月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「※見た目上の演出です。」

数年ぶりに少し年上の友人に再会したところ、頭髪が薄くなっていた。会話の中でそこに触れていいものか迷っていると、僕の視線に気付いたのか、彼の方から切り出した。

  • 「アタマ、禿げたでしょ」
  • 「え、ええ」

ちょっと、どう反応していいのか困るよね……。

  • 「この際、短くしようか、もっと伸ばすべきか考えてるんですよねー」
  • と言うので、僕はそこは迷わず「絶対短くするべきです!」と主張させてもらった。
  • 「短くして、ヒゲでも伸ばせばいいんですよ」

これが数々のハゲた男たちが踏む、渋いおっさんへのセオリーである。松山千春渡辺謙松本人志(彼はハゲたわけではないが)などなど。

しかし、彼はこう言う。

  • 「いやー、うちの会社、ヒゲはダメなんですよ」

なんでも、明文化されているわけではないが、不文律としてヒゲは禁止らしいのだ。色々うるさい職場のようで、ジャケットとパンツの色が違う、いわゆるジャケパンスタイルもNGなのだそうだ。彼は銀行員でも公務員でもない。学生の就職人気ランキングでかつては一位になったこともある企業に勤めていて、しかも客前に立つことのない内勤である。信じられないルールだ。 僕は思わず、

  • 「はぁ? なんですかそれ。今どきそんな会社があるんですか」
  • と嘆息してしまった。バカじゃなかろうか。

僕は二〇代後半よりずっとヒゲを生やしている。比較的自由な職場にいるからというのもあろうが、そんなことよりも、単純にその方がカッコいいからだ。僕のインパクトの薄い顔に些かばかりの特徴を、気の小さい生真面目な男に僅かばかりのワイルドさを、プラスしてくれると思っているから生やしている。 毎日完全に剃り上げるよりもワタシの傷つきやすい敏感肌にもやさしく、グルーミングも非常にラクなのである。

それで、「汚い」とか「剃りなさい」とか言われたことはこれまで一度もない。それどころか、大して手入れをしているわけでもないのに「どうしたらそんなにキレイに保てるの?」と訊かれたりする。少し自慢ですみません。たまに剃ってみることもあるが、顔のパーツがひとつ足りないような気がして結局また伸ばす。

男性のヒゲというのは、女性のメイクアップと同じく、顔の印象をマネジメントできるツールだと言われている。 それを禁止にする会社というのは、女性に対して化粧禁止と言えるのだろうか? そうしない合理的な理由を説明できるのであろうか?

「不快感を与える」「失礼である」というのが禁止の理由であるなら、その根拠を示すべきだ。不快感にしても、失礼にしても、その主語は「お客様」であろう(いや、その友人はお客の前にすら立たないのだよ)。であれば、現代はデータデータの時代である。それを証明していただきたい。無理である。結局「この人のヒゲはいいけど、あの人のはダメ」となるのがオチなのだ。こうなってしまうなら、それはヒゲに限らず「顔」「雰囲気」「喋り方」などと同じで、個人の特性に拠ることになり何の意味も成さない。「この人、嫌い」というだけの話。

確かに「汚いヒゲの人」というのはいる。しかし、「汚い髪の人」もいれば「汚い肌」「汚い服」「汚い言葉遣い」の人もいるのと全く同じで、ヒゲだけ剃ればOKという問題ではない。

明治の元勲はヒゲを生やしていたし、当時の天皇陛下もそうである。ヒゲがいけないとか言うヤツは、不敬罪でたたっ斬ったろか。 現代においても、アラブ人やユダヤ教徒の間では男のヒゲは大人の証であるという。ヒゲ同士、ヒゲトークでひとしきり盛り上がって、仲良くしたらいいのにね! 一緒にヒゲダンスしたりしてさ。オレがたたっ斬られるわ。

時間軸と空間軸が交わった地点によってコロコロ変わるような基準が、あたかも普遍なものであるとか歴史的に不変なものであるかのように固執するのは見ていて愚かしい。それが人間が長い時間をかけて獲得してきた自由であるとか人権であれば別である。たかだかヒゲである。もっと言えば、僕は高校野球の丸坊主強制とかも含めて、人の見た目を一定の型に強要するのは一種の人権侵害だと考えている。刑務所で服役している人は人権が制限されている。だから、丸坊主にされて肛門まで検査されるのである。

そもそも、銀行でもホテルでもショップでも宅配便でもニュース番組でも取引先でもなんでもいいや、そこで働く人がヒゲを生やしていたという理由で「失礼」であると感じたことがあるだろうか。僕はない。「剃り残してるなー」とか「似合わないなー」とかはあっても、ヒゲがあるという理由だけで「失礼」だなどと、いわゆる上から目線で他人様を見たことはない。どっちが「失礼」でしょうか?

自由には責任が伴う。今さら僕が言うまでもなく。たとえばヒゲを生やす自由を守るがために、なにかしらの不利益が自分にあったとする。それが嫌なら剃ったらいいし、構わないなら生やしておけばいいし、理不尽だと感じるなら出るとこに出たらいい。そういうのが中学生でもない服役囚でもない社会人の行動である、というだけのこと。なんの不利益も被っていないのにもかかわらず、何かを恐れて勝手に先回りして他人のヒゲまで禁止する。こういう人間がテレビCMに「※CM上の演出です」という、一体なにを伝えたいのか全くわからない註釈を入れて何か社のためになった気になっているのだから、ガンバリどころを勘違いしているとしか言いようがない。

わかった。百歩譲って良いヒゲと悪いヒゲがあるとしよう。前者は「見た目をよくしようとして生やしたヒゲ」で、後者は「だらしないから生えてしまったヒゲ」である。こう区別すれば世の口うるさい総務系のおじさま方も文句ないでしょう。と同時にヒゲ自体の問題でなかったことが再確認できましょうよ。 むぅー、「だらしないのがカッコいいと思って生やしているヒゲ」はどう考えたらいいのか。まぁ、結果としてだらしないんだからだらしないよね。腰パンと一緒。

僕も認めますよ。かわいいつもりで付けマツ毛だか味付け海苔だかを目にバリバリに貼り付けてしまっているブスの女の子は嫌だけど半分微笑ましい。それに対して、自分の人生をよりよくしようと考えているとは到底思われないブスでデブで不潔なブス(あ、ブス二回言うた)は純粋に大嫌いだ。僕は聖人君子でもなんでもないので正直そうだ。 ヒゲはいいが、眉毛を細く剃っている男性は好きではない。禁止はしないが、「趣味の悪い男」という烙印を押すまでだ。センス悪いのは学習するまで治らないんだから仕方ない。巨人の澤村投手だって学生の頃は気色悪い眉毛してたけど、プロになって直したでしょ。学習したんだよ、センスというものを。

僕が勤めているのは広告会社なので服装や見た目にはかなり自由なのだが、それでも興味深い話を聞いた。今五〇代の方が若い頃、ポロシャツで勤務していた際に、上司から「そんな服着たければプロダクション紹介したろか」と、プロダクション蔑視的な注意を受けたという。しかし、スーツにタイしてお得意先に行った時には「私は銀行員にコマーシャル作ってもらおうとは思ってない」と、冗談なんだろうけど、銀行員蔑視的な逆の指摘を受けたという。どないしたらええねん。

職業とか立場によって期待される見た目というのがあるんだけど、立ち止まって、ヒゲを目の敵にするおっさんをよく見てみましょうよ。くたびれたスーツ着て、擦り減った靴履いて、なんの工夫もない髪型して、ヒゲは無いか知らんが鼻毛が思い切り無責任に自由を謳歌してたりするでしょう。どのツラ下げて「キミ、キミ、ヒゲはだね……」などと言いやがるか。