月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ルールブック、読んだか?」

珍しく会社の先輩から昼食に誘われた。基本的には一人で考え事をしながら食べるのが好きなのだが、誘われたからには断らないようにしている。 で、ついて行ってみると部署の女性も一人来た。なんのことはない。元々、その先輩と後輩一名とその女性とで行く予定だったのだが、後輩がドタキャンしたので二人きりもナンだからとピンチヒッターとして僕に声をかけたのだ。まぁよい。女性と昼メシ食べながら話す機会も少ないのでたまには新鮮である。

せっかくだから若い女性の恋バナでも聞いてみることにしよう。昼間から恋バナ、いいではないか。夜になると恋の相談とかいいながらすでに己のパンツ脱ぎかかっているというのがよくある話だが、山盛りの鶏の唐揚げを目の前にしていればまったく異なる状況になる。

大体な、恋バナをセクハラとか言い始めたら、我々なんかまったくの無口だろう。向こうも大いに興味のある事柄で、こっちもそれくらいしか共通の話題なんか見込めないのだから仕方ないではないか。集団的自衛権の話とか、今日の日経平均とか、ブーツのミッドソールの話とか、聞きたいですか? でしょ? 淋しいことだ。わしゃ、いつからそんなにおっさんになったか。

それに最近は若い男性の恋しない病の方が重篤で、知り合って以来何年もカノジョいたとこ見たことない、という若者を僕は何人も知っている。心配な僕は男の後輩にだって、「カノジョできたか?」と訊くことがある。

女とも恋の話、男とも恋の話。食欲、睡眠欲、性欲と言ったって、「君、昨日何食べた?」とか「昨夜はよく眠れたか?」なんか訊いてどうする。おかんじゃあるまいし。 恋の話はそれだけ共有する価値の高い話題なのだから仕方ないどころか、それが自然なのだ。

その女性、ユウちゃん(仮名)は「最近、いい感じの人がいるんです~」と言う。若いと言っても彼女はもう三〇目前だ。そりゃいい感じの一人や二人いなくては困るだろう。

「ほぉー、よかったやん」 僕と先輩は同時に言った。 男同士なら、次の言葉は「で、やったん? やったん?」だろう。

男女平等の現代社会とは言いつつも、相手は妙齢の女性だ。僕は表現には細心の注意を払ったのだ。

「で、抱かれたん?」

これが考えうる最大で細心の注意だった。

ユウちゃんは手を顔の前でブンブン振って大きな声を出した。 「何言ってるんですか! そんなわけないじゃないですか!」

どんなわけがないというのだ。抱かれる以外に他にすることがあるのだろうか。

「デート何回したんや?」

「六回です」

「ロッカイー!?」

男二人はまた同時にのけぞった。

「キミなぁー……」、僕がそう言おうと思った矢先、先輩が唐揚げから一旦箸を置き、その先を引き取った。 「キミな、ルールブック読んどんか?」

キョトンとした彼女を差し置いて先輩は続けた。

「食事一回でスタンプ一つ。もう一回行ったらもう一つ。四つ貯まったらエッチなことするチャンスがもらえるねん」

「そんなの聞いたことないです」

「だから! それはルールブックを読んでへんからや。ええか……」

この先はこうだ。 スタンプ四つでワンチャンス。 気分次第でダブルスタンプキャンペーンを実施。 四つ目以降はスタンプごとにチャンス到来。 有効期間は一ヶ月間で、ご来店ごとに自動更新。

先輩はもう一度念を押した。

「ルールブックに書いてある」

それはあたかも、「世界では一年で六万平方キロメートルの土地が砂漠化していっている」という冷たい事実を告げるかのような言い方であった。

ユウちゃんは先輩の勢いに気圧されながらつぶやいた。

「そ、そうなんですか……」

そうなんですよ。大人、といっても二十代の間に知らなくてはいけないルール集だ。キミは確か、まだギリギリ二十代だったな。今日、我々と昼メシを食べに来られて本当によかったな。一歩間違えば取り返しのつかないことになっていたかもしれんな。でも、今ならまだ間に合う。

見方を変えれば、ノーチャンスなのにもかかわらず六回もデートをしてはいけないのだ。これもルールブックに書いてある。 なぜなら、

「キミ、『いい感じの人』て言うたやないか」

ということだ。いい感じの人に六回もメシを奢らせてはいけないのだ。もっと言えば、本当にいい感じかどうかなんて、実際はもっといい感じのことをしてみないとわかりゃしないではないか。

先輩はその昼メシの間中、アルコールも入っていないのに色々思い切ったことを言っていた。

「今頃その彼氏は六回分のデート代を計算して『……風俗行けたな』とか思とるで」

とか、

「クライアントがな、『打合せしたい。ちょっと大きな話で』と呼ぶから喜び勇んで電車乗って行ってみたら、昨夜、阪神マートンのホームランがいかに大きかったかばかり話して帰されたらどう思う?」

とか、

「君は犯人もわからないまま連続ドラマが第八十六回を迎えても見続けるか? 船越も怒るで!」

とか、

「お互いに襟と袖を取って組み合ったのに向こうがよう来-へんのやったら、こっちから仕掛けんと試合は動かん! モタモタしてたら審判から指導が入るぞ!」

などと、畳を叩かん勢いで合ってるのか合ってないのかすらどうでもいい喩えを繰り出していた。

いや、微妙に今、僕はウソを混ぜた。

とにかく先輩の言うことを代弁して短くまとめると、我々はいい国のいい時代に生まれたのだ。場所によっては現代においても、女性はブルカで肌を隠さなくてはいけないとか、結婚相手は親が決めるとか、ナニをアレするとか人権を侵害し、倫理に悖るしきたりに縛られているのだよ。

日本では待ってる必要などなにもないのだ。お互いに「いい感じ」だと思うのなら、それをコミュニケーションしなさい。インタラクティブ・コミュニケーションをしなさい。

そして、言っておくが、男というのは教養があればあるほど脆いのだ。傷付きやすいのだ。斬新なルポルタージュで一時代を拓き、文壇一モテたのモテないのという噂の沢木耕太郎さんが「ナンパとかしたことあるか」と訊かれて、こんなふうに答えている。

「ないですよ。『なにアンタ』って感じで相手にされなかったら立ち直れないじゃないですか」

拒絶が平気な男なんてそれしきの心しか持っていないのだ。対象もそれ程度の相手としか見られていないのだ。

その彼はきっと、繊細な今時の若者なのだろう。だから、次回のデートの際には、ユウちゃんの方から口火を切ってあげてほしい。 なんて言えばいいかわからないって? そりゃそうだろう。だからそんな時に使ってほしくて、先輩や僕は重大な情報をリークしたのではないか。

「あのね、ルールブックに書いてあったの……」

「え、なに?」

「ナオトくん、ルールブック知らないの?」

グッドラック。よい報告を待つ。 報告は詳細であれば詳細であるほどいいぞ。