月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「始まることもない恋の話」

カントリーゴールドという、カントリーミュージックの野外コンサートイベントが毎年開催されていて、今年でもう二十五周年だという。毎回、本国アメリカからカントリー歌手を招聘し、ファンに本場のカントリーを直に聴ける貴重な機会を与えている。僕は、実は初回の頃から知っていた。僕がまだ少年の頃、父親がNHK衛星で放映されていたのを観ていたのだ。

会場は熊本県阿蘇山の麓。僕はいつか行きたいと思っていたものの、そんな山奥までどうやって行くのか、これまでマジメに検討することもなかったのである。しかし、去年モーターサイクルで四国・九州を旅した際に阿蘇で一泊したため(十二年六月号ご参照)、その距離感は掴んでいた。そして、今年のカントリーゴールドは、記念すべき回ということで、Anita Cochran、Daryle Singletary、Aaron Tippinと、僕が若い頃によく聴いていた歌手たちが来日するという豪華な顔ぶれである。「これは行かなくては!」と、少年は中年になって、決意したのであった。

大阪の南港からモーターサイクルをフェリーに積んで、大分県の別府へ。夜出発して、寝ていれば朝着いていることになる。風呂も入れて便利、快適。そこから約一二〇キロ走れば、熊本県野外劇場アスペクタだ。天気が悪く、自分の雨男ぶりを呪いながら、湯布院を通り、やまなみハイウェイと呼ばれる鶸色の絶景を、寒さに震えながら抜ける。

本当はアスペクタでテント泊を予定して、キャンプ道具一式をバイクに積んで来ていたのだが、会場スタッフに「今夜は風雨がキツいかもしれないから」と勧められ、近くのライダーズハウスに素泊まりすることにした。一泊千円。 カワサキニンジャ六五〇で日本一周しているという若者と同室になり、なんだか嬉しくなり、一緒に隣りの銭湯に行ったり、二袋持って来ていたチキンラーメンを分け合って食べたりした。

翌カントリーゴールド当日。午前中からお客がステージ前の原っぱに集まり出し、シートを敷いたり椅子を用意したりして思い思いに開催を待っている。雨は結局、ここでは降らず、風も吹かず、ステージの向こうには阿蘇の山々が広がり、日本とは思えないような情景である。過去二十五回のうち、天気に関しては二十四勝一敗だという。脅威の成績だ。僕なんか、テント張ったり、モーターサイクルで遠出する時は必ずと言っていいほど雨に降られるのに。勝敗を数える気にもならない。

このカントリーイベントがいかに素晴らしかったかを、ここで述べることも可能だが、きっと多くの方がうちの主人(=妻)のような反応をすることが目に見えているので、あとは推して知るべしとさせてもらう。

労働者階級の心意気を長年歌ってきた筋骨隆々のAaron Tippinがトリを務めた頃には、僕はテンション上がって最前列で叫んでいた。その曲を後日、主人に聴かせると、「ギターのフレーズ、古っ!」の一言で片付けられた。そんなもんです……。

いずれのアーティストの演奏も心から楽しめた。特にAnita Cochranは、二番目の出番だったというのに、すでにアンコールの声が上がり、数曲を追加演奏した。 彼女は、シンガー/ソングライター/ギタリスト/プロデューサーという音楽的才能に恵まれた人で、しかも典型的サザンベル(南部美人)というオマケつき。生まれはミシガン州だそうだけど。スティーブ・ウォリナーという同じくギターの達人でもある男性歌手とのデュエット曲で、全米カントリーチャート第一位を獲得したこともある。

以下は、そのデュエット曲の歌詞。コンサートではスティーブがいないので、「ソングライターズ・バージョンで」ということで一人で歌っていた。それでも、充分感動的な歌であった。 「長年友達でいた男と女が、それぞれカノジョとカレがいて、その関係がうまくいっていない、もしくは別れたところである。二人は想い合っているけれどそれに気付かず、友人関係を壊して一歩を踏み出すかどうか逡巡している」というシチュエーションを歌っているものである。歌の世界ではよくある状況ではあるけれど、改めて歌詞を見ると、切ない内容とか韻の踏み方が見事で、名曲であることがよくわかる。

  • "What If I Said" written by Anita Cochran

まず、題名が仮定法ですので、仮定法の復習から始めましょう。 If I was(were) a bird, I would fly away. もし僕が鳥ならば、飛び去るのに、ですね。 If のあとに過去形が来て、そのあとをwouldやcouldで受けると、「(現実は違うけど)もし○○だったなら、××する(できる)のに」となるわけです。

ちなみに、 If I go, I want you to come with me. (もし僕が行くなら、君にも一緒に来てほしい) こういう文は仮定法ではありません。行くことは充分あり得ることで、仮定法はあり得ないシチュエーションの時に用いるからです。僕が鳥であることはあり得ないのです。

では、中身を見ていきましょう。

  • 1)
  • We've been friends for a long long time
  • You tell me your secrets and I'll tell you mine
  • She's left you all alone
  • And you feel like no one cares
  • But I have never failed you
  • I've always been there

現在完了形の「継続(ずっと〜している)」で始まっています。We are friendsではなく、for〜の期間ずっと友達なので、We have been friendsです。 She has left you all aloneも現在完了です。この場合は「結果(〜してしまった)」でしょうか。その他、現在完了形には「経験(〜したことがある)」「完了(〜したところだ)」という四つの意味で使われます。

  • 私たちは長い間ずっと友達
  • お互いの秘密を打ち明け合うような関係
  • 彼女はあなたのもとを去って
  • あなたはひとりぼっちの気分
  • でも私はあなたを裏切ったことはないわ
  • いつでもそこにいるわ
  • 2)
  • You tell your story
  • It sounds a bit like mine
  • It's the same old situation
  • That happens every time
  • Can't we see it oh maybe you and me
  • Is what's meant to be
  • Do we disagree

A sounds like Bで「AはBのように聞こえる」です。lookやfeelなどでも同様。

a bitで「少し」。a littleと同じです。その程度がより大きいなら、a kind of(しばしばa kindaと表記される)で「なんだか」。somewhatで、「いくらか」。a lotなら「たくさん=とても」です。「まったくそのもの」ならexactlyでしょうか。

the same old というのは「ずっと変わらない、相変わらずの」という意味です。 What's meant be というのは、学校では習わない表現だと思いますが、be meant to be xxで「xxになる運命である、xxになることになっている」という慣用句です。 be supposed to be xxも近いですが、もっと強い、運命付けられたという意味合いです。 たとえば、we are meant to be togetherで「僕たちは一緒になる運命なのだ」ということになります。

  • 君は君の話をする
  • ちょっと僕の話に似てるね
  • 昔からよくある毎度の話さ
  • なぁどうだろう もしかしたら僕たち二人
  • 運命なんじゃないだろうか
  • そうは思わないかな
  • 3)
  • What if I told you what if I said that I love you
  • How would you feel what would you think
  • What would we do
  • Do we dare to cross that line between your heart and mine
  • Or would I lose a friend or find a love that would never end
  • What if I said

What ifについて説明する必要がありました。 「もし○○したら?」「もし○○だったら?」ということです。日常会話でもよく使われます。What if it rains? (雨が降ったら?)、What if she doesn't show up? (もし彼女が来なかったら?)、という感じです。 ここではwhat ifが仮定法で使われていますので、How WOULD you feel? What WOULD you do? など、必ずwouldが続いているのです。

dare to xxで、「わざわざxxする、あえてxxする、勇気を出してxxする」ということです( ただし否定文/疑問文ではdareのあとのtoは略されることもある)。

  • もしあなたに話したら もし愛してるって言ったなら
  • あなたはどう感じるだろう 君はなにを思うだろう 私たちはどうするだろう
  • あなたと私の心の間にある一線を越えるつもりがあるのだろうか
  • もしくは私は友達を失うのだろうか
  • それか 終わらない愛を見つけるのだろうか
  • もし言ったなら
  • 4)
  • She doesn't love you oh it's' plain to see
  • I can read between the lines of what you're telling me
  • He doesn't hold you the way a woman should be held
  • How long can I go on keeping these feelings to myself

it is plain to seeのplainは「明白な」です。it's easy to seeと同じです。plainは、たとえばベイグルの種類とかでもなんにも味が付いてないものは「プレーン」と表記されますね。「明白な」以外にも「普通の」「無地の」「飾りのない」という意味があります。 read between the ilnes はそのまんまです。不思議なことに、日本語の「行間を読む」は英語でもread between the lines なのですね。

この歌で僕が一番好きな部分が次の歌詞です。 He doesn't hold you the way a woman should be held 直訳すると、「彼は君のことを、『女性が抱かれるべき方法で』抱いていない」となります。「抱かれるべき方法」がどんなのか、僕のような未熟者には未だにわからないのですが、それはまた今後の研究課題とさせていただきます。わかったらすぐに報告します!

keep xx to myselfで、「xxを僕の中に留める」です。それが二人になる場合、keep xx to ourselvesでもいいのでしょうが、keep xx between usの方が「二人の間の秘密」な感じが出る気がします。 秘密の話をしたあとなんかに"Hey, let's keep it just between us." と言うと、なにかワクワクしますね。

とにかく、この部分のスティーブ・ウォリナーのややかすれた歌声が、切実さと男のいじらしさをとてもよく伝えてくるのです(CDの時ね)。

  • 彼女はあなたを愛してなんかいない
  • それは明らかよ
  • あなたが話すことの行間くらい読めるもの
  • 彼は君のことをちゃんと扱っていないじゃないか
  • 僕はこの気持ちをいつまで心に留めたままにすればいいのだろう
  • 5)
  • What if I told you what if I said that I love you
  • How would you feel what would you think
  • What would we do
  • Do we dare to cross that line between your heart and mine
  • Or would I lose a friend or find a love that would never end
  • What if I said

3)の繰り返し

  • 6)
  • Oh we've both had our share of lonliness
  • So who's to say that we can't have a little happiness
  • And if I found that in you
  • It would make my dreams come true
  • Or would you walk away
  • Hear what I have to say

ここでも仮定法です。 if I found that in youのあとは、やはりwouldです。 find A in Bで「AをBに見つける」ですが、see A in Bでも同じです。「あんな男のどこがいいんだ!」なんて場合(よくありますね)、"I don't know what she sees in him!"なんて言います。

  • 私たちお互いそれぞれの孤独を感じてきた
  • 私たちがささやかな幸せさえ持てないなんて 誰が言えるというの
  • もしも僕がそれを君の中に見たなら
  • 夢が叶うかもしれない
  • もしくは君は去るだろうか
  • 私の言うことを聞いて
  • What if I told you what if I said that I love you
  • How would you feel what would you think
  • What would we do
  • Do we dare to cross that line between your heart and mine
  • I've always wondered from the day we met
  • What if I said
  • What if I said
  • What if I said

  • もしあなたに話したら もし愛してるって言ったなら
  • あなたはどう感じるだろう 君はなにを思うだろう 私たちはどうするだろう
  • あなたとわたしの心の間にある一線を越えるつもりがあるのだろうか
  • 僕はいつも思ってたんだ 出会ったその日からずっと
  • 言ったらどうなるだろうと
  • もし言ったなら
  • もし言ったなら

さて、ロマンチックなこのデュエット曲ですが、聴く者はこの二人が勇気を出して告白し合い、一緒になることを願わずにいられません。「スティーブ・ウォリナーだって、一回くらいアニタを抱いてもいいんじゃねえか!?」と思えるほどです。 ところが、冒頭にご説明した通り、この歌詞は「仮定法」なのです。つまり、「現実にはあり得ないこと」を歌っているのです。 この二人は、きっと「言わない」のです。だから、言わないまま、一緒になることはないまま、この恋は終わる、というか始まることもなく消えていくのです。というのが、僕の解釈です。 哀しい歌です。信じられません。こんな哀しい歌、わざわざ歌うなよ! とすら思えます。しかし、恋というものは、この世というものは、かほどに哀しいものなのです。

それを知る大人の心に、カントリーは今宵も沁み入ってくるのです。ちょっとは好きになってきましたか?

「人は青春にしか生きられないのだ」

高校生の頃に、映画が好きでよく劇場に行っていた。今は亡き池袋の文芸座(現在は新文芸座としてパチンコ屋のビルの一テナントとなっているという)に、旧作の映画を観に行った。現在の新文芸座で、名画が二本で一三〇〇円という。九〇年代当時は千円ではなかったかと思う。
映画雑誌もよく購入していた。そこでたまに「歴代名作ベスト一〇〇」みたいな特集があると、思わす手に取ったものだ。しかし、大概失望して雑誌を棚に戻した。
なぜなら、いっつも上位は『天井桟敷の人々』『市民ケーン』『カサブランカ』やチャップリンの白黒映画に占領されていたからだ。当時十代の僕が、そんな古い映画を素直に観てみる気持ちにはなれなかった。まぁ正直、三〇代後半になった今でもなれないでいる。
教養の問題と言われてしまえば「はい、すみません」としか言えない。
あえて、自らの恥と無教養を晒すつもりで言うならば、半世紀以上も前の表現が自分の歴代ベストだ、なんて言えるのは、人間の進歩を否定しているとすら思える。その半世紀の時間に、人間は過去の作品を越えるべく常に研鑽を重ねてきたわけで、それが成功していないはずはない。成功していないとするなら、人間は進歩していないことになる。そりゃところどころでは優れていても、トータルで劣っているはずはない。随分を乱暴な論理だが、僕は基本的にはそんなふうに考えている。
異論がある向きには、
「ほな、お前、ポルノの進化知ってるか? 昔の人はこんな汚い画質の、ブスしか出てない、インチキのポルノで興奮してたんだぜ。お前今でも同じように興奮できるか?」
と問いたい。
いや、観ないわけじゃないんですよ。あ、フツーの映画の話に戻しましたよ。たまに観てみるんです。でもその度にガッカリするのである。老人たちが熱く語る作品への思いを共有できなくて、世代感ギャップだけでは済ませられない隔たりと、自分の底の浅さかという疑いと、しかし僅かな優越すら感じるのである。
「あなた方、よーこんなんで興奮してましたよね。えらい時代っすね」という侮蔑にも似た感情。あ、今はポルノの話に戻しました。
映画に限らず、文学でも音楽でもなんでも、古典と呼ばれるモノをリスペクトしたい気持ちは持ち合わせているのだが、いざ娯楽としてそれらを鑑賞して、自分のベストに挙げるかとなると、おそらく挙げない。そこまで感動できない。
シェークスピアはもちろん、フィッツジェラルドも読んだことないけど、ヘミングウェイなら読んでみた。ギンズバーグは読んだことないけど、ジャック・ケルアックオン・ザ・ロード』は読んでみた。しかし、まぁ「わけわからん」のですわ。私には。
僕個人のベストの映画を挙げるなら、
  • 一)『スタンド・バイ・ミー
  • 二)『プラトーン
  • 三)『ダンス・ウィズ・ウルブス』
  • かなぁ。いつも言うことだけど、芸術表現を数値化して順位付けるのは愚かしいなどと、理屈っぽい言い訳をしながらさせてもらいますが。
これら全て、僕が十代の頃に観た作品である。二〇代、三〇代と生きてきて、その間何百本という映画を観たかもしれないけど、結局、青春時代初期(現在はその中期バリバリ真っ只中)に触れたものの評価が最も高くならざるを得ないのだ。やはりその頃が一番心が柔軟で、感受性が高くて、無知だったのだろう。そして、感動できる何かを求めていたのだろうと思う。人生には感動が詰まっているのだ、そのはずなのだと、信じて疑わない時期だったのだと思う。
誰でもそうなのだ。だから、年寄りの映画評論家に訊いて回った「歴代ベスト一〇〇」は、当然白黒映画ばかりになるのだ。彼らが若い頃に衝撃を受けつつ観た映画なのだ。
結局、人は青春にしか生きられないのだ。
所謂青春時代に好きになったものに、再び出合えることを求めて一生彷徨っているだけなのではないかと思う。それがなかなか叶わずに、青春時代に惚れたものや持った感情(友情、恋愛感情、社会への怒りなど)を反芻しつつ、その対象たり得るものに再会できる機会を探し回りながら、残りの時間を生きているのではないかと思う。少なくとも、僕はそうしているような気がしていて、それができなくなった時には死んでもいいとすら思っている。
どんなに腐ったクソおやじでも、「オレはちがう」と否定することができるだろうか。まぁ腐ったクソおやじは、そんなん気にせんでええから早く死んでしまえとは思うが。
僕は幼少の頃は『仮面ライダー』世代であり、十代の頃は『北斗の拳』、『マッド・マックス』、『ターミネーター2』世代(そんな世代くくりは聞いたことないが)として過ごした。だから、男はモーターサイクルに乗るものだと思っていた。悪い男も、善い男もバイクには乗って然るべきだったのだ。大人の証であり、自由の象徴であり、現代のカウボーイの相棒なのであった。
十年前にやっと鉄馬を手にして跨がった時の震えるような昂揚と怖れは、今でも忘れることができない。
今でもどこかであれを探し求めている。心には、果てしない大地を貫く一本道がはっきりと描かれている。
えー、大変失礼いたしました。だいぶ遠回りしましたが、以上が、十年前におかんに黙ってモーターサイクルを買った僕が、昨日二台目を主人(=妻)に黙って購入した理由です。
こんな具合で、ご納得いただけますでしょうか。

「『あの夏』を語る語る」

先日、写真家の友人と後輩とカントリーバーで飲んでいる時に、僕の好きな曲がかかり、この、Garth Brooksの"That Summer"という名曲について二人に話した。なんだか僕のカントリー熱が着火してしまって、その歌詞を翻訳して二人にご紹介させてもらった。 「あの夏」というシンプルなタイトルの、未亡人とひと夏の恋、というか関係を持ってしまった少年が「あの夏」を回想する、エロティックでビタースイートな歌なのだ。こういう題材を九〇年代にカントリーに持ち込んだことでも、彼は革新的なアーティストであった。
ここでも何度か書いているが、ガース・ブルックスは生ける伝説のカントリー歌手で、アメリカ人なら知らない人はまずいない。 全米でのアルバム売上ランキングでは、一位のザ・ビートルズ、二位のエルビス・プレスリーに次いで堂々の第三位のアーティストである。 http://goo.gl/UoCRTT

"That Summer"を翻訳しながら、「この歌詞は英語の文法や慣用句の勉強にはもってこいなほど豊かな表現が含まれているなぁ」と改めて感銘したので、また解説しながらご紹介したい。今もちょうど夏だし、夏期講習に明け暮れている受験生のご子息にもきっと役立つこと請け合いだ。性教育上、人生教育上も。

以前に(二〇一一年五月号でした)、レディ・アンテベラムの"Need You Now"で「洋楽で学ぶ英語教室」を試みました。一部には(ほんの一部)「またやって」のお声をいただきましたので、お付き合いください。 僕はこうやって英語を勉強してきました。少なくともアメリカで大学を卒業したり、インドネシアで外国人に混じって働ける最低限の力くらいは、こんなふうにして身に付けることができるわけですので。
さて、段落ごとに見ていきましょう。
  • "That Summer" Co-written by Garth Brooks
  • 1)
  • I went to work for her that summer
  • A teenage kid so far from home
  • She was a lonely widow woman
  • Hell-bent to make it on her own
十代の少年が、未亡人のところに夏のバイトに出かけたわけです。アメリカのことですから、きっと芝を刈ったり、ドアの建て付けを直したりする仕事だったのでしょう。もしかしたら、あとで出てくる麦畑の収穫の手伝いかもしれません。未亡人は「widow」です。男やもめは「widower」だそうです。 「hell-bent」は、be hell-bent to do xxで「xxするのに必死になって」という意味。「make it on one's own」は、「生活を成り立たせる」。 僕の想像の中では、三〇過ぎくらいの、赤毛で胸元にまでソバカスがある、化粧っけのない淋しげな女性です。若い頃のアンディ・マクダウェルみたいな感じです。って、誰も覚えてねえか。 まぁ、つまりこうです。
  • あの夏、僕は彼女のために働きに行った
  • 十代の少年としてはだいぶ家から遠い場所だった
  • 彼女は孤独な未亡人
  • なんとか一人でやっていこうと苦労してる人だった
  • 2)
  • We were a thousand miles from nowhere
  • Wheat fields as far as I could see
  • Both needing something from each other
  • Not knowing yet what that might be
「a thousand miles from nowhere」で「人っ子一人いない遠く」です。 「as far as xx」で、「xxの限り」。as far as I knowなら、「私が知る限りにおいては」です。
  • 僕たちは人里離れた所にいた
  • 見渡す限りの麦畑
  • 僕らは二人ともお互いから何かを必要としていた
  • その時にはまだそれが何なのかわからなかったのだけれど
  • 3)
  • 'Til she came to me one evening
  • Hot cup of coffee and a smile
  • In a dress that I was certain
  • She hadn't worn in quite a while
「one evening」で「とある夕方」。同じく「one day」は「ある日」。しかも、過去のある日(しばしば未来にも使う)。未来のある日なら「someday(いつか)」になります。 「a dress I was certain she hadn't worn in quite a while」が注目です。「きっと長いこと着ていないであろうドレス」です。「I  am certain」は「I am sure」と同じ。「in a while」は「しばらく」で、「quite」は単なる強調。 「she had not worn」は、今現在から見て過去を振り返り、そのさらに過去、すなわち着ていなかった期間への言及だから「have not」ではなく「had not」なのです。「have not」であれば「まだ着たことのない」になりますが、すでに過去のその時点(あの夏)で彼女はそれを着て現れています。だから、過去完了、着ていなかった時期は完了しているのです。
  • ある夕べ、彼女が僕に近寄ってきた
  • コーヒーを手に、笑顔を浮かべて
  • 僕が思うに、長い間着ていなかったドレスを着て
  • 4)
  • There was a difference in her laughter
  • There was a softness in her eyes
  • And on the air there was a hunger
  • Even a boy could recognize
「in her laughter」で「in her eyes」ときて、なぜ「on the air」なのか、正直僕にもわかりません。「in the air」でいいような気もします。
  • 彼女の笑い声もいつもと違ったし
  • 彼女の瞳にはやさしさがあった
  • そして、空気にはある種の飢えがあった
  • 少年だった僕にもわかるくらいのはっきりとした
  • 5)
  • She had a need to feel the thunder
  • To chase the lightning from the sky
  • To watch a storm with all its wonder
  • Raging in her lover's eyes
  • She had to ride the heat of passion
  • Like a comet burning bright
  • Rushing headlong in the wind
  • Out where only dreams have been
  • Burning both ends of the night
このへんはエロティックな部分をうまくボカして詩的に表現されているので、直訳、意訳を織り交ぜてスルーします。
  • 彼女は雷鳴を欲していた
  • 空からの雷光を追いかけるために
  • 彼女の瞳の中の恋する人を奮い立たせるような
  • その神秘をたたえた嵐を目にするために
  • 彼女は燦然と輝く彗星のような
  • 情熱の熱気に身を任せなくてはいけなかった
  • 風に向かってがむしゃらに
  • 夢だけが夜のすべてを燃やすあの遠い場所
特筆するなら「burning both ends of the night」が最も訳しにくい表現で、通常「両サイド(エンド)を燃やす」のはロウソクなのです。「ロウソクの両端を燃やす」で「無理に使い尽くす」とか「早く使ってしまう」という意味になるのです。両端から燃やすことはできないので、無理をすることになるからです。
  • 6)
  • That summer wind was all around me
  • Nothing between us but the night
  • When I told her that I'd never
  • She softly whispered that's alright
「nothing but A」が出てきました。高校で習いましたね。「A以外の何ものでもない」です。ここではThere wasが省略されていますから「Aの他は何もない」になります。 そして、次の文が僕の一番好きなパートです。 「When I told her that I had never」=「したことないんだと言った時」。先ほどと同じで、すでに過去の時点からさらに過去について「したことがない(今現在はある)」と言っているのです。過去完了。
「したことないんだ」と告白すると、彼女は「大丈夫よ」とやさしく囁くのです。そんな「あの夏」なのですよ。きっとアメリカ南部の物語ですが、「大丈夫やで」とか「かまへん」などと、決して頭の中で関西弁には変換しないで下さい。急に、あられもなく少年に馬乗りになる中年女性の絵が浮かびます。あくまでも「大丈夫よ…」と、美しく吐息がかかりそうな距離で囁かれるわけです。ドキドキです。
そんな夏が、あなたにもありましたか? 僕にはありませんでしたよ。
  • あの夏の風が僕を取り巻いていた
  • 僕らの間には夜の他は何もなかった
  • 僕が「したことないんだ」と言った時
  • 彼女は「大丈夫よ」とやさしく囁いた
興奮と、涙を抑えて先へ進みます。
  • 7)
  • And then I watched her hands of leather
  • Turn to velvet in a touch
  • There's never been another summer
  • When I have ever learned so much
「watch xx yy」で、「xxがyyするのを見る」でyyは原形です。知覚に関する語句、たとえば「see」や「feel」で使えます。yyがing形(現在進行形)になることもありますが、その違いは「xxがyyするその経過全てを見る」のが原形で、「xxがyyしているその途中や瞬間を見る」のが進行形です。 ここでは、彼女の手の感触が変わる全貌を目にしているわけです。後者の、ing形の表現もあとで出てきます。
  • それから僕は、触れただけで彼女のレザーのような手が
  • ベルベットに変わるのを目にした
  • あんなふうに多くを学んだ夏は、他に経験がないよ
少年は色んなことを学んで、大人になっていくわけです。性愛だけでなく、その女性が心に抱えていたものや、なぜそういうことになったのか、その時自分がどう感じたかなど、胸に淡い痛みを残す、複雑な思いを回顧しているのです。
  • 8)
  • We had a need to feel the thunder
  • To chase the lightning from the sky
  • To watch a storm with all its wonder
  • Raging in her lover's eyes
  • She had to ride the heat of passion
  • Like a comet burning bright
  • Rushing headlong in the wind
  • Out where only dreams have been
  • Burning both ends of the night
5)のサビの繰り返しですが、「she」が「we」になっているところがいいのです。彼女だけでなく、僕(少年)も雷鳴を感じる必要を心に持っていたのです。どこか期待していた部分もあったのだろうと思います。
  • 9)
  • I often think about that summer
  • The sweat, the moonlight and the lace
  • And I have rarely held another
  • Well I haven't seen her face
「often」は二重に発音注意の単語で、僕は高校の時に先生から「『オフテン』と書いても『オッフン』と発音するから注意」と習いました。しかし、アメリカに行って「オッフン」が何度言っても通じず「オフテン」と発音したらすんなり通じました。なんやそれ! と思いましたが、地方によるのでしょう。ちなみに、曲中でガースは「オフン」と発音しているように聞こえます。
レースは、おそらく彼女のブラジャーかパンティの装飾です。女性の裸体を暗喩しているのだと思います。
  • 今でもよくあの夏を思う
  • あの汗、月明かり、レース飾り
  • もう二度とこない夏
  • あれ以来彼女には会っていない
  • 10)
  • And every time I pass a wheat field
  • And watch it dancing with the wind
  • Although I know it isn't real
  • I just can't help but feel
  • Her hungry arms again
切ない場面です。ガース・ブルックス自身もこの場面は何度も書き直し苦心したと何かのインタビューで答えていました(出典不明。忘れました)。 「every time」は「毎回」です。一回一回その度です。なぜ初めに出てきた時は麦畑は複数形だった(Wheat fields as far as I could see)のに、ここでは単数形なのか、日本人にはよくわからないところです。僕にもよくわかりません。しかし、たぶん、「every time」「pass」することができるのは麦畑ひとつ(一反? アメリカンな感じが出ないな……)ずつだからかなぁ、と思います。面倒くせえなぁ。名詞の複数形と三人称単数現在のSほど不必要なものはないと、僕は思っています。 「watch it dancing」は、先ほどの「I watched her hands of leather turn to velvet」と違って進行形です。なぜなら、麦が止まっている状態から風に動き出す一部始終を見るわけではなく、すでに踊っているところを目にするだけだからです。 「can not help but 原形」は「can not help ...ing形」と同じです。エルビスの歌で「♪ I can't help falling in love with you」というのがありましたね。「……せずにいられない」です。
  • それでも麦畑を過ぎる度
  • そして、それが風に踊るのを見る度
  • 現実ではないと知りながら、
  • 彼女の、僕を求めた腕を感じずにいられないんだ
  • 11)
  • She had a need to feel the thunder
  • To chase the lightning from the sky
  • To watch a storm with all its wonder
  • Raging in her lover's eyes
  • She had to ride the heat of passion
  • Like a comet burning bright
  • Rushing headlong in the wind
  • Out where only dreams have been
  • Burning both ends of the night
  • Rushing in long in the wind
  • Out where only dreams have been
  • Burnin' both ends of the night
5)のサビの繰り返し、で終わり。
ここで非常に申し訳なく、残念なお知らせです。YouTubeで"That Summer"を散々検索しましたが、ガースの歌うオリジナル曲はありません。二万件のヒットのほぼ全てが素人によるカバーです。それだけ有名な歌だというふうにお考えください。
中にはマシな歌い手もいますので、適当に選んでいただくか、ご興味ある方はCDをお買い求めください。彼は数々の記録を打ち立て、革新を生み出し、CDを売りまくり、二〇〇一年に若くして引退していますが、〇七年に発売された『The Ultimate Hits』というベスト盤も出ております。
「若くして」っていつだったろうと、改めて調べてみると、三十七才! 今のオレと同い年! マジかよ! オレ何も打ち立ててなさすぎ! ガース老けすぎ! 若ハゲすぎ! 人生のロウソク、両端から燃やしすぎ! 色んな意味でマジかよ!
コラム冒頭のカントリーバーは、大阪は曽根崎新地の「サボテン」です。ここに来ればもちろん"That Summer"、聴けます。僕もカウンターにいるでしょう。私立探偵のように。
美しい未亡人からの人生相談も、英語個人教授の依頼も、芝刈りでも麦刈りでも、どしどし受け付けます。
あの夏。
嗚呼、この夏も何事もなく、行ってしまう。

「生きていこうと思うじゃねえか」

ネットでとある情報サイトを見ていたら「スーツに合うヘアスタイル」特集があった。僕は普段スーツは着ないので関係ないのだが、そういう流行にも疎い質なので覗いてみた。

ガッカリであった。どこが「スーツに合う」のかがわからんのだ。言いたいことは色々あるが、一点に絞り込むとするならば、「額を出さずしてスーツなど似合わん!」ということだ。 前髪を垂らしたままにしたスタイルでスーツ着てオトナ面されても、就職活動中にしか見えないのである。また、変に工夫し過ぎるとチャラい男になるだけだ。

実はケータイ同様、日本男性の髪型にも「ガラパゴス化」が見られる。その最もヒドい例が、街の角々で客引きをしている安っぽいスーツ着たにいちゃんたちだ。あのおかしな横分けウルフカットみたいな恥ずかしい頭は誰が考案したのだろう。

スーツに合う髪型の筆頭は、オールバックなのである。古今東西、いい男はスーツを着る時にはオールバックにするのだ。いい男を挙げてみてください。ロバート・デ・ニーロポール・ニューマンチェ・ゲバラ(軍服に帽子のイメージだが、たとえば国連で演説した時ね)、白洲次郎舘ひろし。古いって?

それなら、ブラッド・ピットブラッドリー・クーパーマシュー・マコノヒーデビッド・ベッカム竹野内豊伊勢谷友介などなど。みんな共通してオールバックが似合う男たちなのである。僕が今頭に浮かんだ人を列挙しただけなので偏りがあるが、たとえばザック・エフロンオーランド・ブルームみたいなかわいらしい顔立ちの男でさえ、スーツを着てオールバックにした時が最もカッコいい。ビートたけしだって、僕は九〇年代のオールバックの頃が一番カッコよかったと思う。

大概の男はカッコよくなる。心配いらない。

三十七年間、男として生きてきた私が自信を持って決めつけるが、「四十過ぎて、髪を真ん中で分けているような男にロクなヤツはいない」。本当です。周りを見渡してみてください。

オールバックというと、橋本龍太郎に代表される政治家みたいなポマードでテッカテカの「脂ギッシュ」な男を想像されるかもしれないが、それが全てではない。額を出す髪型であれば、バリエーションは無数にある。 「ガキには似合わない」という事実からも、大人の男の髪型なのである。元服を例に引くまでもなく、子供は前髪が垂れているものであり、大人は額を堂々と出すものだ。だから、大人の着るものであるスーツと合うのだ。そこに東も西もないことがよくわかる。

「いや、でも、そうは言っても西洋人とは髪質も顔も違うからさ」と聞こえてきそうだが、だったら、なぜ西洋人と体格も違うのにスーツ着てるわけさ? 西洋人の服に倣っておきながら、他の部分は放ったらかしで、変にガラパゴス化した感覚のままスーツに合わせる方が、奇異に映ってますよ。

スーツってそもそも、インプレスするために着るものでしょう。周りに「お、キマッてるね」と言わせるための装いなのではないのか。だから、西洋人はここぞという時にスーツを着てタイしてオールバックにするわけだ。知らんけど。

それにしても、暑い季節が来たからまた言うが、日本人のスーツ着用率は異常だ。外国を歩いてみればその異常性がよくわかる。僕が去年末からしばらく過ごしたインドネシアでも、日本人はスーツ着てるからすぐに見分けられた。 たとえアメリカでもヨーロッパの街でも、これほどダークスーツは着ていないはずなのだ。 「キメる」ためのスーツという服装が、いつしか「礼儀を守るため」→「失礼にあたらないように」→「目立たないために」→つまり「みんなと同じになるように」と、勝手で奔放な解釈により「個性を殺すため」に着るものになってしまったという、非常に残念な変遷を辿った。 だから、スーツさえ着ていればとりあえず問題は避けられるという不文律が出来上がり、元々の、インプレスするという目的から正反対の位置にあるものになってしまった。これをガラパゴスと呼ばずになんと呼ぼう。

挙げ句の果てに、言うに事欠いて「選ばないで済むから」だと。シャツ、靴、タイ、ベルト、カバンなどの周辺装備を含め、スーツほどルールに雁字搦めで選択に気を遣う服はないではないか。

頭は無頓着なのにとりあえずスーツにだけは袖を通すという、僕から言わせれば「箸の持ち方は正しいか知らんが、それでハンバーガーを食べようとしている」ようなアンバランスな……、いや喩えを間違えた気がする。「安全第一と書いたヘルメットを被ってバッターボックスに立つ」ような姿になっている。うーん、違うか。 はっきり言おう。「靴下だけ履いたままセックスしている」だよ! それくらい間抜けなのだ。

サラリーマンがみんなスーツ着てオールバックにしてたら、それはそれで変な光景になるかもしれないが、そもそも変なのだ、ということだ。みんなそんなにエリートな仕事してるのかよ。

着るならちゃんとオールバック。着ないなら別にポロシャツでもシャツだけでも構わないだろう。ボタンダウンというのは、元々スポーツのポロをする際に馬上で襟がピラピラはためくからボタンで留めたもので、スポーツシャツである。カジュアルウェアである。 我々は普段働いているわけで、その日常をカジュアルと規定して、文字通り略式でよしとする。その上でオフィシャルな場、たとえば偉いさんに会うとか、パーティに呼ばれるとか、表彰を受けるとかいう際に、その時こそバッシッ! とスーツ着てタイしてオールバックにすればいいのだ。かなりインプレスできるはずだ。

普段着ないトミタくん(仮名)がスーツ着て会社に行ったある日、エレベーターに居合わせたおばさま社員が、 「すっごくキマってるわね!」 と目を剥いたあと、一瞬ののち、なにを言うのかと思ったら、 「……すっごくキマってるわね! 」 ともう一回、同じことをさらに強い調子で言った。

スーツとは、こう言わせるもののはずなのだ。

たぶんおばさまは、エレベーター降りたあとも「すっごくキマッてたわ……」と心中でつぶやき、洋式便座に座ってなんか音の出るボタンを押してまた「すっごくキマッてたわ……」と、思わず声に出しちゃって、音で掻き消されてたことに安堵を覚えるだろう。三時のおやつにおかきを食べながら、別のおばさまに「ねぇ聞いてよ。ボリボリ、トミタさんが今日、ボリ、すっごくキマってたのよ」と伝えるだろう。「え? 誰が誰が?」とまた、噂好きなおばさまが寄ってくるだろう。それを、傍らで素知らぬ顔でパソコンを打ってるおねえさまが耳にすることもあるだろう。 それが巡り巡って、いつの日かあの町の、あのコに伝達されるまで、ハゲることなく生きていこうと思うじゃねえか。それが生きる希望とちがうのか。

すでにハゲちゃってる人はどうすればいいかって? 「男は見た目じゃねえ」

おい! オレ、今、完全に目が死んでたな。

ジャ、ジャック・ニコルソンはハゲのオールバックだぞっ。生きろ。

「バカちんのための、インプレのインプレ」

今、僕が乗っているモーターサイクルが、購入して十年、自動車が九年経っている。今年は両方車検が来てしまう年なのだが、特段不満も、故障も、そしてお金もないので買い替えるような予定はない。ちゃんと走るし、ちゃんと曲がる。もちろんちゃんと止まる。それ以上でも、それ以下でもないのだが、たまに自動車雑誌を読むと戸惑うような記述がある。

  • 〈前後にストラット・タイプを使うサスペンションもまた、アルミ部分を導入することでバネ下重量が軽くなるとともに、細かな変更が加えられてアラインメント剛性が引き上げられている。軽く、硬く、という改良の基本コンセプトを、これらオプションが根こそぎ引き出している。動いていけないものは決して動かず、動くべきものはどこまでも軽やかに動く〉

長くなるが、もう少しお付き合いいただこうか。

  • 〈20インチ・タイヤはソリッド感を、PCCBは足回りの軽やかさを強調し、一方でPASMはそこに強張らないしなやかさを、スポーツ・クロノ・パッケージに含まれるダイナミック・サスペンション・マウントは普段はエンジンの振動から硬さを取り除きながら、ダイナミックな走りをするときにはパワー・トレーンの無駄な動きを封じ込んで、タイトなレスポンスをもたらしている〉

引用した部分より前の文章で説明されているアルファベットの羅列の表すものを、僕が註釈で入れなかったのは意地悪ではあった。これは、高級車雑誌『エンジン』二〇一三年七月号で見つけた、ポルシェ・ケイマンSという車種のいわゆるインプレ記事だ。ちなみに、前出のアルファベットは、PCCB(ポルシェ・セラミック・コンポジット・ブレーキ)、PASM(ポルシェ・アクティブ・サスペンション・マネジメント・システム)ということらしい。まぁ、言ったところで……なんだけど。

僕は、国産車を「酔って帰る主人(=妻)を駅に迎えに行く」ことを主な用途として、あくまで安全運転をするだけなので、「ダイナミックな走りをするときにはパワー・トレーンの無駄な動きを封じ込んで、タイトなレスポンスをもたらして」くれなくても別に構わない。たまに遠出をしたり、高速走行をすることがあっても〈低速域から強大なトルクを発揮〉してくれなくても、〈高回転・高出力型のエンジン特性を堪能〉できなくても、〈ハイ・スピード域において、まったく角がなくエレガントな身のこなしを見せ〉なくても全然問題ない。以上は同号のBMW M6グランクーペについてのインプレより。

  • 〈ロールを抑えた挙動で、スイスイとコーナーを駆け抜けることができる〉

僕はスイスイとコーナーを駆け抜けられなくて事故ったことはない。

  • 〈大径ブレーキを装着しており、制動力も問題ない〉

あったらリコールだ。

  • 〈ステアリング操作に対するクルマの動きが滑らか〉

つまり、右に切ると右に曲がるってことだよね。う、うん……、そうね。そりゃそうね。

これがタイヤになるともっとわからない。

  • 〈角度のついたプライ(繊維シート)をビード(リムにはまる部分)で折り返した後、トレッド付近まで折り返すことにより、繊維をクロスさせながら二重構造にしている〉

脳が、脳が、イメージをしない……。

  • 〈それによって、乗り心地を損ねることなく、ステアリングの正確性を向上させる〉

つまり、右に切ると右に曲がるってことだよね(さっきのをコピペ)。

  • 〈常に明確な接地感覚があり、ステアリングを握る手のひらを通じてロード・インフォメーションが伝わってくる〉

そりゃ空は飛ばないだろうけどさ。でも、ボコボコ、ガタガタ、の他に知りたいインフォメーションあるんかな。(上記は同誌六月号より)

まぁ、僕が「違いのわからない男」で、「語るに足るクルマ」に乗ってきていないことは認める。あ、ピックアップトラックについては散々語ったか(十二年八月号ご参照)。 クルマは進んで止まればいいと思っているバカが、プロのライターの方が感覚を研ぎ澄ましてきめ細かく書いた文章をクサすのは本意ではない。また細部まで設計して、商品というか作品としてのオートモビールを開発している技術者や、それを具現化する製造者の矜持を軽視するものでもない。

ただ、わからないだけだ。お金持ちはそんなことを考えてクルマを運転しているのだろうか。たぶんしているのだろう。

実は僕は、カメラの画像もよくわかっていない。富士フイルムのX20という機種がほしいと思っているので、ネットでインプレを探してみる。

  • 〈その先鋭度は期待を裏切らない。ピントの合った部分が浮き立つように感じられ、立体感までも増幅したように感じられる。(中略)しかも、画像ソフトでシャープネスをかけたときのようなエッジ周辺の不自然さなど全くなく、ナチュラルな印象である〉(デジカメWATCHより)

比較対象としてソニーRX100のインプレも、同じデジカメWATCHから見てみよう。

  • 〈そのどこかしっとりとした描写は心地よく感じる。また高感度撮影時における暗部のノイズ処理などもしっかりと行なわれており、ISO3200~6400という超高感度域においても、ほぼノイズを感じることもない。もっともノイズ処理によるディテールの喪失がないわけではないが、極端な崩れもなく、意外なほどに自然な描写となっているのに驚く〉

オレも驚いた。

結局「ナチュラル」、「自然」なことがいいわけで、いいカメラとは「見たように写すこと」なのではないか。

クルマは「走って曲がって止まること」なのだ。タイヤは詰まるところ「安心安定」なのだ。

この他、スピーカーなどの音響機器、音楽、グルメ、映像などなど、要するに五感を動員して知覚するようなものは、僕はなんでもわからない。特に食事なんか「うまいか、そうでもないか」以外はわからない(大概おいしい)。これは職業(広告企画制作)としては、恥ずかしいことなんだけど、あえて告白しよう。だってホントのことだから。 しかも、人のことも自分と同じくバカだと思い込んでいるフシすらあり、「ほぅ、重低音の響きがいいね」なんて悦に入っている人を見かけると、

  • 「お前もわかってないんちゃうん? 『重低音の響き』か『高音の伸び』言うとったらええ思てんちゃうん?」
  • と穿った見方をする傾向がある。

いや、やっぱり、優れたミュージシャンの録音現場なんかに立ち会うと、

  • 「あぁ、この人は最終形がすでにイメージできてバンドに指示を出してるんだな」
  • と感心してしまう。僕にとっては、異国の言葉が飛び交っているようなものなのに。

幸い、僕は自分がバカちんであることはわかっているので、わからないなりにいろんなインプレを読んで、その時はわかった気になって、でもすぐに忘れて、モノを選んだり使ったり壊したり亡くしたりしてはヒマを潰している。おかげさまで、今のところ楽しい人生だ。

僕が高校生だった九〇年代の前半、人々はカセットテープというもので音楽を聴いていた。 スズキくんという、スポーツも勉強も特に印象に残るもののない同級生がいた。しかし、彼は言った。

  • 「みんなは、ノーマルポジションと、ハイポジと、メタルのテープの違いはわからないだろうけど、ボクは聞いたらわかるんだよ」
  • 「ほぉ〜!」
  • 「マジで! マジでっ!」

僕らはバカ丸出しでのけぞった。「だからなんやねん」という者はそこにはいなかった。 スズキくんが高校三年間で唯一、輝いた一瞬だった。

時は流れ、カセットテープからCDへ。CDからMDへ。そしてMDすらも過去の遺物となった現代。スズキくんはどこかで元気にしているのだろうか。

「追悼 加藤則芳さん」

おそらく加藤則芳さんのお名前を知る人は、一般にはさほど多くないだろう。しかし、アウトドア、とりわけ山歩きの世界においては「ロングトレイル」という概念を日本に紹介した第一人者として知られている。世界のトレイルを歩き、それを通じて自然と人間のかかわり方を考えた作品を多数残した作家である。

その加藤則芳さんが、二〇一三年四月に亡くなられた。享年六十三。

数年前より、ALS筋萎縮性側索硬化症)という国が指定する難病に罹り、闘病生活を続けておられた。この病気は、脳からの命令を筋肉に伝える運動神経細胞が侵されるもので、徐々に体が動かせなくなり、歩けなくなり、起き上がれなくなり、食べられなくなり、やがて呼吸することもできなくなるという。知覚神経や自律神経は侵されないので、五感や記憶、知性に障害は起こらないというからなおさら残酷な病だ。

僕は彼の著作を何冊か読んで心酔していた。カナダのバーグレイクトレイルを独りで旅したのも、彼の影響を受けたからだ(二〇一一年六〜八月号ご参照)。ご本人にお会いしたことはないのだが、僕は加藤則芳作品から多くを教わった者のひとりだ。

この記憶に留められるべき作家であり、ハイカーであり、自然人のことを、少しでも多くの人に知ってもらいたくて、今回は加藤則芳さんについて思いを致すこととする。

加藤則芳さんを語るにあたって、まずはジョン・ミューア・トレイルに触れないわけにはいくまい。ジョン・ミューア・トレイル(JMT)は、米国のカリフォルニア州ヨセミテ国立公園から米国本土最高峰のマウント・ホイットニーまでを結ぶ、およそ三四〇キロに及ぶ原生自然トレイルだ。自然保護思想に基づいた米国の国立公園システムの確立に貢献した、「自然保護の父」、ジョン・ミューア氏にちなんで名付けられている。

加藤則芳さんはシエラネバダカリフォルニア州東部の山脈地帯)を愛して、幾度となく歩き、JMTをおよそひと月かけて踏破した。その時の模様が『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング340キロ』(平凡社)に綴られている。

一度は両足を痛めて泣く泣くリタイヤしている。帰国後に治療とトレーニングと荷物の軽量化に努め再起をはかる姿や、クマに遭遇したりトレイルを見失ったりしながらも、絶景の中を歩く喜びをどうにか伝えたくて仕方がないというような加藤さんの筆致が、この短くはない物語を飽きさせないものにしている。冒険譚として単純にワクワクさせられるし、ロングトレイルを歩く心構えや装備、準備を教えてくれるガイドブックとしての機能も果たす。そして、米国の優れた自然保護の思想や歴史への知識も与えてくれる良書なのである。

米国にはJMTの他に、三つのスーパーロングトレイルと呼ばれるものがある。JMTもその一部を成す、メキシコ〜アメリカ〜カナダを繋ぐ「パシフィック・クレスト・トレイル(約四二〇〇キロ)」、それよりも内陸部のモンタナ州ワイオミング州コロラド州などを縦断する「コンティネンタル・ディバイド・トレイル(約四五〇〇キロ)」、そして「アパラチアン・トレイル(約三五〇〇キロ)」。

加藤さんは、ジョージア州からメイン州までのアパラチアン・トレイルも半年間かけて歩いている。『メインの森を目指して アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』(平凡社)は、厚さ四センチの大著だ。本を開くと、さらに二段組みになっている。

彼が毎日歩き、トレイル上で様々なハイカーと出会い、自然を想い、米国の歴史を振り返り、文化に触れ、草木や生き物を愛でながら、重荷と痛みに耐えてはまた歩を進める姿が描かれている。なにせ三五〇〇キロという距離は、択捉島の北端から与那国島の南端よりも長いのだ。道中では、いろんなドラマがあり、出会いと別れがあるから、読者である僕たちは、まるで加藤さんの傍らについて一緒に歩いているような感覚で旅が疑似体験できる。

とりわけ、トレイルエンジェルという、トレイルと道路が交差する地点などで、飲食物や宿を用意してハイカーをもてなす素敵な人々との交流には心を動かされる。見ず知らずの人が汚くて汗臭いハイカーたちを応援して、わざわざ時間を作ってサポートしてくれるのだ。アメリカにはそういった奉仕の心があるらしい。

僕がこういった加藤さんのハイキング(著書の中で彼は、アメリカではトレッキングという言葉はほとんど使われず、距離にかかわらずハイキングであると指摘している)に惹かれた理由のひとつは、「他者との勝ち負けがない」点である。頂上すら目指さなくたっていいのだ。彼はただ、自分が設定した目標や、描いたテーマに則って歩く。そして、物事を思う。

先日、三浦雄一郎さんが八〇歳にしてエベレスト登頂を果たしたばかりなので言いにくいが、正直言うと、僕は登山に初登頂以外の記録を持ち込むのは好まない。「大自然の中ではひとりの人間の存在なんてちっぽけに思える」だなんてよく言われるけど、それなのにちっぽけな人間の競争心に拘泥するというのはどこか矛盾を感じてしまう。

よって、最近流行りのトレイルランニング(野山を走るレース)は、個人的には眉をひそめて見ている。僕も足跡を残したりストックは突くから、山道にかける負担のことはひとまず措くとしても、実際に山を歩いていて、曲がり角から人が走って来た時の恐怖を知っているだろうか。これは本当に怖いし危ないのだよ。わざわざこんなところまで来て競わなくてもいいじゃねえか、と思ってしまうのだ。

前出の『メインの森を目指して』のあとがきで、加藤さんは病気について告白した。

引用させていただく。

  • 「現実は残酷です。驚くほどの速さで筋肉が衰えていき、現時点ですでに箸もペンもまともに持てず、身体を自分で洗うことすらできなくなっています。ジョン・ミューア・トレイルも含めた国内外の荘厳壮大な原生自然、そしてすばらしい自然と人とのハーモニーに惹かれ、響き、憑かれ、涙するほどに愛してきたわたしでしたが、すでに、自らのスタイルによる自然へのアクセスはすべて不可能となりました。ゆえに、本書が、本格的なドキュメンタリーとしては最後の紀行文となります」

加藤さんは、病状が悪化する以前に、この本と、『ロングトレイルという冒険』(技術評論社)という二冊を立て続けに上梓された。歩くという人生観、自然への永遠の憧憬を通じた、まさに遺言ともいえる言葉を、我々に残してこの世を去っていかれた。

僕は、加藤さんの病状が進行してからは奥様が更新していたブログをたまにチェックしていた。長い間なにも情報がなかったので、何事もないことを知り、しかし進行する病魔を想像し、加藤さんを思っていた。『潜水服は蝶の夢を見る』の映画のように、最後には精神が肉体に「ロックトイン」された状態になってしまうのではないだろうか。思えど伝えられず、喜べど笑えず、悲しめど泣けず……。

世界中を歩いてきた彼がもう歩けないと知り、病床で天井を見つめてなにを思うかと想像するだけで、心が痛んだ。こんな意地悪があるかと、神の差配を恨んだ。だって、人の何十倍も、何百倍も、歩くことで生きてきた人なんだぜ! こんなことがあっていいのかよ!

インドネシアから帰国した先日、開いた雑誌のフロントページで加藤さんの訃報を知った時は、衝撃を受けたのと同時に、「あぁ、やっと加藤さんは解放されたのか……」と思い涙がこぼれた。

ご家族には申し訳ないが、加藤さんは死して遂に、不自由な肉体と不条理な世界から解放されたのだ。横にいた妻を驚かせてしまったが、しばらく涙が止まらなかった。

加藤則芳さん、僕たちに、僕らが行けない世界を見せてくれてありがとうございました。いや、きっといつか一部でも行ってみます。だって、あなたが何百万の言葉と、何千万の足跡を費やして、僕たちに伝えたかったことって、そういうことなんでしょ?

知って、備えて、行けって。ルールを弁えた上で自由に浴せって。

ご冥福をお祈りいたします。

  • 『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング340キロ』(平凡社
  • 『メインの森を目指して アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』(平凡社
  • ロングトレイルという冒険』(技術評論社

「Giを忘れるべからず in Jakarta」

  • ①「そろそろサクラの季節だろ? 日本人はどうしてそんなにサクラが好きなんだ?」
  • ②「サクラの下でパーティするというのは本当なのか?」
  • ③「クライアントが『モダンジャパニーズなデザインに』っていうんだけど、モダンジャパニーズってなんなんだ?」

その他、

  • 「日本のオフィスはどんな感じなんだ?」
  • 「東京と大阪はどう違うんだ?」
  • 「日本にも渋滞はあるのか?」などなど。

僕は先年の末からおよそ一〇〇日に渡ってインドネシアジャカルタで働いてきた。正確に言うと、約三ヶ月半、インドネシア人の仲間たちと席を並べて仕事したのち、一旦帰国して、翌週また戻って五日間働いて、先週帰ってきた。今は自宅でこれを書いている。 彼らと一緒に時間を過ごしていると、実に色々な日本に関する質問をしてくる。うれしいことだ。それだけ興味を持ってくれているのだ。

アメリカにいた頃は問いかけられた質問などほとんどない。

  • 「日本の女性はオ○○コが横向きについてるってのは本当か?」くらいのものだ。

これは、日本がアメリカにとっていかに辺境で神秘的でエキゾチックかを表す、よく知られたジョークである。アレが横向きについているくらい、「見たこともない、変わった、不思議な人たち」ということだ。

「国際的になるには、まず自国のことをよく知らなければいけない」、換言すれば、「インターナショナルであるためには、ナショナリスティックでなければならない」ということが今回の経験からもわかる。インターナショナルとは、ナショナル(国家)がインター(交差)するところに生まれる態様なのであって、自国のこともよくわかっていない、英語だけ上手な無国籍人になど外国人は誰も興味を持ってくれない。しかも、海外に出れば知識層は難なく英語を話す。 だから、「日本人にしては英語うまいね」だけど、 「で?」 となってしまうのだ。

そんなわけで、僕も日本人や日本の文化について、己の理解が浅いことを痛感しながらも、一生懸命答えてきた。いや、答えようとしてきたつもりである。

  • ①のサクラについて。
  • 「桜は満開の時期は一週間程度しかない。一年待って、すぐに散ってしまう。日本人はそこに生と死を見るから、美しいと思うのだね。生まれて死ぬ、友は来て友は去る。そういうこと。年度も四月に始まるから、出会いと分かれの季節に重なるわけだ」
  • ②花見について。
  • 「僕はしないが、ハナミといって、桜の下にシート敷いてお酒を飲む人たちもいる。まぁ、パブリック・イントキシケーション(公衆の面前での酩酊=海外では違法な場合が多い)の口実だな」

蘊蓄は色々あれど、基本形として最低限は答えられたのかな。

  • ③のモダンジャパニーズには困った。僕はライターであってデザイナーではないので、それが何を指しているのかすらわからないのだ。早速、山やモーターサイクル仲間の大谷さん(仮名)と後輩のアートディレクターにメールを送り、資料を送ってもらった。大量に入手した、モダンジャパニーズなアーティスト、プロダクト、ブランドなどを見つつ、気付いたことはこのようなことだった。

「ジャパニーズの芸術は、季節を表現することではないだろうか。季節それぞれの美を表現するために、その季節を表す花や木や生き物を用いている。桜なら春、朝顔なら夏、コオロギなら秋、ミカンなら冬、とモノが示す季節というものがある」 俳句の季語もそういうことだったのだ。今まで考えたこともなかったので、今更気付いて恥ずかしい限りだ。音楽カルチャーの中でも、森山直太朗や桑田圭祐ら日本を意識して作詞しているアーティストたちは、常に季節と人の心情を重ね合わせて、日本人の心を揺さぶる歌を作っている。

僕なりに導き出した答えを資料とともに、質問者に伝えて、逆に質問してみた。

  • インドネシアには季節はいくつあるんだい?」
  • 「二つ。雨季か乾季か」
  • ……そっか。そりゃなかなか「モダンジャパニーズ」の理解は難しいわな。

インドネシアの人たちは、日本のことを実によく知っていて驚かされる。中でも一番驚嘆させられたのは、一緒にツーリングをしたルミ(先月号ご参照)からの問いだった。

  • 「ジン、ギ、レイ、チ、シンとはどういうことだ?」
  • 「へ?」

音だけ聞いても、それが「仁・義・礼・智・信」を意味しているとは瞬時にはわからなかったのだ。理解すると同時に感心して、答える前に訊きたくなった。

  • 「ルミ、君はなんでそんなこと知っているんだ?」
  • 「昔、カラテの先生が『この五つについて毎日考えるように』と言っていたんだ」

だけど、先生はそれがどういう意味なのかは教えてくれなかったらしくて、ルミは「どういう意味の言葉なのか」と思い続けてきた。おいおい、先生! 肝心なとこ教えてないやん! ルミもルミだ。よーそんな言葉を音だけ十数年も覚えてきたね。

僕は僕なりにその五つを英単語に訳して伝えた。すると彼は、「サムライ・アティテュード(心構え)だね」と解釈した。まぁ、そういうことにしておいた。ウソではないし。 だってそうだろう? 儒教の教えだと言ったって、孔子の時代と今の国家としてのチャイナとには、文化的な断絶があるわけで。特に、現在進行形で民族浄化、他文化破壊を行なう彼の国のどこに「礼」があるというのだ。情報統制言論弾圧の中で「智」などあるものか。あ、いかんいかん、おかしな方向に……。

僕は僕なりに、その五常を心に置いて生きているつもりだ。インドネシアの人たちにもちゃんとそれを見せなくてはいけない。仕事ぶりもさることながら、彼らは人間としての日本人をよく見ている。僕個人から日本人全体を判断されることになるので、責任は重々感じながら振る舞わなくてはいけない。

先述のように、一〇〇日間のプロジェクト期間を終えて、一旦帰国ののち、翌週またジャカルタに行ってきた。 もう全部会社にバレてしまったし、時効だから告白する(時効、みじかっ)が、実はこの二度目は、自腹で行ったのだ。 携わっていたコマーシャルフィルムの撮影直前に帰国せざるを得なかったのだが、せめて編集作業には関わりたくて、飛行機と宿を自分で手配した。個人的にも重要な仕事であったということもあるが、掻い摘んで言うと、撮影前の打合せでクライアントである銀行の方と、意見が対立して激論を交わしてきたのだ。対立したのは利害ではない、クリエーティブに関する意見だ。 だから、あれだけ自分の意見を主張しておいて(広告界の常として、結局クライアントの意見が通ったのだが……)、制作は知らん顔では済まないと感じたのだった。

休暇ということにして(日本でのダメ社員は休みが取りやすい!)、日本のごく一部の知人には「非番の刑事が張り込みするようなもんだ」と言い残し、ジャカルタのルミには「How much "Gi" I have(オレがどれほどの義を持ち合わせているか)」を見せに行くぞと伝えて、カッコつけてみた。 自分の主人(=妻)も、これを読んで初めて知ることだ。航空券と宿泊費で約二十万円かかったが、会社員の僕にはポンと出せる金額ではない。だけど、これはまさに「義」の問題だった。 義は、ルミには「Obligation」と訳したのだが、「しなくてはいけないことをすること」だと補足しておいた。反意語は「利」。僕の再出張にGOを出してくれなかった会社は利を選んだのだ。これは仕方ないと思っている。会社というのは利を追求する機関だからだ。 しかし、人にとって義は利の先に立つ、ということを僕はインドネシア人の仲間たちに見せなくてはいけなかった。彼らはとても喜んでくれたし、「クレイジーだ」と笑ってくれた。これでいいのだ。 インドネシア人は、日本人を「勤勉で、優秀で、スケベで、クレイジー」だと思っている。日本のAV女優がよく知られているのだ。……すべて褒め言葉ではないか。

僕も彼らに様々な質問をぶつけ、インドネシアという国や、イスラム教という宗教について多くを教わってきた。 そして、酔ったある晩、ふと思ってルミに尋ねてみた。

  • 「なぁ、もしも、生まれ変わるチャンスがあるなら、次はどの国に生まれたい?」

ルミは即答だった。

  • 「お前の国だよ!」

なに言ってやがる、当たり前じゃんかよ、というような口調だった。

別の晩に、別の二名にも訊いてみた。その日初対面の人たちだったから(けど)僕を気遣っての答えではないことは保証する。

  • 「アジアの中なら、断然日本」
  • 「日本だね」

衝撃でしたね、僕には。 デンマークとかドイツとかカナダとか、良さそうな国が他にもいろいろあるじゃんかよ。カナダ以外行ったことないけどさ。ブラジルとかアルメニアとか、スケベそうな国もたくさんあるじゃんかよ。知らんけど。 それでも、この世界には「日本に、日本人に生まれたい」と思っている人たちがいるのだ。君たちが思ってるほど優秀じゃないよ。君たちの方が彫り深いよ。君たちの社会の方が成長性あるよ。 「いや、ジャパンもだね、難しい問題を抱えててさ……」だなんて説明しようと試みたけど、高齢化とか人口減少とかシケた話したってしょーがないから止めた。突き詰めれば所詮カネの話じゃねえか。利の話だ。 義なら、この国にもまだ幾許か残存していると、僕は信じているし、このアジアに日本が日本として在ることはほとんど奇蹟のようなことだとも確信するに至った。ホントに、英語も下手クソなのにこの国はよーここまでやってきたよ。

そして、日本への憧憬と敬意を持つインドネシアのような国と、五常を胸に末永く友好を深めていくべきだと思うのだ。

そんなわけで、今週また、行くよ。

あ、今度は呼び戻されてちゃんと出張。