月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「まだ怒ってるのか、お前は」

若い頃は、男を「条件」で選ぶ女性が大嫌いで、よく腹立たしく思っていた。 「医者としか結婚したくない」とか、「電通マンとコンパしたい」とか(マンとコが近過ぎてドキッとするね)、ふざけんなと。あなたの周りにもいる(いた)でしょう、そういうヤツが。

一昔前で言えば、女子アナを目指すのも、スチュワーデスになりたいのも、結局、条件のいい男を見つける手段に思えた。アナウンサーは、給料も高いし、顔も売れるし、まぁよかろう。いや、しかし、自分の意見や表現でもなく、人が書いた原稿を読むだけの仕事なんてなにが楽しいのか僕にはわからない。だからまぁ、「野球選手と結婚するためのルート作り」としての職業なのかな、と思える。 実際、アナウンサーと野球選手のカップルって、今でも連綿と継承されている伝統儀式となっているわけだし。

うちの主人(=妻)は、野球選手とアナウンサーの交際が報じられる度に「あいつら(女子アナ)、仕事中になにやってんねん!」と怒っている。大抵、インタビューと称して球場に赴き、しょーもない質問を二、三して、電話番号とメールアドレスでも渡して帰るのだろう。そりゃ確かに「なにしてんねん」だ。公私混同、職権乱用だ。

野球選手の方もきっとそういうものだと思っているから、需要と供給のバランスがそこでとれることになる。プロ野球OBのおっさん評論家から痛いとこ突かれる質問をグイグイされるより、きれいな女性に「あなたにとって野球とは?」みたいな、なんの意味もないのになんだか哲学的に聞こえる、幼稚で安易な質問をされて、メールアドレスもらえる方がそりゃ楽しい。

ちなみに、うちの主人は巨人軍にインタビューできるなら、以下のような質問を用意しているそうだ。

  • 長野選手に、
  • 「日ハムの指名を蹴って浪人するという東海大の菅野選手が話題になっていますが、ご自身も他球団の指名を蹴ってまで巨人入りを熱望されました。いわば自分でプレッシャーを作り出したことになりますし、私も含め一部ファンから『生意気』と反感も買いました。それらを跳ね返しての、一年目の新人王、そして二年目での首位打者獲得はどのようにして達成できたのでしょうか?」
  • 原監督に、
  • 「原監督になってから、巨人軍は育成選手も含め、若手の成長にじっくり手をかけるようになったように思いますが、ご自身は初めからスターとして選手生活を始めたという経験を含めて、どのような思いがあるのですか?」

我が主人のことながら、なかなか答えを聞くのが楽しみな質問であると思う。余談でした(身内自慢みたいで失礼しました)。

スチュワーデス、今はキャビンアテンダントっていうのか、に至っては狭い通路にカートを押して飲み物や食い物を給仕するなんて、そないに憧れるほどのもんか? と思っていた。が、これもやはり、条件のいい男と出会うための工作活動なのであった。

客として飛行機の席に座っていて、CAからそっと自分の電話番号を書いたメモを渡された男性を、僕は複数人知っている。複数人だ。 彼女らは、そういうことをするのだ。

そのうちのどの人もエコノミークラスには座っていなかったという事実。そして、僕はエコノミー席にしか座らないから、もちろんそんな目に遭ったことはないという事実……。ええい、腹が立つ。

そう、腹は立つのだけど、それはヒガミなのである。自分は「条件を充たしていない」「眼中にない」という事実に腹が立つわけである。隣りにいる人に携帯電話で楽しげに話されるとなんだか腹が立つのとちょっと似ているような、疎外感だ。それと、人間をカネで測る女性の冷徹さに対する反発である。

ところが、僕もめでたく主人と邂逅し、すでに一切愛されていないわりには鈍感にも幸せに暮らしていると、余裕が出て「女性も必死なんだなー」ということに思い至る。

彼女らは彼女らなりに、自分が与えられたり獲得した条件(容姿とか教育とか能力とか)を活用して、幸せを最大化しようとしているだけなのだ、と思う。経済的には不安があるから、代わりにちゃんと稼いでくれる男性を見つけることに必死なのだ。アナウンサーは給料が高いと言ったが、花の命は短い。毎年新入社員が入ってきて、社内でどんどん新陳代謝が行なわれ、つまり使い捨てにされ、僕に言わせれば、非常に女性蔑視的な職場であると思う。

なんにせよ、それもこれも自分の人生をよりよくしようとする、人間として当然のことだと思えば、腹も立たない。いや、立つんだけど、ちょっと憐れむ気分になる。

だって、つまり日本は、少なくとも現在三十代くらいの世代までは、まだまだ女性が男性同様に稼げる機会が少ないということを物語っているわけだから。よく稼ぐ男を見つけること=自分が幸せになる方法、と考えている女性が今でもこんなに多いということでしょう。本来なら、おカネで幸せになれると思う人間は、自分で稼げばいいことでしょう。それがまかりならんから、他人(男)に頼るわけで。やや安易な方法とはいえ、そういうことになる。

稼ぐことはできるだろうし、そうしている人はたくさんいるのだが、それが女性として魅力的で、人として幸せか、というところだ。わかりやすい例として、女性政治家を見てるとよくわかるでしょう。

まぁ、誰しもラクして幸せになりたいと思うのは当然だから、大らかに見ようと思うのである。稼いで幸せになるよりも、稼いでもらって幸せになる方が、より幸せ、ということだ。男女雇用機会均等法もちゃんちゃらおかしいゼ。 それでも、好きか嫌いかなら嫌いだが、いいか悪いなら、まぁいいよ、と思える。

それよりも、最近思うのは、女性に自分から不幸せを掴みにいく無頼派のなんと多いことか。「そのオトコはどうなーん?」というヤツに果敢にもいってしまい、案の定ロクなことにならなかったり、離婚したりする。「見たらわかるやん」とこちらは思うのだが、本人にはなかなか面と向かって言うわけにはいかず、傍観していると実際そうなる。 皮肉なことに、そういった女性の多くはわりとキレイだったりする。おバカビデオに出てくる命知らずのアメリカ人か!

こういう女性の方が、カネ持ちに虎視眈々女性よりもよっぽど救いがたい。好きか嫌いかで嫌いで、いいか悪いかで、悪い。