月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「二〇〇〇㍍と二〇〇〇㌔の旅(SF篇)」

  • 1/4回
その晩僕は、山仲間であり、親友と呼んでなんの差支えもない大谷さん(仮名)をバーに呼び出し、こう問うたのだ。
  • 「大谷さんよ、あそこにいつか行きたいねとか、いつかあれしようよ、と今まで話してきたことをね、そろそろ一つひとつ実現していかなくちゃいけない時期だと思うんだ。だって、僕ら、もうすぐ四〇だぜ」
これまで僕たち二人が話してきたことは色々あるが、それらのほとんどは「アメリカの旅」に収斂できる。 以前に僕は、彼に提案していた。
  • 「アメリカを旅するなら三つくらいのプランが思い浮かぶんだ」
  • 一、ジョン・ミューア・トレイルに代表されるアメリカのトレイルを往くハイキング。
  • 二、どこかブーツメイカーの本拠地を訪ねて買いに行く。僕らは二人ともモーターサイクル乗りでアウトドアマンなのでブーツには目がない。
  • 三、横断でも縦断でもいいので、ロングドライブして雄大な景色を目にする。
  • 「どれでもいいから、行こうや」
決断を迫った僕に、大谷さんは数秒の沈黙ののちに答えた。
  • 「……行きます。行きましょう」
よくぞ決断してくれた。数年前に結婚したこの人は、まだ新婚旅行にすら行っていないというのに。 それから僕は旅の計画を進め、幸運なことに上記3つの全てを網羅するよくできたプランが組み上がった。 サンフランシスコ(SF)から入国し、レンタカーでヨセミテ国立公園に入り、ハイキングからのテント泊。 公園を出てからロングドライブで北上し、オレゴン州ポートランドに立ち寄り、最後はワシントン州シアトルでメジャーリーグ観戦をする。 ポートランドは、ナイキの本社がある中都市で、Columbia、Pendleton、KEENなどのスポーツブランド、Danner、WESCOといったブーツメイカー、Langlitz Leathersを初めとするレザーブランドがあるのだ。僕にとっては三度目の訪問になるシアトルには、アウトドアウェアのFILSON、漁やヨットなどの海での作業用帽子から生まれたアウトドアアパレルのKAVUがある。 もうええねん。いっぺんで全部やったるわい! 準備としては、ヨセミテ公園でのハイキングがまずはやっかいだ。公園というと井の頭公園みたいなものを想像されるかもしれないが、これは広大な面積を持つ自然保護区域だ。日をまたぐキャンピングやハイキングには許可申請が要るのだ。決してわかりやすくはない本国のサイトで情報を得て、「いつから」「どこで」「何人で」「いつまで」滞在するのかFAXで申請をすると、後日メールで回答がくる仕組みになっている。キャンプ場にはそれぞれ定員があり、その半分は予約可能、半分は早い者勝ちだという。そして予約申請は約半年前から受け付けることになっている。 本当はジョン・ミューア・トレイル(JMT)の一部を歩くつもりだった。JMTとは、ヨセミテ内のトレイルヘッド(入口)からマウント・ホイットニーまでおよそ三四〇キロ続く自然歩道のことだ。日本には故加藤則芳さんが紹介したことで知られる。加藤さんについては十三年五月号をご参照。
しかし、人気の高いそのトレイルに続くキャンプ場は、申請した時点ですでに満杯で却下の連絡がすぐに来た。一計を講じて、僕はヘッチーヘッチーというマイナーなエリアを選び、そこから登れるスミス・ピークという山を登ることを選んだ。ようやく申請内容が許可された。
あとは、航空券、レンタカー、わかっている日と場所の宿泊施設の予約を次々に決めていく。
だいたい準備が整ったところで、仕事の方も段取りをしておかなくてはいけない。その時の僕はしんどい仕事をどっぷりとやっていて、正直、神経をかなり擦り減らしていて肉体的にも精神的にも疲弊の度合いが激しかった。二〇一一年にカナダのトレイルをソロハイクした時にも似たような状況だったと自分で書いているが(十一年七月号ご参照)、なぜだか旅の神様はそういう時ほどそっと手を差し伸べてくれる。
僕は一緒に仕事をしている後輩の滝下くん(仮名)を、大谷さんの時と同じようにバーに呼び出した。僕は、カウンターに並んで座った彼の方に体を向けた。
  • 「あのな、六月の○○日から○○日まで、オレはアメリカを旅してくるから、キミ、仕事の方は頼むぞ」
滝下。この男は、僕の意図をまったく酌まなかった。
  • 「えっ! ボクも行きたいです!」
大体、この男は普段から物事を深く考えない。別のある晩、僕がメシに誘うと、彼はこう言って断った。
  • 「今夜は打ち上げがあるんです」
  • 「へぇー、なんの打ち上げ?」
  • 「わかりません!」
なんの打ち上げか自分でも知らずにとにかく参加する人間を、僕は初めて見た。
キビ団子を差し出された猿のようにキラキラした目をした滝下を、僕は断ることはできなかった。だって、上記のような複雑で準備の面倒な外国旅行など、この男が自分で計画できるわけがないからだ。つまり、今回僕が彼を残していくということは、彼から一生に一度のチャンスを奪ってしまうことになるのだ。
そんなわけで、今回もなんだかわからずに参加を表明した滝下を加えて、旅の道連れは二名、合計男三人の旅に相成った。
サンフランシスコ空港でレンタカーを受け取る。Chevrolet Tahoeというドデカイ車だ。五三〇〇ccV8エンジンの、僕らからしたらバケモノ。しかし、レンタカー屋のおっさんは「もう一〇〇ドル足したらさらに大きいのに替えられるよ」と、それこそ大きなお世話を提案した。いらん。すでにデカい。
僕の運転で空港を出て、まず目指すべきはREIだ。これはアメリカの大型アウトドアストアで、大概のものはここで揃う。僕と大谷さんはそこで料理用バーナーの燃料と行動食の一部、滝下はなんと、テント・寝袋・マットをここで調達する必要があったのだ。
ヘッチーヘッチーからスミス・ピークを登るのに不可欠なアイテムを現地調達するのはちょっとリスクがあったが、我々は、きっとアメリカの方が安いし品揃えが豊富なはずだと踏んだのだ。
この判断に間違いはなかった。マットだけで何十種類もあり、試用品が床に並べてある。マットというのは、テントの中で敷いて、その上に寝袋をセットしないと地面に体温を奪われて眠れなくなるから必須である。折り畳み式のものは安価だが嵩張り、空気で膨らむタイプは小さくまとまるが一般に高価である。滝下は後者を選んだ。
それにしても、あんなに分厚いマットを日本で見たことがない。山の中でもフカフカのマットで寝ようというアメリカ人のアホさというか、楽チン主義の徹底ぶりを垣間見たようで微笑ましい。
寝袋もたくさん吊り下げてある商品の中から選ぶのだが、ここはひとつ現地の店員さんの助けを借りよう。僕がひとつ薄めの寝袋に目星を付けて、ヨセミテで使うのに適しているかどうか尋ねてみた。この旅で、英語がまともにできるのは僕だけだ。
店員さん曰く、
  • 「これは薄いよ。友達の家のカウチで寝る時に使うやつだ」
  • と言う。ほんまか。友達の家のカウチなら、毛布でいいだろ。特に白人のあなた方は、大概寒くてもTシャツと短パンじゃないか。
だから、僕はこれを滝下に訳さなかった。
  • 「これでええやろ」
テントは、大谷さんが羨ましがるほどの、初心者にはもったいない軽量なモデルを選択し、皆それぞれ必要なものを手にレジに並ぶ。僕は先に支払いを済ませて、店の外で袋を下げて待っていた。すると、大谷さんが、四つほどのアイテムを両腕に抱えて出てきた。
  • 「英語、速すぎて何言ってるかわからん!」
きっと、「袋は要るかい?」と訊かれているのがわからずに、テキトーにNOと答えたのだろう。アメリカ人は外国人にまったく手加減しないからなぁ。
サンフランシスコのダウンタウンで昼食を摂り、滝下が行きたがったリーバイス・プラザに立ち寄る。ここはリーバイスの本社であり、ちょっとしたミュージアムになっている。
憧れの場所に来られて機嫌のいい滝下と、同じくリーバイス・ファンである大谷さんの喜ぶ様子に、僕もうれしい。
さて、まだ初日なのだが、ここからおよそ一三〇マイル(二〇八キロ)離れたソノラという町のモーテルに向かう。
事前にアメリカ地図を見すぎて、ソノラなどSFの町はずれ程度に考えていて、しかも頭の中でマイルとキロの観念がごっちゃになっていたようで、この距離を甘く見ていたきらいがある。軽食と水などの買い物を含めて四時間かかり、夜十時に到着。
山に持って入る荷物と車に残す荷物を分けたり、行動色を準備したりして、深夜に就寝。ツインの部屋なので、僕と滝下が同じベッドに入った。
  • 「お前、せっかく買ったマットと寝袋を試して床で寝ろよー」などとからかったが、疲労と時差ボケですぐに寝入ったのでなにも気にならなかった。
空港に着いたのが今朝というのが信じられないくらいの、長い初日であった。
しかし、二〇〇〇メートルの山と、二〇〇〇キロの運転の旅はまだなにも始まっていなかったのである。

「ルールブック、読んだか?」

珍しく会社の先輩から昼食に誘われた。基本的には一人で考え事をしながら食べるのが好きなのだが、誘われたからには断らないようにしている。 で、ついて行ってみると部署の女性も一人来た。なんのことはない。元々、その先輩と後輩一名とその女性とで行く予定だったのだが、後輩がドタキャンしたので二人きりもナンだからとピンチヒッターとして僕に声をかけたのだ。まぁよい。女性と昼メシ食べながら話す機会も少ないのでたまには新鮮である。

せっかくだから若い女性の恋バナでも聞いてみることにしよう。昼間から恋バナ、いいではないか。夜になると恋の相談とかいいながらすでに己のパンツ脱ぎかかっているというのがよくある話だが、山盛りの鶏の唐揚げを目の前にしていればまったく異なる状況になる。

大体な、恋バナをセクハラとか言い始めたら、我々なんかまったくの無口だろう。向こうも大いに興味のある事柄で、こっちもそれくらいしか共通の話題なんか見込めないのだから仕方ないではないか。集団的自衛権の話とか、今日の日経平均とか、ブーツのミッドソールの話とか、聞きたいですか? でしょ? 淋しいことだ。わしゃ、いつからそんなにおっさんになったか。

それに最近は若い男性の恋しない病の方が重篤で、知り合って以来何年もカノジョいたとこ見たことない、という若者を僕は何人も知っている。心配な僕は男の後輩にだって、「カノジョできたか?」と訊くことがある。

女とも恋の話、男とも恋の話。食欲、睡眠欲、性欲と言ったって、「君、昨日何食べた?」とか「昨夜はよく眠れたか?」なんか訊いてどうする。おかんじゃあるまいし。 恋の話はそれだけ共有する価値の高い話題なのだから仕方ないどころか、それが自然なのだ。

その女性、ユウちゃん(仮名)は「最近、いい感じの人がいるんです~」と言う。若いと言っても彼女はもう三〇目前だ。そりゃいい感じの一人や二人いなくては困るだろう。

「ほぉー、よかったやん」 僕と先輩は同時に言った。 男同士なら、次の言葉は「で、やったん? やったん?」だろう。

男女平等の現代社会とは言いつつも、相手は妙齢の女性だ。僕は表現には細心の注意を払ったのだ。

「で、抱かれたん?」

これが考えうる最大で細心の注意だった。

ユウちゃんは手を顔の前でブンブン振って大きな声を出した。 「何言ってるんですか! そんなわけないじゃないですか!」

どんなわけがないというのだ。抱かれる以外に他にすることがあるのだろうか。

「デート何回したんや?」

「六回です」

「ロッカイー!?」

男二人はまた同時にのけぞった。

「キミなぁー……」、僕がそう言おうと思った矢先、先輩が唐揚げから一旦箸を置き、その先を引き取った。 「キミな、ルールブック読んどんか?」

キョトンとした彼女を差し置いて先輩は続けた。

「食事一回でスタンプ一つ。もう一回行ったらもう一つ。四つ貯まったらエッチなことするチャンスがもらえるねん」

「そんなの聞いたことないです」

「だから! それはルールブックを読んでへんからや。ええか……」

この先はこうだ。 スタンプ四つでワンチャンス。 気分次第でダブルスタンプキャンペーンを実施。 四つ目以降はスタンプごとにチャンス到来。 有効期間は一ヶ月間で、ご来店ごとに自動更新。

先輩はもう一度念を押した。

「ルールブックに書いてある」

それはあたかも、「世界では一年で六万平方キロメートルの土地が砂漠化していっている」という冷たい事実を告げるかのような言い方であった。

ユウちゃんは先輩の勢いに気圧されながらつぶやいた。

「そ、そうなんですか……」

そうなんですよ。大人、といっても二十代の間に知らなくてはいけないルール集だ。キミは確か、まだギリギリ二十代だったな。今日、我々と昼メシを食べに来られて本当によかったな。一歩間違えば取り返しのつかないことになっていたかもしれんな。でも、今ならまだ間に合う。

見方を変えれば、ノーチャンスなのにもかかわらず六回もデートをしてはいけないのだ。これもルールブックに書いてある。 なぜなら、

「キミ、『いい感じの人』て言うたやないか」

ということだ。いい感じの人に六回もメシを奢らせてはいけないのだ。もっと言えば、本当にいい感じかどうかなんて、実際はもっといい感じのことをしてみないとわかりゃしないではないか。

先輩はその昼メシの間中、アルコールも入っていないのに色々思い切ったことを言っていた。

「今頃その彼氏は六回分のデート代を計算して『……風俗行けたな』とか思とるで」

とか、

「クライアントがな、『打合せしたい。ちょっと大きな話で』と呼ぶから喜び勇んで電車乗って行ってみたら、昨夜、阪神マートンのホームランがいかに大きかったかばかり話して帰されたらどう思う?」

とか、

「君は犯人もわからないまま連続ドラマが第八十六回を迎えても見続けるか? 船越も怒るで!」

とか、

「お互いに襟と袖を取って組み合ったのに向こうがよう来-へんのやったら、こっちから仕掛けんと試合は動かん! モタモタしてたら審判から指導が入るぞ!」

などと、畳を叩かん勢いで合ってるのか合ってないのかすらどうでもいい喩えを繰り出していた。

いや、微妙に今、僕はウソを混ぜた。

とにかく先輩の言うことを代弁して短くまとめると、我々はいい国のいい時代に生まれたのだ。場所によっては現代においても、女性はブルカで肌を隠さなくてはいけないとか、結婚相手は親が決めるとか、ナニをアレするとか人権を侵害し、倫理に悖るしきたりに縛られているのだよ。

日本では待ってる必要などなにもないのだ。お互いに「いい感じ」だと思うのなら、それをコミュニケーションしなさい。インタラクティブ・コミュニケーションをしなさい。

そして、言っておくが、男というのは教養があればあるほど脆いのだ。傷付きやすいのだ。斬新なルポルタージュで一時代を拓き、文壇一モテたのモテないのという噂の沢木耕太郎さんが「ナンパとかしたことあるか」と訊かれて、こんなふうに答えている。

「ないですよ。『なにアンタ』って感じで相手にされなかったら立ち直れないじゃないですか」

拒絶が平気な男なんてそれしきの心しか持っていないのだ。対象もそれ程度の相手としか見られていないのだ。

その彼はきっと、繊細な今時の若者なのだろう。だから、次回のデートの際には、ユウちゃんの方から口火を切ってあげてほしい。 なんて言えばいいかわからないって? そりゃそうだろう。だからそんな時に使ってほしくて、先輩や僕は重大な情報をリークしたのではないか。

「あのね、ルールブックに書いてあったの……」

「え、なに?」

「ナオトくん、ルールブック知らないの?」

グッドラック。よい報告を待つ。 報告は詳細であれば詳細であるほどいいぞ。

「おばあちゃんの勲章」

祖母が亡くなった。享年九十九。これで僕の祖父母はみな冥途へと旅立ってしまった。 おばあちゃんは十年くらい前からボケが始まり、孫の僕らはおろか、最後の数年は自分の息子や嫁たちのことも認識しなくなった。だから、その次男である僕の父親が七年前に亡くなった時も、そのことは伝えずにいた。言ったところで数分後には忘れ、もしかしたら同じ質問をしてきて、何度も悲しみを繰り返すことになるかもしれないからだ。

僕にとっては、おばあちゃんは彼女の心の中から僕のことや思い出を喪失してしまった時点で死んでしまったようなものだった。だから、葬儀場に向かう車の中では、僕は悲しい気持ちは持っていなかった。僕だったら、僕が死んだら何人かには泣いてもらいたいかなぁ、などとぼんやり思っていたくらいだ。それについて罪悪感は感じないでもなかった。 だから、せめてその日一日はおばあちゃんのことを考えてあれこれ思うことにした。

おばあちゃんに関する笑い話は尽きない。東京で生まれ育った僕にとって、西宮(兵庫県)のおばあちゃんは「トボけた関西のおばあちゃん」だった。

子供の頃、家族でおばあちゃんを訪ねた時に、庭先の花壇にあった小さな看板に兄弟みんなで大笑いした。そこには粗雑な手書き文字でこう書いてあった。

  • 「犬のフンをささないでください」

「させる」を「さす」というのは関西弁で、東京育ちの僕らからしたらそれは「犬のフンを刺さないでください」としか読めなかったのだ。カッチカチの犬のウ○コを花壇にわざわざ突き刺すことに聞こえるのだ。子供はそんなウ○コネタには大喜びだ。 甲子園球場の歓声が聞こえてくる距離にある家だったので、中学・高校の夏休みには友人を誘って高校野球の観戦に、おばあちゃんのうちに遊びに行った。そこから大阪にも出かけたっけ。

  • 「おばあちゃん、大阪の○○ってどうやって行けばいいの?」
  • 「梅田まで出て、地下鉄ちゃうかな。あのあたりでな、前に人が死んだんやで」
  • 「えっ? マジで」
  • 「木ぃにヒモ吊るしてな、首括ってん……」
  • 「えぇー! それいつごろ?」

今から向かう大阪の街がにわかに気味悪くなって僕は訊いた。

  • 「んー、……四十年くらい前や」

僕は吉本新喜劇くらいズッコケたものだ。

成人したのちの学生の頃に一人で泊まりに行くと、僕は一階の和室で寝ることになった。おばあちゃんが二階から布団を用意してくれるので、僕はせっせとそれを一階に下ろした。 季節は初秋だったろうか、僕は寒がりでもないので、そんなに多くの寝具は必要ではなかった。一階に持って降りるのもそれなりに骨が折れたし、最小限にしたかった。 だけどおばあちゃんは「これも持っていけ」「あれも要るで」と主張し、「もういいって」と断る僕のことも聞かなかった。僕は仕方なく、重たい寝具を抱えて階段を何度も往復した。

汗が滲んだ頃、全て敷き終わって布団を見ると、かなりこんもりと盛り上がっていた。 それを見たおばあちゃんは、

  • 「あんた……、これ暑ないか?」
  • 「おばあちゃんが持ってけ言うから!」

再び、吉本新喜劇だ。

鶏肉のことを関西の古い人間は「かしわ」ということを知ったのもその晩だった。

  • 「晩ごはん、カシワしかないけどええか?」
  • と言われて、僕は晩メシに「柏餅」を食べさせられるのかと思った。おかしいとは思ったけど、和菓子は好物だし、おばあちゃんちにそれしかないと言うんだから、まぁいいかと思うしかなかった。

結局、作ってくれたのは鶏の唐揚げで、ようやくカシワの意味を知ったのだった。 その際、醤油差しに中身が少なくなってて足りないことを伝えると、おばあちゃんはそれに水を入れてカサを増そうとした。

  • 「いや、おばあちゃん! もういいよ!」
  • と僕は慌てて阻止した。今思えば、戦後の物資が少ない時代を生き抜いた人からすれば、醤油が少なければ水を足してしまうことくらい何でもないことだったのだろう。

だって、九十九才ということは、敗戦の時にすでに三〇才だ。 しかも、食べ盛りの息子が三人もいて、あの生き難き時代をいかに生き抜いたのかは、恵まれた我々には想像するに余りある。

しかも、おばあちゃんは若くして夫を亡くし、保険会社に勤めながら女手ひとつで息子たちを育て上げた。六十年余りも未亡人として生きた。未亡人、つまり「未だ亡くなっていない人」という日本語も酷い表現だけど。 僕の父親はだから、自分の父親の顔を覚えていないという。生きている頃そう言っていた。「片親」という当時の表現をあえて遣うが、それで就職の際などに理不尽な扱いを受けることもあったようだ。詳しくは語ってもらったことはなかったけど。

おばあちゃんからも、そう言えば、子育て時代の苦労話などは直接に聞いたことはなかった。昔の人間というのはそういうところがある。色んなことがあっても、黙して語らず、すべきをして生きていたように、僕の目には映る。

僕からしたら、おばあちゃんは記憶にある限りおばあちゃんだったので、元々おばあちゃんだったかのような錯覚すら覚えるが、当然そうではなかったわけで。若い頃の話なんかを元気なうちにもっと聞かせてもらえばよかったと、今さらながら後悔が胸に小さな穴をあける。

昨日の通夜は、全体としてしめやかというより和やかで、「おばあちゃんのどの写真見ても、いっつもなんか食べとんなぁ」とか「おばあちゃんの家に駐車場がないから、車で訪ねた時に不便だと言ったら、川沿いの道を指さして路駐させんのよ」とか、「そのくせ、私が運転する車には乗りよんねん」とか、みんなでおばあちゃんの思い出話をしては笑っていた。

帰り道に運転をしながら、ひとつわかったことがある。 僕が死んでも、誰も泣いてくれなくたっていい。人を悲しませるためにここまで生きているわけではない。 みんなに微笑んで送ってもらえるというのは、九十九まで生きたからこその、おばあちゃんの特権だったのだ。死ぬ時に誰も泣かせないというのは、これだけ生き切った者だけに与えられる勲章のようなものなのである。老衰という死因は、なによりもカッコいいじゃないか……。

長い人生を、大変おつかれさまでした。おばあちゃんがしてくれたことすべてに、ここまで生きてくれたことに、ありがとね。

「三年ぶり(二十七度目)の思考停止」

東日本大震災から三年。テレビや新聞では特集が組まれていたけど、一瞬の盛り上がりを見せてまた静かになった。まるで十二月二十五日が過ぎたらクリスマスツリーを大急ぎで片付け、クリスマスのことは一切話さない日本特有の変わり身の早さを見るようだ。ちなみに他の国では、ツリーもしばらく出しっぱなしだ。
被災者の人たちはあれからずっと続きを生きているし、被災地も復興したとは言い難い。根気よく支援活動を継続している各方面の人々もいる中で、なにもしていない私が何事かを言うのはおこがましいが、自分なりに振り返っておこうと思う。
僕は震災直後の二〇一一年四月に、ここのコラムで「首都機能の分散」と「脱原発」について、その両方ともに悲観的な見方を示した。
  • 【月刊ショータ11年4月号 「願うが、きっとそうはならない」】
  • http://goo.gl/kNZmD9
ここで振り返ってみてどうだろう。予想は当たったと言わざるを得ない。「ほら言ったろ」などとしたり顔するつもりはない。悲しい気持ちだけがある。
自ら上記のコラムを再読してみた。
これらの主張の中で、なにかしらの動きがあったものと言えば、大阪証券取引所の東京への統合くらいだろうか。二〇一三年七月に株式取引が東証に統一され、大阪は今月、デリバティブ金融派生商品)などを扱う大阪取引所として名称を改めた。
しかしこれは、効率化や合理化の論理で進められた施策であって、機能の分散どころか、それとは逆方向のものである。
そうこうしている間にオリンピックの東京開催も決まった。これから益々東京への一極集中が進むと思うと、この社会の今後を憂う気持ちになってしまう。
首都機能の分散、まったくのないがしろである。
一方、脱原発の方はといえば、日本の世論を二分してしまった。もっと言えば、国民を二分してしまった。さらに言うなら、原発存置派と反原発勢力の間にいる(たとえば僕のような)人たちを黙らせてしまった。これはどちらかと言えば、いわゆる「放射脳」と揶揄されるヒステリックな人たち、パニックを起こしている人たち、脱原発を利用して反社会的なプロパガンダを広めたい人たちによって、圧力をかけられたり、そうされるのではないかという恐怖を与えることで沈黙を余儀なくされたと言っていいと思う。SNSで顕著だ。
自然エネルギーが全然頼りにならないことは明らかになっていて、正直、再生可能エネルギーの現在の雄である太陽光パネルを何百万枚並べても、原発の代わりにはならない。風力発電は日本の国土に向かない。その他の新技術によるエネルギーも、希望はあるけど現段階では実用性はない。
現時点で、日本において稼働している原発はないが、代わりに火力発電をフル稼働しているから、莫大な国富が油になって燃やされている。だから電気料金は上がる一方。これをもって「日本は原発なしでも大丈夫」と結論付けるのはなにかを歪めているように思えて仕方ない。
原発事故に関連した放射線問題に関して、一番ややこしくしているのは「何が本当かわからない」点に尽きる。ある言説があると、必ずそれを反証する論が表出して、そしてまたそれをも覆す説が提出される。ナントカ大教授とかナンタラ研究所主任などという、頭のいい人たちがやり合っているのだから、わしら凡人にわかるわきゃあねえ、と僕などは三年ぶりの思考停止だ。
それでも、素人にも除染などというものがやり切れるわけがないということくらいはわかる。同時に、もうひとつ言えることは、原発と無関係の震災ガレキや、東日本の農産物に異常としか言えない反応を示した者たちが、後世にどのように記憶されるかだ。
現在世界には原発を製造できるメーカーは八社。うち三社が日本企業だ。日本が脱原発できたらメデタイことだが、スッキリはしない。それをしたところで、世界中の国々は引き続き原発を造り続けるからだ。だから安全保障的にはあんまり機能していないのではないか。日本の技術は維持、研鑽しないとメイド・イン・チャイナの原発が溢れて、どこかでもっともっと悲惨な大事故を起こさないとも限らない。というか、それは想像に容易いだろう。その時にまだ人類が残っているなら、事故の経験のある日本が力になれることはあろうし、求められる国でありたいと思う。
永久に解決はできないことを知るべきではないのだろうか。白黒つけられるような問題ではないのだ。だから「続けるも地獄、やめるも地獄」の悪魔の技術なのだ。
これまた予測するが、日本は脱原発はできない。原発、火力発電、あらゆる再生可能エネルギーの全張りでいくしかないのだ。新エネルギーの革新で全てワッショイにならない限り、ちまちまと誤魔化してやっていくしかないのだが、その日よりも人類滅亡の日の方が早いのかどうか競争だ。
どうしてもスッキリしたいなら死ぬしかないのだろう。ドゥームズデイの予言にビビッて集団自殺するカルト団体のように。生きている限りはドロドロの汚泥の中に胸まで浸かって、いつ死んでもいいと心のどこかで決意を握りしめつつも、今日の晩メシなに食べようか考えるような人生を送るしかないのだ。
私は明日も張り切って、クソの中で生きようと思う。

「演技する競技はスポーツか」

ソチオリンピックが終わって、なんだか「おつかれさん」感が世の中に漂っている。とはいっても、パラリンピックはこれから始まるので、奇麗事でなく、ちゃんと放送なり解説なりしてほしいなぁと思う。 前回のロンドン大会の時の英国のテレビ局が行なったパラリンピックの番宣広告コピーが「Meet the Superhumans」というもので、僕はコピーライターとしてこれは秀逸なコピーだと思った。人の見方を一八〇度変える言葉だと感銘を受けた。

今回の冬期ゲームは僕は熱心に観ていたわけではない。冬季スポーツに個人的になじみが薄いのと、時差による放送時間の問題もあって、夜にテレビで試合やニュースがやっていれば眺める程度だった。

ある晩、うちの主人(=妻)が女子カーリングの生中継を見ながらこう言った。 「カーリングってスポーツとは思われへんわ。どっちかと言えば、ボウリングやダーツなんかのゲームや」

汗をかく感じがしないからだろうか。僕は同意しないでもなかったが、真剣に戦う選手たちを擁護するつもりで

「いっぺんあのシャカシャカやってみ? しんどいで」 と返した。次の言葉は衝撃だった。

「それは他の人がやったらええ」

私はこういう人ともう何年も住んでいる。

ちなみに、調べてみたところ、カーリングというのは一チーム四人で、順番に全員がストーンを投じるそうだ。しかし、シャカシャカをする人はうち二名のリードとセカンドである。テレビで観ているといつも美人の小笠原選手(スキップ)か船山選手(サード)が投げているところばかりが映し出されるので、この二人しかシャーしないスポーツなのかと思ってしまう。 加えて、小野寺歩だとばかり思っていた小笠原歩氏は結婚後に名字が変わったとのことで、チームメイトに小野寺佳歩という選手がいることも、このスポーツをとってもややこしいものにしている……。

カーリングがスポーツかゲームかはともかく、あっと驚く神業や大逆転劇が飛び出すこともあるから、まぁいいではないか。 僕は、誤解を恐れずに言うなら、フィギュアスケートの方がスポーツなのかなんなのかわからんのだ。日本中が感動した浅田真央選手の演技に水を差す気は全くない。僕はニュースで観たに過ぎないが、それでも人間の崇高さというものを感じることができた。

しかしね、今も書いた通り「演技」なのだ。素朴な疑問として、スポーツで演技ってなんなんだ。以前にもフィギュアスケートに、もっと品のない観点から疑問を呈したことがあったのだけど、今回はより詳しく言ってしまおう。

スポーツで演技と言われて真っ先に思い浮かんだのは、サッカー選手がペナルティエリア内で倒された「演技」。大げさに痛がって、審判が笛を吹いたとたんに元気に立ち上がる、アレ。スポーツマンシップからは最もほど遠い行為だ。 フィギュアスケートは選手が演技をして、それをジャッジが評価することになっている。人の評価次第で得点が決まるというのが、毎回禍根を残す原因だと思う。スッキリしないのだ。 四角い枠にボールを手を使わずに入れたら得点のサッカー、スタート地点から一〇〇メートル離れたゴール地点まで同時に走り出して一番早く到着した人が優勝の一〇〇メートル走。わかりやすい。 陸上競技レスリングなどの格闘技で構成された古代ギリシャのオリンピックは、そうやって誰が強いか、誰が速いかを競い合っていて、観客を単純に興奮させるものであったろう。そういう観点からはフィギュアスケートが最も遠いものと、僕には思える。 観ている人のほとんどは採点方法も完全には理解できていないだろう。こんな複雑で細かい採点方法など、よほどのマニア以外把握できやしまい。

いや、リンクは載せたけど、僕は全部は読んでませんよ。読んだところで到底理解できないからね。ですので、以下の言説も全く素人の素人による素人のためのイチャモンですよ。

GOEってなんなんだい。Grade of Executionといい加点のことらしいのだが、要するに審判の心証ちゃうんか。フェイスブックの「いいね!」と同じことであるが、それをどうやって小数点まで使う数値(加減点)に表しているのか。食べログか。 あんなもん信じちゃいけませんよ。店やってる友人がいたら訊いてみて下さい。いかにいい加減に「★★☆☆☆」とかになってるか。 数値化できないものを評価なんてできないのだ。美しさとか、おいしさとか、おもしろさとか、クリエーティブに関するものは全てそうなのだ。好き、嫌い、いいね! しかないのだ。

熟達した審判員と大衆の無責任な書き込みを同列に扱うのは失敬だけども、審判員がそないに神ならば、審判員こそ金メダルじゃないか。どちらかといえば、審判の競技。各国代表の審判が選手として並んで、対象(スケーター)を正確にジャッジした人が金メダル。本来ならこういう競技だろう。

テレビでは、ジャンプして何回転しました、成功しました、失敗しました、という点ばかり取り上げられるのだけど、いっそせーので勢いつけてジャンプだけ見せる競技にした方がいいくらいに思える。 それがスキージャンプなのかと思ったけど、スキージャンプにすら飛型点という点数があり、複雑になっている。昔は飛行中にスキー板を揃えて飛んだのだ。現在はV字に開いているが、今後、鳥のように腕をバタバタさせてものすごい距離を飛ぶ方法が編み出されたり、M字開脚で飛ぶ卑猥な選手がどえらい記録出したらどうするのだ。頭から雪面に突っ込んで、槍投げの槍のように突き刺さるレジェンドが現れたらどうするのだ。つまり言いたいのは飛型の美しさなど、普遍的なものではないということだ。走り幅跳びに飛型点なんかありますか? 着地して足を前後にズラして膝を曲げる動作をテレマークといい、これができないと減点になるという。残念ながら新レジェンドは現れない。

話をフィギュアスケートに戻すと、回転ジャンプを競うだけにした方が良いと思うことをわかりやすく説明するために、こういう場合を想定してみよう。 仮に、デブでブスで肌ブツブツで少数民族で(欧米から見た)異教徒の呪いの音楽的なものに合わせて滑る選手が七回転半くらいするとしよう。現状のフィギュアスケートで、この人は金メダル獲れますか? おそらく獲れないことくらい想像できますよね。ということはこの競技はなんなんだ。回転数を競うだけにすれば金メダルを差し上げることができるのだ。どうでしょう?

美しさみたいな曖昧なものを基軸にするから、それをどうにか競技として成立させようと糊塗するがために、かように複雑怪奇で、結局は納得のいかないものになっている。金メダルに輝いたロシアのソトニコワ選手が、一体どういう演技で最良の評価を得たのか、私たちに簡潔に説明できる人はいるのだろうか。

あー、なんだか自分が屁理屈ばっかの最低な人間に思えてきたのでそろそろやめよう。屁理屈ばっかの最低な人間であることは否定しないが、しかし、これは我々サラリーマンの世界にも言えることなのだ。 よくテレビで、営業成績を棒グラフにして「所長賞」とかをあげている光景が出てくるが、同一・単一の商品を売っているならそれでいい。ところが、もうちょっと大きな会社で、複雑な仕事で、部署も担当も違う人間たちを評価することなどハナから不可能なのである。 営業成績は抜群だけど人間性はクソな人と、仕事はできないけど周囲をいつも和ませてくれてオフィスの雰囲気をとても良くしてくれる人、つまりそれによって周りの人が好影響を受けて社業が順調に回っているような人、この二人をどう評価できよう。カネだけを評価していくのがアメリカ的なやり方なのだろうけど、それでできてきたアメリカ社会の現状をよく見てみよう。マネしちゃいけないパターンでしょう。

競争がいけないなどと、日教組みたいな幻想を説くつもりはない。競争するなら、条件を整えて公正にやるべきだ。特にそれがスポーツなら。 屁理屈をさらに重ねてしまったが、僕がフィギュアスケートを好きになれない最大の理由は、先述のようにそれが「演技」だからだ。演技なのに競技面しているからだ。男子金メダリストの羽生選手のゼエゼエした姿など、正直かなり演技くささを感じてしまう。穿った見方をすれば、今後女子の選手はみな演技後に天を仰いで涙しないとも限らない。演技なのである。心証を作り上げる競技なのだ。こう言ってしまっては言い過ぎだろうか……? いや、いろんな部分で言い過ぎた気がします。すみませんでした。

「ドラマはあるか」

今年の初めに、インドネシアからマレーシアはクアラルンプールを訪れた時のこと、僕は下着を現地調達するつもりで持って行かなかったので、街を歩きながらパンツと靴下を探していた。ショッピングモールで「無印良品」を見つけて、物品を見ていたのだが、パンツがどれもチャイナ製だったので買わずに、二日間履くことにした。

僕はここ数年継続的に「レス・チャイナ・キャンペーン」を好評実施中なのである。食品はもちろん、衣料品、電化製品など日々の買い物の際になるべくチャイナ製のものを買わないのだ。いくら安くてもだ。本当は一切買わずに過ごせるならそうしたいところだが、ここまでチャイナ製品に取り囲まれてしまうと、完全には避けがたい。ノー・チャイナにするのはなかなか難しいので、あくまでも「なるべく少なく」のレス・チャイナなのである。
それを続けている理由は言わずもがなであるからみなまでは言わないが、かの国の現在進行形の人権蹂躙、民族弾圧、領土領海の侵略行為に小さな小さな抵抗を個人的に示すものである。
その日はパンツは買えなかったものの、インドネシア製のシャツを見つけて買ってしまった。後日、博多でシャツを求めている際には、米国のペンドルトンというブランドがインドの綿を使ってインドネシアで縫製した製品に出会って購入。そういえば、バンコクでリーバイスのジーンズを買った時には、それがリーバイ・ストラウス・ジャパンの製品で、タイ製だったので、「日本発注のジーンズがタイで作られて、日本人に買われて日本に渡った」と知りうれしくなったものだ。
特に、インドネシアは、昨今日本との関係がより緊密になってきたことを実感できてうれしい限りだ。
経済的な結びつきを超えて、両国がより一層強い紐帯を結ばんことを願う。本当に、これまでのジャパンに対する「片思い」に、申し訳ない! という気持ちで一杯だ。
このように最近は生産国をチェックして選択的にモノを買うように注意している。注意しているというか、生産した人々や国を想像して感謝の気持ちを持って使うように心がけている。これも、ここ何年かで日本以外のアジアの国々をちょっとだけ知り、想像が容易になったからこそするようになったことである。それまでは、そういった生産国は単にラベルに印刷された文字でしかなかったように思う。
海外の友好国のみでなく、自国のこともより大切に思うようになった。今年の終わりに、一年間で買ったその他のアレコレを総括して挙げてみると、
  • ジーパン(日本製)④
  • 靴下(日本というか奈良製)④
  • ライター(フランス製)①②
  • パイプ(フランス製)①
  • 革靴(インドネシア製)②
  • モーターサイクル(日本製)①③
  • 中折れ帽(米国製)④
  • デジタルカメラ(日本製)①③
  • 古着の革ジャン(パキスタン製)④
  • ボストンバッグ(日本製)④
  • 本棚(日本製? というか近所の家具屋製)③
  • 長財布(日本製。友人の友人である職人製)④
よーけ買うとるな。個々のモノはさほど高額ではないとはいえ、自分でも怖ろしくなるわ……。
まぁ、カネは遣える分は遣えばいいか。一四〇〇兆円という現在の日本の個人金融資産は、その六割を六〇才以上の高齢者が握っていて、貯め込むだけで遣わないのが経済にとっての枷となっているというし。
だから、借金してまで遣うのは愚かだが、遣える分は遣えばいいのだ。僕らだって年を取れば「遣わない」というか「欲しい、または必要なものが少なくなる」のは必定なのだから。
買ったモノのうしろに数字をふったが、これは何かというと、それを買った理由をカテゴリー分けしたものだ。『なぜ高くても買ってしまうのか』(マイケルJ.シルバースタイン/ニール・フィスク/ジョン・ブットマン共著)という本は、人が贅沢品を買うのは、四つの感情スペースを満たすものであると論じている。
その四つとは以下のカテゴリーであるそうな。
  • ①自分を大切にする:自分の時間、肉体と精神の健康、美と若さ、ご褒美
  • ②人とのつながり:モテること、所属を表すもの
  • ③探求:学習、遊び
  • ④独特のスタイル:自己表現、自己ブランド化
  • (一部、分かりやすくするために僕なりの翻訳にしたり、省略したりしてますが)
一応、浪費を未然に防ぐために、今年の初頭に自分なりに「衣料品は、ひとつ買ったらひとつ捨てる!」と決意したつもりなのだが、どう見ても買った分の方が多い。
人にモノを売るために読む本なのに、自分がモノを買う時に自分を説得するための道具にしていたら世話ないわな。
上記の本はボストンコンサルティンググループによる分析らしいのだが、僕としては、モノを買う際の三つの基準があって、
  • それに物語(ドラマ)を感じるか
  • 作り手の応援になるか
  • 心が震えるか
  • である。
昔、大して美人でもない女性に入れ込んでいる先輩がいた。
  • 「あのコの何がそんなにいいのですか?」
  • という愚問を投げかけてみたところ、
  • 「あの女にはな、……ドラマがあるんだよ」
  • という意味不明な答えが返ってきて、消化に苦労したことがある。今でもよくはわからない。というか、わかりたくもない。
しかしまぁ、男と女もそういうことなのかな、と思う。
大きな夢を語るクズがモテるのは、なにかしらの物語を感じさせて、応援したくさせて、括約筋を震わせてくれるからなのかな。
来年もいいモノとの出合いがありますように。今年は②のモテが少なかった気がする。②としたライターも革靴も、「モテ」ではなくて「所属」で買ったものだ。逆に④の「独特のスタイル」が多過ぎて、独特過ぎる人間になってきた危惧もある。
来年こそは、②の「モテ」を増やして、もっとカツヤクできますように。

「時を越えるもの、国境を越えるもの」

先日、東京は青山のよく行くお店で中古の茶色いブーツを発見した。そのブーツはmotoという、鳥取ベースで本池さんという革職人が作るブランドで、アメリカものほどのゴツさがなくて、革もいい色にヤレていた。サイズは2で(motoはサイズが「1/2/3」表記)、履いてみるとピッタリなのであった。 何度も試し履きをして散々迷った挙げ句に、「ブーツはこんなふうに衝動買いしてはいかん!」と思い直し、値段も中古とはいえまぁまぁしたので断念して店を出た。翌日、偶然にも同じmotoのブーツをオークションで発見してしまった。サイズは同じで色違い。こちらは赤茶色だ。

僕は普段はネットで靴を買うことはない。実物を履かないとサイズがわからないので、ネット任せにできないのだ。しかし、このブーツは前日に試着をしているし、色もこちらの方が好みだ。画像がやけに真っ赤に写っているためか入札もない。僕はこれを楽々と落札して手に入れた。 ところが、届いてみると足が入らない。いや、入ることは入るのだが、キツすぎて立ち上がって歩くことはできそうもない。「なんで?」と、サイズを確認してみると、思ってたものよりもワンサイズ小さい表記があるではないか。なんのことはない、出品者がサイズを間違えて伝えていたのである。 向こうの落ち度なので返品したっていいのだが、元々「ノークレーム・ノーリターン」の条件のモノだし、僕は残念さを噛みしめながら考えた。「そうだ、彼に譲ろう」。

僕には大谷さん(仮名)という友人がいる。このコラムにもたまに登場するこの人物は、なんとブーツを六〇足ほど保有しているブーツマニアなのだ。しかも、ほとんど箱に入れたまま保管していて、いつ会っても大概同じ靴を履いている。ブーツですらない時もある。たまに箱から出して、眺めてはまた仕舞うという、「ブーツは履いてなんぼ」と思っている僕からしたら宝の持ち腐れとしか思えない収集癖の持ち主なのである。 この前、僕が彼に、

  • 「大奥によーさん側室おるのに、だーれも抱かへん殿様みたいなもんやな」
  • と言ったら、
  • 「たまーに寝床に呼んで、服だけ脱がせて、しげしげ眺めて、また着せるだけです」
  • と、そのヘンタイぶりを認めていた。

そんな大谷さんは足が小さめなので、このmotoのブーツも履けるに違いない。大谷さんに連絡をすると、「今度見せてもらいますわ。ところでショータさんはサイズいくつ?」と訊いてくる。答えると、「実は、こっちにも履いてみてほしいブーツがあるんです」と言う。ローファーやデッキシューズで有名なセバゴと、僕が好きなシアトル発祥のワークウェアブランド、フィルソンのコラボモデルのモカシンブーツだそうな。こ、これは、なんていい話だ。

その話を会社で後輩の滝下くん(仮名)に話すと、彼は彼で「ボクも大き過ぎた靴あるんで、今度持ってきますわ」と言うではないか。彼はアルゼンチンの老舗靴ブランド、エル・レセロのスエード靴を登場させた。

そこにもう一人。写真家の林さん(仮名)である。彼は釣りに連れて行ってくださったり、一緒にキャンプしたり、モーターサイクルでツーリングしたりするアウトドアマンなのだが、ブーツはレッドウィングのアイリッシュセッターしか持っていない。そういえば僕に、「ひとついいの欲しいから、今度ブーツのこと教えてよ」と言うてはったな、と。

僕以外の三人、大谷さん、滝下くん、林さんという男性はおそらく靴のサイズがほとんど同じだ。その男たち四人に、moto、Sebago×Filson、El Reseroというフットウェアが3足。交換会と相成ったわけだが、結論的には「moto」→林さんが僕から購入、「セバゴ×フィルソン」→僕へ、「エル・レセロ」→大谷さんへ、と決まった。後輩の滝下くんだけなにも得なかったわけだが、マイナスゼロの僕が今度なにか買ってあげることで合意。 なんだかええ年したおっさんらが集まって、クリスマスの女子会のようなことになったものである。

ブーツ以外に、こんなふうに交換できるものなんて他にあるだろうか。大人の男たちがするのだから、時を越えて保つものが条件だろう。時計は長持ちするものだけど、交換はしないよな。価格がマチマチすぎて釣り合わない場合が多いだろう。クルマもしない。カバンもしないわなぁ。指輪は、気持ち悪いだろ。

エロビデオくらいのものだろうか……。昔はしたものだ。いや、交換はしたことない。お気に入りを人に差し上げるのは、女房が他の男に抱かれるような許しがたいような、申し訳ないような気持ちがするではないか。せいぜい貸し借りだ(いや、交換したっていいんだけど)。 時代は変わり、ビデオではなくそれらが動画データになった。つまり、複製した上での譲渡が簡単になったのだ。

今年の春まで三ヶ月暮らしたインドネシアでこんなことがあった。インドネシアでは、数年前にあるロック歌手が数々の女性としているところの動画が流出して大騒ぎになったそうだ。香港のエディソン・チャン事件みたいなものだ。彼は罪状はなんだか知らないが、そのことで逮捕され、出所後これまたなぜか知らないがさらに人気が増し、芸能活動の方は順調そのものらしい。僕がいた時にもプロバイダーだか携帯キャリアだかの広告に出ていた。寛容というか、懐が深いというか、不思議な国民性である。

その事件を僕に教えてくれたリズキーが、翌日ハードディスクを持ってやって来た。

  • 「ショータさん、これが昨日話した動画だよ。ダウンロードしていいよ」
  • 「あ、ありがと」

ファイルを開くと数々のエロ動画ファイルが入っていた。

  • 「好きなのあげるよ。あっ、じゃここから先はボクは見ない方がいいね。アハハ」

エロ動画をやり取りするのはなにも恥ずかしくない。裏庭で収穫した有機野菜を親しい方々にお配りするようなものだ。それなのに、自分の性的趣味を人に知られるのは、なんか知らんが恥ずかしい。この感覚はインドネシアでも共通だったのだ。うれしいねぇ。エロスは国境を越えるねぇ。

イスラム国家であるインドネシア(国民の九割がムスリム)では建前上ポルノは禁止されている。しかし、日本のポルノ、つまりアダルトビデオは大人気なのである。……オレ、こんなこと公にしてイスラム過激派に暗殺されやしないだろうか。

インドネシア人の同僚であるルミとチャイナ系のリチャードと、ある晩食事に出た。ルミは一緒にジャカルタ〜バンドゥンの過酷なツーリング(十三年二月号ご参照)に行った友人で、リチャードは体は大きいが物静かなタイプのデザイナーである。

リチャードが唐突に訊いてきた。

  • 「日本のAV嬢で一番好きなのは誰だい?」

僕ははたと困った。女優の名前をたくさん覚えているほど熱心に見てきたわけではない。だけど「知らん」では会話が成り立たないし、せっかく日本のことを尋ねてきた友人に対して誠意を持って応対したいではないか。これはいわば「新幹線ってのは東京から大阪までどれくらいで行くんだい?」とか「寿司のネタでは何が一番好きなんだい?」とか「野球というのは何人でやるんだい?」といった現代日本のカルチャーに関する質問なのである。「知らん」と言えるだろうか。いや言えまい。 だから僕は何か思い出そうとした。

  • 「えーとな、かわいいコがいた気がするんだけど名前が出て来ない……。何つったかな。確かな……、彼女はハーフだったぞ。ポルトガルじゃなかったかな……」

すると、元々細い目をしたリチャードが、その目をさらに細くした。マグナム・フォーティーフォーの銃口を向けるクリント・イーストウッドのような目つきで、僕を真っ直ぐ見つめて言った。

  • 「……RIO?」

どんだけ知っとんねん。どこまでジャパン好きやねん。ジャカルタのレストランで、インドネシア人に、日本のAV女優の名前を言い当てられるとは! ルミと二人で腹を抱えて笑ったものだ。 みんな元気にしてるかな。オレ、今日で三八才になったよ。