月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「クレイジーでビューティフルな彼女の歌」

カントリーソングの話をしたい。たまにやるシリーズである。
たとえば過去にはこんなのも。

monthly-shota.hatenablog.com

 

誤解を恐れずに言うと、僕が女の人を人間と認めたのはいつ頃だったろうか。
少年時代には、僕は女の人があまり好きではなくて、なるべく話すことなく、関わらずに学校生活を送ろうと考えていた。

「あの人たちは、僕らと同じではない」
「しゃべり方がちがう」
「走り方がちがう」
「ぶったら泣く」(ぶつなクソガキ)
「ボール投げるのがヘタ」
「字がうまい」
「髪の毛がきれい」
「なんかいいにおいがする」
「かわいい」

結局、好きなんかえ!

今の子供たちは知らないが、少なくとも僕の幼少時代など、男同士の遊びとかスポーツとかケンカに、女子の分け入る余地はなかった。力が強い者、声が大きい者、もっと正確に言うと、相手を躊躇せずぶん殴れる者が最後には勝った。
政治的に正しかろうがそうでなかろうが、昭和の子供というのは事実、そういう世界にいたのだった。

それを指さして「ミソジニー(女性蔑視)!」だとか「マチズモ(男性優位主義)!」だとか感じる人もいるかもしれない。「はい、そうでした」としか言えない。

動物とそう変わらぬ連中が、より高等なモノの見方や考え方を学ぶのは、もう少しあとになってからだ。それが成長する、すなわち人間になっていくということだ。

 

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うちの寅ちゃんみたいに無邪気なガキが第二次性徴を迎えるころには、男子は好きな女子を神聖化し、偶像化するようになる。
「このコは姿かたちと同じように、心も完璧なのではないか」
「絶対に悪いことやズルいことはしないのではないか」

これが例の「アイドルはうん○しない」という定説につながる。

だけど実際には、女だってウソもつけば浮気もする(個人差があります。うん○については未確認)。

僕に関して言えば、はじめて付き合った女の子が自分の高校で新しいカレシをつくって、僕を捨てたときにひどいショックを受けたものだ。

「あぁ、女の人って、こんな残酷なことをするんだ……」

以降、ハタチ過ぎまで女性不信である。この間、人として認めなかったのである。
女の人ぜんたいを、僕の心の中の刑務所に入れたのである(アホ)。

はじめの疑問「僕が女の人を人間と認めたのはいつ頃だったか」について、なにかひとつの契機があったわけではないが、大人になるにつれて、何人かの女性と付き合い、またフラれたりなんかして、思い余って結婚して、いつしか「女の人も人間なんだ」と認めることになる。
ただし「ちがう人間」としてである。

 

男が女に対して「わかってたまるか」と思うように、女のことだって男からはおよそわかってないのだろう。
しかし、「わかりたい」と思いつつ、いつまでもわからない状態がつづくところに、男と女が飽くことなく惹かれあう何かがあるのかもしれない。いや、最近はもう「わかり合えないことがわかった」くらいだ…。

前置きが「もう入れて♡」というくらい長くなったが、すてきなカントリーソングを紹介したい。

「彼女はイカれてる。だけど、それを美しいと、僕は思ってしまうんだ」という、男のどうしようもない気持ちである。ここ数年でもっとも僕の心に響いたラブソングであった。

これ以上の説明は不要だと思うので、対訳とビデオをお楽しみください。
クレイジーな恋を。

 

“Beautful Crazy” by Luke Combs

 Her day starts with a coffee and ends with a wine
Takes forever to get ready so she’s never on time for anything
When she gets that come get me look in her eyes
Well it kinda scares me the way that she drives me wild
When she drives me wild

彼女の一日はコーヒーではじまり ワインでおわる
支度するのにいつまでもかかるから 何事においても遅刻する
彼女が近寄ってきて 見つめ合うと
どれほどたまらない気持にさせられるか なんだか怖いくらいだ
彼女がぼくをたまらなくさせるとき……


Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy but her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
彼女はイカれてる だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ


She makes plans for the weekend, can't wait to go out
'Til she changes her mind, says, "let's stay on the couch and watch TV"
And she falls asleep

彼女は週末の計画をする 出かけるのが待ち遠しそうに
なのに気が変わって 「ソファでゴロゴロしてテレビみよっか」と言いだし
やがて眠ってしまう

Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy but her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
そう 彼女はイカれてる だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ

She's unpredictable, unforgettable
It's unusual, unbelievable
How I'm such a fool, yeah I'm such a fool for her

彼女は予測不可能で 忘れられなくて
これはフツウじゃない 信じられない
ぼくがどれほど夢中か どれほど彼女に夢中か

Beautiful, crazy, she can't help but amaze me
The way that she dances, ain't afraid to take chances
And wears her heart on her sleeve
Yeah, she's crazy, she's crazy, she's crazy
But her crazy's beautiful to me
Her crazy's beautiful to me

美しくて イカれてる 彼女はぼくを驚かせてばかり
彼女が踊るすがた 冒険を怖れない態度
歯に衣着せぬもの言いも
そう 彼女はイカれてる おかしい 狂ってる
だけどそのイカれ方を ぼくは美しいと感じてしまうんだ

(対訳:前田将多)

 

Official Video:

youtu.be

「ボカシだらけのニッポンに」

先月、参議院議員選挙が終わった。票を投じるにあたり、どういう日本になってほしいか、各人が考えたことだと思う。
僕自身も、なんの権限もないのに、大統領にでもなったつもりでつらつら考えることはあるので、我が国、我が国民の「そういうの、やめといた方がいいよ」と思う事柄を挙げてさせていただく。

法治国家としてあれこれもうちょっとスッキリと、人々は雨にも負けず溌剌と、しないものかなぁ……。 

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オレは、こういう人がいたら友達にはなりたくない……

①とりあえずボカシ入れてうやむやにする

逮捕された人が護送されるときに、手のあたりにボカシが入っているニュース映像は誰でも目にしたことがあるだろう。

「人権保護のためのテレビ局の自主規制」とされているが、あのボカシの向こうで手錠がかけられている以外のなにがされているというのだろう。そんなに人権を保護したければ顔にモザイクをかけるか、そもそも映像での報道をしなければいいではないか。

「手錠の手元をボカスと、それを見た人は逮捕されたことが認識できず、人権が保護される」という論理が通用するなら、「ポルノの局部にボカシを入れると、それを見た人は出演者がセックスしてることが認識できず、公序良俗が保たれる」ということになる。

こういうわけのわからない考えを本気で信じて、ジャパンではボカシを入れることにしたのだろう。昔のポルノは実際にセックスをしていたわけではなく、それらしく演技していた「疑似本番だった」ので、取締当局と製作サイドは共犯だった構図になる。
「このビデオは本番しているらしい!」ともなれば、ボカシは入ったままなのに、男たちが狂喜してこぞって見たがった。そんな牧歌的な時代があったようだ(四十三才の僕よりも上の世代)。

「……1980年代後半から90年代初頭にかけて、AVの帝王・村西とおるは徹底した『本番至上主義』を掲げた」らしい。僕はその分野は詳しくはないのだが、東良美季さんという作家が書いていた(メール配信日記『勝谷誠彦の××な日々』2018年2月10日付録より)。
こういったエロ映像作家の情熱に興味がある方は東良氏の著作『裸のアンダーグラウンド』をどうぞ。
野坂昭如『エロ事師たち』は、エロ写真の闇販売からブルーフィルムの製作で一発当てようとのめり込んでいく男たちの話で、舞台は60年代だったが、いつの世も男というのはエロに必死なのである。

が、このコラムで改めて、男たちのエロへの必死さをお伝えしたかったわけではなかった。
ましてや「オレはうやむやが嫌いなんだ! ハッキリぱっくり見せんかい」と強調したいわけでもない。

ボカシのような「表面上ごまかしているが、真相はバレバレ」という例はこの国に多いと言いたいのだ。パチンコは文鎮とか火打石をゲットして喜ぶ場所ではないし、ソープランドはお風呂に入って疲れをとるお店ではない。
インターネットでエロスなど無限に触れられる現代に、いつまでこういう時代遅れをやっているのだろうか。先進的な法治国家といえるのか。

インターネットの発達自体が、「画像が見たい」「もっと鮮明な画像が見たい」「映像が見たい」「出会いたい」というエロの欲望とともにあった、というか、性欲によって駆り立てられて発展したわけだから、いい加減見て見ぬふりはしない方がいいように思う。

もっと言えば、非合法にしておくから、なんぼでも抜け道があって水面下で売春が行われる。援助交際パパ活も含めて、煎じ詰めれば売春なわけで、これは法で止められるわけがないのだから、合法化して税金を課するべきである。

正直言って、エロから税金をちゃんと徴収できれば、日本の税収なんかかなり余裕が生まれるだろう。それを社会福祉にあてるべきだ。しかも、反社会的組織に資金がまわるのも防ぐことができる。

日本の性風俗産業の市場規模は7兆6千億円で、国が負担する公務員の人件費に匹敵するのだという。(門倉貴史著『世界の[下半身]経済がわかる本』

自衛隊は子供の目に触れる場所に来るな」などと、まったく世の中の仕組みを理解していない女性団体とかが、売春を非合法のまま看過するのは、反社会的組織という敵に塩を送っていることになる。

special.sankei.com

その手の方々がお好きなリベラルで先進的な国々は、売春合法化に踏み切っていて、国際人権団体アムネスティもそれを支持する方針を打ち出した(2015年)のだから、あの人たちが反対する理由はあるまい。

www.amnesty.or.jp

「教育が大事です!」と言ったって、高い教育を受けてなお売春をする人はいる。貧困が根底にあることに疑いはないが、お金に困っていなくてもする人はいるのだ。男を買う女ももちろんいる。
男に関しては、出身、職業、容姿、収入にかかわらずいる。奨励はしないが、止められるわけがない。

これは好き・嫌い・キモいの問題ではないのだ。

 

②マジメな顔して毎日働く

上記の女性団体のように、人(世論)が事実ではなく感情や信条で動く現象を「ポスト・トゥルースpost-truth)」と言う。

逆に無感情であることが日本人に大きな弊害をもたらしていると思えるのが、「働き方」だ。

僕は、日本人の労働観の問題は電車の中に凝縮されていると考えている。
「本日は○○電鉄をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は○○行き急行です。お立ちの方は手すりか吊り革におつかまりください。車内に不審物がございましたら乗務員にご連絡ください。携帯電話のご使用はまわりのお客さまのご迷惑になりますのでお控えください。優先席は体の不自由な方、お年寄りにお譲りください。傘などのお忘れ物にご注意ください。次は○○駅に止まります」などと発車してから、注意事項を延々としゃべっていて、ものを読んでいる僕は「ちょっと黙ってくれ」と思う。
揺れたらつかまるし、ヨロヨロしたジイさんが来たら座ってても席譲るから……。

こうやって規則通りにテープ(古い)のように喋りつづけるから、バカな人は「こいつは感情のないロボットに違いない。だからなにを要求してもいい」とどこかで思い込むのではないだろうか。

駅員さんへの暴力というのは、こういうところに淵源があると、僕は思う。

「きみが人間らしく振る舞わないと、人として扱われないんだぞ」(拙著『広告業界という無法地帯へ』より)ということだ。

もちろん、暴言を吐いたり、暴力をふるったりする人間が悪い。しかし、これも売春と同じで、いつの時代も根絶はできない。こちらが変わることで防衛できることはある。

「電車の運転手が水を飲んだらクレームが来た」というため息が出るような話題があった。

www.j-cast.com

消防士が消火活動の帰りにうどん屋に寄って叱られたとか、警察官はコンビニに行くとき私服に着替えるとか、日本人、ええ加減にせなあかん。

去年の夏、僕の店の前にパンクしたパトカーが停まって、自動車警ら隊員なのか、かなり重装備の警官が大汗かきながらタイヤ交換をしていた。
僕が冷たい水を差し入れたところ、彼は一気に飲み干して、お礼を言って笑顔で去っていった。一日気分がいいではないか。

僕が電通時代に感じていたことだが、クライアントとの合計六、七人の打合せがあったとしよう。そういう場で、僕が冗談を言って笑わせると、その笑い方は「いけないブラックジョークに笑うような」様子なのだ。特に上司がそこにいる場面に多い。

僕は「ああ、この人たちは職場で笑ってはいけない」と思い込んで働いているんだな、と気の毒に思ったものだ。

電通関西支社というのは、いつでも冗談ばかりの笑いの絶えない職場であったから(部署によるw)、なおさらそのように感じた。

おそらく、日本の大企業の大半がそういう「マジメなだけ」の会社なのではないかと想像する。僕はそれならそうと、なおさら余計な冗談を言ったり、メールに書いたりして仕事をしようと心がけた。

それは自己防衛の手段でもある。
相手がどーでもいいマシーンなら、
「これ、明日までにやって」
と、ボタンを連打するように命令すれば済むが、相手が感情もあり、冗談も言う人間なら、
「すみません、こうこうこう言う事情がありまして、なんとか明日までにできないでしょうか」
とお願いしたくなるだろう。結局明日までにやんのかい。

いや、同じ明日までであっても、その言い方によって、こちらのやる気はだいぶちがう。
場合によっては「任せとけい! ひと肌脱ごうじゃないか」という気分にすらなるだろう。

人間が働く意味とはそこにある。誰かのために、なにかをすることではないのか。

 

③ただの慣習を、いつの間にか厳格な規則のように扱う
先日、葬式に行ったのだが、一緒に行った後藤さんは喪服を持っていなかったので、実家からスーツを取り寄せた。すると、二十年近く昔のものだったため、ウエストがまったく入らない。
だから、「後藤さん、とにかくなんか黒い服着ておけばいいよ」ということにした。
後藤さんは、辛うじて着られた上着と、黒いズボンの下に、VネックのTシャツを着て行った。
僕自身も、喪服は持っていない。ただ黒いスーツ一式を持っているだけだ。
これはアメリカでもそうで、亡くなったのが近い家族か、よほどの要人でもない限り、真っ黒な正装なんか庶民はしないものだ。
カウボーイなんて、黒いジャンパーに黒い野球帽かぶって行っていた。

リクルートスーツというものの存在などもっとわからない。
あなたの個性が問われている就職面接なのに、「なるべくみんなと一緒になるように」同じようなスーツを着たり、女子なら同じように髪をひっつめたりする必要なんかない。
いや、「みんなと同じように働きたいんです」という人はそれでいいだろう。それならそうして、量産されたロボットのように働いて、酔っ払ったおっさんとか、高圧的な上司に罵倒されるのも甘受して働いてください。

それが嫌なら「誰が決めたのかもわからないようなルール」は疑うべきだろう。自分で考えて、人間としての感情も個性も尊厳も保って、抗ったらいいのではないだろうか。善くも悪しくも、堂々とやれば、おっさんらはなにも言ってこないものだ。

なんでもかんでも慣習を否定しろ、と言いたいのではない。日本には上座下座とか、お箸の使い方とか、特にサラリーマンには「新人がエレベータで立つ位置」、「タクシーで座るべき階級順の位置」などさまざまな馬鹿らしいような慣習がある。
しかし、それらは相手がある際のことなので、知った上で臨機応変にやったらいいのだ。
葬式なら黒いものを着ていれば文句言う遺族はいないだろう。
そんな時は「香典返せ、この野郎。お前が死んだのか」と一喝したらいい。

面接ならなおさら、男は自分が一番カッコよく見えると思うスーツを着て、女は自分が一番きれいに見えるメイクをしたらいいのだ。

カッコいい男たち女たちが増えないと、この国はヤバいと思うよ。

 

「NHKをぶっこわせ!」と連呼していた人が参院選に通ったが、「ボカシなんか、とっぱらえ!」でなんとかいけないものだろうか。いけちゃうような気がするぞ……。

「2019年上半期、凄味のある4冊」

今年も半分終わってしまった、ということで、ここ半年で読んでおもしろかった本を紹介することにしよう。僕の「読書感想文」程度の、とっ散らかったものです。

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藤沢周 著『界』(文春文庫)

「文豪」という言葉を思うとき、僕は現代の文豪とは藤沢周さんなのではないかと考えている。
「豪」というのは、力量や才知がすぐれている人、という意味である。

文豪、性豪、上田豪。
その語感には、凄味と呼べるような、ただならない妖しさとか、「豪」であり「剛」である強さ(こわさ)が漂う。
あ、上田豪さんは銀座でグラフィックデザイナーをしている僕の友人だ。

「おもしろかった本」を紹介すると言った先から矛盾するが、藤沢氏の小説はおもしろいのとはちがう。引き込まれてページを繰る手が止まらない、というのともぜんぜんちがう。
だけど僕は、一文一文が芸術品であるかのように鑑賞しながら読んでいく。読み終えても、なんだかよくわからない部分が多々残るのだが、鼻腔の奥にわだかまる余韻のようなものを味わうことができる。

『界』では、妻と別居中で、東京に愛人を残した榊という男が、日本のあちこを遍歴し、月岡(新潟県)で、指宿(鹿児島県)で、比良(滋賀県)で、八橋(愛知県)で、女と出会う。
そこでは性的な関係が直截に描かれていたり、まったくなかったりする。九編のストーリーそれぞれが、男の体臭や、畳や、雨や、居酒屋や、性のにおいを脳に届けてくる。

「この話はこういう意味なんだ」「こういうことを描いているんだ」などと、安易に解説できない凄味に気押される。

僕は一度、藤沢氏の同じく短編集である『サラバンド・サラバンダ』の書評めいた短い感想をツイッターに書いたことがある。これを目にした氏は喜んでくださった(酔っ払っていらっしゃったのかもしれない……w)のだが、まぐれ当たりがつづくわけはないので、なにか憶断するような言葉は慎みたい。

 

 

ただ、においなのだ。
人間の五感の中で、嗅覚だけが脳に直接運ばれる。ほかの四つは視床という部位を通じて脳にやってくるが、嗅覚だけはそこを経ることなく大脳皮質や扁桃体に届くという。

『界』というのは、言葉が視覚を通じて、においを想起させ、それがあたかも直接脳に刺さったかのような錯覚を与える短編集だ。生と死、生と性、観念と実在、ある日とまたある日、彼岸と此岸、それぞれの曖昧な「界」を彷徨うと、現実とも妄想ともつかぬ意識下に、においだけが残る。
なにかの感情や感覚を惹起するのが芸術なら、藤沢作品はやはり文豪による文芸なのである。

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藤沢周 著『界』(文春文庫)

 

内村光良著『ふたたび蝉の声』(小学館

内村光良と表記されると咄嗟にはわかりづらいが、ウッチャンナンチャンウッチャンの書き下ろし小説である。

会沢進という遅咲きの役者は、妻、百合子がありながら、仕事仲間のミサキに淡い恋心を抱いている。
進の姉、ゆりは、宏という年下の彼氏から求婚されるが、自らの離婚経験のため躊躇する。
竜也は進と同級生であった高校時代は、ピッチャーで地元のヒーローだったが、挫折していまは借金漬けの怠惰な生活を送る。
そして、進とゆりをあたたかく見守る両親の正信と浅江。
こういった登場人物による、昭和から平成を通じた、家族とその周辺の群像劇である。

殺人鬼も、国際スパイも登場しなければ、巨悪もカーチェイスも出てこない。日常の悲喜劇が、わりと淡々と語られるのだが、それぞれ時代を懸命に生きようとする市井の人々の家族愛が通底していて静かな感動がある。

吉田修一作品を彷彿させる、陽だまりを歩くようなやさしさがあり、胸をしめつける切実さがあり、誰もが「明日もがんばろう」と思うはずだ。

f:id:ShotaMaeda:20190630152145j:plain内村光良 著『ふたたび蝉の声』(小学館)

 

鷹匠裕 著『帝王の誤算 小説 世界最大の広告代理店を創った男』(角川書店

一転してこちらは、権謀術数、策略と欲望渦巻く広告業界の話を「小説」の体(てい)で描いたものだ。

電通の第九代社長から、電通グループ会長、そして最高顧問になった成田豊氏が、「電通の成田」ではなく「連広の城田」という架空の人物に置き換えられている。

電通が連広であるように、博報堂が弘朋社、トヨタがトモダ、ニッサンがニッシン、マツダがマツノ、日立が日同と、モデルが丸わかりの中、当時(こちらも昭和から平成)の広告業界の「ほんまに?」という水準のムチャクチャぶりが、ゾクゾクするような緊張感あるストーリーに乗せられている。

たとえばこうだ。

トモダの高級車「マークZ」の広告業務は、それまで連広が一手に扱ってきたのに、弘朋社との競合になった。それぞれがプレゼンをした末、弘朋社が勝ち取った。
怒った城田は、はじめは新型マークZの不備を探らせ、不買運動でも仕掛けてやろうかと考えるが、新任の営業局長の奇策を採用し、逆に社員を使って、次々に購買予約をさせた。社員には知り合いを引き入れることまで奨励し、会社から支援金を奮発した。
さらに、パブリシティ費用を連広が負担して、雑誌や新聞といったメディア各社に「新マークZは素晴らしい」という記事を書かせまくる。

すると、どうなるか。
生産が追いつかなくなって、トモダは、手に入らないものを大々的に広告することは消費者への不義であるとして、マークZの広告キャンペーンを中止にし、すでに押さえてあった広告枠は、別の車種に切り替えたのであった。

これ以上書くとネタバレになるから控えるが、こういった逸話が次から次に出てくる。

大企業との広告業務以外にも、オリンピックや都知事選といった国家を動かすようなイベントに連広がどのようにかかわってきたのかもわかるようになっている。

成田豊氏は、僕が電通に入社したときの社長であった。
平社員の僕からしたら、会話したこともないエライさんだったが、僕が入社した年(二〇〇一年)に、電通の株式を公開し、汐留本社ビルを建て、グローバル化に舵を切った、いまの電通の方向性に大きく影響を及ぼした社長である。

「ボンクラ社員がなにを」と言われるだろうが、実は、僕は株式公開と新社屋建設は誤りだったと当時から考えていた。
乱暴に簡略化して言うが、姿の見えない“ステイクホルダー”や、フランスの建築家に設計させたがために、車寄せが日本と逆方向にカーブしているようなビルディングに重きを置いたがために、そこで働く人間たちがないがしろにされていった、その「終わりの始まり」であったと考えているからだ。

本作中にも、九一年に実際にあった若手社員の自殺が出てくるが、結局そこから大した方向修正もせぬまま、「クライアント・ファースト」で突っ走り、一五年の女性新入社員の自殺というショッキングな事件に帰結することになる。

電通上層部の暗躍についてエンタメとして読みたければ『帝王の誤算』を、電通平社員の現実に泣き笑いしたければ拙著『広告業界という無法地帯へ』を読まれたし。と、自分の宣伝もさせてね。

『帝王の誤算』で、ひとつ、印象に残ったセリフがある。
東京へのオリンピック再誘致の事業を、連広が競合を経ない随意契約で受注し、それを議会で突かれた石原慎太郎氏と思われる夏越議員が言い放つ。
「君たちは知らないかもしれないが、こういう仕事をできる会社は日本にひとつしかないんだ。連広だよ」

それは、まぁ真実なのではないかと思う。なんでも屋たりえるネットワークと、能力ある社員を保持していることは事実だろう。
ワタシが尻尾まいて逃げ出すくらい優秀な人が多いのだから。わっはっは。

f:id:ShotaMaeda:20190630152448j:plain鷹匠裕 著『帝王の誤算』(角川書店

 

■田中泰延 著『読みたいことを、書けばいい 人生が変わるシンプルな文章術』(ダイヤモンド社

さて、トリは、僕の電通時代の先輩であり、盟友のひろのぶさんである。「泰延」という漢字を変換するために、「泰平」と打って一字消し、「延長」と打ってまた一字消すのが面倒くさいから、ひろのぶさんと表記することにする。

書きたいことや書けることはたくさんある。
しかし、ツイートがおもしろすぎてフォロワーが五万人に達しようとしているひろのぶさんの初の著書の内容がいかに素晴らしいについては、ほかに多くの方が競うように、筆を尽くして書いているから、「本当のことしか書かない」コラムニストとしての僕は、以下の二点にのみ言及しておこうかと思う。

 

これを著者本人に読まれると失礼でアレだが、僕はいつもこの本について人と話すとき、こう言う。
「おもしろかったよね。でも、あれ、ギューッと詰めたら、厚さこれくらい(人差し指と親指で四ミリくらいを示す)だよね」

もちろんわかっている。その中に大切なことがたくさん詰まっていて、それをエンターテインメントとして、語りかけるように一気に読ませるひろのぶさんの技量と才能がほとばしるようなのである。

本というのは、書けと言われて一生懸命書くと、編集者に「減らせ」と言われる。
「こんな厚い本は、もう人は読まない」、「文字ばっかだと売れない」というのである。

だから、『読みたいものを、書けばいい』は、構造として革新的だな、と感心した。
大きな余白、でっかい文字、ひろのぶさんのウェブ記事の特徴である、そこここにある太文字。それでも内容は濃密この上ない。
QRコードで過去の記事をスマホで読める仕組みも、田中泰延氏にはじめて触れる読者には親切である(日本の人口の半数以上はツイッターなどしていない)。
ダイヤモンド社の編集者である今野氏の手腕なのかな。

 

もう一点。僕は「文章がうまくなる方法」というものには否定的なのである。そのほとんどは遺伝子によって決まっていることは科学研究が示唆している。
つまりは才能なのである。

はじめにひろのぶさんから「なんか、文章術の本を書かないかって依頼が来て、書こうと思うねん」と聞かされたときは、正直に言うと、
「そんなインチキなもん書きたいわけちゃいますやろ」
と、僕は思ったのだ(今野さんゴメンネ)。

かくして世に出たこの本を、僕は新幹線の中で読んで、新大阪から東京に着くまでに読み終えた。

ぜんぜんインチキは書いてなかった。
それどころか、ひろのぶさんは安易なビジネス書やハウツー本の類を嘲笑って、それこそ「凄味」すら放ってこれを書き切っていた。

ものを書く上での基本スタンス、なぜ書くのか、どうやって書くのか、人を惹きつける書き方とは。これらの「書く」はそのまま「生きる」に置換可能だ。

最後は才能、という自説を僕は変えないが、それを賦活するにあたり知るべき大切なことが凝縮されている。

実を言うと僕は、新幹線での読書の終盤にさしかかる、小田原を通過するあたりで少し涙した。

「ひろのぶさん、やったな……」という感慨が、ここ二、三年という年月の重みをともなって押し寄せてきたのだ。

僕は「死ぬほどやりたいことがあって」、四年前に電通を辞めた。以来、そのひとつひとつを実現するべく、チマチマと活動している。
ひろのぶさんは「死ぬほどなにもやりたくなくて」、二年半前に電通を辞めた。
ご自分でもそう公言しているが、人に「あれ書いて」と頼まれれば書き、「ここに来て」とイベントに呼ばれれば行き、自分からなにかをしたいと考える人ではまったくないのだ。

 

 だけど、人生それだけで済むわけはなくて、
「もうセブンイレブンで働こかな……」
と自嘲していたこともある。
僕は、仕事場の近くのコンビニを指して、
「あそこなら、名札に『けいこ』って書いてある白人のスタッフがいますよ!」
「よし! そこにするわ」
「裏手のあそこなら、平日は美人の人妻が働いてますよ!」
「じゃあ、そこにするわ!」

我々はいつもそうやって笑っては、問題を先送りにする。

ひろのぶさんと僕は、たまにバーで飲むが、いつも楽しい話をしているわけではない。
たいがい、肩を寄せ合って、暗い顔してウィスキーの味がするそれぞれの孤独を舐めているだけだ。上田豪さんも同じような顔して、そこにいる場合もある。

ああして、横に並んでボソボソと話して過ごした夜の数々が、涙で滲む車窓に映し出されるようだった。

 

案の定、この本は高い支持を得ているようで、大きな増刷がなされた。
ひろのぶさんに「おめでとうございます!」とメッセージを送信したら、こんな返信があった。

「ありがとう。とりあえず、セブンイレブンに出す履歴書は引き出しにしまいました」

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田中泰延 著『読みたいことを、書けばいい』(ダイヤモンド社)

「パンツの中のタイガーが、ネコになったら」

「やっぱり君たちはなんにもわかっていない」
とエラソーに思うことがあったので、この際エラソーに書いてしまおう。

それは、みんな大好き、チン○の話である。

先日、飲み会で女性と話していたところ、彼氏がEDなのだという。言わずと知れた、勃起不全である。
そのため性交渉はなく、彼女は不満に思っているそうだ。

彼女は言う。

「ワタシとはしたくないみたいなんです」

それ! 相手がEDに苦しむ女性はたいていそのように言う。ちがうんだ。

いや、知らんけど。本当にしたくない人も中にはいるだろう。でも、ちがうんだ。

他人の心中を勝手に決めつけることはできないので、自分の経験から語ろうと思う。

僕にも若い頃に勃たなかった経験が何度かある。

あの苦しさと申し訳なさを言葉にするのはむずかしいのだが、一体どうなっちまった感じなのかを表現すると、
「まるでチン○がネコにでもなったような」感覚なのである。

こちらはしたいのである。なのに、股間のモノはまったく言うことを聞かず、一切の意思疎通ができないのだ。それはまるっきり、呼んでも振り向きもしないネコのようで、おいでと言っても来るわけないし、撫でても摘まんでもデコピンしても反応せずに、知らん顔なのである。
そのくせ、いらん時に元気一杯でニャーニャー鳴いては、飛び回ったり、あちこち引っかき回したりするのである。本当に気分次第で、自分勝手なのである。

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ほかの面ではしっかりした人なのに、セックスに関しては見境がないタイプの男性を「下半身は別人格」と表現することがあるが、それは躁的な意味、鬱的な意味、両方で多くの男性に当てはまるのである。

セックスに臨むにあたり、男は相当なプレッシャーに晒されている。それはもう、卑屈な広告代理店の営業マンがクライアントに接するが如くである。

どういうプレゼンをすれば気に入っていただけるだろうか……。
今夜中になんとか納品できるのだろうか……。
クライアントさんがイライラしないように、お待たせすることなくタクシーが来るだろうか……。
弊社はサイズ的にこんなものなのだが笑われないだろうか……。
いや、規模の問題ではなく、ハード面でご不満点などおありにならないだろうか……。
御社のスピード感的に、「あれ? もう終わったの?」と言われないだろうか……。
「なかなかよかったよ」とお喜びいただけるだろうか……。
「また次も頼みますね」とご指名がかかるだろうか……。

心配事は尽きないのである。

あれもこれも気にしつつ、クライアントのご意向とご機嫌とご要望に神経をすり減らしていると、うっかり弊社の大事なスタッフへの意識がおろそかになってしまいナニがアレしないのである。
セックスというのはちんちんでするものではなく、脳でするものだから、あまりマルチタスクがすぎると、この複雑で不可解な精密機械がたまに誤作動するのである。

「君たちみたいに、ビッチャビチャになって寝っ転がってればいいわけではないのだ」
と喉まで出かかるが、それを口に出しては(出とるやないか)どーせ叱られるだろう。
男女間でセックスのしんどさを言い争っても仕方ない。お互いの本当のところなど、完全にはわかるはずがないのだから。

であるなら、僕は相互理解に少しでも寄与できるよう、このコラムのつづきを書こう。

 

あれほど威勢よく吠え猛っていたはずのタイガーが、ネコちゃんのように無関心になってしまった時、以下のような反応はやめてほしい。

①「ワタシとはしたくないの?」。

冒頭に挙げたように、これは言われると困る。
「ちがうちがう。したいんです」
「じゃあ態度で見せてよ。なにそのぐたっとした態様は」
「いや、ホントなんです」
「上の口ではそう言っても、下のチン○がホラこんなに。やる気ゼロやないか」

やめてあげてください。

②ため息。
一言も発することなく、最も傷つけることができる対応だ。

③舌打ち。
さらに、死にたくなります。

④「触ったら勃つ?」
ダメだと思います。ここが勘違いしやすいポイントでもあるのだが、気持ちいい、よくない、とは無関係なのである。だから、アレコレしてみても、落ち込んだ男はさらに無力感に襲われ、腕に覚えがあったかもしれない女はこれまで培った信頼と実績に疑念を持つことになる。
相手はネコなのである。こちらの思い通りの動きをしてくれると思ったら大間違いなのである。
少なくともしばらくの間は、たとえ国連でも多国籍軍でも岩合光昭さんであっても、なにも手出しできることはないのだ。

 

では、せめてどういう言葉をかけたらいいのか。
男性として、僕ならこう思う。

彼は万策尽きて、女から顔を背けるように横臥する。屈辱感と失望が、千本の針のように背中に刺さってくる。
「ごめん」
かろうじてこれだけを言葉にする。

気まずい沈黙が、ふたりの間に峡谷のように深く、砂漠のように果てなく、支配を強めていく。
おもむろに、彼女はうしろから男に覆いかぶさると、乳房を彼の背に押し付けて、腕を体に回す。彼女の吐息が、首筋にそっとかかるのを彼は感じる。

彼女は、小さな呻り声をのどから漏らす。

彼はそれを、パンティを足首にひっかけただけの、恥ずかしい姿にさせられた女からの不満の表明だと受け取り、自分の不甲斐なさに身を縮める。

ところが、

「じゃあ……」
彼女は、あたかも名案でも思いついたように、彼の耳元にこう告げるのであった。

「また今度しよ♡」

 

どうだろう。(前号にひきつづき)ここまで書いて、オレはビッチャビチャだが、どうだろう。
このひと言ほど、男を救い、許し、受け容れる言葉があるだろうか。

セカンドチャンスがある。来週か、来月か、来年か、来世かわからないが、これを人は希望と呼ぶ。
男というのは、一般に描かれたり、思われたりしているよりも、脆く、不安定な生き物である。

そして、パンツの中にネコを飼っているという、滑稽な連中なのである。

そのようにお考えになり、SNSでネコの画像を漁るように、チン○により一層の興味を持っていただき、その不可解な習性について知見を高め、将来に役立ててほしい。

私はそう願いつつ、静かに筆を擱くのである。

「『抱いてください』への長き道のり」

先月はじめにまた上田豪さんと田中泰延さんと、ヒマナイヌスタジオ神田より、飲みながらのトーク配信を行った。
 

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一応、テーマらしきものを設定して、「僕たちだってこんなことで悩んでる」ということで事前にお悩み募集もした。たくさんのメールをいただいたのだが、そのすべてにお答えできずすみませんでした。

メールをとりまとめるのは僕の役割だったので、「これは取り上げよう」と考えていたにもかかわらず、本番で酔っ払いすぎて忘れてしまった質問がある。
スタジオに入る前に、みんなでウィスキーやらビールを買いに行って、僕たちははじめ普通のジャックダニエルズを選んだ。アルコール度数は四〇だから、まぁふつうのウィスキーだ。
しかし、ひろのぶさんが「せっかくだから」とキリンの富士山麓シグニチャーブレンドというボトルに替えた。これは芳醇なウィスキーだが五〇度あり、しかもチェイサーを飲むのを忘れていた僕には、かなり効いたのである。

開始七十分すぎたあたりから明らかにスローダウンして、最後はヘロヘロになっているのが、恥ずかしいくらいわかってしまう。

さて、いただいていた質問は、四十代の女性からで以下のようなものだった。

「『抱いていただけませんか?』というキラーフレーズを、いつかちゃんと言いたい相手がいます。友人です。
いやー、言っちゃっていいっすよねー?
だって好きなんだもん。そういうの、重くならず、でもキチンと言えるのが、カッコいいオトナってもんではないでしょうか?
ダメか?
ちなみに、抱いてほしいけど、つきあうとかは考えていません。もっと仲良くなれればいいだけです。

キラーフレーズの使用上の注意をご教示ください」

この方は、僕がちょうど一年前に書いた『#metoo時代のHow to SEX』というコラムがお気に入りだそうで、小さくプリントアウトまでして手帳に挟んでいるとのこと。
お気に召して幸いです……。

僕はさしてモテてきたわけではないし、青春時代などおよそモテとは無縁にすごしてきた。もちろん女性から「抱いてください」などと言われた経験はないので、勝手な想像を交えて、この場で僕からの回答を共有しようと思う。

新宿鮫』シリーズで有名なハードボイルド作家の大沢在昌さんが過去にエッセイで、「自分は二十五才まで、女性にも性欲があることを知らなかった」と書いていた。
僕はそれを二十五才で読んで、「オレは今でも知らんわい」となんだか悔しかった。思えば、女性に断られつづけてきた半生であった。

「悲しさの正体とは『乖離』である」と以前に書いたことがあったが、つらさの本質というのは「拒絶されること」である。

告白した相手に断られる。受験した大学に落とされる。面接で不採用になる。会社から解雇される。
これら、拒絶されることというのは、のちのちまで根に持つほど、人にとってキツいのである。
特に、恋愛においてフラれるというのは「あなたはもう私の人生にとって必要がない」「出て行ってほしい」という宣告である。セックスの誘いを拒否されるというのは、「お前なんかに体を触られたくもない」というメッセージである。

恐ろしい。わかったからもうそれ以上言わないでほしい。

だいたい男の方から行動を起こしては討ち死にするものだが、ここで引き下がらない男というのは一生モテないか、訴えられて社会的にも抹殺されるのでやめた方がいい。権力や力関係を利用して、断れない状況へ女性を追い込む男も多くて、これが社会問題となった#metooの淵源であった。

 

さきほど、デザイナーをしている友人の平くんが来て、「プレゼンで、案を三つ提案すると、すんなり決まりますね!」という当たり前のことを、さも大発見のように話して機嫌よく帰っていった。
僕は「なにをいまさら……」と苦笑しながら、「プレゼンというのは、案の提案のためだけにあるのではなく、説得の方法だから」と話した。紙芝居を披露するように、段階を踏んで、納得させたい結論へ導くのである。

女がロマンチックな雰囲気を求めるように、男だってストーリーに酔うということはある。

「抱いていただけませんか?」にたどり着くまでの道のりというのは遠い。しかし、千里の道も一歩から、しかない。いきなり素っ裸で走ってくるやつはいないのである。

バーならテーブルではなく、必ずカウンターに座るのだ。人間にはテリトリー意識というものがあり、それは眼前から扇状にひろがる空間である。よって、目の前に座られるよりも、隣りに座られる方が緊張度が低いのである。

お酒を注ぐというのは、英語で「pour」である。この単語には、「吐露する」という意味もある。
一杯の酒が注がれるたびに、心の中からもひとつ、とどめおかれた思いを言葉にして出さなくてはいけない。

「抱いてもらえませんか?」

まだ早いっちゅうねん。いきなり素っ裸で走ってくるなと言っているだろう。

仕事の話、住んでる町の話、旅した場所の話、流行ってる服の話、自慢の靴の話、好きな食べ物の話、最近読んだ本の話、泣いた映画の話、アホな友人の話、子供のころの話、加齢による現象の話、登れなかった山の話、知らなかった歴史の話、取り繕えなかった失敗の話、叶わなかった夢の話……。

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これくらいをすれば、だいたい話すことももうないだろう。できるなら、七:三くらいで相手にしゃべらせよう。あなたに話すということは、あなたをそれだけ受容しているということでもある。

ウィスキーの三、四杯も飲んで、そろそろ滑舌もあやしい。

「はい♡」

なにが「はい♡」なのかわからないが、当たり前のように手を差し伸べて、手をつなぐのだ。それはあたかも、マラソンを走り終えた選手をバスタオルで包む係員のように、当然の動きとして行なうのだ。

手をつなぐと、もしかしたら散々言葉を連ねておしゃべりした以上に、さまざまなことがわかる。体温も、手指のかたちも、爪のなめらかさも、ぎこちない動きも、握り返す力の具合も。
その中から読み取るべき重要なことは「自分は拒絶されているかどうか」である。

拒絶感が伝わってこないのであれば……、
「抱いてもらえませんか?」

まだ早い! 素っ裸とは言わないが、ブラを振り乱して走ってくるやつはいない。

ナイショ話をするように、顔を寄せて、耳元にささやいてみる。

「ねえ、ねえ……」
「ん?」
「あのさ」
「うん」

ここで、つないだままの手にぎゅっと力を入れて握る。

「前から思ってたんだけど……」
「うん」
「今夜」
「うん」

秋(とき)は来た。多少の酒くささは大目に見るので、吐息が耳朶にかかるくらい、さらに一歩、接近するのだ。

「抱いてもらえませんか?」

 

どうだろう。オレは自分で書いててビッチャビチャだが、どうだろう。

「え、えーと、明日、ボク出張で朝早いから……ごめん」

こういう、人の気持ちがわからない、不甲斐ない男も最近の世の中にはいるから、覚悟はしておいてほしい。

そんなやつに限って、来なんだらええのに、次回も誘えばのうのうとやって来る。
そんな時こそ、待ち合わせ場所に素っ裸で走っていって、テイクダウンして、駆け込み寺だろうが、連れ込み宿だろうが、引っ張り込んでほしい。

グッドラック。

「面接にはオールバックで行きなさい」

僕が就職活動をしていたのは二〇〇〇年の春で、氷河期と呼ばれる期間(一九九三~二〇〇五年)の中でも、有効求人倍率で見れば最悪の数値を叩き出した、超がつく氷河期であった。
そういう時節に難関といわれる企業に入社したのだからエラいだろう、と自慢したいわけではない。僕はまともな就職活動はしていないのだから。

入社試験を受けた企業は二社。業界一位の電通と三位のADKだけだ。二位の博報堂はぼーっとしているうちに〆切が過ぎていて受けられなかった。が、なんとなく「オレは博報堂っぽくはないな」と感じてはいたので、受ける気もなかったのかもしれない。

テレビ朝日エントリーシートを提出しに行ったような記憶もあるが、その後なんの音沙汰もなかったので、書類審査で落ちたのか、そもそも書類に不備があったのか、今となってはわからない。

とにかく面接までこぎつけたのは二社で、内定をもらったのは、そののちに入社した電通だけだった。

僕は面接には自信があった。経歴が異色で、話すべきネタがいくつかあったからだ。
アメリカの大学をひとつの単位も落とすことなく卒業して、法政の大学院で社会学を専攻しながら、早稲田のお笑いサークルで一応、大手芸能事務所が仕切る学生大会の決勝に残る程度の実績があった。

monthly-shota.hatenablog.com

面接にはスリーピースのダークスーツを着て、坊主頭でのぞんだ丸刈りにしたのは奇を衒ったわけではなく、その少し前に、親友である男に対して暴言を吐いてしまいお詫びの印だったのである。

彼とは当時同じバイトをしていて、よく話した共通の話題は進路についてだった。彼は頭脳明晰で、スポーツ万能で、しかもとにかくおもしろかった。こんなに人を笑わせられる人間がいるのか、というくらい昔からユーモアのセンスが抜群だった。

将来はどういう輝かしい道に進むのだろうと思っていたら、公務員になると言った。
若い僕は当時、公務員なんて夢のない、ただ安定だけを求めるつまらん仕事だと完全に見下していたのだった。彼のような人間的に魅力あふれる男に、つまらん道は選んでほしくない一心で、僕は公務員という立場を侮辱する言葉を並べ立てた。

ほとんど怒ったところを見たことがなかった彼が、突如、烈火のごとく怒った。
「俺の父親は公務員だ! だけど区役所を変えようと戦ってきた人で、出世もしなかったけど、そういう公務員だっているんだ。十把一絡げに馬鹿にするんじゃねえ!」

僕は何事も思い込みで断じる自分を恥じた。彼の志望先だけでなく、彼の父親を侮辱するようなかたちになってしまったのである。
あまり反省ということをしたことのない不遜な人間である僕であったが、彼の言葉は僕の胸を切り裂いて、背中から突き抜けた。切り口は鮮やかすぎて、血も出なかった。

だから僕は素直に謝った。「ごめん。言いすぎたと思う」

バイトが休憩時間になると、僕は近くの床屋さんに飛び込んで、頭を丸めた。

 ちなみに、僕の親友は消防隊員という公務員になり、いまは特別救助隊員(レスキュー隊)の教官をやっている。

丸坊主になって戻った僕に、バイト先の上司は「あら、前田くんどうしたの?」と目を丸くしたが、僕は「気分転換です。へへへ」と笑ってごまかした。

家に帰ると、おかんは「あんた、その頭なによ。まるで少年院から出てきたみたいじゃない」と言って、珍しそうに坊主頭を撫でた。

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「面接もそれで行くの、あんた?」

面接のことなど、ちっとも考えていなかったのだ、僕は。
親友を傷つける言葉を吐いてしまったけど、何度も「ごめん」と謝るのは憚られ、ただ、坊主にすることで、この件は終わりにしてほしかったのだった。

ところが、企業に送った履歴書には、髪の毛がある頃の写真が貼ってあった。
ADKの一次面接に赴くと、スーツを着た二人組の社員さんはギョッとした。ひとりが、僕の顔と、手元の書類の写真を見比べて、
「ずいぶん変わりましたね……」
と言った。
僕は用意していた答えで淀みなく応じた。
「はい。パッケージは変わりましたが、中身はいっしょです」

一次面接はなんなくパスした。

二次が筆記試験だった。
広告会社の筆記試験なんて形式だけの、つまりなんらかの理由をこしらえて人を落とすための、常識問題なのだろうと高をくくっていたら、そうではなかった。その年のADKの筆記テストはマジだった。
その前年に、旭通信社と第一企画が合併してアサツーディ・ケイとなり、業界第三位に躍り出たADKは、業界内外からの期待も高かったし、それに応えるべく本気でいい人材を獲得しようとしていた。それがひしひしと伝わってくるような試験だった。

だいたい、広告会社を志望するようないい加減な学生に
「経済紙でよく見かける『ベア』という言葉は、何の略ですか?」
などという問いを出してどうする、と思うのだ。
経済紙など読んだことがなかったボンクラには答えようがない。まず前提がおかしいと考えた僕は、このように回答した。

「見かけない」

ADKには二次試験であえなく不採用となった。悔いはなかった。

電通の試験についてはなにも小細工はしていない。誰からの「推薦状」もないし、面接では質問に対しまっすぐ答えただけだし、なるべく相手の目を見てはっきり話しただけだ。

入社して何年かすると、今度は僕が面接官をすることになったし、OB訪問の学生とも何人もお話しした。
アメリカで大学を出て、法政の大学院は中退になっている僕には、OB訪問してくるような人は本来いないのだが、たまに先輩から「君の方が学生と年も近いから話も合うやろ。会うたってくれへんか」と、役割が回ってくるのだ。

余談になるが、最近いくつかの企業で、OB訪問の女学生が社員に性的暴行を受けた事件が報じられていたのを読んで心が痛む。モテないやつというのは、あらゆる手段を使って、一度でも多く、一人でも多くを相手に、セックスをしようとする。
立場を使って、カネを使って、権力を使って、酒を使って、策謀を使って、暴力を使って。

四〇代も半ばにさしかかれば、学生なんてほとんど子供であることがわかる。子供にあれこれ言っても正しい対応は難しいと思うので、助言や諫言めいたことはほかに譲るが、この「あらゆる手段を使って」という点は強調しすぎることはないと思う。

 

閑話休題。OB訪問してきた男子学生に、僕からいつも伝えるのはこういうことだ。

「面接にはオールバックで行きなさい」

自分が一番いいと思うスーツを着て、一番カッコいいオールバックにして、自分のことを堂々と話してくる、これ以外に小賢しい「今日から実践! 就職面接に勝つ10の方法」とか読んでももう遅いんだよ。
おじさんたちは小賢しい若者が一番嫌いなんだよ。なぜなら、やがて自分を追い落とす存在になるから潜在的脅威なのだよ。

この前も学生さんと僕の店であるスナワチでお話ししていて、僕はおもむろに
「なんで君はマッシュルームカットしてるんだい?」
と訊いた。
本人はマッシュルームカットにしていたつもりはなかったみたいなのだが、君がマッシュルームカットかどうかはこちらが決めることなので、君はまちがいなくマッシュルームカットだったのである。そうでないと、世の中にハゲた人はいないことになる。

いや、普段どんな髪型にしようと人の勝手である。しかし、スーツを着る時にはオールバックにするものなのである。せめて額は出そう。

試しに”men in suits”で画像検索してみればわかる。
このことについては過去にも書いたけど、それはワンセットなのだ。

そして、オールバックにすることにはそれなりの意味もあり、自分の顔をよく見てもらえることになる。面接というのは自分のことを見せて、お話しして、お伝えしに行く場だ。そのために履歴書があって、これまでの経験や意見を開陳するのである。その時に顔を隠していたら、チグハグな印象を与えるだけではないか。
恋愛と同じで、自分を開示せずになにかを与えられることはないのだ。

いまどきオールバックにして来る就活生なんていないって?
だからやるんだよ! 

僕は若者に言いたい。なんだよ、リクルートスーツって。そんなもの世界のどこにもないぞ。勝手に日本人がでっち上げたもので、そんなものを着なくてはいけないルールはない。

群れの中からどのように目立つのか、その方法を考えなくてはいけない。もちろん、面接で足を組んでタメ口でしゃべったら目立つだろう。でも落とされることくらいはわかるだろう。

では、どうやったら好ましく目立てるのか。手はじめにオールバックしかあるまい。
それ以外に、君にもオレにも、すぐに目立てる能力などないのだ。

オールバックというのは、(ハゲさらばえる前に)男がたどり着けるひとつの到達点だ。そこはかとないインテリジェンスが感じられて、最低限の接遇は提供したくなるディグニティーが醸し出されて、トラディショナルでオーセンティックな思想を持つまともな男に見えるものだ。

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わけもなく偉人感が出る


これだけ語ればきっとわかってもらえるだろう。

それでは、就職活動中の学生諸君の健闘を祈ります。
「前田さんの言った通り、オールバックにしていったら内定もらえました!」という報告をお待ちいたします。

「オールバックにしていったのに落ちました!」という場合には、
「それはオールバックのせいじゃねえだろう」
と返します。

 

P.S. 整髪料はクールグリースがおすすめです。

「カウボーイは、よく眠る」

英語で、テントやタープ(屋根として張る布)を使わずに野宿することを「カウボーイ・キャンピング」という。

十九世紀の後半、アメリカで大陸横断鉄道が東部から西部へと敷設されていくと、肉牛を流通させるために、カウボーイたちは牛の大群を馬で追って、歩かせて歩かせて、鉄道の駅がある町まで運んだ。

何百マイルも移動させるためには、数ヶ月間そうやって荒野の旅を続けなくてはいけない。現在のようにあちこちにモーテルはないし、今でもアメリカには町に行き当たらない広漠とした土地がいくらでもある。

こうした牛追いは「キャトル・ドライブ」と呼ばれ、自由でワイルドで、過酷な生活だった。

寝る時は、ベッドロールという、キャンバス地に毛布の裏地がついた、つまりは寝袋にくるまって地面で横になった。脱いだジーンズをくるくる巻いて枕にし、風が立てる小さな物音と、近くで休む馬の息遣いを聞く。仲間のいびきもあったろう。
満天の星以外はなにも視界になく、夜空に落っこちていくような心許なさを感じたかもしれない。

アウトドアを愛好する人ならわかるだろうが、雨や寒さの問題は当然として、日本でそれをやろうとすると、朝起きた時には朝露でびしょ濡れになってしまうだろう。

テキサスやニューメキシコといった、乾いた土地ならではの方法だと思う。

私も一度だけ、カウボーイ・キャンピングをしたことがある。
拙著『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』(旅と思索社)の第1章を参照いただきたいが、その日は、ジェイク一家と馬で小一時間も移動して、夜にはウィスキーをしこたま飲んだから、思ったより苦もなく眠りに落ちることができた。

朝、目覚めた時には、周囲には牛の群れがそばの池に水を飲むためにやって来ていて、ビビったものだ。

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私は会社員をしていた頃は、夜なかなか寝付けない体質だったため、さまざまな方法を試した。ベッドタイムにメラトニンというサプリや、睡眠補助薬を服用したし、酒を飲んでみたり、ストレッチをしてみたり……。
眠れなくて、寝返りを繰り返して、うつ伏せになったり、また仰向けに戻ったりして、それでも眠れなくて、時計だけが着実に3時を指し、4時を指す、あの辛さといったらない。疲れていないわけではないのに、なんで眠れないのか、自分を呪う気持ちばかりが募る。

会社を辞めて、40才を目前にして無職になり、カナダの牧場でカウボーイをしていた時は、夜は10時から11時の間にベッドに入り、朝は6時半に起きた。
たっぷり8時間眠ったし、だいたい即座に眠れた。

広告会社での仕事とは、頭の使い方が全然ちがった。
机で唸るような時間や、会議でイライラするようなことや、パソコンを前にため息をつくようなことは、(少なくとも牧場主ではない)カウボーイの仕事ではまったくなかった(ジェイクは昨年に牧場主を亡くしてから、事務仕事もしなくてはならず、ストレスが増えたと吐露する)。
ただ、いかに効率よく、失敗することなく、できれば美しく、その日の仕事をやり終えるかは常に考えていた。知らないことや、できないことばかりで、自分が無能に思える夜が何度もあった。

体については、これまでは「使う」といううちに入らなかったと思えるくらい、よく使った。一日中牧草地でトラクターを運転する日もあったが、それにしたってボコボコの地面でお尻が跳ねるような運転席でバランスをとったり、後部に取り付けたマシーンがちゃんと作動しているか確認するために、首と体をよじって何十回も振り返ったり、結構体力を使うのである。

その他、重たいものをいくつも運んだり、牛糞まみれの場所を歩いたり、小川を飛び越えてまた歩いたり、馬に乗ったり、書くだけなら楽しそうなひとつひとつの行動が、ただのサラリーマン経験しかない都会の軟弱な男にはキツかった。

私が寝泊まりしていた部屋は、牧場主の家屋の地下にある客室で、隣りに洗面所もシャワー室もあった。
一日の仕事を終えて、手を洗いに行って鏡を見ると、日焼けと土埃で赤黒くなった自分の顔がある。夕食後にシャワーを浴びて汚れを落とし、ちょっとだけウィスキーを飲む。そして日記を書く。

牧場主のハーブは、あくびをして閨房に引っ込む。私は地下室に降りて、腕立て伏せをしてから、歯磨きをして、ベッドで少しだけ本を読む。
あとは夢も見ずに深く、深く眠る。

陳腐な表現しか出てこないが、「人間というのは、本来こうして生きてきたのではないか」という感慨があった。

食べて、動いて、眠る。
よく働くために、よく食べて、また働くために、よく眠る。

なお、ハーブは午前の仕事のあと、昼食を食べてから、カウチに寝そべって午睡をとる。

20キロほど南へ行ったところにある牧場で働く、日本人カウボーイのジェイクも、昼食後は同じようにしていた。
お互いは、牧場の中で日々どのように働いているかを知らないから、ジェイクは僕の話を聞いてはじめて「ハーブもそうなんや」と知ったらしい。

 

“Each night, when I go to sleep, I die. And the next morning, when I wake up, I am reborn.”
(毎晩、眠りにつく時、私は死ぬ。そして、翌朝目覚める時、私は生まれ変わる)
こう言ったのはマハトマ・ガンディーだが、毎日懸命に働く者にしか言えない言葉かもしれない。
そして、死を意識しないところに、本当の生はないのだろう。

ところで、いまの私はといえば、毎晩ベッドに入ってすぐに眠れる。
たいして働いているわけではないので、人として恥ずかしいくらいに……。

 

(了)

このコラムは、ジェイク糸川監修、前田将多著でnote.muに載せている『カウボーイの独り言』という有料連載コラムの第5回を転載したものです。
ワンコインで今後も含め全コラムがお読みになれますので、もしよろしければどうぞ:

note.mu