月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「願うが、きっとそうはならない」

東日本大震災が起こって以来、ありとあらゆることがあらゆる人 によって論じられているから、なんの専門家でもない僕がコメントするべきことは見つからないのだけど、思ったことをひとつふたつ 書くことにしよう。

地震が起きた数日後に石原慎太郎東京都知事が、いわゆる「天罰発言」で批判されたのだけど、こういう言葉ひとつを取ってギャーギャー言うのって、ほんまルール違反だと思うわ。 人の発言を指して批判する場合は、全文の引用が最低限のルールであると思う。文脈も無視して、ある言葉だけを抽出してしまえば、全く意図と違う意味で解釈されることなんて容易であろう。

では、石原氏はなんと言ったのか。

  • 津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要があるね。
  • 積年溜まった日本人の心の垢をね。これは天罰だと思う、そらぁ。
  • 被災者の方々はかわいそうですよ。」
  • と言ったのだ。映像から書き起こしてみると、こうなる。

なにか問題があるのでしょうか? その前段としては「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」という件があるらしい。

二〇一一年三月三十一日号の週刊文春に石原氏が語っていることによれば、昨年の「おじいさんが三十年前に死んだのを隠した『年金詐欺』」や「被災地の救助・復旧のために物資やガソリンを送るのが最優先であることはいうまでもない」のに「ところが、都内でもスーパーやコンビニでは食料品の棚は空っぽ、ガソリンスタンドにも長蛇の列が出来ている」ことも「日本人を蝕んでいる我欲」であると指摘している。

まぁ、それが日本人のアイデンティティーかどうかは知らんけど、全てカネに支配された世の中であることは確かだ。そして、それを嘆きたくなる気持ちはわかる。

僕は石原氏を支持しているわけでもないし(そもそも今は都民ではない)、だからわざわざこのコラムも統一地方選挙が終わってから書くようにした。

正直、七十八才にして東京都知事四期目というのは健全ではないと思うし、最近はゲイへの態度や表現への規制に対して首を傾げたくなる部分も多い(ちゅうか、あなたも作家でしょう! それも若者の性、具体的に言えば、チ○コで障子に穴開けるような描写をしていた作家なんでしょうに!)。

横柄で一言多くて独善的だから、彼を嫌う人が大勢いるのはわかる。近頃はなんだか近所の頑固オヤジ的な存在になっちゃって、「まぁ、あの人はアレだから……」みたいに諦められているフシすら感じる。

もっと若い世代で彼を凌駕する都知事候補が出てこないのが残念で仕方ないが、殊この件(発言)に関して言えば、なんら問題とは思えない。

間違いを犯したとするなら、そもそも地震に理由を求めようとした時点でおかしいのだ。石原氏は法華経の人だから、何事にも因果応報的な論理で理解したくなるのかもしれない。

しかし、地震に理由などないのだ。単に自然現象としてプレートが動いたのであって(これにも諸説あるのでしょうけど)、そこには人間の行ないとか精神活動に関係するものはなにひとつないのだ。

だから「天罰」だと言われれば「否」だし、「神の仕業」ですらないのかもしれない。あくまでも自然現象だ。

理由を求めることに意味はない。しかし、人間はそこから教訓を得ることはできる。

この国は東京都とそれ以外でできている。愚かしいことだと思う。ITが発達したらなおさら東京一極集中が進むって、使い方を間違っているとしか思えない。距離や時間の制約を越えられるのがITの強みなのに。

この国が模倣してきたアメリカは、まぁとんでもなく広い国だから当然なんだけど、政治はワシントンDCにあり、金融はNYのウォールストリートにあり、映画産業はカリフォルニアのハリウッドにあり、自動車産業デトロイトにあり、ジャズはシカゴにあり、カントリーはテネシーナッシュビルにあり、と分散されている。

どうせ真似るならそういう多様性もマネればいいのに、ところが日本は、国土はカリフォルニア州と同じくらいで、そこに合衆国人口の約半分である国民が住み、さらにその四人に一人が東京都市圏に集中して暮らしている。

政治からメディアから金融から経営の中枢からなにもかもが、そこに放り込まれている。東京を地震などの災害が直撃したら日本は終わりになる。

資産管理なら分散投資が基本中の基本とされていて、通常、円と外貨、株式と債権、というように分散して物事を考えるのに、日本の権力に関しては東京圏にてんこ盛り。どう見てもヤバイと思うんだけど、権力者はそのリスクに備えようとはしない。権力を手に入れた者がそれを放すわけはないから当然そうなる。

就労人口の一割が自動車関連企業に勤めていると言われていて、その最大手がトヨタなわけだから、この際、経済の中心は中部に据えたらどうだろう。証券取引所とか日経新聞本社も含めて。

エンターテインメントは関西に置いてください。なんとなく楽しそうだから……。

とにかく、常々言っているように、東京一極集中は日本をつまらなくさせている。そして、それどころか、今回わかったように、危険ですらある。

と書いたら、やっぱり最近になって識者が具体的に分散化を唱えている。

  • 「何かあったときは臨時政府がすぐに立ち上がる体制にしておくべきだ」。サントリーHDの佐治信忠社長は、首都機能の一部移転の緊急性を強調した。
  • (二〇一一年四月二十二日産経新聞より)
  • 文部科学省など、文化的な行政機能は京都にあってもいい」
  • (同じく二〇一一年四月二十二日産経新聞より 堀場厚 堀場製作所会長兼社長)
  • 「(首都機能のうち)証券市場の中心は大阪に移すなど、大きな発想力で取り組むべきだ」と訴えた。
  • (二〇一一年四月二十三日 産経新聞より 石原慎太郎東京都知事

僭越ながら、僕は官庁は霞ヶ関に集中させておいていいと思う。 現状のセクショナリズムローカリズムまで加わるとなんの相互協力もしなくなると思うので。佐治氏が言うように、機能の分散はしておいていいと思うけど。

原発反対」、いいでしょう。結構、結構。僕個人としては反対でも賛成でもない。僕は政治家でも科学者でもないから、そんなもんは頭のいい人たちが考えてよきに計らってくれればくるしゅうないのだ(思考停止)。しかし、安全は守られると考えられてきた原子力発電が大事故を起こしてしまった今、国民の声に押され、廃絶の方向に国が進むとしても不思議ではない。

でも、たぶんそうはならないと僕は思う。理由は後述。

原子力なしでも、電力は賄えるらしい。火力など他の発電方法をビュンビュンに稼働させればなんとかなるようだ。 http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/backnumber/n_electric__20110419_27/story/postseven_17779/

二酸化炭素を出さない」という、先進国がほんまかどうかわからんけど、なんとなくせなあかん気になって、バイブルかコーランのように崇め奉っている命題を一旦忘れれば、可能なのであろう。

ノーベル化学賞受賞者の根岸英一パデュー大特別教授が言うように二酸化炭素を減らす努力はやめて、別の方法を考えたらいい。 ……頭のいい人たちが。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/110109/erp11010918560034-n1.htm

オーランチオキトリウム(藻類からとれるバイオ燃料)でも人工光合成でもいいが、新エネルギーの実用化にはまだ十年以上かかるという(後者は偶然にも前記と同じ四月二十二日の産経新聞に、「平成三十二年までの実用化を目指す」とあった)。 http://sankei.jp.msn.com/science/news/110421/scn11042120210004-n1.htm

仮に、原発をやめる、二酸化炭素をボンボン出す火力もやめるなら、当分はそれなしで賄える電力を基準に人間生活を構築し直すことだ。エレキギターはギャンギャンに鳴らしたい、けど原発反対なんてロッカーは自己矛盾している。

とはいえ、アコースティックのふわふわ音楽でエコとかぬかしてるユルユル音楽家はオレは好かねえから、まぁエレキ弾いたっていいよ。だけど、火力発電は石炭とか天然ガスとか石油を燃やしてるわけで、中東やオーストラリアなんかで事変があったり、外交が拗れて資源が日本に入って来なくなっても「ファック火力!」とか言わないように。 そん時はそれこそ「ファックユーオール」だ。

音楽を作ってメシを食べてるなんて、この世でもっとも無責任で特権的な立場である。だからこそ何言ってもいいんだけど、あまりにも日本中で溺れた犬を棒で叩くような状況が目に余るから一応述べておくと、もっとも効率的で安価に大量の電気を作れるから原子力を利用してきたわけで、電力会社(国)からすれば、大量消費社会を下支えしている矜持すら抱いて、推進してきたのだ。

見通しが甘かった東京電力は愚かかもしれない。約束を破ったわけだから嘘つきの誹りは免れない。そして、避難生活を余儀なくされた方々は本当に気の毒である。最大限の保障をしてあげてほしい。国民もそれを助けて義捐金を送る。 だけど、正義を振りかざして糾弾しても放射線は止まらないでしょうに。 正義は誰にもないのだ。

おそらくどこの国の誰が指揮しても、このようになる。アメリカ政府やイギリスの石油会社だってハリケーンカトリーナや、メキシコ湾の原油流出事故の際には、今僕らが見ている日本国政府や電力会社と同じ体たらくだったのだから。神様でもない限り戸惑うし、言い淀むし、どうしていいかわからないんだ。 「情報を出せ!」「答えを出せ!」と言われても、どちらも常にわかるわけではない(隠すのは論外だが)。

反原発はいいけど、だったらこちらも何かを諦めなくてはいけないはずなんだ。何かって、便利さとか安さとか、これまで当たり前だと思って享受してきた何かだ。

これまでの電気ジャンジャン作って、バンバン使って、ライト煌々で、という生活を改める時なのかもしれない。なんでもMAXまで便利さを求め、MAXまで作って、MAXまで使うという社会の組み立て方だ。それがいかに異常かということが、特に東京の人たちはわかったかもしれないし。

でも、喉元過ぎればそれもまた文句が出るのだろう。

電力はどんなに作っても一杯いっぱいになるのだ。

ある病院が駐車場不足で困っていたので、思い切って駐車場を拡張した。すると、車で来る人が増えて、結局また駐車場不足になった、という逸話をネットで見た。人間の欲深さとはそういうものだ。

僕だって、働き始めて十年が経って、毎年給与を微増していただいてるのにもかかわらず、普通預金口座にある「すぐ遣えるお金の額」はずーっと変わらない。悲しいくらいに。あればあるだけ遣うのだ。

年収四百万の人も、八百万の人も、一千二百万の人も、常に「お金がない」と嘆いているのだ。想像もできないけど、二億とかあっても「カネがねえ」とか言ってるのかもしれない。

愚痴を言ってクダまいてるサラリーマンも、その会社を志望した時には入りたくて仕方なかったのだ。

藤原紀香と結婚できたって浮気するのだ。

やっぱり「我欲」なのかもしれない。石原さんは正しかった。

もっとも効率的で安価で、発電時に二酸化炭素も出さない原子力発電。だけど、やるのも地獄、やめるのも地獄の「悪魔の技術」である原子力発電。

一度その悪魔に魂を売ったからには、契約を破棄することは現実的にできないと僕は推測する。

ひとつは、前述のように人々が安価で大量の電気を求め続けるから。もうひとつは、システムはそれ自体を維持するように働くから。 きっと元のかたちに戻ろうとする方向には働くだろうけど、どこか新しい方向に急激に転換したりはしないと思う。

リーマンショックの後もそうだった。ウォール街式の資本主義が崩壊して、新しいもっと人間が幸せになるシステムへの変化が起こるかと期待したよね。少なくとも僕はした。でも、実際はなにが起こったかというと、さらなるカネの争奪だった。文字通り貧すれば鈍するで、自分だけは身を守ろうとして、それまで以上にカネカネカネの社会になった。

だから、できたら拍手だけど、東京一極集中の解消にも、脱原子力発電にも僕は悲観的である。

(了)