月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「狼も豚も、ヨーシヨーシヨーシ!」

たとえば、親一人と腹をすかせた息子が三人いるとしよう。テーブルの上には肉まんが一つ。兄弟間でのジャンケンゲームをして、勝った者だけがその肉まんにありつくことができる。
しかし、三人の息子はライバルであると同時に兄弟でもあるから、事前に相談をしている。曰く「お兄ちゃんはこの前食べたから、今日は次郎に譲ろう」、「いやいや、実はボクはさっき買い食いしてん。だから、三郎にあげるわ」。
で、今日は、上二人がグー、三男がパーを出すことに決めている。
そんな打合せは親の方は知る由もないが、これでなんとなく、兄弟みな飢えることなく生きていっている。
談合は悪くないのだ。
そのまんま東氏が、「談合は必ずしも悪くない」という趣旨の発言をして、優等生ぶったアホメディアに叩かれかけて慌てて前言撤回した一幕があった。僕は、今回、サンタさんを待つ子供のようにとってもピュアな心で発言いたしますので、「それは違う!」みたいなオトナな論理で異論反論オブジェクションかましてくるのはご遠慮くださいませ。
つまり東氏は官製談合はよくないが、民間における一般談合は、「必要悪」ということを言ったのだ。
談合の悪い点は二つ。
一、落札価格の吊り上げが起こる。
二、楽市楽座のような特定のグループだけにしか市場が開かれない。
確かに、国民としては、税金の支出は可能な限り少ない方が助かるから、談合によって値段が高水準で保たれることは避けてもらいたい。余談だが、かと言って、建設課だかで節約された予算が、福祉課や学校教育課に振り分けが可能なほど、税金が一元管理されているものだとは思わないゼ!
一方、民間の場合、話は別である。現実には、おそらくどの業界でも、巨大資本による入札価格の大安売り、いわゆるダンピングが横行している。他業者が「えぇー!」というような利益度外視の価格で入札してくる者がいるだろう。
すると、次からはもっと安い値段、もっともっと、と際限なく突き進んでいく。一見、この方法で物価が下がっていけば、消費者としては好ましいように見える。これが競争、という見方もできる。
それが間違いのもとである。
大安売りによって、泣いているのは誰か? 落札に失敗した他社か。いや、それだけではない。落札に成功した大企業の下請けの中小企業の人たちだ。大企業はいくら入札価格を絞ろうと、自分らは取るもんはしっかり取っていくのだ。負担は全て下へ下へ押しやるのが常套である。よって、働けど働けど暮らし楽にならず、ボーナスも上がらないという今の状況が生まれる。そして、人件費削減で馘首が行われ、おじさんが職を失い、若者の就職口がなくなり、無職の人間が増え、かと思えば労働者の作業量が増え、犯罪率が上昇し、社会不安が拡大する。
ビル・トッテン氏が著書の中で言っていたが、たとえば、日本のガソリンスタンドは(今はセルフもだいぶ増えたが)サービス満点で、窓ガラスは拭いてくれるわ、灰皿もきれいにしてくれるわ、出発の際の誘導までしてくれる。そこに、雇用があり、若者が職を得ている。それがなくなれば、職のない彼ら若者の内の何人かは犯罪に走り、国民は結局、防犯や自衛のために余計な費用と労力と精神的な負担をすることになる。それよりは数十円高かろうと社会的安定の保険料だと思って払った方がいい。
まさしくその通り。
本当に競争させるなら、先述の太郎次郎三郎の兄弟は、最終的には殴り合いをして肉まんを奪い合わなくてはならない。
「ジャンケンなどというルールは、おかんが決めたことで知ったこっちゃねぇ!」と、太郎(三十三才)が言い出したらどうすればいいのだ。
「あんちゃんが木刀なら、ボクは包丁だぜ」と次郎(二十九才)。
そんな状況下、三郎(四才)に何かひとつでもできることがあるだろうか……?
「カラシは冷蔵庫から勝手に取ってよ」などと、おかん(五十四才)は悠長なことを言ってる場合ではないし、五十で子供作ってる場合でもない。どーなってるのだ。
本来、我々が望むべきことは、自社の繁栄は当然のことながら、社会全体の向上である。自分たちは儲けたいが、かといって、競合他社が次々に倒産することが望むことではない。それがもしかしたら、自分の友人の友人や、その親に降りかかる災難かもしれない、というくらいの想像力は持ち合わせなくてはいけないのだ。
狼も豚もそれなりの生を全うしていかなくてはいけないのだ。ムツゴロウばりに誰でもヨーシヨーシ! できるのが健全な社会である。
なんだかキレイ事を力説してしまったようで、ちょっぴりハズカシイ……。こんなヤツは共産主義国へ亡命するか、宗教家にでもなった方がいいのだろうか。
そして、布教に励み、布施を集め、豪邸に住み、ベンツに乗って、美女を侍らせた方がいいのだろうか。そうなのだろうか。
んじゃ、それでお願いします。
正直言うと、僕は競争が嫌いなのだ。学生時代のテニス部で気付いてしまったのだ。相手が嫌がる方へ嫌がる方へとボールを打てる人間が強いのだ。いかに相手がしてほしくないことをやり続けられるかで勝負は決まるのだ。相手にも少しはいいプレイをしてもらおうなんて考えているヤツが強くなれるわけがない。
大体、なんでも競う方がおかしいのではないのか。フィギュアスケートとかシンクロナイズド・スイミングとかなんで競うねん。美しさとか技量ってもんに、どうやって順位つけるのだ。
「このミステリーがすごい 第一位」とか、ラーメンとか、ミスコンテストとか、数値化できないものをなんで競うねん。
結局はバカのひとつ覚えの如き多数決か。みんながいいって言うものしか評価できないのだろうか。
キレイ事ついでに、もう一つ言っちゃうと、先日、知人が野良猫を拾った。目が膿やら目ヤニやらで開いてないような汚い黒猫である。目が見えないから半分パニックになって、ヨタヨタと車道に出かかっているところを助けられた。
獣医に持って行ってみたところ、入院となった。結局、一週間入院して、治療費や入院費で六万円もかかったにもかかわらず、その猫は病院で死んでしまったそうだ。
本当は、厳しい野良猫の世界で生きていかれないような、そんな猫は拾ってはいけないのだ。弱い者は淘汰されていくのが、世の道理なのである。
それはわかっているが、それでも僕は、後先考えずそんなダメ猫を拾ってきちゃって、「どーしよ、どーしよ」と慌てているような人が好きだ。
まぁ、その人、僕の奥さんだしね。
これまた、なんだかハズカシくて、ワンクッション入れました。
(了)