月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「衝突を避ける。徹底的に(本論)」

今からちょうど二年前の二〇一〇年一月号のコラムで、僕はこう書いた。 「せめてこの国が、歴史の嵐の末に手元に得た憲法九条を堅持しながらも、毅然と生きていくことを望む」 僕はたまに愛国的な発言をするから、傾向的に言うと、こういうタイプの人間は憲法を改正して自衛隊を軍と規定して、自分の国を自分で守る「普通の国」になるべきだと考えているものなのだ。だから、上記の意見表明に関しては、いつかもう少し説明を付加しなくてはいけないなぁ、と考えつつ二年という時間が流れてしまった。

今回これを書くために自分なりにオベンキョーをしまして、日本の様々なアタマのいい人たちの資料を読んだりしながら助けてもらい、現時点での考えをわかりやすくまとめられる段階に達したと思いますのでお読みいただきたいです。 僕は自分だけが正しいとは思っていないし、どんな人の意見にも頷ける部分とそうでない部分があるもので、またこんなに難しい問題ともなれば、それが当然なのです。ですので、「いろんな意見」のひとつとして理解していただき、ご自分の意見を形成される際の参考としてもらえればと思います。いつか憲法改正の是非を問う国民投票が行なわれないとも限らないわけで。

日本国憲法第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

よくある議論が「自衛隊はもはや軍隊である。この現実と乖離した憲法は改正すべきである」というもの。 しかし、ここでの基本的な考え方として、憲法というのは「現実を表すもの」ではなくて「理想を謳うもの」「目標を掲げるもの」であるということ。そしてその、我々の理想とは憲法前文で述懐されている。一部を引用:

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

「平和」という言葉が四回も登場する。そして、我々は「この崇高な理想」に向かっているわけである。身が引き締まる思いがするではないか。 では、我々は平和を守ってきたかというと、少なくともこの六十年あまりの間、そうであったのである。先進主要国の中で例外的に核兵器を保持せず、武器の輸出もしてきていないのである。誇らしいではないか。 ということは、この平和憲法自衛隊日米安全保障条約の三位一体が曲がりなりにも機能をしていて、今この瞬間までは平和でいられているのである。

いろんな疑問や矛盾はあるかもしれないが、そういう複雑な世界が我々の生きる地球であり、死ぬまでスッキリすることなどないのだからそんなものは求めないほうがよいのだ。一番大事なのは、平和を守れているか、という事実だ。あまり平和という言葉を多用するとサヨクの人みたいでイヤになるが、仕方ない。

憲法を改正したからといって、今よりもよく国を守ることができるかどうかは、全くわからないのだ。それどころか、正式に軍を持った方が相手方からすれば攻め入りやすいだろう。モヤモヤしながら平和に生きるか、スッキリして戦争に突入するかなら、僕は前者を選ぼう。

身近な例として、中学校だったらどうなるかと考えてみよう。中途半端にイキってるヤツなんか、入学式のその日にシメられるのだ。間違いない。半端モンがチェーン振り回してたり、舐めた好戦的な態度を取ってたら速攻やられるのがオチだ。どうすればいじめられることなく過ごせるか、それはいろいろな方法があるが、ひとつには「ケンカはしません」と宣言しておいて、同時に「だけど怒らせたらなにするかわからない」と思わせておくことだ。後述する。

憲法を改正して日本軍が生まれたからといって、日本国がそれを自由に操れると思ったら大間違いだ。そんなことアメリカが許すはずはない。 いちいちなにをするにもアメリカ様のご意見をうかがって、許可を得てからしか動けない。そんな軍隊が果たして改憲派の求める正規の軍隊と呼べるのか。

ここは思想家の内田樹さんのご意見を拝聴しよう: 〈アメリカは九条の廃止を黙認するだろうが、その引き替えに、日本の国防予算の増額と、その過半をアメリカ製の高額な兵器の定期的かつ大量の購入に充当することを日本に要求するだろう。(中略)「普通の国」になったはずのまさにそのときに、アメリカの「従属国」であるという否定しがたい事実に直面する。(中略)普通の国となった日本にとって最初の政治日程は、日米安全保障の廃棄と、駐留米軍基地の返還要請と、核兵器開発になるはずである。〉(内田樹共著『9条どうでしょう』毎日新聞社、2006年、P49-50)

アメリカをはじめ、世界の国々から見たら、日本というのはとてつもない脅威なのだ。いや、今の日本はそんなふうに見えないかもしれないけど、潜在的には大きな脅威であることは間違いない。それを封じ込めるために、新憲法日本国憲法)がGHQの「指導」の下、制定されたわけだし(※註釈)、「戦争放棄条項は、昭和天皇を戦犯から除外するための戦略として盛り込まれた」という見方もあるのだ(古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』岩波書店、2006年、P26)。

古関さんのこの本を読むと、「日本の憲法はアメリカからの押しつけである」と決めつけるのはどうも早計らしいし、暴力的ともいえる断罪の時代に天皇をお守りするための理性的判断であり、それは概ね日本国民にも受け入れられたということだ。天皇を失うことは日本という国の「かたち」を失うことを意味し、日本の歴史の終焉である。先人たちは戦に敗れてなお、ここでからくも国を守ったのである。

日本は世界の国々の中で、現存する最古の国であるという。竹田恒泰さんの『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』という名著で、僕も最近知ったのだ。 〈日本が二千年以上国家を営んできたということは世界史の奇蹟に違いない。(中略)日本に次いで長い歴史を持つ国はデンマークである。デンマークは建国から千数十年が経過したが、それでも日本の半分以下である。第三位は英国で千年に満たない。アメリカとフランスは歴史が浅く、中国に至ってはまだ六十年程度の歴史しかない。(中略)よく「中国四千年の歴史」というが、詭弁である。四千年前に中国に存在していた国家と現在の中華人民共和国は、国としての連続性がまったくない。〉(竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』PHP新書、2011年、P178-179)

その最古の国が、国際紛争を解決する手段としては、戦争を永久に放棄すると宣言したのである。これは特別なことだ。 オバマ大統領が二〇〇九年に「核なき世界を構想し実現へ向け努力したことに対し」、ノーベル平和賞を受賞したものだけど、本来なら日本国民が受賞してもいいくらいなのではないかと思う。それくらい我が国は「特別」であるべきなのだ。人類はそろそろ新しいステージに向かわなくてはいけないのだ。それを我が国は主導するべき立場にあるはずなのだ。

本当はそうなんだけど、まぁそうは言っても、日本も、世界の大概の国がそうであるように、やっかいな隣人に囲まれていまして……。

この前、大阪市長選挙があった時にテレビで有権者と思われる大阪のおばはんが、「とにかく橋下はイヤなの! 絶対イヤなの!」と対抗馬の平松候補に向かって絶叫するという、めっちゃ消去法のうれしくないエールを送っていたが、戦争についても正直、僕は同じ思いだ。

「日本も軍隊を持って戦争をできる『普通の国』になるべきだ」と主張する人たちは常に「戦争になんか行くはずもない人たち」なのだ。僕が一定程度以上のリスペクトを払う櫻井よしこ氏だって女性だしお年だし、勝谷誠彦氏だって五〇越えてるわけで、いくら勇ましいこと言ってもご自分は戦場に兵士として行くことはないのだ。田母神俊雄閣下ですら元航空幕僚長(軍隊なら空軍大将に相当)だから、安全な部屋で指揮するだけだろう。

僕が今でも大好きな広告コピーは、一九八七年公開の映画「プラトーン」のものだ。

戦争で傷つくのは、いつも〈青春〉

えー、僕は現在、傷つきやすい青春時代中期の三十六才。日本が外国と全面戦争になったとしたら戦場に送られる可能性は、なきにしもあらずの年齢だ。戦場で三十六才といえば、かなりの老兵だし、「そんな仕事は、アメフトくんとかラガーくんとか体育会系人間が代わりにやってくれよー」と思わないでもない。だって、僕など戦場に行ったって、団体行動もできず、上官の言うことにも従わず、何の役にも立たずに、そのくせ真っ先に犬死にするタイプだもん。寝坊して出征に間に合わず非国民扱い受けるとかね。

もはや、武力で問題を解決できないということは世界が理解し始めなくてはいけない。

日本は武力を全力で否定する「特別な国」であればいいのだ。それをもっと毅然と主張して、前文の通り「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」おうではないか。よーわからん国際貢献活動とかも拒否してよろし! 「ワタクシどもは唐揚げも一個残しちゃうほど、争いごとが嫌いな国柄なのです。ですのでご協力できません。いえ、規則ですので。どう言われましても規則ですので」 こんな対応、日本人の官僚のおっさん得意やんか。あくまでもリッツカールトンぽい感じで、誇り高げに言うんやで!

「では外国に攻め込まれても抵抗しないんだな?」というよくある設問に対してはこう答えるべきと、二人の識者が教えてくれている。 まずはコラムニストの小田嶋隆さん: 〈質問は、答えを限定する。 より詳しく言うなら、質問というのは、時に、回答者の思考形式を限定するための手段として用いられるということだ。 とくにイエス・ノーで答えさせるタイプの質問形式は、多くの場合、回答者を、質問者の側があらかじめ用意した枠組みにはめ込む罠として機能する。

「ということは、君は自分の妻や娘が敵国の兵隊に輪姦されてもかまわないというんだな?」

アムウェイに参加して自らを向上させるか、それともこのまま惰性のうちに生きるのか、あなたはどっちを選ぶのですか?」

(中略)「無茶言うなよ。酒をやめろなんて、オレに死ねって言うのか?」

枠組みは常に悪用される。 「国を守る」ということと「家族を守る」ということが無批判に同一視されているような質問は、発された時点で既に罠だということだ。〉(小田嶋隆共著『9条どうでしょう』毎日新聞社、2006年、P145-146)

伊藤真さん(司法試験塾塾長・元弁護士)はこう言う: 〈日本の地政学的要因を考えれば、「どのみち攻められたら終わり」なのだ。最も効果的なのは攻められない国になることである。〉(今井一『「憲法九条」国民投票集英社新書、2003年、P170)

そう、日本の戦いは「攻められないための戦い」であるべきなのだ。攻められたら終わりだ。どのみち核兵器もないのに。 そこで、中学校に戻ろう。先述の通り、「ケンカはしません」宣言で大人しいと思わせておいて、同時に「だけど怒らせたらなにするかわからない」と思わせておくこと。

「だって、ワタシら日本ですよ。わかってまっか? ジャパン本気で怒らせたらどないなるか想像できますか。アジアで数少ない欧米の植民地になったことない国で、開国後一気に力つけて欧米に追いつき、大東亜戦争で負けてからも急激に立ち直って次は経済的に世界を席巻したような、トヨタソニー任天堂を擁する国ですよ。わかってまんの? 手出しせん方がオタクらの身のためちがいますか?」

さっきはリッツだったが、ここでは体は中学生でも心は大阪のミナミの方のおっさんという気色悪い人格になってちょっとスゴもうではないか。あの手この手を使い分けて、とにかく衝突を避けるのだ。徹底的に。

他にも、「兄貴がやたらデカイ」とか(ここはアメリカに頼ってもいい)「金持ち」とか(貧乏な子の方がいじめられたものでしょう)「モテる」とか(男子は女子を敵に回したくはない)「おもろい」とか(仲良くするメリットがある)「弱みを握っている」とか、いじめられないための要素というのは数々あるのだ。

そういう全てを駆使してなんとか凌いでいくことは、日本には不可能ではないだろう。 今、「ちゃんとした軍隊を!」と思っている人たちは、他国に脅威を感じているのだ。そして、自分たちの政府が自分たちを守ってくれそうにないという失望感によってなおさらそう考えたくなるのだろう。今回僕が資料にしたような書籍はほとんど仮想敵国を北朝鮮にして書かれていたので、どこか呑気だ。「どうせ攻めては来まい」「来たって勝てる」くらいの空気だ。

しかし、現在の仮想敵国は北朝鮮の親玉であるチャイナであって、敵としては明らかに格が違う。 政府はなぜ尖閣諸島を一刻も早く国有化して防衛しないのか。なぜあの船長を超法規的に即時釈放などしたのか(二〇一〇年九月の中国「漁船」衝突事件)。なぜsengoku38こと一色正春氏が職を追われるハメにならなくてはいけなかったのか。なぜ政府は水源地をチャイナの土地買収から守ろうとしないのか。チャイナは東トルキスタンでも水源地を狙って支配を進めているという前例があるのに。なぜ簡単に帰化を認めて、すぐに生活保護を申請するようなことがまかり通ってしまうのか。なぜ新潟や仙台や名古屋で問題になっている中国領事館問題が報道されないのか。なぜ景気回復にチャイナマネーなどアテにすることに危機感を持たないのか、などなど政府が国益に対して正しい行動をしないから、軍隊を求めるような声が大きくなるのだ。

日本の「攻められないための戦い」はなにも軍事上のことだけではなくて、経済上の、法律上の、国際的なロビー活動上の、サイバーを含む情報(諜報)戦略上のマネジメントとして練り上げられるべきなのだ。って、オレはなにを言っているのだ。落合信彦か。

しかし、実際、できること、するべきことは沢山あるのに、民主党はそれをなーんにもしないで、ボーッとしてるならまだしも、むしろ悪影響な国辱的な売国的なことばっかりしてくれるから、正常な感覚を持った国民でも窮鼠が猫を噛む気持ちで「軍隊! 軍隊!」とかなるわけでしょ。

まずはちゃんとした諜報機関が必要だし、サイバー戦争に備えたサイバー部隊の編成が急務。 昔、迂闊に「ファミコン買って」とか言ったら「まずは宿題して、塾行って、人参食べられるようになってから!」などとおかんにコテンパンに言われたでしょう。それと同じだ。軍隊などという危ないオモチャは、その諸々の施策謀略計略を最後の瞬間まで諦めずにやってからだ。武力でなく知力で手を尽くさなくてはいけない。繰り返すが、ひとまず自衛隊は機能しているのだ。

サイバー攻撃の九割は発信元がチャイナと言われている中で、米国はすでにサイバーの世界を陸海空、宇宙に次ぐ「第五の戦場」と規定しているという。 【サイバー空間が第5の戦場】

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110715/amr11071507110002-n1.htm (リンク切れ)

【米国防総省がサイバー戦略発表】

米国防総省がサイバー戦略発表、ネット空間を新たな「戦域」に | ロイター

と、いうようなことを書こうと思っていたら、一昨日になってこんな発表があった。 【サイバー部隊、反撃可能 自衛隊、100人態勢】

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120121/plc12012101310000-n1.htm (リンク切れ)

ヲタのみなさん、なんだか今まですみませんでした(って勝手に決めつけてる)。日本を頼んます。がんばってください。これからはソフマップの前を通る時には心の中でそっと敬礼いたします。

体育会系でもなく、オタ系でもない、僕のような口先だけの人間は、恥ずかしいほどまったくなんにもすることがない。

【参考文献】

内田樹小田嶋隆平川克美町山智浩『9条どうでしょう』毎日新聞社、2006年

今井一『「憲法九条」国民投票集英社新書、2003年

竹田恒泰『日本はなぜ世界で一番人気があるのか』PHP新書、2011年

関岡英之『中国を拒否できない日本』ちくま新書、2011年

古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』岩波ブックレットNo.674、2006年

『マガジン9条』編『使える9条 12人が語る憲法の活かしかた』岩波ブックレットNo.721

※註釈:ただし、戦争放棄の発案者は、当時の首相であった弊原喜重郎説、当時外務大臣でのちの首相である吉田茂説、そして連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー説があるという(古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』岩波書店、2006年)。