の飛行機でサンフランシスコ空港にやって来て、そこで落ち合うことにした。当日は、僕が朝の九時半にSF空港に着き、国際便ゲートの前で、十一時半、一時、二時半と次々にやって来る仲間たちを待った。

空港内の電車に乗ってレンタルカー・センター駅まで行って、借りたのはトヨタ・シエンナという三五〇〇ccのミニバン。もっと大きいクルマを想像していたけれど、デカいバックパックと四人の男たちが旅をするに充分なサイズだった。

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さて、ここからは楽しいショッピングだ。サンフランシスコのREIというアウトドア用品の生協に行って、必要な物品を揃える。飛行機に持ち込めないため現地調達の必要がある燃料缶、川の水を飲むためのフィルター、そしてベア・キャニスターなど。ベア・キャニスターは、ヨセミテ公園内では熊が出る怖れがあるため、携行が義務付けられている。食糧はすべてその中に入れて、テントから離れた場所に置くことになっているのだ。四人で二つ用意することにした。

滝下は一つを通販で入手していて、もう一つは注文だけして、ここで引き取る段取りをしていた。強化プラスチックでできたこれが、デカいんだ……。直径約三〇センチ×高さ四〇センチほどの円筒。大谷さんと私(ショータ)は四〇代、滝下と岳ちゃんは三〇代なので、ここは先輩風を吹かせて、若いモンに持ってもらうことなっていた。

REIは僕たちにとっては、一日いても飽きない店なので、Tシャツとかフリーズ・ドライの食糧とか、あれこれ買い込んでから西へ出発した。少し街を回ってから出たので、その頃には夕方六時半頃になっていた。

九二号線(サン・マテオ・ブリッジ)で海を渡って、暮れていくアメリカの乾ききった大地を走る。夕陽に照らされて、元々赤味のある土地が、なおさら赤く焼けたような印象になっていた。

途中のリバーモアという町のショッピング・モールで晩飯を食べて、とにかく今日中に行けるところまで行くつもりだ。なにしろ、マンモス・レイクスまでは五〇〇キロほども離れている。東京・大阪間と同じくらいなのだ。カリフォルニア州というのは、実はそれだけで日本と同じくらい広いのである。
「次の町を過ぎると、マンモス・レイクスまでずっと町はありませんね」

スマホで地図を見ていた岳ちゃんが言うので、オークデイルという小さな町で今夜はモーテルを探すことにした。二軒目に訪ねたホリデイ・モーテルのドアを開けた頃には夜十一時になっていた。受付のおばちゃんはネグリジェ姿だ。
「部屋はあるけど、あなたどこから来たの?」
「日本です」

おばちゃんの声のトーンが上がった。
「ジャパンですって!? うちの息子と娘がね、日本が大好きで、日本語の授業を取ったり、日本のポップミュージックを夢中になって聴いているわ!」

僕はそれを聞いて、少しだけ自分のことを話したくなった。カリフォルニアの田舎町で日本にハマっているなど、彼らはもしかしたらちょっと変わり者扱いをされているかもしれない。学生時代の僕がそうだった。
「僕はカントリーミュージックが好きで、二十年前にケンタッキー州で大学を出て、この度、カウボーイの本を日本で出版したんです」
「あらステキ! タイトルを教えて! 息子に渡すから紙にサインして!」

息子さんが日本語の長編を読めるとは思えなかったが、僕は題名を日本語と英語で書いて、サインをした。
『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

https://www.amazon.co.jp/dp/4908309051
“Cowboy up! Chase your dreams!” と、そこに書き添えた。好きなことは、人が何を言おうと、追い続けた方がいい。それによってどこで何と巡り合うかわからないし、幸せに生きることは、「好き」を追い続けることとほぼ重なり合うのではないかと、最近とみに思う。

そして、「いつかやろうね」と言っていたことは、いつか必ずやるべきなのだ。

翌朝、モーテル近くのレストランでアメリカらしい巨大な朝食を食べて、僕らはすこぶる上機嫌で車を走らせた。

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ヨセミテ公園の入り口ゲートで、一台二十五ドルの料金を払い、湖の碧い水面に感嘆したり、岩山に貼りついた芥子粒のように見えるクライマーを指さしたり、道路のすぐそばまで迫る崖に息を呑んだりしながら公園を横断した。そして、その東側に位置するマンモス・レイクスの町に入って行った。

 

(つづく)

「寅よ、ちょっとは役に立たんかい」

二年前の夏、僕がカナダでカウボーイをしていたある日、日本の主人(妻)からメッセージが来た。
「猫飼ってもいい?」
僕は猫好きで、小さい頃から猫を何匹も飼ってきたけど、主人は犬好きで、実家で犬を飼ってきた。だから意外であった。余談だが、人間のタイプとしては、僕は好きな人には従順な犬タイプで、主人は気まぐれな猫タイプである。僕はそれを、あまりに気分屋な彼女に指摘したことがあった。
「それ見ろ、君は犬好きというが、人間のタイプとしては完全に猫で、猫好きな僕は……」
ここまで言った僕にすかさず返ってきた、彼女の言葉はこうだ。
「お前は虫や」

こんな感じなので、僕が妻を主人と呼ぶ理由もなんとなくお分かりいただけるかと思う。

とにかく、主人の妹が道端で子猫を拾ってきたというのだ。自転車にでも轢かれて、死にかけていたところをたまらず救って獣医に連れて行ったのだ。後ろ足が麻痺しているようで、医者も「今夜持たないかもしれないので、点滴はするけど預かれない」とさじを投げたそうだ。親猫はどこへ行ったのか、栄養失調で衰弱しきっていた。
ところが、この子猫は義妹の家でみるみる回復していき、脚を引きずったまま動き出した。その頃の画像も添付されていた。
こんな子猫ちゃんを見せられて、拒絶できるわけがあろうか。

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僕が帰国すると、我が家では犬も同時に飼うことにした。大阪の鶴橋にある動物シェルターから、かねてより主人が目を付けていたヨークシャーテリヤを引き取ってきた。オドオドしていてみすぼらしくて臭い犬だった。
キジトラの猫には寅次郎、犬にはジョージと名付けた。両方ともオスだから、日米を代表するいい男である、車寅次郎とジョージ・クルーニーから取った名前だ。

犬は飼った経験がなかった僕は、犬ってこんなにかわいいものなのか、とすぐにジョージを溺愛し始めた。ところが、猫好きの僕が発狂しそうになるほど、寅次郎はクソ猫なのであった。人を咬む。甘噛みのレベルではない。犬を爪で襲う。エサを奪う。キャットタワーから、カーテンレールを伝って、エアコンに登る。台所を漁る。あらゆるビニールの物や新聞をグチャグチャに咬む。食器棚やクローゼット、下駄箱など入ってほしくないところ全てに入る。料理しているまな板の上を歩く。その他、こいつの悪事は数え上げたらキリがない。

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僕の実家は、僕が幼稚園児の頃から通算九匹の猫を飼ってきた。どの子も性格が違っていて、それぞれに思い出がある。ほとんどの子は車に轢かれて死んでしまった。思い出すと今でも涙が出てきてしまうやつもいる。寅次郎のような酷い猫はこれまで見たことがなかった。

猫大好きのうちのおかんが我が家を訪ねてきて、
「寅ちゃんは、画像だけでいいや……」
と言い残して、流血しながら帰っていったくらいだ。

カウボーイとして、家畜を時に乱暴に扱う仕事から戻ったばかりの僕は、寅次郎に本気で腹を立てることもあった。動物虐待と言われようが、諭すことができない獣に分からせるには痛みで覚えさせるしかない。追いかけ回してブチのめしたことも一度や二度ではない。その代わり、僕の手もカウボーイをしていた頃よりも傷だらけになった。

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僕は電通を辞めて、牧場でのんびり気楽にカウボーイをやっていたのではない。「カウボーイとは何者なのか」を解き明かす本を書くつもりで長期の取材をしていたのだ。無名のコピーライターの僕に出版のあてなどなかったが、帰国して間もなく執筆を始めた。

毎日、毎晩、書斎にこもっては取材ノートと資料を机に置いて書き続けた。その部屋には寅次郎に入ってきてほしくないのだが、ドアに飛び付いて開けることをすぐに覚えてしまった。してはいけないことは一切覚えないのに、してほしくないことはグングン学習していく寅に、恐ろしささえ感じた。
かなり書き進めたある時など、コーヒーを淹れている隙に書斎に入った寅が、PCのキーボードを踏んでいて、「hhhhhhhhhhhhh..........」と九ページ分くらいに渡って打っていたこともあった。Deleteキーでなくて本当によかった……。

僕が結婚した時に奮発して買った革張りのソファはレバーを引くと足乗せ台が出てきて、テレビを観たり昼寝するのに最高だった。寅はそこにションベンを繰り返した。リビングルームに浮浪者がいるような臭気が立ち込めるようになり、僕は泣く泣くそれを粗大ゴミに出した。ゴミ箱もフタ付きの一万円もする頑丈なやつに替えた。キッチンの三角コーナーもフタがあるものにした。その頃の僕に収入はない。

結局取材に三ヶ月、執筆に三ヶ月がかかった。依然、出版のメドはなかった。

寅に対して「去勢すれば大人しくなりますよ」というアドバイスも受けたが、大人しかったのは去勢した当日だけであった。

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こいつは、去勢手術のみならず、ロボトミー手術でも受けさせるしかないのではないか。幼くして頭を打っているから、すでに頭がおかしいのか。
主人ともども、途方に暮れた。こいつは悪魔か。

それなのに、寅次郎というのは、顔が抜群にハンサムなのだった。

中身はクソ野郎なのに、見た目は疑いようもなく美しい。有名人に喩えるなら、沢尻エリカ様か赤西仁のようなものだ(いえ、ご本人たちの実際は知りませんので、あくまでもイメージですが)。

僕が寅次郎の醜態と暴挙をSNSに晒すと、何人かの方が「かわいい」「かわいい」とバーチャル的にかわいがってくれるようになった。「寅ちゃんファン」を自認する人も出てくるようになり、「雑誌でこういう猫特集がありますが、寅ちゃんの画像を送ってはいかがですか?」なんてお誘いも受けた。うれしはずかしいことである。

そんなこんなで一年半が過ぎ、僕も寅次郎との付き合いについて学習した。寅の体重は四キロを越え、相変わらず僕の手も家具も傷だらけなのだが、寒い日などスッと布団に入ってきて、腕枕で寝る。その時だけは、お腹だろうが肉球だろうが触らせてくれるサービスタイムだ。床にペタッと寝ころび、背中を掻けと催促してくる。耳を触ると気持ち良さそうに目を細める。最近は僕に抱っこされたままうつらうつらするのが、どうもお気に入りのようだ。

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カウボーイを巡る、僕の個人的プロジェクトにも同じだけの時間が与えられ、この度、やっと出版される運びとなった。
僕の新刊『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』は、「本の街・神田でいちばん小さな、ひとり出版社」がキャッチフレーズの、旅と思索社から刊行される。
前著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版)同様、大阪の小さな本屋さん・まや書店に協力を仰ぐことにしよう。
その時の経緯は以前に書いた。まや書店のご主人は、今日も本や雑誌を抱えてあちこちへ配達している。

まや書店:Tel. 06-4706-8248 Fax. 06-4706-8253

monthly-shota.hatenablog.com

寅次郎よ、お前のためにオレはかなり出費した。ちょっとは家計に貢献しろ。

前回はまや書店でお買い上げくださった方にはレザーのしおりを付けたのだけど、今回は「寅ちゃん缶バッヂ」をお付けします(いらん!)。苦し紛れの、僕ひとりが投資できる販促活動です。カウボーイにはなんの関係もないけど、これしか思い付かなかったのだ……。二種類ありますが、どちらがもらえるかは指定できませんので、ご了承ください。

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『カウボーイ・サマー』は、ひとりのコピーライターがキャリアを捨てて挑んだ、ひと夏の冒険の本です。日本人はあまり知らないけれど、北米人の心の根幹に宿るカウボーイのほぼ全てが書かれていると言っていいと思います。いろいろあって、ちょっと発売日が当初の予定より遅れますが、是非お読みいただきたいです。

ほな、寅ちゃん、ジョージ、一緒に寝よか。

amazonへのリンク:
『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』前田将多著(旅と思索社)

 

「またやるんですか、『盗聴法』という言い換え」

2015年の夏、安全保障法制の施行に関連して、日本中が喧しかったはずである。はずである、というのは当時、私はカナダの牧場でカウボーイとして働いていたので、そこの母屋にある弱いワイファイにスマホをつないでニュースを閲覧する以外に状況を知る術がなく、直接的にあの喧噪を知らないのである。

そして、私はそれを幸運に思ったものである。安保法制を知らないことではなく、あの騒ぎに日常生活や精神的安寧を阻害されずに済んだことを、である。

安保法制というのは、1つの新法案と10の改正法案を束にしてまとめた呼び方で、内容はとても複雑なため、落ち着いて仔細に検討しなくては本来理解が難しいものだった。

安保法案とは、そもそも何? わかりやすく解説【今さら聞けない】

だから、それを「戦争法」と呼んで大きな声で圧倒しようとする活動は、ある種の方々にとっては見事な戦略で、多くの国民にとっては不利益なことでもあったはずだ。

重要な部分を改めて説明しておくと、大きな目的は「アジア太平洋地域でも、国際社会全体でも、平和、安全、そして繁栄を脅かす、様々な課題や不安定要因があきらかになって」いることに鑑み、「日本の平和と安全を確保するためには、紛争を未然に防ぐ力、つまり、『抑止力』を高めることが必要だった」からである(カッコ内は首相官邸HPの言葉)。あー、まどろっこしい。

「なぜ」、「いま」、平和安全法制か? | 首相官邸ホームページ

 つまり、これまでの法ではできないことが多すぎて、充分に国を防衛できないと政府が踏んだわけだ。なぜなら、北朝鮮核兵器保有してミサイル発射「訓練」を強行し、チャイナは南シナ海の領有権の不明瞭な地域の支配を軍事要塞化により着実に既成事実とし、武装した「公船」が我が国の領海侵犯、接続水域への侵入を繰り返しているからだ。繰り返されすぎてもはや「昨日は花粉が多かった」ほどの話題にもならない(もちろんこれが狙いだろう)。

そんな中、有事の際には自衛隊海上保安庁は映画『シン・ゴジラ』に描かれたような笑えない混乱に陥ることは明白である。想定される敵が法の網目をかいくぐって突いてくることも想像に容易い。その隙間を小さくして、「抑止力を高める=攻められにくくする」のが安保法制の役割であった。どこに「戦争を始める理由」があるというのだろう。

法制の内容のポイントは、集団的自衛権と後方支援だ。

「日本が直接的な攻撃を受けたわけではないけど、アメリカがやる時、ジャパンもできることをする」
「戦闘地域以外ならあちこちで支援活動をする」

現実に即して簡略化すると、こういうことだ。本来は簡略化してはいけないのだが、あまりにまどろっこしい。まどろっこしくさせられているのだ。「ああいう人たち」のために。

戦闘地域以外を「後方」といい、そこで行なう弾薬や食糧、燃料といった物資、人員の輸送、車両や武器の修理、負傷者の治療などを後方支援という。その活動をこれまで日本独自の限定的な方法で行なってきたが、それを拡大をするということであった。

当然、「日本が戦争に巻き込まれる」という不安があり、安倍首相はわざわざそれを「絶対にない」と、強い言葉で否定した(2015年5月14日)。徴兵制も「明確な憲法違反で、導入は全くありえない」と言明した(2015年7月30日)。

やると「約束」した消費増税も延期した首相だから信用できないだろうか。

しかし、人が何度同じことを言っても、どう説明をしても、「信用できない!」「ウソつきだ!」「ヒトラー!」と叫ぶばかりでは議論にならない。野党をはじめとした彼らが聞く耳を持たずに、建設的議論がおよそ聞こえてこなかったことが、冒頭で言及した国民への不利益だ。もっと言えば、多くの常民から「なんか気持ち悪い人たちが目を吊り上げてあることないこと決めつけてるだけなので関わりたくない」と、興味を失わせてしまった。

 正直言って、広範囲な戦闘になった場合、支援しようにも「ここは戦闘地域ですか? そうではないですか?」「もしそうでないなら、これはしていいですか? よくないでしょうか?」「これは自衛と言えるでしょうか? どこまで武器を使っていいでしょうか?」など、この国は雁字搦めでとてもまともな働きはできないのだが、かと言って、「なんにもしません」では本当に国が滅びることもありえないとは言えない。この複雑さと不自由さは、敗戦国の桎梏として逃れられまい。その中で国は果たせる責任を全うするべく、安保法制なり憲法解釈の変更という無理くりがあったと、私は考える。

 議論をするなら、「戦争はダメ、絶対!」ではなく、「その法制で、本当に国を守れるのか」という視点でするべきではなかったか。ダメ絶対なことくらい誰でもわかっているが、この世に絶対は「人はいつか死ぬ」以外にありえないのだ。

その上で、日本の法律は、防衛体制は、そして憲法はどのような進展をするべきなのかという議論がなされるべきではないだろうか。世界が動いていく以上、日本も様々な面で変わっていかざるをえないのは明らかだ。

憲法を改正しろと言っているのではない。私は個人的には「憲法九条を最後まで保持したまま、国防にできる限りの布石を打ち、策を練り、ズルかろうが理想と現実に齟齬があろうが、あらゆる手を尽くすべきだ」と考える者だ。なぜなら、繰り返すが、憲法九条は成り立ちはどうあれ、歴史によって与えられた桎梏だからだ。「永久」とそこに書いてあるからだ。

 二年が経ち、いま同じことが繰り返されようとしている。共謀罪の構成要素がより厳格化されたテロ等準備法だ。

重大な犯罪の実行を目的とした組織的犯罪集団が対象で、
具体的な計画の存在があり、
実行にうつすための準備行為
が要件となる。通信傍受法を「盗聴法」、安保法制を「戦争法」と呼び換えたように、これを「自由を奪う共謀罪」などとして、あたかも一般国民が常に監視・盗聴されるという言説や、飲み屋の与太話で逮捕されるとか、「社会を変えようと相談するだけで犯罪になる」などいう程度の低いデマに終始することが賢明なこととは思えない。共謀罪それ自体が天下の悪法であるわけでもない。批判があったから、厳格化・具体化で対応しただけだろう。

 監視についていえば、2004年に新宿のコマ劇前広場に監視カメラが設置された時にも「監視社会!」という批判があった。住基ネットでもそう、マイナンバーでもそうだった。

その後映像技術やインターネットが急速に進化し、現代は監視など当たり前になっている。防犯カメラの設置に反対する人などもはや皆無に近いのではないか。

しかも、バカげたことに(とあえて書くが)、「自由が奪われる」「わたしたちは全員政府に監視されている」などとSNSに書き込む人がいる。監視と呼ぶかどうかはその人の自由な解釈に任せたとしても、現代社会とはすでにそういう世界だ。

「○○を殺す」とネットに書けば警察が追ってくるし、度を越えたバカをやればネットで拡散され、社会的に抹殺されかねないのがフツーのことだ(まぁ、このコラムもある程度は叩かれるだろう)。

グーグルとフェイスブックというのは、端的に言うと、「皆さんから個人情報をタダで提供してもらい、それをデータ化して企業に売るシステム」である。つまり、SNSに書き込んだ時点で、自分の素性や志向や思想を晒しているわけで、もはやそれが常態なのである。フツーのことなのだ。

 〈Eメールを送れば、その内容は、メール機能を提供しているメールサーバーに記録されます〉
〈携帯電話を使えば、かけた電話番号、受けた電話番号、通話時間、テキスト・メッセージ等々に加え、位置も記録されます〉
スマートフォンはコンピューターそのものなので、スマホにインストールされた様々なアプリケーションが、様々な情報をアプリケーションの持ち主に送り続けています〉
キンドル電子書籍や雑誌を読めば、誰が何をどの程度のスピードで読んで、どこにマークをつけたり、読み返したりしたかなど、全ての行動がアマゾンに送られます〉
〈買ったものや飲食したものは店のキャッシュ・レジスターやクレジットカード会社に記録されます〉
(以上は小林由美著『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社)より)

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 グーグルにより我々一般人が受けている利益というのは計り知れないが、フェイスブックツイッターといったSNSでも、知り合うはずもない人たちと知り合えたり、情報に触れたり、データ分析された結果から、志向に沿った広告により新しいものを知ったり、好きなものに出合ったりできるという利点がある。鬱陶しい広告も多いから、一概に利点とは言い切れない気持ちもあるだろうが、利用するならそのように考えて楽しむ他ない。

前出の書籍が指摘するように、それにより富の一極集中が止まらないが、かといって個々人がネット利用をやめるわけにはいかない現実の方が、一般人がテロ等準備罪を怖れるよりも、問題としては深刻である。

このように、人はすでに丸裸にされているのである。だから、今さら政府が進めようとするテロ等準備罪が、善良な国民を裏で掌握するというような浅薄な扇動で時間を無駄に使うのはやめてもらいたい。国会での有限な時間は、森友学園問題でもうあくびが出るほど浪費された。

 ヨーロッパ各地やエジプトでテロ事件が起き、シリアでは化学兵器による一般人の殺戮があった。アサド政権の所為と断定したアメリカによる軍事基地への空爆と、ロシアの反発も世界が注視するところだ。

さらに日本に近いところでは、アメリカは北朝鮮への先制攻撃で、金正恩らの「斬首作戦」を実行するのかしないのか、これまでにない緊張が高まっている。その時、すなわち先ほどわざと簡略化して書いた「日本が直接的な攻撃を受けたわけではないけど、アメリカがやる時」、北朝鮮にいるであろう日本人拉致被害者を救出することは、果たして安保法や憲法の枠内において、日本政府に可能なのかどうか。
いま、大変重要なことである。

事実に基づかない噂を流したり、勝手なあだ名で人を呼ぶことは、それが学校であったらいじめである。いじめをする人間を普通の人は「卑怯者」と見る。そして、卑怯者に何が起きるかというと、
「人として信用されない」。

これに尽きる。

拙著の「はじめに」を転載します

拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』が刊行され、おかげさまでまずまずの評価をいただいています。

売上ランキングのどこで1位とか、それはひとまず措いて、読んでくださった人が
「一気読みでした」
「せつない気持ちになって、ちょっと泣きそうになります」
「デザイナーは是非読んでほしい~! 読みやすく、面白く、楽しんで読めました」
広告業界と言わず幅広く若手の人に読んでもらいたい内容」
「ぶつける先のない怒り、仲間が疲弊していくのをどうすることもできない無力感。それを代弁して頂いた気がする」
「うんうん頷いたり、笑ったり、戦慄したりしながら読みました。粋でカッコよく、優しくて気持ちのいい本」
「人情味のあるじーんとくる内容」
「日本中の津々浦々まで届けたい」
「あらゆる産業で膝を打つ読者が多いと思う」
(以上はツイッターより)などなどのありがたい言葉を贈ってくださったのをうれしく思っております。

 

書いたからには読んでいただかないことには、何もしなかったのと同じですので、ここに「はじめに」の項を公開しておきます。

--------- はじめに ---------

私は二〇〇一年から十五年弱の間、電通に在籍して働いていた。主にコピーライターとして業務にあたっていたが、広告の文面を考案したり、テレビCMを企画するのみでなく、街頭イベントの企画、懸賞キャンペーンの企画運営、海外展示会ブースのプロデュースなど様々な仕事に取り組んだ。電車の発車メロディーの制作もした。

世間に誇れるような仕事は残していないのだけれど、電通社員では唯一「コラムニスト」という肩書を名刺に載せていて、どこの雑誌でも新聞でもなく、「月刊ショータ」という自分のウェブサイトに二〇〇三年から月イチでしょーもないコラムを書いていた。公私混同の肩書を許すとは、寛容な会社であった。

やがて、私が四〇才を目前に退職したのち、新入社員の自殺が労災認定されて以降、長時間労働の問題がメディアによって照らし出された。二〇一六年一〇月に私が書いたコラム「広告業界という無法地帯へ」が異様な反響を見せた。

私が入社する十年前にもあった若手社員の自殺も含め、電通の企業としての体質が問題視される中、私がそのコラムを書いた理由は、「広告業界外の人が、いかに問題の大局を見ることができないでいるか」ということに歯痒さを感じたからである。

少しでも電通に肩入れをするような文言を書けば、「電通擁護!」、「こいつは電通からカネをもらっているに違いない!」、「世論操作のための回し者!」などとあらぬことを言われる現代のネット社会において、少々の勇気がいるコラムではあったのだが、報道の着眼点と電通の会社としての対応の双方に目に余る部分があったので公開した。結果、電通及び電通以外の広告関係者、その他の業界で働く人たちから概ね賛意が寄せられ、胸を撫で下ろす思いであった。

この本は一本のコラムだけでは語り切れない、電通という巨大企業の現場と、広告業界の歪なところを、二十三本のコラムとして書き綴ったものである。一部は「月刊ショータ」に書いた過去のコラムを加筆修正したものである。

第一章では、普段は表に登場することが少ないため、世間からはおそらくミステリアスに思われているであろう、電通という企業について書いた。

第二章は、広告業界の内側で今日も巻き起こっている、バカバカしい実態を描写する。第三章は、広告業界とそれ以外のビジネス社会にも共通する、どこかピントを外した日本人の働き方について指摘してみた。第四章は、働く人に少しは役に立つことを書きたいと思ったので、ご参考までにどうぞ……。

所謂「暴露本」を期待される読者の方には、購入をおすすめしない。

電通一社を叩いて何かが解決する、改善されるならそうしよう。しかし、現実はそうではない。電通を始めとした日本中の広告会社、クライアント企業、制作会社など、全ての関係者が、一度立ち止まって己を顧みる時だと思う。

そして、もちろん、この問題がここまで大きな関心を得たのは、電通という見えてこない巨躯、自殺した彼女の華やかな経歴と美貌以外にも、日本社会で働く誰もが突き付けられる課題を孕んでいたからであろう。

私に対する「こいつ、どんだけ電通に洗脳されているんだw」という批判をネットで目にして、私は鼻で笑った後にふと、「多少そうかも」と自身を振り返ることがあった。若い時に初めて入社した会社で教育され、その世界しか経験しないと、確かに染まっていってしまう部分はあったと思う。

そんな自省も込めて、広告業界を一歩離れた場所から眺めてみたのが本書である。

私は、「元電通」であることを売りにしながら、古巣に後ろ足で砂をかけるような者にはなりたくないと願っている。電通には恩もあれば、感謝の気持ちもある。それがあるからこそ、鈍らな刃も向けたいと思う。

広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』というタイトルは、この社会が異常性を帯びていることに気が付き始めた皆さんに向けて、私自身が付けたものだ。

笑覧いただき、一度立ち止まる機会になれば、著者として幸いである。

 

以上です。

笑えて泣けて、生きていこうと思えるコラム集です。お一人でも多くの「ダイジョーブじゃないかも」と思っている方の手に取られるといいです。

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前田将多著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版

https://www.amazon.co.jp/dp/4620324396

「小さな本屋さんと僕と電通のかかわり」

電通関西支社には昔から出入りされている書店がある。まや書店という。

店舗は大阪は淀屋橋三井物産ビルの地下にあって、僕はそこにも行ったことあるのだけど、五人も入ったら一杯なくらい小さな本屋さんだ。

主人のおじいちゃんがいつも痩せた体で、雑誌や書籍を腕一杯に抱えて、電通社内の購入者に渡して回っていた。僕は定期購読したい雑誌やほしい本があると、まや書店にFAXして、その都度届けてもらっていた。

驚くほどいい加減なシステムで、注文した本をおじいちゃんがデスクに置いてくれて、僕が打合せや出先から席に戻ると、本と請求書がある。で、どうやって支払うかというと、「次に偶然会った時に払う」のだ。だから、全然出会わなくて、ツケをため込んでる人もいる。

おじいちゃんは、とてもいい笑顔をする人で、彼を面白がったクリエーティブ局員がいくつかのCMに出演させたりもした。画面で見ても、おじいちゃんはいい笑顔をしていた。

そのおじいちゃんが何年か前に亡くなった。本屋さんが亡くなっても社内のイントラシステムで訃報の掲示があるわけではないから、僕はそれを噂で耳にしたのであった。

僕は電通社内の、田中泰延さんはじめ、その時の局長とか本読みであろう何人かに声をかけて、連名で書店に弔花を贈った。

「お世話になったまや書店は今後どうなってしまうんだろう……」と思っていたら、その後若い人(といっても、僕より年上)が同じように本を腕一杯に抱えている姿を社内でお見かけするようになった。お話ししてみたら、あのおじいちゃんの息子さんだという。

この本が売れないご時世に、小さな書店を継ぐという意味がわかるだろうか。街を見渡せば、小さな本屋はつぶれて、大手のいくつかだけが辛うじて残っている惨憺たる状況だ。

息子さんは、その後もまや書店と付き合いを続けた僕の電通退職時に、五千円分の図書カードをくださった。五千円だ。一人の男が、雑誌を八冊だか十冊だか売り歩いて五千円を得る苦労は僕にはわからない。小さな本屋さんの一日の売上を知る由もないけど、それが小さな額でないことはわかる。

僕はありがたく頂戴して、街を歩いていてなにかほしい本に出合って、その値段が高くてちょっと躊躇した際に、図書カードを大切に使わせてもらった。

 

やがて、月日は巡り、僕が本を出すことになった。

僕は久し振りにまや書店さんに電話をした。彼は僕のことを覚えていてくださった。

「まや書店さん、僕はご恩を忘れてはいません。僕の本で、少しでも儲けてくださいませんか。つきましては、電通社内でチラシを撒いて、一冊でも多く、この本を売ってください。

僕は今、sunawachi.comというレザー製品を扱う会社をやっていますから、取引先である東大阪のブランドにお願いして、レザーのオリジナルブックマーク(しおり)を用意します。まや書店で買ってくれた人には、ノベルティとして付けてくださいよ」

彼は喜んでくれて、通常ありえない冊数を仕入れたようだ。

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僕としては、そりゃ本は売れてほしいし、本当のことを言えば紀伊国屋とかアマゾンで売れて、なんかのランキングにでも入ったら、販売促進的には効果的なのかもしれない。なんでこう、儲からない方儲からない方へ自ら行ってしまうのか、自分でもアホなんだと思う。

しかし、一方で、無名の僕が書いた本なんて、内容は絶対に面白い自信はあるけど、それだけで簡単に売れるはずなんかないから、せめてまや書店さんがちょっといい思いしてくれたらうれしいじゃないか。

 

そして、本の発売があと三日に迫り、僕はまや書店さんに再び電話をした。

「どうですか?」

「それが……」

彼はちょっと言いにくそうにした。

なんと、チラシはだいぶ配ったにもかかわらず、電通関西支社から予約は一件も来ていないのだという。

おいおい、元の同僚たちよ。先輩後輩、上司たちよ。僕が悪いんだけど、毎月給料が入ってくる生活を諦めて、何事かしようとして、果たして出版社に出してもらうに至った元同僚の本の一冊すら買ってくれないほど、あなた方は忙しいのか。

百歩譲って、元電通社員が電通について書いた本に関して、穿った目で見ることも可能だろう。しかし、文句は読んでから言ってくれ。かなりイケナイ内容も書いたけど、僕は広告業界へのエールを込めたつもりだし、業種にかかわらず組織で働く人、職場で悩む人の何かしらに少しでも役に立てるものを書いたつもりだぞ。

僕は元同僚たちの何人かに連絡をして、恥を忍んで申し上げた。

「営業するようですみません。でも、もし買ってくれるなら、まや書店に注文してくれませんか。電話番号は06-4706-8248です」

結果、心ある何人かが電話をしてくれたようだ。

そのうちの一人の後輩が、

「まや書店さんがうれしそうに、『前田さんのしおりが』『しおりが』って何度も説明してくれましたよ」

と教えてくれた。

とはいえ、このコラムを読んだ、まや書店や電通に無関係の方がわざわざ、そこで買ってくれなくていい。電通のそばのジュンク堂で買ってください。梅田駅の紀伊国屋で買ってください。スタンダードブックストアで買ってください(SBS心斎橋でもブックマークはもらえます。数量限定)。彼らも多めに仕入れてくれているから。近所の本屋でも(たぶん取り寄せになるけど)アマゾンだってもちろん構わない。買えるところで買ってくだされば、著者の僕が購入場所を指定するなんておこがましい。大作家じゃあるまいし、そこまで口出す身分ではないから。

……てな、すったもんだの末、3月2日にとにかく発売です。

広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版

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とりあえず、hontoのリンクを貼っておきます。

honto.jp

自分はダイジョーブじゃないかも、と思っている人たちへ。

なにもできませんが、笑えて泣けて、生きていこうと思える本を書きました。笑覧ください。