月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ヒジがね、当たってますねん」

二年半ぶりのタイ王国アジア太平洋地域の広告祭に参加するためだったのだが、費用は自腹で行ってきた。今回は若いデザイナー二名が同行した。二人ともアジアの外国は初めてで、うち一人は三十才にして初海外。それどころか初飛行機だったらしい。

三十まで一体なにを楽しみに生きてきたのかと、僕なんかは思ってしまうのだが、まぁ今回こういう機会があって、おそらく独りでは行かなかったであろう彼に外国の空気を吸ってもらうことができてよかった。 まぁほとんどドブみたいなニオイだったけどな。

三月の日本から着いたスワンナプーム空港の夜は、一歩外に出るともの凄い湿気だ。上着を脱いで、とにかくタクシーを探す。広告祭の会場はパタヤのリゾートホテルなので、バンコクから二時間ほど走らなくてはならない。 「パッタヤ~」と、それとなくタイっぽい感じの緩~いイントネーションで目的地伝えると、運転手のおっちゃんは猛スピードで高速道路を飛ばす飛ばす。ふと横顔を見ると、牛乳瓶の底どころではない、占いの水晶玉をスライスしたような、見たこともない凸レンズをハメ込んだメガネをしていて、乗員全ては不安になった。 一直線に目的地に向かっているように見えたが、結局何度ホテル名を言っても、地図を見せても道を知らず、途中でパタヤ観光局に電話をし始め、携帯電話を受け取った僕がまたホテル名を伝え、係の人が運転手に道順を教えるという面倒な手続きをして二時間半かかった。あの猛スピードは一体なんだったのだ。

あとで知ったことだが、タイの運転手に地図を見せてもムダなのだそうだ。地図の見方なんか教育されていないから余計混乱するだけなのだそうだ。そういう常識からして全然違うのだ。 そして、記憶だけでとにかく知ってる道を行こうとするから、都市の昼間の幹線道路はやたらと渋滞する。

譲り合わないために渋滞が余計に酷くなる現象などは、タイ、インドネシアベトナムなど東南アジアに共通だ。

広告祭自体はとてもいい体験だった。世界中の広告アイデアを一望できるし、メシは三食食べられるし(参加料約十万円するんだけど)、二年前の冬(日本で言うところの冬という時期)を過ごしたインドネシア時代の同僚に会えたし、パーティー会場では日本でお世話になっている会社社長にも遭遇した。 パーティーのあと、同宿の三人で連れだって少しパタヤの街を歩いてみたのだけど、地獄だったな……。ありゃ地獄やで。ゴーゴーバーとマッサージパーラーが深夜でもギラギラしていて、女たちやオカマたちが袖を掴んでくる。ケバケバしいネオンと、毒々しい化粧と、不潔な路地から漂うドブのニオイと、ボトルを傾ける、世を捨てたリタイヤ白人の虚ろな眼。「ちょっと一杯飲んでいくかー」という気分には到底ならないんだな。

それでも、微笑みの国タイの人々はやさしい。日中であれば、手を合わせてお辞儀する挨拶や、柔らかい物腰で発する独特のイントネーションにこちらも自然に笑みを返せる。文字通り清濁併せ呑む寛濶さというか放埓さに思い浮かぶ言葉が「やさしさ」なのだ。それが世界中から旅行者を惹きつけるのだろう。

また、そこが日本人と特にウマが合う理由なような気がしないでもない。 政治デモでの衝突やクーデターという手段の激しさでもわかるように、普段穏やかな人が怒ると怖いのだが、それは日本国も同様で、アジアにおいて、欧米の植民地にされなかった国は、タイとジャパンだけだ。まぁ、敗けはしたけどよ。

僕はまだタイを深くは知らないので、ステレオタイプを通した目で見ていることは承知している。がしかし、「すべてのステレオタイプは真実である」という言説がある。 悔しいかな、そうなのである。 人はポジティブなステレオタイプには首肯して、ネガティブなものには口角泡を飛ばして「偏見だ!」などと抗議しがちなのだが、いやいや、ステレオタイプというのは経験の積み重ねから形成されているため、ほぼ真実なのだ。

余談だが、もうひとつ付け加えると、「外国語がどのように聞こえるかが、その文化自体をどう受け止めているか」を表す。米語(英語)を話す人を聞いて「カッコいいー」と思うのは、アメリカ文化をカッコいいと知覚していることで、〇〇語を聞いて「声がデカくて鬱陶しい」と感じるのは、その国をそのように感じているわけだ。 はい、好むと好まざるにかかわらず、〇〇には何が入るか、みんなわかったでしょう?

だから、我々は、勤勉で猫背ですぐに名刺を出して、シャイなくせにスケベで、争いごとをとことん回避しがちな割に小金は持っていて、世界トップの技術があって、腹立つほど細かい人間、であっていいのだ。心もアレもそない大きくないが、口とアレはメチャ固い。 これは性(さが)だから直るものでもない。

チ◯コ界のコントレックスでいこうではないか。 https://www.contrex.co.jp/docs/what/index2.html

ちなみに、インド人のステレオタイプも色々あるのだろうけど、習性として、「人との距離が異様に近い」と聞いたことがある。物理的な距離だ。話し相手にとても近付いて喋るらしい。

だから、インド人と話すと、外国人はその距離感が快適でなく、一歩下がる。すると、インド人はまた一歩踏み出す。それを繰り返して最後はコーナーに追い詰められてしまうのだ。

十数億人にそれをされ、周辺国の人々が下がりに下がった歴史の帰結として、出来上がったのがヒマラヤ山脈だと言われているとかいないとか。

タイからの帰りの飛行機で、搭乗券をもぎられたあと、通路に並んでいたら、僕の肘に背後のおっさんの出っ腹が当たっている。 「おいおい、えらい近いなぁ」と思って振り向いたらインド人だった。 席に着くと、隣りがそのデブのおっさんの連れのこれまたインド人だった。平気で肘掛を両方使って、僕のテリトリーまで腕が入っている。それどころか、僕の腕におっさんの肘がまた触れているのだ。先方はそれでも全く平気なのだ。

よほど「あのね、触れられるのは不快なんですけど」と言おうと思ったけど、先述のステレオタイプを思い出して納得した。というか、寛恕してしんぜる気分になった。諍いを好まない日本人だからね。

通路の向こうの方で、チャイナ人二名はやや迷惑そうな他人の白人を挟んで、ワーワー話していた。

「名前を付けよう」

景気が緩やかに回復していると言われているけど、テレビや新聞が「アベノミクスの効果を感じるか」などと街頭調査をすると「感じない」が大半を占めたりする。それをメディアはうれしそうに報じる。「恩恵は富裕層だけ」とか「大企業だけ」とか、批判する声もある。

僕はマクロ経済に明るいわけではないので、アベノミクスの功罪を論じる資格はないのだけど、ひとつ言えることは、「恩恵を感じる術を持っていなければ、感じるものも感じられない」ということだ。
僕を含めて一般生活者の収入は主に労働からの給与と投資からなる。中には「あとギャンブルもある」という人もいるんだろうけど、これは景気に無関係だから措く。
少し考えればわかる通り、景気が上向いたくらいで給料が急に上がるはずはないのだ。企業経営は、今月の売上がよかったからって来月からの給料が上がるような仕組みではないはずなのだ。
一方、投資に関しては低迷していた株価の回復などによって、恩恵は感じられやすい。期待値がすぐに反映されるからだ。銀行預金の利子もゼロな中で、給与を預金するだけですぐに恩恵に浴せるわけはないのだ。すると、「投資なんかできるのは富裕層だけ」と言われるのだろうが、ミニ株(売買単位の十分の一の価格で取引できる制度のこと)だってあるし、NISA(運用益や配当に一定額免税になる制度)だって始まったし、決して富裕層にしかできないことではないのである。
カネのことを言うなら、カネのことを学ばなくてはいけない。
僕個人で言えば、そりゃ投資額がちょぼちょぼだから、何千万も資産価値が増えたりはしていないけど、小遣い程度の金額なら確かに恩恵を受けていると言える。
二〇一五年一月現在では円安だし、「海外旅行に格安で行ける」などのメリットはないので、生活者としての恩恵はそれくらいなのかもしれない。
だけど、景気は「気」だから、いついかなる時も僻み根性と被害者意識の人間には、豊かな時代など訪れはしないだろう。「経済効果は全く感じない」と言う人に、次にこう訊いてみてほしいものだ。
  • 「では、どうなれば経済施策の恩恵を感じますか?」と。
  • 「バブルの再来」とか「政府が一千万円振り込んでくれる」をはじめとした、およそ現実的ではない酒池肉林が述べられることは想像に難くない。心配せずとも、バブルはもうジャパンには来ないから。
フロスティEVという、電動バイクが発売されたそうだ。作っているのは熊本県ベンチャー企業なのだろうか、株式会社吉角というらしい。充電だけで走るから排ガスが一切出ない。価格は三六八〇〇〇円。
この情報にフェイスブックで触れたところ、コメント欄には、「高い」、「価格が……」、「十万円なら」との声が連なっていた。
えぇーっ、高いかな。ウェブサイトによると、一回の充電が約四円で、六〇キロ走れる。月に二〇回充電しても月に一〇〇円以下。日本製で、車体は一年保証とのこと。
僕のように週末しか乗らない人なら、月に一二〇〇キロも乗れませんからね。というか、年にだって乗らないくらいだ。タンク満タンに入れたら千円は越える。
ちょっと計算すれば、ガソリン車のバイクに比べたら断然安いし、熊本の社長の心意気にその値段で一役買えるんだよ。わざわざ社長の見てるフェイスブックに書き込みをしなくてはいけないくらい高いはずはない。
まぁ、その社長は社長で、フェイスブックのトップに「熊本で年収一億稼ぐ」ってわざわざ書くこともないし、どっちかと言えば、応援する気を削ぐ一言だと思うんだけど、溢れる気合いが漏れ出ちゃった愛嬌としよう。地方にありながらこういう挑戦をする人がいるというのは、僕自身も地方に住む一人として励みである。
二〇〇八年のリーマンショック以降の新聞紙面の暗かったこと、暗かったこと。「〇〇社が今期下方修正」、「再び下方修正」、「××社が人員整理」、「△△社が会社再生法適用へ」などなど。僕はあの先行きの見えない抑鬱的な見出しが並ぶ毎日を忘れてはいない。
あれに比べれば、こんな、景気などという自分でどうしようもないものが「なんかええ感じらしいで」と耳にできるだけでも恩恵だと思える。
みんなで取り組んで、景気を良くする手がひとつある。「値引きしないこと」だ。値引きを売り手に強要しないし、値引きに簡単に応じない。
クールジャパン機構の太田信之社長が著書の中で〈すぐに電卓を叩くクセをやめる〉ことを説いている。ファッションブランドでも、機械部品メーカーでも、世界にモノを売ってきた日本人は、つまるところ人がいいから、「値を下げろ」という要求にすぐに応じてきた。すると、何が起こるか。結局、海外で売られる製品の価格は下がらず、売り主が儲けて、作り手である日本人が儲けてこなかったという。
もちろん業界によって、事はそう単純でもないんだろうけど、ある意味での真理を突いていると思う。だって、値引きしてきたから、働けども働けども暮らし楽にならないのだから。日本人はどの国の人よりも働いてきたし、我々はいつの時代の日本人よりも働いているでしょう。だから、何かがおかしいと思えるでしょう。
ここなのだ。値引きをするからいけないのではないか。
現代社会のいわゆる格差問題が配分の問題であるとして、値引きを請負企業から請負企業へと強いてきた結果であろう。だから、「大企業だけ業績がいい」という批判につながる。
広い視野で見れば、というか、恥ずかしいくらいロマンチックな見方をすれば、うちだけでなく、あの会社も、その会社も、そして社会全体の売上が上がれば、景気がよくなるんちゃいますのん?
共産主義かって? ちがいます。まだこれに名前は付いていません。ここには「値引きを拒絶できるほどスペシャルな仕事をする」という自由競争があるのだ。ジャパンがとっても得意な感じの競争でしょう。
それに、資本主義は敗北しました。あの二〇〇八年の秋に死んだはずだ。アメリカ合衆国と言う自由主義信奉国家がメガバンクなどの民間企業の救済に手を入れた瞬間に。
だから、日本はこれに名前を付けられるようにがんばればいいと思うのだ。
一月なので、まぁ、そんな夢みたいなことを書きながら、大企業に勤める私は昨年も取引先にたくさん値引きをお願いしたことは正直に吐露しなくてはなるまい。本当に申し訳なかった。断腸の思いだ。
私の会社も仕事を受注する立場である体質と、あとは、私の保身だと思ってほしい。
人様に加えて自社にも損害を出した。そろそろクビやな。今日の出来事だ。
  • 僕「すみません、やってしまいました」
  • ボス「わざとか?」
  • 僕「……いいえ」
  • ボス「ほなええわ」
今年も一年、みなさまにとってよい年でありますように。
というか、なんとかかんとかやっていきましょう。やれやれ。

「思惑交差点に立つ男と女」

とあるファッション雑誌編集長がフライデーされた。記事によると、こうだ。

二十三才のモデルA子さんは、若者に大人気のファッションショウへの出演を夢見ていた。有名編集長であるK氏を紹介してもらう機会を得て、会食をした。食事のあとにバーへと誘われ、強引にホテルに連れ込まれた。「このまま帰るとショウには出さないよ」と脅され、怖くて従うしかなかった。 二ヶ月後、知人宅でのパーティに誘われ、自宅に送ると言われたのに、再びホテルに連れて行かれた。翌月、またもや食事をしたが、そのあとのホテルは意を決して拒否した。
その後の誘いは全て断っていたら、ショウの五日前になって「あの件はなくなった」と連絡された。A子さんはショックで体調を崩し、事務所を辞め、故郷に帰ることにした。その後、両者示談交渉中にK氏の方が「恐喝されている」と別の写真週刊誌に訴え出たため、A子さんはフライデー誌での逆襲を決意し、訴訟を検討中ということだ。
よくある話ですね。ここまでベタな展開というのは最近珍しいくらいだろう。僕は、イキったファッション関係者は大嫌いなので、K氏を擁護する気はない。率直に「キモいやつや」と思う。しかし、フライデー誌と一緒になって彼を糾弾する気にもなれないので、その理由を述べてみる。
これはお互いの思惑の問題なのだ。女は「コネを作って仕事を得たい」という思惑があり、男には「あわよくば女を抱きたい」という思惑があった。そして、この場合、女のそれは叶わず、男のそれは満たされた。その不公平が女の告発の根源にある。では、別の状況を考えてみよう。まずは、「女の希望も実現せず、男の欲望も満足させられなかった」、つまり、ショウにも出られず、抱かれもせずという場合。 もちろん、それだったら何も起こらなかった。

「あーぁ、ショウに出たかったなぁ」

「くそー、あの女を一発イテコマシたかったぜ」
で終了だ。

次に、「ショウにも出られたし、抱かれた」という時。 その場合、女は編集長を訴えただろうか。

「ショウに出してくれた代わりに、ワタシの体を散々貪ったんです!」

そんな理屈が通用するだろうか。おそらく、「お前カラダで払って仕事買うとるやないか」との批判を怖れて、女は沈黙を守るのではないだろうか。ということは、抱かれたことが問題なのではなく、ショウに出してもらえなかったことが問題ということになろう。

普通に考えたら(フライデーが読者に期待するように受け取るなら)、「立ち場を利用して、弱い者を搾取した」ということになるのだろう。しかし、上記を考慮に入れるなら、ちょっと様相は違って見えないか。

お互いに得るものを得たのだから、いいんでないの? と思うのは人権軽視だろうか。古今や洋の東西を問わずそうなのだから、これは男女の性(さが)であり、今後もおそらく改善はされることはない。銀座や北新地もそういう思惑交差点の上に成り立っている。週刊文春が正しいなら(きっと正しいんだけど)、大手レコード会社もそういうコトらしいし。ハリウッドもそうだって北野武監督が言ってたし。広告業界は違うけどね。広告会社に決定権ないから。

では、「ショウには出してもらったが、抱かれるのは断った」時にはどうなる? 編集長は、涙ながらに告白するだろう。

「あの女、私の口利きでショウに出ておいて、ヤラせてくれなかったんです!」と。 「私の職業と地位を弄ばれたんです!」

なぜこれが通用しないのだろうか。ショウに出たいという希望を「夢」などと呼ぶなら、ヤリたいという、この透き通るようなピュアな気持ちはどうしてくれる。「売れたい」も「ヤリたい」も、個人的な欲望という意味においては同等ではないか。それによって一票の格差が是正されるわけでも、食糧危機が解決するわけでもない。

そのファッションショウの主催者はそもそも「K氏にキャスティングの権利なんてありません」と一笑に付している。たとえあったとして、K氏がA子をショウに出演させる義務も理由もない。特に出したくもない。出すメリットはないのだ。

世の中には、三種類の人間がいる。善悪を基準に行動する人。正誤で動く人。そして、損得で判断する人。 善悪と正誤は区別がつきにくいかもしれないが、前者はたとえば、規則には背いているけどその方が(倫理的や合理的な意味合いで)善いと考えるから行なう人である。 K氏は損得で動いたのだ。仕事に関わることにおいては、大概の大人は損得で動くと思って間違いない。

繰り返すが、K氏にA子をショウに出すことのメリットはないのだ。K氏くらいになれば、仕事を得たいモデルや事務所からのアプローチなど毎日のようにあるだろう。それをいちいち善悪で判断して厚意を遣っていたら、ショウなど客千人に対して、モデル五千人とかになってしまう。 逆にA子の方は何を思ってK氏にアプローチしたのだろうか。K氏が進んで推すのは、「お客のためになる、もしくは集客に貢献するモデル」だけだろう。自分がそうでないとするなら、何を求めてK氏に近付いたのか。

思惑があった。両者に思惑があり、片方はそれを提供したのに、返してもらえなかった。それだけのことなのだ。何かを期待していたのだ。それに応えてもらえなかったから裏切られた気持ちになっただけのこと。

淋しい話だ。 今後は考え方を改めなくてはいけない。

「ヤラせたのに、仕事はもらえなかった」。こういう受け身の考え方でいるから、仕事も得られないし、人のせいにする体質のままなのだ。 こういう時は「仕事はもらえなかったけど、とりあえずヤッたった」だ。 そして、「次いこ! 次!」と前を向けば、いつか仕事にも恵まれるだろう。

「仕事をもらうために、ヤラせるハメになった」は違う。 「ち〇ちんイワしたった上に、仕事までゲットした!」 これぞ一石二鳥。ダブルでハッピーだ。編集長はシングルハッピーだから、君の勝ちだ。

そんなのは受け容れがたいとおっしゃる向きのために、言っておこう。

A子さんが過ちを犯したとするなら、「初めての食事とバーのあとにホテルについて行った」ことだ。この時点で断るべきだったのだ。 お金も払われてないのにうどん出しちゃうから食い逃げされるのだ。こういう時はキャッシュオンデリバリーだろう。 ギャングだって 「カネは持ってきたか!」 「ブツを確認してからだ!」 とやるでしょう。

怖くて言い出せなかったとかいうのは、申し訳ないけど通用しない。大事なことをはっきり言わないと、命だって失うこともあるよ。それが厳しいこの世の中だ。 真珠湾攻撃だって、宣戦布告の声明は出来上がっていた。それなのに大使館員がモタモタしていたがために、歴史に奇襲ということで記録され、我々日本人は卑怯者呼ばわりされる結果となったのだ(ちなみに、その後のどの戦争でも、宣戦布告してからおっぱじめた事例はない)。

言下に断って仕事を得ないか、こう言って仕事を得ないか、しかない。

「私は仕事を得るために男の人と寝ることはしません。今夜のことは忘れてください。私はいつか最高のモデルになって、今度はKさんの方から仕事を依頼していただけるようにがんばります。それでいいでしょうか」

フツーの男なら、こうまで言われてしまっては、あとは 「わかった。これからもがんばりなさい」 とカッコつけて、タクシー代でも握らせて別れるしかないのだ。

粘り強い男なら 「わかった。仕事は忘れよう。……仕事抜きで、一発ヤラせてくれ」 と純粋な瞳でウィンウィンな提案を持ちかけてくるだろう。 こういう人が結局はのし上がるから、世の中こういう男ばかりですみません。なんで、オレが謝らなあかんねん。

オレだったらそんな際「うわ、てことは月曜になったら、プロデューサーのあいつと、イベンターのあいつに電話して、このコをなんとか押し込まなあかん!」というプレッシャーに押し潰されて、全然心がのびのびできなくて、アレがのびのびしないもん。律儀か。

そして、可能性としては、彼女はいつか、故郷へ帰ることになる。 哀しいかなそういうことだ。

それではあんまりだ、どうすればショウに出られるかって? 知るかい。運だろ、運。 知ってたら、オレが出てるわ。三十九才のおっさんだけど、それをモノともせずにオレが出てるわ。

「彼女は、死んだのだ」

こんな駅貼りポスターを目にした。人材派遣会社だったか、転職情報会社の広告で、こんなコピーが書かれていたかと思う。

  • 「大人のあなたを変えるのは、恋と仕事です」
僕はこれを見て直感的に疑問を感じたのである。「そうかな……?」と。
いや、正直に申せば、心の中では「なにを甘っちょろいことをヌカしとんねん!」と毒づいたのである。
ハッキリ言おう。大人を変えちまうのは、「死」なんだよ。
仕事については異論はない。あの純真だった私を、薄汚れた大人に変えてしまったのは、仕事である。これを書いている本日、私は三十九才になった。一般には働き盛り、つまり薄汚れ盛りである。ハッハッハ。カネよこせ。
恋で変わるのなんかは大人ではない。恋で変わっていいのは、思春期の人間である。初めて手をつないだ、初めてキスをした、初めて人の肌の温度を知った。こういう一つひとつのステップを経て、人は成長するとするならば、恋によって確かに人は変わるのかもしれない。
しかしだ、我々大人は、一旦の完成品として(恋愛)市場に製品として陳列されているべき存在である(あ、結婚とかしてるのに、「我々」などと今、ちゃっかり自分も入れた)。
もちろんマイナーチェンジされることはあっても、完成品として販売されている限り、完成品として市場の過酷な審判を受けるべきなのである。「恋すると変わりますから、ボクを選んでチョ」なんていうポンコツを受け容れることができるだろうか。オトトイ来やがれ、だろう。
僕が「大人を変えるのは『死』である」と気付いたのは、父親が死んだ時だ。そこでまず、「人は本当に死ぬ」ということを知った。それまでは、死を身近に感じたことはなくて、ドラマや映画の中で死んだ役者が、また別の作品に出てくるような、漠然とした再生可能な感覚があったような気がする。それが、オヤジがいなくなって、もう話すことができないと悟った時、「うわ、本当に死んだんだ。死ぬってこういうことなんだ」ということを徐々に受け入れざるを得なかった。
それから、自分が三十五才になった時、今度は「うわ、オレの人生もう半分終わったんだ」と知った。僕の家系はあまり長命ではない傾向があるので、七十まで生きれば万々歳だ。だから、普通に考えて半分来てしまったと考えたのだ。
それ以来僕は「我慢メーターの目盛り」を、「弱」の方向に動かした。「若いうちは我慢だ。勉強だ。謙虚さだ」と思って働いてきたのだが、ふと気付いたら若くもなくなっていた。いつまでも我慢していたら、このまま人生が終わってしまうと思ったのである。
とはいえ、「辛抱できないオッサン」こそが、切れる若者よりもずっと社会の害悪だということを僕はわかっているので、我慢しないことを自己中心的であることと履き違えないようには注意している(つもり)。
喩えるなら、「最後に残った唐揚げを放置しない人間」になろうと決めたのだ。衝突を怖れて、一つ残った唐揚げを見て見ぬふりするのではなく、自分で食べるか、誰かにあげることを心がけているのだ。つまらん喩えだったな……。ちっさい人間は喩えも小さい。
まぁ、とにかく少なくとも「死」によって、大人としての僕は変わったのである。言いたかったのはそういうことだ。
そして、壊れかけのワタシから、「思春期に少年から大人に変わる」のに不可欠なのが、「失恋」なのであるということも付け加えておきたい。前回、「恋愛と失恋はセットである」と述べたように、哀しいかな、失恋によって少年は大人になっていく。オレは失恋もしたことない人間を、大人の人間とは認めていないぞ。
失恋に関しては評論家になれるくらいの経験がある私でも、簡単で、素早くて、お得な別れ方というのは未だに指南できない。しかし、これからまだまだ失恋していくであろう前途ある若者に言えることはいくつかある。
  • ■「他に好きな人ができた」
これは最悪の部類なのでやめておきましょう。「捨てられる」という拒絶感と、「人に取られる」という敗北感をダブルで浴びせる必要はないのだ。
  • ■「友達に戻りましょう」
戻れたためしはないので、やめておきましょう。「過去に友達だったことなんかねえよ! オレはいつだって、そういうイヤラシイ目で君を見てきたよ!」と、僕なら思うかな。失恋は語れるほど知っていても、恋愛の方は、全然経験したパターンが少なくて申し訳ない。
  • ■「あなたのことが以前ほど好きではなくなったの」
このあたりが及第点かもしれないな。そう本音を言われると、ちょっとは反省する気になれるかもな(今僕は、過去のあれこれを反省している神妙な顔をしている)。
  • 「そんなこと言わずに、以前のようにボクを好きになってよ!」とか言っても仕方ないしな。前号からの繰り返しになるが、人の心はコントロールできないのだから。
  • ■「お互いのために別れましょう」
アメリカ人か。
あいつらはそんなことを言いつつ簡単に離婚して、週末になると子供を迎えに来ては、別れた女房とハグしているから意味がわからん。「お互いのためとか、オレを勝手に含めるなよ。オレを捨てるのは、オレのためにはならん。なぜなら、嫌だから」だ。
なお、アメリカ人夫婦が結婚二十周年を迎える確率は、半分とちょっとだそうだ(女性で五二%、男性で五六%:National Health Statistics Reports 2012)。
あ、そうだ。僕は別れる専門家なのではなくて、フラれる専門家なのだった。
失恋すると色々とウジウジ考える。この未曾有の、経験したことのない辛さに、世界の終わりが到来したかのような気分になる。大変な痛みを伴う、人生の構造改革だ。どう対処していいかわからないから、とりあえずテレビで見たことある「フラれた人が取る行動」をとってみると何か効果があるのではないかと、縋るような思いで考える。酒を飲んでみるとか、雨の中を走ってみるとか、部屋の隅っこで体育座りしてみるとか。
ハマショーを聴くとか。そりゃオレか。
残酷な真実を突きつけるようだが、失恋とは、「あなたは私の人生からいなくなってくれて構わない」という宣告である。商品だったあなたが、ついに不燃ゴミになったのである。この屈辱感とか喪失感とか絶望感とかは、なかなか若い心には処理しづらいものだ。
辱められたような気持ちになって、一部の男は「リベンジ・ポルノ」で仕返しをしようとしてしまう。男はこういう卑劣な反応をしては絶対にいけない。お前の人間としての価値を下げるからだ。しかも、「自分のチ〇ポも写っている」という恥ずかしい事実をわかっているのか、僕はとっても疑問なんだな。
さて、結論めいたことを言うぞ。女性のことは僕はまったくわからないし、「男性は恋愛の記憶を保存し、女性は上書きする」というからな、あいつら全然アドバイスとか必要としていないからな。主に男性諸君に言うぞ。
いいか、失恋とは「死」なのだ。
君ではない。死んだのは彼女の方だ。彼女は死んだのだ。
失恋も死も、その激痛がどこから来るかといえば、喪失からだ。「もう逢うことができない」という別離の難さ(かたさ)という意味で、本質的には同種だ。
よく、死んだ人がまだ「心の中で生きている」という表現がある。死に接したことのある人間なら、それが本当に起こり得ることだと理解できるだろう。
あれの逆バージョンを心の裡で創製するのだ。実際には死んだ人が心の中で生きているように、実際には生きているかもしれない彼女は、君の世界では死んだのだ。いや、実際に死んだものと思え。君の世界とは、君の生きる現実のすべてだ。そこでは、彼女は、死んだのだ。
敢えてそのように思い込み、自分を説得し、難しくても嚥下し、受諾するしかない。
それができた時、人の痛みが分かる大人の男が一人、そこにいるだろう。
そして、「死んだ彼女」が「心の中で生きていて」、「あの世で元気にしてるかな」と、あたかも死者を思うが如く、その幸せを祈れるようになった時、彼女は本当に、君の中で死んだのだ。いや、本当にじゃないんだけど、本当になんだ。この複雑な心理状態こそ、大人の心の複雑さなのだ。
大人を変えるのは「死」なのだ。
本当のこと過ぎてポスターには採用されないが、そうなのだ。

「十年念じよ」

僕は占いの類は信じないのだが、先日、勤め先の送別会で「ワタシ、手相が診られるんです」という女性と会話をしたので、せっかくだから僕の掌を診てもらうことにした。

彼女は僕の両手をグイッと引き寄せ、しばらく凝視したのち、いきなり、

「芸術家肌なタイプではないですね……」 と言った。

広告クリエーター(という言葉は大嫌いだが)という職業柄、それを言われて傷付く人もいるのではないか、という配慮は微塵も感じさせない、事実を事実としてだけ告げる口調であった。僕はわかっている。自分はおよそ芸術を解さない人間であることを。
だから、僕は平然と、そして平然と聞こえるように答えた。

「そうね、僕は全然アーティストなタイプではないよ」

彼女は僕の掌を再び矯めつ眇めつしながら、目を上げることもなく、今度はこう告げた。

「かといって、理論派でもないですね」

なんやねん! なんやっちゅうねん。オレがなんの取り柄もない人間であることを、外堀を埋めるようにして徐々に伝えてくる戦法か。オレはそのへんの勘はいいんだぞ。繊細だからな。
続けて彼女は言った。

「あ、勘はいい方みたいです」

あぁ、そうかい。知ってるわ。
それにしても、「勘はいい」という漠然とした、掴みどころも証明のしようもない結論とは。良く解釈するならば、「センス(第六感、つまりシックスス・センスというくらいだから)は良い」とふうに受け取れる。普通に翻訳するなら、単に「なんか知らんが、なんとかなってる」ということか。
まぁまぁ、いいではないか。センスがいいというのは、何事にも役に立ちそうだしな。芸術家肌でセンス悪かったら、つまり才能ゼロと同義だからな。って、勝手に良く解釈した方をさらに拡大して採用しました。
最後に彼女が言ったのは、

「あとは、なにかをずーっと続けるのは得意ですね」 ということだ。なるほど。その時履いてたブーツも二十年近く履いてるものだった。

話は変わって、先週、ハタチの男子大学生と二人で飲んだ。彼は三年前の僕のカナダ一人旅の際に、行きの飛行機で隣り合わせた当時高校二年生の少年だった。三年が経って、彼は大学生になっていたのだ。
二〇一一年七月号に日影くんという名前で登場している。

http://goo.gl/QYK62s

僕はあの時、旅から帰って、テニスの青春小説を読んだ際に、機上で出会った、「テニスをやっている」「修学旅行でシアトルに行くところ」だった高校生のことを思い出して、なぜだか彼にもこの本を読んでほしいと思ったのだ。そして、高校名とテニス部と苗字しかわからない彼宛に、封筒にそれだけ書いて本を送ってみたのであった。
ちゃんと届いたのである。お礼の電話をもらった。きっとお母さんから「ちゃんとお礼を言いなさいよ」とか言われたのだろう。ちゃんとした教育を受けている少年の初々しいお礼の仕方だった。
その時に同封した僕の名刺を頼りに、彼から三年ぶりに連絡があったのだ。実は、今夏、錦織選手が全米オープン決勝に進んだ時に、僕の方もなぜかその日影くんのことを思い出していた。その直後の連絡だったから、僕はうれしかった。
もうすぐ三十九になろうとしているおっさんと、二十才の大学二年生がどんな会話をしたのか。いや、そんな隔たりを感じさせないほど、楽しい会話をしたものだ。だけど、訊いてみるとなんと母親は四十二才だという! 三つ上。「今度一緒に飲もう」と喉まで出かったぞ。
ちょっとクールで物怖じしない日影くんは、バイトのことや、大学のことや、海外への興味のことなどを聞かせてくれた。僕に就職の相談をするわけでもなく、なにかためになる話を求めるでなく、ホントに自然体の好青年なのだ。そして、なかなかのハンサムボーイなのに、カノジョはいないそうだ。

「コンパしたろか?」と再び喉まで出かかったが、彼は「……ぽいコならいるんですけど」と意味深なことを言う。 「なんやそれ、ええなぁ」 「いや、あの、付き合おうと思えば付き合えるのかもしれないけど、バイトの仲間なので、仲間同士が楽しいかなぁ、と」

やはり、クールなのだ。僕がハタチの時はそんなんなかったなぁ。付き合おうと思って付き合えるなら、付き合ってたわな。付き合えないから付き合わなかったな……。
思わず遠い目をした僕の口から出た次の言葉はこうだった。

「……失恋とか、してみてえなぁ」 「え、そうですか?」 と驚く日影くんに僕は補足した。失恋は散々してきたから、その辛さはよく知っているのだ。わざわざそれをしたいわけではなくて、恋と失恋は一対だということを僕は知っているだけだ。恋をすれば失恋はセットなのだ。恋が恋で終わるためには失恋がセットで付いてくるのである。恋から結婚に発展すると、恋は終わらなくもないが、変質するだろう。

私などは、うちの主人(=妻)に「愛してるー」とか言おうものなら、テレビのリモコンを持ったままで、

「うるさい。押し付けがましいねん」 と、一顧だにされない。だから、言わないようにしている。

恋を求めると失恋が帰結であるなら、人生を少なからず味わってきた我々大人は先回りして失恋に思い致すのである。
「恋してえなぁ」が「失恋してえなぁ」になるのは、「甲子園に出てみたいなぁ」が「砂とか持って帰りたいよね」になるのと同じことだ。優勝旗ではないのだ。そこはいつも砂なのだ。

「それって、さびしくないですか?」

日影くんは真っ当な問いを投げかける。

「もうな、想定しとくねん。どーせフラれるねん」 「フラれたら諦めるタイプですか?」 「去る者は追っても仕方ない。それより、相手がいなくなっても、自分が生きていけるように心の準備をしておくことだ」

日本女性の平均寿命がゆうに八十を越えるようになり、うちの母親なんかほぼ確実に、男性である僕よりも長生きするだろう。「いつまでもあると思うな」は、「親とカネ」ではなく「恋とカネ」なのだ。

「そうなんですかー……」

日影くんは納得できない様子だ。それでこそ若者だ。

「他者の心はコントロールできないからな。できるのは、自分のだけだ」

日影くんがよく納得できない様子だったことをもうひとつ話した。

「何かを十年思い続けるというのは、思ったより簡単なことだ」ということ。

十年を二回しか経験したことのない日影くんはまだ十年費やして何かを念じたことはないのだろう。
難しい話ではない。僕は十六の頃から「ヒゲ生やしたい」と思っていたら、二十六で生やせるようになった。本当である。家系的に特に濃いわけではなく、三兄弟でヒゲを生やせるのは僕だけだ。腹を六つに割りたい? 割れた(まぁ、鍛えたからなんだけど)。バイク乗りたい? 乗れた(うん、免許取ったからなんだけど)。
自分のことはなんとかなるのである。それが人の評価や判断に委ねなくてはならない類のものはそうはいかない。しかし世の中はそういうことだらけだから、念じてもモテないし、思い描くような成功はできない。
念じるのだ。十年念じよ。人のことではない。オノレのことをだ。
なかなかの理論だろう。そう、僕は理論派ではないのだ。
最後にひとつだけ忠告しておこう。自分の切実な念が通じない部分がひとつだけある。アレだ。あれはまったく言うことを聞かない(場合がある)のだ。いや、二十才の若者とは逆の意味でだ。
日影くん、君にも丹下段平の気持ちがよくわかる日が来るだろう。その喩えがすでにわからないか。そうか。
結局こんな話ですまん。僕は、アーティスティックでもないのだ。

「未来に届け、僕らの涙声」

アメリカを旅していた時のこと、オレゴン州ポートランドでとあるレザーショップに入ったところ、支払いカウンターにこのような表示、というか宣言が貼ってあった。 曰く、「私たちはどなたであってもサービスを拒絶する権利があります」。
  • 「どなたであっても満足を保証します」ではない。
僕はこの文句に目を疑い、写真に撮らせてもらいたかったのだが、こう高らかに宣言されていると「お断わりします。その権利があるからだ」とか言われそうでちょっとヒヤヒヤした。結果的には、「なんでこんなもん撮りたいねん」という、ちょっとポカンとした表情で女主人は許可してくれた。だからここに貼付することができたわけである。 すっかりアメリカのレザー製品に魅了されて帰国したのち、インターネットで別の家族経営のレザーブランドを見つけた。それはグレッグ(仮名)という四人の子持ちの厳めしい面構えの男が経営している。 ウェブサイトにて、グレッグはハッキリと書く。
  • 「我々は、従業員とその尊厳を、カバンを売ることよりも大切にしている。もし誰かがいかなる方法においてでも、彼らに大声で怒鳴り散らしたり、脅すようなことがあるならば、そいつは顧客としてクビだ」
  • 「我々は、九十九パーセントの方々は、正当なクレームである場合であっても、礼儀正しくて親切で我慢強く、そして丁寧であることを知っている。ただ、残りの一パーセントの連中がいる。彼らはつまらないことに対して大声を出し、脅しをかけてくる(たいていの場合、なにかをタダで得るか、値引きをさせるために)」
  • 「そういう連中には、我々のカバンを持ち歩く仲間になってもらわなくて結構だ」
  • 「我々にとって、我々の仕事と、我々の顧客は等しく大切なのである。ここまでお付き合いいただきありがとう」
僕は今度、グレッグのカバンを注文すると思う。 アメリカ人は主張が激しいというが、換言すれば、攻撃的であり、また、アメリカ人のグレッグは気持ちがいいくらい率直なのである。 「お客様は神様です」とか「未来の子供たちのために」とかのオタメゴカシは言わないのだ。すぐにバレる嘘だからだ。お互いに嘘と知っていながら、その嘘の上でビジネスを進めてお互いの利益を引っ張り合いするような面倒くさいプロレスは不要なのだ。 ところが、「お客様は神様」的プロトコルを疑わない人が日本企業には多いから、もしもその中の一人が取引先に対して「それは違うでしょう」と異議を唱えると、日本では何が起こるか。 その人は味方であるはずの同僚や上司から「キ、キミ、なんてことを」などと、「背後から撃たれる」のである。明らかに言われていることがおかしいから「おかしい」と言って、その発言の主から「いや、そうではない」と反撃されるなら議論の中で進歩は生まれるが、背中から撃たれると作戦中止をせざるを得ない。独りで戦おうとすると「大義なき戦」になりそうだから、自ら「撃ちかたやめ!」で一旦撤退することになる。 で、あとで味方であるはずの人間に「でも、やっぱりおかしいでしょう」と問い直すと、「おかしいのはわかっているが、言うとカドが立つからな……」などと、状況の改善を放棄する。だから、日本のビジネス界の悪癖は一向に好転しないままずっとそのままである。 そういうのを山ほど見てきたし、幾度も当事者になってきたからわかるのだが、「唐揚げの最後のひとつを残しちゃうほど平和を愛する民族性」も困ったものである。 日本のサラリーマンが駅でああまでアラレもなく泥酔してしまうのは、そうやってストレスフルな問題を解決してこなかったことと無関係ではあるまい。しかし、諍いを徹底的に回避してきたからこそ、世界最高水準の治安の中、駅でぐっすり眠れるという変なおまけもある。 メジャーリーグには新しく「チャレンジ」という制度が施行されるようになった。審判の判定に疑義がある場合、監督はチャレンジ、つまり挑戦できるのだ。「それはおかしい!」と挑戦の意思を申し出る。 そうすると、ニューヨークにある本部で映像を確認して、改めて裁定が下される。監督の異議が認められると、チャレンジの権利はもう一回残る。しかし、監督が誤っていた場合、その試合で再びチャレンジする権利は与えられない。テクノロジーの進展に伴い、テニスでも同様の制度がある(一セットにつき三回まで)。これがもっと昔からあれば、マッケンローはあれほど木製ラケットをブチ折らなくても済んだかもしれない。 ビジネス界、もしくは学校でも同じ制度を採用すればいいのにと思う。間違った発言がエライ人の口から出たものだから、みんなおかしいと思いつつもその場はスルーしてしまうことはよくあるだろう。 お客様だろうが、社長だろうが、先生であろうが、神様でないことは明らかなのだから、間違いも犯すし、不当な要求もする。 一日中チャレンジばっかりしてくるような、カバン屋のグレッグがブチ切れそうな鬱陶しい人間が出ないように、一日一回(成功すればもう一回)としよう。
  • 「社長、それは間違っています」と言うと、確かにカドが立つ。しかし、「まぁそういった方向で検討しつつ、今後の課題ということで共通の認識を持たせていただき、幅広い視野で状況に対応させていきたいと思います」などと、梅田から難波まで行くのに、JR大阪駅で環状線に乗って、鶴橋で千日前線に乗り換えて行くような回りくどい言い方をしてもなんの意味もないだろう(大阪の人にしかわからない比喩で失礼。いや、大阪の人もわからないかも)。
そういう時は、御堂筋線で一発で行くために、「チャレンジ!」すればいいのではないだろうか。「チャレンジ」という単語が直截すぎるというあくまでも平和主義者のためには「未来にチャレンジ!」とか「明日のためにもっとずっと!」とかなんとか誰も反対しないお口にやさしい言葉を企業ごとに考案したらいいだろう。オレは恥ずかしいからイヤだが。
  • 社長:「今後、経営の効率化のために、従業員は全員、首元にICチップを埋め込んでもらうことにします」
  • 社員:「未来にチャレンジ!」
これなら、社長に挑戦状を叩き付けたことにはならないだろう。あくまでも社の未来のために僭越ながら意見をひとつ申し上げます、程度のソフトランディングが期待できそうだ。それでも、なんとなくウヤムヤのうちに首元にICチップを埋め込まれることになりそうな予感はする……。
  • 社長:「今後、経営の骨太化のために、下請け業者どもをバール状のもので殴打するつもりでブッ叩くように」
  • 社員:「明日のためにもっとずっと!」
ダメだ、ダメだ! もっとずっとガンガンにブッ叩くようにしか聞こえん。 そうだ、意味を曖昧にする常套手段はアルファベット化だ。インポはED、家庭内暴力はDV、ハゲはHAGE、いや違った、AGAだ。 だから、チャレンジは、なんか……「Cコール」とかにしたらどうか。
  • 社長:「今後、経営の自分ゴト化のために、従業員は私以外を全員管理職とします。よって私にだけは残業代がつきますが、私は常に会社のことを考えていますから業務時間は毎日二十四時間とします」
  • 全員:「Cコール!!」
ひとまず、いいだろう。 ちゃんとした会社なら、社内のCコールを吸い上げるために「Cコール委員会」を立ち上げてその傾向をビッグデータ解析するだろう。偽って何度もCコールをブチかます不逞社員が現れないように、「Cコールをした者は、その経緯と結果と見込まれる利益を、規定の書式に従って作成しCコール委員会に提出すること」になるだろう。そして、その回数、頻度、内容の把握をより正確にするために、「Cコールをする者は三営業日前までに事前申請」する規則ができるだろう。 その事前申請は、事前の「ジ」から取って「Gコール」と呼ばれるようになるだろう。やがて、ひとりの役員が「事前はJじゃないのか」と言い出したのと同時期に、セクハラ委員会から「Gコールは『自慰行為』と語感が近すぎる」とクレームがついたダブルパンチを社も看過できず、「Jコール」に改められる。それでもなお、「Jコール、通称Gコール」もしくは「元Gコール」と社内一般には呼ばれるようになる。 どうでしょう。これがニッポンの組織というものです。 どこ委員会に文句を言いに行ったらいいのでしょうか。 今日も心の中で叫びましょう。いや、心の中だけに留めましょう。 せーの、
  • 「シーコール!!」(涙声)。

「二〇〇〇㍍と二〇〇〇㌔の旅(シェア篇)」

  • 4/4回

ポートランドに入ったのは、帰宅ラッシュの最中の午後五時半。高速道路は自動車で埋まっていた。 この町で、僕と旅の供である大谷さん(仮名)と滝下(仮名)は、バブル時代のOLも真っ青のショッピング三昧をすることに決めていた。それがなければ、ポートランドはスルーして、そのままシアトルに向かう手もあったのだ。 旅の計画段階では、オレゴン州ポートランドという名前から、僕もドが付くくらいの田舎を想像していたのだが、近頃ではすっかり街と自然が調和した最先端都市になっているらしい。ひと昔前のサンフランシスコが若者文化の発信地であったように、今やポートランドがその役目を果たしていると雑誌記事に書いてあった。

渋滞を避けるために早めにハイウェイを降りて、まず向かったのはダナーというブーツメイカーのファクトリーストアだった。家に六〇足を眠らせる(たぶん今はもっとある)ブーツマニアである大谷さんのリクエストだ。僕もブーツ愛好家を自認はするが、履くことが好きなのであって、コレクションする趣味はない。その点は僕は彼と志向を異にする。

彼によると、ダナー・ブランドは近年、その経営会社が日本のABCマートに買収され、日本のブーツマニアたちの間ではガッカリなニュースとして話題になったとのことだ。スニーカーの安売り店であるその会社がブランドを弄くることにより、せっかくのダナーがきっと安物ブランドに成り下がるか、変にプレミアム付きの実用重視ではないブーツにされてしまうかファンは危惧している……と、買ったブーツを全然実用しない大谷さんが言っていた。

そんなわけで、彼は日本市場に入ってくる前のダナーをポートランドで買えることを楽しみにしていた。空港に近いファクトリーストアは、工場の一端でアウトレット品をついでに売るといった場所ではなく、広さ、コントロールされた内装と商品陳列、品揃えなど全てレベルが高いのであった。

わからないことは店員ではなく、大谷さんに訊けば済んだ。

  • 「このモデルは××の後継として発売されて、ここの素材が〇〇になっていて、ソールがこうなっているのが特徴です」
  • 「これは日本では発売されていないカラーで、日本には黒と茶の二種類しか入ってきていませんね」
  • 「縫い目がズレていたり、革に少し傷がある、いわゆるB級商品は、ブーツのベロを捲ってみると小さなパンチ穴が開けてあるんですよ」

実際に捲ってみると、確かにそうなっていた。

大谷さんの商品知識に僕と滝下は舌を巻いた。というか、ちょっと畏怖すら抱くレベルだった。

  • 「君、いつでもここで働けるやん」

店ではコーヒーも置いてあり、自由に飲んでよい。寛大な心と、濶大な店舗面積だからこそできることである。 大谷さんと滝下はブーツを手に入れ、満足げであった。特に大谷さんは「ボク、ちょ、ちょっと感動すらしています」と語った。モノでここまで心が動かされる体験というのはそうそうないだろう。何千キロも走って、ここまで来てよかったよなぁ。

その晩は近くのホテルに泊まった。空港に近いのでビジネス客が多いのだろうが、なぜかベッドが三つあるこれまた広い部屋をあてがってもらえて狂喜した。僕と滝下はこの旅で初めて、一人に一つのベッドを得たのだ。

ブーツマニアの次は、カレーマニアのお世話だ。滝下はカレーにうるさい。アメリカに来て以来何日もカレーを食べていないので、事前にカレー屋があることを調べ上げていた。カレー屋と呼ぶには相応しくないオシャレなレストランだったのだが、アメリカにおいて、そんなオリエンタルな食べ物を受け容れる人たちというのは、先進的な考え方で、異文化に許容的な人間が多いからだろう。金曜の夜で込み合っていて、それでいてスーツを着た人など皆無だ。 刈上げ頭の明らかなレズビアンカップル、ヒゲモジャ男、学生なのかアート系職業なのかわからないがそれらしき黒ブチメガネの人、インド系のカップルなどなど。とにかくアメリカン・デブがいない。

カウンターで注文をして席で待つシステムだったが、僕が席で待っていても、大谷さんが戻ってこない。英語での注文に手間取っている様子だったので、見に行くと、彼は困り果て、なんと日本語で注文していた。

  • 「エート、コレト、コレガ、ホシイデス」

そりゃ通じねえよ! もうちょっとがんばろうや……。苦笑して助け舟を出す。 二十七になる滝下は、ビールを頼むとIDの提示を求められた。まぁそうだろうなぁ。若く見えるアジア人の中でも特に滝下は「小型版フォレスト・ガンプ」みたいな見た目だから。 カレーの後は、通りを隔てたバーの屋外席に座り一杯ずつだけ飲んだ。下戸の大谷さんはジンジャーエール

屋外にいるとまたアメリカ人が話しかけてくる。ホームレス支援のタウン紙みたいなものを売るおばあちゃん。「小銭ないか?」と問いかける黒人の若者。英語がわからないフリをして彼をあしらうと、しばらくしてまた戻ってきて今度は「タバコくれないか」と言う。 観念して僕が箱を差し出すと、「二本いいか」。 いいよ。持ってけよ……。なかなか図々しいのだが、それくらいで彼の金曜の晩が救われるのなら善しとすることにした。今さらダメとは言えんしね。

翌日は、街の中央部を切り裂いて流れる河を渡り、ダウンタウンに出てあちこち目当ての店を廻って歩いた。碁盤の目で道が交差する構造だが、西側は上り坂になっている。古い建物と、そこに入る新しい店たちが絶妙なバランスをしていて、小雨が降ったり止んだりの中を歩いても飽きることがない。角を曲がると知ってるアウトドア・ブランドの店が出現したりして、時間がいくらあっても足りないくらいだ。 男三人がキャーキャー言いながらショッピングする姿など書き残しても仕方ないので詳細は省く。

いや、滝下。彼だけはまるで女の子そのもののようなショッピングの仕方で、後半は多少焦れたくらいだ。 とある雑貨店の植物コーナーを、バッグを肘に掛けたスーパーの主婦スタイルで歩く滝下。検疫があって植物は持って帰れないから見ても仕方ないのだが、恨めしそうに飽くことなく見ている。その後、十五分もポストカードをディスプレイした棚の前で動かない。

  • 「お前、いつまでポストカード見とんねん」

すでに外でタバコ二本吸い終わって、さらに通りがかりのアメリカ人二名に一本ずつせびり取られた僕は痺れを切らして声をかけた。

  • 「あ、すんません。これ、すごくこだわってて、活版印刷なんですよ」

知らんがな。申し訳ないけど、知らんがな。 広告のアート・ディレクターとしては彼は見どころのある若者なのだ。ただし、僕の仕事をカバーしてくれるどころか、僕の旅について来た。

ダウンタウンで各人あれこれ買い込んで、町はずれにあるラングリッツ・レザースを訪ねた。老舗の革ジャンブランドで、今でも家族経営を堅持し、一日最大六着しか作らないそうだ。日本で買うと、新品なら平気で二、三〇万円もする。もちろんこれも、大谷さん情報。

  • 「そんな値段なんで、買うつもりはないです。ちょっと見られればそれでいいので」

大谷さんがそう言うので、シアトルへと発つ前に立ち寄ってみたのだ。 ブランド名が書かれていなければ雑貨屋か小さな食料品店にしか見えない白い壁の店舗兼工房の前に立つと、ドアを開けるのにちょっと勇気がいる。そんな頑固な会社だから、ひやかしのアジア人客など相手にもしてもらえないのではないだろうか。ヒゲ面のバイカーたちが集っていておっかなかったりするのではないだろうか。 果たして、中にはオールバックで腕中タトゥーだらけのショーン・ペンみたいな男性店員と、マネージャーか社長なのか、白髪の壮年男性がいた。 怖々挨拶を交わすと、ショーン・ペンが言う。

  • 「コーヒーかコーラいるか?」

僕たちはちょっと顔を見合わせてしまった。「ゆっくりしていけや」なのか、「すぐには帰さないぞ」なのか、どういうつもりなのか……。 コーヒーを頼むと、ラングリッツのロゴ入りのマグカップで出してくれて、店舗内を説明してくれた。

  • 「こっちが中古品で、こっちが女性モノ。あっちが新品だ」

中古品の陳列だけでかなり充実していて、正直、これだけで充分見応えがある。思い返せば、僕は新品の方は見もしなかった。 着てみると僕も大谷さんも、興奮を抑えられなかった。白髪の方が、革ジャンを試着する大谷さんに奥からあれこれ出してきてくれる。威厳すら放つ分厚い皮革の光沢と、シンプルで堅牢な造りが、そこらの凡百の革ジャンとは別格であることを主張している。 日本製の繊細さもなければ、ヨーロッパモノのデザイン性もない。アメリカ独特の全体に漂う「ダサさ」。「これがまたいいんですよねー」と、大谷さんと語り合う。

結局、サイズの丁度よい革ジャンに出合ってしまい、購入を決断するに至り冷や汗だか脂汗だかでビッショリしている大谷さんの興奮に呑まれ、僕もレザーヴェストを買った。支払いをしていると、ショーン・ペンが手入れ用のオイルローションとラングリッツのステッカーを付けてくれた。 大谷さんが僕に請う。

  • 「『僕は十八才の頃からラングリッツを知っていて、二十年間憧れていました。今日、ここで買えてとてもうれしいです』と伝えてください」

僕がそれを伝えると、ショーン・ペンも白髪も「おぉ、そうか! それはうれしいな」と、ステッカーをさらに束で出してきて僕らにくれた。こういう率直で心のこもった会話が日本のどれだけの店でできるだろう。バイトのコに言っても「はぁ……」で終わりそうではないか。こんななにげないやり取りだけでも、アメリカまで来てお金を落とす意味があろうというものだ。僕たちが払ったのは決して小さな金額ではない。しかし、それは革ジャンのみならず、こういった経験に払ったのであるから、全く惜しくはない。

ラングリッツ店舗のカウンターには、こういう文言がプレートで表示してあった。

  • "The bitterness of poor quality remains long after the sweetness of low price is forgotten."

つまりこうだ。「品質が悪かったことの苦い経験は、価格が安かったことの甘い思いが忘れ去られた後も、ずっと長く残るものだぜ」 良いモノは高いのが原理だ。モノだけを見ずに、それを作る人に思い致し、彼ら彼女らに対してお金と共に敬意を払うことを忘れずにいたいものだ。

充足感と虚脱感に襲われながら、予約していたシアトルのアパートメントに辿り着いた時には、夜九時になっていた。

メシにありつこうと、夜のダウンタウンでバーに入ると、フードはすでに終了したとのこと。仕方なく一杯だけ飲む。 シアトルも多分に洩れず、あらゆる建物が禁煙。しかも、「入口から(確か)十フィート(三〇メートル)離れて吸え」という。山の中でウンチするのと同様の厳しさだ。つまり、タバコはウンコ扱いなのだ。 仕方ないから道端で独り一服していると、またもやアメリカ人に話しかけられる。まずは黒人の大男。小銭を求められたが、コインも一ドル紙幣も本当になかったので断った。すると、次は、どう見ても浮浪者の黒人じいさんがやって来た。

  • 「シアトルの夜をお楽しみですか?」

なんだか拍子抜けするほど礼儀が正しい。

  • 「私の名前は、デイビッド・キングスレーといいます。あなたはどこから来たのですか? シアトルにはどれくらい滞在されるのですか?」
  • などと上機嫌に話しかけてきて、握手を求めてくる。正直に言わせてもらうと、これから食事するのに、浮浪者であろうじいさんの手は握りたくなかったのだが、礼儀としてそのカサついた手を握って、しばらく会話に付き合った。すると、
  • 「えー……、ところで、小銭はお持ちではないですか?」
  • ときた。やっぱりね。

僕がまた「悪いけど、本当にないんだ」と伝えると、「シーット」とつぶやいて立ち去っていった。あの手、この手である。

シアトルでの翌朝は、ゆっくりと荷物整理や洗濯をした。丸々遊べる最終日のこの日はまずフィルソンに向かった。僕にとっては三度目の訪問になるアメリカを代表する、歴史あるアウトドア・ブランドの本店だ。アウトドアといっても、昔で言う金鉱掘りや木こり、今で言えばキャンピング、フィッシング、ハンティングだから、店舗内も日本で想像されるようなカラフルさはない。しかし、鹿の頭が壁に掛けてあり、暖炉があり、ウッド調の落ち着いたアメリカン・ホームを思わせる上品な内装だ。

僕は実は、事前にここに自分のカバンを送ってあった。何年も愛用していたトートバッグが縫い目から避けて、外ポケットが使えなくなっていたのだ。だから、「修理してほしい」と手紙を添えて送ったのだ。メールが来て「あなたのバッグを検査しましたが、我々としては、修理よりも『交換』をおススメします。それでもよいですか?」と言ってきた。 僕はもちろん即答で「構いません」と返信したのだが、その後にオーダー記録用紙が価格も明記されて送信されてきたので、その「交換」が無償なのか、単に「もう一つ買った」ことになっているのか分からなかったのだ。

  • 「トートを引き取りに来た者ですけど……」
  • と尋ねると、男性店員がほどなくして奥から新品を出してきて、当然のように請求はしてこなかった。

どういうことなんだろうね。うれしいと同時に、考え込んでしまう。何年も使い込んだカバンを、新品に無償交換ですよ? これが、アメリカで「一生モノ」を標榜する企業の鷹揚さなのだなぁ。

夜はシアトルマリナーズの野球観戦をした。野球にほとんど、というか、全く興味のない大谷さんと滝下も、ボールパークの開放的な雰囲気を大いに楽しんだ様子だ。それぞれマリナーズの帽子を被り、巨大なホットドッグにかぶりついた。 夜九時半前に球場を後にし、日本酒バー「sakenomi」に向かった。二〇一一年に訪れ、再訪を約束して去った場所だ。(二〇一一年八月号ご参照)。

長くて濃密な旅の締めくくりとしては、これ以上求めようがない幸福感に満ち溢れた晩だった。店のジョニーさんともまた話せてうれしかった。それにしても、大ぶりの湯呑になみなみと注がれた日本酒二杯で、僕はわけがわからないほど酔ってしまった。

覚えているのは、最後に出合ったちょっと素敵な出来事だ。 帰り道に、お土産のためアメリカのビールを数本買おうと、コンビニに立ち寄った。すると六本セットしか売っていなくて、それだと十ドルと少しする。ふと見ると、僕たちの脇に同じように思案顔の黒人男性がいる。そこで、僕たちは彼と金を出し合って六本を分けることにしたのだ。 支払いをして、彼に二本渡すと、「二ドルしか出してないのに、いいのかい?」と言う。

  • 「いいんだよ。心配無用」

どうせ、バックパックにそんなに詰められないのだから。 しばしお喋りした後、彼は缶ビールを二本手にして、うれしそうに歩いていった。

コンビニに入る前に、やはりタバコをせびってきた白人男性は「いくら払えばいい?」と小銭を出した。

  • 「タダだよ」

ポートランドでの男性は、タバコ一本のために、僕にクウォーター硬貨を三枚も握らせた。七十五セントだ。僕はしばらく歩いた先にいた物乞いの老婆にそれを渡した。

アメリカには、かように困窮した人たちがたくさんいる。この国の根幹に深々と突き刺さって抜くことができない毒矢は、富そのものではなく、その分配の問題だ。もちろん、僕に何の助けなどできないのだが、小銭やタバコくらいならシェアしたらいい。 僕たちに一生モノの頑丈な製品と、一生モノの経験を与えてくれたアメリカに、多少なりとものお礼のつもりだ。

いい旅でした。熊に喰われることもなく二〇〇〇メートルの山にも登ったし、畑さん(仮名)という新しい友人ができたし、二〇〇〇キロ運転して買い物もたくさんしたし、野球も観て、三年ぶりにアメリカ西海岸で日本酒を味わうという粋な宵を過ごした。 僕個人としては、大谷さんや滝下に、僕が人生の一時期を暮らし、僕の一部分を置いてきてあるアメリカという国を見せることができたことが何よりよかった。二〇一一年にカナダをソロハイクした時に、あの絶景を僕がどんなに大谷さんとシェアしたかったか!(二〇一一年八月号ご参照) 「いつかやろうぜ」のうちのいくつかをいっぺんにクリアしました。でも、まだいくらでも思いつくよ。次は何する? どこ行く、兄弟?